2010年12月24日金曜日

バイトの予習

 今日は大阪は晴れであった。といっても寒かったが。青森の天気予報を見てみると,雪のマークだ。吹雪いているらしい。丁度いい時に帰ってきた,という感じだ。
 明日から,塾のバイトが始まる。そのための予習を昨日と今日とでしていた。小学生のほうは問題ないのだが,中学生の英語は,忘れているところもたくさんある。少し復習をすれば思い出すのだが,教え方がこれはまた難しい。自分の理解しているものをどうやってわかりやすく伝えるかが,一番の問題だ。私は毎回,どんなことを質問されても答えられるように,調べていくのだが,これでも足りないくらいだ。全く関係のないところからも質問してくる。関係ないからと言って,答えないわけにはいかない。生徒が感じている疑問に答えなければならない。なかなか大変なことだが,明日からの4日間,精一杯頑張りたい。

 今日はクリスマスイブということで,街はにぎわっているが,私は今日ほとんど,部屋の中にいた。友達に頼まれていた買い物を渡しに行ったくらいだ。昨日は繁華街で遊んでいたので,今日は部屋にいようというlことだった。自転車のタイヤの空気を入れたのだが,パンクしているかもしれない。入れたのに,空気が抜けているような気がする。修理は春休み,大阪に帰ってきてからにしようと思う。

 とりあえず今日はここまでとしよう。

2010年12月22日水曜日

西日本最大級の書店,オープン

 昨日はあいにくの雨となった。本屋さんへ行き,2時間くらい立ち読みをしていた。本屋さんといえば,今日西日本最大級となる本屋が,梅田という繁華街にできるのだ。その立地場所が私がよく通るところなので,気楽に立ち寄ることができる。ない本はない,というくらいのもので,非常に楽しみだ。デジタル化が進み,本離れが進んでいるが,私はなんだかんだ言って,書物のほうが好ましい。しかし,書物とデジタルの相乗効果で多くの人が本と親しんでほしい。


 久しぶりに帰ってきたので,新しい店ができていたり,萎ままあった店がつぶれていたりなどと,変化しているところがあるので,面白くもあり,寂しいところもある。ほしいものはたくさんあるのだが,なかなか手が出せない。私はいつもこちらに帰ってきて,買い物をするのだが,今回はそれがあまりできそうにない。来週からアルバイトが始まるので,そこでお金を貯めようと思う。


 今感じていることなのだが,大阪でブログを書くとき,なぜかわからないがアイデアが浮かばないのだ。帰ってきてすぐなので,気持ちが緩んでいるせいかもしれないが,文章が続かない。自分が書きたいときに書けないからかもしれない。しかし,今日一日何をしたかだけでも十分だ。もう少ししたら文章が続くかもしれない。

2010年12月21日火曜日

帰ってきた大阪

 大阪に帰ってきた。やはり故郷は居心地がいい。しばらく離れると,なおさらそう感じる。「おかえり」という感じだ。
 やはり兄がパソコンを独占していたので,なかなかブログを書くことができなかった。申し訳ない。

 久しぶりに家族とまともな話ができた。青森にいるときは電話やメールしかできないが,顔を見て話ができるというのはうれしいものだ。9月から帰ってくるまでの期間の話を中心に話が弾んだ。
 帰ってきてからもかなり忙しかった。といってもほぼ遊ぶことにだが。帰ってくる途中には東京に寄ったり,神戸に行ったりと,日本を大移動している。移動ばかりしていると,遠く感じていたものが近くに感じられるようになった。東京なんてすぐそこだ。京都,神戸は私の庭みたいなものだ。
 青森では衣類などあまり見るところがないので,こちらに帰ってきてからすぐに見に行った。それ以外にも雑貨など,ストレス発散代わりに見まくった。買いはしなかったが見るだけで十分だった。

 青森では部屋で暖房をつけているので,部屋の中で寒いと感じることはほとんどないのだが,大阪の私の家では,朝の6時くらいから7時くらいの間しか暖房をつけないので,部屋の中は大阪のほうが寒いのだ。かなりおかしな話だ。寒いと感じる時間の長さは大阪のほうが長い。もちろん気温からいえば青森のほうが寒いが。大阪のほうが風邪をひきそうである。
 青森では遊ぶところがあまりないので困っていたが,大阪では困ることはないのでそれだけでもうれしい。冬休みは短いので,存分に楽しみたい。

