2011年11月30日水曜日

紅白出場決定

今日で11月も終わりである。明日からは12月か。今年ももう少しで終わろうとしているが、やり残すことがないようにしたい。
 今日の青森は夜から急に寒くなってきて、今は雪が降っている。しばらく寒さが続きそうである。


 嬉しくも長渕剛が紅白出場決定となった。8年ぶり3回目である。私が彼を好きになったのも2003年の紅白で「しあわせになろうよ」を聴いたときからだ。このことは何度かのブログでも紹介しているが。彼と紅白で再会できるのは嬉しいこと限りなし。コンサートには今まで9回参戦しているが、今回はまた違った気持ちで会うことができる。AKB48や嵐もいいが、長渕剛も是非ご覧いただきたい。
 ということで、今日はそれほど書くことがないので、「しあわせになろうよ」の歌詞を紹介しておこう。


  出会った頃の二人に
  も一度戻ってみよう
  そして二人で手をつなぎ
  しあわせになろうよ

  海の広さに負けないように
  輝しい太陽をにらんでみた
  ずぶぬれの僕は魚になり
  あの島まで泳いでいった

  緑の大地で鳥が鳴いた
  君は両手を広げ空を飛んだ
  星空をみあげ夢をかなえた
  月の光で歌をうたった

  初めて出会った場所に
  も一度戻ってみよう
  そして青い空に抱かれ
  しあわせになろうよ

  しあわせになろうよ


 ぜひ聴いていただきたい。

2011年11月29日火曜日

バイト日程決定

今日の青森は雨であったがそれほど寒くはなかった。明日からは寒くなりそうである。


 11月も明日で終りである。ということは今年もあと1カ月ということになる。あっという間に1年がたってしまう。うたうたしている時間はないのだが、なかなか体が動かないのも問題である。
 バイト先から電話がかかってき、冬休みの日程が決まったそうだ。今回は小学生だけで、26日から4日間行われる。23日までこちらで授業があるので、バタバタしながら急いで帰ることになるだろう。忙しい方が私には性にあっている。その方が一日一日を大切にしようとする。なぜかわからないが大阪にいる方が毎日忙しいのだ。バイトもあるが遊ぶのにも忙しいかもしれない(笑)。やはり帰った時は友達と会いたくなるものだ。もちろん時間が合わず会えないときもあるが、友達と会うことも大切なひと時である。
 何度も言っていることだが、大阪に帰る日が近づいてくるにつれてうれしくなる。もちろん青森と離れるのもさびしい気持ちもあるが、帰れるうれしさや安心感がある。3年前、私が大阪を離れるときは夢や希望よりも不安や迷いの方が強かった。おそらくそのせいもあるだろう。遠いので尚更うれしくなるのかもしれない。遠いといっても最近はそこまで遠いとも感じなくなってきたが。何度も行き来していると感覚がマヒしてしまう。本州の最北端から西日本に行くのだから、まあほんの少しの長旅かな。あと1カ月頑張っていきたい。

2011年11月28日月曜日

長渕剛紅白出場か

今日はそれほど寒くはなく、夕方から少し雨が降ってきたが、それまでは過ごしやすい天候であった。
 今昨日購入したiPhoneの練習中である。使いこなせるまでには時間がかかりそうである。今週中には大体は使えるようにしておきたい。


 新しい大阪市長が誕生した。以前は大阪府知事をしていた橋本氏である。大阪都構想をめぐって前市長の平松氏と激戦を繰り広げてきた。今回の市長選挙も平松氏VS橋本氏が注目され、結局橋本氏が勝利した。私としては平松氏を応援していたのだが、その思いは伝わらなかった。そこまで知識がないので、大阪都構想のメリットやデメリットなどあまり分からないが、おおむね期待はしていない。大阪がつぶれてしまうのではないかと心配しているくらいである。以前のブログでも書いたことだが、大阪の教育も橋本氏のおかげで堕落の一途をたどっている。大阪の教育は崩壊していくことだろう。大阪の将来が危うくなってきた。



 嬉しいニュースだ。私の好きな歌手、長渕剛が紅白出場が濃厚になったらしい。ヤフーニュースで出ていたのだが、長渕サイドも前向きだという。今年の紅白は震災がテーマで、長渕剛は約半年にわたってラジオ放送を行い、被災された方々と連絡を取り合ってきた。もちろん私もこのラジオを毎週聞いていた。その前に被災地へラジオ1万台を送っている。そして被災地へ行き、避難所や自衛隊を訪問した。そして2回目の被災地訪問で、復興ソング第一弾「TRY AGAIN for JAPAN」を被災された方々や子供たち、有志のコーラス隊ら約1000人でこの唄を合唱した。そして8月には福島に住む子供たちを長渕の故郷鹿児島に招待し、触れあった。
 一生支援すると掲げた長渕にNHKは共感したのだろう。その他のアーティストも様々な活動を行っているが、長渕ほど活動しているのは見たことがない。もちろん私は長渕が好きだから言っているのだが、「さすが我らが長渕剛!!」という感じである。長渕剛と出会ったのが2003年の紅白歌合戦であった。8年ぶりに紅白で再開するということになる。そう思えばうれしい限りだ。私もファンになって8年が経過したということだ。もうそんなに経つのか。年末が待ち遠しくなってきた。

