2011年5月31日火曜日

貴重な時間

 今日は天気は回復したが、まだ風が強く、寒い一日となった。体調を崩した友達から電話が過あってきたのだが、今入院しているという。いきなりそれを伝えられたので、かなり驚いた。インフルエンザの検査を3回受けても、反応が出なかったため、違う病気であるらしい。今40度の熱があるという。かなり辛いだろう。彼は駅前までほぼ毎日バイトをしに行っていた。それも自転車であった。帰ってくるのがかなり遅くなることがしょっちゅうであった。それが原因であろう。無理のしすぎであった。体調を崩してしまえば、働いてお金を貯める意味がなくなってしまう。病院沙汰になればなおさらである。お金が欲しくてアルバイトをする。それは確かであろう。自分のために使う、生活費に使う、授業料に使う、人それぞれ使い道があるだろう。せっかく貯めたお金が、体調を崩してしまい、その治療費でその貯めたお金がなくなってしまえば、何のためにアルバイトをしたのかと後悔してしまう。お金がほしいのはわかるが、自分ができる範囲で考えなければならない。それも勉強である。無理をしないのが一番だ。「健康第一」というのは、健康を失って初めてわかる。
 「お金」の話が出てきたので、その話をしようかと思う。私は今、学生である。改まって言うこともないが。授業料、生活費などすべて親が出してくれている。具体的な仕送りの値段は言えないが、1カ月に一度郵貯に振り込まれている。その仕送りから、家賃、光熱費、交通費、生活費などすべてそこから出している。それ以上のお金は要求しない。その範囲内で生活する。子供が働き始めるまでにかかるお金は1000万とも2000万ともいわれる。全額ではないが、私が働き始めたら、ちょっとずつ返していこうと思っている。さてここが私の言いたいところだ。
 私は今はそのお金を返す予定はない。もちろん返していきたい気持ちは山々だが、それはしない。アルバイトで貯めたお金や少しお金に余裕があるときは、できるだけ自分のために使うようにしている。もちろん遊ぶのに使うのではない。はたから見れば遊んでいるかのように見えるかもしれないが。もう一度言うが、私は今学生である。今しかできないことがある。この学生時代にしかできないことがある。春休み、夏休みは1カ月以上もある。社会に出て、働き始めたらこれほどの休暇を取れることはまず不可能だ。だから今しかないと私は言うのだ。
 ついこの間、ボランティアに参加した。それはそれなりにお金がかかってしまった。しかし、かけがえのない大切なものを手に入れることができた。それはお金では決して手に入れられるものではない。その前には海外へ行った。約23万円かかった。そのお金は私が大阪でアルバイトをしたときに貯めてあったお金を使った。コツコツ貯めてきたお金が、たった1週間で、一瞬でそのお金がなくなった。それで私は後悔したのか。いや、していない。行ってよかった、と胸を張って言える。本当に貴重な経験だった。この学生の時に、頭が柔らかい時に、アメリカの一部を見ることができた。素晴らしかった。本当に貴重な経験であった。
 もちろん家庭の事情で、アルバイトをしながら授業料、生活費を稼がなくてはならない人もいるだろう。なぜ私が今親にそのお金を返さないのか。(次にあげる例は、正確な数字ではない。わかりやすくするための例である。)例えば、今1週間に3回、アルバイトをしているとしよう。1日だいたい3,4時間程度とする。それで貯められるお金が5千円とする。数年後、社会に出て働き始める。1日でその5千円を貯めることができる。これはかなり単純な例であるが、社会に出てから働く方が効率的であるのはわかるだろう。私はそう思って、今は返さず、働き始めてから返そうと思っている。つまり、「未来に自分に借金する」のだ。
 学生時代は、あっという間に終わってしまう。気が付けばもう3年生でもう6月になるではないか。何もせずに終わろうと思えば終わることができる。授業に出て、その勉強だけをしていればいいのだろうか。そんなことはないと思う。私はこの学生時代に、どれだけ「非日常」を味わえるかだと思っている。海外もそう、ボランティアもそう、あれはすべて「非日常」である。その「非日常」がどれほど私に力を与えてくれているだろうか。それはとてつもなく大きなものだ。お金はかかった。しかし、無駄金ではない。
 学生時代にどれほど視野を広げるかだ。「井の中の蛙大海を知らず」で終わりたくない。日本は広い。世界はもっと広い。日本の何が良いのか、悪いのか。大阪のどこが良いのか、悪いのか。それは外から見ないとわからない。外から見て初めて見えてくる。多くの経験をすればするほど、誰かに話ができる。将来、自分に家族ができ、子供ができたら、その子供に話をしたい。教師になって自分の教え子たちにその話がしたい。何も知らない大人にななりたくない。今、本当に貴重な時間である。終わってからではもう取り返しがつかない。「もっと楽しく、もっと有意義に」、それはどういう意なのか、もう一度考えてみようと思う。

