2012年10月16日火曜日

伝えたいこと

 明日大阪に向かって東京行きのバスに乗らなければならない。大阪までとなると二日連続車中泊だ。もう慣れたが、一日バスで移動するのも疲れるので、二日連続となるとなおさらだ。ずっと座っている状態なので、足がパンパンにむくんでしまう。エコノミー症候群にならないように気をつけなければならない。



日本が落ちていくのを受け止めようとしている長渕剛
昨日とその前の投稿でもそうだが、歌詞を書くと“詩”みたいで歌で聞くのと少し違った印象が残る。これもまた素晴らしいことに気がついた。音楽で伝わらなかったものが、ゆっくり歌詞を読むと「なるほど」と納得するときがある。そしてまた歌が好きになる。
 知ってのとおり、私は長渕剛が好きであるが、この前「長渕剛は“右”寄りではないか」という指摘を受けた。この印象はおそらく彼をあまり知らない人だったら大半の人はそう思うだろう。しかし、私の意見として、そうではないことをここで記しておきたい。
 彼がいう、音楽とは社会と密接な関係を持っておかなければならないという。反社会的なメッセージや反戦のメッセージ、時代時代で起こるその時の事件などを伝えるメッセージなどだ。彼は、この国は一体どこへ向かっているのか、なぜ私たちの声を聞いてくれないのかを歌に、歌詞に込めて私たち、そしてこの国に向けて発しているのだ。
 最近流行りの歌は全くそういうものはない。なぜか。そのような歌を歌うことを恐れているからだ。人気がなくなってしまう、嫌われたくない。自分を守ることを優先し、本当に伝えなければならないことを避けている。周りから嫌われるようなことを彼が代表しているようなものだ。反社会的なメッセージで我々にインパクトを与えているのは、長渕剛の他に私が知っている限りでは、井上陽水、忌野清志郎、泉谷しげるが挙げられる。若いアーティストは考えても浮かび上がってこない。政治離れしている現代の私達若者だが、アーティストがそのような歌で私たちにメッセージを伝え、そこから世の中に対して、政治に対して、この国に対して、そして今の自分に対して、考える機会が与えられるならば私はそれは大いに歓迎する。
 国家や日の丸といった国を代表するものを高らかに上げることを日本人は避ける傾向にある。私も少し抵抗がある。日の丸を振るのは、オリンピックであったり、天皇の式典くらいではないか。しかし、アメリカは違う。どこに行っても星条旗が瞬いている。これがなんとも美しいのだ。そして、アメリカ人は鼻歌で国家を歌うくらいに身近な存在だ。そして、政となれば「USA!USA!USA!」と声を上げて踊るのだ。日本で日の丸があふれると異様な光景になってしまう。そこがアメリカと日本の違いだろう。日本は歴史が深い国だが、アメリカは歴史が浅い。共通の歴史がないため、共通の未来を創ろうという結束力がある。そこがアメリカの強い理由の一つだろう。
 長渕剛が伝えたいのは、困難な時こそ、「私は私は、僕は僕は」、ではなく、みんなで手をつないで一緒に立ち向かっていこう、というのを伝えたいのだ。心の奥に潜んでいる怒りや悔しさ、やるせない気持ちに彼が着火しようとしているのだ。そして、私たちが住んでいるこの日本、生まれ育った日本、その事実は変わらない。私たちは日本人だ。私たちは責任をもってこの日本を支えていかなければならない。それを彼は伝えようとしている。

2012年10月15日月曜日

青森に戻る

今日の朝、青森に戻ってきた。東京と比べるとやっぱり寒い。今週末、少しだけだが大阪に戻らなければならない。東京で就活をしたついでに、大阪に戻ろうとも考えたが、ゼミがあるので出席しないとと思い、青森に戻ってきたのだ。何のために青森にいるのかだんだんわからなくなってきた。
 今回の就活は今までで一番腹の立つ面接だった。腹が立っても、顔には出さないようにしていたが、終わってから言いたいことがたくさん出てくるのだ。こんなことを今更言っても仕方がないのだが、あれほど腹が立ったのは初めてだ。そのせいか、かなり疲れてしまった。疲れがたまってきているのは確かなようだ。


