2010年9月29日水曜日

こだわりがもたらすものは

 昨日は雨であったが、今日は本当に気持ちのいい天気であった。水曜日は午前中に授業が終わるので、昼から友達のS君とM君との3人で自転車で買い物をした。駅前まで行ったのだが、私の住んでいる下宿から駅前まで自転車で3,40分くらいである。私は特に用事は無かったのだが、S君が紅茶を買いたいとのことであった。近くのスーパーで売ってるやんけ、と言うかもしれないが、このS君にはこだわりがあって、少し高級なものでここでは駅前くらいでしか手に入らないやつである。このS君はほかにもコーヒーやアロマにもこだわりがあり、よく知っているのである。こだわりがあると、他の人よりもそこだけはやはりお金がかかってしまうのである。おそらくほとんどの人は何かしらのこだわりを持っているだろう。そして少し無理をしてでもそこにお金をつぎ込んできたであろう。他の人から見れば、何でそんなところにお金かけるん?と言いたくなるようなところにこだわりを持っている人もいるだろう。しかし私はこのこだわりというのは大切なものだと思っている。なぜならば人にはわからない楽しみかたを知っていて、それがその人の個性にもつながってくるのである。おそらくこだわりに触れている時間は何よりも楽しいであろう。自分の好きなことにはどんどんのめりこんでいってもいいと思う。やがてそれが生きがいへとつながってくるかもしれない。贅沢だと言われるかもしれない。でもいいじゃないか、そのこだわりで幸せなときを過ごせるのなら。

2010年9月28日火曜日

寝坊の理由

 今日の朝、めずらしく寝坊してしまった。出発の時間に友達が呼びに来てくれ、それで目が覚めたのである。朝から大慌てである。いつもならゆっくりと準備をするので、30分くらいかかるのだが今日は10分くらいで用意をし、走って大学へ向かったのである。幸い授業が始まったところだったのでギリギリセーフであった。しかし寝坊はやはり良くないと改めて感じた。
 なぜ寝坊したのかというと、今日の午前3時まで宿題をしていたのである。遅くなった理由は友達のM君が部屋に邪魔しに来たのである。さらに自分もここで宿題をすると言い始め、私の部屋に彼のパソコンを持ってきたのである。自分の部屋でやれよーと言いたかったが仕方なくOKし、宿題を始めたのだが、M君はいきなりユーチューブを見出したのである。しかも大音量であった。集中力が一気になくなり、私も一緒にユーチューブを見てしまった。しかしそれがとてつもなく面白かったのである。夜中なのに大声で笑い飛ばしてしまった。おそらく隣の人は迷惑であったと思う。申し訳ありません。まぁたまにはいいか(笑)。
 
 

2010年9月27日月曜日

ぬくもりのあるテレビ番組

 今日もよく晴れて、気持ちいい一日となった。やはり雨よりも晴れている方がいい。こんな日は教室で勉強しているのはもったいないという気になってくる。しかしそうもいかない。教室の中にいても気持ち良く、昼食後の授業はついつい居眠りをしてしまった。やってしまったという感じである。サークル活動も今日から始まり、そろそろ学生生活に本腰を入れなければならない。

 先ほどテレビでNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組を見ていた。この番組は鶴瓶さんとゲストの方とで各地の素敵な家族を探すぶっつけ本番の旅である。今日は番外編ということで、以前お会いした家族にその後どうなったかもう一度会いに行くというものであった。私はこの番組が大好きである。いつも見ているのだが毎回毎回心温まるし、笑えるし、涙が出るくらい感動することがある。今の時代は児童虐待、家庭内暴力、介護、行方不明の100歳以上の方々、また両親共働きでほとんど孤食している子供たちなどと暗いニュースばかりで、自分自身さえも嫌になってきそうである。そしてそれが今の世の中なんだと納得してしまいそうになる。しかしこの番組を見てみるとその様なことは一切感じられない。本来の家族のあるべき姿を私たちに教えてくれる。テレビに映し出される家族はみんな優しく、親切で、思いやりがあって、本当に楽しそうである。見ている私たちにも元気を与えてくれる。このような番組を失ってはならない、そう感じている。できるならば永遠に続いてほしい。この暗い世の中に光をどんどん差し込んできてくれる。私は若い人にこそ見て、感じてほしい。NHKというと、「真面目やなぁ」と言われて相手にしてくれないことがよくある。若い人が好むのは、お笑いか、バラエティーか、ワイドショーか、ドラマか、漫画か、ゲームか。もちろんそれらは面白い。それはよくわかる。私も好きだ。しかしそればかりではなく、一週間に一回でもいい、一カ月に一回でもいい、一年に一回でもいい。見て、そして感じてほしい。


