2017年10月23日月曜日

選曲第2弾

 先週金曜日、以前言っていた私が最近履いているデニムのデザイナーの方のオフィスの方へ、お邪魔させていただいたのである。キンチョーして行ったのだが、ものすごく充実した時間で、本当に貴重な時間であった。普段見ることができないような資料、動画などを見せていただいたのである。長渕剛関係の話もたくさん聞くことができだし、私も話をすることができた。1時間半くらい、お話をさせていただいたのである。普段経験することができないことをやったので、ものすごく刺激になった。今まで何度も厚かましいお願いをしてしまっているのだが、それにいつも応えていただいており、感謝の言葉しかない。7月に受注会があったが、そのときもいろいろお願いをして、無理を聞いてくださったのである。ありがたいことである。

 昨日の投稿で、剛オススメ曲を選曲したのだが、1日たって改めて見てみたのだが、完全に私視点で考えていたのがわかる。往年のファンからしてみれば私が選曲したものを見ると激怒するのではないか。入れなければならない曲が入っていないのが多いということである。そして、わざわざ入れなくてもいいのでは?というのが入っているのだ。これぞ長渕剛の真骨頂、というのが少ないということである。つまりめちゃくちゃクセのある唄が少ないのである。しかしそれでこそ剛であって、剛にしか唄うことができないモノなのだ。それが少ないというのは剛のよさを半分も理解できないことになってしまう。これもよくないので、静かな曲の次はクセのある曲(これぞ長渕剛)というのも紹介しようかなと思う。昨日は選曲において、見逃してはいけないので、全アルバム、全シングルの収録曲を調べて選曲したのである。そして悩みながらの選曲になるので予想以上に時間がかかってしまった(笑)。その悩むというのが自分では楽しかったのだが(笑)。これはどうやろう?、これはいれるか?、これはいいんちゃう?、などなど自問自答しながら、途中からは自分との戦いであった(笑)。今回は第2弾ということで、静かな曲を中心に紹介したい。前回と被る曲もあるかもしれないが、それは気にしないでいただきたい。

アルバム
2014年
『ALL TIME BEST 2014』
・ひまわり
・しあわせになろうよ
・CLOSE YOUR EYES 
・二人歩記
・ひとつ

2012年
『Stay Alive』
・ガーベラ
・六月の鯉のぼり
・愛おしき死者たちよ

2009年
『FRIENDS 』
・FRIENDS 

2008年
『LOVE』
・何の矛盾もない
・夕焼けの歌
・交差点

『SONGS 』
・DON'T CRY MY LOVE 』
・君は雨の日に
・いつものより道もどり道
・花菱にて
・祈り
・12色のクレパス

2007年
『Come on Stand up!』
・Tomorrow

2002年
『BEST 〜風〜』
・俺らの旅はハイウェイ

1985 年
『BEST NOW 長渕剛 1978年〜1981年』
・夏の恋人
・さようならの唄

1980年
『乾杯』
・乾杯

シングル
『ひとつ』
・STAY DREAM 2012』

ライブアルバム
2016年
『富士山麓 ALL NIGHT LIVE 2015』
・愛してるのに
・THANK YOU WOMAN 
・乾杯

2004年
『ALL NIGHT LIVE IN 桜島』
・逆流
・俺らの家まで
・Myself 
・乾杯
・何の矛盾もない

 と紹介してみたが、前回の投稿と被る曲が数曲あるので、前回と合わせても実質それほど増えていないかもしれないが、前回と今回だけでもメインどころは網羅していると勝手に自分で思っている(笑)。あとはクセのある曲だが、これはまた第3弾で紹介したい。


2017年10月20日金曜日

選曲は難しい(笑)

 今回は長渕剛のオススメの曲を紹介していきたい。まずここで言っておきたいことは、ここに挙げられていない曲はオススメではないの?という疑問が生まれるかもしれないが、そんなことは当然ない。そんなもの全部オススメに決まっている。むしろ「好きな曲は?」という質問自体が愚問である。全部好きに決まっている。今回は初めて長渕剛を聴くというテーマで紹介したいと思う。しかし、どうやって紹介したらいいのかわからないというのもまた事実である。デビュー当時からさかのぼって時系列にオススメを紹介したらいいのか、ヒット曲や有名曲を紹介したらいいのか、とかいろいろ悩むのだが、今回は時代に合わせて現代から過去にさかのぼっていこうかなと思う。声がなるべく今の声に近いものを選ぶ。ないものは過去のものになってしまうが。メインはアルバムを紹介して、その中のオススメを挙げていこうかなと思う。アルバムにない曲、アルバムに入っているのよりもライブ音源の方がいいというのもあるので、それも合わせながら紹介していきたい。

アルバム
2017年
『BLACK TRAIN 』
・Black Train
・Loser

2014年
『ALL TIME BEST 2014』
・しゃぼん玉
・しあわせになろうよ
・CLOSE YOUR EYES
・二人歩記
・ひとつ
・TRY AGAIN For JAPAN
・日本に生まれた
・逆流
・明日をくだせえ

2012年
『STAY ALIVE 』
・六月の鯉のぼり

2010年
『TRY AGAIN 』
・俺たちのニライカナイ

2009年
『FRIENDS 』
・SAMURAI

2008年
『LOVE 』
・交差点

『SONGS』
・DON'T CRY MY LOVE 

2007年
『Come on stand up!』
・夕焼けの歌

1980年
『乾杯』
・乾杯

シングル
2013年
『未来』
・未来

2012年
『ひとつ』
・STAY DREAM 2012

ライブ音源
2016年
『富士山麓 ALL NIGHT LIVE 2015』
・JAPAN
・裸足のまんまで
・SUPER STAR 
・富士の国

2004年
『ALL NIGHT LIVE IN 桜島 2004』
・とんぼ
・春待気流
・Myself 
・巡恋歌
・Captain of the Ship

1996年
『LIVE COMPLETE '95-'96』
・HOLD YOUR LAST CHANCE 
・友よ

 と紹介してみたのだが、私の詳しい友人からしてみれば、なんでこれが入っててあれが入ってないねん!!と抗議の電話がきそうだが、私も紹介していて途中から訳がわからなくなってしまったのである。しかし、途中で書き直しても結局また途中でわけがわからなくなるだろうから、そのまま書き続けたのである。今回はテンポのいい曲が多いのかな、という印象である。自分が挙げといて、自分でいうのもあれなんだが(笑)。比較的ウケがよさそうなのをメインに入れ、それだけでは長渕剛そのものの魅力が伝わらないかもしれないので、“攻めて”いる曲も数曲入れさせてもらった。静かな曲もたくさんあるのだが、それはまた別で紹介しようかなと思う。第2弾ということになるだろう。できるだけいろんな種類、ジャンルのを入れてみたのだが、選曲というのは難しいものだなぁ。今思えば、テンポのいい曲と静かな曲でわけて紹介してもよかったかもしれない。いやー難しい。もっともっと紹介したい曲がたくさんあるのだが、挙げ過ぎると選曲の意味がなくなってしまうので、自分でも苦しみながらの選曲である。第2弾を今考え始めているところである。