STAY  DREAM


死んじまいたいほどの苦しみ悲しみ
そんなものの 一つや二つ
誰もがここあそこに しょい込んでるもの
腰を下ろし ふさぎ込んでも 答えはNothing
ぶっ飛ばしたいほどの 怒りや悔しさ
そんなものの 一つや二つ
殴られた痛みは TRYへのワンステップ
尽きせぬ自由は がんじがらめの不自由さの中にある

ひねくれかけた瞳の ずっとずっと奥に
もがいてる もうひとりの俺がいる
一番怖いものは 勇気だと知ったとき
自分の弱さに 思わず鼻をつまんだ
もうこれ以上 先へは進めない
たとえば 挫折が目の前に立ちはだかる
そんな夜は 心で命の音を聞け
たかがこんな自分は!と 一度だけからかってみなよ

くよくよするなよ あきらめないでJust Like a Boy
その痩せこけた頬のままで
果てしない迷路の中を
人はみんな手探りしてでも
Stay Stay Dream
そう Stay Stay Dream
Stay Stay Dream

2012年10月8日月曜日

Heaven

 明日からまた東京へ行かなければならない。今回は4日連続就活がある。しばらくここ青森で滞在し、休養が取れたのでよかった。ここ1年弱は東京へ行くのは就活のためなので、休むという感じや遊ぶという感じが全くない。東京へ行けばなんとなく疲れてしまうのだ。来週の月曜日の朝にまた青森に戻ってくる。頑張っていこう。
 だんだん涼しくなってきて、青森ではもう半袖では歩けない。秋なんてほんの少ししかなく、あっという間に冬となる。またあの恐怖の冬がやってくるのだ。といっても、年内に卒論を提出すれば、1月は授業はないのだろうか。もしなければ1月は大学に行かなくても良くなるため、2月、3月はもう休みとなるでで、一番寒い時期は大阪にいるのだろうか。そうなってくれればありがたい。去年は青森駅前から下宿まで3時間かけて歩いたが、死ぬほど寒かった。手袋についた雪が凍ってしまい、手と手を合わせるとくっついてしまう。今年は歩くのはやめておとなしくバスに乗ろうと思うのだが。あの冬も今年最後となると、これもまた寂しい気持ちになる。でも、寒いのは好きではない。



ついこの間、東京で青森行きの夜行バスにを待つのに、何時間も時間を潰さなければならなかった時、映画館に行こうと思ったのだ。その時に観た映画がトム・クルーズ主演の「ロック・オブ・エイジズ」という映画を観た。ミュージカル映画なのだが、今の私にとっては元気になる必要な映画だった。そこで気に入った歌があるので一曲の一部を紹介しよう。ここで登場する歌は80年代のロックばかり。原曲を聞いたが、映画の方が印象に残っているし、これらの歌は映画の中で出会ったので、一番最初に聴いた歌が一番いい。
 この一部だけ見てみると、いろんなところで当てはまる。今の私にも。そしてこれからの私にも。苦労していても、それは必ずヘヴンに近づいている。周りがなんと言おうと、私は私の道を歩んでいく。私にしかない人生を生きていく。何百回、何千回、何万回、同じ人生を繰り返してもいい、繰り返したい人生を送れるように。苦労したぶんだけ、人は強くなれる。そして、苦労した分だけ、たどり着いた時に見える景色は、“Heaven”のように美しく見えるだろう。

Heaven

Heaven isn't too far away
Closer to it everyday
No matter what your friens might say
I know we're gonna find a way
More than words is all you have to do to make it real
Then you wouldn't have to say

ヘヴンはそれほど遠くない
日々近づいていってる
君の友達がなんと言おうと
僕らはやってみせる
言葉以上のことをすればいいんだ それで本物になれる
そしたら言わなくてもいい