 毎日ブログを書くのは難しいが,できるだけ書くようにしたい。

2010年12月16日木曜日

明日、大阪に帰る日

 とうとう明日、大阪に帰る日となった。つい先ほど、部屋の掃除など、帰る準備をしていたところだ。今日は全国的に、寒い日となったが、大阪は青森ほど寒くないだろう。19日の冬休みとなるが、この前このブログにも書いたように、充実した休みとなるだろう。

 しかし、大阪に帰ることによって、問題が生じることがあるのだ。それはこのブログを書けるかどうかということだ。大阪の家にあるおパソコンは、一応家族のものだが、ほとんど私の兄が使っている。兄は今、大学院に通っているのだが、研究やなんやかんやで、毎日パソコンとにらみ合っている。なので私が書きたいときに書けない可能性が高い。これは困った。できるだけ、毎日書くようにしたいが、もしかしたら書けない日が多々あるかもしれない。その時は許していただきたい。

 こちらの友人と、しばしの別れとなるので、寂しい気持ちになるが、また来年の1月、元気にここ青森に帰ってきたい。まだ授業が残っている友人もいるので、もう少し頑張ってもらいたい。
 お土産に何がいいか、毎回考えるのだが、そろそろネタがつきそうだ。おそらくおなじみのお菓子関係になるような気がするが。

 明日もこの前、東京に遊びに行った日と同じように、朝7時32分の新幹線に乗らなければならない。起きるのは5時過ぎだ。明日の用意ももう少しあるので、今日はこの辺にしておきたい。次にこのブログを書くときは大阪から書くことになるが、よろしくお付き合い願いたい。それでは。

2010年12月15日水曜日

「楽」と「楽しい」

匿名さん、コメントありがとうございます。
私は暇な時より、忙しい時の方が好きです。
たくさんしなければならないことがあるのは、体力も使いますし、時には辛い時もあります。
しかしその方が、「充実」しているような気がします。
私は高校生の時、ある生徒が言っていました。「良い大学に行って、素敵な彼氏を見つけて、楽な人生を過ごしたい」と。
おそらくそう思っている人も多いかと思われます。
しかし私の人生観からい言えば、疑問に思います。
私は、「楽」な人生は、決して「楽しい」人生ではないと思っています。
「楽」と「楽しい」、どちらも同じ漢字を使っていますが、意味は正反対だと思っています。
「楽しい」とは、自ら寒風吹きすさぶ嵐の中に飛び込み、雷雨に打ち砕かれても、決してあきらめず、逃げず、立ち向かう。そして、いつしか太陽の光が差し込む。
人は曲がりくねった迷路の中で、「本当の自分」を見つけることができるんだと思います。
「楽」な人生ではそれは難しいことだと思っています。

人生に正解だとか間違いだとか、そういうものは存在しません。
これは私の個人的な意見です。
参考にしていただければ幸いです。
私は、私だけの「楽しい」人生を送りたいです。



 昨日は忙しかったので、ブログを書くことができなかった。申し訳ない。

 今日起きたら、雪がかなり積もっていた。せめて今週は積もってほしくなかったが、その願いはかなわなかったようだ。しかも寒い。今日の最高気温は0度に達しなかったそうだ。感覚が鈍くなり、鼻水が出ているのかどうかも分からなくなった。しかし、私は金曜日には、ここ青森に住んでいる方々には申し訳ないが、南へと逃亡するので、この寒さから逃げ出せる。そこはうれしい。その前に、逃げるための準備をしなければならない。明日荷物を詰めた段ボールを送らなければならないのだが、まだそれができていない。このブログを書き終わったらそれをしようと思う。急がなければ。もう12月も半分過ぎた。今年もあと少し。最高の年を迎えられるように、1日1日を最高の日になるよう、突っ走りたい。
 それでは、荷物を段ボールに詰めよう(笑)。

2010年12月13日月曜日

雑談

 今日は一日中曇りで、寒かった。部屋を片付けたが、ものが多すぎて、なかなか整理できない。冬休みが明けたらもう少しきれいにしたいと思っている。

 冬休みといっても、かなり忙しい冬休みになりそうだ。バイトが入っているのもそうだが、それ以外にもやることがあsる。もちろん実家の大掃除がある。お墓参りもしなければならない。大阪の友達とも会わなければならない。年が明けたらすぐに青森に行かなければならないので、ほとんどゆっくりしている暇はない。私は暇よりも忙しい方が好きだが。冬休みも充実した休暇になりそうだ。

