その民家の庭というのは、津波によって運ばれてきた汚れた泥で埋もれている様子なのだ。海から運ばれてきたということで、大量の魚が死んでいる。しかも腐っていたので、異臭がかなりしていた。ヘドロも混じり、表面の泥を土納袋に詰めるだけで、かなりの時間を費やした。スコップのかかり、そしてその相方として土納袋を持つ係、その土納袋を一輪車である指定されたところまで運んでいく係に分かれて作業をした。ひたすら同じ作業を繰り返しだ。掘っても掘っても元の地面が見えてこない。これも終わりのない作業のように思えた。
ここに住んでおられる方が差し入れをして下さった。それも3日ともだ。逆に私たちが助けられてしまい、申し訳ない気持ちになってしまった。ここに住んでおられる72歳の女性の方は、とても元気がよく、私たちと一緒に作業をしていた。私たちが負けてしまいそうな元気のよさであった。
ここにある泥は、ヘドロや腐った魚だけではない。大量のゴミ、割れたガラスの破片、包丁が出てくる。うっかりしているとかなり危険な作業場所である。しかしふつうに作業をしていたら、ケガをすることはまずない。しかし、かなり大変な作業であった。結局、土納袋が700個くらいになった。 作業を終えると、本当に喜んでおられた。何度も、「ありがとうございました」と言って、感謝して頂いた。私もとてもうれしい気持ちになった。3日かけてたった1軒の民家の掃除のお手伝いしかできなかったが、それはそれでよかったと思う。私たちにできたことは本当に小さなことであった。しかし次に私はこの経験で、感じたことを周りの人に伝えていくのが、次の私の仕事ではないかと感じている。そして小さな一歩から大きな一歩にしていけたら何よりだ。そしてまたボランティアをするためにここに戻ってきたい。
作業を終え、私たちは東京に戻った。帰った時に感じたことは「今までどこに行っていたのだろう」ということだ。東京の渋谷は地震以前のネオンを取り戻し、輝きを放っている。ここでは東日本大震災を「過去のもの」として忘れ去られているかのようだ。若者たちがはしゃいで遊んでいる。それを見ていると腹が立ってきてしまう。「復興に協力してくれ」そのことしか、今の私の頭にはない。
私たちが作業をしていたところも、私たち以外にボランティアしている姿を見ることはなかった。ボランティアが不足している。今こそ私たちのような若者、学生が立ち上がるべきではないのだろうか。見て見ぬふりをするのが一番許せない。一日本人として何ができるのか、もう一度考えてほしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