「しあわせをありがとう
 温もり届きました
 何よりあなたが元気でよかった
 宝物をありがとう
 思い出届きました
 生まれてきてよかった・・・」        NHK番組 「鶴瓶の家族に乾杯」
                                    主題歌:Birthday    さだまさし
                                       

2010年9月26日日曜日

大切な人との再会

 今日は快晴であった。朝と夜はかなり冷え込んだが、昼は少し暑いくらいであった。朝から友達のM君と町に出かけた。以前お世話になったTさんに会いに行くためである。Tさんは今日私たちのためにわざわざ時間を合わせて駅前まで駆けつけてきてくれたのだ。本当に嬉しいことだ。絆というものは続けようとおもえば一生続くものなのだな、と改めて感じる。縁を切ろうと思えばいつでも簡単にできる。連絡をとらなければいいだけだ。正直、電話などするとき、相手が忙しかったり、迷惑だったりするのではないかといつも考えてしまい、なかなか気が進まない。お互いのスケジュールを合わせるのも一苦労だ。しかし、そうまでしてでも会いたい大切な人なのだ。この関係を終わらせようとと思ったらとっくの昔に終わっていた。なぜ続けようとするのか。Tさんは私たちのために全力でお世話してくれた。私はその恩返しがしたい。それが私たちの元気な姿を見せ、会話をし、楽しいひと時を一緒に過ごすことだと思っている。今私にできる精一杯のことだ。私たちとTさんは出会った時はこのような仲ではなかった。絆とはまず、細く切れやすい糸から始まる。そこから序々にかたく切れにくい糸へとお互いで作り上げていくのだ。Tさんと会うのは本当に楽しみである。Tさんも私たちと会うのを楽しみにしている。待ってくれてる人がいるというのは幸せなことだ。そこに油がかからないようにしなければならない。
 このTさんについては後日詳しく書きたい。

長渕剛と私

 今日でブログを始めて一週間となった。パソコンが大の苦手、三日坊主の私だが、できる限りこれからも続けていきたいと思う。読者も少しずつ増やしていけるよう日々精進していきたい。
 日に日に寒さが増してきていると感じるのは私だけだろうか。寒いのは嫌いである。なので冬よりも私は夏の方が好きだ。なぜかというと私の誕生日があるからだ(笑)。それは冗談だが。まだまだ寒いとは言ってられない。体調を崩さぬようにしたいものだ。

 昨日は少しだけ芸能人関係に触れたので、今日も少しそれについて触れてみようと思う。とは言っても私のすきな長渕剛についてだが。私と彼とのエピソードだ。私が彼を好きになったきっかけは2003年大晦日のNHK紅白歌合戦である。そこに彼が出場していたのだ。彼を好きになる前はサウンドトラックなどを聴いていた。しかし彼の歌を聴いた瞬間、「俺はこんな歌が聴きたかったんや!」と全身に鳥肌が立ち、今までに無く感情が高ぶったのだ。それ以来、私は彼について行こう、そう決心したのである。中学時代や高校時代に、「何で長渕が好きなん?」とよく聞かれたものだ。逆に私は他のアーティストには全く興味を示さない。「あれの何がええねん。」と心の中では思うことがよくある(失礼!)。もちろん他のアーティストの曲も聴くことはあるが、最後に残るのはやはり長渕剛である。私が言いたいこと、世の中のこと、友達のこと、恋愛のこと、そして自分のこと、そのようななかなか口でうまく言えないことを彼が代弁してくれるのだ。しかも歌にしてくれる。歌を聴いたときに、「あー、いいな~」ではなく、「それ、それ、それが言いたかったんだよ」という感じである。好きな人、尊敬する人、大切な人の言葉は素直に心の中に入ってくる。それと同じだ。

「ねぇ
 力の出る唄を
 勇気の出る唄を
 元気の出る唄を うたってよ」  by Tsuyoshi  Nagabuchi

 一生続きそうなので今日はこのくらいにしておこう。

2010年9月24日金曜日

プロとは・・・

 今日は晴れたが、少し肌寒い一日であった。一週間というのは早いものである。学校が始まって一週間がたつが、まだ休みボケから体が抜けない感じである。急に寒くなったので、風邪をひいてる人が多いらしい。私の友達も風邪気味だっと言って、マスクをあげたが、この休日で治してほしいと思う。健康第一とよく言うが正にその通りである。健康を失って初めてそれがわかる。体は大事にしなければ。
 大リーグで活躍中のマリナーズのイチロー選手が10年連続200本安打を達成した。前人未到の快挙であるが、決して平たんな道のりではなかったであろう。すばらしい、この一言だ。また次の機会にイチロー選手についても書いてみたい。今日はこのくらいで。