 去年、大阪の友達と外でご飯を食べたのだが、忘年会シーズンで、人がたくさんいた。カラオケに行こうと思っても、人がたくさんで、1時間しか歌えなかった。これからのシ-ズンはとりあえず行事が多い。クリスマス、忘年会、新年会、追い出しコンパ、新入生歓迎コンパ、花見コンパなどなど。とりあえずお酒の席ばかりだ。お酒好きにはたまらないだろう。このシーズンのために生きているという感じの人も多いだろう。くれぐれも飲み過ぎには注意してもらいたいものだ。

 今週の金曜日に、大阪に帰るのだが、途中にまた東京で遊ぶ予定だ。しかし今回は3時間くらいしか遊べない。この3時間でどこで遊んだらいいか迷っている。ついこの間いったばかりで、同じ所で遊んでもいいのだが、どうせなら違うといころへ行きたいものだ。といっても3時間しかない。東京の主要なところは見てきた。まだまだ見なければならないところはたくさんあるが。あと数日あるので、もう少し考えてみようと思う。

 今日は雑談で終わってしまった。許していただきたい。

2010年12月12日日曜日

「約束」の重さ

 今日もずっと部屋の中にいた。朝起きたら雪が積もっていた。雪が太陽の光に反射してかなり明るくなる。カーテンをしないで寝ているので、その明るさでいつも起きるのだ。今週はあまり晴れないという予報なので、少し残念だ。しかし今年最後の大学生活なので、頑張りたい。


「約束の本当の姿
  約束は、個人間の契約というだけではない。約束として要求される言葉の裏側にあるものが、約束の本当の中身になるのだ。
 たとえば、「明日、5時に会いましょう」という日常的な約束の場合でも、それは5時のビジネスライクな待ち合わせだけを意味していない。
 二人の親密な関係、いたわりあい、信頼、これからも続く絆の確認、相手の気遣いなど、たくさんのものが約束されている。それは人間的な誓いとも言えるものだ。」

「待たせるのは不道徳
  連絡もなしに人を待たせるのはよくない。マナーや約束の次元だけの問題ではない。待っている間にその人は、あれこれと良からぬ想像をめぐらせ、心配し、次には不快になり、だんだんと憤慨してくるものだ。
 つまり、人を待たせるのは、何も使わずにその人を人間的に悪くさせてしまう不道徳きわまりない方法なのだ。」
                                           『ニーチェの言葉』より  

 私は時間に関しては厳しい方だと思う。早め早めの行動を取ろうとする。なので部屋の時計も5分ないし10分早めている。私の様な早めの行動を取ろうとする人と、時間にルーズな人は言うことが全く変わってくるのだ。私は時間にルーズな人には、もっと早く用意、準備しとけよ、と言いたくなる。逆にルーズな人は私に、何でそんなに早く行くん、と言うのだ。私の兄は時間にルーズだ。一緒にどこかへ行くとき、私はいつも待たされる。例えば映画を観に行くとしよう。結果的には早めの人も、ルーズな人もその映画の上映時間に間に合う。しかし、行く途中で何か起きたらどうだろう。電車が何かの影響で遅れたら、バスが遅れたら、忘れものに気が付き取りに帰ってしまったら。これらのどれかに遭遇してしまったら、ルーズな人はその映画に間に合わないだろう。
 なぜこのようなことを書いたかというと、最近私が待たされたり、約束の時間になっても待っている人が来ないということが多いように感じられたからだ。もちろん私も人を待たせてしまうことはある。しかしそれはできるだけ避けたいと思って行動している。5時に待ち合わせをする。これはどういうことを意味しているのか。5時にはもうその約束の場所にいなければならないのだ。5時1分でも5時1秒でも遅刻は遅刻だ。約束を破ったことになる。約束が守れないなら、最初からその約束をするべきでない。
 上記に記した言葉は私にとって重要な言葉である。ある人は、ちょっとぐらいいいやんか、という人がいるだろう。しかしそれは私にとってはあり得ないことだ。人を裏切る行為だと思っている。小さな約束でも、それだけ重いものがあると信じている。