2012年10月7日日曜日

最後の大学祭

 昨日と今日は私の大学で大学祭があった。はじめは行こうと考えていなかったが、友人がESSサークルに入っているのだが、大学祭の出し物としてシュークリームを作ると言っていたので、時間もあったのでお手伝いをしに行くことになった。毎年シュークリームを作っていて、2年前に一回手伝ったことがあった。
 大学から少し離れたところでシュークリームを作ったのだが、私は料理をしないので手際が悪かった。生地を作る人とクリームを作る人に分かれて作業した。私も含めて二人の助っ人がいたのだが、ESSサークルのみの人数だとかなり大変だっただろう。作っては車に乗せて大学まで運び、そして販売する人は大学に残り販売する。そして作る人は引き続きひたすらシュークリームを作る。一日目の最後の片付けは助っ人二人が残って最後の後片付けをしていた。これが一番大変だった。失敗したり、クリームを作りすぎて余ってしまったりといろいろ問題があったが、これは仕方のないことだった。
 二日目の今日は、昨日の反省点を生かし、出来るだけ早めに作るようにした。私はずっと作る係であったが、とても楽しかった。手伝わなければずっと部屋にいただろうし、ESSサークルのメンバーとたくさん交流ができてよかった。今日は昨日よりも段取りが良く、昨日の片付けが終わった時間は17時くらいであったが、今日は15時であった。そのあと私も大学に駆けつけ、売る作業を手伝った。
今思えばこれが最後の大学祭だった。あまり行く気ではなかったが、行ってよかった。行事が終わるたびに、「学生最後」という文字がついてくる。それは仕方のないことだが、やはり寂しい気持ちもある。高校を卒業して、みんなそれぞれの道に進んでいく。そして、ひきつけられるかのように、私たちは大学という場で集まって生活をした。そして4年が経てば、またそれぞれの道を歩んでいく。生涯、それの繰り返しだろう。それは1年のサイクルか、3年のサイクルか、10年のサイクルか、それは分からない。出会いがあれば必ず別れがある。何かが終われば何かが始まる。その中で出会っていく人は数多い。その中で自分にとって大切な人は誰なのか。100人のそれっきりの友達を作るより、たった一人一生の友達を作りたい。探したい。一人でいい。たった一人、いてくれれば、信じてくれる人がいれば、一人では立ち向かえなかったことでも、一人で立ち向かえる気がする。友達は大切にしなければならない。


 二日間早起きをしたので、今はかなり眠たい。いつも夜遅くに寝てしまっているので今日は早めに寝ることにしよう。

2012年10月5日金曜日

好きなことに自信を持って

人が他人の第一印象を判断する時間は0.5秒だそうだ。同じように一目惚れするのも0.5秒。第一印象も一目惚れも、一度インプットされると改変は難しい。よく話しにくそうとか、とか近寄りがたいなどの印象を持たれる私にとってこの0.5秒は何よりも厄介だ。本当は面白いことが好きで、じっとしていられない性格なのだが。誰しもはじめから自分をさらけ出すのは不可能だろう。勝手な印象をつけるのはやめてくれ!と言いたいが、実際私も人を一瞬で判断してしまっている。悲しいが、それが人間の性だ。
 知人に第一印象について尋ねてみた。「お前は今の自分に自信がなさそうや」。その通りだった。私は自分に自信がない。周りからは自信があるように見えているかもしれないが、本当は自信がない。それが表情に表れているのか。ズバリと言い当てられ、返す言葉を失った。
 そもそも自信とはどうやって生まれるのだろう。今まで私が出会って尊敬している人はみな、多くの才能を持ち、自信に溢れ輝いていた。文章の上手い人や感動的な写真を撮る人。いつも人を爆笑させる人・・・。彼らは私の憧れだった。同じ瞬間(とき)を共有したい。そうすれば、自分も輝けると思った。だが、現実は違った。まぶしいものの近くに行くと、自分の暗さに気付かされた。自信は才能に裏付けされるもの。何の才能もないのに自信を持てるわけがない。いつしかそんなふうに考えるようになっていた。
 部活動、サークル活動、勉強、就職活動、遊びで、毎日が足早に過ぎていく。苦しい時、周りが見えずに大切なことを忘れそうになる。そんな時、原点に立ち戻って考えてみる。「好きこそものの上手なれ」。こうやって文章を書くのが好き、人を笑わせるのが好き、・・・。全部「好き」だからここまでやってくることができたのだ。自分に自信がなくても、好きだという思いに自信があるのなら、それでいい。これからも好きなことに胸を張って生きていこう。