2011年11月27日日曜日

iPhone4購入までの道のり

昨日の続きとなるが、今日iPhone4を買いに行ったのだ。しかし、それまでの道のりが長かった。天気予報通り、雨であった。バスで行こうと思ったが、交通費がもったいない。電気屋さんがあるところまで行くと350円くらいする。最近バスに乗らないので正確な値段は忘れてしまったが。往復となれば700円する。700円あれば本や雑誌を買うことができる。どうせiPhoneを買っても使い方がわからないので、そのガイドブックみたいなものが必要だろうと思い、その交通費をそちらに回すことにした。昨日見に行った時は、お金を持っていなかったので、郵貯からお金を下ろさなければならなかった。電気屋さんまでの道のりの途中に郵便局があったので、そこで下ろそうと思って向かったのだが、閉っている。いや、休日なので郵便局は閉っているのはわかっていたが、郵貯のATMまでしまっているとは思ってもみなかった。次に郵貯があるのはその電気屋さんを超えてさらに歩かなければならなかった。電気屋さんまで徒歩でだいたい1時間くらいかかる。かなり遠回りをしてやっとのことでお金を下ろすことができた。そしてまた来た道を戻り、電気屋さんへ向かった。
 昨日の話では、iPhone4かiPhone4Sにするかで迷っていたのだが、昨日家に帰って考えているうちに、iPhone4でいいかと思うようになった。どうせ次から次へと新しいのが出る。4と4Sはそれほど変わりないというので、それでは来年新しいのが出ると言われているのを待とうと思い、今回は安い方にすることにした。本体価格は23,520円で、基本使用料やその他の料金を合わせて1カ月に支払うお金は4,725円だ。本体価格は今日一括で支払った。8GBで一番容量の少ないものだ。4Sでは、16GB、32GB、64GBとあるのだが、16GBの本体価格は46,080円する。今はそれほどお金がなかったので、一番安いものにし、次に出た新しいのは良いものにしようと思った。とりあえず今回は安上がりな方にしておいた。
 今まで自分で携帯電話を買ったことがなかった。いつも兄や親に任せっぱなしで、自分の好きな機種を選ぶだけでその他の手続きなどはしたことがなかった。しかし、今回自分でやってみたが、意外と簡単だった(笑)。任せっぱなしはよくないと改めて感じた。
 私の家族は全員ドコモなので、家族への電話やメールはドコモで、インターネットやソフトバンク通しのメールや電話はiPhoneでする。ドコモを貫き通す家族なので、私が勝手にソフトバンクのものを使うことになってしまった。このことは母以外誰も知らない。兄にばれたら怒られるかもしれない(笑)。私が大阪に帰った時は確実にばれるだろう。その前に報告しておいた方がいいのかな。うーん、このことについてももう少し考えよう(笑)。
 帰りももちろん徒歩で、土砂降りの雨の中を約1時間かけて下宿にたどり着いた。靴やズボンがびしょびしょである。長い道のりであった(笑)。

2011年11月26日土曜日

スマートフォンを見に行く

今日の午前中は部屋の掃除をし、午後から買い物に出かけることにした。まだ雪は残っているが、道のなかほどは解けていたので自転車でも大丈夫であった。駅前まで行き、また本屋で1時間ほど時間をつぶした。しかし、本屋に行くのはかなり久しぶりのような気がする。先週の休日は二日とも雨で、部屋にこもっていたからだ。その後はパンを買ったり食品を買ったりお菓子を買ったりした。
 もう少しで就活が始まるので、スマートフォンがほしいと思っているので、それを見に行った。私はドコモを使用しているが、ドコモのスマートフォンはほしいとは思わない。エクスぺリアやギャラクシーなどが代表だが、ギャラクシーは兄が使っていて同じのは持ちたくない。私がほしいのはアイフォーンだ。アイフォーンはソフトバンクかauのどちらか。私はソフトバンクにしようと思っている。スマートフォンを買おうと思う前は、アイパッドを買おうと思ったが、そのアイパッドの位置づけが微妙であった。しかも少し大きいので、少し不便かと。ノートパソコンで持ち運びに便利なものにしようとも考えた。最近はとても薄く、軽いのが出ているので。しかし、これこそ大きいので、いざという時に使うのが不便ではないかと思った。それならば残るはスマートフォンしかない。そしてアイフォーンを見に行ったのだが、入荷待ちで2,3週間しないと入ってこないそうだ。来週から12月に入り、一成エントリーが開始される。それまでにほしい。もっと早く買いに来ておけばよかったと反省した。アイフォーン4Sは入荷待ちだが、アイフォーン4はすぐに手に入ると言う。4は4Sの一つ前の機種なので、値段も安い。しかし、どうせ買うなら最新のものを買いたい。しかし、安いのも見逃せない。4と4Sはあまり変わらないと言うが、最新のが良い。4Sの在庫があればそれにしたのだが、もう少し考えるということで、今日は買うのをやめておいた。どちらにしようか。うーん、迷うところだ。

2011年11月25日金曜日

はみ出してみる勇気

今日も寒い一日となった。吹雪くとは言っていたが、それほどでもなかった。でも寒かった。

 明日、明後日の休日はレポート課題をやらなければならない。3つほどあり、期限はもう少し先なのだが、いつもギリギリなので早めに終わらせておきたい。



東京、銀座
 『出る杭は打たれる』。ちょっと他人と違う行動をとる者。異色の才を持った者。彼らを異端とみなし、頭を押さえつけおしなべて他者と同様の世界を強要する。単一民族国家を気取るこの国では、とりわけその傾向が強いようだ。それは私が日本しか知らないだけなのかもしれないが、私はそう感じる。
 幼いころに通っていた塾でのことだ。皆に一枚の紙が配られ、この紙のどこかに自分の名前を記入しろとのこと。塾講師は回収した紙を批評する。左下に立てで記入してあれば「習字っぽくて可憐さを感じる」。右上に横で記入してあれば「手紙っぽくて落ち着いた雰囲気がある」。といった具合に次々と饒舌に評価を下していく。しかし、私の番になると態度が変わった。紙を頭上に掲げ、指をさし、「いいか、こういうのがバカっていうんだ」。と笑い者にした。私は用紙全体に極太マジックで、はみ出さんばかりに大きく、名前を書き込んでいたのだ。
 周囲とは多少違うだけで異端であると判断される。いや、実際そうだったのだろう。多少自覚もあった。あれから10余年。「自分らしく生きろ」という大人たちから「もっと落ち着きなさい」と論されて、すっかり常識とやらに支配されてしまった。全く彼らは個性を持たせたいのか、潰したいのか。
 常識にかぶれ、異端を嫌うもの。彼らもまた周囲とは違う他者である矛盾に滑稽さを感じる。アインシュタインによると、常識とは「18歳までに身につけた偏見」らしい。個々の常識ですら偏見の塊だと言うのだ。偏見の塊が常識なのであれば、『出る杭を打つ』行為は己の偏見を他者に押し付けることと同義である。
 もし、今の世界に閉塞感を覚えるならば、他者が押しつけてくる偏見を拒絶すればいい。かつて大人たちから聞いた「自分らしく」ではないが、己の偏見を信じてはみ出してみるのも一興だ。嫌々他者の偏見を受け入れ、ちょっと出た杭が一番しんどい。

