昨日、『ロッキー・ザ・ファイナル』を観なおしていた。何度も言っているが(言ってしまうが)本当にすばらしい作品である。年を重ねたロッキーだからこそ、響いてくるものがある。全セリフを載せたいくらいだがそれは厳しいので、中でもよかったところを紹介したい。
ロッキーには息子がいるのだが、その息子に相談ということでまたボクシングをやろうと思っているのを伝えるシーンで、息子はもう年なんだからやめた方がいいよ、笑いものだよエゴだよ、世間に何を証明したいの?と言う。
ロッキー:“人生は一度きり”って。ボクシングをやろうと思う。年だからって挑戦をやめることはないだろう。胸を張って挑戦して何がおかしい?世間を気にするのはやめた。自分で考えるものだ。
ライセンスを発行してもらいに役所へ行って話を聞くのだが、ライセンスを発行してもらえなかったシーン。
ロッキー:俺の権利はどうなる?街でよくみかける“しあわせを追い求める”とか。俺の幸福の追求の邪魔をしている。人を呼びつけて散々審査して、やっぱりダメはないだろ?人の仕事の邪魔をしないでくれ。自ら挑戦しようとする人間を止める権利が誰にある?あんたたちにも胸に秘めた夢ってものがあるだろ。やることだけやらせて断る権利なんてない!夢を追い求める権利があるならその心意気を尊重すべきだ。年をとるほど失うものも多い。残ったわずかなものまで奪わないでくれ。
ロッキーのレストランで働くようになったリトル・マリーと俺はなぜボクシングをしたがるのだろうと相談しているシーンでリトル・マリーのことば。
リトル・マリー:あなたは人生の活力に満ちあふれている。みんな情熱をもっていても、その炎を燃やせるひとは少ない。でもあなたはその機会を得た。燃やすべきよ。昔もこれからもそれがあなたよ。他人に惑わされる人じゃない。世間にどう映るかより、自分の信じる道かどうかよ。これは自分の信じる道?自分がそうしたくてそうするべきならやらなくちゃ。戦うのがボクサーよ。
ロッキーの息子が父の存在を恨んでいると、みんな自分を見れば父を思い出すと、そんなの最悪だと言っているシーンでロッキーのことば。
ロッキー:お前はどこかで変わってしまった。人にバカにされても、平気な人間になり下がった。自分のふがいなさを“影にかすむ”せいにした。世の中バラ色じゃない。厳しくてつらいところだ。油断したらどん底から抜け出せなくなる。人生ほど重いパンチはない。だが大切なのは、どんなに強く打ちのめされても、こらえて前に進み続けることだ。そうすれば勝てる。自分の価値を信じるならパンチを恐れるな。他人を指さして自分の弱さをそいつのせいにするな。それは卑怯者のすることだ。お前は違う!自分を信じなきゃ人生じゃないぞ。
こんなことを言えるのは本当にいろんなことを経験して、苦しいこともつらいことも大変なことも自分で乗り越えてきたひとなんだなぁ。私がひとに何か言うことは、テキトーでいいって、である。チョー薄っぺらい!(笑)人ごと!(笑)この差はなんなんだ!(笑)自分の中身のなさが今明白になった(笑)。生きているのが恥ずかしくなってきた(笑)。笑いごとではない!!でも、ロッキーのことばを書いているだけで涙が出るんだなぁ。“人生ほど重いパンチはない”、この一言の意味の深さ、広さ。“人生”を乗り越えてきたひとだからこそ言える一言なんだなぁ。やっぱりロッキーは偉大なひとである。
スタローンとアーノルド・シュワルツネッガーの区別がたぶんできていない私でも、ロッキーって面白そうな映画なんだなと思いました。
返信削除ブラックな五右衛門の時もそうですが、SAMURAIさんのブログはそれを知らない人にも映画の面白さを伝えるのがうまいですね。
ロッキーのように、自分の夢をかなえるために努力ができる人と、フツーの凡人を区別するものって一体なんなんでしょうね。
例えば、世の中には同じものを食べて同じような生活をしている人でも、太る人と痩せたままでいられる人がいます。
人が太るかどうかについては1970年代から動物実験が行われており、すでに医学的な答えが出ているようです。単に運動習慣があるかどうかや、その人の意思が弱いとかいうことではなく、脂肪組織の量は性ホルモンによって調節されていて、肥満になるということはつまりその調節のしくみがうまく働かなくなった状態らしいです。
