2011年3月31日木曜日

中学校,離任式

  つい先ほど,私が3年間通っていた中学校に行ってきたところだ。というのも今日離任式があったからだ。私が3年間お世話になった英語のS先生が今年度をもって他校に転勤されたのだ。
 朝の9時過ぎに母親からメールがきたのだが,「今日中学校で離任式あるそうやで」と。その時私は寝ていたので,これは行かなければならないと思い,まずは何時から式が始まるのかを中学校に電話してみた。しかしもう式は終わりますという返事が返ってきたので,これはまた急いで支度をし,自転車を暴走させたのだ。
 学校に着いて,すれ違った方に離任式はどこでやっているのか聞くと,「つい先ほど終わりました」とのこと。それではS先生はどこにいるのかと聞くと,「もう行かれました」ということであった。これにはがっかりしたが,後ろを振り返ると,私が3年間お世話になり,中学1年生の時に担任をしていたN先生と出会った。先生も私もびっくりし,驚きながら握手をした。何年ぶりの再会であろうか。久しぶりすぎて本当にうれしかった。私は今何をしているのか,などと近況報告をし,今中学はどうなっているのか聞いたりしていた。このN先生も来年くらいには転勤するかもしれないということである。私が通っていた時で,まだ残っているのはこのN先生だけとなってしまったそうだ。それもそうだ。私が卒業したのは5,6年ほど前なのだから。S先生はどこの中学に転勤されたか聞いた。天王寺というところにある中学校だそうだ。今度また行ってみますということをお伝えし,N先生は「また来てな」と言ってくれ,お別れした。

 N先生やS先生にはかなりお世話になった。今思えば私はまだまだ子供で,馬鹿なことばかりしていて,何度も怒られたことを覚えている。このブログによく登場する東京の友達とふざけていて,ドアのガラスを割ってしまい,S先生に怒られ,弁償したのを覚えている。その弁償したお金の領収書が確か卒業アルバムに挟んだような記憶があるが,どこにあるだろうか。先生の事を嫌いになるときもあったが,今は素晴らしい思い出。N先生もS先生も大好きだ。
 私は教師を目指しているが,教え子を卒業させ,再び会いに来てくれるというのはどのような気持ちなのだろうか。もちろんうれしいに決まっているだろうが,それがどれくらいであろう。今日のN先生のの驚きの顔を見ると本当にうれしそうであった。仕草も全く変わっていなかった(笑)。いやー,懐かしい。

2011年3月30日水曜日

理科実験大成功

 昨日言っていた理科の実験は大成功であった。最初は子供たちが喜んでくれるか心配であったが,何の問題もなかった。めでたしめでたしという感じである。
 実験をする前に,「光」についての説明をした。どうやって私たちにその光が伝わるのか,子供たちにわかりやすくかみくだいて説明。これもなかなか難しいことだ。私たちのような大人が当たり前に理解していることでも,子供たちはさっぱり理解していない。それをどうやって伝えるのか。今大人気の池上彰さんではないが,こちらとしても勉強になる。
 そのあとに,偏光フィルムがついてある紙コップを2つずつみんなに配った。この偏光フィルムつき紙コップを作るのも苦労したのだ。前日に,紙コップ50個の底に,一つずつ直径3センチメートルくらいの丸い穴をあけて,その穴の大きさに合わせて偏光フィルムを切って,そこにセロハンテープで張り付けていったのだ。そして偏光フィルムと偏光フィルムの間に挟むビニールシートも,その紙コップの底の大きさに合わせて切っていった。かなり時間がかかった。
 まずは何も挟まないで,偏光フィルムがついてあるコップを2つ重ねて,片方のコップを回しながらのぞいてみるように指示をした。明るくなったり真っ暗になったりするのが見えるのだ。これは偏光フィルムはある一定の光しか通さないからである。しかしコップを回すことによって通っていた光がとおらなくなり,暗く見えるのだ。それが繰り返されて,明るくなったり暗くなったりが続く。
 今度はその二つのコップの間に,ビニールシートを挟んでみる。このビニールシートは私に家にあったものなのだが,ゴミ同然のように扱われていたものだ。捨てようかと思っていたものなのだが,今回の実験で使えるかもしれないと思い,材料にしたのだ。
 それを挟んでコップを回しながらのぞいてみると,様々な色に変化していくのだ。これが何とも美しい。ピンクや紫,赤,青,緑などと言葉で表されないような色が出てくる。これに子供たちはビックリして大騒ぎ。私が説明していても全く話を聞かなくなってしまった。これは光がまず,1枚目の偏光フィルムを通る。そして障害物のビニールシートにあたったときに,光の振動方向がいろいろに曲げられて,2枚目の偏光フィルムを通るときに,光の量が変わり,模様がついたりさまざまな色がついたりして見えるのだ。
 この実験は大成功であった。子供たちの喜ぶ顔を見ることができて,苦労した甲斐があった。昨日で今回の春の授業は終わりである。最後にふさわしい?授業であった。私も楽しむことができてよかった。またやってみたい。

