2011年1月31日月曜日

2年生修了

 今日で期末試験終了だ。今終わったところである。それと同時に2年生修了だ。本当にあっという間の1年であった。テストの方はおそらく問題ないだろう。カンニングペーパーを使ったテストだけ、心配であるが。帰る準備に取りかかなければならないが、今日は夜から遊びに行くことになっている。打ち上げとでもいった方がいいのかな。久しぶりに遊ぶような気がする。楽しみだ。
 2年生もいろいろなことがあった。楽しいこともあったし、嫌なこともあった。でもなんだかんだいって楽しかった。少し物足りないこともあったが、それは3年生になった時、取り返せるようにしていきたい。昨日のブログでも書いたが、3年生はもっと忙しくなりそうだ。テストだけでなく就職活動が入ってくる。そこを超えていかなければならない。どれほど辛いことがあっても、それをマイナス思考でとらえるのではなく、α波でとらえるようにしていきたい。
 その前に春休みだ。具体的に何をするか決めていないが、充実した休みにしたい。外国に行く計画を立てているのだが、お金の都合で行けないかもしれないが、どうにかして行ってみたい。もし行くならばアメリカにしようと思っている。その中でも、西海岸か東海岸だ。西海岸ではサンフランシスコ、ロサンゼルスに行ってみたい。サンフランシスコでは、ゴールデンゲートブリッジ、アルカトラズ島などの観光名所を訪ねてみたい。東海岸では、ワシントン.D.C.、フィラデルフィア、ニューヨークに行ってみたい。ワシントンではホロコーストミュージアムという博物館があって、その名の通り、ユダヤ人大量虐殺に関しての博物館だ。高校の先生がこの博物館に行くだけのためにアメリカに行く価値はある、とおっしゃっていたので行ってみたいと思っている。ニューヨークでは、ブロードウェイの世界最高峰のミュージカルを見てみたい。どれほどすごいのかこの目で確かめてみたい。どちらに行くか決めていないが、もしかすると違う国になるかもしれない。外国に入ったことが無いので、この大学生活の間に行っておきたいものだ。海の外から自分の国を見るというのは貴重な経験となるだろう。それによって自分の国に対して見方が変わるかもしれない。行けたらいいが…。

 とりあえず今日は遊んでこよう。

2011年1月30日日曜日

若い心

 今日は朝から試験勉強だ。外は吹雪となっていて、かなり寒そうだ。どうやら今寒波がきているらしい。明日は晴れてくれるといいが。
 明日でテストが終わるとなると、「よし、やろう」という気持ちになり、勉強がはかどる。常に勉強はしておかなければならないものだが、とりあえずは明日で終りだ。そして明日で大学2年生最後となる。これはまだ終わってほしくないという気持ちだ。3年生となると就職活動が始まる。ついこの間入学したばっかりなのに、というくらい時間がたつのが早かった。先は長いように見えて、振り返れば早いもの。不思議なものだ。

 ついに大学生活折り返し地点に来てしまった。今までの一番苦労したものが大学入試だったかもしれない。その時はもうこれ以上辛いことはない、と思っていた。しかし今考えてみると、もっともっと辛いことが待ちかまえているような気がする。今日、就職氷河期と呼ばれ、かなり厳しい就職活動を強いられている。私はある意味他人事として見ているところがあったが、その渦中に自分も飛び込んでいかなければならないのだ。もう他人事ではない時期にきている。気が付けば就職活動をしているだろう。今まで味わったことのない厳しい現実を突き付けられるだろう。理解できない理不尽なことも、受け入れなければならないのかもしれない。「ノー」と言いたいところでも、「イェス」と言わされるのかもしれない。数年後の自分は、そんな自分をどう思っているのだろうか。「これが現実だ」と受け入れてしまうのだろうか。それとも「この野郎」と自分を許せないでいるのだろうか。
 「あんな大人になんかなりたくない」私は常にこう思って生きてきたが、もしかすると、いつの間にかあんな大人になっている自分がいるのかもしれない。できるならいつまでもこの「若い心」を持ち続けていたいものだ。大人社会にものを言えるのは、私たちのような若い集団だ。もっとこの大人社会に反抗してもいいと思う。自分の信じた道に命を懸ける、本当のことを伝えていく、これが本来あるべき姿なのではないか。
 この答えは私が数十年かけて見つけていきたい。

 明日は最後だ。ガツンと言わしてやろう。

2011年1月29日土曜日

休み中

 今日は休日ということで、部屋にいることにした。外は雪が降っているので、外に出る気はあまりしなかった。最後のテスト1教科残っているので、その勉強をしなければならないが、それは夜からしようということで、午前と夕飯までは休憩だ。休日はなぜだか体がだるくなってしまう。体がオフになってしまう。休む時は休まなければならないということだろう。
 もう少しすると大阪に帰るので、その帰る準備も始めなければならない。春休みは約2カ月ということで、一番休みが長い。それによって持って帰らなければならないものが多くなるのだ。家族はあまり持って帰ってくるな、と言っているのだが、そういうわけにもいかない。大阪と青森かかなり離れているので、忘れ物をすると取りに行くことができない。なのでいらないものまで持って帰らなければならないという心境になる。これは必要なかった、と毎回その様なものが入っているのだ。できるだけそれはないようにしたい。
 しかし今回は直接大阪に帰るのではなく、東京に数日泊ってから帰るという計画だ。東京に住んでいる友人のところに泊めてもらうのだが、そこで何をするか、これも計画を立てなければならない。今まで何度も東京で遊んでいるので、どこへ行ったらいいかわからなくなってしまった。同じ所を歩いても毎回新たな発見があるので、楽しいのだが、できれば違うところへ行きたい。本を読んで計画を立てたいところだが、今はテスト期間なので終わってからにしたい。
 青森ではあまり刺激が無いので、感覚が変わってくる。大阪育ちなので、物足りないといったら物足りないのかもしれない。その感覚を取り戻すために東京で眠りかけていた神経が眼を覚ますのだ。そしてそのまま大阪に帰る、これが私の定番だ。大阪から青森に行くときは、神経を最大限活性化させてから帰る、ということになる。どうせ通るなら少し寄り道でもしていこうか、という気持ちだけなのだが。
 もう少し休憩してから、テスト勉強をしよう。

