2011年8月31日水曜日

生まれ変わる

昨日も更新できずに申し訳ない。やっと私の「夏休み」というのがきたみたいで,今は少しだけ大学のことなどからは解放さているみたいだ。昨日は午後から京都に行ってきた。暇つぶしと言えば暇つぶしだったが,私が使っていた扇子が少し壊れかけであったので,買い替えに行こうと思い,京都を訪れた。八坂神社,円山公園,ねねの道,三年坂などいつもの定番コースを歩いた。とても晴れていて,気持ちがいいと言いたいのだが,かなり暑かった。汗が体の奥から染み出るみたいであった。東京も暑かったが,こちらの方が暑い感じがする。残暑が続きそうだ。
昨日は平日ということもあって,観光客もそれほど多くなかった。京都のお菓子を食べ歩きしながら散策を楽しんだ。


気が付けばもうすぐ9月になろうとしている。大学3年生も半分終わり,後半戦へと入る。就職活動も始まる。私は教職志望であるが,就職活動はどうするのか。最近知り合った方で,この方は高校教員(社会)をしているのだが,「社会を教えるのに,社会のことを知らずに教えるのはおかしい。だから私はいったん就職してから高校の先生になった。」という方がいた。その話を聞いていると,確かにその通りという気がしてきた。しかし,私がここでいったん就職をしようというと,教職から逃げている気がするのだ。教職試験から不合格になったときの言い訳にしてしまうかもしれないのだ。私は教職の勉強もしつつ,就職活動もする予定であった。教職試験は難しい。一発合格するのは至難の業と言えるだろう。最初からあきらめて,その方が言ったことを私がそのまま言い訳にしてしまいそうである。その方と私は違う。その方が言ったことに私は同感する。だからその方と同じように就職しようと言ってしまうと,明らかに違う意味になってしまうのではないか。私はただ逃げ道を作りたいだけなのかもしれない。
今までもそうやって逃げ道を作りながら生きてきたような気がする。何かと理由を付けて,勝負しなければならないところ,覚悟を決めなければならないところ,努力しなければならないところ,から逃げてきた。これからもそうやって生きていくのかと言われれば,私はどう答えたらいいのだろう。もしかすると逃げ道を作りながら生きていくのが私の生き方なのかもしれない。しかし,それがどこまで通用するのか。言い訳も何もできない時が来る。それは私にもわかる。ならば,今の生き方を変えるべきではないのか。「生まれ変わるなら,生きてるうちに。」これは私の恩師の言葉だが,何度生まれ変わろうと今まで思ってきたか。生まれ変わりたかっても,生まれ変われなかった。しかし,私はこの言葉を信じ続けている。人間は何度だって生まれ変われる。ただ私に覚悟が足りないだけだ。今までの自分を捨てることができないだけだ。今度こそ生まれ変わってみせよう。

2011年8月29日月曜日

東京ミッドタウン回り

 大阪に帰ってきた。やはり,こちらは暑い。今日の大阪の最高気温は34度であったらしい。涼しい青森が恋しくなる。昨日の夜行バスに乗り,今日の朝7時30分過ぎくらいに東京駅に到着し,そのまま渋谷の友達のところへ行った。朝の東京はどこの店も開いていないので,時間を潰すには友達の家に行くのが一番いい。今日も3時間ほど友達の部屋で話をした。今回のボランティアの件の話が中心であったが,その友達は明後日,母校の高校でボランティア報告会を行うのだそうだ。彼も東京でできることをやっている。
しばらく話をした後,二人で出かけることにした。まずは昼ご飯を食べに。地元の人しかわからないようなつけ麺の店に連れて行ってくれた。彼も友達から教えてくれたそうだが,かなりおいしかった。いい店は地元の人に聞くのが一番いい。
その後,私がいつも行っている表参道のお店に行き,かわいらしいキャラクターのキーホルダーを買った。色によって顔が違うので,どれにしようかかなり迷った。友達も一つ買うことにしたのだが,全部集めてみたいと言っていた。全部集めたらかなりの値段になってしまいそうだが(笑)。
次に友達が六本木に行きたいというので,それならばと東京ミッドタウンに行くことにした。ここも私のおススメの場所である。原宿駅から山手線に乗り,恵比寿で乗り換える。そこから東京メトロの日比谷線に乗るのだが,日比谷線の駅に向かう途中に,エナジードリンクの“Red Bull”を配っている車を見つけ,しばらく見ていると配り始めたので,私たちももらうことにした。ちょうど水分がほしかったところであった。
東京ミッドタウンに着き,上からお店を回る。今回は今まで入ったことのない店にも行き,ゆっくりと店内を回ることができた。やはりミッドタウンはおもしろい。ほしいものがたくさん見つかってしまい,困ってしまう。木製のぐいのみはなかなか良かった。安いお酒でも高級感を漂わせて飲むことができそうである。
甘いものが食べたくなり,またまたマカロンの店を発見。この前は普通のマカロンを食べたので,今回はアイスのマカロンを食べることにした。二口で食べれそうなアイスのマカロンだが,1個450円もするのである。私は抹茶,友達はマンゴーのマカロンにした。食べてみるがやはりおいしい。今まで食べたアイスの中で一番おいしいかもしれない。少し高いとも感じたが,しょっちゅう食べるものではないし,このような機会でしか食べられないので大満足である。
その後渋谷へ戻り,友達はそれから用事があり,私も大阪に帰らなければならなかったので,5時過ぎにお別れをした。今回も新たな発見ばかりで,とても楽しい一日であった。次に東京へ行くのは9月だ。またどこかへ遊びに行こう。

