2010年9月23日木曜日

自由とは

 冬の序章のように感じられる寒い一日であった。祝日であったが部屋に閉じこまったままであった。また雪の多い季節になるのかと思うと先が思いやられる。と言っても今はまだ秋だが。

 今私は池上彰著の『そうだったのか!アメリカ』という本を読んでいる。私たちの知ってるアメリカ、私たちの知らないアメリカを紹介している。私が通っていた高校の修学旅行(研修旅行)はアメリカかオーストラリアに行くのである。私の年はアメリカに行く年であった。しかし私はとある病気でこの研修旅行に行けなかったのである。この病気のことは後日改めて書きたいと思う。あの時アメリカに行けてたらと時々思うことはあるが、この本を読んでいると、読んで行った方がもっと勉強になると思うところがたくさんあるのである。もちろん研修旅行に行く前にアメリカについて勉強はしていたがもっと詳しいことが書かれている。
 今日書きたいのはアメリカの特徴の一つである。みなさんはアメリカにどのような印象を持っているだろうか。まず一つは、アメリカは自由の国だ、という印象をもっている人が多いのではないだろうか。私もそうである。ではなぜアメリカは自由の国なのだろうか。それは日本では禁止されている銃を持つことができるからである。私たちにとっては想像できないが、少年、青年が学校に銃を持って来て退学になるということが頻繁にあるらしいのだ。そして日本でも大きなニュースとしてよく取り上げられているが、銃乱射事件である。このような事件によって多くの罪のない人が撃ち殺されているのである。まず日本では考えられないが、アメリカでは日常茶飯事である。私たちの感覚からすると、銃規制をしたらいいじゃないか、と思うのが普通であろう。ではなぜそれがされないのか。なぜ銃を持とうとするのか、と聞かれたらあなたは何と答えるだろうか。自分の身を守るため、と答えるのではないだろうか。私も以前であればそう答えるだろう。しかし違うのだ。もし州政府やアメリカ政府がアメリカ人個人の自由を侵害しようとしたとき、銃が無ければ戦えないではないか、これが答えである。銃は自分たちの自由を守るためにあるのである。これには感動した。アメリカ人は自分たちの自由を銃で勝ち取ったのである。自由というのは自分で勝ち取るものであって、与えられるものではない。いつでも自由を守る準備ができているのである。
 これには日本も学ぶべきところがあるのではないかだろうか(もちろん文化の違いがあるのだが)。少々甘すぎるのではないか。自由をはき違えている。自由と聞くと好きなことができる、楽しそう、という印象があるがそうではない。フランスの哲学者サルトルが言った言葉「人間は自由の刑に処せられている」。これも参考にしてみてもよいのではないだろうか。

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