2011年3月29日火曜日

大学開始日遅れる

 昨日ブログでも書いたが,買いすぎた偏光フィルムを返品しに行った。返品できるかどうか心配であったが,大丈夫であった。お金もちゃんと返ってきたのでよかった。
 理科実験は昨日オーケーをもらい,今日行う予定だ。光についての勉強なのだが,私は理系ではないのであまり詳しいことは分からない。そこで理系の兄がいるので,昨日光について質問してみた。兄は理系といっても化学の方なので,専門ではないがやはり詳しい。かなり参考になり,それを小学生がわかりやすいように解説していかなければならない。たった50分の授業なのだが,片づけなども考えなくてはならないので40分くらいしか授業できない。作業や解説などしなければならないので,時間的にはぎりぎりなのだが,上手くやりこなしたい。


 昨日青森の友達からメールがきたのだが,地震の影響で下宿の部屋のものが倒れていたというものであった。その友達は五所川原というところに住んでいるのだが,そろそろ青森の戻るということで荷物を置きに行ったそうなのだが,部屋がそうなっていたらしい。そのメールにはドキッとし,私も心配になってきたのだ。部屋には大切にしているものがたくさんあるからだ。まずは冬に購入したコンポだ。1ヶ月も使っていないので部屋に転がっていたらどうしようか。その次にメガネやサングラスだ。数本は持って帰ってきているが,残りのものがある。すべて持って帰りたかったが,荷物の関係であきらめなければならなかった。これは困ったことになった。ドアを開けてからのお楽しみと言うことになった。全くお楽しみではないが。

 地震の影響で,大学の授業再開の日が少し遅れた。14日からということであったが,その前に定員のある授業に関して登録をしなければならないということで,もう少し早まった。最初は10日ほど遅くなったのが結局1週間しか開始日が遅れただけになる。他の大学では5月から授業するというのが結構あるが,東北地方の学生を中心とするわが大学では,1週間遅くしただけで何か変わるのだろうか。学生は全員無事であったということは分かったらしいが,もしかすると家をなくした方,家族に不幸があった方,友達をなくした方,がいるかもしれない。5月からだとまだ時間はあるので,もう少し気持ちに整理がつくかもしれないが,1週間延ばしただけでは気持ちの整理もつかないのではないかと思う。大阪は申し訳ないくらいに何もないので,勝手なことは言えないが。大学からの情報も欠かさずチェックしておきたい。

2011年3月28日月曜日

偏光レンズを使って実験

 昨日も投稿できなかった。申し訳ない。
 昨日は前のブログでも書いたように,理科実験を何にするか考えていた。それでそのために必要なものを買いに行っていたりした。そのあとには剣道の練習に行くなど,忙しい日であった。
 理科実験は結局,インターネットでどれがいいか調べ,できるだけ簡単で楽しいものを選んだつもりだ。それは偏光レンズを使った簡単万華鏡というものである。そのインターネットを見た限りでは何もわからなかったので,一回作ってみることにした。それで偏光レンズを買いに東急ハンズまで自転車を走らせ,買いに行った。それほど高いものではないだろうと思っていたが,縦横25センチメートルで945円もしていた。これにはびっくり。しかも大きさがそれしかない。試しに作るには大きすぎる。理科実験を何にするかを今日月曜日までに決めなければならなかったので,もうそれにするしかないと思い,思い切って買ってみた。しかしその時寝ぼけていたのか,生徒は21人いるのだが,本当は偏光レンズ1枚でいいのに,計算間違いをして3枚も買ってしまった。その計算間違いに気が付いたのは,家に帰って実験の準備をしている時であった。「あれ,何かおかしいぞ」と(笑)。今日返品できるか東急ハンズまで行ってみようと思う。
 その偏光レンズを使った万華鏡は思っていたよりも楽しいことが分かった。その偏光レンズに関しての知識はまだあまりないので,ここでは説明できないが,なかなか面白いものだ。火曜日までには説明できるようにしておかなければならない。2枚に偏光レンズの間に,セロハンテープを何枚か貼り付けたものを入れてのぞいて片方の偏光レンズを回してみたり,CDケースを間に挟んでのぞいて片方の偏光レンズを回してみたりすると,これは不思議。なんて美しい模様が見えるのだろう。これには自分でもびっくりし,実験の準備は後回しになってしまって,様々なものをのぞいていたのだ。子供たちが喜ぶかはわからないが,この準備をするのに苦労しているので喜んではほしいが。
 この実験をするのは火曜日なので,私も楽しみだ。その前にこの実験が採用されるかわからないが。通らなかったらどうしようか(笑)。今の私にはこのアイデアしかないぞ。

