2011年5月29日日曜日

一人旅こそ

 今日も一日中雨が降りそうな天気であった。風がかなり強く、外の木がかなり揺れていた。台風が近づいているせいなのか。もう温帯低気圧になったそうだが、まだ風と雨がかなり強いらしい。近畿地方へ近づいていそうだ。ボランティアの助成金の書類を完成させ、先生方にメールに添付し送信したりしていた。明日は県庁を訪問しなければならない。これもボランティア団体関係だ。忙しいのはとりあえず今週までか。今週も報告会があるため、そこで主要メンバーを集める必要があるため、そのための宣伝もしなければならない。簡単に集まりそうもないので、少し悩んでいるところだ。
 
 昨日のブログで、母と海外を旅したいと書いたが、今まで私は「一人旅」にこだわってきた。といっても一人旅をしたことは数えるくらいだ。日本では、東京くらいか。あと、ニューヨーク、ワシントンDC。東京の一人旅は何度もあるが、毎回それは楽しいものだ。しかし海外の旅は、それの何億倍も楽しいものであった。これほど充実した1週間を過ごしたのは生まれて初めて、と自信を持って言える。以前のブログでも書いたことだが、よく「何で一人で行くん?」とよく聞かれる。おそらくその質問をした人の心の中は、「一人で寂しい」、「しゃべり相手がいない」、「英語がしゃべれない」、「怖い」…などがあるのではないだろうか。もちろん私も一人旅をするときはそれらをすべて背負って旅立つ。しかし、私が言いたかった一人旅の意味をノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが代弁してくれていた。この沢木さんは、私の高校生の時にお世話になった担任の先生の紹介で読むようになった。
 『ひとりバスに乗り、窓から外の風景を見ていると、さまざまな思いが脈絡なく浮かんでは消えていく。そのひとつの思いに深く入っていくと、やがて外の風景が鏡になり、自分自身を眺めているような気分になってくる。』
 沢木さんは一人旅をこうも表現している。
 『一人旅の道連れは自分自身である。周囲に広がる美しい風景に感動してもその思いを語り合う相手がいない。それは寂しいことには違いないが、吐き出されない思いは深く沈着し、忘れがたいものになっていく。』
 そう、一人旅はそういうものだと思う。一人旅は自分を知る旅である。私はこの沢木さんに触発されたわけではない。その担任の先生の話の面白さに触発されて旅をするようになった。あのフェリーから見るマンハッタンの景色、空を突き刺すワシントン記念塔。これらを忘れ難いものにさせているのは一人旅だった故だと思う。
 「一人旅」、ゆっくり自分を見つめられる。その旅が終わったら、なぜか心がすがすがしい。心地よい。日本に帰ってき、家に着いたとき、家族に山ほどの土産話をした。大変で大変で、本当に大変で…。でも本当に楽しかった、って。

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