2011年10月31日月曜日

ラジオ出演

 今日は11月2日~6日にかけて行われるボランティア活動の事前研修を行った。今回参加するのは全員で13名で、そのうち私の大学は11名である。2名はほかの大学から。そして初めてボランティア活動をするのが10名である。リピートも大切だが、初めて参加するのはもっと大切である。1歩踏み出すのだから。これほど集まるとは予想していなかった。本当にうれしい。今回も新たな発見ができたらと思っている。今被災された方々は何を思い、何を望んでいるのか。私たちの次の活動のヒントとなればいい。


8月下旬の宮城県気仙沼市
 先日、大学の事務局に行ったときに、事務局にいた女性の職員の方から、「ラジオ聞いたよ」と声をかけられた。私はその1週間前に、FM青森から取材を受けていたのだ。もちろん内容はボランティア活動についてだ。そのFM青森の方は、“ネットワークを図る”ということに興味を覚えたらしく、まず初めて文化祭の展示の時にご挨拶に来て頂いた。その文化祭の日に、また改めて取材に来ますという約束をしたのだ。ゼミ室を借りて、マイクと録音機が出されて、インタビューされる内容の紙が渡された。この紙をあらかじめ渡してくれていればよかったのにと思った。ラジオに出るのは初めてではない。夏休み前に、大学のサークルか何かの催しにださせていただいた。それは微弱な電波を利用するというもので、何やら法律上決まりがあるらしく、詳しいことはわからないがそれが初めてのラジオであった。その時も、行った岩田足の声をどれほどの人が聞いているのだろうと思った。さらに今回は、FM青森ということでより多くの人が聞いている。そのラジオ内容を作り上げるのは、インタビューする人と私の立った二人であるが、その先には何百人何千人という人が耳を傾けている。そう考えれば、声が出なくなってしまうほどの緊張感に見舞われる。話すないような何かを評論するわけでもなく、ただ私が今までやってきたこと、思いを語ればよかったので、批判されることはそれほどないはずである。取材は40分くらいで終了した。あっという間に終わったので何を話したかはほとんど覚えていない。とりあえず最後にラジオを聴いている人に向けてのメッセージをお願いしますと言われた。これは難しい。何と言えばいいのだろう。とにかく今ボランティアが不足している、まだまだやらなければならないことがたくさんある、是非ボランティアの参加をお願いします、というようなことを言ったような気がする。
 新聞でも私の名前が3回載った。そして今回はラジオだ。次は何かはわからないが、このボランティアを通じて本当にたくさんの経験をさせていただいている。新聞に私の記事が載った時も信じられなかったし、ラジオに出たことも信じられない。立ち上げ当初はそのようなことは思いもしていなかった。私が願っていることは、新聞を読んでいる人、ラジオを聴いている人が、私の声を通して、「よし、参加してみよう」「私もたやってみよう」、そう思ってくれる人が一人でもいてくれることだ。復興はまだまだ先である。一日でも早く、復興できることをひたすら願う。継続的な支援ができるようにしていきたい。
 私は自分が出ていたラジオを聞いていない(笑)。

2011年10月30日日曜日

最後の被災地へ

 今日は午後から買い物に出かけた。雨の予報であったが、曇りで降らなさそうだったので出掛けることにした。駅前まで生き本屋で時間をつぶした。久しぶりに本屋へ行ったような気がする。毎日でも行きたいのだが、私の下宿の近くに本屋がないのだ。1週間に1度くらいしか行くことができないのが残念である。その後買い物をして下宿に戻ってきた。


 11月2日~6日にかけて、私もふたたび宮城県登米市へ行き、ボランティア活動をすることになった。様々な学生が集まり、私がその学生方とコンタクトを取っていたので、私が行かないとなるとなんだか変な感じがしたので、やっぱり行くことにした。バスの定員ギリギリだが、どうにか行けそうである。もう少ししたら就活が始まるので、就活前に被災地へ行くのはおそらくこれが最後になるだろう。就活が始まれば、ここ青森でできることにも取り組んでいこうと思う。次の活動として11月に活動しようと決めたのは、文化祭前であったような気がする。その時はまだまだ先だな、と思っていたが、もう今週である。本当に早いものだ。うかうかしていられない。


 最近悩んでいたことは少し収まり、大分ましになった。よかったよかった。これで今週も張り切って生活ができそうである。人間は悩む生き物だ。悩まなければ答えが出ないときもある。悩んで悩んで悩みぬいて答えを出す。辛い時もあるだろう。しかし、そうやって人間は成長していくのではないだろうか。人生そう簡単にうまく行かない。苦しい、悲しい方が多いかもしれない。しかし、その苦しみ悲しみを乗り越えた先に掴む喜びやうれしさは、その苦しみ悲しみ以上のモノを感じることができるから人間はひたすらそのために走っているのではないだろうか。悩んで何も手に付かないときもある。しなければならないことがあるのに何もできない。やろうと思わない。それでいいのかは分からないが、それは仕方のないことだと思う。ときにはそんな時間も必要だ。悩んだ先にどんな答えが待っているのかは誰もわからないが、悩む時間も大切な時間である。

2011年10月29日土曜日

許して

 今日は土曜日であったが授業美であった。相変わらず眠かった(笑)。今日も青森は晴れて寒さもそれほどではなかった。これが続いてくれるといいのだが。



 1週間は早いものだ。あっという間に過ぎてしまった。何もしない1週間だったような気がするが。やるべきことをしっかりやらねばならない。
 今日は授業は午前中で終わったので、昼からは少し休憩をして部屋の掃除に取り掛かった。散らかっているので整理しなければならないのだが、なかなか気が進まない。あることを考えているので、集中できないのだ。これは参った。昨日も書いたがその悩みのことで、頭がいっぱいでこのブログもまともに書くことができない。申し訳ない。今まで子供のころから散々悪いことをしてきて、その罪滅ぼしとして様々な人に恩返しやその人のために何かを犠牲にして生きてきたし、自分磨きも欠かさず行ってきた。今回ばかりは神様に許して下さいとお願いしている。困った時の神頼み。まあ、そう言われたら仕方がないが。本当に今回だけは許してほしい。頼むから・・・・・。
 何を書いているのかさっぱり分からないかもしれないが、許してほしい。

