昨日と今日、ここ青森は暖かい日が続いている。日曜日に東京に向かうが、それまでこの天気が続いて欲しい。
研修の為に東京に行くが、それと一緒に春から住む家も探す予定だ。企業側が紹介してくださる不動産屋さんがあるので、それを利用する。どのような物件を紹介してくれるのかはまだ全くわからないが、楽しみである。私もついに「東京の人」になる日が近づいてくる。もちろん私は死ぬまで大阪人でいるつもりだが。一応の「東京の人」になる。大阪、青森、そして花の都東京。やっとたどり着いたという感じだ。そこで一つ、唄を紹介したい。またもや長渕剛の唄だが、今まではこの唄を唄える日はいつになるのだろうかと思っていたが、この唄が現実とかする日が近づいている。
東京青春朝焼物語
両足が鉄の棒のように痛かった
お前と二人で不動産屋を廻った
はり紙を何度も何度もなぞりながら
井の頭線で五つめの駅で降りた
愛想の悪い酒屋で俺は缶ビールを買った
植木鉢の下に鍵を置くことに決めた
荷ほどきできないダンボール箱を背中にして
俺たちはえびのように丸くなった
二人でおんぼろの自転車にのり、
野良猫の“チロ”をお前は拾ってきた
不釣合いな花柄のカーテンには困ったけど
南向きの窓がたまらなくよかった
豆腐屋のばあさんはゴムのエプロンに長靴で
いつもそこら中に水をまいていた
「ごめんよ」がこのばあさんのいつもの挨拶で
そこを通るたびに笑ってた
カンカンと遠くで踏切が鳴いてた
夕暮れ時の雨は嫌だった
つっかけを履いたまんま女ものの傘をさし
角のバイク屋へ空気入れを借りに行く
鉄柵の向こうからは空が見えなかったけど
暮らすのに何の理屈もいらなかった
ただ初めてお前の台所に立った背中を
抱きしめたのはささやかな俺の覚悟だった
今日から俺 東京の人になる
のこのこと来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと東京に人になる
日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2013年1月31日木曜日
2013年1月29日火曜日
ここからがスタート
タイムズスクエア |
今日来た3年生の学生が、「自分が何をしたいのかわからない」という学生がいた。これは就活する以前の問題である。キャリアの方もおっしゃっていたことだが、「どこどこの企業を受けなさい」とは言えないのである。どこの企業に就職したいのか、どんな仕事をしたいのかは自分で決めなければならない。自分の人生は自分で決める。最低限自分のことは自分で面倒みないと。
今日は13時から17時まで話をしてしまった。近況報告といったらいいのか様々ことについて話をした。話をしていても飽きないというのはそれだけその方に魅力があるということだ。日曜日に研修で2、3週間東京に行くが、また戻ってきますと伝えた。
日曜日あら東京に行くので、そこから忙しくなりそうだ。研修のあとは一旦大阪に戻って、健康診断やいろいろややこしいものを整理して企業に送らなければならない。そのあとは引越しの準備などでこちら青森の部屋も片付けなければならない。ややこしくなりそうだが一つ一つヌケがないようにしたい。あと青森でお世話になった方々への挨拶回りもしなければならない。まだ数人しか挨拶できていないので、そこはきっちりしなければならない。
卒業は近づいているが、どちらかというと悲しい寂しいよりかは楽しみの方が強い。次の人生が始まるという待ち遠しい気分だ。人生はある意味ここからがスタートだと思う。ここから始まるんだ。社会人になってもいろんなことを勉強していきたい。社会人になってからでも勉強は遅くない。英語も勉強しよう。歴史も勉強しよう。法律も勉強しよう。マーケティングも勉強しよう。そして社会人を勉強しよう。私はやりたいことがたくさんある。人生は二者択一ではない。AかBか、答えを迫られた時、Cという答えはないか、それともAとB両方選択できないか、そうやって物事をみていきたい。やりたいことすべてを叶えるつもりだ。何歳まで生きられるか知らないが、私は役を与えられたんだ。“私”という役を。
2013年1月28日月曜日
オバマ大統領とホロコースト記念博物館
成田空港では8cmの積雪があり、日本各地で大荒れのようだが、ここ青森は快晴であった。先週の金曜日と土曜日も大荒れという予報であったが、私の住んでいる周辺は晴れていた。明日は大学へ行こうと思っているので晴れて欲しい。
本日、オバマ大統領がFacebookで、ホロコースト記念博物館での画像をアップしていたので、ついつい「いいね」ボタンを押してしまった。何度もこの博物館は紹介しているが、この博物館はアメリカでは珍しく館内撮影禁止だったのだ。アメリカの博物館の素晴らしいところは撮影できるところだ。しかし、ここはダメだったので、ポストカードを私が撮影して、それをこのブログに添付した。まあ、今回も館内のほんの一部だが載せておきたい。そして、私が見たこの博物館をもう一度思い出したい。
ここを訪れるためにアメリカに行ったようなものだ。整理券をゲットすべく列に並び、何枚整理券がいるのかかわいいお姉さん尋ねられると、なぜか「4枚ください」と言ってしまった。1枚でよかったのに。厳しい入場チェックのあと、やっとパスポートが手に入る。そのパスポートは、ホロコーストで命を落としたユダヤ人の身分証明書である。今日はその人物と共に回るというわけだ。
ナチスが、ユダヤ人狩りの際に使った「目の色の判別板」や「鼻の計測器」などは、ここでしか見れないらしい。虐殺の展示階では、貨物列車が行く手を阻むように展示してある。この中を通らなければ次へと進めないのである。収容所へユダヤ人を運んだ貨物列車であることは一目瞭然である。私は霊感が強い方ではないが、館内全てに妖気が漂っているのがわかる。ある扉をくぐった瞬間、ものすごく何かを感じ、全身に悪寒が走ったのを今でも覚えている。鬼太郎なら、妖気アンテナがビンビンであろう。収容所に入る前に没収された、ナイフや眼鏡や入れ歯など様々なものが透明のプラスチックの柱の中に山積みされて展示されている。その数、膨大。アウシュビッツの門をくぐる。虐殺に使われた毒ガス(正確には農薬)の缶。シャワー室から焼却炉までの流れは、真っ白な模型で展示してある。
SS(親衛隊)による人体実験のビデオなどは、子供にはショックの大きすぎるので、ちょうど井戸の中をのぞき込むように子供の背丈では見れないように展示してある。収容所が解放され、、多くの虐殺された遺体の処理映像など、注視に堪えない。ここに来た誰もが疲れるのであろう、椅子がある。他の人々も虚ろな目をして焦点が定まらない。それほど強烈なショックをこの博物館は我々に与えてくれる。
最後の出口に繋がる通路の両側には、靴、クツ、くつの山である。すごい数である。ガラスで仕切られているのに凄いにおいである。最後まで我々の良心にショックを与え続ける博物館であった。
本日、オバマ大統領がFacebookで、ホロコースト記念博物館での画像をアップしていたので、ついつい「いいね」ボタンを押してしまった。何度もこの博物館は紹介しているが、この博物館はアメリカでは珍しく館内撮影禁止だったのだ。アメリカの博物館の素晴らしいところは撮影できるところだ。しかし、ここはダメだったので、ポストカードを私が撮影して、それをこのブログに添付した。まあ、今回も館内のほんの一部だが載せておきたい。そして、私が見たこの博物館をもう一度思い出したい。
ここを訪れるためにアメリカに行ったようなものだ。整理券をゲットすべく列に並び、何枚整理券がいるのかかわいいお姉さん尋ねられると、なぜか「4枚ください」と言ってしまった。1枚でよかったのに。厳しい入場チェックのあと、やっとパスポートが手に入る。そのパスポートは、ホロコーストで命を落としたユダヤ人の身分証明書である。今日はその人物と共に回るというわけだ。
ナチスが、ユダヤ人狩りの際に使った「目の色の判別板」や「鼻の計測器」などは、ここでしか見れないらしい。虐殺の展示階では、貨物列車が行く手を阻むように展示してある。この中を通らなければ次へと進めないのである。収容所へユダヤ人を運んだ貨物列車であることは一目瞭然である。私は霊感が強い方ではないが、館内全てに妖気が漂っているのがわかる。ある扉をくぐった瞬間、ものすごく何かを感じ、全身に悪寒が走ったのを今でも覚えている。鬼太郎なら、妖気アンテナがビンビンであろう。収容所に入る前に没収された、ナイフや眼鏡や入れ歯など様々なものが透明のプラスチックの柱の中に山積みされて展示されている。その数、膨大。アウシュビッツの門をくぐる。虐殺に使われた毒ガス(正確には農薬)の缶。シャワー室から焼却炉までの流れは、真っ白な模型で展示してある。
SS(親衛隊)による人体実験のビデオなどは、子供にはショックの大きすぎるので、ちょうど井戸の中をのぞき込むように子供の背丈では見れないように展示してある。収容所が解放され、、多くの虐殺された遺体の処理映像など、注視に堪えない。ここに来た誰もが疲れるのであろう、椅子がある。他の人々も虚ろな目をして焦点が定まらない。それほど強烈なショックをこの博物館は我々に与えてくれる。
最後の出口に繋がる通路の両側には、靴、クツ、くつの山である。すごい数である。ガラスで仕切られているのに凄いにおいである。最後まで我々の良心にショックを与え続ける博物館であった。
2013年1月27日日曜日
財産を守れ
大学のキャリアセンターの方とよく話をしていることは、このブログでも何度か話をしている。様々な話をしているが、よく学生の話をする。先日、私が自分の夢についてベラベラ語っていると、「今の若い人は将来自分が何がしたいのか、よくわからない人が多い」とその方は言う。その理由の一つは環境の問題が大きいと考える。そしてその方もその通りだという。ここは刺激がない。周りと競う必要もない。個性を主張しなくても認めてくれる。ここはまさに日本人らしい資質、謙虚さ、があるところだ。おとなしい学生が多過ぎるという話だ。この話はこの方だけではなく、様々な教授とも同じ話をしているが、みんな同じことを言う。“自己”の薄い学生が多い。謙虚というのは素晴らしいことだ。しかし、その謙虚はもっと他に使うところはたくさんある。
自分は何がやりたいのか、自分は何が欲しいのか、そこは忘れてはならない。私は自分のことを最高だと思っている。自分を大切にしたいと思っている。自分が一番可愛いと思っている。この可愛いは保守的な可愛いではない。私は自分を愛している。もっと自分の財産を守れと私は思う。この財産とは、お金、銭のことではない。自分のプライドも財産だろう。自分の精神も財産だろう。自己の主張をちゃんと持つということも自分の財産だろう。
群を抜いた個性、自己を持った学生が少ない。互いに刺激し合うことはない。だから自分が何がしたいのか、将来どうしていたいのかわからない学生が多いのではないだろうか。学生は互いに刺激し合って、様々なことに興味が湧き、様々なことに挑戦し、様々な人と出会い、様々な場所へ行き、様々な経験をして、夢を見つけていくものではないだろうか。
「変わってるね」と言われるのは私はとてつもなく嬉しい。これは私にとって最大の褒め言葉だ。これは周りの人とは違うってことだろう。人と違う人生、道を歩んでいきたいと私は思う。人と違うことをするとき、一番大切なことは自己の主張を持ち続け、それを貫き通すこと。人と違うことをするのは険しい道かもしれない。しかし、自己の主張をやめてしまうと、自分が自分ではなくなってしまう。私は私であるために、自己の主張をし続ける。自分の財産は自分で守る。私が言いたいのは、“自分の財産を守れ”ということ。
自分は何がやりたいのか、自分は何が欲しいのか、そこは忘れてはならない。私は自分のことを最高だと思っている。自分を大切にしたいと思っている。自分が一番可愛いと思っている。この可愛いは保守的な可愛いではない。私は自分を愛している。もっと自分の財産を守れと私は思う。この財産とは、お金、銭のことではない。自分のプライドも財産だろう。自分の精神も財産だろう。自己の主張をちゃんと持つということも自分の財産だろう。
群を抜いた個性、自己を持った学生が少ない。互いに刺激し合うことはない。だから自分が何がしたいのか、将来どうしていたいのかわからない学生が多いのではないだろうか。学生は互いに刺激し合って、様々なことに興味が湧き、様々なことに挑戦し、様々な人と出会い、様々な場所へ行き、様々な経験をして、夢を見つけていくものではないだろうか。
「変わってるね」と言われるのは私はとてつもなく嬉しい。これは私にとって最大の褒め言葉だ。これは周りの人とは違うってことだろう。人と違う人生、道を歩んでいきたいと私は思う。人と違うことをするとき、一番大切なことは自己の主張を持ち続け、それを貫き通すこと。人と違うことをするのは険しい道かもしれない。しかし、自己の主張をやめてしまうと、自分が自分ではなくなってしまう。私は私であるために、自己の主張をし続ける。自分の財産は自分で守る。私が言いたいのは、“自分の財産を守れ”ということ。
時間、空間を超えて
先日、友人とご飯を食べに行き、これからのことや学生生活のことを振り返っていた。この友人は北海道の札幌出身で、卒業後は札幌にある百貨店で務めることになっている。この友人とも話が合うところが多いので、気軽に話ができる。私は2月から東京で研修があるが、彼は4月までは何もないらしい。4月までどうするのか尋ねると、まずは彼の友人数人で函館に日帰りで遊びに行くらしい。そして山陰とか行こうかなとも言っていた。彼はちょくちょく関西方面に遊びに行っていた。神戸に彼の兄が住んでいるので、そこを拠点にして大阪、神戸、広島など回っているそうだ。一人で回るというのは素晴らしい。
私もよく一人でどこかへ行く。趣味の一つに一人旅があるが、その良さはこのブログでも何度か紹介している。外国ともなれば絶対に一人で行きたい。同じ所へ行くなら友人や家族といってもいいが、初めてのところは出来るなら一人で行きたいものだ。