2011年8月28日日曜日

今日大阪に帰ることに

 今日からブログを書けると思っていたが、今から大阪に帰ろうと思い、今日の21時のバスで東京まで行くことになってしまった。かなりハードなスケジュールである。もう少しで8月も終わろうとしていることに少し焦りを感じ、一日でも早く実家に帰ってゆっくりしようと思い、今日帰ることにしたのだ。急いで荷物を整理したが、何か忘れものがありそうで心配である。もう少しで夏休みが終わってしまうではないか。有意義に過ごせるようにしたい。
 明日はブログが書けるかわからないが、明後日からは書けると思うので、また覗いてもらいたい。ここ最近はまともなブログが書けなくて申し訳ない。

2011年8月27日土曜日

ボランティアを終えて

 ボランティアから帰ってきた。あっという間の1週間であった。具体的な活動や、感じたことなどは後日改めて書きたいと思う。今日は少し疲れているみたいだ。頭があまり回らない。1週間分の洗濯や部屋を片付けなければならない。そしてまた大阪に戻るのでその準備もしなければならない。また明日から書いていきたいと思う。
 1週間ボランティア作業をしている間、情報が全くなかった。今世界で何が起こっているのか、日本はどうなっているのか、プロ野球ではどこのチームが1位なのか・・・などなど、それが今とても気になっているところだ。ボランティアしている間はそのようなことはあまり気にならなかったが、こちらに戻ってくるとそれが無性に気になって仕方がない。ボランティアしている間気にならなかったといったが、それはとても恐ろしいことである。もしかすると世界で戦争が始まっているかもしれない。やはり、どこにいても情報は常に入るようにしておかなければならない。今、そう感じている次第である。
 疲れているみたいなので、今日は早く寝ることにしよう。申し訳ない。