2011年1月28日金曜日

返信のメールなし

 昨日までいい天気が続いていたが、今日は一転して吹雪となった。風が強くかなり寒かった。傘をさしても無意味な状態だった。
 今日はテストが2科目あり、一つ目は地球環境論という授業の試験があったのだが、かなり難しかった。持ち込み有りのテストだったのだが、あまり役に立たなかった。難しいのか名前を書くだけで10点もらえるというので、変な試験であった。二つ目は経済学関係の試験だったのだが、これはそれほど難しくなく、開始して30分くらいで終わった。
 来週の月曜日には、かなり難しいテストがある。持ち込み不可なので、すべて理解して頭の中に入れなければならないので大変だ。しかしその来週月曜日で大学2年生最後となる。本当に早いものだ。最後の一日、大切にしたい。

 以前にも書いていたことだが、剣道の試合に出たく、連盟関係にメールをしたのだが、教えてもらったメールが間違っているのか、送信できないのである。何度かやってみたがやはりだめだ。もう一度確認してくれ、とのメールをしたのだが、返信がない。何度もメールしていたので、嫌われてしまったのか、何日たっても返信がない。これではどうする事も出来ない。困っているのだが、どうにかしなければならない。大学に剣道関係の方がいらっしゃるので、今日訪ねてみたのだが、留守だったみたいだ。来週の月曜日、もう一度訪ねてみようと思う。
 それにしても返信がないというのは何事だ。先輩からは、その人はすぐに面倒臭くなるからな、と聞いていたので、その話は本当の様だ。もしかするとその人がこのブログを見てしまうかもしれないので、このくらいにしておこう。しかし無視だけはやめてもらいたい。

 足の方も順調に回復に向かっている。少し急いで歩いたりすると、痛むのだが、以前に比べるとたいしたことではない。来週には大阪に帰るので、それまでには完治していることを願う。

2011年1月27日木曜日

ブログ投稿100回目

 今日でこのブログを投稿してきて、100回目となるのだ。最初はどこまでできるかと心配していたのだが、気が付けば100回目を投稿する事が出来た。去年の9月の末くらいから始めて2011年を迎えた。投稿できない日も多々あったが、やっとたどり着いたという感じである。ネタを集めるために、様々なところから情報を集めてきたが、なかなか難しいものだ。本を読んだり、新聞を読んだり、テレビを見たり、友達の話であったり、自分の経験だったり、思ったことなど…。このブログに載せるために写真を持つことも始めた。持っていない日に限って、持ってこればよかったという様に悔しい思いも何度かある。どんな小さなことでもある程度の文章を書けるようにと努めてきた。時には私の独断と偏見で書いた時もあった。知識なしに自分の思いを書いた時もあった。今以前書いたものを改めて読んでみると、よくこんなことを書いたな、という風に反省しているところもある。
 ブログを始めてみようと思い立ち、やってみたのだが、本当に続くのかどうかが一番心配していた。続けられるように何か自分に発破をかけなければならないと思い、初めて1週間くらいしたのちに、自分は今ブログを始めたということを友達に知らせたのだ。読者がいることによって、私もやる気が出てくる。今はできるだけ毎日書くようにしているが、投稿する数が減ってくるとおそらく読者はいなくなってしまうだろう。「継続は力なり」という言葉があるが、毎日続けるというのは簡単なことではない。忙しいと言い訳を作ってしまう。それは逃げているだけだ。時間の使い方が下手なだけだ。時間が無い、のではない。時間は自分で作るものだ。自分で見つけていくものだ。
 これからもどんどん書いていきたい。その日に何か書くことがあれば、その日は何かした日だ。その日に書くことが無ければ、自分は何もしなかったということだ。どんな小さなことでも、自分の日常生活の中から見つけていきたい。

 今日はテスト二日目だ。今回は成功したのではないかと思っている。それほど難しくなかったので。明日は2教科だ。今日も勉強をしよう。

 明日からも私はこのブログを書くためにパソコンに向かうだろう。

2011年1月26日水曜日

完敗…

 今日から試験開始だ。数十時間かけて作成したカンニングペーパーを使う時がきた。これだけ苦労して作ったのだから、いい点数は取れてほしいと願いながら、試験に臨んだ。そして試験開始。解いているうちにかなり難しいことが分かってきた。自分の作ったカンニングペーパーのどこにも書いていないのだ。1問や2問くらいならまだしも、それがかなりたくさんあるのだ。だんだんと焦ってきてしまった。中間テストでもあまりいい点数は取れなかったので、今回はリベンジと思っていたが、とどめを刺されてしまった感じだ。マークシート方式と記述式の問題があったのだが、記述式の問題はほとんどできなかった。あれだけ苦労したのにと、もうどうしようもない気持であった。後で友達に聞いてもあれは難しかったらしい。それで安心するわけではないが、単位のことが心配だ。落としていないことを祈るしかない。
 悔しがるのはここまでとして、これからは残りのテストを乗り切ることを考えよう。明日も1教科で明後日は2教科。そして来週の月曜日は1教科。それで終了だ。スタートは総崩れとなってしまったが、追い上げていきたい。

 今日私の友達が体の調子が悪いと言い、解散した後その友達から熱が39度あるとのことであった。一瞬ドキッとした。インフルエンザかもしれないからだ。今は試験中なのでうつるのは勘弁してほしい。ただの風邪であってほしいが、かなり心配だ。この季節はインフルエンザがはやる時期なので、体調管理だけは十分気をつけなければならない。気を抜いてしまうとすぐに体調を崩してしまう。そうならないようにしたい。

 今日もいい天気となり、過ごしやすい一日となった。明日からも頑張っていきたい。

2011年1月25日火曜日

嬉しいこと

 昨日はコメントを書けなかった。例のカンニングペーパーを完成させるのに必死であった。やっと完成させることができた。今日の午前3時30分くらいに完成した。くたくたである。明日がそのカンニングペーパーを使うテストがある。ギリギリと言えばギリギリだ。早目に始めたつもりであったが、そうでもなかった。明日からついにテスト開始だ。今日は2年生最後の火曜日だ。今週は最後が続く。楽しむ、というのもおかしな話だが、思いっきり楽しみたい。

