2011年9月2日金曜日

宮城県でのボランティア

台風が接近している。風もかなり強くなっている。今日の朝,雨が降っていなかったので,自転車で病院に行っていたのだが,やはり風が強くて少し危ないと感じた。昼からもどこか出かけようかとも思ったが,雨も降っていたし,傘をさしても危険だろうと思い,今日も家でじっとしていることにした。


今回参加してきたボランティアについて書きたい。8月21日から27日の1週間,宮城県登米市でボランティア活動をしてきた。今回は,私が青森で呼びかけた学生12人(私も含む)で,手配したバスに乗り,片道5時間弱ほどかけて登米市に向かった。今回のメンバー12人は,私が大学で報告会をしたときに集まってきてくれたメンバーである。本格的に活動するまでにかなりの時間がかかった。とりあえずメンバーには災害ボランティアとはどういうものなのか,実際に被災地へ行って活動してもらわなければならなかった。ボランティアというのを知らずには私の団体としても前に進めないからだ。
今回のボランティア団体は,宮城県登米市に本部のセンターを置き,その他に唐桑,小泉,歌津,河北にもセンターを置いているボランティア団体である。被災地での活動に関しては,登米市の本部が唐桑,小泉,歌津,河北に応援を回すという形で動いている。登米市本部では,地域支援,キッチン,フロア,総務,中瀬,番頭,メモっこ,女性支援,社協ヘルプという活動をしている。キッチンや番頭,総務に関しては,ボランティアする人たちを助けるボランティアで,ボランティアしている人を支える活動をしている。
私は,一日目は歌津,二,三,四日目は唐桑,五日目は総務の仕事をした。最終日以外現場の作業であった。一日目歌津では,ガレキ撤去が予定されていたが,天候が雨ということで,天井のあるところで,漁師さんが使う網のクリーニングというのを行った。網には綿ホコリがたくさんついているので,それを手で取っていく作業であった。思ったよりも網が大きく,地道な作業でかなり大変であった。雨が降っていたのでかなり寒く,あまり体を動かす作業ではなかったので,寒さに震えながら活動していた。朝の9時くらいから始めて,終了したのが午後3時くらいであった。仕上げられた網の枚数は5枚であった。10名ほどで活動していたが,たった5枚しかきれいにできなかった。まだまだ網はたくさん残っていた。
 二~四日目は唐桑というところでガレキ撤去を行った。二日目は,民家に残っているゴミの搬出と家の周りのガレキ撤去を行い,三日目は物置小屋のガレキ撤去を行い,四日目はほとんど手が付けられていない民家のガレキ撤去作業を行った。この唐桑というところは75センチメートルほど地盤沈下しており,昼過ぎになると海水が溢れてくる。気が付けばそこらじゅうが水浸しになってしまうところであった。ゴミの分別がかなり大変であった。プラスチック,木,金属,陶器,燃えるゴミなど分けなければならなかった。その分けたゴミをトラックの荷台に乗せ,集積場まで運んで捨てるという作業であった。今回はかなりの人数で30~40名ほどで活動していたため,作業がどんどん進んでいく。しかし,四日目のほとんど手が付けられていない民家に関しては,さすがに一日では終えることができなかった。いや,ほとんど整理できなかった。最終日の明日もここへ来て,この民家をきれいにしようと思ったが,その日のミーティングで明日はこの唐桑のガレキ撤去の募集がなかったのだ。そのことに「なんでだよ」という感情が湧きあがってしまった。「まだ始めたばかりなのに・・・」。次の日は下記の種付け作業に人を回さなければならなかったらしい。それにしても残念であった。
民家の周りや家の中をきれいにしていたが,これは解体するためにきれいにしているのである。家を壊すためにきれいにしていたのだ。その説明は最初から聞かされていたが,なんだか不思議な気持ちで作業をしていた。地割れも起こっており,「元」からやり直さなければ住めないらしい。なるほどと思う。壊すためにきれいにする・・・,それでも不思議な気持ちは残る。
最終日は先ほども書いたが,唐桑に行きたかったが,募集がなかったので,センターの総務という仕事をやることにした。いわば「受付」だ。ボランティア活動をしに来た方に説明をしたり,センター内部の案内をしたり,他のセンターからの電話に対応したり,質問に答えたり,という仕事であった。もちろん初めてで,作業が思うようにできなかった。
作業というのは,何度も繰り返しているうちに手際が良くなってくるものである。効率よく作業をしようと思えば,何度も繰り返す必要がある。今回,私はガレキ撤去中心に活動したが,毎日違う仕事をしようと思えば,できたのだがそうしなかった。様々な仕事をすることにより,自分のスキルアップにつながるかもしれないが,私は自分のためにボランティアしているわけではない。あくまで被災された方のためにボランティア活動をしている。そうなれば少しでも被災された方のためにと思うと,私はどうもガレキ撤去ばかりになってしまった。もちろんこれは私の個人的な意見である。せっかく覚えた仕事も次の日には違う仕事をしていては,もったいないような気がしてしまうのだ。自分でもガレキ撤去をしていて,効率よく活動できているのが実感できる。一日目よりも二日目,二日目よりも三日目というふうに。
ここでは様々な人との出会いがあった。活動いかんは人によって様ざまである。学生もいれば,高校生もいる,年配の方もいる。毎日出会いがあり,別れがあった。それはそれで本当に素晴らしい経験をさせてもらった。私が初めて災害ボランティアに参加した時では,学生10人が「チーム」として被災地に行く形をとっていた。被災地に行く前に東京で「チームビルディング」というのを行っていた。自己紹介をしたり,なぜこのボランティアに参加したのか,このチームの目標はなどというようなものをみんなで話し合い,被災地に向かう。5日間とも作業は同じであった。しかし,この「チーム」として活動することは,効率的にかなり良かったと私は思っている。テンポ良く作業が進む。見知らぬ人と作業をするのは少し気を使ってしまうこともある。しかし,チームでは気を使うこともほとんどない。今回,活動してみて思ったことである。
他のメンバーはそれぞれ自分のやりたい仕事をしていて,積極的に活動していたので安心して見守っていた。様々な人が来ていたので,あえて私はメンバーには話しかけなかった。様々な人の考えを学んでほしいと思ていた。というか私がたくさんの人と話をしていた。出会った人の数だけ人生が広がる。今回,素晴らしい方との出会いがあり,本当に来てよかった。
これから私たちの団体がどう活動するのかが次の課題である。やっとメンバーがスタートラインに立つことができた。活動の輪を広げていくにはどうしたらいいのか。いくつかアイデアは考えているが,もっともっとアイデアを出していきたい。ここからさらに一歩踏み出さなければならない。

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