2011年11月24日木曜日

次の活動へ

今日の青森は朝は雨が降っていたが、昼から夕方にかけては晴れて、夜になると急に寒くなり、雪が降り出した。明日は吹雪くらしい。また寒くなりそうだ。
 そういえば、水曜日の朝5時くらいに自転車で長い坂を上っていたら、ペダルだけが回り、タイヤが前に進まない現象が起きたのだ。壊れてしまったかな、と思ったが、そうでもないのだ。道路が凍ってしまって、タイヤがスリップしていたのだ。初めての体験だったので驚いてしまった。今思えばかなり危ない行為であった。その数十分前には、またどおろが凍っていて自転車に乗っていたのだが、滑ってこけてしまったのだ。恥ずかしい、というか危ない。こけた時に周りを見渡して、誰もいないことを確認した(笑)。路面が凍結して運転するのは危ないので、注意して運転してもらいたい。


 先日、広島などで強い地震が起きたが、今日は北海道でまた強い地震が起きた。今年は地震が多い年である。再び大震災が起きないことを願う。


 ボランティアの件だが、これからの活動についてメンバーで話し合った。それぞれこれから何をしていくか考えてきてくれた。良い意見がたくさん出たのだが私がやりたいと思ったのは、この団体だからこそできることである。それらの意見の中にも既存の活動が多々あった。もちろんそれらの活動を我々の団体が推奨していくのも大切である。しかし、私たちは貴重な時間を割いて活動をしている。私はいつもこう考えてしまう。「せっかくやるのだから」と。
 我々だからこそできることは何かを考えるのは難しい。というか私がこの団体を立ち上げた時から前例のない中を歩んできた。そしてこれからも新しい道を切り拓いて行くことだろう。既存のものより、何か新しいことを生み出すのはとてつもなく労力を要するが、やりがいがあり有意義である。成功するか失敗するかそれはわからない。しかし、「挑戦」したことに違いはない。社会に出て失敗はなかなか許されることではないが、学生ならまだ許せるところも多いだろう。失敗を恐れずにどんどん挑戦していけたらと思う。
 私が実質活動できるのは限られている。就職活動も始まる。次へバトンを渡す日は近い。立派な城を建てる前に、石垣だけはしっかりと崩れないように積んでおきたい。私の最低限の役目はそれだ。自分で言うのもなんだが、私たちは今何かに挑戦し、立ち向かおうとしている。あることが終わればまた次を考えなくてはならない。これの繰り返しだ。次の活動に向けて歩き出した。

2011年11月23日水曜日

大阪弁

今日の青森は晴れて、少し暖かかった。雪が少しずつ解け始めたのだが、結構積もっていたのですべて解けるには時間がかかるだろう。しかし、明日はまた寒くなり雨や雪が降るそうだ。来週には晴れそうだが。



  ボランティアの報告会を午後から2回行う予定だったので、その準備をしていたが、2回とも誰も来なかった。この前と同じである。来ないかもしれないということは覚悟していたが、その通りになってしまった。もう少し宣伝の仕方を考えることにしよう。この前は模造紙でボランティアに参加する学生がたくさんいて、今回も模造紙を使ったのだが駄目であった。さあ、次はどうやって宣伝しようか。


 今日友達が大阪に遊びに行った。日曜日に帰って来るらしい。昨日大阪の観光スポットをいろいろと教えていたのだが、あまり理解できていないらしく、どこがどこだかわからないと言っていた(笑)。それもそうだろう。知らない場所のことをあれやこれや言われてもわかるはずがない。最終的にはとりあえず楽しんでこいという話で終わった。大阪で遊ぶところと言えば、梅田か難波かUSJくらいであろう。私は大阪で生まれ育ったので、その風景が当たり前なので、面白いという感覚はない。それが当たり前という感じだ。大阪に遊びに行く人にはどう映っているのだろうか。その友達は高校の時に修学旅行で大阪に行ったことがあるそうだが、大阪弁が苦手だったらしい、怒られているように聞こえるのだそうだ。言いかえればきついということなのだろう。決して怒っているわけではないのだが。他の友達によれば、大阪弁は言い方が悪いという。もっと他に言い方があるだろうと感じるのだそうだ。本音をズバズバと言っているのだろう。遠まわしに言わず、中途半端な言い方をしないのが大阪弁かもしれない。わかるような気もするが。しかし、これが大阪の文化である。こういう一面があるのだなということを楽しんでもらいたい。大阪は癖のある街かもしれないが、楽しいこともたくさんあるはずである。

2011年11月22日火曜日

3年前の手紙

今日の青森は晴れたのだが、雪が積もったままである。昨日急いで冬用の靴をクローゼットから出したのだ。去年はこれほど積もっただろうか。全く記憶にないが、とにかく冬が来てしまったようだ。寒い寒い(笑)。



青森観光物産店アスパムから見た景色
 昨日引き出しの整理をしていたら懐かしい置手紙が出てきた。それ母からのである。私が初めてここ青森に来た時に、入学式で母もいて、その次の日くらいに母が大阪に戻ったのだが、私はオリエンテーションで学校に行かなければならなかったので、見送りには行けなかったのだ。私の部屋に母を残して私は学校へ行ってしまった。そして帰ってきたときにその手紙が置いてあったのだ。手紙と言っても私が計算用紙として使っている紙を4枚ほど書いていた。その内容というのは、トイレのことや、水道水のこと、風呂の掃除の仕方、自転車のこと、転出届のことなど、当時何をしたらいいのか全く分からなかった私だったので、その手紙がどれほどありがたかったことか。そして一万円もその手紙と一緒に置いてあった。教科書用、食品、日用品に使って下さいと書いてあった。昔の手紙というのに涙が流れてしまった。そして私へのメッセージ。あの時の気持ちがよみがえってくる。母が来てくれるまでは、部屋が散らかっていて辛うじて寝るところだけは確保していた状態である。全く知らない場所へ来て、友達も一人もいない、何をしたらいいのかもわからない。初めて来た時は3日間は夜一人で泣いていた。あの時のことは今でも鮮明に覚えている。寂しかった。あれほど寂しかったのは生まれて初めてであった。本当に懐かしい。3年近く前の話である。そういえば私が学校から帰ってきたときにこの手紙を見つけて読んだ時も泣いていたような気がする。そして昨日も改めて読んで泣いた。泣いてばかりで、ちっとも成長していない。まったくあの時のままだ。でも、あの時に気持は何年たっても忘れることはないだろう。不安しかなかった時に、やはり助けてくれたのは私の母であった。母の存在はとてつもなく偉大である。そして母の愛が何よりも優しく強いものなのだ。その手紙を読みながら改めてそう感じた。もう少し成長しなければ(笑)。