2011年10月28日金曜日

悩み

 今日も一段と寒い一日であった。風邪をひかないようにしたい。



 今日はなんだかとても疲れている。あることに悩んでいるためである。「あること」な何かはここでは言えないが、とりあえず悩んでいる。この悩みを聞いてほしく、ボランティアで知り合った東京の友達I君に電話して、I君はどうしているのかを聞いてみた。羨ましい答えが返ってくる。人間関係悩みは付き物だが、私は今悩んでいることには大分苦手らしい。私の過剰な思いこみなのかもしれないが、かなり心配している。なるようにしかならないのが人生かもしれない。それならば仕方がない。人間関係、難しい。自分の思い通りにはいかない。そんなこと当たり前なのだが。もう少し様子を見てみようと思う。私の思いこみだと思うが。あーしんどい。

2011年10月27日木曜日

睡魔と闘うゼミ

 今日も寒い一日となった。天気が良かったのでまだ許せるのだが。明日も天気がよさそうである。



 ボランティアの件で今日も話し合っていた。思ったよりも人数が集まり、今のところ7人だ。後私たちのメンバーで行きたい人もいるんおで、それを合わせれば10人前後になる。夏休みに参加した時と同じくらいの人数である。何とか今回もうまくいきそうな感じである。最初は報告会に参加してくれる学生がいなかったので、心配していたのだが、模造紙作戦で乗り切れそうだ。他大学からも参加して下さり、本当にうれしい限りだ。来週出発である。そろそろ準備に取り掛からければならない。
 今日の5限(16時20分~17時50分)ゼミの授業だったが、少し眠ってしまった(笑)。しかも教授のすぐ横でである。ばれないように寝ていたのだが、やっぱりばれていた。最後らへんに何度も質問されて、全く聞いていなかったので、答えることができなかった。あいまいなことばかり言って乗り切っていた。しかし、今日は特に眠かった。毎回眠いのだが(笑)。私のゼミはほとんど教授の話を聞いて終わる。たまにあてられるくらいだ。この前は、アダムスミスの『国富論』を教授が朗読していたが、全く理解できない。教授が読むより、自分で読んだ方がまだよいのではないだろうかと思っていた。そのときも睡魔に襲われ、話を聞くどころではなかった。睡魔に勝てる方法を私はまだ見出していない。睡魔に連敗続きだ。どうしたらいいのだろうか。この答えはなさそうに思えるのだが。誰か教えていただきたいものである。高校の時、英語の時間に眠っていたら、頭を叩かれてびっくりしたことがある。その先生のあだ名は「術師」だ。その先生の話をまともに聞いて起きていられるのが不思議なくらいである。よくもまあこんなつまらない話を聞いていられるな、と当時の私は思っていただろう。本当は睡魔もぶっ飛ぶくらいに集中して話を聞かなければならないのだが。到底私には出来そうもなかった。今もそれが続いているようだ。いかんいかん、このままでは。授業を大切にしなければならない。

2011年10月26日水曜日

他大学からボランティア参加申し込み

 今日は一段と冷え込んで寒い一日となった。もう冬が来たという感じだ。またあの厳しい冬がやってくる。もう少し待ってはくれないものだろうか。


 今日は夕方に市役所の方まで出かけていた。私は横で話を聞いているだけだったので、ほとんど何もせずに終わった。助成金で少し問題になっていることを、私がお世話になっている方に今日市役所の方まで直接説明をしてくださったのだが、本当に様々な方にお世話になっていることを改めて感じた。私一人ではここまでやってくることができなかった。そしてこれからもそうだろう。様々な方にお世話になり、ご迷惑をかけ、そして応援して下さる。感謝しなければならない。それ以外何もない。本当にありがとうございます、と伝えたい。そして、これからもよろしくお願い致します。
 今、ボランティア募集しているのだが、また新たにメールをくださった方がいる。そのうち2名が他大学からのメールであった。本当にありがたいことだ。メールでもその感謝の気持ちを伝えたが、やっと他大学から来てくださったのだ。これを契機に、ネットワークが広がっていけばと思っている。頑張らなければ。


 
 また東京へ遊びに行こうと思っているのだが、なかなか行けそうにない。もう少しで就活が始まるので、そのためにお金を貯めておかなければならないし、プリンターが故障したため、それを買わなければならないし、私は今携帯電話なのだが、スマートフォンも欲しいと思い、そのためにお金がなければならないし、その他にもお金を貯めておかなければならない。東京の友達からは、いつ来る、と聞かれていたので、まだ分からないのが現状だ。まあ、冬休みになれば東京へは必ず行くのだが。といってもそれは12月。就活戦争が始まっている。その時どうなっているかわからない。ましてや大阪に帰れるかどうかもわからない。どうしようと考えるばかりだ。そんなに遊んでいる暇はない。少しは勉強したらどうだと自分に喝を入れなければ。今日はレポートをやらなければならない。遊んでばかりもいられないのが現状だが、ついつい遊んでしまう。自分に甘い証拠だ。後になって後悔しないようにしたい。