私は2年前、一人旅としてアメリカのニューヨークとワシントンD.C.に行ったが、何をしたのかや面白かったこと、学んだことは必ず周りの人に話をしている。日本も広いが、世界はとてつもなく広い。アメリカのほんの一部しか見ることができなかったが、人生が変わる刺激的な経験だった。
アメリカでは必ず美術館や博物館は絶対行くことにしていた。日本とは全く違うスケールで、アメリカらしい展示の仕方で興味がなくても楽しむことができる。絶対に行くべき場所はやっぱりD.C.にあるスミソニアン協会、そしてホロコースト記念博物館だ。誰かと一緒に行って、こういう場所を回るのもいい。それも楽しみ方の一つである。私もいつか家族を連れて行きたい。しかし、私は友人とは話をするときは、「一緒に行こう」とは絶対に言わない。もちろん一緒に行きたい気持ちはあるが、そこはあえて抑えている。思いを共有する、というのは一緒に行かなくても出来ることだと思っている。私が周りの人に伝えて、誰かが私の話に興味を持ってくれ、その人がいつか私が行った場所と同じ所に行く。そこで初めて私と共有ができる。一緒に回るのもいいけれど、こうして時間や空間を超えてつながるのも、私は大好きである。この方がある意味、“夢”がある感じがする。
私もよく一人でどこかへ行く。趣味の一つに一人旅があるが、その良さはこのブログでも何度か紹介している。外国ともなれば絶対に一人で行きたい。同じ所へ行くなら友人や家族といってもいいが、初めてのところは出来るなら一人で行きたいものだ。
私は2年前、一人旅としてアメリカのニューヨークとワシントンD.C.に行ったが、何をしたのかや面白かったこと、学んだことは必ず周りの人に話をしている。日本も広いが、世界はとてつもなく広い。アメリカのほんの一部しか見ることができなかったが、人生が変わる刺激的な経験だった。
アメリカでは必ず美術館や博物館は絶対行くことにしていた。日本とは全く違うスケールで、アメリカらしい展示の仕方で興味がなくても楽しむことができる。絶対に行くべき場所はやっぱりD.C.にあるスミソニアン協会、そしてホロコースト記念博物館だ。誰かと一緒に行って、こういう場所を回るのもいい。それも楽しみ方の一つである。私もいつか家族を連れて行きたい。しかし、私は友人とは話をするときは、「一緒に行こう」とは絶対に言わない。もちろん一緒に行きたい気持ちはあるが、そこはあえて抑えている。思いを共有する、というのは一緒に行かなくても出来ることだと思っている。私が周りの人に伝えて、誰かが私の話に興味を持ってくれ、その人がいつか私が行った場所と同じ所に行く。そこで初めて私と共有ができる。一緒に回るのもいいけれど、こうして時間や空間を超えてつながるのも、私は大好きである。この方がある意味、“夢”がある感じがする。
2013年1月25日金曜日
See You Tomorrow
ひとつ前のブログの続きである。そのボランティアの相談のあと、時間がったので教授への挨拶回りをした。もしかしたら最後になるかもしれないので、とりあえず挨拶をしに行ったのだ。ゼミの先生のところへ行き、少し話をした。この先生とは話が合い、聞いていても面白い。先生の家族の写真などを見せてもらった。先生の家族は今アメリカのシアトルにいる。「俺、日本人にはモテないけど、外国人にはモテるんだよ」と自慢話なのかよくわからないことを言っていた(笑)。そこへ宗教学の先生が入ってきて、その先生も加えて3人で色々な話をした。そして宗教学の先生が本を渡したいというので、少し待っていた。そして持ってきた本なのだが、その先生が書いた本で、宗教学の授業をとった時にもその先生が書いた本を購入して授業をしたが、今回の本はその続編である。しかも、先生のメッセージ付きでめちゃくちゃ嬉しかった。わざわざ書いてくださったのだ。もう一度ゆっくり話がしたいのだが、先のことはわからない。もしかしたら今日が最後の日になるかもしれない。二人の先生と握手をしていただいた。もう4年が経ってしまったんだな。握手をしていただいた時、そう思った。出会いがあれば別れがある。これは仕方のないことだが、悲しいものは悲しい。この二方の教授は、私のことを気に入って下さり、すれ違うたびに話をしていただいていた。もちろん今日が最後の日になるかはわからない。1ヶ月後、また時間があって伺うかもしれない。何年後か先、また青森に来る機会があるかもしれない。もちろん、また会いたい。また会いに来る。絶対に会いに来る。そう思っている。しかし、人生は何が起こるかわからない。もう二度と会えないかもしれない。今日が本当に最後になるかもしれない。今日は教授と今生の別れをしてきた。また連絡しますと伝えた。
別れの時期である。「さようなら」、「ありがとうございました」、この言葉が多くなる時期。“See You Again.”。「また会おうね」。いい言葉だ。しかし、私はこっちの言葉の方が好きだ。“See You Tomorrow.”。「また」はいつかわからない。「明日」となれば、明確な期限があるので直ぐに会える気がする。だからこういう今生の別れをしなければならない時でも、“See You Tomorrow.”、と言いたい。どんなに離れても、直ぐに会えるから。絶対に会えるから。明日会おうね。明日も会えるね。明日も会えるの楽しみにしてるね。
別れの時期である。「さようなら」、「ありがとうございました」、この言葉が多くなる時期。“See You Again.”。「また会おうね」。いい言葉だ。しかし、私はこっちの言葉の方が好きだ。“See You Tomorrow.”。「また」はいつかわからない。「明日」となれば、明確な期限があるので直ぐに会える気がする。だからこういう今生の別れをしなければならない時でも、“See You Tomorrow.”、と言いたい。どんなに離れても、直ぐに会えるから。絶対に会えるから。明日会おうね。明日も会えるね。明日も会えるの楽しみにしてるね。
ボランティア団体の相談
昨日の青森 |
やっと画像添付が復活した。
2013年1月24日木曜日
そういうもんじゃないの
二日連続で晴れた青森。このまま続いて欲しい気持ちである。
人間は誰にでも裏と面がある。もちろん私にもある。だいたい人に見せるのは表の自分で、人に見せないのが裏の自分だろう。つまり人間は外に出たら演技をしているということだ。仮面をかぶり、キャラを作り、自分に好都合になるように、嫌われないように立ち振舞う。そして、自分にとって嫌なこと、面倒くさいこと、不利になることはできるだけやりたくないし、回避する方法を考える。
人間は汚いと言ったら誤りがあるかもしれないが、人間ってそういう生き物だと思う。自分にとって好きか嫌いか、良いか悪いか、やりたいかやりたくないか・・・・・、そうやって生きていると思う。他人の「表」と「裏」とのギャップに驚かされることもたくさんあるだろう。俗に“いい人”と言われる人は、「裏」と「表」の差が激しいのではないだろうか。ある殺人事件で犯人が捕まったとき、その知人は、「そんなことする人ではない」、とか「意外すぎてびっくりした」という答えが返ってくるのは、その典型だろう。私も今までそういう人間を見てきた。ボランティアでもそうだ。「青森の人は災害に対する意識が低い」などとグダグダ語たくを並べて、結局その人は何もしていなかったという鬱陶しい奴もいた。きれいごとばかりを言う奴に比べて、「単位がもらえるから」や「自分の経験値としてのスキルアップのために」、「就活で有利になるから」と言いながらボランティアしている人の方がよっぽど心は美しいと思う。
人間は自分勝手な生き物だ。それが人間である。気に入らなくなったから捨てて次へ行く。好きではなくなったから捨てて次へ行く。好かれたいから好かれるように演技をする。“いい人”と言われたいからやりたくないこともやらなければならない。面倒なこともやらなければならない。嫌われたくないもんな。そりゃ疲れるな。人間て大変だな。演技するのも、「裏」の自分を隠すのも。そう思うのは私だけではないはず。誰しも葛藤しながら生きている。人間て、そういうもんじゃないの。
人間は誰にでも裏と面がある。もちろん私にもある。だいたい人に見せるのは表の自分で、人に見せないのが裏の自分だろう。つまり人間は外に出たら演技をしているということだ。仮面をかぶり、キャラを作り、自分に好都合になるように、嫌われないように立ち振舞う。そして、自分にとって嫌なこと、面倒くさいこと、不利になることはできるだけやりたくないし、回避する方法を考える。
人間は汚いと言ったら誤りがあるかもしれないが、人間ってそういう生き物だと思う。自分にとって好きか嫌いか、良いか悪いか、やりたいかやりたくないか・・・・・、そうやって生きていると思う。他人の「表」と「裏」とのギャップに驚かされることもたくさんあるだろう。俗に“いい人”と言われる人は、「裏」と「表」の差が激しいのではないだろうか。ある殺人事件で犯人が捕まったとき、その知人は、「そんなことする人ではない」、とか「意外すぎてびっくりした」という答えが返ってくるのは、その典型だろう。私も今までそういう人間を見てきた。ボランティアでもそうだ。「青森の人は災害に対する意識が低い」などとグダグダ語たくを並べて、結局その人は何もしていなかったという鬱陶しい奴もいた。きれいごとばかりを言う奴に比べて、「単位がもらえるから」や「自分の経験値としてのスキルアップのために」、「就活で有利になるから」と言いながらボランティアしている人の方がよっぽど心は美しいと思う。
人間は自分勝手な生き物だ。それが人間である。気に入らなくなったから捨てて次へ行く。好きではなくなったから捨てて次へ行く。好かれたいから好かれるように演技をする。“いい人”と言われたいからやりたくないこともやらなければならない。面倒なこともやらなければならない。嫌われたくないもんな。そりゃ疲れるな。人間て大変だな。演技するのも、「裏」の自分を隠すのも。そう思うのは私だけではないはず。誰しも葛藤しながら生きている。人間て、そういうもんじゃないの。
2013年1月23日水曜日
これからも続けていこう
今日は大学のキャリアセンターに用事があって少しだが大学に行った。提出しなければならない書類があったので、それを提出しに行ったのだが、やはりもう少し詳しく書きたいと思い、また書き直すことにした。そこでまたキャリアの方と1時間ほど話をした。話をしている途中に、今の3年生の学生が面接練習をしに来たというので、そのキャリアの方は私との話に夢中になっていたので、すっかり忘れてしまっていたようだ。またゆっくり話をしようということで今回はそれで終わった。まだまだ話をしたいことがたくさんあるので、またゆっくり話をしに行こう。というか最近はこの方と話をするために大学に行っているようなものだ。しかし、それもあと数える程だ。「お別れ」というのは日々近づいている。今日というこの日を大切にしなければならない。
大学2年生の9月からこのブログを始めた。2年と4ヶ月ほど続いている。昨年は就職活動で大阪、東京、青森を行ったり来たりしていたので、なかなか投稿することはできなかったがなんとか投稿できる日には投稿してきた。もうすぐ卒業ということで、一応の節目の時期になる。一個人としての意見や考え、悩みを書き綴ってきた。社会人になったらこのブログをどうしようかと一瞬考えた時もあったが、やっぱりこれからも続けていこうと思う。毎日は難しいかもしれないが、投稿できる日は少しでも投稿していきたい。こうやって自分の気持ちや意見、そして感じたこと思うことを文字として表現することはとても大切なことだと感じるし、その方が自分のためになる。心の中で思いとどめていたり口に出さないことはやっぱり現実しない。 文字にするのを面倒臭がったり、そんなことしてもしなくても一緒だと言う人と比べれば、文字にする人の方がはるかに考えが深くなるし、反省もするし、頭の整理ができる。だからこれからもこれを続けていこうと思う。昨日も意外な方から私のブログを拝見しているという声を聞き、かなり驚いたが、「楽しみにしている」と言っていただいたので、つたない文章ではあるができるところまでやってみようと思う。いい文章は書けないが、気が向いた時でも、時間があるときでいいのでまた覗いていただけると嬉しい。
大学2年生の9月からこのブログを始めた。2年と4ヶ月ほど続いている。昨年は就職活動で大阪、東京、青森を行ったり来たりしていたので、なかなか投稿することはできなかったがなんとか投稿できる日には投稿してきた。もうすぐ卒業ということで、一応の節目の時期になる。一個人としての意見や考え、悩みを書き綴ってきた。社会人になったらこのブログをどうしようかと一瞬考えた時もあったが、やっぱりこれからも続けていこうと思う。毎日は難しいかもしれないが、投稿できる日は少しでも投稿していきたい。こうやって自分の気持ちや意見、そして感じたこと思うことを文字として表現することはとても大切なことだと感じるし、その方が自分のためになる。心の中で思いとどめていたり口に出さないことはやっぱり現実しない。 文字にするのを面倒臭がったり、そんなことしてもしなくても一緒だと言う人と比べれば、文字にする人の方がはるかに考えが深くなるし、反省もするし、頭の整理ができる。だからこれからもこれを続けていこうと思う。昨日も意外な方から私のブログを拝見しているという声を聞き、かなり驚いたが、「楽しみにしている」と言っていただいたので、つたない文章ではあるができるところまでやってみようと思う。いい文章は書けないが、気が向いた時でも、時間があるときでいいのでまた覗いていただけると嬉しい。
2013年1月21日月曜日
宣伝のメモ
今日は珍しく晴れた。これで少しは雪が溶けたんじゃないか。ここ青森にいるのもあと数えるくらい。この景色を頭に刻んでおこう。
某企業の宣伝が新聞に記載されていて、その言葉に感銘を受け、メモを取っていたのだ。それを今回はここに記載したい。
何もしなければ何も起きない。
行かなければそれはやってこない。
飛び出さなければ世界は変わらない。
すべてのひとの心に翼はある。
使うか、使わないか。
世界は待っている。
飛ぶか、飛ばないか。
海をこえよう。
言葉をこえよう。
