2011年2月10日木曜日

「えひめ丸」沈没事件

 今先ほど,新大阪に行っていたところだ。なぜかというと,兄が就職活動で,横浜に行かなければならず,切符を買わなければならなかったからだ。兄は10時30分まで,本町というところで面接があり,2時から横浜で説明会がある。かなりのハードスケジュールで,説明会が終わってすぐに新大阪へ行き,新幹線に乗らなければならず,切符を買っている時間がないというので,私が先に新大阪へ行き,切符を買って待っていたのだ。弁当を買ったりして兄が走ってきた。私も入場券を買い,ホームまで送りに行った。兄はあまり新幹線に乗る機会がないので,私が先導して乗車する車両まで連れて行った。日帰りなので今日の夜に帰ってくる。大変だなぁ,と思いながら見送ったのだが,私ももう少ししたらやらなければならないことだ。

 10年前の今日は何があったか覚えているだろうか。ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」が浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦に衝突され沈没した事件があった。あれから10年たったと聞くと本当に時が過ぎるのが早い。当時この事件が起こったとき,私は小学生であったが,衝撃的であったことを覚えている。9名の乗組員が犠牲となった。潜水艦のいくつかのミスにより起こってしまった事件であるが,一番気になることは,この潜水艦は事件が起こったとき,同乗の民間人に配慮して積極的な救援活動を行わなかったことだ。アメリカ側の主張としては,衝突したとき周辺の海はかなり荒れており,救援活動は難しかったという。確かにそうであったかもしれない。新たな犠牲者が出るのを防ぐ必要があったかもしれない。ならば溺れていく人たちを見殺しにしたというのか。遺族としては悔やんでも悔やみきれないだろう。なぜ助けてくれなかったのか,もしかしたら助かっていたかもしれないのに。
 人の命を助けるというのは,自分の命も捨てる覚悟で向かっていかなければ助けられないのかもしれない。
 

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