2011年5月30日月曜日

県庁へ

 今日は朝からかなり激しい雨であった。靴がびしょびしょになってしまった。しかも寒い。最高気温が12度であったそうだ。友達が体調を崩し、熱があるという。この天気とは関係ないだろうが、体調を崩さないように注意したい。体調を崩さないようにするための体調管理も、すべて自分でするのが一人暮らしだ。体調を崩してしまうと、親に迷惑がかかってしまう。ただでさえ、遠くから心配してくれている。余計な心配をかけさせないようにしたい。
 今日は授業が終わってから、県庁へと出かけた。例の助成金の話をするためだ。前向きに相談に乗ってくれ、これは頑張らなければならないと思った。帰りに建物の中で、一緒にいた友だちが県知事を見たという。私は見なかったが、知事にもあいさつすればよかったかな(笑)。
 最近いろいろなところへあいさつに回っているため、様々な人から名刺を頂くようになった。私は口で自己紹介するだけであったが、私も名刺を作った方がいいと言われた。以前に母に相談したことがあったのだが、学生はまだいい、と言ったので、作らなかったのだが、やっぱり必要になってきた。これも社会人になるための練習だろう。私もまさか学生の間で名刺が必要になるとは思っていなかった。早く用意しよう。
 今日お世話になった方に、先ほどお礼のメールをした。友達にメールするわけではないので、言葉遣いや間違いなどにかなり気を使わなければならない。3回くらいは読みなおす。これも社会勉強だ。
 こういう役所を訪れるとやはり緊張してしまう。椅子に座っても、背もたれにもたれることはない。会議が終わって、自分の下宿の部屋に帰って来てから、腰が痛くなってくる。今腰が痛い。
 このブログを書き終わったら、また書類の作成をしなければならない。明日は大学で報告会もする。報告会も少し追加などしなければならなくなったので、それを今からやろう。

2011年5月29日日曜日

一人旅こそ

 今日も一日中雨が降りそうな天気であった。風がかなり強く、外の木がかなり揺れていた。台風が近づいているせいなのか。もう温帯低気圧になったそうだが、まだ風と雨がかなり強いらしい。近畿地方へ近づいていそうだ。ボランティアの助成金の書類を完成させ、先生方にメールに添付し送信したりしていた。明日は県庁を訪問しなければならない。これもボランティア団体関係だ。忙しいのはとりあえず今週までか。今週も報告会があるため、そこで主要メンバーを集める必要があるため、そのための宣伝もしなければならない。簡単に集まりそうもないので、少し悩んでいるところだ。
 
 昨日のブログで、母と海外を旅したいと書いたが、今まで私は「一人旅」にこだわってきた。といっても一人旅をしたことは数えるくらいだ。日本では、東京くらいか。あと、ニューヨーク、ワシントンDC。東京の一人旅は何度もあるが、毎回それは楽しいものだ。しかし海外の旅は、それの何億倍も楽しいものであった。これほど充実した1週間を過ごしたのは生まれて初めて、と自信を持って言える。以前のブログでも書いたことだが、よく「何で一人で行くん?」とよく聞かれる。おそらくその質問をした人の心の中は、「一人で寂しい」、「しゃべり相手がいない」、「英語がしゃべれない」、「怖い」…などがあるのではないだろうか。もちろん私も一人旅をするときはそれらをすべて背負って旅立つ。しかし、私が言いたかった一人旅の意味をノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが代弁してくれていた。この沢木さんは、私の高校生の時にお世話になった担任の先生の紹介で読むようになった。
 『ひとりバスに乗り、窓から外の風景を見ていると、さまざまな思いが脈絡なく浮かんでは消えていく。そのひとつの思いに深く入っていくと、やがて外の風景が鏡になり、自分自身を眺めているような気分になってくる。』
 沢木さんは一人旅をこうも表現している。
 『一人旅の道連れは自分自身である。周囲に広がる美しい風景に感動してもその思いを語り合う相手がいない。それは寂しいことには違いないが、吐き出されない思いは深く沈着し、忘れがたいものになっていく。』
 そう、一人旅はそういうものだと思う。一人旅は自分を知る旅である。私はこの沢木さんに触発されたわけではない。その担任の先生の話の面白さに触発されて旅をするようになった。あのフェリーから見るマンハッタンの景色、空を突き刺すワシントン記念塔。これらを忘れ難いものにさせているのは一人旅だった故だと思う。
 「一人旅」、ゆっくり自分を見つめられる。その旅が終わったら、なぜか心がすがすがしい。心地よい。日本に帰ってき、家に着いたとき、家族に山ほどの土産話をした。大変で大変で、本当に大変で…。でも本当に楽しかった、って。