昨日をこえよう。
空を飛ぼう。
某企業の宣伝が新聞に記載されていて、その言葉に感銘を受け、メモを取っていたのだ。それを今回はここに記載したい。
何もしなければ何も起きない。
行かなければそれはやってこない。
飛び出さなければ世界は変わらない。
すべてのひとの心に翼はある。
使うか、使わないか。
世界は待っている。
飛ぶか、飛ばないか。
海をこえよう。
言葉をこえよう。
昨日をこえよう。
空を飛ぼう。
2013年1月20日日曜日
「上」を目指して
今日でセンター試験が終わったが、受験生はいかがであっただろうか。出来不出来はあっただろうが結果は結果。ここは気持ちを切り替えて、私立試験に向けて勉強して欲しい。
1月も後半に入った。もう大学に行くのも5回もないだろう。1月が終われば、研修や引越しやあれやこれやで動き回らなければならない。長かったと思われていた4年間は、やっぱりあっという間に過ぎていった。時間というのは残酷なもので、待ってもくれないし、戻ってもくれない。良いことも悪いことも、すべて自分の中に積もっていく。
4年前の春の大阪駅。私は今はなき夜行列車「日本海」を待っていた。初めての一人暮らし、そして東北の彼方へ。後ろ髪を引かれる思い。私が見えなくなるまで家族は手を振ってくれた。そして家族が見えなくなり、私は一人、泣いた。それは今でも鮮明に覚えている。あれが私のスタートであった。
都会で生まれ育ち、地方での生活が始まる。やはり、「都会」と「地方」の違いは明らかであった。人間性の違いや会話の少なさ、刺激のなさは私にとっては耐え難いものであった。長期休暇が近づけば私は早く大阪に帰りたいという気持ちになる。帰ってきた時、バスを降りた瞬間に聞こえてくる都会の騒音が私に落ち着きを与えてくれるのだ。
大阪に帰ってきた時、いろいろな人に会う。そして私が青森の大学に通っているというと、「向こうの人はみんな優しいよね」と言う。私はどこの人も優しいと思う。大阪の人は冷たいとも思わない。むしろ大阪の人は活気があって元気がある。そして、「ご飯も美味しいでしょ」と言う。それぞれの特徴はあるが、大阪のご飯も美味しいと思う。
大学は自由な時間がたくさんある。私は勉強とバイトで終わらせる大学生活はしたくないと常に思っていた。ぬるい環境に苛立ちを覚える時もあったし、それにどっぷり浸かっている自分にも嫌気がさした時もある。剣道4段取得を終え、一つの目標が達成され、何も目指すものがないときに、海外に一人旅に出た。今思えばちょうどいい時期に行ったのかもしれない。そこから私は何か変わったし、やらなければならないことも見つかった。
いつもお世話になっている高校の友達によく言われる。「あんたは東京の方が向いてると思うで」。私は今まで20数年生きてきたが、何を大切にして、何をモットーにして、何を心に秘めて今まで生きてきたか。私は「上」にいきたい。人の上に立ちたいのだ。人には負けたくないんだ。そう思って今まで生きてきた。「上」とは社会的地位ではない。もっと違う意味だ。東京は勝負させてくれる場所だ。青森ではなかなか勝負させてくれる場所ではなかったし、張り合う相手もいなかった。だからボランティアでもなんでも出来たと思う。東京だったら他の誰かがやっていたに決まっている。私はこの「上」を目指し続けようと思う。これが私の生き方だからだ。もちろんそういう生き方は敵が増えるのは分かっている。10の成功を得ようと思えば、-10というリスクを背負わなければならない。リスクが嫌ならば、マイナスのない0を選べばいい。しかし、得られるものもない。私の恩師が言っていた。真ん中は通るな、と。1番になれ。2番はダメだ。2番になるんだったら最下位になれ、と。真ん中はいいかもしれない。批判も中傷されることもない。安全圏といわれる場所だ。そういう生き方もありだ。しかし、私は嫌だ。1番を目指す。これを死ぬまで貫き通す。なぜそういう生き方をするのかと尋ねられたらこう答えよう。「かっこいいから」。
1月も後半に入った。もう大学に行くのも5回もないだろう。1月が終われば、研修や引越しやあれやこれやで動き回らなければならない。長かったと思われていた4年間は、やっぱりあっという間に過ぎていった。時間というのは残酷なもので、待ってもくれないし、戻ってもくれない。良いことも悪いことも、すべて自分の中に積もっていく。
4年前の春の大阪駅。私は今はなき夜行列車「日本海」を待っていた。初めての一人暮らし、そして東北の彼方へ。後ろ髪を引かれる思い。私が見えなくなるまで家族は手を振ってくれた。そして家族が見えなくなり、私は一人、泣いた。それは今でも鮮明に覚えている。あれが私のスタートであった。
都会で生まれ育ち、地方での生活が始まる。やはり、「都会」と「地方」の違いは明らかであった。人間性の違いや会話の少なさ、刺激のなさは私にとっては耐え難いものであった。長期休暇が近づけば私は早く大阪に帰りたいという気持ちになる。帰ってきた時、バスを降りた瞬間に聞こえてくる都会の騒音が私に落ち着きを与えてくれるのだ。
大阪に帰ってきた時、いろいろな人に会う。そして私が青森の大学に通っているというと、「向こうの人はみんな優しいよね」と言う。私はどこの人も優しいと思う。大阪の人は冷たいとも思わない。むしろ大阪の人は活気があって元気がある。そして、「ご飯も美味しいでしょ」と言う。それぞれの特徴はあるが、大阪のご飯も美味しいと思う。
大学は自由な時間がたくさんある。私は勉強とバイトで終わらせる大学生活はしたくないと常に思っていた。ぬるい環境に苛立ちを覚える時もあったし、それにどっぷり浸かっている自分にも嫌気がさした時もある。剣道4段取得を終え、一つの目標が達成され、何も目指すものがないときに、海外に一人旅に出た。今思えばちょうどいい時期に行ったのかもしれない。そこから私は何か変わったし、やらなければならないことも見つかった。
いつもお世話になっている高校の友達によく言われる。「あんたは東京の方が向いてると思うで」。私は今まで20数年生きてきたが、何を大切にして、何をモットーにして、何を心に秘めて今まで生きてきたか。私は「上」にいきたい。人の上に立ちたいのだ。人には負けたくないんだ。そう思って今まで生きてきた。「上」とは社会的地位ではない。もっと違う意味だ。東京は勝負させてくれる場所だ。青森ではなかなか勝負させてくれる場所ではなかったし、張り合う相手もいなかった。だからボランティアでもなんでも出来たと思う。東京だったら他の誰かがやっていたに決まっている。私はこの「上」を目指し続けようと思う。これが私の生き方だからだ。もちろんそういう生き方は敵が増えるのは分かっている。10の成功を得ようと思えば、-10というリスクを背負わなければならない。リスクが嫌ならば、マイナスのない0を選べばいい。しかし、得られるものもない。私の恩師が言っていた。真ん中は通るな、と。1番になれ。2番はダメだ。2番になるんだったら最下位になれ、と。真ん中はいいかもしれない。批判も中傷されることもない。安全圏といわれる場所だ。そういう生き方もありだ。しかし、私は嫌だ。1番を目指す。これを死ぬまで貫き通す。なぜそういう生き方をするのかと尋ねられたらこう答えよう。「かっこいいから」。
2013年1月18日金曜日
受験シーズン
明日からの連休はセンター試験である。受験生の今の心境はいかがだろうか。「準備万端いつでもきやがれ」、という受験生もいれば、「ヤバイヤバイヤバすぎる」という受験生もいるかもしれない。とにもかくにも、ここまでくるとあとは自分を信じるだけだ。
1月中旬過ぎから本格的な受験シーズンとなる。地方の大学へ受けに行く人は、宿泊場所を確保したりと勉強以外にも気を使うのが面倒だ。しかし、勉強以外にもこういうところもしなければならない。私の浪人時代の友人も、2週間ほど東京のホテルの滞在していたのを思い出す。
センター試験は、受験の中で大きな壁の一つである。国公立大学を受験する人は、このセンター試験の結果次第で大きな影響を及ぼす。足切があるところは結果が悪ければ、受験することさえも許されない。また、私立大学のセンター利用にも影響が出る。だいたい私立のセンター利用は教科が少ないので、みんな高得点を取ってくる。早慶上智、MARCH、関関同立ならば、9割前後は必要になるのではないか。うーん、難しい。
センター試験を受験したあと、次の日の新聞に問題と答えが掲載されるので、それで答え合わせをする。私も答え合わせをした。一問一問に重みがあるのがわかる。私はため息ばかりであったが。
うまくいく人もいれば、うまくいかない人もいる。うまくいった人はそれだけ努力をしたということだろう。それではうまくいかなかった人はそれだけ努力をしていなかったということだろうか。そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。私不合格になった場合、こう考えるようにしている。“落ちたということは行くなということ”。今回の就職活動でもそうだが、結果収まるところに収まった。私は就職活動中はいつもこう自分に言い聞かせていた。“嵐の中でビッグウェーブを待て”と。
受験もそうだが人生において、実力や才能だけでは勝ち進めないところもある。何かしらの運も必要だと思う。しかし、それは実力や才能があってのこと。奇跡を起こせるのも実力があってのこと。困ったときの神頼みは通用しない。ひたむきに日々努力を積み重ね、ひたすら合格を夢見た人にそれはやってくる。
ついに明日は決戦の時。私が実習に行った高校の生徒たちも受験すると思う。「とける↑とける↑うかる↑うかる↑できる↑できる↑」と自分に言い聞かせて、わからない問題があればこっそり隣の人の答えを見て(笑)、試験官が「やめ」というまであきらめないで。絶対にあきらめないで。そして受験シーズンはまだまだ続く。最後の最後までやり抜いて欲しい。遠くから見守ることしかできないが、応援している。
1月中旬過ぎから本格的な受験シーズンとなる。地方の大学へ受けに行く人は、宿泊場所を確保したりと勉強以外にも気を使うのが面倒だ。しかし、勉強以外にもこういうところもしなければならない。私の浪人時代の友人も、2週間ほど東京のホテルの滞在していたのを思い出す。
センター試験は、受験の中で大きな壁の一つである。国公立大学を受験する人は、このセンター試験の結果次第で大きな影響を及ぼす。足切があるところは結果が悪ければ、受験することさえも許されない。また、私立大学のセンター利用にも影響が出る。だいたい私立のセンター利用は教科が少ないので、みんな高得点を取ってくる。早慶上智、MARCH、関関同立ならば、9割前後は必要になるのではないか。うーん、難しい。
センター試験を受験したあと、次の日の新聞に問題と答えが掲載されるので、それで答え合わせをする。私も答え合わせをした。一問一問に重みがあるのがわかる。私はため息ばかりであったが。
うまくいく人もいれば、うまくいかない人もいる。うまくいった人はそれだけ努力をしたということだろう。それではうまくいかなかった人はそれだけ努力をしていなかったということだろうか。そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。私不合格になった場合、こう考えるようにしている。“落ちたということは行くなということ”。今回の就職活動でもそうだが、結果収まるところに収まった。私は就職活動中はいつもこう自分に言い聞かせていた。“嵐の中でビッグウェーブを待て”と。
受験もそうだが人生において、実力や才能だけでは勝ち進めないところもある。何かしらの運も必要だと思う。しかし、それは実力や才能があってのこと。奇跡を起こせるのも実力があってのこと。困ったときの神頼みは通用しない。ひたむきに日々努力を積み重ね、ひたすら合格を夢見た人にそれはやってくる。
ついに明日は決戦の時。私が実習に行った高校の生徒たちも受験すると思う。「とける↑とける↑うかる↑うかる↑できる↑できる↑」と自分に言い聞かせて、わからない問題があればこっそり隣の人の答えを見て(笑)、試験官が「やめ」というまであきらめないで。絶対にあきらめないで。そして受験シーズンはまだまだ続く。最後の最後までやり抜いて欲しい。遠くから見守ることしかできないが、応援している。
すべての“自分”を正当化する力
就職内定率大卒75%、2年連続上昇とニュースで出ているのを見た。しかし、まだ内定を得ていない学生は10万5500人いると推計される。少しずつ状況が良くなっているとはいえ、脱「氷河期」はなお遠い。就活生が失敗により、自殺したのが4年連続で増加している。2011年の10~20代の自殺者は3926人で、そのうち就活による自殺者は150人である。
何度かこのブログでも書いているが、2008年6月、秋葉原の路上で無差別殺人事件が起こったのを覚えているだろうか。逮捕された容疑者は20代の派遣社員の男性。彼が語った動機は、「社会への絶望と怒り」。それを象徴するかのように、犯行前に彼はインターネット掲示板に身勝手な感情を書き連ねていた。
そんな悲惨な事件から数年たったころ、私はとある何の変哲もない恋愛ドラマを見ていた。その主人公に対し、ある人が言った、「後悔する人間はどんな答えを選んでも後悔する」というセリフに私は衝撃を受けた。
ここ最近まで、激動の環境の中に身をおいていた。その環境の不満と後悔に押しつぶされそうになっていた。大学選択から始まり、部活やその他の活動、そして自分自身に対して。だが、この言葉は驚くほどに心のわだかまり消し去り、前を向かせてくれた。
“自己肯定力”。私がそのセリフを通して考えた言葉だ。もちろん自分におごるという意味ではない。最も大切なのは、身体的な問題や自身ががこれまで行ってきた選択を全てポジティブな形で肯定すること。そして何より、そこに自信を見いだすことだ。小さな自信の積み重ねが、後の大きな成功への原動力となる。
