2017年8月22日火曜日

考えごと

 またまた更新できずに申し訳ない。ここ最近仕事でもプライベートとでもいろんなことがあり、ちょっと疲れてしまったのである。疲れたのはつい一週間前くらいなのだが(笑)。まあそれ以前もいろいろ考えなければならないことがあり、なんやかんやで気がついたら月日が流れていたということである。意味不明で申し訳ない(笑)。この一週間、いろいろ考えごとというか悩みごとというのか、いろんなことを考えていたのである。あまりストレスになるのはよくないので、考えたくないといったら考えたくないのだが、考えざるを得ないような感じであった。ストレスとの付き合いは数年前に比べれば圧倒的に今の方が上手く付き合えているので、できるだけストレスなく生活している。数年前であればかなりのストレスになっていた可能性はある。まあ、考えていたことはただ単に、いってしまえば人間関係である。この人間関係といってもかなりの幅があるので、どういう人間関係かはここでは断定しない。いろんな意味での人間関係である(笑)。まず、自分が思っていたことと相手が思っていたことが違っていたということである。自分はこういうつもりだったが、相手はそうは思っていなかったということだ。よくある話である。もっと早くに、それに気付くべきであった。でもなかなか気がつかないものなのかもしれない。または気がついてもそれを信じくないのかもしれない。そして大切なことは直接言わなければならないということである。言い辛いことでもやはり面と向かって言わなければならない。私はそういうのから逃げてしまったのである。大事なところでそういうのが出てしまうのだな。そして感謝のことばであったりそういうのもちゃんとことばにして言わなければならないということである。電話やメールで言ってもそれはなかなか伝わらないということである。逃げた自分が悪い。相手が嫌がっていることにも気がつかないこともある。他の人たちはそうは思っていなくても、その人にとっては嫌と感じることがある。それに気がつかないのはやはりダメである。相手の様子をしっかり観察しておかなければならない。それができていなかった。私は頭は悪いが、人間としてちゃんとしていたい、そうありたいと思って生きていたが、それには程遠いということである。それにショックを受けた。自分は他の誰にでもない存在でありたいと思って、他の人と違うことをやって、違う表現をして、赤の他人から見れば失礼なヤツだと思われても、わかっている人にしたらそれが私なのだと、そういう存在でありたいのだが、やはりそれがなかなか伝わらないこともあるということである。人間みんな違うということだ。それを見極める能力が私には足りなかったのである。その日やってくれた、やってもらったことを次の機会にお返ししようと思ってもダメなのだ。その場その場でことばにして伝えなければならないことは伝えなければならない。その当然のことすら私にはできていなかったのである。人によって見方は違うが、その人には私はそういうヤツだと思われても仕方がない。私がどういう人間かはその人が判断することである。私は自分はこういう人間ですといってもそれは意味のないことである。世の中、やり直しができないから今を必死で生きなければならない。戻りたくても戻れないのである。あのときこうしておけばよかったとか、そんなこと考えても意味もないし、考えてもそれがどうなるわけでもない。今しかないのである。取り返しのつかないことをしてしまった。戻れるものなら戻りたい。その後悔がものすごく大きいのである。私は人付き合いは極端である。自分に対して会ってくれたり、話をしてくれたりする人にはやはりそれに全力で応えたい。自分の好意を振り払うような人は私は縁を切る。しかし、今回は私に対して好意を持って接してくれている人を私自身がそれに応えていなかったのである。とんでもないことをしてしまった。至らないところが山程あった。本当に申し訳ないと思う。人に対して偉そうなことをいっているが、できていないなっていないのは紛れもなく私自身であった。悔しいの一言である。私に対してやってくれたことは本当に感謝しかない。いろんなことをたくさんの時間とお金をかけてやってくれた。本当にいろんなことを考えてくれた。それを私は裏切ってしまったのである。自分が嫌になる。自分は今まで何をやっていたのかと思う。謝罪と感謝、その二つしかない。そんなことをこの一週間いろいろ考えていたのである。ちょっと疲れてしまったな。今日は久しぶりの休みだったので、ずっと家でゆっくりしていたのである。毎日何かを学び続けていかなければならない。今当たり前にあるものもそれが当たり前でなくなることがある。昨日楽しく話していた人と、もう二度と会えなくなるということもある。だから今を必死で生きなければならないのである。そして感謝を伝えなければならない。それが当たり前にできる人間になりたい。

2 件のコメント:

  1. 「ストレスとの付き合いは数年前に比べれば圧倒的に今の方が上手く付き合えている」
    とのことですが、大人になって歳をとるにつれ、物事に対する考え方や反応が以前の自分とはやはり少しずつ違ってくるからなんでしょう。
    もちろん、今でも些細なことやくだらないことで過剰に動揺したり心配したりすることも(しょっちゅう)ありますが、昔と違うのは、「ああこれはひょっとしてこの前と同じパターンかもしれないな」と思えることが増えているんだと思います。小さなことでもトラブルを起こさないで済むなら、それはそれで成長であるはず。
    大げさですが、これが人生の知恵なのかな。

    「人間みんな違う」ともありました。
    言いたいことを直接言っても、伝わらないことはありますよね。(むしろ、肝心なときほど伝わらない。)
    他人が何を考えているかなんて完全にはわかりませんし、自分が言ったことを他人がどう受け止めたかについて空気読むなんてことは、もはや神業です。
    だからこそ、和をもって貴しと為すというか、むやみやたらに怒らない人間でいるというか、そういう対応ができればいいのかなぁと思います。
    他人に対して攻撃的でない、というのは一つの社会的な能力かもしれません。
    SAMURAIさんがおっしゃっているように、感謝をきちんと伝えることも大事ですね。
    同感です。

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    1. Abbyさん、いつもコメントありがとうございます。
      最近また暑くなってきておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

      ここまで生きてきた過程で、いろいろ大変なことも経験してきて、それと比較したときにそれほど問題ではないと感じることも経験のおかげかもしれません。
      以前はこのストレスというものをただ持ち続けていたということもありましたが、それをしていてもただ自分がしんどいだけということを学んだのかもしれません。
      10あれば10すべてのストレスを受けとめていたのが、3くらいにすんでいる、こういうストレスのかわし方みたいな能力が身についているのではないかと思います。
      全くストレスなく生きていくことは不可能ですが、それをどこまで軽減させていくかというのも、うまく生きていく一つの能力だと思います。

      うまく伝わらないことはよくありますね。
      相手のとらえ方の違いであったり、そういうつもりじゃなかったのに、というようなことはよくあります。
      確かにその通りですね。
      怒っても仕方のないことですし、そうならないために一つ一つのコミュニケーションを大切にしていかなければならないですね。
      私は今回きちんと感謝の言葉であったり、そういうのが自分ではできていると思っていたのが本当は全くできていなかったというのを改めて勉強しました。
      ちょっとここは初心に戻ってきちんと素直な気持ちで自然とことばにできるようにしていきたいです。

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