2012年10月4日木曜日

感受性豊かであるこの時期

 もう10月に入り、今考えればあと学生生活ももう少しである。ついこの間入学したばっかりという気もするが、あれはもう3年以上も前の話なのだな。この4年間は様々なことに挑戦しようとしてきた。剣道四段を取得、ボランティア活動、アメリカ一人旅、教育実習、などが特に印象的だ。そしてこのブログを始めたのは2年前の9月。最初はタイピングの練習にもなるだろうという気持ちと、一学生が感じることについて書いていこうと思った。しかし、学生生活もあと数えるくらいになってきた。
 学生が終われば社会人となる。何年生きるかわからないが人生のスパンを考えると、「学生」というのはほんのわずかな期間であることがわかる。小学生、中学生、高校生、大学生。20年にも満たないこの期間は、次の一歩を踏み出すにおいて、とても重要な期間である。なぜ重要な期間なのか。それは、感受性が豊かだということだ。大人になったら何も思わないことについても、若いから感じることや考えることがある。今だから思うことがある。この感受性が豊かな時に、様々なことを経験し、様々なものに触れ、考え、悩み、自分に吸収していく。そして自分の意見を確立させていくのだ。
若い頃というのは、何をやっても満足できない。いつも何かが足りないと思ってしまう。本当にこれでいいのか、このままでいいのか、何か忘れていることはないか、やらなけれなばならないことは、そう感じながら生きている。それが若者っていう感じだ。若者には満腹感ではなく、飢餓感が必要なのだ。考え、悩み、考え、悩む。それでいい。
 周りの環境が違えば、同じ人間でも全く違う人間になるのはわかるだろう。人間形成において、周りの環境といのは極めて重要になってくる。私がこのような人間になってしまったのは、環境が作ったと言っても過言ではない。アメリカに行きたいと思ったのも、様々な人との出会いが私をそうさせたのだ。そしてそこから学んだことが新たな私を作る。もしそのような人と出会わなかったら、外国にも興味を持たなかっただろうし、一生「日本は最高」と、この小さな島国だけで満足していたことだろう。ましてや大阪さえも出て行かなかったかもしれない。
 まざまなことを若いうちに経験しなければ、という考え自体も周りの環境がそうさせた。なんでも吸収できるこの期間というのは、財産だ。社会人になれば、学生とは全く違う世界でまた考え方が変わってくるのかもしれない。だが、それはそれだ。今のこの時期に思えることが重要である。このブログに書き続けていることは、一学生の、そして私自身の考えの財産である。何年五日先に、このブログを読み返し、「あの時と変わってしまったな」でもいい、「もう一度あの頃のような気持ちでやりなおしてみよう」でもいい。忘れかけていたあの感情を奮い立たせられたら、この足跡も役に立つのではないだろうか。
 卒業までまだ5ヶ月もある。今できることを、学生だから考えることを、これからの人生を左右するような、人生が変わるような、そんなことをやってみたい。それが若者の力だ。

2012年10月3日水曜日

情報は力

 昨日、カメムシのことについて書いたが、私の部屋のベランダは「カメムシの墓場」となってしまった。今日は昨日ほどでもなかったが、朝起きて、一枚目のドアを開けるとカメムシが入ってきていた。不法侵入である。すかさず退治したのだが、もう勘弁して欲しい。様々な生物が生きている中に我々人間は住ませてもらっているので、文句はあまり言えないが、朝は清々しく目覚めたいものである。

 今日は大学のゼミがある日で、先週や2週間前は就活で東京に行っていたため参加できなかったが、今日は久しぶりに参加することができた。学生は私を含めて4人であった。本当はもう少しいるそうなのだが、全員で何人いるかは私は知らない(笑)。その授業の後、卒業論文のための授業があったのだが、その授業をとっている人は私を含めてもたった2人であった。それにはかなり驚いてしまったが、変更できないので頑張るしかない。卒業論文が必修ではないのがおかしい話である。今年中に提出とのことであったが、何を書くのか考えて、そろそろ書き始めてくださいということで、その授業は終わった。レポート用紙40~50枚程度と指示があった。そんなにたくさん書けるか心配だ。