2011年5月28日土曜日

母と一緒に

 今日は朝から雨が降りそうな天気だったので、部屋にいることにした。明日も雨だそうなので、休日は二日とも部屋の中にいることになりそうだ。
 忙しい1週間であったので、今日は何もする気になれなかった。本を読もうかと思って、本棚からいろいろと本を取り出して、本の整理をしていた。結局何も読まなかったのだが最近本を読んでいないので、何か読まなければならない。
 その後、デジカメで撮った写真の整理をしていたのだが、アメリカに行った時の写真を見ていて、ニューヨークについてもっと知りたくなり、インターネットを開き、いろいろ調べていた。そういえばアメリカに行った時のことをこのブログでも書かなければならない。もう少ししたら書きたいと思う。調べれば調べるほど楽しくなってきた。この大学生活中にもう一度くらいは海外へ行きたいものだ。どこに行きたいかと言えばそれは数えきれないくらいある。お金と時間があれば世界中を駆け回っているだろう。今度海外へ行くときは私の母を連れていきたい。私の母は新婚旅行でハワイに行ったことがあるらしい。それが今のところ最初で最後の海外旅行らしい。
 私は母とどこかへ行くことが多い。春休み、夏休み、冬休みと長期休暇で大阪に帰っているとき、母が仕事の休みの日には必ずといっていいほど、二人でどこかへ行く。「今日はどこ行く?」と行き先もわからないまま出かけてしまうことが多い(笑)。三日連続同じ所へ行ったこともある。もちろん同じ所だが、毎日違う発見があって面白いのだが。地元に住んでいると、「観光名所」というところには行かないものだ。行っても1回行けば十分という感じだ。そこで私は地元の人しかわからない面白い場所を探している。しょっちゅう行くところで私と母はそんな面白いところを探すようにしている。私が青森にいるときは、それができないので、大阪に帰った時はできるだけ母と遊ぶようにしている。
 今度は全く新しいところに連れていきたい。それは日本でも良い。私が今考えているのは、鹿児島か東京だ。鹿児島は私も行ったことがない。桜島を見たいのが一番の理由だ。東京は母と一度しか行ったことが無い。大学受験の時以来だ。その時は受験があったので、それほど遊ぶことができなかった。私も東京をあまり知らなかったので、いろいろなところは行けなかった。しかし今は少しくらいなら案内ができる。ゆっくり歩いてみたいものだ。
 しかし今一番行きたいのはニューヨーク、ワシントンDCだ。母にあの最高のマンハッタンの景色を見せてあげたい。「世界の十字路」と言われているタイムズスクエアを見せてあげたい。母が好きな映画「フォレスト・ガンプ 一期一会」の映画の舞台になったワシントンDCを一緒に歩いてみたい。もちろん私が大学生に間に行くことはかなり難しいので、卒業してからでもいい。いつか必ず連れて行こうと思う。母とニューヨーク、ワシントンDCを一緒に歩くのが私の夢だ。
 今日の写真はインターネットから持ってきました。

2011年5月27日金曜日

試合出場取りやめ

 私のボランティア立ち上げ計画に賛同してくれる学生がいて、その学生と話をしていた。女性なのだが、私たちがこれから立ち上げる団体のお手伝いがしたいと言ってくれた。本当にありがたい話である。彼女と図書館で約1時間くらい話をしていた。私がボランティアに参加した理由や参加したボランティア団体の詳細、現地の状況、これからの計画などである。来月6月に、駅前のある建物でその報告会、そして団体立ち上げの協力を学生だけでなく、一般の方たちにも公開する事になった。大きなスタートはおそらくその日となるだろう。しかしその前に、私の大学内でその団体の主要メンバーをそろえる必要がある。来月の大きな報告会でも、すべて私の大学の学生が運営しなければならない。その日までに集める必要があるのだが、集まるだろうか。具体的に何人必要かどうかはわからないが、10人前後くらいであろうか。今のところ5人を超えたところだ。もう少し集めなければならない。来週も大学内で、報告会を開くので、そのメンバーに入ってくれる学生を探さなければならない。

 以前剣道の試合に出場するかどうかという話をしていたが、結局出場しないことにした。その理由が一言でいえばお金になる。私一人のお金なら出場していたのだが、それだけで収まらないことになったのだ。その試合には監督が必要になる。その監督になってほしいと先生にお願いしたのだ。もちろん監督になるのは良いのだが、その監督の交通費や宿泊費、食費は誰が出すのかという話になった。私の剣道サークルは諸事情により、部費がほとんどない。今年は申請もしていないので、すべて自分で払わなければならない。部費があればそこから監督の費用を出せるのだが、それが無いので困ったのだ。部費で足りないものは自分で出す。これは当たり前だ。そう考えたら、監督の費用も私が出さなければならないことになる。そこまで出せるお金はない。自分のお金だけでもかなりのものだ。監督の費用も合わせれば、下手すると10万にいきかねない。そう思ったので、今年はやめることにした。この大学入学時からこの大会に出場するのが大きな目標であったが、「金」であきらめるのは、自分としても気が済まない。来年は就職活動などでどうなるかわからない。今年が一応の最後だと思っていたが、悔しい。来年出場できるなら迷わず出場しよう。すっきりしない終わり方をしてしまったが、これも社会の常識というものを学んだ。

2011年5月25日水曜日

役所訪問

 今、自分のブログにログインできないという問題が起こり、かなり焦っていた。アカウントが無い、ということだったらしいが、グーグルにメールを送信し、再びアカウントをとった。とりあえず問題は解決したのでよかった。

