2011年9月8日木曜日

「母」の存在

快晴が続く大阪。明日は天気が崩れる予報である。

昨日まで,『東京タワー -オカンとボクと,時々,オトン-』というリリー・フランキー著の本を読んでいた。1週間で読み終えたのだが,昨日の夜は涙,涙,涙で大変であった。だいぶ前からこの本は持っていたが,なかなか読む機会がなく,やっと読むことができた。内容には触れないが,この本を読むことにより,「母」の存在をもう一度考えさせられた。私にとって「母」とはどういう存在なのだろうか。そして,その「母」が今いなってしまえば,私はどうなるだろうか。
以前のブログでも書いたことがあるが,この世で一番大切な人は迷わず「お母さんです」と答える。私はなぜだかわからないが,幼稚園の時からそれは思っていた(記憶があったのは幼稚園から)。幼稚園のとき,私は母の横で寝ていた。幼稚園のときの私の将来の夢は医師になることであった。ある夜,私は泣きながら母にこう言った。「母さんが病気になったら,僕が絶対に治してあげるから・・・」。
私にとって「母」というのは,とてつもなく大きな存在で,最も大切な人である。しかし,いつの日かこの「大きな存在で最も大切な人」がいなくなる時が来る。それが今私が最も恐れていることだ。自分が死ぬことよりも恐れていることだ。どれほどあがいても,どんなに良いことをしても,「その日」は必ずやってくる。それは30年後なのか,10年後なのか,1年後なのか,それとも明日なのか。できることなら私は母の死ぬところは見たくない。母が死ぬ前に私が死のうか。いや,そんなことはできない。私が死んで,母が悲しむ姿は見たくない。死ぬことに順番はあるのか,年功序列はあるのか。ないとしても,親より先に死ぬのは私は絶対にしない。なぜならそれがこの世で最も親不孝なことだからと思っているからだ。
母親がいなくなること,今の私には想像できない。恐ろしくて,怖くて。今までどれほどの苦労をかけてきただろうか。何度も頭をたたかれ,怒られ,時には家を追い出されたこともある。母と話をするのが嫌で,ほっといてほしくなる時もあった。母の気持ちを知らず,言ってはいけないことも言ったことがある。そういえば,謝ったっけ・・・。
高校受験では,第一志望校に受からなかった。大学受験でもそうだ。しかもそれが2回も。母を安心させてやることなど今まで一度もない。「今度こそは」と思うが,それもどうかわからない。今までどれほどの苦労をかけ,そしてこれからどれほどの苦労をかけ続けていくのだろう。恩返しなんて私にできるのだろうか。何が母にとって恩返しになるのだろうか。
あまり面と向かって「ゴメン」や「ありがとう」は恥ずかしくて言えない。何が母にとっての恩返しかわからないが,これだけは事実だ。今まで苦労をかけてきて,そしてこれからも苦労をかけ続けていく。今までどれほどの愛情を私に注いでくれ,そしてこれからも変わらずどれほど私に愛情を注いでくれるのか。面と向かって言うのはもう少ししてからでいいかな。言わないといけないのは分かっているけど,やっぱり恥ずかしいや。でもここでは言うよ。「母さん,ごめんなさい。そして,ありがとう。」今度は私の言葉で伝えるから。

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