就職活動をするにおいて、おそらくほとんどの就活生が利用しているだろう「みんなの就職活動日記」、いわゆる「みん就」というのがある。結果通知が来たかどうか、面接はどのようであったか、面接内容は、などというふうに就活の情報交換を行うサイトである。最初はこのサイトの存在を知らなかったのだが、ある人から教えてもらい知るようになった。
 面接内容を知りたいという気持ちや、どのような雰囲気か、面接する人は何人なのか、そのようなことを事前にしておけば、当日ある程度の心構えができて、気持ちにゆとりができたりする。だが、このシステムに反対する人もいるのではないだろうか。面接する学生が多い時は、面接の日にちが何日かあり、自分の都合にいい日を選択する。つまり、このような面接の情報を知りたければ、初日は避けなければならない。ということは、初日に面接をする人はなんの情報もないまま戦わなければならないということだ。そして、初日に面接をした人はその「みん就」を使って情報提供をする。その情報提供はこれから面接を受ける人に対してやるので、自分にはなんの利益もない。ならば情報提供する必要はないのでは、という気持ちにもなってしまう。
 私はこの「みん就」を知っているが、利用はしていない。それは、初日に受けた人に申し訳ないというのではない。ただ、自分の力でやりたいだけなのだ。しかし、これは私のくだらないこだわりであって、本当はいいことではないと思っている。現に私は就活中でもあるし。
 ここで言いたいことは、情報は力だということだ。これは就職活動においても言えるし、受験においても言えるし、世の中においても言えることだ。知るか知らないか、たったこれだけの違いで有利か不利かの差ができる。つまり、知らないというのは実に恐ろしいことだ。このようなことが毎日のように起こっている。人は生まれてくるとき、己の環境を選べない。周りを取り巻く環境によって、有利か不利かの差は歴然である。テレビもなく、学校にも行けず、正しい情報が全く入ってこない世界の貧しい生活を強いられている国の人たちに比べ、私たちはどれほど有利な立場に立っているか。それを無駄にしてはいけない。
 情報を集めて有利に戦う。出たとこ勝負をしていては必ず負ける。そう考えれば受験というのは初めて経験する「社会」なのではないか。そうなれば、受験というのは世の中の縮図といえる。今の私にも言えよう。自分の力を試したいのはわかるが、情報を利用しない手はない。これは生きていく中で常に起きていることだ。何をするにしても、情報を集めて有利に戦わなければならない。情報は力なのだ。

2012年10月2日火曜日

SNSが生んだひ弱な人間

 この季節の変わり目になると、私の住んでいるところではカメムシが大量発生するのだ。ちょうど今も網戸に3匹いる(笑)。なぜこんなにも発生するのかがわからないが、退治するのが大変なのだ。一匹くらいなら「ぶち殺すぞ!!」と言って殺虫剤をまきにいくのだが、もうそんな数ではない。網戸の隙間をくぐり抜けて不法侵入してくる。いちいち殺すのではなく、たくさん集まったのを狙い目にし、カメムシ消滅作戦と題して一掃しにかかるのだ。それはそれでいいのだが、数分後にはまたカメムシだ。これの繰り返し。今日は一段と多い。テレビに加え、これもなんとかならないだろうか。



大阪でも東京にしてもそうなのだが、電車や地下鉄に乗ると、しきりに携帯電話やスマートフォンとにらめっこしている人がたくさん見られる。私としたらなぜそこまで気にする必要があるのだろうと不思議に思うのだ。もちろん使うなとも言わない。しかし、電車に乗れば儀式かのように携帯とにらみ合う。
 現代ではSNSが発達し、Facebook、Twitter、mixi、などが代表されるが、今、どこで、誰が、何をしているのかがリアルタイムで更新されていく。そして自分もまた更新し、情報交換が容易な時代である。さらには有名人などの情報も同じように入ってくるため、雲の上の存在だった人が身近に感じられるというメリットがある。そして、災害が起こったときでも、このSNSはものすごい力を発揮した。そう考えればもっと多くの人に推奨されるべきことなのかもしれないが、メリットだけだろうか。
 私はこのSNSは好きではない。この中ではFacebookのアカウントは持っているが、あまり使用していないのだ。時々、写真を共有したりするときには使用するのだが、その他では使用しない。このFacebookの面白さをまだ理解していないのかもしれないし、理解すればもっと使うようになるかもしれないが、現時点ではあまり使用していない。おそらく、Twitter、mixiは自ら使用することはないだろう。
 そして、好きではない決定的な理由が、常に誰かと接点を持つことによって、安心感を得ているようにしか見えないということだ。常に誰かとつながっていたい、自分の苦労を誰かに知ってもらいたい。そうやって自らの口から発することを遠ざけて、なんでも書き込める手段を使い、安易に誰かに今の自分を知ってほしいと思い、使用していると私は感じているのだ。
 対人のコミュニケーションが少なくなってしまった理由の一つがここにあると考える。もちろん、世界中の人とコミュニケーションがとれるようになったことは素晴らしいと思うが、仲のいい友達や家族まで、そのようにつながる必要があるのか。仲のいい友達なら、家族なら、面と向かって話をすればいいじゃないか。
 ネットいじめなんかもそうだろう。現代が生み出した新しい形態のいじめだ。表からは何もわからないが、裏では手が伸びている。卑怯な人間がやることだ。
 時代は便利を求めている。しかし、その便利さを利用しすぎたため、面と向かって話ができなくなる人間が増えってしまった。大切なことは自分の口から言えばいい。勝負すればいい。戦わなければならない時だってある。便利は大切だが、その便利がひ弱な人間を生んではならない。

