2017年9月13日水曜日

ロッキー完結、そしてこれからも

 『ロッキー』シリーズをすべて観終えた。どれも本当にすばらしい作品であった。そしてどの作品も涙が出てしまった。どのシーンも心に突き刺さってくる。一つひとつのことばが重く伝わってくる。簡単にいってしまえば、どれもハングリー精神を取り戻さなければならない、初心に戻らなければならない、そういう作品なのである。そんな単純な内容なのだが、あれほどグッとくるものはないだろう。泣けて泣けてしょうがない(笑)。最初の作品からファイナルまで約30年あるが、時代の移り変わり、周りにいる人たちの移り変わり、そして自分自身の変化。そして最後まで決して変わらないもの。やりたいことを諦めたら、それは人生じゃないんだな。どれだけ苦しいこと、悲しいこと、辛いことがあっても、自分を信じ続け、少しでも前に突き進んで生きていかなければならない。戦い続けなければならない。人のせいにしていたってしょうがないんだ。それをロッキーは教えてくれるのである。ファイナルを観たとき、やっぱりロッキーは最初のときと全く変わっていないんだとそう思った。勝負ももちろん大切だし、勝ち負けも大切である。でももっと大切なものがある。それは自分に勝ちたいんだということである。世間がどういおうと、どれだけ笑いものにされようと、自分のやりたいこと、挑戦したいこと、自分の内に秘めたもの、それが人生だし、自分自身だし、それが大切なことなんだ。人生は楽しいこと、うれしいことばかりではない。むしろ、苦しいこと、悲しいこと、辛いことの方が多いだろう。そんなときに私はロッキーのように戦えるだろうか。打ち勝つ力を持っているだろうか。みんなそれがなかなかできないからロッキーに憧れるのだろう。そんな大きなことはもちろ私はできないが、もっと小さなところでは自分自身に正直でありたい。一つひとつのことばでもそうである。言うこと、言ったことに、嘘やその場しのぎのことば、一貫性のないこと、そういうのは言わないようにしたい。そういう人が多いから。ジョーダンを言ったりやったりするが。それが自分自身なのか、ウソで固めた自分なのか、私はそこは常に正直でありたい。悲しいこと、苦しいこと、辛いこと、悩んでいるとき、考え事をしているとき、私はロッキーを思い出すだろう。そして何度でも立ち上がってやろう、そう思えるだろう。ブチのめしてこい!!迷わず突き進もう、そう思える。他人なんかどうでもいい。周りの目なんかどうでもいい。私のことを浅はかな目で見ているヤツなんかどうでもいい。私のことをこういうヤツと決めつけているヤツ、影で悪口言っているヤツなんかどうでもいい。自分が自分であるために、私は正直であり続けたい。自分を失ってまで、偽ってまで、演技してまで、生きていくつもりはない。それは人生じゃないし、生きている意味がないから。そんなんで自分自身に勝てるはずもない。影で悪口言われたってそれがどうした。どっかで囀っているヤツらなんか自分と戦う以前の問題だ。そんな低レベルなヤツはFUCK OFFである。私も自分自身に勝ちたい。死ぬ一日前でもいい。自分に納得できればそれでいい。
 ファイナルのエンドクレジットでは、世界中からロッキーステップを訪れた人の映像が流れる。みんな両手を突き上げてロッキーの真似をしている。現実世界にそれだけ影響を与えているのだなあ。もちろん私にも。その中に、いつか私も入れる日を夢見ている。そして現実になる日を楽しみにしている。

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