2011年3月26日土曜日

バイト始まる

 昨日,一昨日と投稿できなかった。申し訳ない。一昨日はさすがにアメリカ旅行で疲れていたのか一日中寝てしまっていた。時差ボケも多少あるかもしれない。いや,時差ボケは毎日か(笑)。昨日からバイトが始まり,書けなかった。今日もあり,明後日、しあさって,とバイトに行かなければならない。
 今回のバイトは,いつもと同じで小学生の勉強を教えている。今回は中学生がないので,少し残念だ。昼ご飯を一緒に食べ,算数を教えている。そのあとクラフトをしたり,理科実験をする。私は今回理科実験を任され,今何をするか考えている。
 昨日,今日とかなり大変な思いをした。私が面倒を見ているのは小学校1年生2年生なのだが,男の子がかなり元気があり,暴れまわっている。その中でチョークの粉でいっぱいになった黒板消しをわたしに叩きつけてくるのである。それのより私はチョークの粉だらけになり,真っ白になってしまった。今日はそれほどでもなかったが,昨日はえげつないほどにすごかった。服も靴もチョークの粉でいっぱい。怒るわけにもいかず,「やめなさい」と笑いながら言うしかなかった。泣きそうである。しかし元気な子供たちと一緒にいるとこちらとしても楽しくなる。
 算数を教えていても,今では3分もあれば問題集を終わらすことができるが,子供たちは頭を抱え必死で考えている。私も当時は必至で考えていたんだろうな。とても懐かしい。「答え教えて」と迫ってくるが,教えない。ヒントを出し,答えは自分で導き出す。教えなくてもみんなちゃんとできる。答えがわかったときは,「なぁーんだ」という感じだ。
 うるさい子,静かな子などいろいろな子供たちが来ている。様々な学校から来ているので,初めて会うのがほとんどなのにみんなすでに友達であるかのようだ。その中で静かな子がいるのだが,授業が終わった後,その子の保護者の方が,「うちの子,どうですか」と聞きに来たが,もちろん大丈夫だ。なんの問題もない。その子もこの生活を楽しんでいる。初めてのところに,我が子を放すのはとても心配なことなのだな,と感じた。親なら誰もが思うことだろう。それは私のように大学生,大人になってもいつまでも変わらないことだろう。私が何歳になろうとも,「親」と「子」の関係が変わることはありえないのだから。
 理科実験を考えなければならないが,できるだけ簡単で楽しめるものでなければならない。明日は休みなので,その間に考えて,一回自分で作ってみたい。そして材料を買いに行かなければならない。子供たちが喜べるものを考えたい。

2011年3月24日木曜日

アメリカから帰国

 無事にアメリカから帰国した。そのことについて書きたいのだが,まだまだ地震のニュースが続いているため,もう少し落ち着いてから書きたいと思う。アメリカでもこの地震のニュースは常に報道していた。向こうにいても日本のことを常に気にかけていた。
 1週間たっても,いまだに行方不明の方が大勢いる。早く見つかってほしいと願うばかりだ。私の通っている大学のホームページを見ると,全員が無事であったと書いてあった。私の大学では死亡者ゼロということで本当に何よりだ。
 明日からは塾のバイトが始まる。もう春休みも終わりだ。地震で私がいつも利用している東北新幹線が東京から新青森駅まで通っていない。今回帰るときは違う手段で帰らなければならない。今回の地震がもたらした影響は大きい。これからも見守っていくしかない。

