2017年9月20日水曜日

いずれかになる表現

 この前、台風の影響かは知らないが0時を回ったくらいから、風と雨の音がうるさくなり、せっかく寝ようと思ったのにうるさくて眠れなかったのである。寝たり起きたりの繰り返しで、気が付けば5時になり、起きる時間になってしまった。出かける時間には太陽が出ていて、夜中の嵐はなんだったんだろう、という感じである。気がつけば、9月ももう後半である。早いものである。暑いといってももうそれほどでもない。このまま涼しくなるんだろう。そしたら冬だなぁ。寒いのは好きではないので、できればまだ暑い日が続いてほしい。

  以前から映画関係の話とかの中で表現について何回か話をしているが、やはり表現が強ければ強いほどインパクトがあるのは確かである。この前にも書いたが、そういうインパクトが強いものは悪影響を及ぼすから見せない方がいいとか、フタをしてしまえという流れになってしまいがちである。しかし、表現は良くも悪くも何かしらの影響がなければそれは表現として成り立たなくなってしまう。表現はいろいろある。誰かと話をすることも表現の一つだし、こうやってブログを書くことも表現の一つである。それによって周りに何かしらの影響を与えているはずなので、これも立派な表現の一つである。私はあえてそうしているわけではないが、いちいち極端な表現を用いている。友人などはよく知っているし、このブログでもそんな感じであるが、なにかしら言うことは汚いことばである(笑)。その方が内容に凹凸ができるから?、ある意味笑いにつながる?、など自分で良いように解釈しているが、どうせ表現するならおもしろく、心に残るように、インパクトがあるように、など考える。表現とはやはり良い意味でも悪い意味でも影響を与えないといけないので、その表現が激しければ激しいほど熱狂的になるし、反対にアンチが増加するし問題にもなる。私はそれはいいことと思っている。毒にも薬にもならないようなことであれば意味がないからである。そもそもそれは表現ですらないからである。そして毒にもなるか薬になるかはその人次第である。こういうのは予定調和が好きな人にはなかなか受け入れられないかもしれない。本当は言いたいのになかなか言えないこと、心の隅では思っていても口にできないこと、本当はそういうことなのにそうとは言わないこと、などなどそういうのを私は声を大にして言いたい。なぜならみんなどこかでそう思っているから、代わりというつもりではないが言ってみよう、そんな感じである。自然体が一番いいに決まっている。例えば、こういう仕事をしているからこういうことはできない、こういうことを言ってはいけない、など。もちろん言ってはいけないところなどTPOを配慮してのことを前提だが。無理してまで言いたいこと表現したいことを我慢してもそれはかえって自分によくない。健康的にも。演技していたっていずれその演技している自分に疲れてしまい、それがストレスになってくる。人間なのでなにかしら思うことは当たり前のことである。それを仲のいい友人でいいから、遠慮せずに言えばいいし表現すればいい。こんなこと言ったら周りはどう思うかな、とかそんなこと考えなくていい。大丈夫、みんなそう思っているから(笑)。最初は激辛ラーメンを作りたいと思っていたら、これだったら子どもが食べれないからもう少し甘くしようとか、ラーメンだけだったらラーメン嫌いな人は食べれないからお寿司も用意しよう、とか気が付けば最初思っていたものとは全然違うものになっていた、というのがよくある。こんなんでは意味がない。万人に受けることなんてこの世には存在しない。自分を受け入れてくれるひともいれば拒絶するひともいる。そんなの当然である。誰からも好かれようとしてもそれは最初から無理な話なのである。拒絶するひとがいれば、「うるせーよボケブッ殺すぞアホンダラ」と言って忘れたらいいのである。そんなことでいちいち気にしてもしょうがない。表現を抑えたとしてもそれは常に付きまとう。だから気にせず生活すればいいのである。そして言いたいこと、表現したいことをやったらいいのである。表現して薬になればいいかもしれないが、なにもならないより毒になった方がよっぽどマシである。

2 件のコメント:

  1. お疲れ様です。

    今回は表現についてということですが、最近、牛乳石鹸のCM(息子の誕生日だったがミスをした?部下を飲みにつれて行った。帰宅したら家族から冷たい視線を浴び、風呂に入っていろいろなことを洗い流す)をめぐって炎上した、というニュースがあったことを思いだしました。ちょうどその時、社食で一緒に昼ご飯を食べていた同僚とそのニュースをみていて、どう思うか話をしていました。

    正直、私は炎上する意味がよくわかりませんでしたね。
    たぶん、制作側の意図とすれば、社会の荒波にもまれながらも必死に毎日を生きている主人公が、純白の泡とほのかな香りで、一日の疲れを風呂場でそっと一人で癒す、といったことなんだろうな、と思ってました。
    私は全然アリだと思います。
    俵万智さんの、「ジャスミンの香りのシャボンを泡立てて 今日一日はなかったことに」という短歌が好きなのですが、このCMはそれと似ている感じがしますね。
    炎上は、主人公のとった行動に向けられたものらしいですが、
    別に彼は悪いことをしたわけじゃないし、仕事なんだからしょうがないだろーって思いますね。部下の人からすれば、主人公の行動はとてもありがたいものだったはずですし。
    SAMURAIさんはどう思いますか?

