2011年5月18日水曜日

側溝のヘドロ出し

 5月8日、私たちは岩手県の一関市に入った。その日は移動だけで終わり、本格的な活動は次の日からとなった。9日、私の班は気仙沼市のある建物の側溝のヘドロ出しをすることになった。移動のバスの中から外の景色を見ていたが、津波が来たあとがしっかりと残っていた。「においがきつい」ということは何度も聞かされていたが、それは本当でマスクなしでは作業できないほどだ。私の班に以前ボランティアに参加した学生がいて、土納袋の口の締め方などを教えてくれた。やはり経験者は作業のスピードが違う。手際が良い。それをまねしながら作業をしていた。ヘドロをスコップですくい出してもキリがない。何かもっといいものはないのかと思い、すぐ近くにあった瓦礫の中から、楕円形に変形した鍋を見つけた。それを使い、すくい出すのが楽になった。しかしそれでもヘドロは減ることを知らない。終わりがないように感じられた。
 昼休み、ご飯を食べた後、近くを散策することにした。歩いてすぐに河が流れていたが、それを見て驚愕してしまった。河の中に家が、トラックが、自動車が…。ほとんど作業が進められていないことを知ることとなった。確かに周りを見渡してみてもボランティアで来ている人は私たち以外に見ることはなかった。「ボランティアの手が足りない」というのは本当のことだろう。私がイメージしていたのは、たくさんのボランティアが作業をしている光景だった。その予想外の現実にショックを受けた。
 午後からも再び同じ作業の繰り返しだった。終わりがないように思われたが、どうにか終わりが見えてきた。一日かかってやっと作業を終えることができた。かなりの重労働である。どれほど大変なのか、体で理解する事ができた。そこの建物に住んでおられる女性の方から、差し入れなどをいただき、かなりうれしかった。きれいになった側溝を見て大変喜んでおられた。
 以前ボランティアを経験したこの学生は、ついこの間まで石巻市で活動していたのだそうだ。石巻市の被害状況は、残っている建物が半々くらいであったそうだ。しかしこの気仙沼市はそれよりも被害が大きいという。私もこの気仙沼市の被害の大きさには驚いている。なぜこんなところに車があるのか、針金の様に折れ曲がった電柱を見て、どうしたらこんな風になるのか、などと考えれば考えるほど怖くなってきた。私が今日できたのはたった一軒の側溝のヘドロ出しだけ。きれいにできた時は本当にうれしかったが、その反面これだけしかできなかったという悔しさも残った。私ができるのは本当に微力なのだということを知った。

2 件のコメント:

  1. 写真から様々なことを思い出して胸が苦しくなりました。
    はやく被災地が復興してほしい、それだけが願いです…

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  2. コメント、ありがとうございます。
    私もその光景を見たときは言葉を失いました。
    ボランティアの数が足らない状況です。
    私も呼び掛けをしようと思っています。
    復興のために、全力で取り組みたいです。

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