運動しないから太る・ジャンクフードを大量に食べるから太るのではなく、もともと太りつつあるから動かない生活を送ったり、過食するようになる、という順番の因果関係のようです。餓死に至るような永続的な飢餓状態を続けない限り、太る人は何を食べても食べなくても結局は太る、ということですね。
性ホルモンによって調節されているということは、結局は遺伝子によって左右される、ということです。その人の身長や手足の大きさ・寿命が遺伝子によって決定されているように。
脂肪組織ですら遺伝子の影響から逃れられないのなら、ロッキーのように夢を追い求めて努力するといった高次的な精神活動をするかどうかということも、もしかしたら結局は遺伝子が決めている可能性も考えられます。
ある特定の遺伝子が発現している人は、その発現の結果としてある種の蛋白質が体内で合成され、そしてロッキーのように夢を追いかけることができるが、そこそこの発現にとどまる大多数の人は、フツーの凡人生活を送る、といった具合に。
動物実験において、夢をかなえる行動をとるかどうか・それは何に左右されるのかという研究があるかどうか私はまだ知りませんが、その気になって探せばもしかしたらあるかもしれませんね。
もしあったらめちゃくちゃ興味深いでしょうね。どんな結果が出てるんだろう?
人間だって動物の一種ですし。
心理学的には、社会的に成功するかどうかは、IQや容姿といったことよりも、やり続ける力をもつことができるかどうかのほうが大きく影響するらしいです。で、肝心のやり続ける力をもてるかどうか・どうしたらその力を持てるかどうかについては、まだ明確な答えは出ていないようです。非常に残念です。
「夢を追い求められるかどうかは遺伝的にすでに決まっている説」がもし正しいと根拠なしに勝手に仮定した場合、ロッキーの両親・祖父母や、息子さんはどういう人だったんだろうって思います。SAMURAIさんが抜粋した、ロッキーの息子さんの言葉から想像するに、息子さんはおそらく、ロッキーほどにはその遺伝子は発現していないのかも。もったいない(笑)
映画のなかでは、家族について何か情報はあるんでしょうか?(笑)
私の偏見では、こういった夢をかなえるために頑張る的なストーリーの主人公は、男性のほうがなんだか多いような気がします。夢をかなえられる遺伝子は、常染色体上にあるのか、それとも性染色体上にあるのか…そんな極めてどーでもいいことを考えながら洗濯をして、今日一日が始まります。
Abbyさん、コメントありがとうございます。
削除文章だけで伝えるのはなかなか難しいところではありますが、
そうおっしゃっていただいて大変うれしく思います。
ありがとうございます。
スタローンとシュワちゃんはものすごく似ているし、全然違うんですね。
スタローンは元々映画少年で、若いときは演劇や舞台、俳優業をずっとやっていました。
そして29歳のときに観戦したモハメド・アリ対チャック・ウェブナーのボクシングの試合で感銘を受け、3日で脚本を書いたといわれています。
一方シュワちゃんはボディビルダー出身で、ミスター・オリンピアのタイトルを受賞している世界一の体を持った男です。
『コナン・ザ・グレート』など主演映画をやっていましたが、やはり『ターミネーター』で一躍有名になりましたね。
ハリウッド映画では英語の発音がけっこううるさく言われるみたいで、シュワちゃんはオーストリア出身でオーストリア語訛りの英語でしたが、この映画ではロボットということで逆にこの訛りの英語が不気味だったということで、逆手にとれたよかった例ですね。
スタローンは出産時に産科医が鉗針の扱いを誤って、顔面の左側の神経を傷つけられたため、言語障害を負ってしまったため、発音がよくなく、それでなかなか役をもらえなかったらしいです。
映画でのキャラクターのスタイルですが、シュワちゃんはマンガ的、スタローンは劇画的な感じがします。
シュワちゃんは人を殺すときはジョーダンを言いながら殺したりするシーンが多いので不真面目な感じで、スタローンは真面目に人を殺すのが多いですね(笑)。
この二人の違いは簡単に言うとこんな感じですね。