秋葉原の事件を引き起こしたのは、「勝ち組はみんな死んでしまえ」という非常に強い社会への劣等感。未曾有の金融危機に伴った景気悪化によって、第二のロストジェネレーション世代が生まれるのは間違いない。そんな状況の中、彼のような感情を持つ人が増えるのは必然とも言える。だが、そんな時代だからこそ自分を正当化しよう。過去の自分の全てを受け入れ、“今”を本気で突っ走ることができる人間になるために。なぜなら、これからの世界を回すのは、周囲があきれるほどの、“アホなくらいプラス思考な人間”なのかもしれないのだから。
何度かこのブログでも書いているが、2008年6月、秋葉原の路上で無差別殺人事件が起こったのを覚えているだろうか。逮捕された容疑者は20代の派遣社員の男性。彼が語った動機は、「社会への絶望と怒り」。それを象徴するかのように、犯行前に彼はインターネット掲示板に身勝手な感情を書き連ねていた。
そんな悲惨な事件から数年たったころ、私はとある何の変哲もない恋愛ドラマを見ていた。その主人公に対し、ある人が言った、「後悔する人間はどんな答えを選んでも後悔する」というセリフに私は衝撃を受けた。
ここ最近まで、激動の環境の中に身をおいていた。その環境の不満と後悔に押しつぶされそうになっていた。大学選択から始まり、部活やその他の活動、そして自分自身に対して。だが、この言葉は驚くほどに心のわだかまり消し去り、前を向かせてくれた。
“自己肯定力”。私がそのセリフを通して考えた言葉だ。もちろん自分におごるという意味ではない。最も大切なのは、身体的な問題や自身ががこれまで行ってきた選択を全てポジティブな形で肯定すること。そして何より、そこに自信を見いだすことだ。小さな自信の積み重ねが、後の大きな成功への原動力となる。
秋葉原の事件を引き起こしたのは、「勝ち組はみんな死んでしまえ」という非常に強い社会への劣等感。未曾有の金融危機に伴った景気悪化によって、第二のロストジェネレーション世代が生まれるのは間違いない。そんな状況の中、彼のような感情を持つ人が増えるのは必然とも言える。だが、そんな時代だからこそ自分を正当化しよう。過去の自分の全てを受け入れ、“今”を本気で突っ走ることができる人間になるために。なぜなら、これからの世界を回すのは、周囲があきれるほどの、“アホなくらいプラス思考な人間”なのかもしれないのだから。
2013年1月17日木曜日
もっと先へ
昨日大学のゼミの授業に行き、その後部室に置物をしていたので、それを取りに行ったのだ。その置物は竹刀だけと思っていたのだが、防具も置いてあった。持って帰ったつもりになっていたのだ。危ない危ない。その日は荷物を持っていたので、また来週出直すことにする。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」(徳川家康)。どんなに辛く、くじけそうでも、先に広がる景色を求めて一歩ずつ進んでいく。荷物が重ければ重いほど、先に持つ景色の美しさは格別になるのかもしれない。
大学に入学し、就職活動を終え、卒業を間近に控えた今、ふとそんなことを考えていた。読めば読むほど当然なこと。しかし、今の私にとってはとても大切な言葉になる。
剣道サークルの部長、ボランティア団体設立、教育実習、就職活動などと、今思えば素晴らしい思い出となっているが、圧し掛かる責任から何度逃げ出したくなったことだろう。それでも、ただがむしゃらに目の前の壁を乗り越えようとしてきた。しかし、周りの人達は失敗ばかりの自分を尻目に難なく仕事をこなしたり、結果を出したりしていく。「なんで自分だけが・・・・・」。うまくいかない現実に卑屈になったこともある。
「お前の頑張りはよくわかっているよ」。困難な時、毎度毎度友人の言葉にハッとさせられた。今まで我慢してきた想いが一筋、頬を伝うのを感じた。今の私を必要としてくれたのはいつもそばにいた仲間たち。立ち止まりそうになった時、諦めそうになった時、常に手を差し伸べてくれた。自分ひとりでここまで歩き続けることはとてもできなかっただろう。一つ一つの出会いに支えられてきた大学生活だったと今更ながら思える。
今まで私を導いてくれた仲間たち一人ひとりにたった一言「ありがとう」と。心の底から思えた時、視野が開けた気がする。これから先、圧し掛かる荷物の重さに耐えられなくなったとしても一人じゃない。遠き道の向こうに待つ景色を求め続ける限り、支えてくれる仲間がいる。彼らへの感謝の気持ちを胸に。もっと先へ歩いていこう。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」(徳川家康)。どんなに辛く、くじけそうでも、先に広がる景色を求めて一歩ずつ進んでいく。荷物が重ければ重いほど、先に持つ景色の美しさは格別になるのかもしれない。
大学に入学し、就職活動を終え、卒業を間近に控えた今、ふとそんなことを考えていた。読めば読むほど当然なこと。しかし、今の私にとってはとても大切な言葉になる。
剣道サークルの部長、ボランティア団体設立、教育実習、就職活動などと、今思えば素晴らしい思い出となっているが、圧し掛かる責任から何度逃げ出したくなったことだろう。それでも、ただがむしゃらに目の前の壁を乗り越えようとしてきた。しかし、周りの人達は失敗ばかりの自分を尻目に難なく仕事をこなしたり、結果を出したりしていく。「なんで自分だけが・・・・・」。うまくいかない現実に卑屈になったこともある。
「お前の頑張りはよくわかっているよ」。困難な時、毎度毎度友人の言葉にハッとさせられた。今まで我慢してきた想いが一筋、頬を伝うのを感じた。今の私を必要としてくれたのはいつもそばにいた仲間たち。立ち止まりそうになった時、諦めそうになった時、常に手を差し伸べてくれた。自分ひとりでここまで歩き続けることはとてもできなかっただろう。一つ一つの出会いに支えられてきた大学生活だったと今更ながら思える。
今まで私を導いてくれた仲間たち一人ひとりにたった一言「ありがとう」と。心の底から思えた時、視野が開けた気がする。これから先、圧し掛かる荷物の重さに耐えられなくなったとしても一人じゃない。遠き道の向こうに待つ景色を求め続ける限り、支えてくれる仲間がいる。彼らへの感謝の気持ちを胸に。もっと先へ歩いていこう。
2013年1月16日水曜日
友人が無地に帰国
オーストラリアのケアンズにホームステイをしに行っていた友人が帰国した。何よりもうれしいのは無事に日本に帰ってきたことである。最近、飛行機の不祥事が多発しているので余計に敏感に気にしていた。まだ詳しい話は聞いていないので、今度会った時に詳しく話を聞きたい。
一人で知らないところに行く時、心境としては複雑な気持ちになる。友達と一緒のどこかへ行くのであれば、その心境は「楽しみ」が大部分であろう。しかし、一人となればそうはいかない。もちろん楽しみの気持ちはある。しかし、そこに恐怖心であったり、不安、緊張が含まれてくる。おそらく楽しみよりもそちらの方が大きいだろう。それが一人旅の醍醐味であり、重要なところだ。行ってみて初めてわかることがほとんどだ。今の自分に何ができて何ができないのか。それがはっきりわかる。そして、現地の人との出会いもたくさんある。誰かと一緒に行けばついついその人との話に夢中になってしまい、現地の人との出会いも少なくなってしまう。英語がほとんど話せなくても、なんとかなる。どうにか工夫して伝えようとする。私の恩師の言葉を借りれば、サバイバルイングリッシュだ。どうにかして単語と単語を繋ぎ繋いで伝える。それもまたおもしろい。言語なんてその土地、地域で使われているものなので、そこから抜け出せば何の役にも立たない。もしそういう状況に置かれた時、何とかしてコミュニケーションを取ろうとする。それで心が通じ合えたら。その時は最高に嬉しいだろう。
異国では、日本の常識は全く通用しない。日本では電車に乗れば、寝ている人を沢山見ることができる。しかし、異国ではそうはいかない。モノを全部取られてしまうところもある。命を落とす場合もあるかもしれない。日本の電車で寝ている人がいるということは、それだけ日本の治安がいいということだ。私もアメリカに行った時、ワシントンD.C.からニューヨークへ、そしてニューヨークからワシントンD.C.に移動するとき、アムトラックという鉄道を利用したが、DCからNYに行く時はアメリカに到着したばかりで時差ボケもあったかもしれないが眠たくなり、ついつい眠ってしまった。そしてNYからDCに戻るとき、朝4時に起きたのだが睡眠時間が4時間ほどしかなく、アムトラックのチケットを買うのにも時間がかかり、私が乗ろうとしていたアムトラックが発車寸前で、チケットを売っていた人が、「急げ!!」と言ったので、走って、ギリギリ滑り込みセーフであった。そして睡眠時間が少なかったので、また車内で眠ってしまったのだ。今思うとゾッとする。
今回旅に出た友人は本当に色々なことを経験できたと思う。今まで生きてきた中で最も充実した1週間だっただろう。「世界は広い」ことを実感したのではないだろうか。そして様々な人と出会い、異文化を経験し、あらゆるものが刺激となって楽しめただろう。助けてくれた場面もあったであろう。日本人とは違う感覚だなと感じたこともあっただろう。結局その友人も、遊びに行ったのではなく、英語の勉強をしに行ったのでもなく、オーストラリアの「人」を見に行ったのである。
一人で知らないところに行く時、心境としては複雑な気持ちになる。友達と一緒のどこかへ行くのであれば、その心境は「楽しみ」が大部分であろう。しかし、一人となればそうはいかない。もちろん楽しみの気持ちはある。しかし、そこに恐怖心であったり、不安、緊張が含まれてくる。おそらく楽しみよりもそちらの方が大きいだろう。それが一人旅の醍醐味であり、重要なところだ。行ってみて初めてわかることがほとんどだ。今の自分に何ができて何ができないのか。それがはっきりわかる。そして、現地の人との出会いもたくさんある。誰かと一緒に行けばついついその人との話に夢中になってしまい、現地の人との出会いも少なくなってしまう。英語がほとんど話せなくても、なんとかなる。どうにか工夫して伝えようとする。私の恩師の言葉を借りれば、サバイバルイングリッシュだ。どうにかして単語と単語を繋ぎ繋いで伝える。それもまたおもしろい。言語なんてその土地、地域で使われているものなので、そこから抜け出せば何の役にも立たない。もしそういう状況に置かれた時、何とかしてコミュニケーションを取ろうとする。それで心が通じ合えたら。その時は最高に嬉しいだろう。
異国では、日本の常識は全く通用しない。日本では電車に乗れば、寝ている人を沢山見ることができる。しかし、異国ではそうはいかない。モノを全部取られてしまうところもある。命を落とす場合もあるかもしれない。日本の電車で寝ている人がいるということは、それだけ日本の治安がいいということだ。私もアメリカに行った時、ワシントンD.C.からニューヨークへ、そしてニューヨークからワシントンD.C.に移動するとき、アムトラックという鉄道を利用したが、DCからNYに行く時はアメリカに到着したばかりで時差ボケもあったかもしれないが眠たくなり、ついつい眠ってしまった。そしてNYからDCに戻るとき、朝4時に起きたのだが睡眠時間が4時間ほどしかなく、アムトラックのチケットを買うのにも時間がかかり、私が乗ろうとしていたアムトラックが発車寸前で、チケットを売っていた人が、「急げ!!」と言ったので、走って、ギリギリ滑り込みセーフであった。そして睡眠時間が少なかったので、また車内で眠ってしまったのだ。今思うとゾッとする。
今回旅に出た友人は本当に色々なことを経験できたと思う。今まで生きてきた中で最も充実した1週間だっただろう。「世界は広い」ことを実感したのではないだろうか。そして様々な人と出会い、異文化を経験し、あらゆるものが刺激となって楽しめただろう。助けてくれた場面もあったであろう。日本人とは違う感覚だなと感じたこともあっただろう。結局その友人も、遊びに行ったのではなく、英語の勉強をしに行ったのでもなく、オーストラリアの「人」を見に行ったのである。
2013年1月15日火曜日
東京に勝る大阪を発見
青森も相変わらず雪だが、今全国的に天気が悪いみたいだ。先程ニュースで東京の様子が映っていたが、東京も雪が積もっている。怪我をした人は600人を超えるらしい。雪でスリップしている車であったり、立ち往生している車があった。東京も雪があまり降らないので、雪用のタイヤではないので、積もった雪の中を走るのは少々無理がある。危ない。大きな事故がないことを願う。
卒業論文を作成している最中なのだが、資料が膨大で、現時点でレポート用紙が45枚である。このままいけば確実に50枚を超えてしまう。とりあえず全てを完成させてから、不要なところを削っていくことにする。
その論文を作成しているのが都市に関係することを調べているのだが、主に東京とニューヨークである。そしてついでに大阪などもついでに調べてもたのだが、これもなかなかおもしろい。人口の多さからいえばダントツ東京なのだが、繁華街面積からいえば大阪のミナミ(難波)が日本一広い繁華街のだ。そしてその次が大阪のキタ(梅田)である。これを聞くと嬉しい。大阪でも東京に勝るところがあるのだ。そして高層ビル数も日本一多いエリアは大阪のキタである。東京はさまざまなエリアに繁華街が存在する。丸の内、銀座、渋谷、新宿、池袋、表参道、六本木、秋葉原、浅草、お台場、品川、汐留などなど。行く場所がたくさんあるので、「今日はどこへ行こうか」となればいくつか選択肢はあるが、大阪はキタかミナミかになってしまう。もちろんほかにもあるのだが。どうでもいい話だが、大阪にも東京に勝っているところがあるということが言いたかったのである(笑)。もちろんニューヨークには東京も大阪も遠く及ばないのだが。
ブログを続けているのだが、過去に同じようなことを投稿したことがある場合があると思う。もちろん覚えているときはその都度了承を得るようにはしているが、時には初めての内容だと思って投稿したのが、過去のブログでもうすでに投稿していたということもあるかもしれない。そのときは、「また同じ内容かよ」ということになってしまうが、許していただきたい。ちゃんとブログ内を整理しないといけないのだが、ただひたすら書き綴っているので・・・。一度読み返す必要がある。人から聞いた話は覚えているが、自分が話をしたことは忘れてしまうという悪い癖を直さなければ。