 今日書きたいのは、タイトルにも書いたように、プロということについてである。プロとはプロフェッショナルの略である。プロフェッショナルとは、専門の、とか職業的という意味である。つまりその道に精通しているということだ。私がニュースを見て疑問に思ったのは、最近再結成して「安全地帯」として活躍する玉置浩二だ。今彼は全国ツアーをしているが、この全国ツアー中に彼に問題があったのだ。ある日にはお客さんと口論になったり、泥酔状態でステージに上がったり、体調不良により途中でその日のコンサートを中止にしたりなどということがあった。それによりお客さんから「金返せ!」と言われ、その返答が「そのくらいいいじゃんかよ。しかもそいつからお金借りてないし。」というものだ。体調不良でも正直許されるものではないが、泥酔状態でステージに上がるとは言語道断だ。お客さんに最高のパフォーマンスを見せるのがプロだ。そして最高のコンディションをその本番の日に合わせるのが当然だ。そう考えるとレベルが低すぎる。彼も数多くの名曲を生み出し、厳しい世界を勝ち上がってきたクリエーターだ。年を重ねるごとに、プロとしての意識もより高くならなければならない。お客さんの中には、忙しい合間を縫って、遠くから駆けつけた人もいるだろう。金銭的にあまり余裕のない人がこの日のためにコツコツ貯めてやっとたどり着いたっていう人もいるだろう。日常から解き放たれて、勇気、希望、明日、を手に入れ、そしてまた次の日から日常に戻っていくのだ。ショービジネスで大切なのはプラスαである。最低でも100%はしなければならないのだ。それがプロというのではないのか。お客さん、ファンの人たちを踏みにじるような行為は許されるものではない。

(これはあくまで私個人としての意見なので、それは違うと言われる方もいらっしゃるとは思いますが、それはどうかお許しください。)

2010年9月23日木曜日

自由とは

 冬の序章のように感じられる寒い一日であった。祝日であったが部屋に閉じこまったままであった。また雪の多い季節になるのかと思うと先が思いやられる。と言っても今はまだ秋だが。

 今私は池上彰著の『そうだったのか!アメリカ』という本を読んでいる。私たちの知ってるアメリカ、私たちの知らないアメリカを紹介している。私が通っていた高校の修学旅行(研修旅行)はアメリカかオーストラリアに行くのである。私の年はアメリカに行く年であった。しかし私はとある病気でこの研修旅行に行けなかったのである。この病気のことは後日改めて書きたいと思う。あの時アメリカに行けてたらと時々思うことはあるが、この本を読んでいると、読んで行った方がもっと勉強になると思うところがたくさんあるのである。もちろん研修旅行に行く前にアメリカについて勉強はしていたがもっと詳しいことが書かれている。
 今日書きたいのはアメリカの特徴の一つである。みなさんはアメリカにどのような印象を持っているだろうか。まず一つは、アメリカは自由の国だ、という印象をもっている人が多いのではないだろうか。私もそうである。ではなぜアメリカは自由の国なのだろうか。それは日本では禁止されている銃を持つことができるからである。私たちにとっては想像できないが、少年、青年が学校に銃を持って来て退学になるということが頻繁にあるらしいのだ。そして日本でも大きなニュースとしてよく取り上げられているが、銃乱射事件である。このような事件によって多くの罪のない人が撃ち殺されているのである。まず日本では考えられないが、アメリカでは日常茶飯事である。私たちの感覚からすると、銃規制をしたらいいじゃないか、と思うのが普通であろう。ではなぜそれがされないのか。なぜ銃を持とうとするのか、と聞かれたらあなたは何と答えるだろうか。自分の身を守るため、と答えるのではないだろうか。私も以前であればそう答えるだろう。しかし違うのだ。もし州政府やアメリカ政府がアメリカ人個人の自由を侵害しようとしたとき、銃が無ければ戦えないではないか、これが答えである。銃は自分たちの自由を守るためにあるのである。これには感動した。アメリカ人は自分たちの自由を銃で勝ち取ったのである。自由というのは自分で勝ち取るものであって、与えられるものではない。いつでも自由を守る準備ができているのである。
 これには日本も学ぶべきところがあるのではないかだろうか(もちろん文化の違いがあるのだが)。少々甘すぎるのではないか。自由をはき違えている。自由と聞くと好きなことができる、楽しそう、という印象があるがそうではない。フランスの哲学者サルトルが言った言葉「人間は自由の刑に処せられている」。これも参考にしてみてもよいのではないだろうか。