2017年10月16日月曜日

『キングスマン』と『007』

 最近天気が悪い日が続いている。かなり寒くなってきた。冬はもうすぐだなぁ。しばらく天気がよくないみたいである。

 この前言っていた『キングスマン/ザ・ゴールデン・サークル』に登場するお酒、“オールド・フォレスター・ステイツマン”が予想以上に早く到着したのである。一気にテンションが上がってしまった(笑)。2本購入したのである。1本は飲む用で、もう1本は保存用である(笑)。みたらアルコール度数40もある。調べてみるとだいたいのお酒は40度なので普通である。しばらくは2本とも鑑賞用として部屋に飾っておこうと思う(笑)。いざ手元に届くとビビって飲めない(笑)。普段お酒を飲まないから、というのではなく、珍しいお酒だから飲めないのである。ビンと一緒に紙の札がついていたのだが、みてみると、ステイツマンからキングスマンへの贈り物みたいになっている。そしてちゃんと映画のタイトル、『Kingsman/THE GOLDEN CIRCLE』と書いてあり、キングスマンのロゴマークも入っている。めちゃくちゃカッコいい。すごすぎる。もちろんビンには“STATESMAN ”の名前も入っている。2本買ったとはいえ飲めないな、これは(笑)。来年1月に公開されたときに日本でも発売されることを祈ろう。発売されたら改めて飲む用にもう1本購入したい(笑)。予想以上に早く到着して、めちゃくちゃカッコよかったので、このノリで『007』に登場していたウォッカも調べてみた。調べてみると通常版のは販売していたのだが、私が欲しかったのはやはり限定版で“007”のロゴマークが入っているものである。どうやら日本では売り切れになってしまったようだ。それもそうである。2年前のボトルなので、そういうものはすぐになくなってしまうんだなぁ。ということでこの前買ったのと同じサイトで調べてみると、あるではないか(笑)。さすがである。今回も飲む用と保存用で2本購入したのである。『ベルヴェデール 007 コレクターズ エディションボトル』という名前である。今回はウォッカ。バーボンもウォッカもリキュールもラムもジンもどれがどれだがさっぱりだが、もうそんなことはどうでもいいのである。カッコいいから買うんだよ!!(笑)ということでまた到着するのが楽しみである。
 ここでお酒の話をしているので少し続けたい。今紹介している『キングスマン』も『007』も両方スパイ映画である。007は1962年公開の『ドクター・ノオ』が映画として始まったのである。もともとは長編小説がある。そして『キングスマン』はアメコミが原作である。007もそうだしキングスマンもそうだが、様々なお酒が登場するのだ。おそらくちょー有名なセリフが007の、“Vodka Martini, shaken not stirred”である。ウォッカ・マティーニを、ステアではなくシェイクで。と言うセリフだ。映画では定番中の定番である。これがものすごく有名になり、スパイ映画ときたらマティーニだ、という印象になったのである。もちろん007のジェームズ・ボンドはマティーニだけでなく、いろんなお酒を飲む。そこで『キングスマン』に登場するお酒を見てみたい。まずはスコッチ・ウィスキーの“ダルモア62”である。調べてみると、正規販売品としては世界最高額のスコッチ・ウィスキーだそうだ。2006年にシンガポールのチャンギ空港で12本限定販売され、最初の1本は約650万円で販売され、2011年に最後の1本が売れたときは、1500万円で売れたというちょーヤバイお酒である。一滴でもこぼしたら死刑である。そしてワインの“シャトー・ラフィット・ロートシルト 1945年”、ブランデーの“ナポレオン 1815年”が登場する。もちろんこれらもちょー高級酒である。そしてこの映画でも“マティーニ”が登場する。マティーニはジンベースで作られ、“カクテルの王様”と呼ばれているのだ。007のジェームズ・ボンドはベースをジンではなく、ウォッカに変えて“ウォッカ・マティーニ”を注文する。もちろんジェームズ・ボンドはプロ中のプロなので、さらに細かい注文もするという高騰テクニックを披露するのだ。「ジンとウォッカを3:1、キナリレを1/2をシェイクして、シャンパングラスに注ぎ、レモンピールを入れてくれ」と。素人が言うとちょーダサくなる(笑)。そこで今回の『キングスマン』で、マティーニを注文するときに、主人公のエグジーが、“Martini, Gin, not Vodka, Obviously.”と言う。「マティーニを。もちろんウォッカではなくジンで。」と言うのだ。これは明らかに007への対抗意識がある。そしてさらに「ベルモットは入れず、ボトルを10秒間、かすめ見ながらステアで」と注文するのだ。シェイクではなくステアで、と念押しをして、ボンドのウォッカ・マティーニを否定している。すごすぎる。007のジェームズ・ボンドもカッコいいが、キングスマンのエグジーもカッコいい。そして最初にあげた“ダルモア62”だが、敵の部下は62年物のダルモアと言い、キングスマンのメンバーの一人ランスロットは1962年のダルモアと言うのだが、62年間熟成されたものと、1962年に熟成を始めたものは全く別のものになるので、どちらかが間違っている。しかしランスロットがそう言った直後、敵に真っ二つに斬られて殺されるので、1962年のダルモアと言ったランスロットが間違っていたということである。つまり中身は62年物のダルモアで、1962年のダルモアではないと一蹴されてしまう。1962年といえば、最初にいった007の映画『ドクター・ノオ』が公開された年で、007のジェームズ・ボンドを叩き斬ったことになる。この説が本当かどうかはわかはないが、これが本当だったら監督はものすごく考えている。これもすごい。こうやって書いているとお酒の世界も奥が深いんだなぁ。