我が大学の見直し

 私はテレビをノートパソコンで見ていたのだが、少し前から調子が悪く、テレビを見ることができないのだ。パソコンが壊れたのではなく、その他の機能は正常に作動するので、テレビだけが起動しない。なんどやってもエラーが出て、再起動せよとの表示が出るのだが、再起動してトライしても無理なのである。いつもなら3回くらい起動すれば(これでもおかしいが)見ることができていたのだが、起動不可能になる寸前では何度起動したかは覚えていないが、約1時間以上もかけて起動した挙句、やっとのことでテレビを見ることができたのだが、肝心の見たい番組が終わっていた(笑)。もうその日以来、テレビが見れなくなってしまったのである。もしかすると、また1時間もかけて起動し続ければ見ることができるかもしれないが、そんな気力はない。テレビが見れないのは致命的で、情報が入ってこない。いま日本で、世界で何が起こっているのかわからないので、恐ろしくて落ち着かない。ネットのヤフーニュースでは情報を得るようにしているが、どうでもいい情報も入っているので、そこがうっとうしい。それにしてもテレビ、どうにかならないだろうか。



先日、就職活動で必要な健康診断証明書や卒業見込み証明書、成績・単位修得証明書を申請するために、大学に行ったのだが、健康診断証明書以外は事務局で申請できるが、健康診断の方は保健室に行かなければならなかった。そして保健室に行って、申請書に個人情報を書いていた。保健室にいた先生は中年の女性でとても愛想が良く、就職活動の話になったのだが、私も面白おかしく話をするので、話が盛り上がっていた。そこで、偶然就職支援の先生もお見えになり、その方も中年の女性の方で、その保健室の先生と仲がいいらしく、こりゃまた話が盛り上がった。二人のおばさん?(笑)を相手に1時間ほど話をしていた。この二方は私のことをとても気に入っていただけたらしく、私も話をしていてとても居心地が良かった。居心地が良かったのは話をしている内容である。
 その就職支援の先生は、私が通っている大学の欠点をいくつも指摘し、どうにかならないのかという話であった。そして、先生がおっしゃっていたことは私も以前から思っていたことで、これは地方特有のものがあるという。まず、人と触れ合う機会が圧倒的に少ないということだ。私の大学は単科大学で学部が一つしかない。学生数も少なすぎる。大学、学生がおとなしすぎるのだ。刺激的なことなどひとつもない。これでは精神が現状に慣れてしまい、どんどん衰退してしまう。若い精神というのは、もっと刺激的なものに触れ、様々な人と出会い、そして自ら考え、行動していくのが若い精神だ。私がここに来て一番居心地が良くなかったことは、「刺激」がなかったことだ。今までいくつかの総合大学に足を運んだことがある。同志社大学、関西大学、関西学院大学、近畿大学、明治大学、早稲田大学、日本大学、青山学院大学、島根大学、金沢大学などなど。私が通っている小さな大学ではなく、広大なキャンパスを生かし、それぞれの大学のブランドを生かした校風が漂っている。学生の掲示板にしても、同じチラシを100枚以上同じ場所に貼っている。私の大学ではひとつの掲示板に1枚貼るくらいだ。そして自ら企画したイベントや、政治家の講演会などが開催される。大学祭にしても規模が違いすぎる。東京大学の大学祭のゲストにE.YAZAWAが来るくらいなのだから。