お酒の味

 今日は昨日の式典の疲れが残ってたのか、体があまり動かなかった。というのも昨日の式典ではお酒を飲んでいたのだ。最初は日本酒、その次はビールだ。周りの人からどんどん継いで下さるので、なかなか断れなかった。なかなかのお偉いさんばかりで、緊張のしまくりであった。これも社会勉強だ。
 最近気が付いたのが、ビールの味が苦く感じなくなったことだ。子供の頃、少しだけ飲んだことがあったのだが、苦くて飲めたもんじゃなかった。良くもまぁこんな苦いもん飲んでるなぁ、とその時思っていた。大学生になり、酒を飲む機会が多くなったが、ビールが美味しく感じられるようになった。私は普段お酒を飲まないことにしている。サークルの飲み会でも最初に1杯くらいで、あとはウーロン茶だ。これでいつも3千円から3千5百円払っているので、かなり高いと感じているが、まぁ仕方がない。
 私はチューハイは飲まないことにしている。安い酒は悪酔いするからだ。味がジュースなので次から次へと手が出てしまうのが怖い。私の母が以前に下宿のおばちゃんの送別の品として、下宿のおばちゃんに1本6800円するシャンパンを送ったのだ。私もそのおばちゃんと一緒にそのシャンパンを飲んでみた。初めてシャンパンを飲んだので、詳しくは語れないが、おいしかった。大阪に帰った時に、安いスパークリングワインを飲んでみたが、あまりおいしくなかった。ワインの果実の味とアルコールの味が分離して感じられるような気がした。やはり値段相応のものがある。またあのシャンパンが飲みたいと思い、大阪の百貨店でワインを探しに行った。同じものがありそれにしたかったが、値段が高い。セールのものにしようと思い、店員さんと相談をした。何本か味見をし、以前に飲んだものに続くようなものを見つけ、それにした。値段は5千円弱だ。それはまだ飲んでなく、私の部屋に置いてある。何かの機会に飲みたい。
 
 明日の天気予報を見てみると、最高気温が2度と出ていた。そういえば昨日の式典から帰る途中、私は自転車でその式典に行ったのだが、水たまりに氷が張っていたのを思い出した。寒い。青森の冬は厳しい。外に出るのがおっくうになる。明日もおそらく部屋にいることになると思う。来週の金曜日に大阪に帰るので、そろそろ部屋を片付け、荷物を整理しなければならないので、明日それをしようかと思う。毎回その荷物を整理するとき、何を持って帰ればいいか迷うのだ。あれもこれもと思い、持って帰るのだが、結局いらないものが多くなってしまっているので、考えて整理したい。

2010年12月10日金曜日

「私の青森駅」出版記念式典

 今日はこのブログでも書いたが、私の作文が含まれた本の出版記念式典が開催された日だった。とあるホテルで行われたのだが、私にとってこのような行事は初めてだ。そのホテルに行って早々に、一言あいさつをしてほしいと言われたのだ。それなら前もって言ってくれよと言いたかったが、ちょっとしたあいさつぐらいなら大丈夫だと思い、引き受けた。式典が始まり、乾杯をした。豪華な食事があったが、挨拶をしてから食べようと思い、手をつけなかった。あいさつは無事終了し、他の受賞者の方やその他の方と少し話をし、食事をしようと思ったのだが、もうほとんどなくなっていた。半分も満足できない食事だったので、残念だった。その代わりに、様々な方と話をすることができた。この式典のためにわざわざ長崎から見えた方もいた。戦争中の青森駅の話も聞くことができた。新青森駅駅長とも話をすることができた。市長も来られていたが、話をすることができなかったので残念だったが。若い人が作品を書いてくれるのは、尚更うれしいとのことだった。私の作品を、額縁に入れてくれ、一生残るものを作ってくれた。本という形で、一人でも多くの人に読まれ、共感してくれたらな、と思う。私もまだすべて読んだわけではないが、心温まる作品ばかりだ。たった800字という中に、それぞれの思い出が詰まっている。このブログで、私の作品を載せようとも思ったが、ぜひとも本で読んでほしい。宣伝するわけではないが。この作品を通して、青森の発展に少しでも貢献できたらと思う。