 今日は昼の1時から青森市役所の方で、先日お世話になったボランティア団体の立ち上げに協力して下さっている方と、役所の方と私たちで、その助成金の話をしたのであった。30分くらいで終わるという話であったが、1時間を超える会議になってしまった。もちろん話の中身は助成金のことについてだ。その役所の方は私たちの話に興味を持ってくれている様子であった。いきなり市に書類を提出するより、その役所の方と話ができていたら、その書類のことも理解がしやすい。今回、その役所の方と話ができてよかった。
 明日も以前訪問した先生の事務所に行かなければならない。下書きした書類の添削を行ってもらい、その後金曜日のNPO論の授業でゲストスピーカーとして講義をしてくださる方と、私たちで話をすることになっている。その方もボランティアをしていて、私たちにアドバイスをしてくださるというのだ。本当にありがたいことだ。
 今私は右か左かわからない。何をしたらいいのかわからない。とりあえず報告会をしている。その後は…。まだまだ先が見えない状態だ。協力して下さる方の意見を素直に受けとめたい。書類の書き方にしても、何をどう書けばいいのか。わからないことだらけである。しかし、闇の先にある光に向かって走っていきたい。

 今日は私たちがボランティアで体験してきたことの報告会が開かれた。合計3回開催する予定である。その初日が今日であった。どれほどの人が来るのか心配していた。一人でも来てくれたらと思っていたが、5名ほど来ていただいた。うれしいうれしい。報告会の内容もかなり良かったと好評をいただいた。次はもう少し、参加者が多くなればと思っている。

 最近、事務所の訪問であったり、役所の訪問であったりして、スーツを着る機会が増えてきた。普段あまり着なかったので、着慣れていない。就職活動前にスーツを着る機会があるとは思っていなかったが、たまにはスーツも良いものだ。気が引き締まる感じである。明日もスーツにネクタイを締めなければならない。成功を祈るしかない。

2011年5月24日火曜日

駅前で会議

 昨日は投稿できなかった。申し訳ない。というのも、昨日はそのボランティア団体の立ち上げに協力してくださる方と駅前の方で、会議をしていた。16時から始まったのだが、18時30分くらいまで、内容の濃い話し合いをすることができた。その方もこの計画に協力してくださるというので、本当に感謝しなければならない。
 その立ち上げの第一歩として、市からの助成金をもらう必要がある。その書類を良いものにし、市のランキングを上位にしなかればならない。その書類の書き方もその方に指導をいただいた。今はその書類をどれだけいいものにするか、そこがカギとなってくる。
 明日と、来週の火曜日と水曜日にボランティア報告会を開くことになった。教室を借りて、パワーポインターを使い、私が被災地で撮ってきた写真などを見せ、現地の状況を知らせる。災害への意識向上につながればと思っている。そしてボランティア団体の立ち上げに協力してくれればと考えている。その報告会の練習を毎日行っているが、なかなかうまくいかない。試行錯誤を繰り返しているところだ。参加してくれた学生の心を掴むためにはどうしたらいのか、どうしたら協力してくれるか、と考えながら、今練習中だ。
 この団体の目標は、学生たちだけにとどまらず、一般の方にもボランティアに参加していただきたいと思っている。ボランティアにもお金がかかる。その問題を解決できるような団体にしたい。「協力したい」、「何かお手伝いがしたい」という気持ちさえあれば、どなたでも参加できる。そして青森県内だけでなく、東北地方、日本、そして世界へと橋を架けていけたらいい。これは理想なのだが、この理想に向かって行きたい。
 この計画が成功するかどうかはわからない。簡単でないことはわかっている。しかし、少しずつでいいので進んでいけたら、これほどうれしいことはない。

2011年5月22日日曜日

久しぶりの休日

 最近忙しく、寝る時間がかなり遅くなっていたので、今日は久しぶりの休みということで、昼近くまで寝ることにした。しかし今日もやることがあるので、休んでばかりはいられなく、掃除をして、市に提出する助成金の申請書に下書きをしていた。そうこうしているうちに、お世話になっている教授から電話がかかってき、またまた予定が入ったりして、今週も本当に忙しくなる。剣道の試合に出場したく、連盟に大量の資料をメールで添付して送信しなければならない。それも今週の水曜日までにだ。しかも大会出場費も銀行振り込みで支払わなければならない。思ったよりも面倒で、時間がかかりそうだ。
 今日は買い物に行こうかと思っていたが、起きた時は雨が降りそうな天気だったので、部屋にいることにした。今は晴れているのだが。自転車が置パンクしているので、その修理もしたかったのだが、来週までお預けとなってしまった。
 昼過ぎに母から電話がかかってきた。明日私が頼んでいた荷物を送るのだそうだ。母も最近仕事が忙しいらしく、休みがなかなか取れないらしい。前にも母に電話した時だが、今仕事中だからまたかけなおすというのがしょっちゅうであった。近況報告などをし、いつも言われていることだが、「勉強しいや」とまた言われてしまった。