2011年11月21日月曜日

雪の中を3往復

  今日の青森は雪。それも吹雪である。11月なのにもう吹雪いている。今日の青森の最高気温は3℃である。雪は積もるは、寒いは、で大変な一日であった。さらによりによって今日は下宿大学間を3往復もした。1往復目は授業が終わって昼ご飯を食べるために下宿へ戻り、再び授業で大学へ。本当はその時にパソコンを持って行く予定だったのだが、私のパソコンのパワーポインターが使えなくなってしまったのだ。プロダクトキーがわからないとかで。後でわかったことだが、パソコンを購入時にこのプロダクトキーを入力しておかなければならなかったのだが、ずっとほったらかしにしていたので、そのつけが今日回ってきたのだ。今週の水曜日にボランティアの報告会があるので、そのためのパワーポインターを作ろうと思ったのだが、使えなかったのだ。焦ったが、友人に助けを求めた。私は授業があったので、友人に解決しておいてほしいと頼み、私は大学へ。帰ってきたときはまだ奮闘中であった。購入時に私のパソコンが入っていた箱の中にそのプロダクトキーが書いてあったので、それを入力したら問題は解決した。友人に感謝である。そしてそのパソコンを持って再び大学へ。大学でパワーポインターのチェックをしてもらった。雪の中を3往復するのはかなりきつい。寒過ぎる。大変な一日であった。



 今週大阪に行く友達と図書館でばったり会ったので、大阪の地下鉄と私鉄やJRの路線が載ってある小さな紙を渡した。メモ帳とかについているあれだ。地下鉄は必ず乗っているのだが、私鉄も載っているのはそれほどない。ちゃんと返してくれよ、と催促しておいた(笑)。東京の人は大阪の地下鉄はわかりにくいという。反対に私は東京の地下鉄はわかりにくい。東京は都営地下鉄とメトロがある。その違いがわからなかった時は、都営の切符でメトロに乗ろうとして改札のブザーが鳴ったのを思い出す。大阪は市営地下鉄だけだ。大阪の市営地下鉄は東京の地下鉄に比べて運賃が高い。大阪で一番安い切符は200円だが、東京では120円だ。この差は大きい。大阪も安くなる日を待ち望んでいる。その話は置いといて、その友達には大阪の旅を楽しんでほしい。電車に乗って乗り過ごしたりするのもまたおもしろいかもしれない。後で笑い話になる。その時はどうしようと必死だと思うが(笑)。とりあえず、「大阪」を楽しんでほしい。大阪の良いところ、悪いところを教えてもらおう。

2011年11月20日日曜日

スポーツの本質

予報通り、青森は朝から雨が降った。少し止んだ時間があったがほぼ一日中雨であった。今日もどこへも行かなかった。二日とも部屋の中にいるというのは何とも息が詰まってしまう。仕方がないが。高い交通費を払って外に出ようとは思わない。雪が積もればますますどこへも行けなくなるだろう。嫌な季節がやってきた。


 
広島にて
 スポーツの語源は、ラテン語の動詞“deportare” であるとされている。これは「気晴らしする、遊ぶ、楽しむ」という意味にあたる。現在でも英語の“sport” の動詞形には「遊ぶ」という意味が含まれているが、これはその名残なのだろう。スポーツとはつまり、真剣勝負の遊びだと言えるのではないだろうか。
 印象に残っている場面がある。シドニーオリンピック女子マラソン、高橋尚子選手が一位でゴールした場面だ。過酷なレースを終えた直後にはとても見えない。「とても楽しい42.195キロでした。」満面の笑顔で語る高橋選手は、本当に楽しそうに見えた。心からは知ることを楽しんでいるのだと感じさせられる場面だった。
 人はなぜスポーツに興じるのか。スポーツは、決して必要不可欠なものではない。その始まりは、単なる遊びに過ぎないのだ。苦しい練習も、辛い敗戦も、時にはあるだろう。それでもなお人がスポーツに打ち込むのはなぜか。それは、その先にある楽しみを味わうためではないだろうか。競技に向きあい、自分なりに考え、徹底的に打ち込む。己の心身に磨きをかけ、ベストを尽くす。その努力が報われたとき、そこには大いなる達成感、喜びが待ち受けているはずだ。
 勝利を目指すことは、スポーツの目的の一つである。しかし、勝つことがすべてではない。競技を好きだと、楽しいと思える気持。ベストを尽くそうと努力する姿。そこにスポーツの本質があるのではないか。

2011年11月19日土曜日

平等な出席点を

今日の青森は予報通り、雨となった。授業があったので、傘をさして大学へ行くのは面倒であった。しかし、それほど寒くなかったのでそれだけでも救いである。土曜日は買い物などをする日なのだが、この天気では行けそうもなかった。明日も雨の予報なので、この連休は部屋でじっとしていることになるだろう。仕方がないが。用事を思い出したときに、どこへも行けないのだが残念である。
 今日の授業もほとんど寝てしまったが、遺跡の授業なのだが、世界遺産を見るために海外へ行く予定はありますか、という質問に対して、40%の人が行く予定があると答えているそうだ。私もそのうちの一人である。もちろん世界遺産を見たいところはたくさんある。アメリカのグランドキャニオン、エジプトのピラミッド、イタリアのコロセウム、・・・などなど。死ぬまでにすべては回りきれないだろう。なんともったいない。どうせならすべてを見て死にたいものだ。今日の授業で聞いたところといえばこれくらいだ。いかんいかん。

 授業でカードを機械に通して出席を取っているのだが、いつもなら授業の終わりにカードを通すのだが、今日は授業の始まりと終わりにカードを通すように指示された。カードを通して帰る学生がいるからそのためであろう。授業の初めにカードを通す機械を置いたら、カードを通して帰ってしまう。授業の終わりに機械を置いたらカードを通すだけために学生が教室に来る。それを防ぐためであろう。確かにちゃんと授業に出席して授業を聞いている学生と、カードだけを通して帰る学生の出席点が同じなのは不公平である。もう少し正確な出席をカウントする方法はないのだろうか。今日みたいに授業の初めと終わりにカードを通すというにはなかなかいいアイデアだ。出席を確認する教授が大変だろうが。学生が不公平にならないような方法が一番いい。