勝ち負け、ではない

 天気が悪かったので今日は部屋で映画を観ていたのである。天気がよくても観てただろ!と言われるかもしれないがその通りである(笑)。『ペイン&ゲイン/史上最低の一攫千金』という映画を観ていたのだが、フィットネスジムにトレーナーとして働いている主人公が、金持ちのジジイに筋トレのやり方を教えるだけの毎日にウンザリして、ボディビル仲間と一緒に金持ちを誘拐して財産を奪い取るというストーリー。題名をみたらわかるかもしれないが、“No pain, No gain(努力なしに得るものはない)”という言葉を短縮したもので、“Pain &Gain(努力したんだから、よこせ)”という意味になっているのである。アメリカでは“強くて大きいものがいいに決まっている”というマッチョ信仰が根強く、彼らにはそれなりの理屈があっての行動なのだ。俺たちはスーパーマンのようなすばらしい肉体の持ち主なのに、この程度の生活しかできないのはおかしい、というものだ。俺たちは今までさんざんやってきたからセレブみたいな生活をしていて当然なのに、それに見合うだけの金がもらえていないから、金持ちから奪うべきだ、という信念に基づいて行動するのだ。これは実話で、本編でも、“これは実話である”といあテロップが出るのだが、話が進んでいくらなんでもこんなことあるか?と思うタイミングでまた、“これでもまだ実話である”というテロップが出るのでついつい笑ってしまうのだ。当たり前だがどんどん悲惨なことが彼らを襲ってくるのだが、ここで少し言いたいのは、“人生の、成功、失敗、とは”ということである。彼らは“成功”というものに取り憑かれて行動していくのだが、彼らのように人生を、“成功”、“失敗”と分けて考える人が多いのではないだろうか。つまり人生を“勝ち”、“負け”で判断しているということである。人生の勝ち負けなんてどうやったら判断、判定できるのか。金持ちになったら人生は勝ちなのか。結婚して子どもがいれば人生は勝ちになるのか。働いていると金持ちらしき人をたくさん見ることがある。中には偉そうに口をきいてくる人がいる。なぜそんな口がきけるのか。客だからか。客だから偉いのか。金を持っているから偉いのか。休みの日に買い物をしていると、ベビーカーを押して堂々と突っ込んでくる人がいる。なんでそんな偉そうなんだ。偉いのか。そんなわけないだろ。人生を“勝ち”、“負け”でしか判断できない人の人生は本当に乏しいし貧しいと思う。人生は過程の連続である。勝ち負けでしか判断できない人は、過程に価値を見出すことができない人である。人生は過程の連続なのに、過程に目を向けない“勝ち負け主義”の人がたくさんいる。そんなものFUCK OFFである。偉そうにしているヤツを見ると本当にブッ飛ばしたくなるくらいイライラしてしまう。お前はバカかと。そいつの人生なので私には一切関係ないが。どうしてそういう風に考えてしまうのだろうか。人間って何かと比較したがるのだろうな。そんなことになんの意味が価値があるのだろうか。勝ちとか負けとか、優れているとか劣っているとか。そいつがどう思うか考えるかは知ったことないが、周りの人には関係ないことだ。そう考えている、判断している時点でそいつの人生終わっているよ。人生そんなものではない。そんな低レベルなことで語れるわけがない。こんな私だってそうである。楽しいことばっかりが続けばいいと思うが、そんなことはない。いろんな苦労をしてきた。死にたくなる日もあった。人知れず泣いた日もあった。人に裏切られたこともあった。利用されたこともあった。騙されたこともあった。踏みにじられたこともあった。バカにされたこともあった。笑い者にされたこともあった。蹴落とされたこともあった。邪魔されたこともあった。それでも、生きててよかったて。生きててよかったんだって。そう思える。そしてこれからも。勝ち負けとかそんなことどうでもいい。自分は勝ち組だって判断不可能なのに勝手に思い込んでいるカン違いしてる貧しいヤツ、本当にくだらないな。

2017年10月12日木曜日

久しぶりにキンチョー

 ここ数年履いているデニムがあるのだが、私の好きな長渕剛も履いているデニムの一ブランドで、そのデザイナーの方とは年に2回、とあるセレクトショップのそのブランドの受注会でお会いしているのだが、その方から東京オフィスにご招待をしていただいたのである。先日、長渕剛のライブが大阪で行われ、それが剛のバースデイライブで、そのときのバンドメンバーとそのデザイナーの方で、剛にプレゼントととしてデニムをプレゼントしたみたいで、そのプレゼントしたデニムを今回一サイズにつき一本ずつ作成することになったみたいで、そのときにそのデザイナーの方が私に直接メールにてご連絡をいただいたのである。そのデニムと一緒に靴もご紹介いただいたのだが、金銭的に厳しいものがあり、今回はデニムだけのお願いをしたのである。本当は靴もほしかったのだが、現実問題がかなり大きかった。受注会のときに、いろいろお話させていただいていて、直筆メッセージもいただいたことがあるし、そのときも東京オフィスに遊びにきてください、と声をかけていただいていたのだが、じゃあ行きますと言うと厚かましく思われたらイヤだったので、なかなかお伺いする機会がなかったのだが、今回メールにてご連絡いただいたときに、遊びにきてくださいとのことだったので、今回お言葉に甘えることにして、来週その東京オフィスにお邪魔することになった。まさか現実になるとは思っていなかったのでビックリしているところである。そのデザイナーの方とは2年ほど前に、そのセレクトショップにてお会いしたのが初めてだった。富士山麓のオールナイトライブ前だったので、よく覚えている。そのデニムの受注会は夏と冬の年に2回あるのだが、毎回お会いしているのである。そのときにいろんなお話をしていただいているし、デザイナーの方が直接今回のラインを紹介していただいたり、オススメをしていただいたりしているのである。本当にありがたいことだし、感動するし、うれしいし、光栄なことである。そしてメールも返信していただいたりとすばらしい方である。長渕剛とのメールのやりとりや写真なども見せていただいたりと貴重なお話ばかりで毎回感動しているのである。最初は長渕剛が履いているからという理由でそのブランドを買っていたが、今はそのブランドの良さを知っているので、ただ単純にそのブランドがいいと思って選んでいるのである。大変お忙しい方なので、オフィスにお伺いするときは邪魔にならないように気をつけたい。久しぶりにキンチョーしているのである(笑)。

楽しく飲んで

 体調はもうほとんどよくなってきた。そこまで長引かなくてよかったという感じである。最近また少し暑くなってきているが、また寒くなるみたいだ。もう10月も中旬ということでどんどん冬に近づいていっている。早いなー。