2011年10月25日火曜日

challenged

 今日の青森はあいにくの雨であった。最近雨が多い。晴れてほしいものである。まだあまり寒くないのが救いだ。


 来週教職課程の一環として、特別支援学校を訪れることになっている。普通高校の見学か、特別支援の学校かどちらか行きたい方を選べる希望制だったのだが、私は特別支援を希望した。特別支援の学校を見る機会がこれからもそうないと思ったからだ。来週お邪魔させてもらうので、今日は行く前の研修ということで、特別支援とは何なのか、その歴史、来週訪れる学校はどのような教育を行っているのかを少し調べて、みんなと意見交換をしたのだった。
 「障害者」と「健常者」という言葉があるが、私はこの言葉をあまりよく思っていない。明らかに区別しているからだ。例えば、車いすの方がいるとする。階段を上り下りする事ができない。そのとき、この方は「障害者」になるのかもしれない。しかし、そこにエレベーターがあれば、そこにスロープがあればこの方は誰の手も借りずに違う階へ移動する事ができる。目の不自由な方がいれば点字ブロックを。耳の不自由な方がいれば音声解説などを。このように単純にはいかないかもしれないが、それらの配慮があれば「障害者」は障害者でなくなる。「障害者」と「健常者」というふうに区別しているのは紛れもない我々「健常者」である。私はいつの日かこの「障害者」、「健常者」という言葉がこの世からなくなることを願っている。私たちは同じ人間である。区別する理由がどこにあるのか。
 私は今まで体に障害を持った方と生活を共にしたことがない。右半身体がマヒしてしまっている方なら私は長期休暇でいつも会いに行っているのだが。その方はこのブログでも何度か出てきているが、私の恩師である。小学校、中学校の時に主にお世話になったのだが、今もお世話になっている。右半身がマヒしているといっても、生活にはほとんど支障はない。今はご高齢ということもあって、歩くことが困難になってきているのだが、元気いっぱいである。ホームヘルパーの方がご飯を作ってくださっているのだそうだ。
 「障害者」は英語で何と言うか知っているだろうか。私もあるドラマを見て知ったのだが。「障害者」を英語で“challenged” という。この人ならこの壁を越えられるという神様から与えられた試練だ。何と素晴らしい言葉なのだろう。私たちが見習わなければならない。困難を乗り越える人、乗り越えようとする人は、本当に強い人間である。困難から逃げようとするのは我々「健常者」なのかもしれない。



 明日は授業はない日なのだが、市役所の方まで行かなければならなくなった。助成金の話なのだが、明日はよりによって寒くなる。面倒だが、行かなければならない。

2011年10月24日月曜日

浅虫水族館

 昨日は急きょ遊びに行くことになったので、更新できなった。申し訳ない。
 昨日と一昨日は雨だったので、どこへも行かないと思っていたが、出掛けることができて本当によかった。昨日は、浅虫を訪れていた。浅虫は駅は何度か通ったことはあるが、歩いたのは初めてである。新青森駅が開通する前は、特急電車で八戸まで行かなければならなかったので、その時に通るくらいであった。今回は車で浅虫まで行った。
 浅虫という町はあまり人がいなかった。少し寂しい感じである。浅虫水族館に行ったのだが、そこはかなりの人でにぎわっていた。水族館に行ったのは本当に久しぶりのことである。小さい時にしか行かなかったので、今は違う意味で楽しむことができた。魚やクラゲ、ラッコ、ペンギン、アザラシなどがいたが、どれもみんなかわいらしく、本当に「癒し」であった。イルカのショーも見た。6匹のいるかがいたが、素晴らしいパフォーマンスであった。何種類ものトレーナーの手振りを見分けている。イルカは頭が良い。私よりもイルカの方が頭が良いかもしれない(笑)。
 帰りに海沿いを歩こうと思ったが、雨が降っていて、風も強かったので歩くことができなかった。他にどこか行くところはないかといろいろ探したのだが、見つからなかった。仕方なく青森市に戻ってきた。青森にいられるのはあと1年半である。今のうちに訪れたことのないところに行っておかなければ、わざわざ青森まで来るのはなかなか難しい。今度はまた違うところへ行ってみたい。


 今日はボランティアの事後研修として、青森県の社会福祉協議会の方をお招きして、私たちの団体にアドバイスなどをくれたりした。夏休みに行ってきたときのことをもう一度振り返り、その時に感じたこと、そしてこれからどう活動していきたいかなどの提案をみんなで意見し合った。なかなかおもしろい提案があり、私もやってみたいと思った。私たちのメンバーが何度も被災地へ行くのは難しい。ボランティアも大切だが、授業も大切である。どちらが大切かと比べるわけではない。両方大切である。被災地へはまだ一度も行ったことがない学生に行ってもらい、行ったことがある学生はここ青森でできることをやるのが良い。もちろん被災地へ行くのに越したことはないが、なかなか難しい。ここでもできることはあるはずだ、と今日少し話しあった。11月の頭にもう一度被災地で活動をするが、その後はどうするのかということで、ここでもできることを探してみようということである。確かに、被災地で活動するだけがボランティアではない。身近でできることが必ずある。それを見つけていきたい。

2011年10月22日土曜日

寝てばかりの一日

 今日の青森は朝から雨となった。昨日から予想が付いていたので、どこへも行かなかった。明日も雨らしいので、おそらく明日もどこにも行かないだろう。うーん、息が詰まってしまいそうだ。やはり雨はうっとうしい。
 今日は午前中は部屋の掃除をいつもより時間をかけて行った。普段はきれいにしないところもきれいにした。本当は普段からきれいにしておかなければならないのだが。その後はゆっくりしていて夕方まで昼寝をしてしまった。先ほど起きたのである。疲れていたのかな。疲れるようなことはやっていないが(笑)。とりあえず洗濯をしなければならない。これを書き終わったら洗濯しよう。

 寝てばかりの一日だったので、あまり書くことがない。今日はこのくらいにしておこう。

2011年10月21日金曜日

オリオン座流星群

 

