連投して映画のタイトルシーンについて書いたが、タイトルシーンがないまま映画のストーリーが進んでいくことがある。1時間たってからようやくタイトルシーンが出る映画もあるし、最後にタイトルシーンが出る映画もある。記憶にあるのはクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト三部作』である。この映画は当時かなり話題になり、もちろん私は全部観ているし、3作目の『ダークナイト ライジング』は3回映画館で観ているし、最後らへんにいつも泣いてしまっているのだが、どちらかといえば私はそんなに話題になるくらいの映画だろうかと思ったのである。確かによくできた映画と思ったし、おもしろいといえばおもしろいのだが、どっちつかずの映画になっていると感じ、中途半端な立ち位置で結局どっち側なのかわからない内容と感じてしまったのである。映画を観ていて、途中からなんか説教されている気分になり、そういうのを忘れるがために映画を観ているのにガッカリした記憶がある。そもそもクリストファー・ノーラン監督ってどうなの?っていうのが私の意見である。次回作の007の映画をこの監督がやるかもしれないという噂も流れているが、やめてもらいたい(笑)。タイトルシーンというのは本でいえばカバーみたいなもので、本のカバーでもそれを見ただけで読んでみたいっていうのもあるし、この前書いた通りこういう映画ですよというのを伝えようとしているので、それをすっぽかすのはどうなのだろうか。もちろん意味があってやっているのだろうが。ダークナイトに関していえば、この前アメコミを何冊か読破しているので、ノーラン監督に物申したいが、話が長くなるので今回はやめておこう(笑)。007といえば次回作はまたダニエル・クレイグがやるみたいだ。それもガッカリである。それはそれで楽しみであることには違いないが。またまた思い出したのだが、昨日書いた『ファイトクラブ』のデヴィッド・フィンチャー監督の嫌いな色はピンクなのどが、ファイトクラブに登場する石鹸の色はピンクである。この設定にはゾクゾクしてしまう。この監督の映画は全体的に色のトーンが暗めになっている。さっき、この監督の作品である『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を観た。これもまた改めて書きたい。今回はチョーテキトーに書いた意味不明の内容であった。申し訳ない。
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