 
 時々このブログのコメントを書いてくださっているときがあるのだが、その時は本当にうれしい。私もやっていて、楽しくなる。たとえ読者が一人であったとしても、私はその一人のために、必死で書きたい、そう思っている。もちろん書けないときもあり、迷惑をかけていることがあるかもしれない。しかしその分このブログの文章で、何かを伝えられたら、と思っている。知識も教養も、何もないただの一学生が書いているこのブログ。最初は文章の練習だとか、キーボードの打つ練習になるかと思って始めたが、今はその気持ちが変わってきている。以前も書いたが、何かを残したい。もしかするとこのブログを始めた理由がそうなのかもしれない。
 待ってくれている人がいるというのは本当に幸せなことだ。そこに油がかからないようにしないと。これからもよろしくお付き合い願いたい。
(ブログのコメントの返答は、書いて下さったコメントの続きに書いてあります。コメント欄をご覧ください。)


 昨日と今日と天気が良くなり、暖かな日となった。久しぶりの太陽だ。嬉しいこと限りなし(笑)。明日から試験なので、突っ走りたい。

2011年1月23日日曜日

秋葉原「ホコ天」復活

 秋葉原の無差別殺傷事件から2年7カ月。その事件から廃止されていた歩行者天国「ホコ天」が再開された。その様子をテレビで見ていたが、やはり賛否両論があるらしい。人が集まるのでいい、という人もいれば、またあの忌まわしい事件が起こるのでは、という人も言う人もいる。私は賛成の意見である。歩行者天国があの秋葉原を育ててきていたと思っている。もちろんあのような事件が起こったことは許されることではないが。歩行者天国は秋葉原の文化だ。文化は大切にしてほしいところがある。もちろん時代によって変化はされていくところもあってはいいと思うが。その文化を守るにはさらなる警備の強化などしていく必要がある。ここからが正念場となるだろう。本当の歩行者天国を実現するまで。私も今度秋葉原に行ってみようか。道の真ん中を堂々と歩いてみたい。

 今日も午前中からテスト勉強をしていた。カンニングペーパーも今できるところまでは一応完成したので、少し安心だ。しかしまだ他の教科をしなければならない。水曜日からなので、頑張りたい。今週と、来週の月曜日で終りだ。張り切って行きたい。

試験勉強

 今日の朝は風呂掃除と部屋の掃除を済ませた。昼ご飯を食べてしばらくしてから、テスト勉強を始めた。カンニングペーパーを作っているが思うようにに進まない。今日仕上げるつもりだったが、無理であった。明日には出来上がっていてほしい。というか今日だが。今までそのカンニングペーパーを作っていた。これはテスト勉強ではなく、ただ写しているだけだ。カンニングペーパーを持ち込んでいいなら、資料を持ち込んでも同じではないのかと、思いながら作っていた。今週から試験だ。来週の月曜日で春休みとなる。本当に時がたつのは早いものだ。最後まで集中して勉強したい。

 足が痛いのはなかなか治らない。ましになっているかと思えばあまり良くなっていない。少し心配になってきた。今日も休みなので、もう少し様子を見てみたい。ただ歩いただけでここまでなるのは初めてだ。両足が痛くなるのはわかるが、左足だけが痛いのはおかしい。よっぽど変な歩き方、力の入れ方をしていたのだろう。早く治ってほしい。


 それでは今日はここまでとしよう。早く寝なければ。明日も朝から勉強だ。

2011年1月22日土曜日

新しいコンポ

 昨日痛めた足だが、朝起きた時にはましになっていた。しかし大学に行く途中再び痛くなってきた。やはりもう少し動かさない方がいいみたいだ。明日は休日なので治ってほしい。

 以前書いたほしいコンポの話なのだが、今日値切ろうと思い、行ってみた。店員さんといろいろ話をしていたが、なかなか値段を下げてくれないのだ。いくら言ってもこれ以上は下がらないという。私がもともとほしいもののさらにもう一つ高級なものがある。それとどう違うのか説明を受けていた。やはり音は違うらしい。この店に置いているものではこれが一番いいかもしれないという。このいいやつのもともとの値段は5万9千8百円だったのだが、これは値段を下げれると言い、4万5千円くらいまで下げてあげようという。発売当初からこの二つのモデルの値段を見てきたが、これがここまで下がっているのは見たことがない。もともとほしかったものから、気がついたらこちらに目がいっていた。どちらにしようかかなり悩んだ。どうせ聴くならいい音で聞きたい。コンポはそれほどすぐに買いかえるものではない。そうあれこれ考えて、このいいやつにすることに決めた。最終的には4万4千円になった。できれば一生使いたいくらいの気持ちだ。
 帰って部屋を片付け、といってもモノを移動させただけだが、今置けるところが机しかなかったのでとりあえずその机に置くことにした。線をつなぐのに少し苦労したが、なんとか組み立てることができた。聴いてみると、やはり感動。良いものはいい、そう感じた。大切に使いたいと思う。

 テスト前に一体何をしているんだ(笑)。とりあえず、テスト勉強が先決だ。音楽は終わってからゆっくり聴こう。

2011年1月20日木曜日

買い物

 今日は買い物に行こうと、朝8時50分くらいに友達と出発したのだ。バス代がもったいないと思い、行きだけは歩いて行くことにした。その買い物をするところまでは歩いてだいたい1時間くらいのところにある。歩いてそこまで行ったのは初めてであった。雪道なので、足に力を入れて歩かなければならない。その背で左足に余計な力の入れていたのか、途中から痛みが出始め、普通に歩くのも困難になるくらいになってしまった。足を引きずる形で歩いていた。
 長時間外にいたので、本当に寒かった。今日は晴れたり雪が降ったりと、忙しい天気であった。風が強くなった時は前が見えないくらいであった。テスト勉強もしなければならなかったので、早めに帰ることにし、2時30分くらいには部屋に戻っていた。それにしても足が痛い。すぐに治ると思っていたが、なかなか治らないので心配だ。
 電気屋さんに行ったのだが、以前から欲しいと思っていたコンポが安くなっていた。この前来た時は3万8千円くらいであったが、今日は3万8百円であった。価格が動くものはもうちょっと安くなるかもしれない、となかなか手を出せない。買った後に安くなっていれば悔しさが残る。どうせ同じものを買うなら安い方がいい。しかしこの値段かかなり安い方だ。もう少し考えようと今日はあきらめることにした。タイミングが難しい。自分がどこで妥協するかだ。そのセールが明日までなので、どうしようか。悩んでいる暇に、テスト勉強をしよう。

2011年1月19日水曜日

昭和の伝言

 昨日カンニングペーパーを作っていると書いたが、なかなか進んでいない。進んではいるのだが、量が多すぎる。困った。しかしやるしかない。日曜日には完成している予定だが、できるかどうかわからない。