2011年8月20日土曜日

「大先生」とのお話

 今日は、とある方と会うことになっていた。私が5月にボランティア活動に参加させていただいたボランティア団体のメンバーの一人と会う約束をしていたのだ。ここではIさんということにしよう。そもそもそのIさんとは、私がこの前大阪に帰っていたときに、私の携帯に電話をくれたのだ。Iさんのご両親が、私が載っていた新聞記事を見てくれていたらしい。そこに私の電話番号も載せていて、それで電話をいただいたのだ。新聞に私が載って、かなりの時間がたっていたので、もうその件に関してのメールや電話はこないなと思っていたときに、その電話がきたのでびっくりした。電話での話によると、Iさんは夏休みにここ青森に帰ってくるので、そのときにお会いできないかということであった。私もお会いしたいのは山々だったが、なんせ私は今大阪である。すぐにお会いできないが、私が夏休みにボランティア活動をするので、活動する前に青森に戻るので、その時にお会いできないかということをお伝えし、後日お会いできることをメールしていただき、今日Iさんは青森県黒石市からわざわざ青森市までお越しいただいたのだ。
 私は今、ボランティア団体を立ち上げ、活動するまでに至ったが、問題は山積みである。そもそもどのような団体にするか、ということに関してなのだが、私がお手本にしたかったのは、私が5月に参加させていただいた団体をお手本にしたかった。学生が抱えている金銭面の問題をすべて解決していたからだ。私も金銭的にこの団体には本当に助けて頂いた。その様な団体が青森にもあればというのが、私の根本的な考えである。
 私が聞きたかったことは、やはり団体を運営していくにもお金がかかるので、Iさんの団体はどのようにして運営しているのか、これが一番気になるところであった。やはり、Iさんの団体も助成金の申請をしているという。私は青森市の助成金のみなのだが、Iさんの団体は多くの助成金を受けているのだそうだ。私の団体はまだ人数がそれほどいないので今は何とかなるのだが、将来的に他の助成金に関しても調べていく必要がある。
 Iさんの団体も他の大学でも説明会を開いているらしい。この前、私が駅前で報告会をした時には、他の大学生の方はほとんど来なかった。チラシを配らせていただいたが、それだけでは不十分だということが分かった。Iさんの団体のように、直接大学にお邪魔させていただいて、報告会や説明会を開くのが最も効果的なのではないだろうか。急いでいる方も、わざわざ遠くまで説明会を聞きに行かなくても、自分の大学であるならば、ということで参加してくれるかもしれない。文化祭の時にお邪魔させていただくのもいい。ほんの少しでもいいので時間をいただいて、説明会ができればと考えている。
 その他にも、ボランティア以外の話になった。「夢」の話、「海外一人旅」の話、「サークル」の話・・・などなど、様々なことに関して話をした。Iさんとは初対面であったが、「志の高い方」という印象が残った。「将来の夢がわからない」ということをおっしゃっていたが、「やりたいこと」はたくさん持っていた。私は、その「やりたいこと」を通して、これからの自分、未来の自分を探すカギとなるのだと思う。「自分探し」をすればいい。私が偉そうに言える立場ではないが。
 私は、私にとっての「天職」に就きたい。何もアクションを起こすことなく、与えられた環境の中で、与えられたことしかせず、そのまま大学を卒業し、とりあえず就職するというのは私はしたくない。「天職」に就くにはどうしたらいいか。自らが様々な経験をし、そこから何を感じ、学ぶのか。様々な人から話を聞くのもいいだろう。とにかく、何でも経験するのが一番である。「百聞は一見に如かず。一見は一行に如かず。」これは大学の教授から頂いた言葉だが、その通りである。
 私は「夢」ばかり見ていて、「現実」を見ていないとよく言われる。確かにそうかもしれない。しかし、まずまずの人生をこのまま過ごすのか、二度とない人生を求め続けるのか、と聞かれたらどう答えるだろうか。私は後者の方を選ぶ。
 Iさんも毎日かなり忙しいらしい。しかし、忙しいということは本当に素晴らしいことである。忙しいということは、充実しているということだ。
 「志の高い方」Iさんは、自分探しの途中である。今の自分に満足することなく、様々なことに挑戦し続けてほしい。気が付けば自分の「夢」が見えているはずだ。私も見習わなければ。
 話がそれてばかりで、Iさんには本当に申し訳なかった。しかし、充実した時間を過ごすことができ、お会いすることできて本当によかった。これからもIさんからアドバイスをいただければと思っている。

 明日から1週間、宮城県の登米市にボランティア活動に行ってくる。また1週間更新できなくなるが、来週更新するので、また覗いてほしい。


もし私たちが空想家のようだといわれるならば、
救いがたい理想主義者だといわれるならば、
できもしないことを考えているといわれるならば、
何千回でも答えよう
「その通りだ」と。
 -チェ・ゲバラ-

2011年8月19日金曜日

青森到着するが・・・

 青森に帰ってきた。朝6時37分新大阪発の新幹線に乗り、13時26分に新青森駅に到着した。やはりこちらは格段に涼しい。過ごしやすいのが改めてわかる。
 こちらに到着して、すぐに下宿に行きたいところだが、青森市社会福祉協議会のところへ行き、災害保険に入らなければならない。青森駅について、そのまま歩いてその社会福祉協議会のところへ行く。思っていたよりもすぐに入ることができたので、仕事が一つ片付いた。登録している途中に、緊急地震速報が入り、また東北地方で強い地震があったみたいだ。明後日から私たちも活動である。地震や津波には十二分に気を付けて活動したい。
 登録が済み、下宿に行くことに。16時くらいに到着し、30分くらい休憩する。その後、メンバーと私の作業服などを買わなければならず、自転車に乗って再び出かける。ゆっくりしたいが、それは後回しだ。今やるべきことをやらなければならない。専門店へ行き、女性用の作業服を探すのだが、なかなか見つからない。見つかりはしたが、人数分がない。また明日、違う店へ行き、買いに行かなければならない。かなり大変であったが、これはすべて私の仕事である。私が用意すると言ったのだから。友達に作業服と長靴を探しておいてくれ、と頼んだが、その友達が急遽行けなくなり、私が用意しなければならなくなった。広島に行く前日の夕方にそれを伝えられたので、大阪で用意できなかった。こちらへ帰ってきて、女性用の作業服が見つかるか、心配で心配でしょうがなかったが、何とかなりそうである。いや、何とかできそうである。
 本格的な活動まで、かなりの時間がかかってしまった。もっと早く活動できればと思うところがあるが、これも私の責任である。メンバーには申し訳ないと思っている。私の力不足である。情けないリーダーだ。
 とにもかくにも、明後日から活動してくる。怪我のないようにしたい。