今晩はオリオン座流星群が見ごろらしい。今日は行くことができないが、昨日見てきた。5回くらい流れ星を見ることができた。流れ星は何度見てもロマンチックである。美しい。私も願い事をした。何をお願いしたかは秘密だが(笑)。本当にかなってほしい。仕事で疲れている人、嫌なことがあって悩んでいる人、忙しくてなかなか自分の時間が見つけられない人、今日は夜空を見上げてみてはいかがだろうか。きっと疲れている自分、悩んでいる自分がちっぽけに見えてくるだろう。もしかすると願いがかなうかもしれない。たまには夜空を見るのもいいかもしれない。
 私の実家大阪ではほとんど星を見ることができない。初めてこの青森に来た時に、星空を見た時は感動してしまった。なんてきれいなんだろう、と。オリオン座くらいしかわからないが、本当にプラネタリウムである。特に冬の星空は空気が澄んでいてさらにきれいに見える。昨日見た星空や流れ星を忘れないようにしたい。



 ボランティアの模造紙を張ったところ、それを見て連絡を取ってくれた学生が4人いたのだ。本当にありがたいことである。参加したいなー、ということであった。ぜひとも参加してもらいたい。案外模造紙にしたのが良かったのかもしれない。写真も貼ってあり、メンバーの写真があるので、それを見てきてくれたのかもしれない。一人4年生の方もいて、就活が終わったのであろうか、メールをいただいた。なかなかボランティアに参加するのも難しい。私が最初に参加した、東京の学生が立ち上げたボランティア団体なのだが、私が参加したプログラムで、補助金が打ち切られたらしく、現地までの交通費は各自で出さなければならなくなったらしい。そのため、そのプログラムに参加する学生が減ってしまったという。やはりお金がかかるとなると、どうしてもしり込みをしてしまうのだろう。私の団体もできるだけハードルを下げれるようにしたい。

2011年10月20日木曜日

ことばの力

 今日の青森は快晴。寒いのだが、とても気持ちの良い日であった。明日も晴れてくれるだろうか。



 今日新聞を読んでいて、たまたま見つけた記事があり、その文章がとても気に入ったので、それを少し書かせていただきたい。


   そのとき
   ことばは なすすべもなく立ちつくしていた。
   ことばは じぶんの無力を感じていた。

   ことばは がれきをかたづけることができない。
   ことばは おなかをみたすことができない。
   ことばは 電気をつくることができない。
   ことばは 病気をなおすことができない。
   ことばは 寒さをしのぐことができない。
   ことばは なにができるだろう。

   ことばは はなればなれの家族をさがした。
   ことばは ご近所のきずなをつないだ。
   ことばは やりきれない怒りをつたえた。
   ことばは 満開の桜の下でかわされた。
   ことばは 日々のくらしをとりもどそうとした。
   ことばは それでも忘れることはない。

   ことばは ひとびとの数だけある。
   ことばは ひとびとの日々の数だけある。
   ことばは 日々の気持ちの数だけある。
   ことばは この国のいたるところにある。
   ことばは ひととひとをつながなければならない。
   ことばは 過去を忘れずに伝えなければならない。
   ことばは 未来について語らなければならない。

   ことばは 語ることをやめない。


 毎日新聞創刊140年と書いてあった。今日は「新聞広告の日」らしい。言葉の持つ力を改めて感じる文章であった。言葉ができることとできないことがある。一体この言葉で何ができるのだろうか。日々何気なく話をしている。「以心伝心」という四字熟語があるが、言葉なしでもお互いの気持ちがわかり合える。それはそれで素晴らしいことである。しかし、やはり大切な言葉は言語化して相手に伝えなければならないと私は思う。ときには言わなければならないことを、押しとどめてしまう時もあるだろう。相手の反応を恐れてしまう。しかし、それでも言わなければならないときがある。たとえ傷ついてしまっても。言葉は時として人の命をも奪ってしまう凶器となることがある。反対に、人の命を救う力も持っている。私は言葉の力を信じている。もしかすると、私の言葉で救われる人がいるかもしれない。一歩踏み出してみようと思う人がいるかもしれない。何故なら私も言葉に救われてきたからだ。普段何気なく使っている言葉。もう少し、言葉について考えながら使ってみようと思う。

2011年10月19日水曜日

プリンター故障

 昨日は用事があって、授業が終わった後自転車で駅前まで行かなければならなかったので、帰ってきたのは1時くらいであった。そのため更新できなかった。


内容とは関係ない、広島の宮島にいたシカ
 最近私が使っているプリンターの調子が悪い。黒のインクの出が悪い。紙いっぱいを黒にして印刷してみると、しましまになってしまうのだ。レポートを印刷しようと思って、印刷してみるが、読めないほどである。このプリンターは大阪から持ってきたもので、私が小学6年生のころから使っているものである。そう考えればそろそろ買いなおしてもいい時期ではないかと思うのだが、最近様々なことにお金を使っているし、これから使わなければならないようになるので、少し貯めておこうと思っているので、プリンターまではなかなかお金が回らない。しかし、プリンターがなければ不便だ。今週電気屋さんに見に行こうと思っている。やはりあった方がいい。仕方がないが、今は買うつもりでいる。
 
 明日から私の好きだったNHKの番組、「ブラタモリ」が再び放送する事になった。第3弾ということで私もかなり楽しみにしている。この番組はタモリさんが東京の歴史や地形を探っていくという大変興味深いものである。タモリさんが訪れた場所を私も歩いてみようと思い、同じ所を今まで何度も歩いている。
 やはり自分が行ったことがあるところがテレビに映ったりすると親しみがわいてくる。興味が倍増する。行ったことがある場所ならば、後からそういう歴史や地形があったんだと思うし、行ったことがないところならば今度そこを訪れてみようということになる。ただ行くだけではつまらない。体で感じながら歩くのが良い。
 第3弾が始まるということで、約半年くらいやるらしいので、かかさずにチェックしたい。

2011年10月17日月曜日

レポート作成のため

 大学に行こうと思ったら、急に雨が降り出してきたので、折り畳み傘を置いてビニール傘で行くことにした。先ほどまで太陽が出ていたというのに、何だこの雨はという感じであった。大学まで歩いて10分くらいだが靴がびしょびしょになった。授業中は靴下を脱いで乾かしていた(笑)。
 

