2015年1月2日金曜日

言葉たちを落とし込む作業

年が明けてしまったので、昨年の話になるのだが、法律を勉強している友人と会う機会があり、彼が通っている大学院内を少し案内してもらった。法科大学院ということでテレビでよく見る裁判所の室内まで整っているという予想以上の設備であった。模擬の授業ができるのである。さすが、の一言。まさに勉強する環境が整っている。
 彼が自習していた部屋で少しばかり話をしていたのだが、覚えたものをどんどん問題を解いて、その覚えたものを使えるようにしていく訓練が重要だという。私もそう思うのだ。インプットとアウトプットする脳は違う脳である。なので全く別の作業になるわけだ。ついつい私たちは覚えるだけ覚えてそのままにしておくことが多くなってしまう。例えば本を読むことも同じである。読んだらそれでおしまい。これは読んだうちには入らない。読んだ気になっているだけである。小学生や中学生の時などよく書かされた読書感想文はすこぶる重要な作業である。読むのはすぐできるが、それを書いてまとめるとなるとはっきり言って面倒な作業である。なかには、書かなくてもしっかり読み込んで自分が納得すれば大丈夫と思っている人もいる。書いてまとめている自分をイメージしている人もいる。なんとももったいないことをしている。せっかく本を読んだというのに。
 もちろん本だけではなく、自分が観た映画、自分が経験したことでもなんでもいい。疑問に思ったことでもいい。それをとりあえず文字として表現してみること。その友人が言っていたように訓練が必要である。私はこのブログを使って文字として表現することにしている。ブログを始めた頃はひとつの記事を書き上げるのにかなりの時間を費やせねばならなかったが、今ではそれほど時間はかからない。内容によってはじっくり考え、慎重に書いていくこともあるが、ほとんどはスラスラ書ける。文字にしてどうなるんだという人もいるかもしれないが、これはコミュニケーション能力にもつながってくるのではないかとも考えている。話を聞くのがインプットで、話をするのがアウトプット。しかし、日頃から文字として表現している人はそうでない人よりも、瞬時により深く、丁寧に、論理的思考ができているのではないかと思う。ただ単の感情論だけで終わりになるだけではなく、一段上の話し合いができるのではないだろうか。自分の頭の中でうごめいている言葉たちを、紙やノート、ブログといった媒体に落とし込む作業は、ひと手間かかってしまうが、よりスマートに生きていく一つの手段かもしれない。

2 件のコメント:

  1. 頭のいい人とか、優秀な人は、「覚えたものをどんどん使って自分のものにしてい
    く訓練」を継続できる人なんでしょうね。
    訓練を継続できる環境を自ら確保できることも、きっとそれも才能の一つでしょう。

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    1. Abbyさん、コメントありがとうございます。
      継続させること、続けることは実際にやってみるとなかなか難しいものです。
      生活の一部になるまでには無理やりでもやっていかないといけませんね。
      やるのが当たり前になるまでが大変です。
      面倒くさがってばかりじゃダメですね。

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