 広島のことについては、また時間があるときに書いていきたい。今は少し時間がない。いや、時間はあるのだが、今はボランティアの件で頭がいっぱいでである。今はそちらに全力を傾けたい。

2011年8月16日火曜日

高校訪問

 今日は母校の高校へ教育実習の面接に行ってきた。私が青森から帰ってくるのを待っていただいたということだったので,緊張して高校に向かった。面接ということで何を聞かれるのか心配であった。
14時に高校の職員室で,ということだったので,13時50分くらいに職員室に入った。担当の先生は,今会議中ということで,しばらくソファに座って待たせてもらうことに。すると私が高校生の時にお世話になった英語の先生や家庭科の先生と話をすることになった。その前に,この英語の先生はよくジョーダンを言う先生で,私はスーツを着ていたので,職員室に入ったときに,「営業の方は帰ってください」というのだ。いきなりそのようなことを言われては笑うしかない。毎回高校に行くたびにこの先生には何かを言われる。そこからいろいろな話に花が咲く。私が今何をしているのか,今の高校はどのようになっているのか,将来はどうするのか,などといろいろ話をした。とりわけ,いろいろなところに私の母校を宣伝しておいてくれということだった。なかなか生徒を集めるのも大変らしい。もしかしたら何年後か先に私も自分の教え子に同じことを言っているかもしれない(笑)。
担当の先生がきた。去年くらいに,私の恩師から紹介を受けた先生であったので,初対面ではなかったので,そこまで話し辛いことはなかった。面接と思いきや,先生からの説明が始まった。何を教えてもらうのか,教育実習期間はいつか,内諾書を送ってほしい,などなど。その後,書類に名前を書いたり,大学名を書いたりしてあっという間に面接というよりも説明が終わってしまった。あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまった。これならわざわざ私が青森から帰るのを待つ必要があったのだろうか,疑問に思うところだが,面接を受けるよりかはうれしかった。
倒れそうなくらい暑いというのにスーツを着ているのが何よりも苦しかった。家庭科の先生に「お邪魔しました」とお伝えしに行くと,「門出たら早くスーツ脱ぎや」と言ってくれた。私は頭はかなり悪かったが,いろいろな先生方にかわいがってもらっている。勉強して恩返ししなければならない。来年の教育実習が楽しみである。


明日は広島に行ってくる。明日は晴れるがあさっては雨の予報だ。どうにか晴れてほしいものだ。広島に行ってゆっくりできるかと言ったらそうでもない。明日はボランティア関係のことで電話がかかってきたり,メンバーに確認をとったりしなければならない。そして広島から帰ってきた翌日には朝一で青森に帰らなければならない。広島に行ってもボランティアのことが気になる。体も精神も休める時間がない。今日も問題が発生してしまい,それも解決しなければならない。青森に帰ってすぐに青森市内を駆け回らなければならないだろう。しかし,このような緊張感がある方が,生活に張りが出てくる。時間がなさそうに見えるが,どうにかして自分の時間を作り,休むようにしている。大阪に帰ってからは少しの時間を見つけては本を読んでいる。以前のブログでも紹介したが,『深夜特急』シリーズ1~6が遂に完結し,その番外編みたいなもの『旅する力』を今読んでいるところだ。それももう少ししたら読み終わる。相変わらず勉強していないのが自分でも気になるのだが(笑)。これプラス勉強が入ってくれればなー,と毎日祈っている。