 今教職課程の授業で、「いじめ」について調べているところだ。今日その資料を作成しなければならない。さらにこの前の教職課程の発表をレポートのしなければならない。今日はやることがたくさんある。前もってやっておかない私が悪いのだが。「いじめ」については信じられないような事例がたくさん出てくる。その社会的背景や、心理状態、子、親、先生、第三者からの視点からも考える。明日その発表だ。ということで今からそれを調べなければならないので今日はこのくらいで終わらしていただきたい。またこの「いじめ」についても書いてみたい。

2011年10月16日日曜日

元気の出る唄を

 今日は雨という予報であったが、晴れたではないか。何だと思いながら、今日はどこへも行く予定がなかったので、部屋の片づけをしていた。衣替えが文化祭とかでなかなかできなかったので、今日やることにした。季節の移り変わりを感じる。もう少ししたらあの厳しい冬がやってくる。ここへ来て3度目の冬。おそらくここ青森で生活するのは4年。最初は「4年かー、長いなー」、と思っていたが、今は「あと1年半しかない」という気持ちになってきた。4回しか味わえないここの厳しい冬。今年の冬はどんな冬になるだろうか。



 先日、友達からCDを借りたのだが、アヴリル・ラヴィーンの「What The Hell」という唄がほしかったのだ。友達はうれしいことに4枚ほどアヴリルのCDを持ってきてくれた。なぜこの唄がほしいのかというと、この唄を飛行機の中で聴いたからだ。私が3月のアメリカ旅行から帰ってくるときに、たまたまこの唄と出会った。帰りの飛行機の中は、、緊張もなく、もう幸福のひと時で、映画「バーレスク」を3回観た。おそらくDVD発売前に3回も見たのは私くらいであろう(笑)。そして、飛行機が日本に近づき、音楽を聴こうと適当にチャンネルを回していた。ちょうど北海道の上空を飛んでいるときにこの唄が流れた。何とも元気の出る唄であった。20回ほど繰り返して聴いていた。あまり女性歌手の唄は聞かないのだが、この唄は気に入った。この唄を聞くと、その旅のことが思い出され、飛行機の中の至福のひと時がよみがえってくるのだ。洋楽もなかなかいい。自分にとって元気になる唄があればそれは素晴らしいことだ。自分の気持ちを代弁してくれて、苦しみや悲しみを歌ってくれていたらそれもまた素晴らしい。“Song is power” 「唄は力なり」と長渕剛は言っているが、その通りだ。元気の出る唄を、勇気の出る唄をこれからも歌ってほしい。
 そいえば今年の紅白歌合戦に長渕剛が出場するかもしれないという噂があるそうだ。ヤフーニュースで出ていた。今年の紅白のテーマは復興だろう。この復興に全力で力を注いでいる一人が長渕剛だ。復興ソング第一弾として「TRY AGAIN for JAPAN」を発表。この唄を被災地で被災された方1000人と大合唱。感動的であった。個人的にはあまり出場してほしくないのだが。あまりテレビに出ないので、出ない良さというものがある。もちろん出てくれればそれはかなりうれしいが。もし出場すれば2003年以来8年ぶりとなる。今後のニュースが楽しみだ。

2011年10月15日土曜日

眠たい授業

 昨日も書いたが、今日は土曜日なのだが授業がある日であった。2週間に1度のペースで午前中に行われる。この授業が何とも言えない授業なのだ。遺跡の授業なのだが、どうも起きてられないのだ。必ずと言っていいほど眠っている。寝に来ているようなものだ。これはいけないと思いつつも、あの授業を起きて聞いていろ、という方が難しいのではないだろうか。私は本を読んだり、寝たり、の繰り返しであった。パワーポインターを使うので、教室の電気を消してしまうので、余計に眠くなるのだろう。眠りやすい環境を提供してくれている(笑)。これはジョーダンとしても、しっかり授業を聞かなければならない。そういって再来週も寝ているような気がするのは気のせいだろうか。

 文化祭からもう1週間がたった。本当に早いものである。10月ももう半分が終わろうとしている。もう少しゆっくりと月日が流れてほしいと思う時がある。時間は待ってはくれない。今やるべきことをやっておかなければ。

 私とは全く関係ない話だが、母が私の高校の同級生だったOさんのお母さんとランチに行くと今日の朝メールが来た。このOさんのお母さんと私の母は仲が良いらしく、時々遊びに行っている。会うたびにわが子の話になるらしい。OさんはK大学に推薦か何かで授業料無料で大学に通っているらしい。何と親孝行なOさんだ。この前はエジプトのピラミッドを掃除しに行っていたという。次にどこかは知らないが、かなり危ないところに行き、紛争が起こっているところで死にかけたという話も聞いた。羨ましいほど世界を飛び回っている。それに引き換え私の息子はと私の母は言っているだろう(笑)。
 心斎橋の東急ハンズの前に集合らしく、どう行けばいいのか私に確認を取ってきた。「心斎橋でおりたらいいんやっけ」、と聞くのでその通りなのだが、それだと電車賃が230円かかる。その一駅手前の長堀橋でおりれば200円で行けるということを母に伝えた。一駅手前でもそれほど遠くはない。歩いて5分もしないうちに東急ハンズに到着できる。できるだけ安く行く方が良いだろう。結局どうしたのかは分からないが。
 心斎橋は繁華街なので、かなりの人だ。商店街は尚更すごい。心斎橋からその商店街を真っ直ぐ歩いて行くと、道頓堀に着く。えびす橋(通称ひっかけ橋)やグリコがお待ちかねだ。難波と言われる地域だが、私はあまり難波へはこない。どちらかと言えば梅田派だ。難波も楽しいのだが、アメリカ村など危険なエリアがある。ここへは私も立ち入らない。今まで1度しか行ったことがない。
 大阪の話をすると帰りたくなって来るので、このくらいにしておこう。