 今日テレビを見ていたのだが、東大事件のことについてのニュースであった。この東大事件についてはまた改めて書きたいと思っている。それを見て思ったことを書きたい。それは昭和と平成の違いということについてだ。

 昭和の時代、大人たちは子供顔負けにはしゃいでいるのをよくテレビで見る。「ムキ」になることが格好悪くなったのはいつごろからだろうか。
 着物姿でボウリング。今から見るととんでもなく不格好だが、それはそれでよかったんだと思う。まるで疲れを知らないように、何事にも一生懸命な大人たちから子供たちは何かを学んでいたのだと思う。
 高度経済成長と呼ばれていた時代、街はどんどん新しく建て替えられ、所得倍増という言葉が流行し、人々はがむしゃらに生きていた。新しいことや遊びにも熱中した。格好いいとか悪いとか抜きにして。
 誰もが胸の内側から熱かった。しかし近ごろでは時代も大人たちも「ムキ」になることを避けているみたいだ。なぜだろう。確かにその時とは時代も変わったけれど。
 でも泣いたり、笑ったり、はしゃいだり…。もっと人間してもよいのではないか。大人たちを見つめる子供たちに今。たまには「ムキ」になっていいと語ってあげるべきでは子供たちのいちばん身近な教科書として。

2011年1月18日火曜日

カンニングペーパー作成

 今日と昨日はそれほど寒くなかった。寒いのは寒いのだが、突き刺すような寒さではなかった。


 今日でテスト1週間前となった。勉強も始めているところだ。毎回成績通知の時には心配になるので、今回は余裕を持っていられるようにしたい。カンニングペーパーを持ち込んでもよいテストがあるのだが、そのカンニングペーパーを作るのがかなり大変なのだ。読めるか読めないくらいの小さな字で書いていく。かなり集中していなければ書けない。10分もかけが眼もいたくなるし、肩はいたくなるし、腰もいたくなる。このカンニングペーパーを作るために0.3のシャーペンを用意した。早めに作り始めたつもりだが、間に合うかどうかが問題だ。点数の良し悪しはこのカンニングペーパーの完成度と関係してくる。この前の中間テストでは、前日に作り始め、本当にギリギリであった。もちろんその日はほとんど眠れなかった。寝ようと思ったら外が明るくなっていた。今回はそれだけは避けたいようにしたい。


 テストが終われば、春休みとなる。テストがあるのであまり楽しむことはできないが、残りの大学2年生生活を堪能したい。カンニングペーパーの続きを作ることにしよう。

2011年1月17日月曜日

あれから16年、今の神戸は…

 16年前の今日、1月17日は、阪神淡路大震災があった日だ。私はその時幼稚園に通っていた。夜中であったが、私の住む大阪も揺れたのを覚えている。もちろん寝ていたが、親父に叩き起こされた。食器がカタカタなった。幼稚園の私でも、恐ろしいと感じた。
 この前の冬休みでも、神戸に遊びに行った。16年前の今日の神戸は、正に地獄となっていた。建物は崩れ、二次災害で火災が起こっている。私がお世話になった塾の先生がいるのだが、その先生は芦屋というところに住んでいる。その芦屋も崩壊したと言っていた。先生が住んでいる建物の前の二階建ての建物が一階が崩れ、二階部分しかなかったらしい。家の中はぐちゃぐちゃ。テレビがふっとんでいった。近くに住む人で、ある家族がいたのだが、子供、奥さん、を亡くされ、旦那さんだけ助かった方がいらっしゃった。その方は、常に体を動かし、困っている人を助けていたという。先生がその方に質問した。「どうしてそんなに(悲しいはずなのに)働けるのですか」と。「動かさないと思いだしてしまうから。思い出すと気が狂う。」そう答えたらしい。
 私はその震災があった日、徳島から車で帰っていた。震災に合った街通った。その数時間後に、地震が発生。私が通った高速道路は崩れた。もし数時間遅かったら私はここにいなかったかもしれない。その日のニュースはこの地震で持ちきりであった。どこのチャンネルを回しても崩れたビルが映し出されていた。泣き叫ぶ人々が映し出されていた。
 
 その後、復興のための全力で取り組んでいた。今の神戸はあの時に大地震があったことなど面影が無いくらいだ。地震があったことを忘れないために、毎年ルミナリエという光のイルミネーションが行われる。地震に合った人々は16年たった今でも忘れることができないでいる。どれほど復興し、以前の輝きを取り戻したとしても人々の頭の中から、忌わしい記憶を消すことはできない。一生背負って生きていく。しかしそれほど苦しいことや悲しいこと、辛いことが起きても神戸の人々は人間の力を見せてくれている。悲しみに暮れていても仕方がない。前を向いて行こう。そのことに私は感動している。人間は強い。今の神戸は私にこう語りかけている。

2011年1月16日日曜日

センター試験終了

 今日でセンター試験が終わった。どうであったであろうか。私も今日の新聞に載っていたセンター試験の問題を少し見ていた。今解けばおそらくほとんどできないであろう。懐かしいと言えば懐かしい。答え合わせをするのがたまらなく怖い。しかし早く答え合わせしたい。二つの気持ちが葛藤するのだ。私の場合はショックばかりであったが。この結果により、自分の行きたい大学に合格できそうかだいたい判断ができる。私の場合は、パソコンに自分の点数を打ちこみ、A、B、C、D、E、で判断される。私の行けそうな大学だったのが、今通っている大学だ。
 センター試験の結果がわかった時は、悲嘆に暮れていたのを覚えている。しかしこの後、1月末からは私立大学の入試試験が始まる。悲嘆にくれている場合ではなかった。次の戦いが待っている。気持ちを切り替え、また足を踏み出す。入試が終わるのは3月末だ。まだ戦いは始まったばかり。最後まで頑張ってほしい。


 以前言っていたレポートを書き終えた。資料を写してばかりの最低のレポートとなってしまったが、まあいい。次は期末試験に向けて取り組まなければならない。


 今回も3連休も部屋にいることとなり、体がなまけそうである。明日からは学校だ。テスト前になるとブログが書けなくなるかもしれないが許してほしい。あと2週間で大学2年生が終わる。悔いが残らないようにしたい。

2011年1月15日土曜日

ふりだしに戻る

 ここ数日は、雪がかなり降っている。今日も雪かきをした。これもなかなか大変なことだ。でもやらなければ雪で窓が埋まってしまう。寒いのは当然。

 今日はセンター試験1日目であったが、受験者はどうであったか。1日目は、公民、地理歴史、国語、外国語、リスニングとなっている。明日は残りの理系科目だ。朝から始まり、夕方6時くらいまで試験を受けなければならないというのが大変だ。体力勝負でもあり精神勝負でもあるセンター試験。大学入試の第一関門だ。今日のできなどは心配しなくていい。次は明日に向けて気持ちを入れ替えなければならない。泣いたり悲しんだりするのは明日の試験が終わってからだ。明日は2日目。最終日、頑張ってこい!今日も早く寝ろよ!