2010年9月22日水曜日

腹痛

 今日も昨日に引き続き、災難な一日となった。今日は宿題とかそういうものではなく、朝の一時間目から、お腹が痛くなったのである。始まる前は何ともなかったのだが、始まってしばらくして調子が悪くなってきたのである。授業中の腹痛は今まで何度か経験してきたが、腹痛は頭痛などとは違って、厄介なものが出そうになる。これが大変だ。頭痛は寝とけばいいのである。しかし腹痛はそうはいかない。今まで生きてきた中で(と言っても21年しか生きていないが)私なりの一つ確かな結論が出ている。それは腹痛は決して我慢してはならないということである。正直、授業中に席を立ち、ドアを出ていくという行為は恥ずかしいことではあるが、我慢をしてもしものことがあった場合にはその学生生活にピリオドを打たなければならなくなるだろう。最低でも青森から、いや東北地方から撤退しなくてはならない。そう考えたら一生の恥をかくより、一瞬だけ恥をかく方がいい。そう頭では理解しているつもりなのだが、よりによって授業を受けていた教室が私の大学の中で一番大きい大講義室だったのだ。何百人の視線をを感じながら退室するのは不可能に近かった。しかも座っていた席がドアから離れているところだったのでなおさらであった。私はこの腹痛と戦う決心をし、何度も襲ってくる波に耐えた。一分が一時間のように感じる。終わりの時刻になったときは、目の前にお花畑が広がっているような救われた感じであった。このような体験をした人は少なくないはずだ。いやおそらくほとんどの人は経験しているだろう。私の今日の気持ちを分かってくれるはずだ。しかし今日はたまたま我慢しきれたが、もしかすると今日が私の命日になっていたかもしれない。やはりトイレに行っておけばよかった、というのが本音である。体調管理は何よりも大切だということを改めて思い知らされた。全国で腹痛に悩む人たちに一言、一瞬の恥をかくのか一生の恥をかくのか、決めるのはあなたです!
 下品な話になり、申し訳ありません。(笑)

 最近気候の変化が激しく、今日は急に寒くなった。季節の変わり目は特に体調管理に気を付けなければならない。悪夢が繰り返されないようにひたすら願うばかりである。

2010年9月21日火曜日

子供たち

 今日から秋学期の授業がスタートした。あ~もう嫌だ、もっと休みがほしい、というのが本音ではあるが、学生の仕事は勉学である。なので休んでばかりもいられない。体に鞭打ち、学校に行ったのであるが、昼御飯を食べに下宿に戻ると、なんとあまっているはずの御飯がないのだ。これには驚き、仕方なく、昨日の夜御飯の残りを食べることにしたのだが、少なすぎるではないか。腹が満たされないまま、大学に戻った。さらに今度はゼミでいきなり宿題が出るではないか。最初だから勘弁してくれーと言いたいところではあったが仕方がない。学生の仕事は勉学であるから。

 夏休み中、大阪でバイトをしていたのであるが、今日はその給与支給明細書が届いた日であった。なかを開けてみると思ったよりも給料がよかったのでうれしかった。何をしていたかというと、塾の講師である。教えていたのは小学2年生と中学2年生である。小学生は一言で言うと、かわいい!まだ、邪気がない無邪気な頃である。その子供たちと一緒にいると自分の小さかった頃を思い出すのである。小さかった自分を見ているかのようである。それと同時に、いつから自分はこんなに汚れてしまったのだろうか、と考えるようになる。大人は嘘をつく(嘘をつかないと生きていけないところもあるかもしれないが)。しかし子供は嘘をつかない。子供たちの目はこちらの心を見透かすような真っ直ぐな目をしている。だから子供の前では嘘はつけない。嘘がばれた時には子供たち全員から総攻撃を食らうからである(何回もやられた)(笑)。
 中学生はもう大人に近づいてはいるが、まだあどけなさが残っている。私が教えた中学生は、何らかの家庭の事情で子育てを放棄してしまったところや虐待にあった子供たちなのである。要するに、親がいないのである。私は彼らと一緒に授業をしていても他の子供たちと全く変わったところは見受けられない。しかし彼らはまだ小さいのに厳しい現実を突き付けられているのである。両親がいる私には想像できない。こんなにもかわいい彼らをどうして虐待や育児放棄できるのだろうか。私は怒りを感じる。今このような事件が多発している。生後何カ月という赤ちゃんが、信じられないような残酷なやり方で殺されている。子供は親を選べない。
 彼らは苦しみ悲しみの中を生き抜いてきた。たくましい人間になってほしい、私はひたすらそう願う。