 写真に写っているのは市長です。

派遣社員

 もう完璧な冬となってしまったという感じだ。厳しい寒さが続く。しかし雪が降っていないだけましな方だ。去年はどうだっただろうか。私が冬休み、帰るときは積もっていた。去年大阪に帰ったのは、19日くらいだっただろうか、積雪で寝台列車が止まってしまった。どうしても帰らなければならない理由があったので、新幹線は動いていたので、とりあえず東京まで行って、そこで1泊した。あれから1年たったと思うと早いものだ。来週の金曜日までは積もらないでほしい。新幹線まで止まってしまっては困る。


 先日、冬休みの大阪のバイト先から電話がかかってき、冬休みの4日間、バイトをすることになった。このブログでも書いたが、塾の講師である。小学生と中学校の英語を頼まれた。やりがいのある仕事なので、本当にうれしい。
 私が初めてしたバイトは、派遣社員である。自分の仕事ができる日を教え、その前日に電話をし、仕事があるかどうかを確認するのだ。この仕事は正直、二度としたくない。人をゴミ扱いする。合計3回しかしていないのだが、これが限界だった。
 まず1日目は、ある企業が入っていたオフィスの後片付けというものだった。オフィスといってもかなり大きい。簡単に、後片付けと書いたが、想像を超える残骸だらけの部屋なのだ。ガラスが割れていたり、壁がはがれおちていたり、釘がむき出し状態になっていたりしていた。かなりの肉体作業だ。しかも真夏だったので最悪だった。シャベルで残骸を台車みたいなものに乗せ、運んでいく。砂埃が舞い、窓を開けたかったが、オフィス街のど真ん中だったので、開けてはならないということだった。マスクを持っていなかったので、病気になるかと思った。作業をしているとき、地面からむき出しになっていた釘を踏んでしまい、靴を貫通し、足の裏に釘が刺さってしまった。途中で帰りたくなった。危険な作業なので長袖を着なければならなかった。その上から作業着を着ていたが、汗でその作業着までびちょびちょになっていた。そこのリーダーの人は、次から次へと指示を出し、少しは休ませてくれと言いたかった。最後にその残骸をトラックに移す作業をし、無事に終わることができた。
 2日目、3日目は自動販売機を取り付けたり、交換したり、回収したりするものだった。この仕事は、トラックの助手席に乗り、あっちこっち回るものだった。これはあまり体力は使わないが、精神的にかなりきつかった。言い方がひどすぎる。初めてなのでわかるはずもないのに、指示を出す。21日で何度謝ったことか。殴りたくもなったが、そこは我慢した。トラックの運転中、タバコを吸うのでかなり不愉快だった。そのドライバーのトラックなので、何も言うことはできなかったが。地図を見ながら運転するので怖かった。仕事が終わったときは、いつもぐったりとなった。
 二度としたくない仕事だったが、経験としては、かなりいいことをした。私の兄も一度、派遣社員をしたことがあった。兄はたった1日でやめたが。かなりきついとは兄から教えてもらっていた。それを聞いたら、たいていの人は違う仕事を探すかもしれないが、どれほどのものなのか、自分で体験してみたかった。自分がやらないとわからないからだ。やはりきつかったが(笑)。しかし今思えば楽しかったかもしれない。あれほどの仕事ができたのだから、たいていのことは我慢できるようになったはずだ。

2010年12月8日水曜日

市川海老蔵さん事件

 今日も昨日に引き続き、寒い一日となった。12月も1週間過ぎ、あと10日で冬休みだ。集中講義というのがあるのだが、私は取っていないので、17日から冬休みだ。取っている人はもう少し先になるのだが。とりあえず冬休みまでカウントダウン開始だ。