明日から少し広島へ行ってくる。明日は更新できないが申し訳ない。また広島の写真を撮ってくるので,またこのブログに載せたい。

2011年8月15日月曜日

広島旅行

 更新できなくて申し訳ない。
大阪に帰ってきても,休む時間がない。お墓参りに行ったり,ボランティア活動するときの準備をしたり,友達と遊んだり,明日には教育実習の面接に高校に行かなければならない。友達と遊んだり,というのは余計かもしれないが。とりあえず一日中家にいることはない。明日は高校へ行き,明後日明々後日は家族旅行で,広島に行くというのだ。私の父が,働いて30年になり,その記念として10万円の旅行券が会社から送られてきたそうだ。その旅行券が使えるのは今年の秋までというので,早く使わなければならない。それで広島に行くことになったのだ。私は鹿児島に行きたかったが,家族で行くので10万円では足らなくなってしまうという理由から,もう少し近くの広島になったというわけだ。兄が広島はどうや,と提案してくれたのだが,広島もいいではないか,と私も行きたくなったのだ。日本人なら広島には必ず行かなければならない,という感情が常に私の頭にあった。広島は世界で初めて核兵器が使われた場所である。その跡地をこの目で確かめたいのだ。一番行きたいところはもちろん原爆ドームと平和記念公園だ。スケジュールに入っていたので,安心している。また感想もこのブログで書いてみたい。
広島に行くのは17,18日なのだが,19日には青森に帰らなければならない。それも朝早くにだ。移動ばかりで,今私がどこにいるのかわからなくなりそうである。21日には宮城県の登米市にいる。1週間ボランティア活動をし,再び大阪に帰る。その途中に東京にもよる予定だ。そして9月に入ると,友達同士で1泊2日の旅行にも行く予定だ。目がくらみそうになる。毎日暑いので体調を崩さないようにしたい。


2011年8月11日木曜日

ボランティア友達と再会

今日もかなり暑い日となった。月曜日から始まったアルバイトも今日で終了し,やっと夏休みとなる,と思いきや,明日はボランティアの件でまた朝からいろいろと回らなければならない。このボランティア関係の話は今週毎日ある。受け入れ先のボランティア団体に質問があったので,電話していたのだが,その担当の方が忙しいらしく,なかなか対応してくれないのだ。私も予定があったので,あとでかけなおしてもらうように伝えておいた。しかし,時間になってもなかなかかかってこない。次の日のもう一度かけなおし,もう一度かけなおしてもらうように伝えたが,それもかかってこなかった。次の日にもう一度かけなおして,私も少しイラついてきたので,1時間以内にかけなおしてもらうように頼んだ。今回はちょうど1時間後にかけてきてくれたので,ようやく質問したかったことが質問できた。忙しいのは分かるが,何か一言ってくれればいいのに。

ここ大阪に帰ってくる途中に,いつものように東京で少し遊んだ。今回は,この前ボランティアしたときに友達になった学生と遊ぶことにした。朝8時に東京駅に着き,そのまままっすぐその友達の家に向かった。朝8時はどこの店も開いていないので,時間を潰すのに苦労する。この前は3時間くらい渋谷をふらふらしたり,ハチ公前に座って時間を潰していたが,今回はそのような心配はなかった。その友達は渋谷のセンター街に住んでいる。何とも便利すぎるところだ。スクランブル交差点から3分も歩かない。最高の立地場所だ。まあ,騒音が問題らしいが。
久しぶりに再会したが,元気そうで何よりである。彼もその後ボランティアのことを続けていた。今度,母校の高校で自分が体験してきたボランティア活動の報告を行うらしい。始業式にやるというので全校生徒の前でやるというのだ。なかなかすごいではないか。私も声がかかればいいのだが。
だいたい4時間くらい話をした後に,昼ご飯を食べに行こうと,彼のおすすめの店に連れて行ってもらった。「油麺」という初めて食べたのだが,かなりうまかった。その後,私は行きたい店があったので,そこに行くと言ったら,彼も一緒に行きたいというので,一緒に歩いて渋谷から表参道,原宿に行くことにした。表参道ヒルズへ行き,二人でマカロンを食べることにした。もちろん生まれて初めて食べる。1個250円もするではないか。4個買い,2個ずつ食べた。高いと思ったが,それ相応の味があり,ボリュームもあったので,250円がちょうどいいくらいの値段に思えてきた。その後,表参道の帽子屋さんに入り,気に入ったニット帽があったので,それを購入。彼も気に入ったものがあり,彼も購入。二人でニット帽を買った。
原宿のほうに向かって歩いていると,何やら人がたくさん並んでいるところがあったので,なぜ並んでいるのか気になり,先頭はどこか探してみた。しかし,ただの喫茶店であった。何かイベントか何かあると思うが,あっけない回答に拍子抜けしてしまった。
しばらく歩くと,私の好きな長渕剛が着ている革ジャンの店があった。少し見てみようと思い,中へ入る。以前から気になっていたものがあり,値段を見てみるとセールでかなり安くなっている。セールと言ってんのもともとがかなり高いものなので,セールでも高いのは高いのだが。定番商品が安くなるのはめったにないと店員さんも言う。かなり迷った。もちろん買うつもりで店に入ったわけではない。現金は持っていなかったが,クレジットカードがあった。40分くらい悩んだ。ここまで来たら買うしかないという気分になってきた。モノも縁である。チャンスを逃せばもう二度と手に入らないこともある。それを何度も経験してきた。確かにこの革ジャンの店はアメリカのブランドで世界的に有名である。日本では4店舗しかない。一生モノだと思えば安いものだ,と自分が納得するような言い訳を見つけて,結局買ってしまった。クレジットの暗証番号を打ち,確定ボタンを押すと力が抜けてしまった。やってしまったという感じだ(笑)。
その後,渋谷に向かって歩き始めた。夕立で雨が降ってきた。今日は早めに大阪に帰ろうと思い,また来ることを友達に伝え,品川へ行き,大阪に向かって発車した。家に着いたのは20時くらいであった。