 私は剣道サークルに所属しているのだが、大学の試合に、「全日本学生剣道選手権大会」という大学日本一を決める大会がある。そのための予選が各地方で開催される。青森は東北地方なので、「東北学生剣道選手権大会」というのがある。その試合に出場したいと思い、ある大学の事務の方にメールをしたのだ。返信のメールは、「東北学生剣道連盟と全日本学生剣道連盟に登録する必要があるため、一度問い合わせてみてください」というものだった。早速、東北学生剣道連盟に電話してみたのだが、つながらない。日を改めてかけなおしてみたのだが、つながらない。それではと思い、全日本学生剣道連盟にメールをしてみた。その返信のメールが、青森県剣道連盟に問い合わせてみて下さい、というものだった。何とふりだしに戻ってしまった。一体どうなっているのだろうか。あっちに行ったりこっちに行ったりと振り回され、結局同じ所に帰って来てしまったではないか。少し苛立ってきたのだが、来週また問い合わせてみたいと思っている。
 青森の事務の方からのメールはかなり丁寧であったのだが、全日本からのメールは、愛想が悪い。もう少し何か言うことや伝えることはないのかと言いたくなった。あっちに聞いてくれ、とでも言っているかのようであった。春に試合があるのだが、春休みに入ると何もできなくなってしまう。そのまえにとうろくしようと思っているのだが、心配になってきた。もう少し早く動いていれば、という反省もあるが、あのメールは腹が立つ。
 パソコンでメールをしたのだが、パソコンでは絵文字は使えない。もちろん目上の方に絵文字は禁物だが。文字だけでも気持ちは伝わるものだ。見た瞬間でわかる。受け取った相手の気持ちも考えて、メールしてほしいものだ。確かに面倒なこともあるだろう。いちいちそんなことをしなくても、と思うことがあるが、相手のことも考える必要があるのではないか。

2011年1月14日金曜日

いよいよ明日はセンター試験

 いよいよ明日はセンター試験だ。こちら青森の天気はよりによって、センター試験の日に大荒れとなる予報が出ている。しかしそんなことは受験者には関係ないことだ。今までしてきたことをすべて出し切ってほしい。「解ける。解ける。」自分にこう言い聞かせるのだ。不安なのはわかる。しかし不安のままだと出せる力が半減してしまう。自信を持って波に乗ればいい。自分の世界に持っていけ。忘れ物をしていいのは、「不安」だけだ。そんなものは家に置いてこい。家を出るときは胸を張って顔を上げて。今こそお前の力を見せてやれ。楽しんでこい!!


 法律と人間という授業があるのだが、期末レポートを出さなければならない。手書きで3000字程度だ。手書きというのがなかなか大変なことだ。毎回ギリギリになって焦って書いてしまうので、今回は早めに取り掛かろうと思い、今それについて調べていたところだ。お題はプライバシーについて、具体例をあげて述べる。プライバシー問題で、代表的な事件は、弁護士法による前科照会事件であるが、おそらくこれについて書く人が多いかと思われるので、もう少し違うものを書きたいと思ってはいるのだが、なかなかいいアイデアが思いつかない。もう少し調べて見ようと思うが、3000字もあるので、内容のあるものでなければならない。とりあえず明日には出来上がっている予定だが、無理の可能性が高くなってきた。


 大学2年生の生活はあと3週間を切っている。本当に早いものだ。気がつけばもう春休みになっている、という感じであろう。時間は待ってくれない。今やらなければならないことがたくさんある。一つずつ確実にこなしていこう。

2011年1月13日木曜日

よみがえる、センター試験の日

 ベランダの雪かきをしても、気がつけばもう雪が積もっている。雪が降らない日はない。大阪と全く別の世界だ。雪国が大変なのはわかるような気がする。それにしても寒い。


 明日はセンター試験の準備で授業は休みなのである。またまた3連休ということだ。来週の火曜日から期末テスト1週間前となるので、そろそろテスト勉強を始めようかと思う。
 センター試験と聞くと、毎回自分の受験勉強のことを思い出す。私は浪人したのでセンター試験を2回受けた。1回目のことも2回目のことも鮮明に覚えている。しかし私にとって特別とでもいうわけではないが、2回目の方が苦しかった。1回目の時も次はないと思いながら受けたのだが、2回目の時は本当の意味で次はないと覚悟を決めて受けた。
 私は早めの行動をとるので、受験会場に2番目くらいの速さで到着した。だんだん受験者が多くなってくるにつれて、会場が騒がしくなる。私は一人だったので、友達はいなかった。周りにいる人は友達と話をしているので、それが気になる。何度も周りに流されそうになるのを堪えていたのを思い出す。試験の時間が近づくにつれて、緊張が増す。試験監督者が来る。ノートや問題集をカバンの中にしまい、問題やマークシートが配られる。気が付けば手に汗を握っていた。
 始めの合図があり、問題を解く。解いていて、絶対にあることが、「どっちやたっけ」ということだ。そういう時が一番苦しい。わからないものは仕方がない。わかる問題が解けないのは悔しい。1点の差で何百人何千人と差がつく。たった1点、されど1点だ。
 その1点の重さを私はよく理解していなかったかもしれない。心のどこかで、「80点くらいでいいやろ」と思っていたかもしれない。80点くらいでいいと思っている人が取れる点数はたいがい60点くらいだ。100点取る人は120点くらい取ろうとしてくる。完璧にしてくる。それが私には足りなかった。
 人間は後悔する生き物だ。必ず、こうしておけばよかった、と後悔する。しかし、それで終わってはいけない。次につなげることが大切だ。同じ過ちを許してはいけない。私は今、次につなげる努力をしている。

 受験を控えている学生たちに応援したい。受験には魔物が住んでいる。今まで解けていた問題が解けなくなることがある。しかしそれに惑わされるな。一息入れ、落ち着いて考えれば必ず解ける。最後の最後に頼りになるのは自分だ。自分を信じて!
 まだ今日と明日、二日も残っている。まだまだ時間はある。焦らず、1歩ずつ1歩ずつ確かな道を。がんばれー!!

