2015年11月24日火曜日

生き残れるヤツ

今年は異常なほどに映画の豊作な年である。私の好きなシリーズものの続編もあればそうではないものでもおもしろいものがたくさんあった。残すはあと007とスターウォーズといったところであろうか。007は観る予定だが、スターウォーズシリーズは私は観たことがないのである。これをいうと意外だねと時々言われることがある。まあ、今までに観るきっかけがなかったとでもいった方がいいのだろうか、あまり興味を持つことができなかったのである。おそらく今回の作品も観ることがないだろう。スターウォーズファンは全世界でものすごく盛り上がっているみたいである。
 2015年は豊作といっても、中でもシリーズものが多かった。代表的なシリーズ続編映画を挙げてみよう。もちろん私が気になったものである(笑)。『96時間/レクイエム』、『ワイルド・スピード SKY MISSION』、『マッドマックス 怒りのデスロード』、『ジュラシックワールド』、『アベンチャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』、『007/スペクター』、『スターウォーズ/フォースの覚醒』、『ミッションインポッシブル ローグネイション』、などである。どれもかなりのヒットを飛ばしたみたいである。この中で以前から気になっていたのだが、観ていなかったものが『マッドマックス』である。私が尊敬している方や、前会社の後輩がおもしろいと言っていたので気になったのだ。今回のは4作目である。気になるものはさっさとつぶしてしまいたかったので、4作すべてDVDで観ることにした。もちろん購入して。私は何度も繰り返して映画を観るタイプなので、ツタヤなどで借りたりすることがない。
 このシリーズは想像していたよりもかなり奥の深い作品であった。1~3はメル・ギブソンが主演を務め、今年の作品は代わってトム・ハーディーが主演を務めた。バイオレンス、アクションがメインの作品である。シリーズを一貫して荒れ果てた荒野が舞台で、近未来のストーリー。ただ観ただけでカーアクションでイカれた奴らがどんちゃん騒ぎしているで終わってしまうが、何度も繰り返し見ているとその奥深さが見えてくる。私が最も印象として残っていることがある。しかし、明確な表現がなかったので、印象というかこれが伝えたいことなのではないかといった方が良いだろう。それは神や仏に祈りをささげることよりも、自分で進んでいかなくてはならないということ。『マッドマックス』のラストで、主人公のマックスが敵に「自分の足を切断できれば生き延びることができる」と言うのだ。敵は車と足が手錠でつながれて動けない状態。そこでマックスは敵にノコギリを渡す。しかし、マックスが作ったいわば“時限爆弾”のリミットがあったのですぐに決断しなければならない。自分の足を斬って生き延びるか、それとも爆弾で死ぬか。これはこのシリーズの一番の重要な要素となっていると考えている。つまり、自分の足を斬って生き延びるヤツはこの世界でも生きていけるということなのだ。今年の作品ではフュリオサという女性戦士が登場するのだが、彼女は片腕がないのだ。具体的描写はなかったのだがいろんな意見を見てみると、悪の王に逆らったがために腕を斬り落とされたという意見が多かった。しかし、私にはそうは思えなかった。彼女もそういった自分の腕を自ら斬り落とす過去があったのではないかと思う。だから彼女は今も生きていられるのだ。生き残ってきたのだ。戦場では祈りなど通用しない。神や仏などといるかいないかわからないものに頼ることよりも、自分を助けてくれるのは紛れもない自分だけなのだ。
 シリーズすべてにおいて、最後ではマックスは静かに去っていくのだが、今回フュリオサとマックスの友情、マックスが自分の名を名乗るシーン、目と目で通じあえるラストシーンに思わず涙してしまった。この荒野という現代世界に希望なんてあるのだろうか。マックスが言っていたように、待っているのは“MAD”だけなのだろうか。たとえそうだったとしても、頼れるのは自分だけだということは確か。自分の腕を斬り落とせるヤツはどれほど狂った世界でも生きていけるだろう。

2 件のコメント:

  1. 頼れるものは自分だけ…
    いるかいないかわからないものに頼ることよりも、自分を助けてくれるのはまぎれもない自分だけ…

    ニュース番組で、難民となってヨーロッパに渡った子連れのシリア女性が、罵声をあびせてくるフランス人に対して、「もううんざり! テロで大切な人を殺されたのはフランス人だけじゃないのよ!」と泣き叫んでいるシーン。彼女の娘も、泣きながら母親の腰にしがみついている…

    戦争で突然家も財産も家族も友人も何もかも失って、寒さ増す冬のヨーロッパに渡った人たち。
    クリスマスにお正月と、浮かれている先進国の人間。
    自分で自分の腕を斬り落とすことなく平和に生きていける世界のほうが、現実ではMADなのかもしれません。

    無駄に金を消費している裕福な人たちなんて、日本にも世界にもたくさんいるはずなのに。
    この瞬間、彼らはどうやって暖をとっているんだろう?
    いるかいないかわからない神や仏に、彼らの幸せを祈ることしかできません。彼らにとっては何の腹の足しにもなりませんが。

    MADな現実でも、せめて自分と自分の周囲の人には平穏な一年であってほしい。平等ではない世界で、世界中のみんながそう願うことができれば。

    SAMURAIさんにとっても、来年がよい一年でありますように。

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    1. Abbyさん、コメントありがとうございます。
      返信遅くなり、大変申し訳ありません。

      本当にそうですね。
      自分自身、そして自分の周りでは日々平穏な生活が続いていますが、世界では日々想像も出いないことが起きています。
      私たち人間は日常を脅かされることに最も恐怖を抱いてしまうもので、そしてそれを第一に考えてしまいます。
      それが先進国との“温度差”なのかもしれません。
      海の向こうで戦争が起きていても、自分では何もできないのも事実。
      ただただ頭を抱えてしまうばかりです。
      2016年はひとりでも多くの人が自らのしあわせを掴めるような、そんな年になってほしいですね。

      今年もよろしくお願い致します。

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