2011年8月10日水曜日

大阪に到着

 しばらく更新できなかった。申し訳ない。
大阪に帰ってきたが,やはりパソコンが自由に使えない。これが理由なのだが,今週の月曜日からアルバイトをしているので,なかなかブログを書ける時間がなかったというのも理由の一つである。今日もあまり書けない。また改めてじっくり書きたいのでこのくらいにしておこうと思う。もう少しするとお盆休みになり,ますますブログを書くのが難しくなってしまうが,どうか続けて読んでいただけたらと思う。

毎日暑いのが続いている。やはり大阪は青森と違って暑さが格段に違う。「暑い」というよりも「熱い」のほうが正しいかもしれない。過ごしやすい青森に帰りたくなる。しかし,私が思う「夏」はやはりこの大阪の「熱さ」である。青森の蝉はかなりお行儀がいいが,ここ大阪では行儀が悪い。鼓膜が破れるほどの蝉しぐれが襲う。これが私の「夏」だ。体調を崩さないように,過ごしていきたい。
できるだけ更新していくので,またのぞいてほしい。

2011年8月5日金曜日

帰宅

 昨日も試験勉強で更新できなかった。申し訳ない。今日で試験も終わり、一息つきたいところ。しかし、私は明日大阪に向けて出発しなければならない。夜行バスで東京まで行き、そこから新幹線に乗って帰る。今学期は今までになくあっという間に終わってしまった。ボランティア活動関係のことで忙しかったので、それもあるかもしれない。あっという間に終わってしまうというのは、充実していたということなのだろうか。それならうれしいのだが。
 試験勉強でこの3日間、睡眠時間は合計7時間くらいであろうか。布団で寝ていない。座布団の上で寝ていた。ぐっすり眠れば起きれなくなる心配があったからだ。テストが終わったので、早く寝たいところだが、荷物を段ボールに入れなければならない。今日も眠れないだろう。明日の夜行バスの中でぐっすり眠ることにする。

 


 さぁ、とりあえずのところ、これでアメリカの旅の話は終わりにしたいと思う。おそらくこれからちょくちょく出てくると思うが、一応これで最後にする。アメリカの話が飽きた人も今日で終わりである。
 アメリカの話といっても、今は日本にいるのだが。成田空港に到着し、スーツケースを取りに行く。今度はちゃんとあり、問題なかった。具体的な時間は忘れたが、16時くらいだっただろうか、成田に到着したのは。そこから私は大阪までの飛行機に乗らなければならないのだが、今度は羽田空港まで行かなければならなかった。すぐに電車の切符を買い、電車に乗る。計画停電のせいか、節電のせいか、車内はかなり寒く感じた。
 1時間30分くらいで品川に到着し、乗り換えて羽田に向かう。19時発の飛行機だったが、羽田に到着したのは、18時30分過ぎであった。ギリギリである。羽田から大阪の伊丹空港まではあっという間に到着した。
 帰ってきた。やっと帰ってきた。モノレール、阪急電車、地下鉄に乗り、いつもの駅に着く。日本だ。大阪だ。見慣れた景色の中を歩いていく。アメリカに行く前、ここを歩いていたときは、楽しみと不安で一杯であった。慣れないスーツケースを運んでいた。ゴロゴロする音がやかましく聞こえたが、今は心地よい音に聞こえる。うるさくて耳をふさぎたくなるほどであったが、今は「俺はここにいるぞ、帰ってきたぞ」と存在の証しみたいになっている。
 家の前に着いた。ドアを開ける。やっぱり家族が待っていた。私が痩せていることの母が気付いた。やっぱり痩せていたかと、笑ってしまった。「聞いてくれ!俺の土産話を!!」