2011年11月18日金曜日

友達が大阪へ

昨日は外出していて、更新できなかった。申し訳ない。


 今日の青森は晴れて、寒かったが、気持ちのいい日となった。しかし、授業やサークル代表委員会の集まりがあったりして、外に行くことができなかったのが残念である。休日は雨の予報である。そこまで寒くはならないそうだが、雨はうっとうしい。


大阪、天満橋
 友人が来週大阪に遊びに行くそうだ。大阪か。私のホームタウンではないか。一緒に行って、街を案内したいのだが、そうもいきそうにない。12月に東京で合同企業説明会があるので、それに参加しようと思っているので、お金を貯めておかなければならない、残念である。
 大阪はとても楽しい場所だと思う。幸福度ランキングでは最下位であったが(笑)。私は最下位だと思っていない。むしろ素晴らしい街だ。しかし、その裏側で犯罪が多いのは確かである。ここ青森にいる感覚で大阪を歩くのは危険である。すりやひったくり、置き引きなど日常茶飯事である。電車内では痴漢の危険もある。あと変な人に絡まれることだ。声をかけてきたらきっぱり断らなければ執拗に迫ってくる。大阪で楽しむには犯罪に注意して街を歩くことが大切である。
 大阪のことを書いていると帰りたくなってきたではないか。青森は寒いし、今すぐにでも大阪に行きたい気分である。ここにずっといると、やはりここの空気に流されてしまいそうなのが私には嫌で仕方がない。あの大阪の活気を忘れてはならない。ガツガツ行かなければ。遠慮なんかしてられない。その友達には大阪の旅を楽しんできてもらいたい。

2011年11月16日水曜日

信じること

今日は授業がなかったので一日部屋で待機した。というのも今日も青森は雪であったからだ。しかもかなり寒そうである。下宿の廊下を歩くだけでも寒い。どこへも行く気がしなかったのだ。木曜日、金曜日、土曜日は授業なので、雪は勘弁してほしい。降らないことを祈ろう。
 部屋を片付けていたら、ここもやろう、ここもやろうと思ってしまい、一体どこまで片付ければいいのかわからなくなってしまった。いったんは終了したのだが、やっぱりここもと思って始めてしまったのだ。一体どこまでやればいいのだろう(笑)。区切りをつけなければい一生かかりそうだ。最近は片付けしかしていない。他のこともやらなければならない。


 
 最近、人と人との“出会い”について考えることがある。今まで当たり前のように学校へ通い、友達と話をしたり、遊んだり。そして家族との会話。小学校、中学校、高校、そして大学では、当然のように大勢の人が集まり、自然と知り合いや友達になっていく。今考えてみると、これがどれほどすごいことなのか。この世界には70億人もの人が存在している。そして数百の国がある。私は大阪から来た。ここは青森。一年浪人している。今通っている大学に教職課程があるのだが、私が入学した時に開設された。つまり私たちの学年が教職課程第1期生だ。教職課程がなかったら私はここ青森には来ていない。間違いなく教職課程のある大学に進学していた。はるばる大阪からここまでやってきた。そして、この地で多くの出会いがあった。これが当たり前と思ってしまうが、これが一体どれほどの確立なのか。
 “奇跡”という言葉があるが、まさにその言葉通りだと思っている。たまたま日本国に生まれ、たまたま平成元年に生まれ、たまたまこの大学にやってきて・・・・・。そう考えてしまえば、すべてが偶然なのだ。これは“奇跡”としか言いようがないではないか。もしかすると、この世で最も奇跡的なことは、人と人との“出会い”なのかもしれない。
 今までたくさんの出会いがあり、そしてこれからもたくさんの出会いがあるだろう。良い出会いも悪い出会いもあった。嫌いな奴もたくさんいる。もちろん好きな人もたくさんいる。良い出会いであろうが、悪い出会いであろうが、それは何かの縁があったから。
 好きな人から裏切られたこともある。それは悲しくて、切なくて、辛くて、苦しくて。今まで信じていたのに、ころっと手のひらを返すように。何がいけなかったのか、どうしてこんなことになってしまったのか・・・。答えはわからない。人を信じるということは裏切られることより辛いことなのかもしれない。人を信じるということは難しいことだ。なぜならその向こうに“裏切り”が潜んでいるかもしれないからだ。それならば人を信じるふりをしながら人と接しようか。それならば裏切られた時はショックも何もない。悲しみも何も。でも、それは決して楽しいものではないような気がする。なんてつまらない人生だろうか。そう思ってしまう。
 本当に大切な人と出会ったとき、この人なら信じれる、そう思う時がある。でもそんな時の裏切りがとてつもなく悲しみにひれ伏してしまう。奈落のどん底にたたき落とされる。しかし、本当に大切な人と出会ったら、私はいとまず信じてみたい。すべてを信じてみたい。何故なら本当に大切な人と思えるからだ。家族や親友、恋人、恩師などと“出会い”の中でも特別な出会いがある。その特別な“出会い”ならば私は何も迷わない。裏切られるのは怖い。怖くて怖くてたまらない。でも、疑いながらその特別な人と接するのは、それは決して特別な人ではないのではないか。特別な人だからこそ、すべてを信じ、すべてをささげる。「信頼」という言葉に虫唾が走るときもあった。でも信じることは本当に素晴らしいことだと思う。一人じゃない。信じることのできる人がたった一人でもいい。そばにいてくれたらどれほどうれしく、どれほど頼もしいことか。この人さえいてくれれば、と。
 “出会い”とは奇跡だ。さらに特別な“出会い”は生きてる間に何度もない。そんな“出会い”を私は大切にしたい。そして信じてみたい。どんなに辛くて悲しいことが待ち受けていようとも、私は信じる。もう一度言おう。なぜならば、それは大切な人だからだ。信じるというのは本当に素晴らしいことである。

2011年11月15日火曜日

雪降る青森

昨日体調を崩したが、今日8割がた治っていた。やや頭痛とお腹の調子が少し悪いくらいで、体のだるさは全くない。お腹の調子が悪いといってもほとんど何もない。やはり病気は気持ち次第だ。気持ちだけでも元気でいれば病気も吹っ飛んでくれる。よかったよかった。明日は完璧に治っているだろう。