2011年3月15日火曜日

1週間,日本を離れる

 いま日本は歴史上類を見ない大混乱に陥っている。地震が起こったとき,すぐに東北地方太平洋側に住んでいる友達に連絡をした。電話はつながらなかった。メールをしたのだが,すぐに届かなかった。あくる日になって届いたそうだ。とりあえずはわったしの知る限りではみんな無事であり,一安心したのである。
 私は明日からアメリカに行かなければならない。行かなければならないというほどでもないが,行かないなら行かないで問題が生じてくるので,行ってこようと思う。飛行機も今のところは運航している。友達の安否がわからない場合は中止にしようと思っていた。日本が大変な時に海外に行くのは気が引けるが,日本への対応を海外から見ることができる。アメリカが日本へどれほどの思いを持っているのか見に行きたい。それは今しかできないことだ。本当に申し訳ないが,1週間日本から離れる。それにより1週間ブログを更新できないが,また日本に帰ってきたとき,更新していきたいと思う。おそらく更新できるのは,23日以降になる。23日後,またこのブログをのぞいてほしい。帰ってきて後日,地震で被災した場所へ,ボランティアにも参加しようと思っている。今は混乱していて近づけないらしいが,できれば参加したい。
 それでは1週間,日本を離れます。

問題続出,政府の対応

 今日の朝もニュースを見ていたら,緊急地震速報が入り,秋田県沖で地震が発生したようだ。まだまだ余震は続いている。数か月この余震が続くと推測する学者もいる。それはともかく,被災した方々は今どうだろうか。水,食料,情報,電機,灯油,毛布がほしいとすべての被災した地域からこのような声が聞こえる。命をつなぐ水や食料もそうだが,情報が入ってこないというのはどれほど恐ろしいことか。今の時代は情報がすべてになっている。それがいきなり寸断されるというのは想像できない。
 連日肉親を捜すために,あちこちにある避難所を訪ねている多くの人が見受けられる。しかしどこにも見当たらない。いったいどこにいるのか。必死に祈りながら探す姿を見ているのは,私は本当に辛い気持ちになる。安否がわからない人は1万人以上。今後さらに増える傾向にある。頼むからもうこれ以上死者が増えないでくれ。
 恐ろしいことはこれだけではない。福島県にある原子力発電所が今とんでもないことになっている。最初は1号機だけであったが,3号機,2号機,と次々に問題が発生し,4号機までもが危ないという。これにより被ばくした人が出てきた。政府の対応はどうなっているのか。何度も行われる記者会見を見ていても,何ともしっくりこない。歴史に残る大事故になりそうなこの事件,もう少し何か政策はないのだろうか。イギリスでは「速やかに日本から避難せよ」というのが報じられているが,この日本国内ではあまり知られていない。「備えあれば憂いなし」という言葉があるが,決して言い過ぎではないと思う。津波に巻き込まれた人の中には,ここまでは来ないだろうと油断していた人もいるかもしれない。それと同じで,私の住んでいるところは大丈夫,と油断していてはいけない。政府も大混乱になるのを防ぐために慎重な姿勢を見せているのだろうが,国民の不安は極致にきている。自分の命は自分で守らなければならない。誰かが動くのを待っていては遅い。常に身の回りで何が起こっているのか,次にどうしたらいいのか,アンテナを張る必要がある。この事故も今後目が離せない。
 

2011年3月14日月曜日

悪夢

 関東・東北地震から数日たったが,まだ余震がおさまらない。日がたつにつれて死亡者の数が増えていくばかりだ。悪夢とはまさにこのことだろう。まだ安否がわからない人も大勢いる。日本全国から救援物資や自衛隊が駆けつけている。さらに海外からも多くの救援隊が駆けつけ,行方不明者を探し始めている。関東地方では計画停電を実施し,電力を送っている。そのため東京などは大混乱に陥っているが,誰一人文句を言っている人は見受けられない。すべては被災した人たちのためだ。
 大阪に住んでいる私も他人事とは思えない。ニュースを見るたび,ショックを受け,涙を流している。このブログでも何を書いたらいいのかわからない。私にできることは限られている。それをすべてやりたい。一人でも多くの命が助かってほしい。そして頑張ってほしい。

2011年3月13日日曜日

関東・東北巨大地震

 金曜日,東北・関東地方で巨大地震が発生した。観測史上最大のマグニチュード9.0という巨大地震だ。すぐさま友達にメールをし,安全かどうか尋ねた。みんな無事だったそうだが,福島に住む友達は,家がめちゃくちゃになり,家族とも合流できていないらしい。携帯も使い物にならないらしく,かなり心配している。余震は続いていて,これからも続く見込みだ。大阪でも地震があり,津波も来ている。まだまだ注意してほしい。でもみんな無事で何よりだ。