 昨日ボランティアに参加した東京の友達から電話がかかってきた。「遅刻やぞ、遅刻!」と言うので、何が遅刻なのだろうと思っていたが、私たちが行ったボランティアの事後研修が昨日あったのだ。そのことをすっかり忘れてしまっていた。参加できないというのは、その団体の方には教えていた。その友達も冗談で電話してきたということなのだが驚いた。私も含めて10人であったが、その事後研修に参加したのは2人だったそうだ。その10人の中にはフィリピンに留学する学生や、アメリカ、ブラジルに研修に行く学生がいたりするなど、みんな忙しいらしい。私も昨日は、キャリア形成講座や健康診断があって行けなかったのだが。1週間ぶりに彼の声を聞けてうれしかった。東京に行った時はまた彼に会いに行きたい。

 今月もそうだが、来月もかなり忙しくなりそうだ。剣道の試合に出場するとなれば、毎週のように宮城県のT大学まで行かなければならなくなる。土曜日、日曜日の休みがなくなってしまいそうだ。体調を崩さないようにしたい。

2011年5月21日土曜日

ボランティア団体立ち上げ計画

 今日は土曜日であったが、就職のためのキャリア形成講座というものがあった。ボランティアから帰って来て、まだ部屋が散らかっていたので、片付けたいと思っていたが、片付けられなかった。なぜかわからないが1年生が一番多く来ていたので、驚いた。その後、健康診断をした。
 朝から雨が降り、帰る頃になるとかなり強い雨でシャワーのような雨であった。これだけ降れば気持ちがいいと感じた。

 今、ボランティアに一緒に行った友達と、私の大学でボランティア団体を立ち上げようとしている。ブログでも書いたことだが、ボランティアの数が不足している。被災された方々は、お年寄りの方が多い。泥出しやヘドロ出しをするのは不可能に近い。そこで私たちのような若い人、学生が立ち上がるべきでではないかと考えている。
 しかし、私も経験したことだが、そう簡単にボランティアに行くことはできない。やはりボランティアといってもお金がかかるのが現状だ。「行きたくても行けない」という人がたくさんいるだろう。学生なら尚更のことであろう。私もそこに悩まされていた。できるだけお金がかからないところを探していた。そこで今回、参加したボランティア団体を見つけることができたのだが。
 私もボランティアに参加する学生が少ないのは、そこが大きく影響しているのではないかと考えている。その問題をできるだけ解決するようなボランティア団体を、私とその友達とで立ち上げようとしている。私たちだけでは団体を立ち上げることはできないので、教授にも協力してもらおうと、今走りまわっている状態だ。
 それと並行して、私たちがボランティアを通じて体験してきたことを、他の人に伝えるための報告会みたいなものを開こうと計画している。それは来週から開始する予定なのだが、まだはっきりと決まっていない。また、市から助成金を出してもらおうと考え、そのための申請書を作成しなければならない。その申請書の提出期限が6月3日なので、これも急がなければならない。その申請書を書くのにもテクニックが必要なため、その指導をお願いすべく、教授の知人の方にも連絡を取ってもらった。団体を立ち上げるのはかなり難しいことだと感じている、。しかしこれは被災された方々のため。できることをしていきたい。そして、将来もしここ青森で災害が起きた時のために、迅速に対応できる人材の育成も兼ねて、この団体を立ち上げていきたい。どれくらいの学生が参加してくれるかは分からないが、呼びかけていきたいと思う。

2011年5月20日金曜日

小さな一歩から大きな一歩へ

 今日はボランティア活動の2日目、4日目、5日目のことについて書きたい。気仙沼市にあるとある民家の庭の泥出しをすることになった。この3日とも同じ民家である。5人で一日中作業をして、やっと終わらせることができたのだ。それだけの労力と時間が必要なのだ。
 その民家の庭というのは、津波によって運ばれてきた汚れた泥で埋もれている様子なのだ。海から運ばれてきたということで、大量の魚が死んでいる。しかも腐っていたので、異臭がかなりしていた。ヘドロも混じり、表面の泥を土納袋に詰めるだけで、かなりの時間を費やした。スコップのかかり、そしてその相方として土納袋を持つ係、その土納袋を一輪車である指定されたところまで運んでいく係に分かれて作業をした。ひたすら同じ作業を繰り返しだ。掘っても掘っても元の地面が見えてこない。これも終わりのない作業のように思えた。
 ここに住んでおられる方が差し入れをして下さった。それも3日ともだ。逆に私たちが助けられてしまい、申し訳ない気持ちになってしまった。ここに住んでおられる72歳の女性の方は、とても元気がよく、私たちと一緒に作業をしていた。私たちが負けてしまいそうな元気のよさであった。
 ここにある泥は、ヘドロや腐った魚だけではない。大量のゴミ、割れたガラスの破片、包丁が出てくる。うっかりしているとかなり危険な作業場所である。しかしふつうに作業をしていたら、ケガをすることはまずない。しかし、かなり大変な作業であった。結局、土納袋が700個くらいになった。
 作業を終えると、本当に喜んでおられた。何度も、「ありがとうございました」と言って、感謝して頂いた。私もとてもうれしい気持ちになった。3日かけてたった1軒の民家の掃除のお手伝いしかできなかったが、それはそれでよかったと思う。私たちにできたことは本当に小さなことであった。しかし次に私はこの経験で、感じたことを周りの人に伝えていくのが、次の私の仕事ではないかと感じている。そして小さな一歩から大きな一歩にしていけたら何よりだ。そしてまたボランティアをするためにここに戻ってきたい。