2011年1月12日水曜日

世界平和

 今日は久しぶりに太陽が顔をのぞかせ、気持ちの良い日となった。太陽の光が雪に反射し、上からも下からも光が来るので余計に眩しい。しかしそれは昼過ぎくらいまでであって、夕方近くになってくると風が強くなってきた。近くの町で暴風警報が出ていたそうだ。外を歩く時は気をつけたい。


 
 冬休み、大阪にいるとき、「MEN'S館」という男性ファッションばかりを集めた建物がある。そこに買い物に行ったとき、Yoko Ono主催の自分の夢を書く木があった。そこには様々な夢が書いてあった。自らの幸せの願ったものや、試験に合格できるようになどと、見ていると心温まるものばかりであった。私も書いてみようと思った。私が書いた夢はこうだ。『世界平和』。
 最近めっきり涙もろくなた。といっても昔からの様な気がするが。映画を見ては泣き、小説を読んでは泣き、音楽を聴いては泣き、 人の話を聞いては泣いている。挙句の果てに、お涙ちょうだいのバラエティー番組を見ても泣く始末。くだらないと思いながら泣く姿には、我ながらあきれてしまう。どうにかならないものかと悩んでいるところだ。「年をとった証拠だ」と人は言う。それは間違いないだろう。ではなぜ人は年をとると涙もろくなるのだろうか。
 自分は人の気持ちがわかる人間だ、なんて大言壮語する気はない。しかし私だって数少ないながらも悲しい、痛い経験をしながら生きてきたのだ。当時は理解できなかった人の気持ちも思い返すと理解でき、今なら言えることもあるだろう。経験が涙もろさと関係しているのだとしたら、涙線の緩さもなんだか誇れるものだと思えてくる。
 そこでふと考える。この涙に何らかの成長を感じられるとしたら、何かもっと大きなことの役に立たないかと。世界中の人が隣人の悲しみを理解できたなら、ひょっとして世界平和は可能ではないかと。「それは甘い」と人は言う。実際、そこには涙を流す余地はないかもしれない。先進国の人間は涙を流すだけで終わる、という厳しい批判も聞こえてくる。しかし政治的権力では真の平和は得られないと思い知った今、誰がこのセンチメンタリズムを責められるだろうか。
 「世界平和」といっても何も構えることはない。誰も地球の裏側で起こっていることなんて想像できないだろう。ほんの小さなことでいい。右にいる人の悲しみを自分のこととして想像してほしい。左にいる人の痛みを自分の立場で想像してほしい。それを世界中の人がしたら、とこのセンチメンタルな心の持ち主は期待してしまう。「それでも甘い」と人は言うだろう。それならまず、自分でするしかない。よし、この涙、惜しみなく出してやろう!!

2011年1月11日火曜日

私の死生観

 相変わらず、今日も寒かった。寒いのが当たり前なのだが、大阪育ちの私には、この青森の冬がこたえる。
 今日は授業の合間に、友人の車に乗って買い物をすることにした。3連休どこにも行かなかったので、久しぶりに山をおりることになった。今度、いつ買い物に行けるかわからないので、とりあえず3週間分の買い物をした。ほとんどお菓子であったが。電気屋にも寄り、以前からコンポがほしかったので、その値段を見に行った。同じもので大阪で1番安かったのが、29000円くらいだったものが、ここでは43000円くらいしていたので驚いた。これは少し高すぎると思い、ここで買うのをあきらめた。また安く販売しているところを探したい。
 昨日、今日提出するレポートと中間レポートのやりなをしをし、今日それを提出したのだ。中間レポートを教授に見てもらい、その時は一応合格をもらったのだが、授業の後、提出しに行くと今度はもう一度やり直しと言われ、どっちやねん!と叫びそうになった。なかなかいい加減なものだ。次提出するのは来週なので、それまでじっくり考えたい。
 今回のレポートのお題が「私の死生観」というものだ。今回書いたものの一部を載せてみようと思う。


 今社会問題となっているが、自殺する人が増加している。このような人たちは生きることや死ぬことをどういうふうに思っているのだろうか。私も今まで生きてきた中で、死のうと思ったことはある。しかしそう考えると死ぬのが怖くなってしまう。生物の中で自殺できるのは人間だけだ。犬や猫、昆虫、木や花は自殺などできない。死のうと思うことができないのだ。なぜ人間だけが自殺するのであろうか。それは人間にしか苦しみ悩むことができないからだ。なぜ生きているのかを考えてしまうからだ。その答えを探そうとするが、見つからない。自分には生きる資格が無い、必要とされていない、そう思いながら自殺していくのかもしれない。周りにいる人はみんな敵に見え、孤独になっていく。周りにいる人は加害者かまたは傍観者である。
ブッダは瞑想することによって、認識の転換が起こり、自分の見方が変わってくると言っている。自分の根源は海でもあり水しぶきでもあることが分かってくる。自分がそうだとわかった時、他社も同じようにそうだと理解する。つまり共生しているのだ。他社も自分のことのように理解できるようになる。だから助け合いながら生きていかなければならない、と言ったのだ。
 このブッダの考えは私も共感できる。その被害にあっている人のことを自分のことのように考えてみると、自殺に追い込むようなことはできないはずだ。この考えは今の生きている人すべてに知ってほしいことだ。もちろん他人のことを自分のこととして考えるのは簡単なことではない。ブッダのように認識の転換が起こるまで瞑想することはできないが、この世に生きるすべてのものは共生しているんだということを常に肝に銘じておかなければならない。
 自殺する側にしても、死というものを軽く見ているように思われる。もちろん彼らは悩み苦しんでいる。生きている実感がない、いいことが一つもない、そう考えている。なぜ死んではいけないのか、そう質問されたら私たちはどう答えるのだろうか。親が悲しむ、貴方はこの世にたった一人しかいかけがえのない人間なのだ、生きていればそのうちいいことある、それぐらいしか答えることができないだろう。この不安ばかりの世の中であと何十年も生きていたくない、そう思っている人もいるだろう。確かにそう言われてみるとそうだ。しかしだからと言って死ぬという選択肢が出てくるのは理解できない。世界には生きたくても生きることができない人がたくさんいる戦場や貧困の中、毎日を命懸けで生きようとしている人たちがいる。病気で生きたくても生きることができない人がいる。それを忘れないでほしい。あるニュースで聞いたことだ。病気の人が叫んでいた。「そんな粗末な命なら私に下さい」と。
 苦しみの中でも、自分の生きる意味を探し出さなければならない。ほんの小さな楽しいことでもいいから見つけなければならない。いずれわかるはずだ。自分の生きる意味を。