 前回、ほんの少しだけだが映画の紹介をしたのだが、今回はこれから公開する映画で、映画館に行って観てみようという作品を紹介したい。とりあえずざっと並べてみると、『バリー・シール/アメリカをはめた男』、『アトミックブロンド』、『ブレードランナー2049』、『スターウォーズ/最後のジェダイ』、『キングスマン/ザ・ゴールデン・サークル』、『パシフィックリム/アップライジング』である。この10月後半から公開されていくので、また楽しみが増えてくる。最近はあまり映画館に行っていなかったので、というよりもそこまで「行こう」というような作品があまりなく、家でも観ないといけない映画もたくさんあったので、今月後半からは少し映画館に通わなければならないだろう。この中で一番楽しみにしている映画が、『キングスマン/ザ・ゴールデン・サークル』である。これは2作品目で、『キングスマン/ザ・シークレットサービス』の続編である。一言で言えばスパイ映画である。『キックアス』と同じ監督で、この映画もものすごくおもしろい作品である。もうイギリス、アメリカでは公開がさ」ており、日本は遅れて来年の1月5日公開なので、もっと早く公開しろ!と言いたくなるのだが、これはしょーがない。簡単に紹介すると、イギリスのスパイ組織“キングスマン”がアメリカのスパイ組織“ステイツマン”と手を組み、共通の敵“ゴールデン・サークル”に立ち向かうというストーリー。簡単すぎてすみません(笑)。最近『007』シリーズがダニエル・クレイグになってから、作風が大きく変わってしまい、私が求めている007ではなくなってしまい、それに苦言しているが、その逆行としてこの『キングスマン』がそのわだかまりをブッ壊してくれたのである。作中でも007をネタにしてニヤッとさせてくれるシーンがある。“キングスマン”というのは表向きは高級テーラーの店で、“ステイツマン”は表向きは最高級バーボン・ウイスキーの店を経営しているのである。そしてこの映画で登場する“ステイツマン”の名を冠したバーボン“オールド・フォレスター・ステイツマン”が実際の商品として製品化されたのである。今回の製品は映画のプロモーションのためにラベルを張り替えたような製品ではなく、本物のバーボンを追求したバーボンということでかなり力作みたいだ。作中でも登場し、主人公らも堪能しているお酒である。これはなんとしてでもてにいれないといけないと“勝手に”思い込んでいろいろ調べていたのだが、日本ではまだ取り扱いがないみたいである。“FUCK YOU!!!”ということで、その程度の理由ではあきらめられないので、US版AmazonやeBayでしらべてみたがダメであった。日本公開に合わせて販売開始されるかもしれないと思ったのだが、それまで待てない。アメリカのお酒のサイトを調べてみたら取り扱いがあったので、ここで購入しようと思ったら配送がアメリカ国内だけというのがわかり、またまた“FUCK YOU!!!”ということで、さらに調べ、イギリスのサイトで取り扱いがあったので、ここは全世界に配送できるみたいだったので、ここで買うことにした。今回もまた全て英語のやり取りで、何を書いてあるのかさっぱりわからなかったが、関西のノリ?でなんとか乗り切った(笑)。いつ届くのだろうか(笑)。配送料だけで$48もかかってしまった。“FUCK YOU!!!”(笑)。またまたくだらないものに命をかけてしまったが、なぜか私はこういうものには敏感に反応してしまうんだなあ。ヒットガールのナンバープレートといい、ファイト・クラブの石鹸といい、今回のお酒といい。自分でも不思議になってしまう。でもこういうのが私の楽しみの一つなんだなあ。私はお酒はあまり飲まないので、こういうお酒を買っても味の違いや良さははっきり言ってわからない。時々ホテルのバーで飲んだりするが、カッコつけて飲んでるだけである。まあでも飲んだことある!くらいでいいのである。ソムリエになりたいわけでもないし。キライなお酒もあるし。この料理にはこのお酒が合う、となんか知らないがそういうのがあるみたいだが、そういうのは私にしたらどうでもいい。合うか合わないのかは自分で決めればいいし、飲みたいお酒を飲めばいいだけの話。こういえば、味の良さ、とか、料理との相性がわかってないな、と言われるだろうが、その通りである(笑)。私は味オンチだし、なにがいいのか悪いのか全くわからないし、お腹いっぱいになればうれしいことこの上なし。ホテルのバーで一杯2、3千円のお酒を何度も飲んだことがあるが、次の日には味なんて忘れている。私の場合はそんなものである。仲間と楽しく飲むことが私の中の“お酒”に対する思い、考えである。楽しく飲んで、“Fuck Yeah!!!”である。それにしても注文したバーボンが届くのが楽しみである。本当に届くのかわからないが(笑)。

2017年10月9日月曜日

とりあえずの紹介

 休日に映画を観るときに、今日はこれを観よう、っていうのは意外に少ない。そういうのよりも、今日はどれを観ようかなぁ、とDVDが並んである本棚をボーっと眺めて決めている。今までどういう映画を紹介してきたのか、全く覚えていないのだが、今ボーっと棚を眺めているので、少しこれはオススメという作品をいくつか紹介したい。もちろんこの紹介する作品は私の独断と偏見によるものである(笑)。全部は紹介できないし、ありきたりなものはそういうサイトで調べればいくらでも出てくるので、とりあえずの紹介といったところである。

 とりあえず万人受けしそうな、いろんな意味で安心して観られる映画。
『プラダを着た悪魔』
『マイインターン』
『天使にラブソングを』シリーズ
かな(笑)。これらの作品は観た後、ものすごく元気になる。どれも安心して観ることができる作品である。

私が好きで、比較的受けがよさそうな映画。
『ターミネーター』特に2作品目。1もすばらしいが。
『キックアス』シリーズ
『キングスマン』
『ロッキー』シリーズ
『オーシャンズ11』シリーズ
『007』シリーズ
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ


ハマればヤバイ、おもしろさがわかればヤバイ、映画(笑)。理解できない人も大勢いる。おもしろくなければ観るのが苦痛になる映画(笑)。
『マッドマックス  怒りのデスロード』
『ファイト・クラブ』
『ウォッチメン』
『パルプフィクション』
かな(笑)。

戦争映画。
『プライベートライアン』
『アメリカンスナイパー』
『ハクソーリッジ』
である。


他にも山ほどあるのだが、とりあえずこんなところだろう。途中からどれを紹介したらいいのかわからなくなるし、キリがないのである。もちろんここで紹介していないのはおもしろくないというわけではない。当たり前だが。前回の投稿の『オデッセイ』もちょーサイコーな作品だ。『ダイハード』シリーズも大好きだし、『ミッションインポッシブル』シリーズも大好きだし、そうなったら終わりが見えなくなってしまう。気が向いたらちょくちょくいろんなものを簡単にだが紹介していきたい。今回はとりあえず思いついた私はこれがおもしろかった作品である。