 作業を終え、私たちは東京に戻った。帰った時に感じたことは「今までどこに行っていたのだろう」ということだ。東京の渋谷は地震以前のネオンを取り戻し、輝きを放っている。ここでは東日本大震災を「過去のもの」として忘れ去られているかのようだ。若者たちがはしゃいで遊んでいる。それを見ていると腹が立ってきてしまう。「復興に協力してくれ」そのことしか、今の私の頭にはない。
 私たちが作業をしていたところも、私たち以外にボランティアしている姿を見ることはなかった。ボランティアが不足している。今こそ私たちのような若者、学生が立ち上がるべきではないのだろうか。見て見ぬふりをするのが一番許せない。一日本人として何ができるのか、もう一度考えてほしい。

2011年5月19日木曜日

陸前高田市、花壇の整備

 ボランティアで本格的に活動したのが5日間で、1日目は昨日のブログで買いあたとある建物の側溝のヘドロ出し、2日目、4日目、5日目はある民家の庭の泥出し、3日目は陸前高田市にある小学校、中学校の花壇の整備をした。他の4日間は気仙沼市で活動をした。今日は3日目のことについて書きたい。
 私たちが宿舎で使っているアパートがあるのは一ノ関市で、そこからバスで陸前高田市までは約1時間半くらいかかった。気仙沼市の被害で驚いていた私であったが、陸前高田市はそれを上回るほどの被害であった。見渡す限り何もないのである。あるのは瓦礫の山だけ。ここ陸前高田市は、津波が双方から来て、その二つの波が合流し、さらに強い波となったそうだ。「壊滅状態」の意味がわかった。
 花壇の整備といっても、煉瓦をきれいに並べ、そこに運ばれてきた土を入れる作業である。しかしこれも重労働であった。その花壇がたくさんあり、トラックで土が運ばれてきたのだが、土を多く入れ過ぎたりしてしまい、それを調節するのが大変な作業であった。一輪車を使い何度も往復した。
 この小学校、中学校は高台にあるのだが、それでも津波が押し寄せたという。体育館を観に行けば、「卒業式」と書かれてたのだろうか、その様なプラカードがぶら下がっていた。バスケットボールのゴールもめちゃくちゃであった。教室の窓が割れていて、天井もはぎとられているところもあった。プールにたまっていた水は黒く、瓦礫がたくさんあった。
 昼休みになると、今回も少し遠くまで足を延ばすことにした。ボランティアで作業している人を見かけることはなかった。数台の車が通り過ぎるだけである。本当に何もない。本、人形、靴下、おもちゃ…。生活の破片が残されている。しかしここにそんな生活があったとは想像できない。一体ここで何があったのか。
 私たちが整備した花壇は、6月に個々の児童や生徒達が花を植えるのだそうだ。今回それを見ることはできなかったので残念であったが、その植えられた花を見に、またここに戻ってきたいと思った。子供たちが近くに寄って来てくれた。なんて声をかけたらいいのか…。ただ一緒に笑ってあげることしかできなかった。しかし、子供たちが元気にはしゃいでいる姿を見ると、少し安心した。
 帰り間際に、ここで被災された方の貴重な話を聞くことができた。当時何をしていたのか。目を赤くしながら話をして下さった。その方々の被災された方を見てこう思ったそうだ。「津波を受けるために生きてきたみたいだ」と。最後に言葉をもらった。「人生は楽しく生きて下さい」