2011年3月10日木曜日

物は大切にする

 今日の朝,またまた東北地方でやや大きな地震があった。なぜか6時過ぎに目が覚め,テレビを見ていたら地震のニュースが入ってきた。まだ余震が続くそうなので,気を付けてほしい。
 昨日スーツケースを買った後,MEN's館という百貨店の中でお母さんと服を見ていた。去年の夏くらいに,期間限定で,コードバンで作られた財布などの革製品が数点置かれていた。その時もお母さんと一緒にいて,「これほしいな」とお母さんが言っていたのだが,昨日行ってみるとそのコードバンの製品を使ったブランドが正規でオープンすることになった。それをたまたま見つけ,お母さんは大変喜んでいた。値段は安いとは言えないがそこそこである。見ただけで買わなかったが,お母さんはいつか買いそうな雰囲気であった。
 私もコードバンの財布を使っているのだが,そこのブランドではなくまた違うブランドのものだ。私が使う前はお母さんが使っていたのだが,少し使いにくかったみたいで,私がほしいと言ったら譲ってくれたのだ。確かに少し使いにくいが,私は気に入っている。
 安いものを買ってすぐに壊れてしまったり,使わなくなったりするのはもったいない。少しいいものを長く使う方がいい。その方が結局安くつく場合もある。高いものであれば大切に使おうとする。物は大切にしなければならない。私はそう思う。

 今日は寒い日となり,部屋にいることにした。もう少しで3月中旬になるというのに,まだまだ冬が残っている。しかも今は花粉が飛びまわっている。私は花粉症ではないが,少し鼻水が出てくる。もしかしたら花粉症かも。体調管理には気を付けたいものだ。

2011年3月9日水曜日

東北地方で地震

 今日は風の強い日となり,かなり寒くなった。これが明日も続くらしいので,風邪をひかないように注意したい。
 今日の午前中東北地方で大きな地震があった。津波もあり,心配していたが,それほど大きな被害はなかったそうなので,安心した。青森でも震度4が出ていたので,友達は大丈夫だろうか。青森にかかわらず,東北地方は地震んが多いような気がする。私も青森にいるときは大阪にいるよりもよく揺れている。大きな地震はきたことないが,もしきたらと思うと恐ろしい。私が住んでいる地域の地下には「谷町断層」という断層があって,将来大きな地震がくるかもしれないと言われている。私が住んでいるマンションはかなり古いので,耐震には弱いと思う。大きな地震がくると倒壊してしまうのではないだろうか。少し心配だ。

 今日は昼から旅行に行くためのスーツケースを取りに行った。安いのから高いのまで様々だが,私はアメリカ行なので,TSAロックのついてあるスーツケースを買った。9.11以降,アメリカ行のチェックはかなり厳しくなっているそうだ。
 来週の今頃はおそらく飛行機の中であろう。アメリカまでは13時間ほどで到着する。予定としては,7:55伊丹空港発成田空港行きの飛行機に乗り,9:15に成田空港に着く。次に16:10発ダレス空港行のに乗るのだが,7時間ほど時間を潰さなければならない。7時間ならまだましな方だ。他の乗継便ならもっと待たなければならないこともある。ダレス空港に着くのは,15:38だ。そこから私はニューヨークに行かなければならない。21日,22日,23日はニューヨークで過ごす予定なので,ワシントンからアムトラックでニューヨークまで行く。3時間ほどで到着する。飛行機に乗るのも心配だが,アムトラックに乗ってニューヨークまで行けるかが問題だ。アムトラックというのは,日本でいう新幹線みたいなものだ。たぶん大丈夫だと思うが。計画はまだはっきり決まっていないので,もう少し考えたい。

2011年3月8日火曜日

ネット依存

 今日は忘れかけていたメールが届いた。それは以前にもこのブログでも書いたのだが,東北学生剣道連盟に加盟したいというメールを送り,教えていただいたメールアドレスが間違っていたので,もう一度確認してほしいともメールを再度したところ,無視されていたのだ。その返信メールが今日届いたのだ。やはりこの前教えていただいたメールアドレスは間違っていたようだ。それならもっと早く教えてくれればいいのにとも思ったが,返信をいただいてうれしかった。返信が来ない間,どうしようかと迷っていたところだ。返信が来ないうちに大阪に帰ってきてしまったし,もう一度メールすると迷惑なので,遠慮していたのだ。とりあえず何とかなりそうな気がしてきた。