科学の知識

 体調を崩していたのだが、やっと少しずつ回復してきている。あとは喉だけが悪いくらいだ。2、3日前まではおそらくヘルファイアを身に纏っていた(熱があった)。この前の休日の夜に体調が悪くなってきて、そこからの6連勤だったので、けっこう大変であった。仕事は休めないので、フラフラになりながら出勤していたのである。最初の方はただ喉が痛く、めちゃくちゃ痛かったので唾を飲み込むだけで一苦労でなかなか眠れなかった。それが2日間くらい続いた。そうしていたら今度は咳が出てくるようになり、布団に入ったら酷くなって、そこからずっと咳が出てこれもまた眠れないのである。これが2日間続き、今回の6連勤はほとんど眠れないで仕事をしていたのである。ただでさえ睡眠不足なのに、それに拍車をかけて寝れなかった。今日は休みで、久しぶりにゆっくりしていたのである。

 今日は『オデッセイ』という最近の映画を観ていたのである。これもすばらしい映画である。火星で一人取り残された絶体絶命の状況で、主人公がどうやってサバイバルするかという内容である。ものすごく暗そうな感じがするが、この映画はものすごく明るい映画である。なぜなら主人公がどんなときでもユーモアのセンスを忘れないからである。本当にヤバイ絶体絶命な状況なのに、主人公はそれに臆することなく、その状況と戦うのだ。自分を取り巻く状況をユーモアを交えて語れる人というのは自分も含めて、その状況を客観的に見れるということである。それは深刻な状況になればなるほどその能力は重要になってくる。私は自分を客観的に見れる方だと思っている。周りが自分をどういう風に見ているのか、そういうのはすぐにわかるというのか、それを踏まえての発言であったり、行動をしている。話は戻るが、その深刻な状況を主人公のセンスだけでなく、同じ乗組員だった船長がディスコ音楽が大好きで、その船長の私物にディスコ音楽の音源がたくさん残っていて、他に聴く音楽がなかったので、ずっと主人公はそのディスコ音楽を聞いていたのである。なので映画全体を通して、ずっと70年代のディスコ音楽が流れているのである。ものすごくノリのいい、テンポのいいストーリーになっているのだ。その中でデヴィッド・ボウイの『Starman』がかかるシーンは本当にすばらしいところで、毎回観るたびに涙が溢れてしまう。また、『Hot Stuff』という曲も流れるのだが、この曲の意味は“熱いモノ”というので、映画を観ればその“熱いモノ”の意味がわかるのである。このシーンもなんかグッときてしまう。ディスコ音楽が主人公の気持ちを表現しているのである。そして、この映画の最大の特徴は最近では珍しく、家族、恋人、友達といった絆や愛といったものがほとんど描かれないところである。なぜなら火星に取り残さ、どうやって生き延びるかという状況において、主人公にとってそういうものはなんの役にも立たないからである。そういう絶体絶命の状況で、宗教や根性、絆や愛、そういうものは火星でなくともサバイバル生活ではなんの役にも立たない。そんなことよりも、いかに酸素を確保するか、食料を確保するか、そっちの方が大切なのである。いるかいないかわからない神や仏に祈りを捧げても、水や食料が降ってくるわけではない。助けてくれるのは科学的な方法で切り抜けるしかないのである。主人公は現実的な選択をしていく。すばらしい、としか言いようがない。
 この映画は日本では、文部科学省の選定映画になっているのだが、科学振興費、国立大学の予算をどんどん減らしている。『オデッセイ』を観ろ、と言っておきながら、そういう科学や教育、研究にかけるお金を減らしているというのは矛盾している。ハッキリ言ってバカだろう。そういうところからなんとかしてほしいものである。もっと小さいときにこの映画を観ていたらもっと科学に興味を持っていただろう。そう考えたら、本当にいろんな人に観てもらいたい映画である。特に小さい子供たちには是非とも観てほしい。もし身近な人で、そういう年頃の子供がいればこの映画をプレゼントしたい。科学の知識とユーモアのセンスが自分の命を助けるというのがわかるから。どういう人間が生き残れるのか。それは現実的な選択ができる人である。