2011年10月14日金曜日

初心者に剣道を指導

 今日最後の報告会がある日であったが、今回も誰も来なかった。やはり宣伝の仕方が悪いのだろうか。すぐに次の対策を考え、文化祭で使った模造紙を1枚の半分を使って、私たちの活動をしてもらおうと考えた。その模造紙は来週からはってもらおうと思い、効果はあるかどうかわからないが、やってみようと思う。

文化祭で展示した模造紙
 サークルに新しい学生が入部し、その子は初心者である。初心者を教えるのは高校生以来である。高校生の時は私以外がほとんど初心者であったし、指導してくれる先生もいなかったので、私がみんなに教えていたのだ。今までは自分が教わる側だったので、教えるのはこれはまた難しい。どうしたら上達するのか、どういえばわかりやすいのか、など試行錯誤しながら教えていた。あれから教えたことがなかったので、今回久しぶりに教えたのだ。礼の仕方や、立ち方、座り方、構え方、足さばきの練習など、剣道で一番基本のことを指導した。これを教えるたびに私が幼稚園の時に剣道を始めたころのことを思い出す。いやいや練習に行っていたときもあった。休む言い訳ばかりを考えていたこともあった。本当にあの時は子供であった。あ、今も子供かもしれない(笑)。とにかく、少しでも早く上達できるようにこれからも指導していきたい。


 明日は土曜日だが、授業がある日だ。せっかくの休みと思いきや。しかも明日から天気が崩れる予報である。とりあえず笑顔で過ごせるようにしたい。

2011年10月13日木曜日

私の力、器

 最近青森では快晴が続いている。とても気持ちがいい天気である。夜になると寒くなる。風邪をひいたかもしれないといったが、それはもう治りそうである。よかったよかった。
 ボランティア募集の宣伝を他大学にしているのだが、今日でとりあえず青森市内はすべて回った。すべての大学でその宣伝をしておきますとのことで、宣伝は完了した。明日は私の大学で最後の報告会を行うのだが、誰か来てくれるだろうか。誰も来ないとなるとこれもまた大変なことになる。祈るしかないようだ。



 「しあわせ」とはどういうことを言うのだろうか。今日そのことについて考えていた。皆さんはこの「しあわせ」をどういう時に感じるだろうか。家族といるときだろうか、テストで100点を取ったときだろうか、空腹を腹いっぱいに満たしたときだろうか、あったかい布団にくるまっているときだろうか。人それぞれあるだろうが、私がこの「しあわせ」を感じるときはどういうときだろうかと考えた。私にとっての「しあわせ」は、他人をしあわせにしたとき、他人がしあわせになったとき、私は「しあわせ」を感じるのではないかと思っている。
 今まで私は誰かをしあわせにしたことがあるだろうか。それは自分ではわからない。私と関わった人に聞かなければならない。家族はもちろん、友達や先生、その他にも私と出会った人には、しあわせにはできなくても、「私」という人間に出会えてよかった、そう思ってくれるだけでもいい。そういえばこういう人いたな、と何年後かに思い出してくれるだけでもいい。そう思ってくれるように今まで生きてきている。
 できるならばアーティストのように、何千人、何万人もの人間をしあわせにできるのならこれほどうれしいことはない。私の好きな長渕剛も何万人もの人間をしあわせにしてくれている。私もそのうちの一人だ。彼がいるから生きようと思う。彼がいるから頑張ろうと思う。彼がいるから恐れずに前に踏み出せる。彼が生きる力を与えてくれている。それならば私も・・・・・。
 私は何万人もの人間をしあわせにできる力も器もない。それならば一人の人間でもいい。たった一人、たった一人の人間を私はしあわせにできるだろうか。たった一人の人間をしあわせにできる強さ、優しさを私は持っているだろうか。その答えはもちろんわからない。もしかしたらそれすらも私にはないのかもしれない。それが答えなら、これほど恐ろしく、怖いことはない。しかし、弱い私にも、一人の人間をしあわせにはできなくても、この両手で強く守ることぐらいはできるはず。そう信じている。そう信じなければ前に進めない。そうだ。私にもできる。

2011年10月12日水曜日

誰も来ない報告会

 はやり少し風邪をひいているようだ。悪寒がする。食欲はあるので、そこまで重症ではない。早く寝て早く治るようにしたい。


 今日ボランティアの報告会と、次の活動の募集を行ったのだが、誰もその会に参加してくれなかった。今日2回行ったのだが、どちらとも誰も来ない。これにショックを受けた。せめて2,3人くらいは来るだろうと思っていたが、それはあまかった。まさかゼロだとは。宣伝の仕方が悪かったのだろうか。文化祭の時も宣伝したし、掲示板のところにもチラシをはってあるし、1年生の教養の授業の始まる前に、その教授が特別に時間を取ってくれ、その報告会の宣伝をさせてもらった。しかし、誰も来なかったのだ。これは予想外のことが起きてしまった。まだ金曜日の報告会が残っているが、どうなるだろうか。他大学にも募集のチラシを持っていたところだ。どれだけの人数が集まるだろうか。

 