 今世間を騒がせている市川海老蔵さんについてだ。昨日の夜に、緊急記者会見に臨んだが、彼の左目が痛々しい限りであった。彼の反省の弁を聞いていると、あらゆる人に多大な迷惑をかけていて、申し訳ないという気持ちが伝わってくる。
 今回の件で一番問題になっているのが、海老蔵さんが暴力団のリーダーと飲み、喧嘩になり、海老蔵さんがその暴力団のリーダーを殴ったかどうかということだ。今回の記者会見では、殴っていないと述べていたがこれには様々な意見がある。暴力団のリーダーによると、灰皿で二発殴られたと言っているうらしい。そのリーダーを診察した医者の写真まで新聞に載っていた。これを聞くと、海老蔵さんが述べていることとは正反対ということになる。真実が明かされるのは時間の問題であろう。
 それにしても今回の事件で、私が疑問に思っていることは、なぜ暴力団のリーダーと酒を飲んでいたかということだ。この暴力団関係は芸能界には多い話だ。芸能界以外でも、まだ記憶に新しい、相撲界の野球賭博問題もそうだ。こういう話を聞くといつも思うことだ。暴力団とつながる理由とは一体何なのだろうか。金が絡んでくるのはおそらくあたっているだろう。しかし暴力団とつながっている、と聞くと誰もが距離を置いてしまうのは当然だろう。イメージダウンしてしまう。なのにどうして関わろうとするのか私には理解できない。そこまでしてお金がほしいのだろうか。
 もう一つ聞いていて気分が悪くなるのが、酒の話だ。海老蔵さんもかなり酔っていて、その店に入るときはもう千鳥足になっていたという。この世で一番醜い、情けない人は「酔っ払い」だと思っている。酔っぱらうことが悪いと言っているわけではない。酒を飲むというのは楽しいことだ。話が弾み、気分が良くなる。しかし私が言いたいのは、限度というのを知るべきだと言いたいのだ。酔っぱらってもいい、どれだけ酒を飲んでもいい、しかし他人には絶対に迷惑をかけるな、と言いたい。一人で帰れなくなる、次の日は言ったことを忘れている、暴力をふるう、などと全く持って理解できない行動だ。それを大人がするのだから勘弁してほしい。酒を飲まないと本当のことが言えない人もいる。もちろん酒を飲んで、腹を割って話をすることも必要だ。しかし酒に頼り過ぎるのもどうかと思う。どうせ酒を飲むなら、楽しく酒を飲みたいものだ。私はまだ学生なので、今言っていることが通用するかもしれないが、社会に出ると、そうはいかなくなるかもしれないが私はこの気持ちを常に持ち続けたい。
 海老蔵さんも人々に、感動を与える仕事をしている。今回の件で謹慎処分を受けたが、また舞台に戻って来て欲しい。そして生まれ変わった「市川海老蔵」を見せてほしい。

東京の旅(2)

 今日は雨となり、かなり寒い一日となった。最高気温が4度だったそうだ。明日は晴れるらしい。

 
 今日は東京の旅の二日目のことを書きたい。ということは日曜日のことだ。土曜日に4時までゲームをし、起きたのが8時30分だ。準備をし、朝食を食べ、9時30分過ぎに出発した。どこに遊びに行くか、迷っていたが、どうせ行くんだったら言ったことがないところへ行こうと思い、まずは浅草に行くことにした。友達の家がある豊田から浅草まで約1時間で行くことができた。その間に何度も乗り換えをしたが。日曜日ということもあって多くの人でにぎわっていた。浅草はテレビで何度も見たことがあったが、生で見るのは初めてだ。浅草のトレードマークの雷門も見ることができた。浅草は下町ということで、他の街とはかなり違うところがあった。商店街も独特の雰囲気があり、面白かった。その商店街で、有名な天丼を食べ、次に秋葉原へ行くことにした。
 16時の新幹線で青森に帰らなければならなかったので、その二つの街しか行くことができなかった。秋葉原も初めて訪ねるところだ。まずは友達がゲームソフトを買いたいと言い、ヨドバシカメラに入ろうとしたが、入口のところで「売り切れ」の紙が張り出されていて、「店にも入らしてくれへんのか」と残念そうな顔をしていた。その他の店にも回って見たが、どこもかしこも売り切れ状態であった。私は買い物などはなく、ただ単にその秋葉原という街を歩いて見たかった。やはりオタク文化が根付いている街だと感じた。ここも独特の風が吹いている。私はここを一人で歩くのは厳しいと感じた。もう一つ、ここ秋葉原を訪ねた理由が、このブログでも書いたが、以前起きた無差別殺傷事件の跡地を見たかったのだ。友達にどこで起きたか尋ね、この交差点で起きた、と教えてくれた。私はテレビでしかその現場を見ていなかったが、あの時の映像が流れた。歩行者天国は地獄となった。あの事件以来、秋葉原の歩行者天国は姿を見せていない。また復活する日が来るのだろうか。もしその日が来たら、本当の意味で、歩行者天国になってほしい。
 そろそろ東京駅の方へ向かおうと、東京駅まで二駅だったので、歩いて向かうことにした。すぐに着くと思っていたが、結構時間がかかり、かなり疲れた。駅前の百貨店の喫茶店に入り、お茶を飲んだ。その後、お土産を買い、駅のホームに向かった。そこに向かうまでにまた時間がかかり、ギリギリであったが、無事新幹線に乗ることができた。
 これが今回の東京の旅だ。かなり忙しい旅だったが、充実した旅だった。時間を惜しみなく使ったので、典型的な日本人の旅となってしまったが、本当に楽しかった。今回の旅に付き添ってくれた友達のF君に感謝の意を表したい。