2017年10月4日水曜日

ラスベガス銃乱射事件に思う

 またアメリカで悲しい事件が起こってしまった。59人が死亡するというアメリカ史上最悪の銃乱射事件となった。容疑者の動機はまだわかっていないみたいだが、どんな動機があろうと決して許されない。ホテルの32階から屋外コンサート会場に向けて乱射したそうだが、まさかそんなところから狙撃されているなんて誰も思わないだろう。「伏せろ!」という声が響いていたみたいだが、そんな上空から狙撃されていたら伏せても逆効果になっていたかもしれない。アメリカでは銃に関する事件が後を絶えないが、今回の事件でアメリカ政府はどういった対応をしていくのか。今のところ銃の規制の動きはない。今みでにも何度か書いてきているが、我々日本人の感覚からすれ、何故銃の規制を厳しくしないのかと大勢の日本人は思う。しかし、アメリカはそうではないのだ。おそらく、今アメリカの多くの人が銃を購入しているだろう。銃に関する事件が起きればそういう動きになる。日本人の感覚とは次元が違い過ぎる。そもそもアメリカは“自由の国”である。そしてその“自由”とはお上から与えられるものではなく、自ら戦って勝ち取るものなのだ。アメリカ政府がもし自分たちの自由を奪おうとしたり、侵略しようとしたときに、彼らは銃を持って戦わなければならない。だから彼らには銃が必要なのだ。その“自由”を守るために。これがアメリカの抵抗権である。
 最近も暴力や殺人など、そういったものを書いているが、リアルタイムにこれほどの事件が起こってしまうとは思わなかった。ラスベガスは訪れてみたい街の一つである。ギャング映画をはじめ、『オーシャンズ』シリーズで、オーシャンと仲間たちがホテルの噴水の前に並んでみんなで噴水を見ている後ろ姿に涙が出る。私もそこへ行くだろう。ラスベガスは砂漠の中にある都市。私の恩師が言っていたことだが、砂漠から遠くに見るラスベガスの街は今まで見た人工物の中で一番美しいと。そう言われたら見に行きたくなる。もちろん行くに決まっている。そこに悲しい事件が起きてしまった。
 まず最初に言っておくが人を殺してはいけない。その理由は、誰かが考えた倫理的判断に従う可能性のある人に、人を殺してもいいということは極めて危険だからである。他人に、なぜ人を殺してはいけないのか?と尋ねるということは、納得できる理由を「他人から」提示されたらそれに従う(可能性がある)ということである。つまり、自分の内面の倫理の尺度に確信が持てないでいる状態にある。そういう「自分の倫理の尺度に自信が持てない人」に対して「わからない」とか「殺してもいい」ということは無責任を通り越して犯罪的だと思う。だから絶対に人を殺してはいけない。しかし、この理由は人を殺してはいけない明確な理由について言っていないと思われる。確かにそれは言っていない。なぜならそれは回答が出ない問題だからだ。個々のケースでは答えが出るだろう。カッとなったり、相手の命に価値がないと個人的に判断したか。という理由で人を殺してはいけないのは(一般的に)当たり前として、では正当防衛はどうする、軍隊はどうする、肉親を殺そうとしている相手、あるいは殺してしまった相手に対してらどうする、と、単に「人を殺す」といってもその状況らおそろしくまちまちである。勧善懲悪が成り立っていれば殺人は許される、という考えの人も大勢いる。逆に、どういう状況下であっても殺人は許されない、という人もいる。だから、すべてのケースに当てはまるような、絶対的な、どうしても殺人が許されないという理由が欲しいならばそれは答えられない。なぜかというと、「絶対的な理由」に従うということは、自分の頭で考えるということを放棄することと同義だからである。「誰か(権力者とか神とか)にやるな、と言われたから、やらない」というのであれば、それはロボット人間に成り果てるということである。
「(権力者や神に)やるな」と言われたらから、という理由で思いとどまる人は、「(権力者や神に)やれ」と言われたらやってしまう。そういう愚かさの上に、多くの殺人や虐殺が正当化されてきた事実を考える必要がある。こういう倫理の問題に関しては、過去数百年、もっと永きに渡って多くの学者が頭を悩ませてきた。いっときまでは宗教の力が強かったので、「ダメと書いてあるものはダメ」という横暴がまかり通っていたが、「誰が、何の権威で、どういう根拠に基づいてダメなのか?」という疑問に、宗教は、「信仰」とかいうあやふやなものでしか答えることができない。ではどうしたらいいのか・・・と、沢山の頭のいい人たちが考え続けている間にも戦争は起こり、虐殺が起こり、アウシュビッツがあって、原爆が落とされ、そして今回の事件のようなことが起こり続けている。といって、頭のいい人たち、学者たちが考えに考えてきたことは決して無駄ではない。彼らはそのときどきの状況の中、一体どうしたらこうした難問に答えられるのか、少なくともその糸口を見つけることがでかるのか考えてきたし、その成果は、例えば基本的人権であるとか、人間が生来持つ違いに基づく差別は許されない、とする国際的な合意、というような形で身を結んでいる。また、人を殺してはいけない、というものに重大な空白がある。それは「誰を?」という部分である。「どうして誰々を殺してはいけないのか?」というと、それは具体的な質問になる。しかし、「どうして人を殺してはいけないのか?」というと、それは一種の抽象的な質問のように聞こえる。ものごとを抽象化して考えることができるのは人間の能力の中でもとくに重要なものの一つだが、殺人というようなことを考えるにあたって、これを抽象化してしまうこと自体が果たして「倫理的」なのか?という問いが生まれてくる。ユダヤ人が600万人殺された、というのと、誰々さんと誰々さんが・・・と無限に続く名前を考えることとはまったく別のことである。だからホロコーストの記念碑やアメリカ軍の慰霊碑などには個々人の名前が延々と刻まれている。ちなみに、日本は国家として殺人を認めている。死刑がそうである。正当防衛は必ずしも殺人に至らないので殺しのライセンスとは言いがたいが、死刑は大臣の名の下に「合法的に」人を殺せる唯一の機会である。いかなる殺人も許されるべきではない、と考える人たちは死刑制度に反対する。当然だが、一切殺人がダメだと言っているのに、国家が人を殺すのがオッケーなわけがない。これはしかし、逆に考えると「非常に限定的な形であれ、国家が殺人を許可しているということは、すなわち正当化され得る殺人はあるのだ」という考えにもつなかる。そう考える、ことは、拡大解釈の仕方「よってはリンチを正当化してしまうので、少し危険な考え方ではないかと思っている。とはいえ、赤ん坊も含めた一家を皆殺しにするような鬼畜、あるいは、とある人種をまるごと世界から抹殺しようとするような人間は殺されても仕方がないのではないか?という考えには、やはり一理あるようにも思えてしまう。「誰か特定の人」を殺していい理由はいくつ思いつくのか。その「誰か特定の人」にはなるべくバリエーションをもたせ、例えば、親類や友人、先生、近所の人、政治家、芸術家、会ったことのない異国の人々、とんでもない殺人鬼、有名な犯罪者、・・・。そうやって考えていくと、きっとどこかで「殺してもいいライン」と「殺してはダメなライン」が自分の中にあることに気がつく。しかし、ここで考えてをストップしてはいけない。ではそのラインは絶対的なものなのか。そこで「殺してもよい」「殺してはいけない」というふるい分け作業をしている自分に、その「ふるい分けをする権限」は一体どこから与えられていると自分は考えているのか。また、同時に、いろんな世界中の人が自分を「ふるい分け」にかけたときに、果たして自分はどちらに分類されてしまうのか。それも考えなければならない。私は、今、倫理というものの入口に立っているのだと思う。答えの出ない問題に対して、誰かが「これこれこうだから」と単純な理由を示して、「だからダメ」「だからいい」と言ってくれたら、自分でかんがえなくてよくなるのでラクかもしれない。しかし、そこで自分で考えなくなると、あとでとんでもない結末になることは歴史上いくらでもあった。以前にも書いたが、ナチのアイヒマンであったり。「言われたことをやっただけです」と胸を張ったが、世界は「言われたからやった」というだけで、どれだけ人間が残酷になれるのかを知って衝撃を受けた。のちのち、ひどいことになっても「でも、自分で考えてやったことだから」と思えれば、それはまだマシである。「よく考えてなかったけど、人に言われたからやった(あるいは、人がそういうことをやってもいいと言ったからやった)」ことについて、重大な責任を問われるのは最悪の事態である。もちろん「自分の考え」をもつためには、これまでに同じ問題についてよく考えた人たちの書物を読んだりして、どういう思考がなされてきたのか、を知る必要もある。そうやっていろいろ学んだり、自分でああでもない、こうでもないと考えたり、専門家や学者に意見を聞くのもいいだろう。そうやって悩み続けること、その行動自体が答えになるのではないか。そして悩んでいる間はもちろん、結論が出ていないわけだから、そんなあやふやな状態のまま人を殺したりしてはいけないのは理の当然である。だから、やはり人を殺してはいけない。映画や小説の中であればいくらでも殺していい。でもやっぱり現実は違う。私が生きている間にこの空っぽな頭でこの問題に対する自分の答えを出せるのかは、はなはだ自信はない。でも、答えがない、だからといって考えをストップすることはできない。いろんな事象が頭の中をグルグル回ってただただしんどくなる。でも、それでも考え続けようと思う。自分の頭で。