卒業論文を作成している最中なのだが、資料が膨大で、現時点でレポート用紙が45枚である。このままいけば確実に50枚を超えてしまう。とりあえず全てを完成させてから、不要なところを削っていくことにする。
その論文を作成しているのが都市に関係することを調べているのだが、主に東京とニューヨークである。そしてついでに大阪などもついでに調べてもたのだが、これもなかなかおもしろい。人口の多さからいえばダントツ東京なのだが、繁華街面積からいえば大阪のミナミ(難波)が日本一広い繁華街のだ。そしてその次が大阪のキタ(梅田)である。これを聞くと嬉しい。大阪でも東京に勝るところがあるのだ。そして高層ビル数も日本一多いエリアは大阪のキタである。東京はさまざまなエリアに繁華街が存在する。丸の内、銀座、渋谷、新宿、池袋、表参道、六本木、秋葉原、浅草、お台場、品川、汐留などなど。行く場所がたくさんあるので、「今日はどこへ行こうか」となればいくつか選択肢はあるが、大阪はキタかミナミかになってしまう。もちろんほかにもあるのだが。どうでもいい話だが、大阪にも東京に勝っているところがあるということが言いたかったのである(笑)。もちろんニューヨークには東京も大阪も遠く及ばないのだが。
ブログを続けているのだが、過去に同じようなことを投稿したことがある場合があると思う。もちろん覚えているときはその都度了承を得るようにはしているが、時には初めての内容だと思って投稿したのが、過去のブログでもうすでに投稿していたということもあるかもしれない。そのときは、「また同じ内容かよ」ということになってしまうが、許していただきたい。ちゃんとブログ内を整理しないといけないのだが、ただひたすら書き綴っているので・・・。一度読み返す必要がある。人から聞いた話は覚えているが、自分が話をしたことは忘れてしまうという悪い癖を直さなければ。
2013年1月14日月曜日
成人式
今日は成人の日である。成人の人はこの日を境に大人になる日である。もちろん私もこの日を通過してきた。しかし、私は成人の日は何もしなかった。成人式には参加していない。3年前、私は青森の部屋で寝ていた。住民票が青森にあったので、成人式に参加するのであれば青森での参加になる。たとえ大阪に住民票があったとしても私は行かなかっただろう。わざわざ青森から大阪に帰るのも面倒であったし、この成人式をそこまで重要視していない。
以前にもこのブログで成人式について書いたことがある。重複してしまうこともあるが許していただきたい。成人式というのは一種の通過儀礼だ。この日を境に子供から大人になるのだ。日本ではこの通過儀礼が成人式になる。外国では様々なやり方で成人式を迎えている。中には命を掛けなければならないほどのところもある。ここまでいけば強制的なところも出てくるかもしれないが、気持ちが子供から大人になればいいと私は考えている。
私は成人式には参加してないが、一大人としての心は持っているつもりだ。その日を境に、という具体的な日にちはないが、大人としての自覚はある。成人式に参加したか参加していないかでみてみても、なんら変わりはない。つまり私にって成人式はどうでもいい存在である。私が思うに、通過儀礼というよりも、旧友との再会、飲み会を楽しみ、晴れ着姿を様々な人に見てもらいたいというところに重点が置かれているように思う。もちろんそれも成人式の醍醐味の一つなので、そういうところも楽しんでほしいと思うが。日本では、大人になるかならないかというのは気持ちの問題ということである。
一体どれだけの人がしあわせになれるのだろうか。ある意味、二十というのは人生で一番いい時期かもしれない。二十というのはなんでもできそうな気がする。自分だけは年をとらないような気がする。自分だけは怪我しないような気がする。自分だけは長生きするような気がする。一番面白い時期、だから魅力がある。男性も女性も、人生はこの二十から始まるような気がする。この時期に何をするかで、向こう十年はっきり差がつくと考えている。だから私はこの時期にしかできないことがある、今やっといたほうがいいことがあると何回も言うのだ。やった奴とやらなかった奴の人間的魅力の差はっきりするだろう。毎年毎年テレビで成人式の様子を見る。美しい衣装に身を包んだ女性たち、そしてかっこいい男性たちが並ぶ。いったいこの中で何人の人がしあわせになれるのだろう。みんなしあわせになれたらいいね。テレビの前に座っている私は毎年そう思っている。
以前にもこのブログで成人式について書いたことがある。重複してしまうこともあるが許していただきたい。成人式というのは一種の通過儀礼だ。この日を境に子供から大人になるのだ。日本ではこの通過儀礼が成人式になる。外国では様々なやり方で成人式を迎えている。中には命を掛けなければならないほどのところもある。ここまでいけば強制的なところも出てくるかもしれないが、気持ちが子供から大人になればいいと私は考えている。
私は成人式には参加してないが、一大人としての心は持っているつもりだ。その日を境に、という具体的な日にちはないが、大人としての自覚はある。成人式に参加したか参加していないかでみてみても、なんら変わりはない。つまり私にって成人式はどうでもいい存在である。私が思うに、通過儀礼というよりも、旧友との再会、飲み会を楽しみ、晴れ着姿を様々な人に見てもらいたいというところに重点が置かれているように思う。もちろんそれも成人式の醍醐味の一つなので、そういうところも楽しんでほしいと思うが。日本では、大人になるかならないかというのは気持ちの問題ということである。
一体どれだけの人がしあわせになれるのだろうか。ある意味、二十というのは人生で一番いい時期かもしれない。二十というのはなんでもできそうな気がする。自分だけは年をとらないような気がする。自分だけは怪我しないような気がする。自分だけは長生きするような気がする。一番面白い時期、だから魅力がある。男性も女性も、人生はこの二十から始まるような気がする。この時期に何をするかで、向こう十年はっきり差がつくと考えている。だから私はこの時期にしかできないことがある、今やっといたほうがいいことがあると何回も言うのだ。やった奴とやらなかった奴の人間的魅力の差はっきりするだろう。毎年毎年テレビで成人式の様子を見る。美しい衣装に身を包んだ女性たち、そしてかっこいい男性たちが並ぶ。いったいこの中で何人の人がしあわせになれるのだろう。みんなしあわせになれたらいいね。テレビの前に座っている私は毎年そう思っている。
2013年1月12日土曜日
子供に対するマナー
青森はすごい雪である。やんだと思ったらまたすぐに降ってくる。これの繰り返しだ。外に行きたくても行く気が失せてしまう。しかし、そろそろ買い物に行かなくては。
今まで何回かあるのだが、夜行バスに小さな子供を連れてバスに乗る親がいる。私はこれは良くないと考える。ある親はその小さな子供を、椅子では横になって寝れないので、足元に横になって寝かせているのを見た。床に子供を寝かせているのである。もし事故や急ブレーキを踏んだときにどうなるのかこの親は考えたことはないのだろうかと心配になってしまう。どうしてそんな危ないことができようか。
また違うケースでは、バスが走行中に子供が泣き出してしまうのだ。しかも永遠と泣き続けるのである。その子供にしたら何か不満があったのか、何か怖かったのかはわからない。しかし、あれだけ泣くと寝るに寝れないのだ。周りの乗客に迷惑がかかってしまう。子供はいつ何が起こるかわからない。急にトイレに行きたくなる場合もある。気分が悪くなる場合もある。私が乗っていた夜行バスにはトイレはついていない。そう考えれば小さな子供をバスに乗せようとは思わない。子供が一番かわいそうである。
これは夜行バスではないのだが、居酒屋に子供を連れてくる家族がいる。居酒屋というのは文字通りお酒を飲むところである。なぜこんなところに子供を連れてくるのだろうか。ご飯を食べるだけの人もいるし、子供のために早く帰るからこの場合は悪くないという人がいる。そしてお店側は、子供たちが来た時に何かプレゼントや贈り物を用意しているのでお店側の人たちのことも考えろという人もいる。私はどの意見も断固として反対だ。私は子供の頃、家族でそんなところに一度も連れて行ってもらったことがない。これが当たり前だ。先日、大阪に帰った時に高校の友人と会った時もこの話をした。その友人も私と同意見である。居酒屋は子供が来るところではないのである。店側としても、「子供連れの方はご遠慮下さい」と表に張り紙してもいいくらいだ。ご飯を食べるだけならファミリーレストランを利用すればいい。子供がいるから早く帰るとか、それは次元が違い過ぎる。親は自分のことばかりを考える。それに振り回される子供がかわいそうだ。時代が進むにつれて、何でもかんでも考え方が甘くなる傾向が見られる。親が子供にしてきたことは、その子供が大人になったとき同じことをする。もっと真剣に自分の子供のことを考えるべきではないだろうか。
今まで何回かあるのだが、夜行バスに小さな子供を連れてバスに乗る親がいる。私はこれは良くないと考える。ある親はその小さな子供を、椅子では横になって寝れないので、足元に横になって寝かせているのを見た。床に子供を寝かせているのである。もし事故や急ブレーキを踏んだときにどうなるのかこの親は考えたことはないのだろうかと心配になってしまう。どうしてそんな危ないことができようか。
また違うケースでは、バスが走行中に子供が泣き出してしまうのだ。しかも永遠と泣き続けるのである。その子供にしたら何か不満があったのか、何か怖かったのかはわからない。しかし、あれだけ泣くと寝るに寝れないのだ。周りの乗客に迷惑がかかってしまう。子供はいつ何が起こるかわからない。急にトイレに行きたくなる場合もある。気分が悪くなる場合もある。私が乗っていた夜行バスにはトイレはついていない。そう考えれば小さな子供をバスに乗せようとは思わない。子供が一番かわいそうである。
これは夜行バスではないのだが、居酒屋に子供を連れてくる家族がいる。居酒屋というのは文字通りお酒を飲むところである。なぜこんなところに子供を連れてくるのだろうか。ご飯を食べるだけの人もいるし、子供のために早く帰るからこの場合は悪くないという人がいる。そしてお店側は、子供たちが来た時に何かプレゼントや贈り物を用意しているのでお店側の人たちのことも考えろという人もいる。私はどの意見も断固として反対だ。私は子供の頃、家族でそんなところに一度も連れて行ってもらったことがない。これが当たり前だ。先日、大阪に帰った時に高校の友人と会った時もこの話をした。その友人も私と同意見である。居酒屋は子供が来るところではないのである。店側としても、「子供連れの方はご遠慮下さい」と表に張り紙してもいいくらいだ。ご飯を食べるだけならファミリーレストランを利用すればいい。子供がいるから早く帰るとか、それは次元が違い過ぎる。親は自分のことばかりを考える。それに振り回される子供がかわいそうだ。時代が進むにつれて、何でもかんでも考え方が甘くなる傾向が見られる。親が子供にしてきたことは、その子供が大人になったとき同じことをする。もっと真剣に自分の子供のことを考えるべきではないだろうか。
2013年1月11日金曜日
振り返る就職活動
先程、一年を費やした就職活動を振り返っていたので、その報告をしておきたい。
まず受験した企業の数だが、約50社で説明会のみの参加となれば60社を超える。そして移動にかかった交通費は約40万円弱くらいだ。50万円を超えるかもしれないと思っていたが、そこまではいかなかったのでとりあえず一安心である。移動距離も調べてみた。青森から東京は約700kmなので、それに行った回数をかけてみると、46,900kmとなり、地球1周はだいたい4万kmなので、軽く地球を1周している。地球もそんなに広くはないな、と感じた瞬間であった(笑)。いやいや、地球はもっと広いぞ!!とにかくこれが私の就活の足跡である。
就活では様々な試験をこなしてきた。エントリーシート、SPI2、一般常識問題、適性検査、グループディスカッション、集団面接、個人面接、などなど。最終的には面接で決めるところが多いが、面接でも様々な面接官がいて、様々な質問がある。
10月中旬、ある企業の最終面接でのこと。面接官が4人いて私一人。最初の方から威圧的な態度をとってきて、私はこれに呆れ果ててしまった。今までどんな企業、職種を受けてきたかと質問してくるので、私は様々な企業、職種を受けてきていたのでそれを正直に伝えると、「受かればどこでもいいって感じだなー」。私(そんなわけねーだろ!!っていうか、この時期になっていろんな企業受けてないやつとかおらんし!!)。また、私は履歴書の趣味の欄に、「剣道」、「読書」、「一人旅」と書いていたのだが、そのことについて質問された。というかイチャもんだった。「君は読書とか一人旅とか一人でいるのが好きみたいだな。働くっていうのはいろんな人と関わりやコミュニケーションを取らないといけないのだが、それはわかっているか」。私、(そんなこと誰だってわかっとるわい!!一人でする仕事なんてあるか!!しかも何で「読書」「一人旅」で一人でいるのが好きって決めつけられなあかんねん!!それはお前の勝手な思い込みやんけ!!)。と思ったが、私はこう答えた。「剣道もあります」。すると面接官は、「いや、剣道は置いといてさ」。私、(なんでやねん(笑)!!ちゃんと考慮に入れろや!!)。この企業はこっちから願い下げだと思った。まあ、そんなことをしなくても予想通り不合格だったのだが(笑)。
また、違う企業でのこと。私がある部屋で待たされているとき、もう一人選考に来る方がいらっしゃるみたいで、その人を待っていたのだ。しばらくするとその人が来て女性だった。私は癖なのかいつも相手が誰であろうと服装、身だしなみをチェックしてしまうのだ。上から順に見ていくと至って普通のパンツスーツであったが足元を見てみると、何と白い靴下ではないか!!私、(なんで(笑)!!)。なぜあえて白い靴下を履いてくるのだろうか。黒でいいじゃないか黒で!!