2011年1月10日月曜日

感謝の気持ちを忘れない

 今日も一日中部屋にいたのだが、昼からベランダの雪かきをした。ほっておけば窓の半分くらいは積もってしまう。雪の重さでベランダが落ちそうだ。シャベルで雪を下に投げ捨てていたのだが、下の人に迷惑がかかっていなかったか心配である。最高気温がマイナスの日が続き、明日もそれが続きそうな予報が出ているので、気分が萎えてしまう。寒さに負けないようにしたい。


 何とも平和な3連休であったが、「初めてのお使い」というテレビ番組を久しぶりに見ていたが、とても面白かった。小さい子供が初めてお使いに行くというテレビ番組であるが、笑いあり、感動ありの自分が小さかった時のことを思い出しながら見ていた。機嫌良く出発したが、しばらくして泣きながら帰ってくる子がいたり、親から頼まれたことを、忘れないように口ずさみながら歩いている子がいたり、兄弟や友達と一緒にお使いに行く子供たちは喧嘩をしながらも無事帰ってくることができたりなどと、見ていてハラハラするのだが、自分にもこういうときがあったのだなと、本当に懐かしく思えた。
 ここで描かれているのは子供たちだけではない。その影で見守っている親の姿も描かれている。心配で心配でこっそり見ている親の姿は何とも面白いのだが、それほど心配してくれているということだ。影で涙を流しながら、「がんばれー、がんばれー」と囁いている姿は、感動的だ。おそらく私の親も私の知らないところで、涙を流しながら応援していることもあったのだろう。いやそれは今も、そしてこれからもそうなのかもしれない。どれほど大きくなっても、その親の子供であることには変わりはないのだから。そんな心の底から応援してくれている親に向かって、悪口や反抗的なこと、自分のせいなのに親のせいにしていたこと、親を泣かせてしまったことは今まで何度もある。謝ったことってあったっけ…。
 親の一番の楽しみというのは、自分の子供の成長を見守ることなのかもしれない。どれだけ辛いことがあっても、厳しくも温かいまなざしでずっと見守ってくれている。どれだけ離れた所に住んでいても、私のことを思ってくれている。言いたいことがあっても、それをぐっとこらえ、我慢しているときもあるだろう。私のために涙を流してくれる。そこまで思ってくれる人がいるというのは、これほど幸せなことはない。そんな親に恩返しはできるだろうか。今の私にはできない。でも久しぶりに帰って、親の顔を見るときは、私の精一杯の笑顔を見せてあげたい。

2011年1月9日日曜日

再会

 今日は成人式がある日で、明日は成人の日だ。今年20歳になった人にとっては、特別な日となるだろう。このブログでも書いたが、私は成人式に参加していないが。詳しくは以前に書いたブログを読んでほしい。20歳を迎えた人は一人の大人として、この日本を支えていく人間になってほしい。
 去年私はこの成人式のある日は、部屋で寝ていたような気がする(笑)。今日も去年と同じようなことをしている。外に行きたくても、バスの運賃にお金を出すのはあまりしたくない。部屋の掃除、片付けをし、平和な一日であった。明日も休みだが、レポートをしなければならない。明日からまたエンジンをかけよう。
 そのレポートなのだが、以前に中間レポートを提出していたら、今回のレポートを提出できるというものなのだ。もちろん中間レポートを提出したが、再提出と言われてしまった。教科書を最初から最後まで読み、仕上げたものであったが、やり直しと言われ、怒りを覚えたが、怒っても仕方がない。友人の書いたものを参考にし、再び仕上げ、明後日提出しようと思う。
 しかし今回のレポートのお題が「私の死生観」というものなのだが、ブッダの考えを参考にして、という制限があるのだ。ブッダの考えを参考にしていたら結局自分の死生観ではなくブッダの死生観になってしまうではないか、と今回も怒りを覚えているが文句を言っていても始まらない。明日書きたいと思う。


 冬休み、偶然浪人の友達と出会った。その友達とは、そこまで仲良くはないのだが、私が尊敬した友達の一人だ。とある店で、私がサングラスを見ていた。その近くに立っていたのだが、よく見てみると、どこかで見たことがあるような顔である。名前を呼んでみるとやはりそうであった。メールアドレスも知らなく、彼がどこの大学に進学したか、全くわからなかった。それで今どこの大学に行っているのかと尋ねてみた。今専門学校に通い、編入しようと思い、今結果待ちだということだった。
 その友人は私と同じで成績はよくなかった。しかしかっこいいのだ。自分と同じ年でここまでかっこいいと思ったのは彼しかいない。何といっても面白いのだ。面白いし、かっこいいし、オシャレだ。喧嘩ばかりしていたが、なぜか尊敬できるところがあった。
 彼が今何をしているのかと、時々気になっていたが、元気そうでなによりであった。またどこかで会える日を楽しみにしている。

2011年1月8日土曜日

50代くらいの女性との話

 今日はこちら青森に帰ってきて初めての休日だ。午前中に荷物が届くというので、部屋にいなければならなかった。今の交通手段は車かバスかになる。車を持っていないので、バスに乗らなければ買い物に行くことができない。土日祝日はバスの本数も少なく、なかなか思った時間にバスがない。出かける気がしなかったので、午後も部屋にいることにした。
 青森の冬はなかなか晴れない。雪が降るか曇っているかのどちらかだ。たまには思い切りのいい太陽がほしい。これは仕方がないことだが。