2017年10月2日月曜日

ダークサイドに堕ちてはならん?

 以前の投稿で、友人の一人がクロスバイクを買った話をしたが、先日やっと納車されたみたいで、写真を送ってくれたのである。いやーカッコよかった。さすがである。六本木のお店に納車されたので、そこからは自分でその自転車に乗って家まで帰らなければならないので、聞いたところによると家まで2時間ほどかかったみたいである。慣れていない道を走ったので、余計に時間をとられたみたいだ。でも、サイコーの自転車なので、乗っているだけで楽しいので、その2時間は有意義な2時間だろう。私も欲しくなっている(笑)。高校時代から大学時代まで、ほとんど毎日自転車に乗っていた。自転車が好きであったし、苦痛ではなかった。大学時代は大体の学生は自分の車を持っていたし、なければ不便だというのはわかるが、私は車を欲しいと思ったことはない。もちろん欲しい車はあるのだが、高過ぎて貯金しても意味がないレベルなのでその欲しい車のために貯金はしない(笑)。話を戻すが、自転車は車と違って、自分の体を使わないといけない。体力が必要なものなのである。車とは全然違うんだなあ。自転車の旅みたいなのもしてみたい。風を切りながらどこまでも走ってみたい。ロマンがあるなー。今度その友人の自転車を見に行ってみたい。

 今日は休みだったのだが、体調が悪い、いや体調が悪いような気がするのでずっと家にいたのである。悪くなくても家にいただろうが(笑)。前回の投稿では頭が痛くて途中から何を書いているのかわからなくなった(笑)。今もそうだが。日に日に酷くなっている、いや酷くなっているような気がする。喉が痛過ぎて寝れないのである。気のせいと言えないレベルだ(笑)。そろそろ認めざるを得ないのかもしれないが、まだ認めていない(笑)。気合いと根性で正常を取り戻そう(笑)。ここは体育会系のノリである(笑)。

 今日は『ゴーストライダー2』を観ていたのである。これはアメコミ原作の作品だが、アメコミは主にマーベル、DCがあるが本当にいろんなキャラクターが登場する。その中で、どのキャラクターが一番強いのか、を討論しているちょーヒマな人たち、いや、ちょーサイコーな人たちがいる。いろんなサイトでいろんな人たちが独自の考えで書いているので、その強さのランキングであったり、ランク分けが、その人によって全然違うのである。でも読んでいるだけですごくおもしろいのである。そもそもいろんなキャラクターがありすぎるのもあるし、ランキングそのものが不可能に近い。いろんな能力や力があるので、どれがどう影響するのかは全くわからない。そしてコミックと実写版映画とは違うというのもある。私は全キャラクターのコミックや映画を観たことがないので、討論はできないが、私はアメコミのキャラクターで一番好きなキャラクターの一人であるのが『ゴーストライダー』である。ちなみにこのゴーストライダーのランキングは最強に近い。そもそもゴーストライダーとは、悪魔との契約により魔術的な力があり、パワーの根源が科学的、超宇宙的なものではない。なので異次元の強さを誇る。地獄の炎(ヘルファイア)を全身に纏い、この炎に触れたものは一瞬で炭化してしまう。そして目を合わせるだけで相手が生まれてから犯したすべての悪事、他人へ与えたすべての苦痛を本人に舞い戻らせ苦しませることができる“贖罪の目(ペナンス・ステア)”がある。魂があるものに対しては無敵なのだ。そして私の大好きなコミックで映画である、『ウォッチメン』に登場するキャラクターの一人、“Dr.マンハッタン”も最強の一人である。ちなみに『ウォッチメン』に登場するキャラクターの一人の“ロールシャッハ”がアメコミで一番好きなキャラクターの一人である。このDr.マンハッタンは量子力学的ヒーローで、原子そのものである。あらゆる原子を分解、再構築することができる。つまり原子で構成された敵であれば瞬時に分解、消滅させることができる。さらに無から物体を作り出すことが可能で、この世に原子、どんな種類でも一つでも残っていれば、そこから自身を再構築できる。原子一つひとつがDr.マンハッタンになりうる。神を超えた存在、創造者で、アメコミ世界のパワーバランスをブッ壊した存在である。他にもこの2キャラクター以外にも最強キャラクターが山ほど存在するのだが、私がよく知っているのはこの2キャラクターなので、どっちがどうだろうか、という話しかできない。私が思うに、もしこの2キャラクターが戦って、決着をつけるのであれば、Dr.マンハッタンに魂があるのかどうかということになるだろう。そこでしか決着はつけられないのではないか。もしくはゴーストライダーが繰り出した技でDr.マンハッタンを炭化させたとしても、Dr.マンハッタンは再び自らを再構築させるだろうが、この炭化させるのはただ炭化させるのではなく、地獄への入り口を開いてそのまま地獄に落とし、地獄の業火で焼き尽くすことができるので、これは原子とかそういう話ではなく、地獄という異次元に叩き落とされるので、再構築は不可能ではないだろうか。なんだかゴーストライダー優勢みたいに書いているが、私はゴーストライダーの方が大好きなのでそういうふうに書いている(笑)。おそらくまともに戦ったらあっさりDr.マンハッタンの方が勝つんじゃないかなーと心のどこかで思っている。戦うことはないが。とにかゴーストライダーがカッコいいし大好きなのでそういうふうに書いたのである。地獄の炎で悪を滅せ、というカッコよすぎるキャラクターだ。多くのひとはこういうダークサイドの存在を好まない傾向があるが、私はダークサイドが大好きである。そういえば『スターウォーズ』でヨーダ先生が何十回と口をすっぱくして言っていたが、「ダークサイドに堕ちてはならん」と。ジェダイになるにはそういうダークサイドを断ち切らなければならないのだ。私なんか速攻ダークサイドに堕ちるに決まっている(笑)。いやー、ダークサイドサイコーである(笑)。欲望のままに生きていこう。あれはダメ、これもダメ、そんなんじゃストレスが溜まるだけである。節制ではなく放逸である。自分の好きなこと、楽しいことは他人に迷惑がかからないように、どんどん追求していこう。楽しいものは楽しい、いいものはいい、のだから。全速力で、地獄のハイウェイを突っ走ろう!ゴーストライダーのように。自分らしく。楽しく。イヤなこと、しんどいこと、つらいこと、鬱陶しいこと、思い通りにいかないこと、悲しいこと、苦しいこと、泣きたくなること、死にたくなること、体調崩すこと?、そんなことばっかりだが、がんばっていこう!なにかをな!!