2011年8月3日水曜日

帰国

 日記を書き終わった後、もう一度リンカーン記念館に行ってみようと思い、向かった。昨日行ったのは朝だったので、夕方の景色も見て見たかった。同じ所から眺める景色であったが、やはり違いように見える。美しい。夕焼けの景色が寂しく感じる。この景色を見れるのは今度いつになるだろうか。それまで楽しみにしていたい。
 まだまだ訪れるべき場所はたくさんあったが、今回はこれくらいにしておこうと思った。帰りにもう一度、ジョージ・ワシントン大学の中を歩いた。売店みたいなところがあったので、入ってみた。それほど人はいなかった。学生が数人いたくらいである。今日ホテルに帰ったら、風呂上がりに飲むジュースを買った。初めて見たジュースだった。そこから真っ直ぐホテルに向かった。まだ外は明るかったが、部屋でゆっくりしたかった。
 風呂に入り、テレビを付け、ソファに座った。またまた日本から持ってきたお菓子を食べた。帰る準備をしながら、旅のことを振り返る。資料も知らぬ間にたくさん集まっていて、それを整理した。明日は、12時25分の飛行機に乗る予定だったので、その3時間くらい前には空港に到着しておきたかった。7時過ぎにはホテルを出ようと思ったので、寝坊してはいけないと思い、まだ緊張がほぐれなかった。今日は早めに寝た。
 寝坊せずに朝起き、準備をする。再びスーツケースを運ばなければならない。ホテルのカウンターへ行き、カードで支払い。愛想のいい黒人スタッフの方がドアを開けてくれた。空を見てみると、なんだか雲行きが怪しい。雷が鳴っている。地下鉄の駅まで近かったので、雨は大丈夫だろうと思っていたが、急に土砂降りに雨となり、びちょびちょになってしまった。この前、地下鉄に乗った時、$10のチケットを買ってしまい、それが今使えるのだろうかと思ったので、試しにそのチケットを改札に入れてみた。ラッキーなことに大丈夫であった。1時間弱くらいだろうか地下鉄に揺られ、空港行きのシャトルバスが出ている駅で降りる。元気のいい運転手が迎えてくれ、車内で$10払い、約20分くらいバスに乗る。雨が結構強く降っていた。
 空港に着いた時には雨も上がり、太陽が顔を出した。どこでチェックインするのか、かなり探したが、見つからず、ちょうど私の横を通りかかったスタッフの方が、「困っている日本人」とわかったのか、話しかけてくれ、しかも日本人であった。久しぶりにまともな日本語が話せた。チェックインの時間はまだだったので、もう少し待って下さいと言われ、一安心した。空港内でお土産を追加した。チェックインしてから地下鉄に乗り、搭乗ゲートのところへ行く。そこで水を買ったり、お土産を買ったりして時間をつぶす。NHの搭乗ゲート近くにはやはり日本人がたくさんいた。アメリカと離れるのが急に嫌になってきた。約13時間のフライトを終えれば、日本に到着していることだろう。今度いつここに来られるだろうか。もしかすればもう二度と来れないかもしれない。そんなことを感じながら飛行機に乗る。
 NHだったので、日本人が対応する。もう日本に帰ってきたみたいだ。この飛行機で何よりも楽しみだったのが、機内食である。しばらくするとその機内食の時間だ。味噌汁が出てきた。最高に美味かった。熱い緑茶を飲んだ。何年ぶりに飲んだみたいな気分であった。その後、デザートで、ハーゲンダッツが出てきた。贅沢過ぎるではないか。それも一瞬で食べてしまった。アメリカに行くときの機内では、緊張していてお腹を壊してはいけないと思い、水ばかりを飲んでいたが、もうお腹が痛くなってもいいと思ったので、ジュースを飲みまくっていた。
 映画を見た。最初のシーンで面白そうなものを見ようと思い、そこで見つけたのが、「バーレスク」という映画だ。内容には触れないが、かなり面白かったので3回も見てしまった。途中でトイレに行きたかったが、窓側で面倒だったので我慢することにした。
 寝たり映画を見たりしていて、気が付けば飛行機の現在地を記す地図を見ると日本が写っている。もうここまで来たかとわくわくしてきた。北海道、青森の上空を飛ぶ。そこから成田まではすぐであった。1週間ぶりの日本だ。