2010年9月20日月曜日

県民性(2)

 今日は3連休最後の日であった。朝起きてみると、太陽の光が差し込んでいた。久しぶりの太陽だったのでうれしかった。さっそく買い物に行こうと思い、友達のM君と一緒に自転車で町をふらふらした。帰って来てしばらくすると空模様があやしくなり、雨になった。早目に行ってよかったという感じではあるが、ここは山のせいか海の近くなのかわ知らないがよく天気が変わる。雨も多いような気がする。まぁとりあえず3連休最後の日、少しでも晴れてよかった。

 今日は昨日の続きで県民性の話である。昨日は北海道から中部地方まで読み、今日は沖縄まで読み終えた。やはり一番興味があるのは、生まれ育った大阪、今住んでいる青森、また旅行で訪ねたところであろう。書いてあることがすべて正しいとは言わないが、大阪に関して言えばおそらく7割8割は正しかったと思う。大阪人の気質は見栄を張らない、あくまでホンキで勝負する、格好をつけない、率直に気持を表現する、などなどと書いてある。そう言われてみればそうかもしれないと納得する次第である。東京人はこれらの反対で、格好つけ、見栄を張り、ホンネを隠し、という感じらしい。私は東京に住んだことがないので何とも言えないが。素直に気持ちを表現するというのは確かであろう。大阪は楽天主義である。笑いたいときには笑い、泣きたいときには泣き、怒りたいときには怒り、という感じである。大阪は笑いの街というだけあってよく笑うのである。私はその中でも特に笑う方ではあるが。それによくしゃべるのである。この青森に来て思ったのが口数だ少ないように感じられる(大阪が逆にうるさいだけなのかもしれないが)。何かとすぐに笑ってしまうので(しかも大声で)、おそらく周りにいる友達や他人は迷惑しているに違いない。申し訳ありません(笑)。しかしこれはこの青森では異常であっても大阪では普通である。これが面白いところである。大阪で通用しても青森では通用しない、また青森で通用しても大阪では通用しないというのがあるからである(他の都道府県にも言えることだが)。しかし私は青森に住んでいるだけで青森人ではない。青森に来たのなら青森の人に合わせるのが普通かもしれないが、私はそんな気など毛頭ない。なぜならそれが大阪人だからである。バカでかい声で笑って、周りからうざがられても、私は笑い続けるであろう。大阪で生きた者として。

2010年9月19日日曜日

県民性(1)

 今日も雨が降り、3連休の二日目ではあるが、明日は晴れてほしいものである。

 今私は岩中祥史著の『出身県でわかる人の性格』という本を読んでいるところである。中部地方まで読み終えた。そこには都道府県それぞれの特徴が詳しく描かれていて、とても興味深い。都道府県といったて同じ日本じゃないか、という人もいるかもしれないが、そこにはまるで外国のようにそれぞれが個性?をもっているのである。私は自己紹介でも触れたように、大阪で生まれ育ち、去年青森にやってきた。この青森でまずはじめに驚かされたのは言葉(方言)である。大阪を出る前から方言に関しては覚悟をしていたが、それは予想以上であった。ここで話される津軽弁とは鹿児島の薩摩弁と並び、日本で一番きつい方言の一つである(薩摩弁はまだ生で聞いたことはないが)。私と同じ若い人が話すことにはとりあえず、ついていくことはできるが、年配より上の人が話すことには全くついていけない。理解不能である。まさに「外国語」である。これに慣れるのには相当時間がかかった。私が話す大阪弁とは明らかにイントネーションが違うのである。毎日ここの方言の中にいると時々こっちのイントネーションになりそうなときがある。これには要注意だ。流れにまかせていると、こっちのイントネーションに変わってしまう。これはマズイ(兄に言葉変わったら帰って来んな、と言われているからだ)。しかし同じ国なのにこれほど違うのには正直度肝を抜かれる。方言というのは実に面白い。もっともっとたくさんの方言を生で聞いてみたいものである。
 今日は(1)ということでまたこの県民性について触れてみたい。

2010年9月18日土曜日

ブログを始めた理由

ブログを始めた理由は、自分の今の気持ち、喜び、苦しみ、悲しみ、憤り、などを一人でも多くの人と共感し合いたいと思ったからだ。これから、様々なことについて書いていこうと思うが、時には自分の趣味のことばっかりしか書かないこともあるかもしれないが、よろしく付き合い願いたい。今日は初日ということで、この辺にしておきたい。