 今日青森では雪が降った。少し積もるくらい降っている。しかもかなり寒くなった。本当に冬がやってきてしまった。勘弁してほしいものだ。まだ11月ではないか。そんなに急がなくてもと言いたいところだが、誰に言ったらいいのかわからない。とにかく今日は寒い一日だった。風邪をひいている人も多そうだ。私は辛うじて回避したが。再び体調を崩さないようにしたい。



 就職ガイダンスがあったのだが、最近は就職就職とそればかりが耳に入ってくる。12月まであと2週間である。もう就職という言葉は聞きたくない。この現実から逃げてしまいたいだけなのだが。日本では新卒採用がほとんどだ。転職するのはなかなか難しい。海外はそれほど難しいことではないのだが。大学を卒業をして、就職しなければすべてがだめになってしまうみたいだ。この日本にまかり通っているこの考え方が大嫌いである。ユーラシアタイル区を横断したノンフィクション作家の沢木耕太郎氏も言っていたことだ。日本の制度が変わるのを待っているわけにはいかないので、就活は真剣にやる。当たり前だが。日本は少し硬過ぎるのではないか。これでないといけない、こうでなければだめだ、と。もう少し海外の制度も参考にしてほしいものだ。

2011年11月14日月曜日

体調崩す

青森駅前にあるAファクトリー
 体調を崩してしまったかもしれない。昨日の23時ごろ、急に体がだるくなってきて、頭痛がして、悪寒がするようになった。大変だと思い、すぐに寝る準備を。本当に急に具合が悪くなった。これほど急にきたのは初めてかもしれない。昨日はふるえながら布団にくるまって眠った。夜中に起きることはめったにないのに、昨日は3回も起きてしまった。起きるたびに水分補給をしようと思い、お茶を飲んだ。今も体がだるいし、お腹の調子が悪い。明日中に完治してみせる。気持ちで負けてしまったら風がひどくなってしまう。気持ちだけでも元気いっぱいでいたい。体調を崩している時間はない。早く治そう。


 先日ボランティアに行ってきたが、その報告会を行おうと思い、行ってきたメンバーで集まって、いつ報告会をするか、どのように進めるかなど簡単に決めてきた。また集まらなければならないのだが、どうにかなりそうだ。やはり今の被災地の状況を伝えるのは大切である。少しでも震災のことを考えてもらいたい。被災していない私が言うのもおかしな話だが、復興にはまだまだ時間がかかる。それを一人でも多くの人に知ってもらいたい。この前の報告会は一人も来てくれなかったので、今回は少しでも多くの人に来てもらいたい。



 明日は青森では雪が降る予報が出ている。もう雪が降るのかという感じだ。雪が降れば自転車にも乗れなくなる。どこへも行けなくなるではないか。バスはあるのだが、交通費が高いのだ。駅前まで行くと片道500円もする。なぜそんなに高いのか。大阪から京都まで私鉄を利用しても400円で行けるのに。往復1000円は高すぎる。1000円交通費に出すなら他のことに使いたいものだ。雪はもう少し待ってくれないだろうか。青森でこの要求は不可能だろう。

2011年11月13日日曜日

本の紹介

京都、平安神宮
 今日起きたのが12時を過ぎていた。友達が起こしに来たのだが、この時間にびっくりした。一昨日寝ていなかったからか、目覚まし時計が鳴ったのさえ覚えていない。今日は仕方がないか。授業がなくてよかった。
 どこへも行く予定がなかったので、昼から部屋の掃除をした。大分部屋がきれいになった。よかったよかった。とりあえず、誰が来ても大丈夫だ。しばらくするとまた散らかってくるのだが。



 金曜日に、東京の友達から電話がかかってきたのだが、どんな本を読んだか教えてほしいとのことだったので、最近というか今年読んだ本をとりあえずここに書いておきたい。過去のブログで紹介したのももう一度紹介する。

『深夜特急1~6』 沢木耕太郎
『旅する力 -深夜特急ノート-』 沢木耕太郎
『明日のマーチ』 石田衣良
『約束』 石田衣良
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』 岩崎夏海
『私にできることは何だろう』 地球市民村
『17歳のための世界と日本の見方』 松岡正剛
『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』 リリー・フランキー
『卒業』 重松清
『人間失格』 太宰治

 とりあえずこのくらいにしておく。今読んでいる本が、太宰治の『津軽』だ。ここ青森にいるので、これだけは読んでおこうと思った。本はたくさん読まなければならない。まだまだ少ない。高校の担任の先生に言われたことだが、「学生時代に1トンの本を読め」と。まだまだ500キロも読んでいない。やることたくさんだ。遊びも勉強もすべてやる必要がある。この学生時代にすべてをやっておこう。

2011年11月12日土曜日

「過去のもの」ではない震災

昨日は更新できなかった。申し訳ない。


 日本はついにTPP参加を表明した。一日遅らせての決定であったが、そうきたかという感じである。発表を一日遅らせると聞いた時は、もしかすると参加しない可能性もあると思ったが、そのまま参加ということになった。日本がこれを機に、良い方向へ向かってくれればいい。



 今日は授業美であった。昨日はほとんど寝なかったので、今日の授業は完全に沈没していた。今日はしょうがない。いつも寝ているような気がするが。
 今日の青森は快晴であった。しかも暖かで、気持ちのいい一日であった。午後からは何も予定はなかったので、せっかく晴れているのだからどこか行こうと思い、自転車で駅前まで走って行った。自転車だと最近は寒いくらいであったが、今日は少し暑いくらいであった。もう少しすれば雪が積もり、自転車で走れなくなるので今のうちに走っておこう。また本屋で時間をつぶし、買い物をした。今日は散歩みたいな感じであったが、とても気分転換になったのでよかった。

 