2011年5月18日水曜日

側溝のヘドロ出し

 5月8日、私たちは岩手県の一関市に入った。その日は移動だけで終わり、本格的な活動は次の日からとなった。9日、私の班は気仙沼市のある建物の側溝のヘドロ出しをすることになった。移動のバスの中から外の景色を見ていたが、津波が来たあとがしっかりと残っていた。「においがきつい」ということは何度も聞かされていたが、それは本当でマスクなしでは作業できないほどだ。私の班に以前ボランティアに参加した学生がいて、土納袋の口の締め方などを教えてくれた。やはり経験者は作業のスピードが違う。手際が良い。それをまねしながら作業をしていた。ヘドロをスコップですくい出してもキリがない。何かもっといいものはないのかと思い、すぐ近くにあった瓦礫の中から、楕円形に変形した鍋を見つけた。それを使い、すくい出すのが楽になった。しかしそれでもヘドロは減ることを知らない。終わりがないように感じられた。
 昼休み、ご飯を食べた後、近くを散策することにした。歩いてすぐに河が流れていたが、それを見て驚愕してしまった。河の中に家が、トラックが、自動車が…。ほとんど作業が進められていないことを知ることとなった。確かに周りを見渡してみてもボランティアで来ている人は私たち以外に見ることはなかった。「ボランティアの手が足りない」というのは本当のことだろう。私がイメージしていたのは、たくさんのボランティアが作業をしている光景だった。その予想外の現実にショックを受けた。
 午後からも再び同じ作業の繰り返しだった。終わりがないように思われたが、どうにか終わりが見えてきた。一日かかってやっと作業を終えることができた。かなりの重労働である。どれほど大変なのか、体で理解する事ができた。そこの建物に住んでおられる女性の方から、差し入れなどをいただき、かなりうれしかった。きれいになった側溝を見て大変喜んでおられた。
 以前ボランティアを経験したこの学生は、ついこの間まで石巻市で活動していたのだそうだ。石巻市の被害状況は、残っている建物が半々くらいであったそうだ。しかしこの気仙沼市はそれよりも被害が大きいという。私もこの気仙沼市の被害の大きさには驚いている。なぜこんなところに車があるのか、針金の様に折れ曲がった電柱を見て、どうしたらこんな風になるのか、などと考えれば考えるほど怖くなってきた。私が今日できたのはたった一軒の側溝のヘドロ出しだけ。きれいにできた時は本当にうれしかったが、その反面これだけしかできなかったという悔しさも残った。私ができるのは本当に微力なのだということを知った。

2011年5月17日火曜日

ボランティア事前研修

 5月6日、東京に行くために夜行バスに乗り、約10時間ほどかけて東京に向かった。東京に到着したのは7日の朝8時前くらいであった。ボランティアの事前研修は11時からだったのでそれまで時間をつぶし、事前研修のある市ヶ谷に向かった。わかりにくい建物でそれを探すのに少し迷ったが、到着する事が出来た。
 今回集まったのは私を含めて10人。全員学生であった。事前研修は主にチームビルディングが目的であった。グループではなくチーム。チームになることによって、作業、役割などが短い時間で決められるようになり、スムーズに活動できるようになる。
 まず話し合われたことが、なぜこのボランティアに参加したのか、ということだ。5人5人に分かれて、そのことについて話し合われた。みんな様々な意見を持っていて、参考になる意見ばかりであった。そしてこのチームの目標を決め、その目標がボランティアが終わった後、どう違ってくるかを見るのだという。それは確かなことでボランティアに行く前と後とでは考え方が大きく変わっているからだ。私も考え方が変わった者の一人である。「百聞は一見に如かず」正にその通り。
 その後に、以前にボランティアに参加した人の話を聞く時間があった。このボランティア団体は、1週間単位で、何度もチームを派遣している。私は第4期生だ。第3期生の話を聞き、たくさんのアドバイスをもらった。初めての参加なので、なかなかイメージできないところもたくさんあったが、今思えばかなり役にたった。
 その後解散し、私は青森の戻ることができないため、このボランティア団体が使っている、オフィスで泊まることになった。そのオフィスが荻窪にあり、そこまで電車で移動。荷物ががなりあり、歩くのもかなり困難であった。スーツケースにボストンバッグ、もう一つカバンを持っていた。同じ大学の私の友達も一緒に参加していたのだが、彼もバックパックにボストンバッグというかなりの荷物であった。
 一緒に泊ったのが私たち以外に2人いて、関西から来た学生と、静岡から来た学生である。関西から来たこの学生が今回の団体のリーダーとなった。夕食を食べているときもボランティアの話になった。今回集まった学生たちは、みんな自分の考えを持っていて、それに圧倒されてしまい、私はただ黙って聞くしかないという場面が多かった。それほどの考えの持ち主が集まっていて、それだけでもかなり刺激になった。自分のために、将来のために、被災した方々のために、東北のために、そして日本のために。

 明日もボランティア活動の続きを書く。

青森に帰ってきた

 今日の朝、青森に到着した。下宿のおばちゃんが駅前まで車で迎えに来てくれた。部屋に到着したが、すぐに大学に行く準備をしなければならず、休む時間はなかった。やはり疲れがたまっていて、授業に集中する事ができなかった。今日はゆっくり休むことにしよう。
 明日は今回、ボランティアに行って来て、体験したこと、感じたこと、など活動報告みたいなものを書こうと思う。今日はこれで終わりにするが、申し訳ない。また明日からいつも通り書いていこうと思う。

2011年5月5日木曜日

渋谷を散策

 2日の火曜日の夜、夜行バスに乗るため、19時過ぎに自転車に乗った。その前に私の自転車がパンクしていたため、急きょ友達の自転車を借りることにした。駅前につき、近くのコンビニに行き、今度ボランティアに行くときの夜行バスのお金も払った。
 バスは新幹線と違って、席の幅が狭い。前の人との距離も近い。周りの人にかなり気を使わなければならない。それでかなり疲れる。20時30分に出発し、東京に着いたのが、次の日の朝8時くらいであった。友達の仕事が終わって、こっちに来れる時間が昼過ぎになるということで、それまで時間をつぶさなければならなかった。今回は渋谷と青山、表参道、原宿、そして原宿に戻るといういつもの定番のところを歩いた。渋谷はハチ公前、スクランブル交差点、などを見て、今回の渋谷のメインは「渋谷川」の写真を撮ることであった。渋谷に川が流れているのか、という人がいるかもしれないが、渋谷には川が流れている。昔は立派な川だったらしい。今は写真のように、ちっぽけな川となってしまったが。昔川が流れていたという跡も残っている。渋谷区と新宿区はこの「渋谷川」を境にしている。