2011年8月2日火曜日

最後の日記

月曜日から期末テストが始まり、昨日はテスト勉強で行使できなかった。申し訳ない。
今日8月2日からここ青森では、日本三大祭りの一つ、ねぶた祭りが始まる。残念ながら、私はテストがあるので、行くことができない。何とも悲しい話である。テストが終わればすぐに大阪に帰らなければならない。また例のアルバイトをしなければならない。それが8月8日から始まる。休んでいる時間はない。テストが終わればすぐに荷物を段ボールに詰めて送らなければならない。少しは休憩したいものである。




旅の続きだ。長かったこの度ももう少しで終わる。アメリカの話はもう飽きたという人ももう少しお付き合いを願いたい。
自分へのご褒美を食べ終わった後、ワシントン記念塔をもう一度近くで見ようと思い、その周りを歩いていた。写真を撮ってくれと頼まれたりもした。 第二次世界大戦記念碑のすぐ横にベンチがあったので、そこに座って日記を書くことにした。少し肌寒かったが、気持ちが良い。景色が美しい。前を人が通ろうとも、気にせず自分の時間を楽しんだ。アメリカで日記を書くのはおそらくこれで最後だろう。ホテルでは書かないことにした。今日は何もせずゆっくりしたい。
その日記を改めて読み返してみる。日本に帰ってきてから初めて読み返す。こんなこと書いたっけというものがたくさんあり、我ながら笑ってしまうこともある。しかし、当時の気持ちが鮮明に表れている。その一部をここに記してみたい。

『気が付けば、この度ももう終わり。長いようで短かった。短いようで長かった。これだけ充実した1週間は生まれて初めて。一人旅というのは、自分と話ができる。自分を正面から見ることができる。自分のやることに誰のせいにもできない。
この度はいきなり困難から始まった。スーツケースを見つけられない。でも自分で解決。今思えば面白かった。苦しいこと、辛いこともあとになれば楽しい話に変わる。話のタネになる。自分が経験し、学んだことは何よりも説得する力がある。何よりも自分の財産になる。これは一番素晴らしいこと。
この度の計画を立て始めた時から、自分にできるだろうか、楽しむことはできるだろうか、これはどうしたらいいんだろう・・・。あれこれと心配や不安しかなかった。でもそれは初めてのことなのだから、不安なんてあって当然だ。でも、アメリカに来てみれば、どうってことない。英語なんて話せなくても大丈夫。笑顔さえあればなんとかなる。
・・・
たった5日間の滞在であったが、ここで学べたものは計り知れないほど大きなものだ。ここで学んだものは一生忘れない。初めての海外。おそらくこれからまた海外へ行くことあるだろう。しかし、一番心に残るのは、このニューヨークとワシントンDCだろう。
ここに来ることができて本当によかった。何もかも自分でケリをつけた。難しいと思っていたことでも、あとになれば簡単なことだった。計画も入れて約1カ月、この旅に費やした。それももう終る。とても寂しい。
日本に帰れば、今回学んだことを少しでも多くの人に教えてあげよう。そしてまだ海外へ行ったことがない人がいたら、迷わずに勧めてあげよう。はかりしれないものが手に入る。それはこれからの人生に大きなものとして活躍してくれるだろう。
今、17時15分。風が少し冷たい。でも今まで味わったものよりもはるかに気持ちが良い。一人になると自分を見つめられる。これは孤独ではない。私も日本に帰れば景色が変わって見えるだろう。もっと大きく、もっと大きく見つめられるだろう。高校の時、シカゴに行けなかったが、それでよかったと思う。一人でここに来れたことが何よりもうれしい。これで一歩、いや半歩でもいい。確かに踏み出せただろうか。
明日、日本に帰る。大阪に帰る。心配してくれている家族が私を待っている。この旅を行かせてくれた家族に心から感謝している。前に踏み出せた気がする。本当にありがとう。
またいつかここに戻ってきたい。本当に素晴らしいところ。人も街も。青い空がとてもきれい。太陽が眩しい。風が気持ちいい。必ずここに戻ってこよう。今度来るときはもっと大きくなった自分を見せてやろう。
 Thank you, NY
 Thank you, DC
 Thank you, the United States of America!!!!』