地獄の底にて。

取捨選択できるなら

 季節の変わり目ということで、寒くなったり暑くなったりしているが、3、4日前くらいから体調を崩してしまったのである。いや、そういうのは認めないことにしているので、体が怠いと言っておこう。こうなるのは久しぶりである。そういえば去年は7月の最初に体が怠かったのを覚えている。なぜ覚えているかというと、7月の最初に新宿で映画関連のイベントがあったので、そもそも前売券を購入していたので、やめようかとも思ったのだが、せっかくだったのでフラフラになりながら参加したのを覚えている。さすがに最後までいると遅くなってしまうし、何時までやるかわからなかったが、2時間ほどで退席したのである。頭痛と喉の痛みがある、あ、いや、あるような気がする。気のせいだ、うん、絶対気のせいである。仕事があるときはどうしても睡眠時間が短くなってしまうので、それが原因だろう。寝れるときにちゃんと寝たいのだが、そういう寝れるときは普段できないことをやって結局寝不足になってしまうのだなあ。最低限の睡眠時間は確保するようにしたい。

 気がつけば10月になっている。早いものである。このままいくと、気がつけば死んでいるということにもなりかねないくらい時の流れが早い。生きている間にいろんな人と交流する。すごくいい人もいれば鬱陶しい人ももちろんいる。時間というのは期限、制限がある。今この時期で考えると、先は長いと見えがちだが、そんなことはない。無限にあると錯覚しがちだが、そう思っているだけである。その中でいろんなことをやらなければならない。自分の好きなこと、趣味もそうだろう。もちろんしたくないこともしないといけないときもあるだろう。それが自分でコントロールできればいいのだが、そう思い通りにならないのもまた事実。人生は無駄なことの方が多いのだと思っている。しかし、自分のやりたいことをやるがために無駄なこともしないといけないのなら、それの無駄なことをやらなければならない。遠回りしないといけないのなら遠回りしなければならない。人とのつきあいはどうだろうか。私は何度も言っているが、好き嫌いが激しいので、好きなひととはとことん遊んだりコミュニケーションをとったりと時間を気にせず惜しみなくそれに費やすが、嫌いな人とはつきあいたくない。当たり前だが。中途半端な存在もそうである。私は中途半端なのも面倒なので、それも付き合わないことにしている。中途半端なものに時間もそうだしお金も使いたくないからである。ひと付き合いにもどうしても多少のお金は必要になってくる。自分が使いたくないものに使うお金が一番苦痛だろう。それはしたくないからである。私の感覚だと、お金を捨てるようなものだ。そういうと、人付き合いはこの先どうなるかわからないから、そういうのもちゃんとしておかないと、大切にしておかないと、後悔することになるよ、と言われるかもしれない。確かにその先のことは当たり前だがわからない。後悔するよと言われても、後悔する人は何をやってもどういう決断をしても後悔するだろう。後悔する理由を見つけようと思えばいくらでも見つけられる。そうではなくてこれでよかった、これがよかったと思えるようにしていかなければならない。先ほども言ったが、時間は有限である。嫌いなこと、イヤなことには時間もお金も使いたくない。そんなことをしている時間がもったいない。そんなことをしているヒマはない。そんなことに時間やお金を使うのであれば、自分の好きなことに使う。誰だってそう思うだろう。もしかしたら明日には死んでいるかもしれない。もしかしたら明日交通事故で死んでしまうかもしれない。いつ、自分の人生の持ち時間がゼロになるかわからない。でもいつかは必ずゼロになる。そう思ったらイヤなことや嫌いなこと、嫌いなヤツ、イヤなヤツ、そういうものに時間をとっていられない。その先に自分の希望しているものがあれば、そのイヤなことをしないといけないのなら、やらないといけないが。私は不器用なので、いろんなことができないし、多くの人とコミュニケーションがとれないのである。なので無理せずに自分に合った生き方をしているだけであるし、これからもそうしていく。無理をすればいつかはストレスになるので。なので人付き合いに関して言えば、すごく良く見えるし、残酷でもあるということだ。ハッキリしているから。今みですごく仲が良かったのに、自分の醜態を晒したり、裏切られたり、敵とみなされたり、利用されていたり、そういうことになると当たり前だが縁を切る。ダラダラ中途半端なことに時間を費やしたくないからである。人からいいことや親身になってくれたり、ナイスなことをしてくれると、当たり前だがちゃんとお返しというのかそれに当然応える。当たり前である。そうじゃないと生きている意味がない。でも誰だろうと応えてくれなかったり裏切られたりしたら身を引く。相手側にも言い分があるだろうが、当たり前だがこちら側にも言い分がある。それは言ってもしょーがないので言わないが。言っても時間の無駄なので言わないが。そうやって面倒なことが山ほどつきまとう。だから、できるだけ自分の思っていることを選択していかなければならない。人付き合いならば、自分にとってプラスになる人、自分のためになる人と仲良くしていかなければならない。もしそれが、時間の無駄であったり、中途半端であったり、マイナスになっていたり、イヤだけどしゃーなしで一緒にいたり、一方通行の意思であったり、そういうものは時間の無駄になる。そういうを自分で取捨選択できるならやった方がいい。ダラダラするのはなにもかもが無駄である。何度も言うが時間は有限である。その時間というのは思っているよりも短いかもしれない。最初の方にも書いたが、気がつけば死んでいるかもしれない。そう思ったら、自分が望んでいるものを、好きなことを、価値あるものを、意味があるものを、そういうものを求めていった方がいいのではないか。