 昨日はボランティア関係のホープシェアリングというのを行っていた。後輩たちが中心となって企画されたこの集まりは、震災のことをもう一度振り返り、そしてこれから私たちはどうして行くべきなのかというのを話し合うものであった。今回の震災が「過去のもの」として意識されてしまっているのではないかという話もあったが、もしかするとそうなかもしれない。私は5月、8月、11月と被災地へ入っているので、それほど過去のものとしてはとらえていないが、世の中がそうとらえているかもしれない。震災のこともあまりテレビでは報道されなくなったし、義援金集めをしている人も見なくなったし、計画停電もやっていなし、復興は進んでいるととらえられてもおかしくない環境である。私は被災地へ行くたびにまだまだだなというのを感じる。直接行かないとわからないことが多い。確かにこの震災を「過去のもの」としてとらえるのには早すぎる。もう一度あの時のことを思い出し、復興に近付けるようにしなければならないということを再確信した昨日であった。

2011年11月10日木曜日

TPP、どうなる

 以前のブログでも書いたが、ゼミの時間が眠たくて眠たくてしょうがないのだ。今日ゼミの授業があったのだが、頑張って起きて先生の話を聞いていたが、いつの間にか眠ってしまっていた。そして、先生の怒られた(笑)。怒られて当然である。先生のすぐ横で寝ていたのだから。今度からは体調を整えてからゼミの授業に臨みたい。


 今、TPPに参加するかどうかで日本が荒れている。私は正直参加すべきかしないべきかどちらが良いのかわからない。少なくとも野田首相は参加に前向きである。参加すると日本の農業関係の人が困難を強いられる。その対策として何かないのだろうか。その解決策がわからないままである。それを誰か説明してほしい。野田首相はその解決策があるのだろうか。もう少し説明をしてほしいものである。自分で調べようとしない私も悪いが。どうなるのか注目したい。



 今部屋の片づけをしているのだが、モノが多過ぎて片付けられなくて困っている。どこにどうやってしまえばいいのか。片付けてもまた散らかすのはわかっているのだが、とりあえずはきれいにしたい。整理するのは嫌いではないが、とにかくモノが多い。捨てるモノもない。どうしたらいいのか。なかなか前に進まないでいる。今日もこれを書き終わったら片付け作業に入るとしよう。一体いつまで片づけをしなければいけないのか(笑)。

2011年11月9日水曜日

次の旅へ

 今日は授業が休みの日だったので、午後から少し買い物に出かけた。駅前まで行き、本屋で時間をつぶしたりしていた。行くところいえば本屋くらいしかない。その他の買い物を済ませ、下宿に戻った。いつもの見慣れたところばかりしか行くところがないので、もっと他に違うところへ行ってみたいという気分になる。しかし、自転車しかない私には他のところに行くのは不可能に近い。面白いところが見つかるといいのだが。


ニューヨーク近代美術館(MoMA)にて
  本屋へ行くと最近は旅行の本ばかり見ている。1週間で人生が変わる旅であったり、初めての世界一周の旅であったりそんなモノばかりだ。日本では東京の本ばかりを見ている。そういえばこの前ボランティアに行ったときに、東京のO女子大学の物理を教えている先生と出会った。その先生も世界のあらゆるところに行っていて、話がとても面白かった。35歳という若さなのに、どうしたらそこまで経験ができるのか不思議なくらいであった。生きている間にアフリカには絶対行った方が良い、と言っていた。私も行きたいと思っているし、友達も今頃アフリカを旅している頃だ。今どこら辺にいるのだろうか。“長生きをするものは多くを知る。旅をするものはさらに多くを知る。”ということわざか言い伝えか忘れたが、その様な言葉があったのを思い出す。“日本”という狭い国の中でいつまでも居続けるのは息が詰まってしまう。海の向こうにはとてつもなく「大きなモノ」が待ちかまえている。自分のくだらない価値観をぶち壊すのにはちょうどいい。私もアメリカへ行ったが、世界の大きさに圧倒されてしまった。今までどれだけ小さな枠の中で物事を判断していたのだろうか。今最近、よくあんな遠いところへ行ったものだと思ってしまう。距離感がまた大きく感じるようになってしまった。何度も行けば近くに感じるようになる。大阪、青森間は近く感じるようになった。東京、青森間など近過ぎるくらいだ。日帰りでも十分。そんなことはどうでもいいのだが、世界を知ることはどれほど素晴らしいことか。そしてこの国がどれほど小さいか。どれほどつまらない固定観念にとらわれているか。やることがすべて終わったらどこか旅をしに行こう。就職が決まれば日本にいる必要もない。この若い時分に世界を見ておこう。必ず将来につながってくるから。次はどこへ行こうか。

2011年11月8日火曜日

片付け

 ボランティアに行っていたため、休日がなかったので、今日は火曜日だがもう疲れてしまった(笑)。ボランティアに行っている期間はテレビも音楽も読書もパソコンもできなかったので、授業が午前中で終わったので、午後から夕方までパソコンをしたり音楽を聴いたりして時間をつぶした。これで少しすっきりした。部屋が散らかっているので、少し片づけをし、このブログを書き終わったら続きをする。ボランティアでは自分の家ではやったことがないくらいにきれいにしようと思って掃除をしたが、自分の部屋はそこまで片付けようと思わないのはなぜだろうか。力になりたい、あの人のために、そう思えば体が動くのだろうか。自分の部屋もそれくらいきれいにしてみようと思う。いつまでも散らかしたままでは、落ち着きたくても落ち着くことができない。今日と明日できれいにしよう。


 もう11月である。今年もあと2カ月ということになった。信じられない。12月からは就職活動だ。逃げたくても逃げることはできない。就職EXPOが12月から全国で始まるそうだが、それにも参加してみようと思う。正直何から始めたらいいのかわからない。実際に参加してみて、周りの人は今こういうことをしている、というのを肌で感じてみたい。私はお気楽な性格なため、何かに刺激されなければ動かない。この性格も直さなければ。とにもかくにも、戦いは刻一刻と迫っている。
 

大阪城
 先日、大阪の友達からギターが送られてきた。その友達が使っていたギターである。新しいのを買ったのだろうか、ありがたいことにいただいてしまった。私は中学生の時にギターをしていた。音楽の授業でもギターの練習もあったし、中学生の時に長渕剛と出会ったし、ギターの教本と長渕剛のギター弾き語り全曲集の本も買った。家にもギターがあり、練習していたが、いつの間にか練習しなくなていた。受験とかで忙しかったのだろう。久しぶりにギターを触った。懐かしいという感じである。練習しなければギターがもったいない。またギターを始めてみようか。1曲でも弾けるようになればいい。またやることが増えてしまった(笑)。歌を歌うのが下手なので、歌も練習しなければ。

