2015年10月17日土曜日

伝説のライブに至るまで

 つい先日までは暑いと思っていたが、最近は寒いくらいになってきた。気が付いたら10月の中旬である。もう年末シーズンとなる。一年もあっという間に過ぎていく。一日一日を大切にしていかなけれべならないが、なかなかそれも難しいものである。とりあえず風邪をひかないように注意したい。


 
8月の話になってしまうが、とりあえず記憶に残しておきたいということで、そろそろ少しずつではあるが書きたいものがある。かなり偏った個人的な話になってしまい、申し訳ないのだが、“長渕剛 10万人オールナイトライブ2015 in 富士山麓”に行ってきたのである。昨年のオールタイムベストのツアーにて発表され、約一年待ちに待った私としては人生の最大のイベントになるライブである。とりあえず今回はそのライブに至るまでを書きたいと思う。
 2004年に鹿児島県の桜島にてオールナイトライブが行われたのである。私は当時中学3年生であった。私はその時はすでにファンになっていたが、当時の私にはそのコンサートに行ける力もなく、そして鹿児島が果てしなく遠い存在で参加することができなかった。その年に発売されたライブCDを何度も何度も聴き込み、歌は当然MCや掛け声もすべて覚えた。たかがCDではあったが、すさまじく、壮絶なライブであった。あれから11年がたった。この富士のライブでオールナイトは最後という位置づけであった。それを聞いた時はめちゃくちゃ悲しく寂しい気持ちになった。ならば死んでも今回の富士のライブに参加しなければならない。発売日に早速チケットを申し込み、チケットを手にすることができた。
 前回の桜島ライブでは決定から約2年の月日を費やしてライブ当日を迎えたのだが、今回は1年しかないということで様々な問題があったのである。そもそもチケットが高額なのと、チケットと合わせてJTBのツアーのチケットも申し込まなければならないということで、金銭的にかなり厳しいものがあった。それで参加できなかった人も多くいると思われる。桜島のライブのチケットは即日完売だったが、今回はライブ当日まで完売発表はなかった。10万人集まるのだろうかという心配があった。
 そしてもう一つの大きな問題はファン離れがあるのではないかと思われる。2003年の“Keep on Fighting”ツアー以降、拳挙げ中心のいわばロックンロールスタイルが確立されていくのである。昔ながらのファンにしてみれば、歌そのもので感動を与えていたライブが、“お祭り”なライブになってしまった、ということで離れていくファンもいるのではないか。そして歌詞の変化である。最近の剛は“普遍”の歌詞、歌を求めていて、100人いれば100人が感動する歌を求めているのである。例を上げるならば“明日へ続く道”、“しあわせになろうよ”、“TRY AGAIN”などがそうではないかと考える。しかし、昔のファンからしてみれば、生活感丸出しの唄、悔しくてみすぼらしい自分をさらけ出す歌、そんな歌こそが長渕剛の歌であって、それこそが“普遍”なのである。例を上げるならば、“流れもの”、“しょっぱい三日月の夜”、“明け方までにはケリがつく”などがそうなのではないだろうか。彼にしか書けない歌えない歌である。私は昔だろうが今だろうが長渕剛が大好きである。昔の歌に感動させられることもあれば今の歌に感動させられることも事実。私としては昔のファンが言う“普遍”があるからこそ今の“普遍”の歌が存在するので、何も言うことはない。すべてが最高である。
 今回のライブでファンをやめようという人も多かった。それはライブに参加する前の話。我々ファンの想像をはるかに上回るライブになろうとは誰も思わなかっただろう。ライブ前、ライブ後に様々なメディア、マスコミから批判があった。しかし、あそこに集結したファンにしてみれば「だからなんなの」という感じ。たった一人のため、長渕剛ただ一人に会うために、全国各地から集結した私たちは間違いなく彼に突き動かされたのである。

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