 この青森に帰ってくる日、私は朝8時7分新大阪発の新幹線に乗った。50代くらいの女性の方と隣になった。新幹線が発車し、しばらくしていると、その女性が話しかけてきた。その女性が言うには、いつも窓側の席に座りたいのだが、窓側は人気があるのか、なかなか取れない、とのことだった。なぜ窓側に座りたいのかというと、富士山が見えるからという理由だった。この女性はしばしば新幹線を利用しているらしいのだが、いつも窓側に座れないので見れないというのだ。
 そういえば私が富士山を初めてみたのは、2年前の冬休み、大阪に帰るときの新幹線から見たのを思い出した。東海道新幹線を利用するときはいつも富士山を見たいと思っているのだが、毎回寝てしまって、いつの間にか通り過ぎている。その女性は、車掌さんに何時くらいに富士山を通るか聞いていたので、私も見ようと思った。
 その他にも様々な話をした。私が今大学生だという話をすると、就職の話をしたり、外国の話をしたり、などと勉強になることを聞かせていただいた。特に外国の話では、私はまだ外国に行ったことがないというと、今のうちに言っておいた方がいいとのことだった。働きだすと、なかなかまとまった休暇が取れないので、大学時代では夏休みや春休みといった長い休みがあるので、それを利用したら、とアドバイスしてくれた。私が春休み、行けるかまだ分からないが、アメリカに行く計画を立てていると話をした。アメリカのどこに行きたいのか聞かれ、西海岸か東海岸のどちらかに行きたいと言った。その女性はそのどちらにも言ったことがあるといい、どちらもとても面白いところだと教えてくれた。ニューヨークは危ないところですか、質問してみるとそんなことはないと言った。私でも地下鉄に乗ったのだから、と笑いながら話をしてくれた。
 2時間30分くらいで東京に着くのだが、あっという間にその時間が過ぎてしまった。富士山の写真も撮り、楽しい時間を過ごさせてもらった。私は品川駅でおり、その女性は東京駅まで行った。
 初対面の人と話をするのは新鮮で楽しい。自分の新しい引き出しを作ってくれる。見えなかったところを見つけてくれる。本当に楽しい2時間30分だった。

2011年1月7日金曜日

冬休み、アルバイト

 今日もかなり寒い日となった。吹雪いて、前を見ることができないほど厳しいものがあった。これが青森の冬かと実感しているところだ。
 その反面、良いところもある。それは景色が美しくなる。木を見てみると、まるで桜が咲いているかのようだ。そして静かになる。雪が音を吸収して車の走る音も近くに来るまで気付かないくらいだ。雪がしんしんと降る音しか聞こえないのだ。これは雪国しか味わえないことだろう。それにしても寒い。まだまだ寒さが続きそうだ。


 今日の午後、アルバイトをしていたところから電話がかかってき、提出しなければならなかった書類を書くのを忘れている、とのことだった。やってしまったという感じであったが、郵送でこちらに送ってくれ、それを返送するということで、事は収まりそうだ。
 そのバイトの話だ。小学生では1年生と2年生の算数を教えた。みんなかわいらしく、私もそのころのことを思い出しながら、算数を教えていた。午前は勉強で、午後からは社会見学の様なもので、出かける授業であった。出かけるといっても遊びに行くようなものだ。
 1日目は海遊館という水族館に行った。ちょうどクリスマスの日で、多くのカップルが遊びに来ていた。入るために並ばなければならず、海遊館には何度か来ているが、並ぶことは初めてだった。入っても人が多すぎて、肝心の生き物が見えない。子供たちもどうにかしてみようと、人と人の隙間を縫って、入って行ってしまう。見失わないようにと、どれほど気を使ったことか。かなり疲れた。私はほとんど生き物を見ることができなかったが、それはそれなりに楽しかった。
 2日目は、自然史博物館というところへ行った。長居というところにあり、私は始めていくところだなと思っていたのだが、中に入ってみると、小さい頃来たような覚えがあった。小さい頃は恐竜の化石が好きで、どうしても見たいということでこの自然史博物館へ連れてきてもらった。しかしその恐竜の化石は1体か2体くらいしかなく、不満で泣いたことがあった。かなり懐かしく思えた。
 3日目は、クラフトパークというところへ行き、陶磁器を作る体験をした。もちろん初めてである。粘土で自分の好きな形にしていく。私は湯飲みにした。初めてだったので難しかったが、良い体験をすることができた。
 4日目は塾内で、工作や実験をした。正月に合わし、兎年なので、ウサギのお面を作ったり、コマを作ったりした。

 小学生が終わって、夕方からは中学生の英語を教えた。今回の生徒は私が去年の夏休みに教えた生徒達だった。久しぶりという感じで、その時よりもかなりスムーズに授業を進めることができた。夏休み教えた時よりも進歩していて、頑張っているなと嬉しく思った。生徒達からも積極的に質問をしてくれるので、こちらもやりがいがある。時々面白い話をして笑わせたり、生徒達が笑わせてくれたりなどと、たった4日間だけであったが、かなり充実した時間であった。次に会えるのはいつか分からないが、もっともっと成長した自分を見せてほしい。

Happy New Year 2011 ― 今年も生くぞ!!

 明けましておめでとうございます
 今年もよろしくお願いします


 久しぶりにブログを書くことになる。いつの間にか年が明け、青森に戻って来ている。大阪にいるときはやはりブログが書けなかったが、また以前のように毎日ブログを書きたい。

 やはり青森は寒い。寒さが格段に違う。おまけに雪が積もっている。今日から早速授業が再開となったが、大学に行く気がしない。雪が降る中、傘を差しても、積もっている雪が風で舞うので下からも雪が襲ってくるので、傘の意味がない。新年早々悩まされているが、2011年、最高の1年にできるよう走っていきたい。

 冬休みは忙しい休みとなった。バイトがあったり、年賀状を作ったり、テレビを買ったり、墓参りをしたり、大阪の友人と遊んだり、年始のバーゲンセールに走ったりなどとかなり充実した冬休みであった。
 この冬休みで、一番印象に残っているのはテレビを買ったことだ。今まで私の家族が見ていたテレビは、21型のブラウン管テレビだ。画面も小さく画像が悪い。もちろんアナログ放送であった。しかし年内でエコポイントの期限が切れるということで、買いに行こうということになった。できるだけ安いものを見つけようと思って行ったのだが、様々なブランドのテレビと見比べてみたり、機能性を比べてみたりしているうちに、良いものしか目に入らなくなってしまった。そして買ったものが最近登場した4原色のLEDのものだ。3原色のものと比べてみてもやはり違いがわかる。40型にしたのだが、今まで21型に慣れていたので、倍の大きさとなりかなり戸惑った。
 念願だったテレビを購入することができて、これも大阪に帰りたくなる理由の一つとなった。

 大学2年生の学生生活はこの1月で終了となる。残り1カ月を切った。月末の1週間は期末テストがある。最後まで大学2年生を楽しみたい。