今日は『オデッセイ』という最近の映画を観ていたのである。これもすばらしい映画である。火星で一人取り残された絶体絶命の状況で、主人公がどうやってサバイバルするかという内容である。ものすごく暗そうな感じがするが、この映画はものすごく明るい映画である。なぜなら主人公がどんなときでもユーモアのセンスを忘れないからである。本当にヤバイ絶体絶命な状況なのに、主人公はそれに臆することなく、その状況と戦うのだ。自分を取り巻く状況をユーモアを交えて語れる人というのは自分も含めて、その状況を客観的に見れるということである。それは深刻な状況になればなるほどその能力は重要になってくる。私は自分を客観的に見れる方だと思っている。周りが自分をどういう風に見ているのか、そういうのはすぐにわかるというのか、それを踏まえての発言であったり、行動をしている。話は戻るが、その深刻な状況を主人公のセンスだけでなく、同じ乗組員だった船長がディスコ音楽が大好きで、その船長の私物にディスコ音楽の音源がたくさん残っていて、他に聴く音楽がなかったので、ずっと主人公はそのディスコ音楽を聞いていたのである。なので映画全体を通して、ずっと70年代のディスコ音楽が流れているのである。ものすごくノリのいい、テンポのいいストーリーになっているのだ。その中でデヴィッド・ボウイの『Starman』がかかるシーンは本当にすばらしいところで、毎回観るたびに涙が溢れてしまう。また、『Hot Stuff』という曲も流れるのだが、この曲の意味は“熱いモノ”というので、映画を観ればその“熱いモノ”の意味がわかるのである。このシーンもなんかグッときてしまう。ディスコ音楽が主人公の気持ちを表現しているのである。そして、この映画の最大の特徴は最近では珍しく、家族、恋人、友達といった絆や愛といったものがほとんど描かれないところである。なぜなら火星に取り残さ、どうやって生き延びるかという状況において、主人公にとってそういうものはなんの役にも立たないからである。そういう絶体絶命の状況で、宗教や根性、絆や愛、そういうものは火星でなくともサバイバル生活ではなんの役にも立たない。そんなことよりも、いかに酸素を確保するか、食料を確保するか、そっちの方が大切なのである。いるかいないかわからない神や仏に祈りを捧げても、水や食料が降ってくるわけではない。助けてくれるのは科学的な方法で切り抜けるしかないのである。主人公は現実的な選択をしていく。すばらしい、としか言いようがない。
この映画は日本では、文部科学省の選定映画になっているのだが、科学振興費、国立大学の予算をどんどん減らしている。『オデッセイ』を観ろ、と言っておきながら、そういう科学や教育、研究にかけるお金を減らしているというのは矛盾している。ハッキリ言ってバカだろう。そういうところからなんとかしてほしいものである。もっと小さいときにこの映画を観ていたらもっと科学に興味を持っていただろう。そう考えたら、本当にいろんな人に観てもらいたい映画である。特に小さい子供たちには是非とも観てほしい。もし身近な人で、そういう年頃の子供がいればこの映画をプレゼントしたい。科学の知識とユーモアのセンスが自分の命を助けるというのがわかるから。どういう人間が生き残れるのか。それは現実的な選択ができる人である。
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