2011年3月8日火曜日

ネット依存

 今日は忘れかけていたメールが届いた。それは以前にもこのブログでも書いたのだが,東北学生剣道連盟に加盟したいというメールを送り,教えていただいたメールアドレスが間違っていたので,もう一度確認してほしいともメールを再度したところ,無視されていたのだ。その返信メールが今日届いたのだ。やはりこの前教えていただいたメールアドレスは間違っていたようだ。それならもっと早く教えてくれればいいのにとも思ったが,返信をいただいてうれしかった。返信が来ない間,どうしようかと迷っていたところだ。返信が来ないうちに大阪に帰ってきてしまったし,もう一度メールすると迷惑なので,遠慮していたのだ。とりあえず何とかなりそうな気がしてきた。


 この前,テレビで「ネット依存」ということに関して放送していた。現代ではコンピューターが必要不可欠な時代となった。そこで浮き上がってきたのがこの「ネット依存」問題だ。これはネット上の友達ができて,現実よりもこのネットの世界の方が居心地がよく感じられ,このネットの世界に自分が自分のすべてとなってしまうことを言うのだ。
 なぜこのようになってしまうのか。現実で苦労し,この悩みを聞いてくれる人が周りにいないことから始まる。こんなに悩んでいるのは私だけだ,なぜ私だけがこんなに悩まなくてはならないのだろう,などと感じているとき,ふとネットをのぞいてみると,同じように悩んでいる人が何千人何万人といるではないか。しかも悩みを言うとその返事が返ってくる,励ましてくれる。これほどうれしいことはないように感じられるのであろう。悩んでいるのは私だけではないのだな,と気が付く。それで終われば何の問題もないのだが,そこからどんどんネットの中に入り込んでしまうのだ。一つ問題は解決したら,また一つ問題が出てくる。そこでも登場するのがネットになる。もうネットから抜け出せなくなってしまう。
 そのネット依存から信じられないような問題が多発しているのだ。自分の家族よりも,そのネット上の友達を優先してしまい,やらなければならないことがどんどん先送りになってしまっている。子供の世話もネットの友達に返事が終わってからだ。さらにはネットのゲームでも問題がある。子供を育てるゲームがあるらしいのだが,そのネットの子供を育てるのに夢中になり,現実の子供の世話をしないがために,子供が亡くなってしまった,という話が韓国であるらしい。そんなバカな話があるのか,と言いたくなるのだがこれは現実で起こっているらしい。
 今ではツイッターなどと常に携帯やパソコンに向かっている人が多い。楽しむのはいいが,現実と入れ替わるのはどうかと思う。自分の居場所をネットの世界に見出してしまうと,そこから抜け出すのは難しい。もちろん悩んでいることを誰かに聞いてもらいのは分かる。その解決の手段としてネットを利用し,問題解決できるならばそれは素晴らしいことだ。しかしそれ以上のめり込んでしまうのはどうだろうか。現実とネットの世界を入れ替えてしまうのは,私はよくないと思う。こんなことを言うと,「お前に何がわかるんだ」と言われてしまうかもしれない。現実でも自分の居場所はあるはずだ。悩んでいるのは自分一人ではない。人は皆,寂しさ,辛さ,弱さ,を背負って生きている。それはただ単にネットに逃げているだけだ。逃げていると何も手にすることはできない。苦しみとも向き合う必要があるのではないか。もしかするとそれは思ったよりも苦しくないのかもしれないのだから。

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