違う企業でのこと。ここは物流の企業で、選考は幾つか進んで、その日は先行の一つで一日体験ツアーというものであった。ドライバーの横に乗り、東京都内をぐるぐる回りながら重い荷物を運んだり、持って行ったりする内容であった。私はその日、朝4時半に起きて準備をし、その日のためにゴム手袋の用意もしたのだ。朝から夕方まで働かされた。交通費も食費も一切なし。その選考の結果、不合格!!私、(ふざけんなよ!!なんで朝から夕方まで働かせといて不合格やねん!それやったらただのタダ働きやんけ!!人の労力をただで使うなや!!交通費くらい出してくれてもええんちゃうんかボケ!!)。またその日、ドライバーに「ここは駐禁厳しいところなのでトラックに残ってください。僕が運んできますので」と言って私は助手席に残った。しばらくすると目の前の建物から中年の女性が現れ、いやおばさんが現れ、「ここに停めるなって何回言ったらわかるのよ!」。私、(いや知らんし!!というか、なんで怒られなあかんねん!!)。もう散々な一日であった(笑)。
ここで述べたのはほんの一部である。まあ、今回述べたことが印象に残っていることなのだが、いろんな企業があるなとしみじみ思うのである。
まず受験した企業の数だが、約50社で説明会のみの参加となれば60社を超える。そして移動にかかった交通費は約40万円弱くらいだ。50万円を超えるかもしれないと思っていたが、そこまではいかなかったのでとりあえず一安心である。移動距離も調べてみた。青森から東京は約700kmなので、それに行った回数をかけてみると、46,900kmとなり、地球1周はだいたい4万kmなので、軽く地球を1周している。地球もそんなに広くはないな、と感じた瞬間であった(笑)。いやいや、地球はもっと広いぞ!!とにかくこれが私の就活の足跡である。
就活では様々な試験をこなしてきた。エントリーシート、SPI2、一般常識問題、適性検査、グループディスカッション、集団面接、個人面接、などなど。最終的には面接で決めるところが多いが、面接でも様々な面接官がいて、様々な質問がある。
10月中旬、ある企業の最終面接でのこと。面接官が4人いて私一人。最初の方から威圧的な態度をとってきて、私はこれに呆れ果ててしまった。今までどんな企業、職種を受けてきたかと質問してくるので、私は様々な企業、職種を受けてきていたのでそれを正直に伝えると、「受かればどこでもいいって感じだなー」。私(そんなわけねーだろ!!っていうか、この時期になっていろんな企業受けてないやつとかおらんし!!)。また、私は履歴書の趣味の欄に、「剣道」、「読書」、「一人旅」と書いていたのだが、そのことについて質問された。というかイチャもんだった。「君は読書とか一人旅とか一人でいるのが好きみたいだな。働くっていうのはいろんな人と関わりやコミュニケーションを取らないといけないのだが、それはわかっているか」。私、(そんなこと誰だってわかっとるわい!!一人でする仕事なんてあるか!!しかも何で「読書」「一人旅」で一人でいるのが好きって決めつけられなあかんねん!!それはお前の勝手な思い込みやんけ!!)。と思ったが、私はこう答えた。「剣道もあります」。すると面接官は、「いや、剣道は置いといてさ」。私、(なんでやねん(笑)!!ちゃんと考慮に入れろや!!)。この企業はこっちから願い下げだと思った。まあ、そんなことをしなくても予想通り不合格だったのだが(笑)。
また、違う企業でのこと。私がある部屋で待たされているとき、もう一人選考に来る方がいらっしゃるみたいで、その人を待っていたのだ。しばらくするとその人が来て女性だった。私は癖なのかいつも相手が誰であろうと服装、身だしなみをチェックしてしまうのだ。上から順に見ていくと至って普通のパンツスーツであったが足元を見てみると、何と白い靴下ではないか!!私、(なんで(笑)!!)。なぜあえて白い靴下を履いてくるのだろうか。黒でいいじゃないか黒で!!
違う企業でのこと。ここは物流の企業で、選考は幾つか進んで、その日は先行の一つで一日体験ツアーというものであった。ドライバーの横に乗り、東京都内をぐるぐる回りながら重い荷物を運んだり、持って行ったりする内容であった。私はその日、朝4時半に起きて準備をし、その日のためにゴム手袋の用意もしたのだ。朝から夕方まで働かされた。交通費も食費も一切なし。その選考の結果、不合格!!私、(ふざけんなよ!!なんで朝から夕方まで働かせといて不合格やねん!それやったらただのタダ働きやんけ!!人の労力をただで使うなや!!交通費くらい出してくれてもええんちゃうんかボケ!!)。またその日、ドライバーに「ここは駐禁厳しいところなのでトラックに残ってください。僕が運んできますので」と言って私は助手席に残った。しばらくすると目の前の建物から中年の女性が現れ、いやおばさんが現れ、「ここに停めるなって何回言ったらわかるのよ!」。私、(いや知らんし!!というか、なんで怒られなあかんねん!!)。もう散々な一日であった(笑)。
ここで述べたのはほんの一部である。まあ、今回述べたことが印象に残っていることなのだが、いろんな企業があるなとしみじみ思うのである。
2013年1月10日木曜日
私たちの高校時代
年末、高校時代の友人(K)と久しぶりに会った。この友人とは長期休暇で大阪に戻った時に毎回会っている。彼は今、進路のことについて悩んでいて、私がアルバイトしている塾の先生と話がしたいというので、その日に私とその友人とでその先生に会いに行ったのだ。友人とその先生は一度面識があり、友人の弟がその先生にお世話になったことがあり、弟の保護者面談の時に話をしたことがあるという。なので会う数日前に先生に時間をとっていただけるか聞いてみると、「あー、K君か。いいよ。弟はあかんけど(笑)」と言ってくださったのだ。
彼は高校教員を志望しており、去年大阪の教員採用試験を受験し、一次は通ったのだが、二次でだめだったらしい。今大学に通いながら地元の個人塾でアルバイトしていいる。今進路が決まっておらず、今年卒業するのか、もう一年留年するのか、または他にどこか働ける場所はないかをその先生に相談したのだ。今年、もう一度教員採用試験を受けると言っていた。私の意見としては彼に是非とも教員になって欲しいと思っている。彼は教師になるために生まれてきたといっても過言ではない。それくらい教師に向いていると思う。だが、教員採用試験の壁は厚い。そう簡単に乗り越えられる壁ではない。しかも高校教員である。難関中の難関だ。去年一次試験だけ通っただけでもすごいと思う。私は東京の一次でダメだったが(笑)。今年は一次試験免除ということで、二次試験を集中して勉強しなければならない。結局もう一年留年して、今年教員採用試験に合格できるようにする、という結論になった。「人間所属がなくなるとしんどいからな」と相談してくれた先生が言っていた。
その日は主に高校時代の話になった。私は英語科で、彼は国語科で違う学科だったのだ。しかし、部活で一緒になり、そこから交流が始まった。剣道部だったのだが、指導者はおらず、一番経験豊富だったのが私で、私が指導する形であった。格技室で活動していて、しこに倉庫があり、そこを部室代わりに使っていた。格技室は私たちがやりたい放題に使っていた(笑)。私が家から使わななくなったラジカセを持ってきて、格技室のドアを開け、しかもほかの部活の生徒も格技室で活動しているのにも関わらず、大音量でガンガンに音楽を流していた。しかも長渕剛(笑)。誰も聞いてない!(笑)。というか迷惑!(笑)。そのラジカセは去年私が教育実習に行った時、まだ格技室の部室の中に大切に置かれていた(笑)。また、ダンボールが何個も置いてあり、その側面にいろいろ落書きをしたのだ。当時、U先生というのがいらっしゃり、私たちはその先生に敬意を評し、私たちの中で勝手にU組というのを結成した。そしてそのダンボールの「U組」と書いたのだ。全く意味がわからん(笑)。なんやねん、U組て!(笑)そしてそのダンボールも、U組も大切に保管されていた(笑)。私たちの足跡はまだ残っている!!もっと違うことで足跡残せや!!(笑)
実に楽しい一日だった。
彼は高校教員を志望しており、去年大阪の教員採用試験を受験し、一次は通ったのだが、二次でだめだったらしい。今大学に通いながら地元の個人塾でアルバイトしていいる。今進路が決まっておらず、今年卒業するのか、もう一年留年するのか、または他にどこか働ける場所はないかをその先生に相談したのだ。今年、もう一度教員採用試験を受けると言っていた。私の意見としては彼に是非とも教員になって欲しいと思っている。彼は教師になるために生まれてきたといっても過言ではない。それくらい教師に向いていると思う。だが、教員採用試験の壁は厚い。そう簡単に乗り越えられる壁ではない。しかも高校教員である。難関中の難関だ。去年一次試験だけ通っただけでもすごいと思う。私は東京の一次でダメだったが(笑)。今年は一次試験免除ということで、二次試験を集中して勉強しなければならない。結局もう一年留年して、今年教員採用試験に合格できるようにする、という結論になった。「人間所属がなくなるとしんどいからな」と相談してくれた先生が言っていた。
その日は主に高校時代の話になった。私は英語科で、彼は国語科で違う学科だったのだ。しかし、部活で一緒になり、そこから交流が始まった。剣道部だったのだが、指導者はおらず、一番経験豊富だったのが私で、私が指導する形であった。格技室で活動していて、しこに倉庫があり、そこを部室代わりに使っていた。格技室は私たちがやりたい放題に使っていた(笑)。私が家から使わななくなったラジカセを持ってきて、格技室のドアを開け、しかもほかの部活の生徒も格技室で活動しているのにも関わらず、大音量でガンガンに音楽を流していた。しかも長渕剛(笑)。誰も聞いてない!(笑)。というか迷惑!(笑)。そのラジカセは去年私が教育実習に行った時、まだ格技室の部室の中に大切に置かれていた(笑)。また、ダンボールが何個も置いてあり、その側面にいろいろ落書きをしたのだ。当時、U先生というのがいらっしゃり、私たちはその先生に敬意を評し、私たちの中で勝手にU組というのを結成した。そしてそのダンボールの「U組」と書いたのだ。全く意味がわからん(笑)。なんやねん、U組て!(笑)そしてそのダンボールも、U組も大切に保管されていた(笑)。私たちの足跡はまだ残っている!!もっと違うことで足跡残せや!!(笑)
実に楽しい一日だった。
どんな仕事にも
私は就職活動では様々なことを学ぶことができたが、その中で一つ書いておきたいことがある。
私たちは小さい時から、「君たちには無限の可能性があるんだよ」と大人たちから教えられてきた。そして、みんなそれを信じて成長してきた。この“無限の可能性”って何だろう。就職活動をする場合、当たり前だが自分の興味のある企業を受ける。やってみたいこと、面白そうなところ、その他に自分の希望する条件を満たしてくれるところを選択する。しかし、活動を続けていくうちに気がつくのだ。進みたい道と、進む道は違うということを。
就活でいくつもの企業から内定をもらう学生もいれば、一つももらえない学生もいる。いくつも内定をもらえる学生は自分が一番行きたい企業を選択する。しかし、内定をもらえない学生、またはやっとのことで内定をもらえた学生は選択肢が限られてくる。第一希望の企業、職種に進める学生というのは私は決して多くはないと思う。どうしても行きたくても、乗り越えられなかった壁が存在する。
夏が終わり、秋からの就活は後半戦に入る。夏までに決まらなかった学生が残っているということだ。そして、私もその中の一人であった。説明会の会場や部屋にいると、周りを見渡してみる。中には暗そうな雰囲気が出ている学生であったり、集団面接の時には、面接官の質問にうまく答えることができず、「すみません」ばかり言う学生もいる。もちろんわざとではない。一生懸命に答えようとしているのは隣にいてもそれは伝わってくる。職種の中には外見で判断させられるところもあるかもしれない。自分ではどんなことをしても乗り越えられない、どうしようもない問題もある。受ける側としての意見は、こんなにも頑張っているんだよ、ここで一生懸命働きたいんだよ、ここで夢を叶えたいんだよ、だからここで働かせてください、だ。採用する側は、もちろんそれに答えたいとは思うが、どこかで何かしらの線引きをして合格者と不合格者を出さなければならない。こんなにも一生懸命にやっていても、不合格が突きつけられるのだ。
今の社会にどんな人々がいるのかはわからないが、自分の働きたい場所で、自分のやりたい仕事をやっている人はどれくらいいるのだろうか。自分が思っていなかった場所で、やりたくない仕事を、辛い仕事をやっている人はどれくらいいるのだろうか。世の中に「勝ち組」と「負け組」がいるのだろうか。いたとしたら、負け組は負けたくて負けたわけではないと思う。勝ちたくても勝てなかった、乗り越えたたくても乗り越えられなかった、自分ではどうすることもできなかった問題があったんじゃないか。私たちは、「無限の可能性がある」という何の根拠もないことを教えられてきた。だが、今のこの世の中は、そんな風にはできていないのかもしれない。「無限の可能性」など存在しないと気付かされたとき、大人たちから聞いてきたことが嘘のように聞こえる。裏切られた気持ちになる。
世の中、そんなに甘くないというのはこういうことなのかもしれない。世の中には表と裏がある。仕事にも表と裏がある。人間で言うならば動脈があれば静脈がある。表の仕事というのは見た目は華やかで、直接人と関わり、直接感謝の言葉をもらえる。しかし、それだけでは世の中はなり立たない。表からは見えないところで、一生懸命に汗水を垂らしている方々がいる。なかなか人から感謝の言葉をもらうことができないが、それでも懸命に働いている方がいる。
みなさんは、新幹線の掃除をしている方々を知っているだろうか。最近話題になっている。話題になる以前、掃除をしている方々は自分たちがやっていることに自信がなかったという。「汚い人」という目で周りから見られていると感じていたのだという。しかしある日、一人のお客さんから「いつもありがとうございます」という言葉をもらったとき、ハッとしたそうだ。もっと自信を持っていいんだと。