 この前,テレビで「ネット依存」ということに関して放送していた。現代ではコンピューターが必要不可欠な時代となった。そこで浮き上がってきたのがこの「ネット依存」問題だ。これはネット上の友達ができて,現実よりもこのネットの世界の方が居心地がよく感じられ,このネットの世界に自分が自分のすべてとなってしまうことを言うのだ。
 なぜこのようになってしまうのか。現実で苦労し,この悩みを聞いてくれる人が周りにいないことから始まる。こんなに悩んでいるのは私だけだ,なぜ私だけがこんなに悩まなくてはならないのだろう,などと感じているとき,ふとネットをのぞいてみると,同じように悩んでいる人が何千人何万人といるではないか。しかも悩みを言うとその返事が返ってくる,励ましてくれる。これほどうれしいことはないように感じられるのであろう。悩んでいるのは私だけではないのだな,と気が付く。それで終われば何の問題もないのだが,そこからどんどんネットの中に入り込んでしまうのだ。一つ問題は解決したら,また一つ問題が出てくる。そこでも登場するのがネットになる。もうネットから抜け出せなくなってしまう。
 そのネット依存から信じられないような問題が多発しているのだ。自分の家族よりも,そのネット上の友達を優先してしまい,やらなければならないことがどんどん先送りになってしまっている。子供の世話もネットの友達に返事が終わってからだ。さらにはネットのゲームでも問題がある。子供を育てるゲームがあるらしいのだが,そのネットの子供を育てるのに夢中になり,現実の子供の世話をしないがために,子供が亡くなってしまった,という話が韓国であるらしい。そんなバカな話があるのか,と言いたくなるのだがこれは現実で起こっているらしい。
 今ではツイッターなどと常に携帯やパソコンに向かっている人が多い。楽しむのはいいが,現実と入れ替わるのはどうかと思う。自分の居場所をネットの世界に見出してしまうと,そこから抜け出すのは難しい。もちろん悩んでいることを誰かに聞いてもらいのは分かる。その解決の手段としてネットを利用し,問題解決できるならばそれは素晴らしいことだ。しかしそれ以上のめり込んでしまうのはどうだろうか。現実とネットの世界を入れ替えてしまうのは,私はよくないと思う。こんなことを言うと,「お前に何がわかるんだ」と言われてしまうかもしれない。現実でも自分の居場所はあるはずだ。悩んでいるのは自分一人ではない。人は皆,寂しさ,辛さ,弱さ,を背負って生きている。それはただ単にネットに逃げているだけだ。逃げていると何も手にすることはできない。苦しみとも向き合う必要があるのではないか。もしかするとそれは思ったよりも苦しくないのかもしれないのだから。

2011年3月7日月曜日

計画を立てる楽しさ

 昨日は剣道の練習に行ったのだが,厳しい先生が来ていて,かなり疲れた。8段を持っている先生なのだが,素振りから何から何まで指導してくれるのだ。うれしいのはうれしいのだが,かなりしんどい。最初は「形」という木刀を使った練習をした。この形をするのは4段受かって以来なので,ほとんど忘れてしまっていた。やはり続けることは大切だ。それを40分くらいしてから,面を付け,基本打ちをした。怒られるのは嫌なので,真剣にやらなければならない。というかいつも真剣にやらなければならないのだが。そのあと地稽古をしたのだが,これが一番辛かった。来ていた人が少なかったので,休む時間がないのだ。久しぶりにへとへとになった。足が震えるくらいになっていた。疲れた。


 来週の水曜日から,アメリカに行くので,そろそろ円からドルに換えなければならない。毎日為替相場を確認している。ここ最近は大体1ドル82円前後だ。300ドルくらい持っていく予定なのだが,これはほとんど“Hold up” にあった時のためだ。彼らがほしいのはパスポートでもなくクレジットカードでもなく,現金だ。現金をくれてやれば逃げていく。そのための300ドルだ。それ以外は地下鉄やバスの交通費くらいであろう。カード大国に現金はほとんど必要ない。
 この旅の準備を始めてから1カ月くらいになるが,何とか行けそうな感じである。最初はクレジットカード作りから始めて飛行機の予約をしたり,などといろいろ大変であった。高校のとき,倫理の授業でプラトンのエロースを教えてもらっているとき,「理想に向かっていくところに幸福がある」と言っていたことを思い出す。まさにその通りだ。計画を立てるのもなかなか楽しいことだ。アメリカのことに関してほとんど知識がなかったが,毎日アメリカに関しての本を読んでいると,どんどん知識が増えていく。あとは実際に行くことだ。頭だけでは何もならない。実際に行って,自分の目で確かめることが何よりも大切だ。「百聞は一見にしかず」,本当にその通りだ。まだまだ準備することはたくさんある。抜かりなくやりたい。英語の勉強もしなければ。