 以前にもブログで書いたが、渋谷は坂の街だ。今回も坂を訪ねた。青山通りにある、「宮益坂」を上って、青山、表参道へ。この坂は昔、「富士見坂」の一つで、富士山を見ることができたのだ。今はもちろんビルが建っていて見ることはできないのだが、富士山の方向を向いてみた。すぐに壁があったが、歴史を感じることができた。そのまま表参道へ。
 その時はまだ10時くらいで、店がほとんど開いておらず、ただ歩くだけとなってしまった。いつも人が多いのだが、まだこの時間は人が少なく、ゆっくり歩くことができた。原宿に行き、買い物を少し。そろそろ渋谷に戻ろうと思ったので、少し表参道に戻り、「キャットストリート」を歩くことにした。ここも店はほとんど開いていなかったが、オシャレな通りで、雰囲気がかなりいい。今度はお店が開いている時間に訪ねてみたい。
 渋谷に着いたところで、友達から電話がかかってき、今家を出たところという。もう1時間、時間をつぶそうと思い、ボランティアで使う懐中電灯の電池を買いに行くことにした。この前、「特殊な電池」と言っていたが、ただの単5電池であった。見慣れない大きさだったので、「特殊」と思い込んでしまった。
 ここまでが今回の東京の1日目の前半である。続きは日を変えてまた書きたいと思う。


 
 明日の夜再び東京へ行って、ボランティアの事前研修に参加しなければならない。そして次の日、そのまま岩手県の陸前高田市の方へ行くことになっている。1週間ボランティアするので、このブログの更新ができなくなる。ここ青森に戻ってくるのが、16日の朝の予定だ。次回このブログを更新できるのは、16日の夜以降ということになるが、申し訳ない。ボランティアを通じて感じたことなどを、このブログで書きたいと思う。16日までご無沙汰となってしまうが、またこのブログを覗いてほしい。日本復興のサポートをしたいと思う。

2011年5月2日月曜日

東京に行く

 今から東京に行ってくる。時間が無いので、このくらいにする。申し訳ない。5日にまた更新するので、また覗いてほしい。

2011年5月1日日曜日

ハードな月の始まり

 今日は朝から雨で、今も降っている。霧がすごく、外は真っ白だ。
 今日から早いもので5月となり、4月はあっという間に過ぎてしまった。あいにくの雨のスタートとなったが、今月も張り切っていきたい。最初の2週間はかなりハードなスケジュールだ。明日の夜は東京行きのバスに乗らなければならない。と言っても授業に出て、サークル活動をし、夕食を食べ、風呂に入り、そして自転車で駅前まで行かなければならない。間に合うかが心配だ。明日も雨だという。雨ならバスで駅前まで行くのだが。東京の友達にはこの前、アメリカに行った時のお土産を渡さなければならない。その友達はアメリカに行く前に、「何か買って来て」とお金を渡してくれたのだ。そのため上げるお土産は多い。それを渡しに行くのが今回の目的の一つだ。
 今回どこへ行くかははっきり決めていないが、その友達は、お台場の大江戸温泉に行きたいらしい。この前も鞍馬温泉に行ったが、温泉が好きらしい。東京へ行って温泉とはなかなか思いつかない。一応そこも予定に入れるつもりである。東京へ行く前は必ず街の特徴を調べてから行く。例えば、なぜ渋谷は坂が多いのか。渋谷は「谷の街」と言われている。行ってみればわかるのだが、本当に坂が多い。渋谷は深いところにあるため、地下鉄の銀座線が渋谷のところだけ少しだが地上を走るのだ。地下鉄が地上を走るのは面白い。
 そして街には歴史が残っている。ただ単に歩いているだけでは気が付かないところに自然や歴史があり、それを見るのが楽しい。遊びに行くだけでは時間もお金ももったいない。歴史や地形を事前に調べ、そして実際に見に行く。それだけではなくさらに何か新しいものを見つけることもある。そんな風にしてみると2倍も3倍も楽しくなる。これは私の「一人旅」の楽しみ方の一つである。今回は一人旅ではないのだが、どこか見てこようと思う。

 昨日ボランティアの用意をしていて、懐中電灯が必要だと書いていたので、引き出しの中から懐中電灯を取り出してみたのだが、明かりが付かない。電池をよく見てみると、古いのか、銀色のところが汚れてしまっている。この懐中電灯の電池は単3や単4とは違って、少し特殊な電池が必要なのだ。昨日買い物に行った時についでに買えばよかったのだが、気が付くのが遅かった。青森に帰って来てからまた買い物へ行こう。
 とりあえず今週と来週は忙しくなりそうだ。やるべきことをきっちりこなしていきたい。