    世間の話題になったという点では、むしろ大成功なCMだったとも言えますね。
    世の中、いろんな表現・意見があっていいと思います。
    批判や文句の全くないテレビや新聞・ネットというのもなんだか変です。
    ただ、SAMURAIさんも指摘されているように、社会人としての最低限のTPOというか、倫理は持ち合わせたうえでの話です。

    「誰からも好かれようとしてもそれは最初から無理な話なのである。拒絶するひとがいれば、「うるせーよボケブッ殺すぞアホンダラ」と言って忘れたらいいのである。そんなことでいちいち気にしてもしょうがない。」
    とありますが、同感です。
    いちいちそんなの気にしていたら、心臓がいくつあっても足りません。
    もちろん、現実では上記のセリフは心の中で言うだけですが(笑)

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    1. Abbyさん、コメントありがとうございます。
      お疲れ様です。
      牛乳石鹸のCMが炎上しているというのは今初めて知りました。
      テレビを持っていないので、ユーチューブで拝見しましたが、私も炎上する意味が全くわかりませんでしたね。
      いいCMだなぁ、いい上司だなぁと思いました(笑)。
      いろんなものを抱えながら、背負いながら毎日の様々なものとの葛藤があり、それでもまた明日もがんばっていこう、そんなことを伝えたいものだと私は感じましたね。
      調べてみると、企業側としては、「家族や息子のことを大切に思いながらも、時に迷いながら、それでも前を向いて毎日頑張っている父親の姿を描いています」とのことみたいです。
      以前にも書いたかもしれませんが、最近放送コード?などなにかしらクレームだったり炎上だったりするのがあるので、製作側はこれを踏まえて作っていることは当然だと思います。
      この表現は大丈夫だろうか、とかこれはダメじゃない?とか、試行錯誤を繰り返して作られています。
      今回は映画ではなくCMなので、より多くの人、世代に見てもらい、好感を得なければなりませんから、製作側はかなりデリケートになって作っていると思います。
      今回のCMで文句を言っているひとは、よっぽどヒマなんだと思います(笑)。
      もちろん苦情を言っている人の意見をみれば、確かにそう言われたらそうかもしれないと思いますが、でもちょっと無理があるとも感じますし、そんなことを伝えたいわけないだろとつっこみたくなります。
      そんなことでいちいち反応していたら、なんでもかんでも苦情を言わなければないレベルです。
      今回CMということで、その中でも“挑戦した”CMだったと思います。
      もちろんある程度のクレームは覚悟で作っていると思いますが、表現としてギリギリのところを突いてきたと思います。
      炎上しているということは、その反対にそれだけ感動している人もいるということです。
      人の心を大きく動かすには、それだけ大きな表現が必要になります。
      もちろん繊細なものが人の心を大きく動かすことも当然ありますが。
      Abbyさんのおっしゃる通り、世間で話題になっているので大成功だと思います。
      ここまで大きな話題になると思っていなかった、とも思っているでしょう(笑)。
      昔ですがナイキ?のCMで、一切音声が出ずにひたすら映像のみを流すCMがありました。その中で出てくる文字にものすごく伝えたいこと、メッセージが心に飛び込んでましたね。
      音声がないだけ映像から必死に情報を得ようとして真剣に映像をみてしまいました。
      音声がないと目の見えない人が理解できないじゃないか!とクレームを言ってくる人がいるかもしれませんが、それはまた違う話になってきますね。
      でも言う人は何でも言ってきますからね。
      そんなひとは無視でいいです。
      俵万智さんの「ジャスミンの香りのシャボンを泡立てて、今日一日なかったことに」、いいですねー。
      嫌なことはなかったことで良いです。
      引きずっていてもいいことはありませんからね。

      最近こういう炎上みたいなものが多いですね。
      発信する側はこういうのにいちいち気にしなければならないのが大変だと思います。
      有名人が発言することに関してもなにかしら炎上しているみたいですが、もちろん不謹慎すぎる発言も問題ですが、一人間として思ったことを言うのは当然だと思います。
      じゃあ個人的な意見を言ったらダメなの?となってしまいます。
      こういうことを言って苦情、クレーム、炎上したらどうしよう、とそういう悪循環の中で物事を判断していると、そこからまともな判断ができるわけがありません。
      結局なにもできなくなってしまいます。
      その傾向が強くなってきていると感じています。
      ネットで騒いでいる人なんか全員知らない人なんだから、そのひとたちの意見をいちいち気にする必要はないと思いますね。
      私はやりませんが、ツイッターもそうです。
      話が脱線しますが、ツイッターの意味は“さえずり”で“つぶやき”ではないみたいですね。
      どこかのヒマなヤツがさえずっているような意見なんて聞いてもしょうがないです。
      どうせ知らない人なんですから。
      世の中どんどん抑えつかられて、厳しくなって、息苦しくなりますね。
      その押さえつけの反発がどこかで出てくると思います。
      前にも書きましたが、押さえつけても逆効果だと思います。
      いい意味で、もう少し風通しを良くしてほしいですね。

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