もし、今、自分がやっていることに対して、楽しいと思えない、面白いと思えなかったら。それは本当に辛いことかもしれない。だが、ほんの少しだけ、視点を変えて見ることができたら。自分のやっていることに自信が持てるかもしれない。どんな人にだって筋書きのないドラマは存在している。言葉は不適切かもしれないが、「裏」と呼ばれている仕事にもっとスポットを当てるべきだと思う。もっともっと光を当てるべきだと思う。くだらないバラエティーの番組ばかりを放送するのではなく、ある人が、ある仕事が、どれほど美しいものなのかを。仕事に「裏」も「表」ない、「良い」も「悪い」もないということを。「勝ち組」も「負け組」もないということを。華のある仕事だけがやってみたい仕事であるのは悲しすぎる。今までスポットが当てられていなかった仕事にも、自信を持ってここで働きたい、と言える世の中になって欲しい。どんな仕事にも「夢」を見い出せたとき、大人たちが言っていた、「無限の可能性」が初めて存在するときではないだろうか。私はこの「無限の可能性」を信じている。
私たちは小さい時から、「君たちには無限の可能性があるんだよ」と大人たちから教えられてきた。そして、みんなそれを信じて成長してきた。この“無限の可能性”って何だろう。就職活動をする場合、当たり前だが自分の興味のある企業を受ける。やってみたいこと、面白そうなところ、その他に自分の希望する条件を満たしてくれるところを選択する。しかし、活動を続けていくうちに気がつくのだ。進みたい道と、進む道は違うということを。
就活でいくつもの企業から内定をもらう学生もいれば、一つももらえない学生もいる。いくつも内定をもらえる学生は自分が一番行きたい企業を選択する。しかし、内定をもらえない学生、またはやっとのことで内定をもらえた学生は選択肢が限られてくる。第一希望の企業、職種に進める学生というのは私は決して多くはないと思う。どうしても行きたくても、乗り越えられなかった壁が存在する。
夏が終わり、秋からの就活は後半戦に入る。夏までに決まらなかった学生が残っているということだ。そして、私もその中の一人であった。説明会の会場や部屋にいると、周りを見渡してみる。中には暗そうな雰囲気が出ている学生であったり、集団面接の時には、面接官の質問にうまく答えることができず、「すみません」ばかり言う学生もいる。もちろんわざとではない。一生懸命に答えようとしているのは隣にいてもそれは伝わってくる。職種の中には外見で判断させられるところもあるかもしれない。自分ではどんなことをしても乗り越えられない、どうしようもない問題もある。受ける側としての意見は、こんなにも頑張っているんだよ、ここで一生懸命働きたいんだよ、ここで夢を叶えたいんだよ、だからここで働かせてください、だ。採用する側は、もちろんそれに答えたいとは思うが、どこかで何かしらの線引きをして合格者と不合格者を出さなければならない。こんなにも一生懸命にやっていても、不合格が突きつけられるのだ。
今の社会にどんな人々がいるのかはわからないが、自分の働きたい場所で、自分のやりたい仕事をやっている人はどれくらいいるのだろうか。自分が思っていなかった場所で、やりたくない仕事を、辛い仕事をやっている人はどれくらいいるのだろうか。世の中に「勝ち組」と「負け組」がいるのだろうか。いたとしたら、負け組は負けたくて負けたわけではないと思う。勝ちたくても勝てなかった、乗り越えたたくても乗り越えられなかった、自分ではどうすることもできなかった問題があったんじゃないか。私たちは、「無限の可能性がある」という何の根拠もないことを教えられてきた。だが、今のこの世の中は、そんな風にはできていないのかもしれない。「無限の可能性」など存在しないと気付かされたとき、大人たちから聞いてきたことが嘘のように聞こえる。裏切られた気持ちになる。
世の中、そんなに甘くないというのはこういうことなのかもしれない。世の中には表と裏がある。仕事にも表と裏がある。人間で言うならば動脈があれば静脈がある。表の仕事というのは見た目は華やかで、直接人と関わり、直接感謝の言葉をもらえる。しかし、それだけでは世の中はなり立たない。表からは見えないところで、一生懸命に汗水を垂らしている方々がいる。なかなか人から感謝の言葉をもらうことができないが、それでも懸命に働いている方がいる。
みなさんは、新幹線の掃除をしている方々を知っているだろうか。最近話題になっている。話題になる以前、掃除をしている方々は自分たちがやっていることに自信がなかったという。「汚い人」という目で周りから見られていると感じていたのだという。しかしある日、一人のお客さんから「いつもありがとうございます」という言葉をもらったとき、ハッとしたそうだ。もっと自信を持っていいんだと。
もし、今、自分がやっていることに対して、楽しいと思えない、面白いと思えなかったら。それは本当に辛いことかもしれない。だが、ほんの少しだけ、視点を変えて見ることができたら。自分のやっていることに自信が持てるかもしれない。どんな人にだって筋書きのないドラマは存在している。言葉は不適切かもしれないが、「裏」と呼ばれている仕事にもっとスポットを当てるべきだと思う。もっともっと光を当てるべきだと思う。くだらないバラエティーの番組ばかりを放送するのではなく、ある人が、ある仕事が、どれほど美しいものなのかを。仕事に「裏」も「表」ない、「良い」も「悪い」もないということを。「勝ち組」も「負け組」もないということを。華のある仕事だけがやってみたい仕事であるのは悲しすぎる。今までスポットが当てられていなかった仕事にも、自信を持ってここで働きたい、と言える世の中になって欲しい。どんな仕事にも「夢」を見い出せたとき、大人たちが言っていた、「無限の可能性」が初めて存在するときではないだろうか。私はこの「無限の可能性」を信じている。
2013年1月9日水曜日
長渕剛から20歳前後の若者たちへ
昨年10月下旬に、長渕剛の故郷・鹿児島で、地元FM局・エフエム鹿児島の開局20周年記念イベント「Tsuyoshi Nagabuchi Talk&Acoustic Live Real Voice 20」が、ライブハウスで行われた。400人の20歳前後の若者たちとトークをしたのだ。長渕剛から彼らに向けて発した言葉があるので、ここに記しておきたい。
今しかない、今しかないと生きていくのが一番だと思う。
一度っきゃない。
人生もこの瞬間も一度しかない、やがて全てが終わってしまう。
ただ、それだけのことだよ。
そう思うと、この今を、思いっきり燃えかすになるぐらいまで、
それこそ桜島の火山灰の如く灰になって、一日を灰になって終えてしまおう、
そういう生き方を俺は選ぼうと思う。
人生は永久じゃないよ、永遠に続かないよ。
楽しいことも、そして悲しいことも永遠に続かない。
若いって思っている今も、永遠に続かないよね。
だからこそ、今、今、今、やるなら今しかねえって、
そんな風に自分を鼓舞しながら、俺たちは生きていけたらいいと思う。
若さの特権とは、いいか、裏付けのない自信、
根拠のない自信こそが若さの特権だよ。
負けても泣いても挫いても関係ない。
自分が信じた道、何も迷わずに、ただただひた走ることで
覚えることの方が大切だよ。
勉強それもいい、体を鍛えること、それもいい。
若さの特権とは裏付けのない自信、これを大事にすること。
借りは返せ、受けた屈辱も返せ、
殴られた痛みは、もっと返してやれ。
一発殴られたら二発返してやれ。
何が悪い。
虐めれたら虐め返してやれ。
何が悪い。
自分にとって、自尊を傷つけられるようなことをされたら返してやればいい。
腕力のない奴は違う方法で、無言の抵抗をしてやればいい。
そして大事な人は、本当に心から愛し抜く。
一番大事なのは覚悟。
決めたら覚悟だよ。
覚悟を決めて、そのまま生き抜いていくっていう覚悟。
俺も、君たちがこれから出てくる社会にいるから追いかけてこいよ。
今は、まだまだ現役で先頭を走るつもりでるけど、
時としては力を貸して欲しい。
だけどもいつか儚い命というものがくる。
そしたら今度はお前達が先頭を走って手を差し伸べてくれ。
迷わず俺はお前の手を握る、迷わず君の手を握る。
そんなもんだろ?
人間っていうのは。
今しかない、今しかないと生きていくのが一番だと思う。
一度っきゃない。
人生もこの瞬間も一度しかない、やがて全てが終わってしまう。
ただ、それだけのことだよ。
そう思うと、この今を、思いっきり燃えかすになるぐらいまで、
それこそ桜島の火山灰の如く灰になって、一日を灰になって終えてしまおう、
そういう生き方を俺は選ぼうと思う。
人生は永久じゃないよ、永遠に続かないよ。
楽しいことも、そして悲しいことも永遠に続かない。
若いって思っている今も、永遠に続かないよね。
だからこそ、今、今、今、やるなら今しかねえって、
そんな風に自分を鼓舞しながら、俺たちは生きていけたらいいと思う。
若さの特権とは、いいか、裏付けのない自信、
根拠のない自信こそが若さの特権だよ。
負けても泣いても挫いても関係ない。
自分が信じた道、何も迷わずに、ただただひた走ることで
覚えることの方が大切だよ。
勉強それもいい、体を鍛えること、それもいい。
若さの特権とは裏付けのない自信、これを大事にすること。
借りは返せ、受けた屈辱も返せ、
殴られた痛みは、もっと返してやれ。
一発殴られたら二発返してやれ。
何が悪い。
虐めれたら虐め返してやれ。
何が悪い。
自分にとって、自尊を傷つけられるようなことをされたら返してやればいい。
腕力のない奴は違う方法で、無言の抵抗をしてやればいい。
そして大事な人は、本当に心から愛し抜く。
一番大事なのは覚悟。
決めたら覚悟だよ。
覚悟を決めて、そのまま生き抜いていくっていう覚悟。
俺も、君たちがこれから出てくる社会にいるから追いかけてこいよ。
今は、まだまだ現役で先頭を走るつもりでるけど、
時としては力を貸して欲しい。
だけどもいつか儚い命というものがくる。
そしたら今度はお前達が先頭を走って手を差し伸べてくれ。
迷わず俺はお前の手を握る、迷わず君の手を握る。
そんなもんだろ?
人間っていうのは。
「人のため」の前に
内定が決まり、いつも東京で泊めてもらっている友人に連絡をした時、すぐに電話をくれたのだ。ちょうどその日の夜行バスで東京に行くことになっていたので、それじゃあ明日お祝いをしようと言ってくれたのだ。本当は私がいつも彼に迷惑をかけてしまっていたので、私が恩返しをしなければならないのだが、彼は「気にすんな」と快くお祝いをしてくれたのだ。本当に心から感謝である。
行ったのは、水道橋駅にある東京ドームシティだ。そこで温泉に入り、ご飯を食べ、そしてもう一度温泉に入った。一年以上をかけた就活の疲れを癒すには最高であった。ちょうどクリスマスシーズンだったので、美しいイルミネーションを見ながらご飯を食べた。就職が決まって、こんなにも早くお祝いをしてくれるのは最高に嬉しい。素晴らしい友人を持ったと心から思う。今度は私が何か彼に恩返しをしようと考えている。今度東京に行くのは1月末か2月の初めになるだろう。内定が決まった企業の研修があるので、そこで何かしよう。
今日は久しぶりに大学へ行き、ゼミの授業に出た。私のゼミで卒業論文を提出する学生は私を含めて2人である。そのもう一人の学生と図書館であったので、卒論はどうしたと聞くと、一応完成したのこと。そしてその論文を見せてもらった。さすがにレポート用紙50枚となると資料が分厚くなる。かなりの本を読み、資料をたくさん集めたという。私にとっては全く興味がない分野を研究していたので、書いていた内容はさっぱりわからなかった。まあ当たり前だが、かなり時間がかかるというので、それを聞いて少し焦りを感じた。私はまだ一文字も書いていない(笑)。いや、笑い事ではない!!全体の構想を練って、肉付け作業をしていくことにしよう。
ゼミの授業では毎度お馴染みの教授の話をひたすら聞くというものであった。相変わらずだなー、と思いながら一応聞くふりだけはしていた。しかし、授業の後半で教授はなかなかいい話をする。もう卒業ということで、社会のことについて話をしていた。いつも教授は、「生き残らなければならない」と口を酸っぱくして言っている。あらゆる環境に臨機応変に対応していかなければならないのだと。世のため、人のために何かしたかったらその前にまずは自分、そして家族をしっかり支えなければならない。自分を犠牲にして世のため、人のためというのはそれは間違っているんだ、と教授は言う。なかなかいいことを言うではないか。私もそう思う。
世のため、人のために生きるのが一番だと思う。しかし、自分を犠牲にしてまでやろうとは思わない。私はナイチンゲールではない。そんなすごい人はほとんどいないと思う。自分を犠牲にしてまで、人のために何かしてあげたい、というのはそれは私も間違っていると思う。それはただ、自分がやらなければならないこと、戦わなければならないこと、勝負しないといけないこと、から逃げているようにしか聞こえない。言い訳にしか聞こえない。
人のために何かしたいのであれば、まずは自分の足元をしっかりと固めておく必要がある。自分のことはしっかりと自分で面倒を見なければならない。自分でたくさんのしあわせを掴まなければならない。たくさんのしあわせを掴んだら、初めてそのしあわせを分けてあげられる。だから、人生には戦わなければならない時がある。勝負しなければならない時がある。そこから逃げている人が、「人のため」というのは、ちょっと甘過ぎるんじゃないか。
行ったのは、水道橋駅にある東京ドームシティだ。そこで温泉に入り、ご飯を食べ、そしてもう一度温泉に入った。一年以上をかけた就活の疲れを癒すには最高であった。ちょうどクリスマスシーズンだったので、美しいイルミネーションを見ながらご飯を食べた。就職が決まって、こんなにも早くお祝いをしてくれるのは最高に嬉しい。素晴らしい友人を持ったと心から思う。今度は私が何か彼に恩返しをしようと考えている。今度東京に行くのは1月末か2月の初めになるだろう。内定が決まった企業の研修があるので、そこで何かしよう。
今日は久しぶりに大学へ行き、ゼミの授業に出た。私のゼミで卒業論文を提出する学生は私を含めて2人である。そのもう一人の学生と図書館であったので、卒論はどうしたと聞くと、一応完成したのこと。そしてその論文を見せてもらった。さすがにレポート用紙50枚となると資料が分厚くなる。かなりの本を読み、資料をたくさん集めたという。私にとっては全く興味がない分野を研究していたので、書いていた内容はさっぱりわからなかった。まあ当たり前だが、かなり時間がかかるというので、それを聞いて少し焦りを感じた。私はまだ一文字も書いていない(笑)。いや、笑い事ではない!!全体の構想を練って、肉付け作業をしていくことにしよう。