2011年11月7日月曜日

ボランティアとは・・・

 11月2日から6日にかけて宮城県登米市でボランティア活動をしてきた。2日の17時30分に大学を出発し、現地に到着したのが22時少し前くらいであった。その日は説明を受けただけで、そのまま消灯時間。3日は地域の交流会ということで、全員登米市のボランティアセンターで活動した。私の仕事は駐車場の整備ということで、車で来賓される方の車の誘導を行う予定だったのだが、仕事があまりなく、ほとんど何もしなかった。その他にもたこ焼きを焼いたり、バームクーヘンを作ったり、調理をしたり、受付だったり、様々な仕事があった。午前中はキッチンで調理の仕事を手伝った。そして駐車場の整理の仕事はなく、たこ焼きの手伝いをした。一体何個作ったかわからないくらい作り続けていた。本当は地域の方と交流したかったのだが、その日はそういう気分ではなかった。本当にもったいない時間であった。自分でも珍しいと思うくらいである。いつもならいろんな話を聞こうとするのだが、全く体が動かなかった。反省している。
 4日、5日は南三陸町にある中瀬町というところで、ある個人宅の家の掃除を手伝った。この家は1階が津波によって被害を受け、今リフォームしているという。リフォームといっても以前に戻すということだ。薬品を付けた雑巾で壁や天井、柱を拭いたり、家具をきれいにしたり、窓枠をきれいにしたり、掃除機でほこりを吸ったりした。私は窓枠をきれいにすることにした。しかし、これが思ったよりも大変な作業であった。刷毛でごみを払い、洗剤が入った霧吹きをかけてはブラシで磨いて雑巾で拭きとる作業だ。隙間のゴミをとるのが難しい。私は今回窓枠をきれいにすることしかできなかった。しかも二日かけて、ほんの一部の窓枠だけである。それでもそこに住んでおられるおばあちゃんが私に「ありがとう。助かった。」と笑顔で言って下さった。これだけしかできなかったという悔しさとおばあちゃんの笑顔が見られたうれしさが混じった複雑な気持であった。
 人一人を笑顔にすることがどれほど大変で、どれほどうれしいか、改めて実感させられた。ボランティア活動をするたびに、「ボランティアって何だろう」と考える。もちろん被災された方々の力になりたいと思って活動している。しかし、本当にそれだけであろうか。活動をして被災された方々の笑顔を見る。それを見た私も笑顔になり、嬉しい気持ちになる。そこでふと気が付くのだ。ボランティアは人のためでもあり、自分の為でもあるということを。自分のためにやるのはおかしい、間違っているといわれるかもしれない。しかし、ボランティア活動をして、被災された方々から勇気をもらっている紛れもない私がいる。もしかすると自己満足かもしれない。勘違いかもしれない。でも私はボランティアをするたびにそう感じている。ボランティアとは何だろうか。答えは私にもわからない。だからこれからも自分に問い続けていこう。

2011年11月6日日曜日

ボランティアを終えて

 ボランティアから帰ってきた。今回も素晴らしい経験をさせていただいた。しかしその反面、反省しなければならないこともあった。今回の活動については明日書きたいと思う。今は疲れていて休みたい気分だ。申し訳ないが今日はこれくらいにしておきたい。また明日から更新していきたい。

2011年11月1日火曜日

明日からボランティア活動

 そういえば、明日から日曜日までボランティアに行ってくる。なので日曜日までは更新できなくなる。申し訳ない。また帰ってきたらその報告をしたいので覗いてほしい。それでは明日、行ってくる。

特別支援学校見学

 さあ、今日から11月である。もう11月か。本当に早いものだ。年賀状の販売も始まった。クリスマス、年末年始と楽しい季節になるが、今年はどうだろうか。それほど楽しめるほど余裕はないと思うが。でも、楽しめる心の余裕はあるようにしたい。



 今日教職課程の一環で、前にも話をしたが特別支援教育の高校を訪れた。昼からバスに乗り、20分くらいで到着。まずはその高校の紹介をしてもらった。その後、実際に中を案内してもらった。やはり特別支援教育は通常の高校とは違う。クリーニング、家政、工業、農業、窯業、流通・サービスという授業がある。クリーニングは各種のクリーニング機械を使用してシーツやシャツ類などの洗濯やアイロン実習を行う。家政は、ミシンがけによる被服、こぎん刺しによる小物作りなどの実習。工業は、各種電動工具を使用し、木べらやコースターなどの制作実習。農業は、畑や温室を活用し、草花・きのこ・野菜栽培などの実習。窯業は、土粘土を使って、皿や茶碗、置物などを作る実習。流通・サービスは、販売・事務・清掃などの技能を身につける。どの授業もそうなのだが、みんなとても器用に作業をしていた。私がいきなりやってみろと言われたら、絶対にできないものばかりであった。私がたまにやっているアイロンがけでさえ、シャツをきれいにアイロンがけをしていく。私のアイロンがけがどれほど下手かがわかった。
 私が一番驚いたことは、特別支援といっているが、度の生徒も普通の生徒と変わらないことである。みんな楽しそうに勉強や作業をしていたり、挨拶をしてくれたりと何ら変わりない。どうしてこの子たちが特別支援という扱いを受けているのかが不思議なくらいであった。おそらくもっと彼らに接してみないとわからないことがたくさんあるのだろう。でも、私が今日見学させてもらった範囲ではそう感じた。
 その学校の寄宿舎も見せてもらった。基本は4人一部屋らしい。洗濯、掃除、貴重品の管理などすべて自分でやらなければならないという。すべて就職につながってくるのだそうだ。お風呂に関しても銭湯ほどではないが、大きな共同風呂があり、最初入学時で一人で入れる生徒は1割に満たないらしい。指導員が一緒に入ってお風呂に入り方を教えるのだそうだ。そうやって一つ一つ学んでいく。3年後、卒業した時に、保護者の方から「子供が変わりました」とよく言われるのだそうだ。
 普段なかなか見ることのできないところを見学させていただいた。「特殊教育は教育の原点」と言っておられた。その通りかもしれない。子供たちがやりたいことを引き出してあげるのが教員の役目である。目の前に子供に何ができるのか。“教育”とは何か。改めて考えさせられる一日であった。