2011年10月11日火曜日

文化祭成功

 更新できずに申し訳ない。文化祭後も何かと忙しかった。


 文化祭2日目も1日目と同じで、私が一日中当番をしていた。2日目もたくさんの人に来て頂き、かなり嬉しかった。二日合わせて100人は来たのではないだろうか。これで私の団体のことを少しでも多くの人に知っていただく機会となった。次の活動につながることを祈る。
 しかしながら、私は今年の文化祭をほとんど楽しむことが出いなかった。何故なら二日とも当番をしていたからである。友達が出場するイベントもあり、見に行くから、と言っていたのだが行けずにかなり申し訳ないことをしてしまった。ほんの少しだけ、ESSサークルの友達の手伝いをしたくらいである。ESSサークルは今年もシュークリームとスウィートポテトであった。
 文化祭が終わったと思ったらもう次の活動に取りかかっている。学内の報告会だ。他大学の報告会は私たちの日程自体が合わないので、報告会はできないことになったが、私たちの活動の宣伝はしに行こうと思っている。直接話をしたいので、今日そのアポを電話で取ったのだ。明日うかがうことになっている。午前中に伺うのだが、午後からは報告会が2回行われる。メンバーが報告をするのだが、私も参加する。ここはやってほしいと頼まれたところがあるからだ。それがなくてもどのような報告をするのか見てみたかったので、全く問題はないのだが。
 忙しい忙しい。少し体調がよくないみたいである。風邪引きかもしれない。こんな時に風邪なんて引いていられない。早く治るようにしたい。

2011年10月8日土曜日

文化祭&最悪な日

 昨日は文化祭の準備などで投稿できなかった。申し訳ない。


 今日は文化祭1日目だ。朝9時30分に大学へ到着し、まだ準備できていなかったので、それを済ませた。10時からスタートであった。どれほどお客さんが身に来てくれるだろうかと心配していたが、思ったよりも多くの人が私の教室を覗いて下さった。写真や地図、活動内容、感想を書いた模造紙を熱心に見てくれていた。それだけでもかなり嬉しかった。私がお世話になっている教授や昔お世話になった教授、事務局の方、一般のお客さんなど様々な方が訪れてくれた。私に質問しに来てくれたりしたので、説明や感想などを話した。
 メンバーは他のサークルにも所属しているので、そちらの方に行かなければならず、私はほぼ一人で朝9時30分から終了する17時まで当番をしていた。昼ご飯も食べられなかった。友達がシュークリームとスウィートポテトを作っていたので、それを私の教室まで持ってきてくれと頼むと、3時くらいに持ってきてくれた。シュークリーム3つ、スィートポテト3つ、これが今日の私の昼ご飯だ。明日もそうなりそうな気がするが(笑)。

 話が変わるが、久しぶりに青森は晴れとなった。天気予報でも雨マークは一つもなかった。最近布団を干していなかったので、久しぶりに布団を干したのだ。干してから大学へと向かった。しかし、昼近くになると雲行きが怪しくなってきたのだ。あれほど晴れだと言っていたので、降らないだろうと思っていたが、急に降ってきた。結構強かった。10分くらいで止み、それ以降は雨は降らなかった。最悪である。取り込みに行きたかったが、当番を交代できる人がいなかったので、下宿に戻ることができなかった。結局布団を取り込むことができたのは19時である。しかし、その布団にカメムシが大量にくっついていたのだ。はたいたつもりだが、10匹以上部屋に入ってしまい、それを除去するのにかなり苦労した。雨にぬれるは、取り込むのが遅かったので、布団は冷たくなっているは、カメムシが大量についてにおいが残ってしまうはで、もう最悪だ。まあ、文化祭1日目は成功したので、とりあえず良しとしよう。明日も頑張りたい。

2011年10月6日木曜日

明日、文化祭準備

 今日の青森は、朝は雨が降っていたが、昼からは止み太陽が出てきた。明日も雨から晴れに変わる天気らしい。明日は文化祭の準備として、授業は休みである。展示の準備をしなければならないので、結局は行かなければならないのだが。まだ完成というわけではないが、もうほぼ出来上がっている。明日で完成する予定だ。文化祭が終わってからのことについての少し話をした。来週からは大学内で報告会を行うことになっている。私の大学では計3回だ。その次の週には他大学へも報告会ができたらと考えている。そのために、他大学の事務の方と話ができるように電話でアポを取って行こうという話をし、来週電話をしなければならないだろう。一息つく間もなく、次の活動が始まって行く。忙しいが、大変うれしい。前に進んでいる気がする。
 今は文境のことで頭がいっぱいである。今日もこのくらいにしておく。申し訳ない。

2011年10月5日水曜日

順調に

 今日は雨が降るという予報であったが晴れていて、気持ちがよかった。今頃の季節が良い。朝晩は寒くなるが、やはり晴れると昼間は少し汗ばむくらいである。今風邪をひいている人がたくさんいる。私のボランティア団体の中でもはやっているのか、風邪をひいている人が多い。体調管理は自分でやらなければならない。早く治るように祈っている。

 今週はボランティアの文化祭で展示するものを作っているため、朝9時に大学へ行くようにしている。朝9時と言うと1限目が始まる時間だ。今週は毎日この時間に行かなければならない。ほぼ毎日この時間に大学に行くのは1年生以来ではないだろうか。学年が上がるにつれて1限目に授業があるのは少ない。私は今学期は土曜日くらいである。朝9時に大学へ行き、18時過ぎまでは必ず大学で作業している。遅い時は19時や20時になることも。最近寝不足気味かもしれない。しかし、何かやることがあるというのはうれしいことだ。少し前までは機嫌が少し悪かったが、今は順調に進んでいるので、私としても楽しくやっている。
 今日も少しやらなければならないことがあるので、この辺にしておきたい。