2011年3月6日日曜日

相談会

 昨日は出かけていて投稿できなかった。心斎橋,難波に行っていたのだが,私の高校の友達とその友達のお母さんと,私と私のお母さんの4人でお昼ご飯を一緒に食べた。その中で様々なことについて話し合った。友達の弟が大学受験に失敗し,4月から浪人することになったそうだ。友達の弟は勉強に力が入っておらず,遊んでばかりでお母さんと友達は悩んでいるという。浪人すると予備校に行くことが多い。自宅浪人するのはなかなか難しいことだ。予備校に行くのはお金がかかる。勉強しないのに予備校に行くのはお金を捨てるようなものだ。まずは大学に受かりたいという気持ちが大切だ。まずはそこから始めなければならない。予備校に行き,そこの雰囲気から気持ちが変わることもある。私は浪人することに大賛成だ。1年遠回りすることになるが,そんな遠回りが自分を勇気づけてくれる。1年遠回りしたならば,1年長生きしたらいいだけのこと。長い人生の中で考えると1年くらいどおってことない。辛い1年になるが,最後まで頑張ってほしい。1度や2度の失敗にへこたれず,4月から新たな人生のスタートとして歩みだせばいい。楽しいではないか。

 その後解散し,友達と私でカラオケに行くことに。3時間半くらいであったが,かなり疲れた。知っている人は知っているのだが,私は歌うというよりも叫ぶのだ。叫んで叫んで叫びまくる。昨日一晩すさまじかったのは6曲連続で歌ったことだ。すべて激しい曲ばかりで,最後は倒れるくらいに疲労してしまう。カラオケに行くたびに,倒れるくらいやるのだが,昨日は5本の指に入るくらいすさまじかった。しかしどれほど叫んでも私は声がかれることはめったにない。おそらく喉が鍛えられていて,強くなっているのだろう。それにしても楽しかった。

 カラオケが終わって心斎橋から難波に向かって二人で歩いて行った。夜の11時を過ぎていたので,人通りも昼に比べて少なくなっていたが,ガラの悪い人がたくさんいた。女性が一人で歩くのはかなり危険だ。私も一人で歩くのは御免こうむる。難波駅で友達と別れ,私は地下鉄の千日前線に乗り,谷町9丁目で谷町線に乗り換えた。谷町線は終電であった。これには驚き,危うく歩いて帰らなければならなくなるところであった。危ない危ない。終電の時間はチェックしておかなければ(笑)。

2011年3月4日金曜日

ニュージーランド大地震

 昨日,ニュージーランド大地震の救援作業が打ち切られた。まだ身元が確認されていない方々が多くいる。今回のこの大地震で一番ショックであったことが,日本人が巻き込まれてしまったということだ。夢と希望を持って,海を渡った方がこのようなことになってしまったのはとてもやるせないであろう。
 地震の映像を見ても,すさまじい光景である。語学学校の建物にいた方は,揺れていると突然床が抜けたという。遺体の中には誰か確認が取れないものもあるらしい。私と同じくらいの年の方が多いので,それを聞いているととても胸が痛くなる。自然の災害はどうすることもできないが,それでも悔しい。
 生存者の一人が言っていた。その人はがれきに足がはさまれ,片足の切断を余儀なくされた人だ。「生きてます」。この言葉に私は何とも複雑な気持ちになった。仲間たちは生きているかどうかわからない,それでも私は生きている。悲しみでもあり,喜びでもあるようなこの言葉。
 身元が確認されるのは時間の問題だ。全員が助かっていることをひたすら願う。このニュースが報道されるたびに,重たい気持ちになる。そして彼の,「生きてます」の言葉が頭をよぎる。


 旅の日にちが決まった。3月16日~21日に行くことになった。行くところはアメリカのニューヨークとワシントンDCだ。日本に帰ってくるのは22日だ。毎日この旅の用意や計画などで忙しい。クレジットカードを作るのに時間がかかり,ホテルの予約がなかなかできなかった。できるだけ安いところにしようと思ったが,初めての海外なのであるし,安いところは危険が伴うので,ニューヨークでは普通のところにした。ワシントンでは,お手頃のところがほとんどなく,安いところは駅から離れていたので,危険だと思い,少し高いホテルとなってしまった。安いところに泊まるのは次の海外旅行の時にしよう。
 ニューヨークで行きたかったツアーの一つが予約でいっぱいで行けなくなったところがある。連邦準備銀行なのだが,これは知っている人は多いはず。映画の『ダイ・ハード3』や『ルパン三世』でも出てきたところだ。地下に金塊の山があるのだが,それをどうしても見たかったが,今回は無理になってしまった。その他にもブロードウェイのミュージカルのチケットの予約も結果待ちだ。初めてなので,計画はできるだけ立ててから行きたい。

