2015年5月17日日曜日

アムトラック脱線事故

 前まで寒いと感じていたが、もう今は暑いと感じるようになってきた。季節が変わるのは早いものである。今の会社で働いてちょうど一年が経った。どちらかといえば長い一年だったような気がする。この一年もいろいろあったし、これからの一年もまたいろいろなことがある。そんなものである。一日一日大切にしていきたい。


先日、ニュースでアムトラックが脱線したというのを聞いた。私としてはかなりの重大ニュースであった。アメリカの交通機関としては、旅客鉄道はかなりマイナーであることは確かだ。貨物の鉄道輸送は意外にメジャーだが。今回事故があったのはニューヨークとワシントンD.C.のちょうど中間地点、フィラデルフィアである。このニューヨーク、DC路線は大西洋メガロポリスを結ぶメジャーなドル箱路線。日本の東海道新幹線のちょっと遅い版といっていい。これがかなりの不通になるらしい。もちろん、航空機の路線はシャトル便がガンガン飛んでいる。ニューヨークには、JFK空港、ラガーディア空港、ニューアーク空港がある。そしてDCには、ダレス空港、ナショナル空港、ボルチモア空港がある。ナショナル空港は市内にかなり近いということもあって増便されるのだろう。
 これまでの私の旅のルートはすべてニューヨークに行ってそしてDCである。その移動には必ずこのアムトラックを利用してるのである。もちろんフィラデルフィアも通る。英語のわからない私は乗るまでが勝負なのだ。到着するゲートはギリギリまでわからない。いろんな人に聞いて半信半疑で並ぶのだ。一緒に並んで一緒に乗った女性を思い出す。その女性はフィラデルフィアで降りたのだが、その際私に手を振ってくれたのだ。これも“名も無き友人”である。アムトラックで移動しているとき、いつもぼーっと外を見て過ごしている。そして気がつけば、自分の心の中に入っていて、いろんなことを考えている。話し相手はいない。でも、この時間は私にとってはこの上なく必要な時間。だからひとり旅が好きなのだ。いつも大変な“ハプニング”に見舞われてしまうが、これだけはやめられない。ニューヨークで全身をスパークさせ、DCでゆっくりと過ごすというのが私の今までの旅。また行きたくなってくる。

 実際に行かなかったらこのニュースも聞いた3分後には忘れてしまっていただろう。人間てそんなものである。語弊があるかもしれないが、ネパールで大地震が起きても、私は「そうなんだ」と少し悲しく感じるくらいで、東日本大震災が起きたときと比べて明らかに大きな感情の差がある。どうしてだろうか。東日本大震災が起きたときでも、私は大阪にいたが、それでも感情の起伏はそうでもなかった。人間、自分にとってどれだけ近いことが重要になってくるのではないか。海の向こうのことははっきり言って分からない。隣の県のことすらも遠い存在に思えてくる。人間ていうのは、明日は来るのだろうか、明日家族と会えるだろうか、友人と会えるだろうか、いつもどおり学校に行くことができるだろうか、仕事に行けるだろうか、・・・。そっちのほうが大事なんだと思う。遠いところでどれだけ悲しいことが起きていようとも、結局考えていることは日常のこと。それが人間だと思う。そう言うと、軽薄なやつだとか、冷酷なやつだとか言われるかもしれない。そう言いながらも、そう感じながらも、できるだけのことはしてきたつもりだし、考えているつもりである。偽善だったとしても、何もしないよりよっぽどマシである。アムトラックの事故のニュースを聞いて、何故かこんなことを考えてしまった次第。

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