2010年12月6日月曜日

東京の旅(1)

 東京に行ってきた。昨日帰ってきたのだが、疲れて書けなかった。今日はこの二日間の旅について書きたい。

 新青森駅に着いたのが、朝の7時過ぎであった。あいにくの雨だったが、予想通り多くの人でにぎわっていた。私はカメラに映ろうと、遠回りしたりなどと余計な事をしたが、映っていたかは疑問だ。しかしこの記念すべき日に、偶然入れたことが何よりもラッキーだ。
 新幹線に乗り、東京に着いたのが11時15分くらいだった。強風のため、10分くらい遅れたが問題なかった。まずは自由が丘へ行った。青森は雨だったが、東京は晴天だった。自由が丘で買い物をし、次は代官山へ。そこでは私の趣味の一つのメガネを見に行った。そこで予想外のかなりの時間を食ってしまい、急いで次の店で買い物を済ませ、徒歩で渋谷へ戻り、地下鉄に乗って表参道へ行った。そこでも買い物をし、友達と会うために新橋へと向かった。4時に待ち合わせをしていたが余裕を持って到着する事が出来た。歩き回ったので脚のあちこちが痛かった。そして友達と合流し、一緒に遊んだ。友達の家に着いたのは23時30分くらいであった。友達の家は、豊田というところにある。風呂に入ったりして、御飯を食べたのが0時だ。御飯はその友達の手作りだ。シーフードカレーとスープとスパゲティだ。かなり豪華なメニューだ。友達はカレーは失敗だったと言っていたが、かなりおいしかった。スープも文句なしの出来栄えだった。私が今作れと言われたら何一つ作れない。そう思うとこれはかなりすごいことだと思った。私も何か作れるようにしなければ、と痛切に感じた。食事の後、ゲームをし、寝たのが4時であった。かなり充実した1日であった。
 一番うれしかったことは友達の手料理を食べれたことだ。外食するという手もあったが、わざわざ前日に用意をしてくれていた。私も一人暮らしをしているが、食事は下宿のおばちゃんが作ってくれるので食事の心配をすることはない。だからご飯を作る苦労がわからない。その友達が言うには、一人になって初めて母親の偉大さがわかった、毎日ご飯を作るのを簡単そうに見えていたが、本当はかなり難しいことだった、と。私も経験する時が来るだろう。その時には、またこの友達と話が盛り上がるかもしれない。

 明日は、東京の旅、二日目を書こうと思う。

2010年12月3日金曜日

いよいよ明日は東京

 久しぶりにコメントを書いていただいた。そのコメントの返事を書こうと思い、コメントのところに続いて書こうとしたが、なぜか書けないのだ。今までに何度かしてきたことが急にできなくなった。これはおかしい。少しパソコンが変になってしまった。なのでその返事はここで書きたいと思うが、許していただきたい。

Sさん、コメントありがとうございました。
何もしないより、何かをして傷跡を残した方がいいと私は思います。
生きた証しとして残ります。
そうですね。
私も探さなければなりません。
傷跡を残しましょう。

匿名さん、コメントありがとうございました。
先は長いように見えて、振り返ってみると、あっという間に時は過ぎています。
あの時、こうしておけばよかった、と後悔する前に、今できること、今しておきたいですね。
私も偉そうに言っていますが、なかなかできることではありません。
でもやろうという気持ちが大切です。
楽しく、頑張っていきましょう。




 きょうはやはり、あいにくの雨であった。しかし、太陽が顔をのぞかせることもあった。晴れたり雨だったりと、忙しい天気であった。しかもかなり暖かかった。明日も雨で、寒くなるそうだ。