2011年10月4日火曜日

異文化の授業

 昨日は友達と相談事をしていたりして更新できなかった。申し訳ない。

 文化祭の展示に向けて順調に物事が進んでいる。とりあえず文化祭は何とかなりそうである。一つ一つ、前に進んでいけたらいい。今は文化祭を成功させることだ。

国連本部にあった中国からの贈り物
 今「異文化の理解」という授業を取っているのだが、この授業こそが私がやりたかった勉強である。この授業がこの大学に入学して一番面白く、楽しみにしている授業である。今は発展途上国、とくにアフリカのことについて勉強している。先生の経験をもとに面白おかしく話をしてくださるので、こちらとしても大変楽しく授業を受けることができる。
 以前から、直接この先生とお話をしたいと思っていた。今日の授業で国連の話が少し出てきたので、私が今年の3月に国連本部に行ってきたという話を授業が終わった後で、先生に話をしに行った。そうすると先生も驚いたような嬉しそうな様子で話をして下さった。何で行ったの、と聞かれたので、社会の高校教師を目指しているので、国連本部には行っておかないとと思って行ってきました、と言うと先生は、JICAのことについて説明して下さった。教師が海外研修できるプログラムがあることなどを教えて頂いた。絶対に行きます、と私は言いました。今度はどこへ行きたいのと聞かれたので、私はインドと答えました。インドは良いよ、人生変わるよ、とおっしゃったので、私はますます行きたくなった。
 その後授業があったので、あまり長く話はできなかったが、今度はもう少したくさん話をしたい。

2011年10月2日日曜日

「強い人間」とは

 今日の青森は雨で寒い。なのでどこへも行く気がしないので、部屋でゆっくりしている。いや、ゆっくりしているほど余裕はないのだが、教職の課題やレポート、ボランティアの件についてもやっていかなければならない。今週、今月は忙しくなりそうだ。


 最近のブログで、私の力不足ということについて書いたが、その日以降やっぱり悩んでいる。その日は、自分を責めていて、それは今も続いているのだが、怒りにもなったりしている。自分の弱さに思わず下を向いてしまう。
 「強い人間」とは一体どういう人のことを言うのだろうか。私が思っている強い人はたくさんいる。長渕剛であったり、映画の007だったり、オバマ大統領だったり、尊敬する友人であったり、そして母であったり。みんな眩しく見えてしょうがない。私が理想とするものを持っている。
京都にとある店の壁
 重大な決断をするときには、どれほど迷っても苦しんでも周りから何と言われようとも、決断して前に突き進んでいかなければならない。そして責任である。例えば長渕剛ならば、すべてを自らが監督をする。照明であったり音響であったり舞台設計であったり何から何までだ。スタッフがミスをしても、それはスタッフが責められるわけではない。すべては長渕剛の責任だ。そうならないために彼は圧倒的なリーダーシップを発揮する。007もそうだ。どんな困難があろうとも、任務遂行のために命懸けで戦う。オバマ大統領もそうだ。国を背負って生きている。自分がこうだと言えばそうなってしまう。どれほど重い責任があるのか。
 「強い人間」の定義はなかなか難しい。うまく言葉では説明できないが、それぞれ思っている「強い人間」がいると思う。なれるならその人になりたいと思う時もあるが、それは不可能だ。なる必要もないし、自分なりの「強い人間」を思い描き、なれるように努力すればいい。しかし、私にはどうも思い描くことすら難しいようだ。ことの進め方もやり方も、決断しなければならないときはいつも曖昧な返事しかできない、メンバーには迷惑をかけ・・・。リーダー失格だ。逃げて逃げて、一体どこまで逃げ続けるのだろうか。一体いつ勝負するのだろうか。
 どれほど強い人間でも、悩みや苦しみ、迷いはある。人間は誰もが弱虫、寂しさを背負って生きている。そんなモノをぶち壊す力がほしい。破り捨てる力がほしい。前に突き進む力がほしい。もう逃げるのはやめにしたい。そろそろ腰を据えて受けとめてもいいんじゃないか。それで負けたらそれくらいの人間だったと、これもまた自分を発見できる。下を向いている目線を少しだけ上げてみようか。景色がよく見えるかもしれない。何か見えるかもしれない。勝負は始まったばかりだ。

2011年10月1日土曜日

三内丸山遺跡

 さあ、今日から10月である。ここ青森では最高気温が16℃で一段と寒くなった。体調を崩してしまう人がかなりいそうだ。私も気をつけなければならない。


金木 「斜陽館」
 今日は土曜日であったが、授業で、遺跡の授業なのだが、三内丸山遺跡に見学に行ってきた。私はこの三内丸山遺跡を訪れるのは初めてではない。2年前、私が1年生だった頃、大阪の友達がわざわざ青森まで遊びに来てくれたのだ。彼が来てくれたのは私が夏休みに入ったころだ。調度ねぶた祭りの最終日に彼が来て、ねぶたを見たり、夜の花火を見て楽しんだ。花火が終わった時はもうバスがなく、仕方なしにタクシーで帰ることに。しかし、幸運なことに、お金を張らた時に、運転手さんがおつりを間違えて千円多く返ってきた。ラッキーである(笑)。
 その次の日は、金木というところに太宰治の斜陽館があるのだが、そこを訪れた。電車に乗り換えるのがかなり大変であった。次の電車が来るまで1時間半くらい駅のホームで待っていた。そのホームがかなり古く、虫がたくさんいたので困った。しかし、その友達はベンチに横になって堂々と寝ていたので、それにも驚いた(笑)。行くまでがしんどかった。
 最終日に、三内丸山遺跡を訪れた。彼は歴史が得意で、ものすごい知識量である。私が青森にいなかったらわざわざ青森まで来ることはなかったし、三内丸山遺跡を見ることができて本当によかったとかなり喜んでいた。私もここへはもう来ることはおそらくないだろうと思っていたが、まさか授業の一環で来るとは思っていなかった。今日はボランティアのガイドの方が付いて解説しながら見学した。1度来たこともあって、そこまで楽しいとは思わなかった。見学したレポートを提出して、11時少し前に終わった。おそらくもう来ることはないだろう(笑)。
 そういえばその大阪の友達が来て2年もたつのか。本当に2年もたったのだろうか。ついこの間のことに思えて仕方がない。彼も今年が4年生で、もう卒業である。だいたい私の友達は今年で最後だろう。もうみんな社会人となるのか。学生とは何だろう。社会人とは何だろう。何がどう違うのか、わけがわからなくなってきた。私も社会人になる心構えはしておかなければならない。私も気が付けばこの年である(笑)。