ゼミの授業では毎度お馴染みの教授の話をひたすら聞くというものであった。相変わらずだなー、と思いながら一応聞くふりだけはしていた。しかし、授業の後半で教授はなかなかいい話をする。もう卒業ということで、社会のことについて話をしていた。いつも教授は、「生き残らなければならない」と口を酸っぱくして言っている。あらゆる環境に臨機応変に対応していかなければならないのだと。世のため、人のために何かしたかったらその前にまずは自分、そして家族をしっかり支えなければならない。自分を犠牲にして世のため、人のためというのはそれは間違っているんだ、と教授は言う。なかなかいいことを言うではないか。私もそう思う。
世のため、人のために生きるのが一番だと思う。しかし、自分を犠牲にしてまでやろうとは思わない。私はナイチンゲールではない。そんなすごい人はほとんどいないと思う。自分を犠牲にしてまで、人のために何かしてあげたい、というのはそれは私も間違っていると思う。それはただ、自分がやらなければならないこと、戦わなければならないこと、勝負しないといけないこと、から逃げているようにしか聞こえない。言い訳にしか聞こえない。
人のために何かしたいのであれば、まずは自分の足元をしっかりと固めておく必要がある。自分のことはしっかりと自分で面倒を見なければならない。自分でたくさんのしあわせを掴まなければならない。たくさんのしあわせを掴んだら、初めてそのしあわせを分けてあげられる。だから、人生には戦わなければならない時がある。勝負しなければならない時がある。そこから逃げている人が、「人のため」というのは、ちょっと甘過ぎるんじゃないか。
2013年1月8日火曜日
合格祈願
年始に初詣に行った。家の近所に大阪天満宮があり、さすがに三が日は人、ヒト、ひと、であった。帰りにおみくじを引いたのだが、私は「吉」であった。兄も「吉」。しかし、母は「凶」だった。母は悔しそうな顔をしていた(笑)。
4日、母と京都に行った。京阪三条駅から歩いて平安神宮へ。お参りをし、そこでも母はおみくじを引きたいといい、「リベンジや!」と意気込んでいたのだが、引いたのはまたしても「凶」。私もこれにはビビった(笑)。その後、歩いて八坂神社へ。そこでも母はおみくじを引きたいと言う。何回も引いて意味があるのかと思ったが。しかし、「また凶が出たらどうしよう」と母が言うのだが、まあその時はその時だろう。引いたのは「末吉」だった。かろうじて3連続「凶」にはならなかった(笑)。
大阪天満宮は学問の神様が祀られていて、受験などを控えている人はよくここを訪れる。去年、教育実習で担当したクラス、授業をしたクラスはみんな受験生だったので、受験がうまくいくようにとお願いをした。もう受験を終えている生徒もいるが、まだまだこれから本番の生徒も多い。1月中旬にはセンター試験もある。私立大学の一般入試もこれからがピークを迎える。私ができることはこれくらいしかない。勉強を教えることもできない。こうやって遠くからエールを送ることしかできないが、全員が第一志望の道に進んで欲しい。
私は受験を2回経験しているので、この季節になるとあの頃のことをよく思い出す。試験日が近づけば、クラスの誰かが合格祈願のお菓子を配っていたり、物を落とすことにも敏感に反応していた。「今落としておけば、本番では落ない」と誰かが言っていたような。
私は第一志望の道に今まで進んだことがない。区切りの春を迎える時、後ろめたい気持ちはあった。だが、いつもそんな自分に嫌気がさす。「せっかくここまで来たのだから」、「せっかくここに来たのだから」。このままではいけない自分を何度も殺してきた。だから今は胸を張って言える。「ここに来てよかった」、と。もし違う大学に進んでいたら、もっと違う人生を歩んでいたかもしれない。しかし、人生に「もし」など存在しない。
涙で目の前が見えなくなり、大きな穴に叩き落とされてきた。今回の就職活動でもそう。いつも落とされて落とされて落とされた。悔しい、悲しい、苦しい、辛い、・・・・・。しかし、私は負けることはない。どんなことでも立ち向かおう。
「人間はなぜ落ちるのだ。」
「這い上がるため、だよ。」
4日、母と京都に行った。京阪三条駅から歩いて平安神宮へ。お参りをし、そこでも母はおみくじを引きたいといい、「リベンジや!」と意気込んでいたのだが、引いたのはまたしても「凶」。私もこれにはビビった(笑)。その後、歩いて八坂神社へ。そこでも母はおみくじを引きたいと言う。何回も引いて意味があるのかと思ったが。しかし、「また凶が出たらどうしよう」と母が言うのだが、まあその時はその時だろう。引いたのは「末吉」だった。かろうじて3連続「凶」にはならなかった(笑)。
大阪天満宮は学問の神様が祀られていて、受験などを控えている人はよくここを訪れる。去年、教育実習で担当したクラス、授業をしたクラスはみんな受験生だったので、受験がうまくいくようにとお願いをした。もう受験を終えている生徒もいるが、まだまだこれから本番の生徒も多い。1月中旬にはセンター試験もある。私立大学の一般入試もこれからがピークを迎える。私ができることはこれくらいしかない。勉強を教えることもできない。こうやって遠くからエールを送ることしかできないが、全員が第一志望の道に進んで欲しい。
私は受験を2回経験しているので、この季節になるとあの頃のことをよく思い出す。試験日が近づけば、クラスの誰かが合格祈願のお菓子を配っていたり、物を落とすことにも敏感に反応していた。「今落としておけば、本番では落ない」と誰かが言っていたような。
私は第一志望の道に今まで進んだことがない。区切りの春を迎える時、後ろめたい気持ちはあった。だが、いつもそんな自分に嫌気がさす。「せっかくここまで来たのだから」、「せっかくここに来たのだから」。このままではいけない自分を何度も殺してきた。だから今は胸を張って言える。「ここに来てよかった」、と。もし違う大学に進んでいたら、もっと違う人生を歩んでいたかもしれない。しかし、人生に「もし」など存在しない。
涙で目の前が見えなくなり、大きな穴に叩き落とされてきた。今回の就職活動でもそう。いつも落とされて落とされて落とされた。悔しい、悲しい、苦しい、辛い、・・・・・。しかし、私は負けることはない。どんなことでも立ち向かおう。
「人間はなぜ落ちるのだ。」
「這い上がるため、だよ。」
友人が日本を出国
私の大学の友人が、本日8日、オーストラリアのケアンズに向かって出国をした。私が大阪を出発する前日に、行ってくるとのメールが入った。もうそんな時期になったかと思った。この前話をしたときは確か11月であっただろうか。もうそんなに時間が経ったのか。準備をするのにはかなりの時間がかかった。しかし、やっとたどり着いた日だ。
何度か私と話をしていたが、彼はホームステイを選んだ。私はホームステイはしたことがないのでわからないが、現地の方との生活ができるのがいい。私もやってみたい。オーストラリアは今は夏だ。荷物も少なくて済んだのではないだろうか。心おきなく楽しんできて欲しい。
私もこの休みの間に、パスポートを申請しに行ってきた。今度は10年のものだ。春休みに大阪に帰った時に取りに行こうと思う。就職が決まり、研修が何度かあるので、学生時代の最後にもう一度海外一人旅をしたいのだが、行けるかまだわからない。研修や引越しなどとやらなければならないことが山ほどある。まだ、どこの配属になったかは決まっていないのだが。しかし、どうしても行きたい。行かないと気がすまない。
もし行けたとしたらどこに行こうか。もう一度アメリカに行きたいと思っている。今回もこの前と同じ場所に行きたい。どうせなら違うところに行ったほうがいいのではとも考えたが、とうもその気にならない。去年の7月末に映画館に行ったのだが、本編が始まる前に宣伝が入るのはご存知だろう。そこで、“Discover America”のCMが入ったのだが、そのCMで流れている唄が最高によかったのだ。あとで調べてみたら、“Land of Dreams”という唄だ。アメリカの様々な場所や人々が映し出されるのだが、これを見るたびになんと素晴らしい国なのだと感動する。そのCM、唄と出会ってからアメリカが私を呼んでいるような気がするのだ。だからどうしても行きたい。
友人のメールに対し、返信をしたのだが、最後にこう伝えた。私は旅に出る人にはこう言うようにしている。この一言がすべてを伝えていると思う。
「恐れずに。でも、気をつけて。」
何度か私と話をしていたが、彼はホームステイを選んだ。私はホームステイはしたことがないのでわからないが、現地の方との生活ができるのがいい。私もやってみたい。オーストラリアは今は夏だ。荷物も少なくて済んだのではないだろうか。心おきなく楽しんできて欲しい。
私もこの休みの間に、パスポートを申請しに行ってきた。今度は10年のものだ。春休みに大阪に帰った時に取りに行こうと思う。就職が決まり、研修が何度かあるので、学生時代の最後にもう一度海外一人旅をしたいのだが、行けるかまだわからない。研修や引越しなどとやらなければならないことが山ほどある。まだ、どこの配属になったかは決まっていないのだが。しかし、どうしても行きたい。行かないと気がすまない。
もし行けたとしたらどこに行こうか。もう一度アメリカに行きたいと思っている。今回もこの前と同じ場所に行きたい。どうせなら違うところに行ったほうがいいのではとも考えたが、とうもその気にならない。去年の7月末に映画館に行ったのだが、本編が始まる前に宣伝が入るのはご存知だろう。そこで、“Discover America”のCMが入ったのだが、そのCMで流れている唄が最高によかったのだ。あとで調べてみたら、“Land of Dreams”という唄だ。アメリカの様々な場所や人々が映し出されるのだが、これを見るたびになんと素晴らしい国なのだと感動する。そのCM、唄と出会ってからアメリカが私を呼んでいるような気がするのだ。だからどうしても行きたい。
友人のメールに対し、返信をしたのだが、最後にこう伝えた。私は旅に出る人にはこう言うようにしている。この一言がすべてを伝えていると思う。
「恐れずに。でも、気をつけて。」
2013年、始まる
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年も何卒宜しくお願い致します。
早くも2013年になった。今日青森に戻ってきたのだが、予想通り、雪がかなり積もっていた。スーツケースだったのだが、雪の上では転がらず、持ち上げて移動しなければならなかった。二日連続の夜行バスだったので疲れた。
昨日の朝、東京に到着し、9時から11時までoazoにある丸善の本屋で時間をつぶした。そしてそこからこれもまた時間をつぶすために六本木ヒルズの映画館に行った。「007 スカイフォール」を観た。007シリーズは私が好きな映画の一つで、今回はかなり面白かった。6代目ボンド、ダニエル・クレイグになってからは0
07っぽくないと感じていたが、今回の作品で007になってきた。私が馴染みのある007といえば、5代目ボンド、ピアース・ブロスナンだ。これは任天堂64のゲームにも登場したから007といえば、このピアース・ブロスナンを思い浮かべる。しかし、今のボンドもかなりいい。私は気に入っている。もうす少しQの兵器が出て欲しいと思っている。
その後、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンを歩き、東京駅に戻った。15時間も時間をつぶさなければならないのは一苦労である。映画を観るのはかなり時間をつぶせるのでこれはありがたい。青森行きのバスでは、乗客が私を入れて2人しかいなかった今までで最小記録である。これほど快適な車内はほかにないだろう。あまり眠れなかったのが残念だが。
2013年が始まったが、大学生も数ヶ月で終わる。春からは社会人となる。大きな区切りの年となりそうだ。目標は、と聞かれたらスパッと答えられないが、今目の前にあることを一生懸命やるしかないだろう。新たな環境になれば慣れるまでに時間はかかるだろうし、様々なことに気を使ってしまうので、疲労、ストレスが溜まってしまうかもしれないが、体調管理はきちっととしておきたい。とにかく楽しい充実した一年になって欲しい。
画像の添付ができなくなっている。どうしたのだろうか。
早くも2013年になった。今日青森に戻ってきたのだが、予想通り、雪がかなり積もっていた。スーツケースだったのだが、雪の上では転がらず、持ち上げて移動しなければならなかった。二日連続の夜行バスだったので疲れた。
昨日の朝、東京に到着し、9時から11時までoazoにある丸善の本屋で時間をつぶした。そしてそこからこれもまた時間をつぶすために六本木ヒルズの映画館に行った。「007 スカイフォール」を観た。007シリーズは私が好きな映画の一つで、今回はかなり面白かった。6代目ボンド、ダニエル・クレイグになってからは0
07っぽくないと感じていたが、今回の作品で007になってきた。私が馴染みのある007といえば、5代目ボンド、ピアース・ブロスナンだ。これは任天堂64のゲームにも登場したから007といえば、このピアース・ブロスナンを思い浮かべる。しかし、今のボンドもかなりいい。私は気に入っている。もうす少しQの兵器が出て欲しいと思っている。
その後、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンを歩き、東京駅に戻った。15時間も時間をつぶさなければならないのは一苦労である。映画を観るのはかなり時間をつぶせるのでこれはありがたい。青森行きのバスでは、乗客が私を入れて2人しかいなかった今までで最小記録である。これほど快適な車内はほかにないだろう。あまり眠れなかったのが残念だが。
2013年が始まったが、大学生も数ヶ月で終わる。春からは社会人となる。大きな区切りの年となりそうだ。目標は、と聞かれたらスパッと答えられないが、今目の前にあることを一生懸命やるしかないだろう。新たな環境になれば慣れるまでに時間はかかるだろうし、様々なことに気を使ってしまうので、疲労、ストレスが溜まってしまうかもしれないが、体調管理はきちっととしておきたい。とにかく楽しい充実した一年になって欲しい。
画像の添付ができなくなっている。どうしたのだろうか。
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