2011年3月3日木曜日

久しぶりの練習

 昨日も更新できなかった。申し訳ない。

 ここ最近,暖かい日が続いていたが,今日は冬に逆戻りしたような日となった。今日もやらなければならないことがあったが,寒かったので,部屋にこもることにした。兄は花粉症で,常に鼻水が出て,苦しそうだ。
 今週の日曜日,久しぶりに地元の体育館で行われている剣道の練習に参加してきた。私は小学校入学前くらいからそこに通っていた。当時は生徒の数も多く,活気があったのだが,だんだん生徒の数が減り,今では大人だけとなってしまった。その中で一番若いのが私になる。時代のせいでもあるかもしれないが,剣道などの武道にも興味を持ってもらいたいものだ。
 この前,高校を訪ねたとき,担任の先生に「剣道をしているALTがいるよ」といきなりそのALTと英語で話をしなければならなくなった。話す前に先生が“He can speak English very well.” などと言い,発破をかけるのであった。私は英語科出身で,高校にALTが4人いる。高校のときは嫌でも英語を話さなければならず,当時のままなら少しはしゃべれたのだが,約2年ほど英語を口にしていないため,言いたいことがなかなか英語にならない。仕方なく,単語と,ボディーランゲージで伝えることに。周りの先生は笑っていたが(笑)。「なぜ剣道を始めたのですか」,と聞かれたので,私は「野球もあったのですが,朝早くから練習しなければならず,朝起きれないので剣道にしました」と答えた。そのALTは「野球より剣道のほうが絶対にいいよ」と言っていた。外国人の方がそう言ってくれると,やっていてよかったと思た。
 久しぶりに練習したので,次の日月曜日から筋肉痛になってしまった。それは今も続いている。腕に力が入らない。足の裏も痛い。やはり練習は常にしておかなければいけない,と改めて感じたのである。思ったよりも体は動いたのだが,スピードやパワーが落ちているのは明らかであった。試合にも出たいので,元に戻せるようにしなくてはならない。

2011年3月1日火曜日

空港へ見送り

 またまた投稿できなくて申し訳ない。昨日は大学の友達がここ関西に来ていて,青森に戻る日であったので,空港まで送りに行っていたのだ。その友達はサークルが同じで,地元は北海道の札幌なのだ。その友達の兄が神戸に住んでいて,引っ越しするというので,その手伝いで神戸に来たそうだ。先週の金曜日に来たそうだが,金曜日は鞍馬に行っていたし,土曜日,日曜日は引っ越しの手伝いで,一緒に遊ぶことができなかった。結局見送りだけということになってしまったので,少し残念であったが。
 十三という駅で待ち合わせをし,1時半くらいには空港に到着した。昼ご飯を食べ,お土産を探した。大阪のお土産,京都のお土産,神戸のお土産,などとかなりたくさんの種類があったので,なかなか選べない。地元の私はお土産,などめったに見ないので,おもしろいお土産がたくさんあった。北海道の「白い恋人」ならぬ「面白い恋人」だったり,東京のお土産「ひよ子」ならぬ「ちよ子」であったりなどとついつい笑ってしまった。北海道や東京の人に怒られないか心配だが。
 その友達は大きなカバンを持っていたのだが,めちゃくちゃ重い。何が入っているのは尋ねると,デスクトップのパソコンが入っていると言う。さらにラウンドワンで取った大きな人形2つを別に持っていた。パソコンなど壊れるのではないかと思ったが,いまさら心配しても仕方がなかった。人形をクッション代わりにしようと思い,カバンの中に入れたのだが,なかなか入らない。思いっきり押し込んで,やっとチャックを閉めることができた。しかし荷物検査の時に,カバンの中にライターが入っていると指摘され,取り出さなければならなくなった。もう一度チャックを開け,また苦労してチャックを閉めなければならなかった。
 大変だったが,無事に飛び立ったので,よかった。


 もう3月に入ってしまった。春休みも半分終わりだ。やることがまだまだたくさん残っているので,それがすべてできるように,残り1カ月やっていきたい。