少し話は違うかもしれませんが、いつか忘れましたが、テレビで陸上選手がどの種目に最適なのかを、その選手を研究して、今までやっていた種目ではなく、違う種目の方が適しているという研究結果が出て、実際にその種目をやってみると、数回トライしただけでかなりいい成績が出て、選手本人もびっくりしていた、という番組を見た覚えがあります。
それを見て、科学の力は本当にすごいんだなぁ、と思いました。
自分に最適な種目、そしてそれに向かってどういうトレーニングをしたらいいのか、それがすぐに分かり、無駄なことが一切なく結果が出るということです。
これはすごいと確かに私も思いました。
でも同時に、疑問というか不安に思うのも事実です。
自分に向いていることと、やりたいこと挑戦したいことが同じとは限りません。
もちろん自分に適したものがわかればそこから興味を持つことは当然あると思いますが。
Abbyさんのご指摘があったように、もしかするといずれ“自分は夢を追い求められる人間か、そうではない人間か”というのがわかる日が来るかもしれません。
もし自分は夢を追い求められない、適していないと判別されたとき、自分が生きる意味、生きる価値、生きる目的、そういう生きていこうとする意志を奪い去ってしまう日が来るのではないかとも思っています。
人間は結果がわからないから努力するし、練習するし、勉強します。
もちろんその中でものすごく無駄な時間があります。
ものすごく遠回りすることがあります。
でもその無駄だった時間、遠回りしたことが自分を勇気づけてくれたりすることもあると思います。
科学が私たちの生きていこうとする力を奪い去ってしまうの日が来るのかもしれないというのが少し不安に思ってしまいますね。
私は詳しいことはわかりませんが、遺伝子の影響ってどれくらいあるのでしょうね(笑)。
病気になるリスクみたいなことで、よく遺伝子を用いられていますが。
それ以外もそうですが、多少は遺伝子の影響があるのは事実だと思います。
しかし、親が太っているから自分も太るんだ、とか親は頭が悪いから自分も頭が悪いんだ、というのもどうかと思ってしまいますね。
自分の今の結果を他人のせいにしてしまっています。
それはやっぱり良くないと思います。
極端ですが、一回で物事を覚えられる人もいれば100回やらないと覚えられない人もいます。
自分はどっちなのか。
100回やらないと覚えられないのならやはり100回やらないと始まらないですね。
そこでやる人はやるし、できないといってあきらめる人もいます。
その違いだと思いますね。
やる人はやるし、やらない人はやらないですからね。
その中で夢をかなえられる人とふつうの人との違いですが、私は“自分の好きなコト”がどこまで好きなのか、それが一番大きいのではないかと思っています。
自分の好きなことであれば、そのためなら何でもしてしまいますよね。
全然苦にはならないですよね。
それが一番の理由だと思っています。
ロッキーの息子が登場するのは5作品目とファイナルなんですが、こういう“やさぐれた”?感じなのはファイナルだけなんですね(笑)。
そのとき息子は周りの人から何でもかんでも、ロッキーの息子と呼ばれていて、それが本当に嫌だったんですね。
それを自分ではなく父であるロッキーのせいにしていた、ということですね。
ロックシンガーに矢沢永吉がいますが、彼はよく「金持ちになりたい」とそういう理由で歌手を目指したと言います。
しかし、もしそれが本当の理由だったらもうとっくの昔に終わってると思う、と言います。
その金持ちになりたいという理由の前提にやっぱり音楽が好きなんだ、というのがあると言っていました。
好きなことを仕事にしてはいけない、と言う人もいますが、そういうのも自分で決めるだけなんですけどね。
だから私も好きなことはいくつかありますが、どれもすべて中途半端なんですね。
映画が好きと言っても映画ライターや映画評論家になれるくらいの知識は全然ありませんし、長渕剛が好きというならば彼と同じようにギターを持って路上で歌うと思います。
しかし、私はそこまでいっていません。
悔しいですが、私の“好きなこと”はその程度のレベルなんですね。
でも私はもっともっと好きなことに関してはこれからも求めていこうと思っています。
好きなことはやめられないですからね(笑)。