 いよいよ明日は東京に行く日だ。やっとこの日がきた、という感じで居ても立っても居られない。青森は雨だが、東京は晴れということで、嬉しいこと限りなし。一泊二日という短い旅だが、思いっきり楽しみたい。やはり遊ぶ時には徹底的に遊ばなければ、時間がもったいない。中途半端はやらないに等しい。ということで明日、明後日はこの身が滅びるまで遊びたい。
 明日は新青森駅開通ということで、カメラマンたちがたくさんいることだろう。もしかすると私もカメラ、テレビに映るかもしれない。いや、無理矢理でも映ってやろう(笑)。7時32分発の新幹線に乗る予定だ。そして東京に着く予定が11時8分だ。

 私の姿を探してください。わからないと思いますが(笑)。

 明日は早いのでここまでとしておこう。

2010年12月2日木曜日

iPadの魅力

 今日も晴れて、しかも暖かな日となった。しかしこの天気も今日まで。明日は雨だそうだ。嫌だねー、嫌だねー。


 今日は、東京に行ったときに、友達の家に泊めてもらうので、お菓子でも持って行ってあげようと思い、駅前で買い物をした。もともと箱に入ってあるものもあったのだが、自分で好きなのを選ぶことにした。選んだのはいいが、なかなかそれらに合う箱が無い。仕方がないので、少しお菓子の量を減らし、うまく入るようにした。今は東京に行くことで頭がいっぱいだ。
 その帰りにある電気屋により、様々な品物を見ていたが、急にiPadのことを思い出し、一度手に取って見てみたいと思った。触って見ると、驚きの連発。すごい、としか言いようがない。まるでパソコンみたいだ。画面もきれい、持ち運びに便利、となかなかの優れものだ。私の周りで使っている人は見たことないが、これを持てば人気者になるだろう。画面に触れば反応するものが増えている。携帯でも最近それになっている。
 ノートパソコンでは、厚さが何と2センチもないくらいのものまであった。すごいものばかりだ。時代は変わる、とよく言うが本当にその言葉通りだろう。こんなにコロコロと新製品が出てくるので、どのタイミングで手に入れたらよいのか分からなくなってくる。もう少し待てば、また新しいのが出るだろうと。いやそれにしても、iPadの魅力にやられてしまった。
 最後にマッサージ機に座り、約30分間、マッサージしてもらった。久しぶりに体をほぐしてもらった。おそらく私の前を通った人は、「若いのに…」と心の中で笑っていたであろう。私も年をとってしまった(笑)。

何か残してみよう、傷跡として

 今日から12月の始まりだ。天気が良くなり、青い空が広がった。寒かったが、気持ちよかった。今年最後の月だ。今年やらなければならないこと、きっちりとけじめをつけたい。


 「こっちはめっちゃ楽しいで。」以前、浪人時代の友達に、久しぶりにメールをするとこんな返事が返ってきた。この言葉に私はなぜか、羨ましい、と心のどこかで感じていることに気が付いた。私は今の生活に満足していないのか。
 大学に入る前には、あれもしたい、これもしたい、こんなことに挑戦してみよう、などと自分のあこがれのキャンパスライフを描いて、大学に入学した。しかしその時の気持ちと今の気持ちとでは、大きくかけ離れていた。気が付けば、毎日をなんとなく過ごしている。楽しくない、というわけじゃない。楽しいと言ったら楽しいのかもしれない。しかし何かが違う。何が違うというのだ。
 私の理想のキャンパスライフは、自分というものの傷跡を残すということだ。それはどこでもいい。とにかく傷跡を残したい。今までの大学生活で、何か一つでも傷跡を残しているか。かすり傷一つない。つまり、私はここへきて何もしていないということだ。これはよう頑張った、自分でもほめてやりたい、そんなことはどれだけ探しても見当たらない。あの時の自分に申し訳なく思う。
 自分でもこうなるとは思っていなかった。なぜこんな自分になったのか。第一志望校に入れなかったからか。それとも何かに不満を感じているのか。何かに不自由を感じているのか。はっきりとした答えは自分でもわからない。しかし友達のメールで目が覚めたような気がする。「いつまでそうやって過ごすつもりなんや」と。私の古い友達は今、世界へと飛び立ち、自分を大きくさせるために、理想の自分に近づくために、活躍している。時々、メールが入る。「アメリカへ留学します」「ベトナムに行ってきます」「フランスへ留学します」彼らがうらやましい。自分のやるべきことを見つけ、実行していく。私にはそれほど大きなことはできないかもしれない。しかし私にしかできないこともある。ほんの小さなことでもいい。それを見つけてみよう。この地に傷跡を残そう。生きている証として。それは今からでも遅くはないはずだ。