 そして、他国、他県から来ている学生と触れ合うためのドミトリーを設置すべきだともおっしゃっていた。私はそれはいい考えだと思った。様々な文化や考えに触れることは重要なことである。そして、この大学には国際的な交流がないということだ。全くとは言わないが、ないに等しい。英語の授業にしてもレベルが低すぎる。あれこそ中学レベルの英語だ。そもそも第二外国語が必修でない時点で終わっていると思うが。今の時代、英語が話せないのは論外である。私は例えば、就職活動で英語が必要だから英語の授業を充実させるというのは、あまり好きではない。そもそも英語というのは手段であって、英語が話せることによって、世界中の人とコミュニケーションがとれるようになり、さらに深い考えを討論し合い、自らの見解を広げていくのが好ましいと考える。今思えば、私の高校では生徒数を10人にし、ALTと英語の先生の監督の下、日本語一切禁止で英語でディベートする授業はかなりレベルが高かった。当時先生は「大学レベルですよ」と言っていたが、私の大学ではそれ以下である。扱っていた内容も高度であった。国際結婚について、人工中絶について、嘘はつくべきかつかないべきかなどである。
 何もかもが閉鎖的になっているこの大学を改革するのは時間と労力がかかるだろう。そもそも私の大学は青森の活性化につなげるために造られた大学と聞いているが、そんな時代遅れの理念などさっさと捨ててしまうべきだ。青森の活性化につなげようとしているのか、主に青森のことについて勉強ばかりしているが、そんなことをやっていては進歩につながらないだろう。そんなことしているから偏った知識しかない人間が形成されてしまうのだ。世界中の街を見てみるといい。そこに必ずヒントがある。木ばかり見るのではなく、少し離れて森も見るようにすればいい。外に出てみれば自分の住んでいる街の良さであったり、改善しなければならないところを発見するものだ。「若いうちは都会に出ていろんなもの吸収しないとね」と先生方はおっしゃっていた。
 とにもかくにも、日ごろ溜まっていた鬱憤をおばさん相手に晴らすことができたのだ。様々なことで議論できたのはとても充実した時間だった。「いつでも来てね」と言われたが、またそんな話ができるのならいつでも行きたいところだ。卒業するときに大学への提案を書く用紙があるらしく、それに書いたらとその先生方に教えてもらったのだが、書くよりも直接学長にかちこんでやろうかと思った(笑)。

2012年10月1日月曜日

東京とマンハッタンの比較

新宿
一つ前の投稿で東京のことについて書いたが、今日もそれに少し関係したことを書きたい。そろそろ卒業論文も書いていかなければならないので、それに向けた初歩的な調査を書こうと思う。だいたい卒論のテーマも決まっていないこと自体が致命的なのだが、少し前なら開発経済を中心として、先進国と開発途上国のあり方や、グローバル時代が生み出した問題点や解決策、各国の役割について書きたいと考えていたのだが、就職活動もあってそこまで研究している時間がなさそうだ。その研究しようとしていたことは私の趣味であるため、苦労はなんともない。しかし、研究したくないテーマでやると苦痛で仕方がないため、できるだけ自分の趣味の範囲で研究したいことを考えていたのだ。そしてひとつ思い浮かんだのが、都市比較論だ。
 昨年の3月にニューヨークに行ってから、その印象が強烈過ぎて、常に頭の中でニューヨークシティがくるくる回っているのだ。東京や大阪も同じ都市には変わりなく、数字を調べてみると人口の多さから見ても東京の方が多い。しかし、私が行ったのはマンハッタンだ。それではマンハッタンと東京を比較してみよう。
 山手線内の面積とほぼ同規模なのが東京都心4区の千代田区、中央区、港区、新宿区を合わせたものである。東京4区の昼間の人口密度は1ha辺り520人で、マンハッタンは552人だ。これはあまり差がないが、夜間の人口密度を見てみる。東京4区は1ha辺り92人でマンハッタンは250人である。つまり、東京の都心に移住している人はごく僅かで、東京23区の中で最も高密度の中野区が1ha辺り195人であるが、マンハッタンの最も高密度のアッパーイーストサイドでは411人である。マンハッタンは都市居住が進んでいる都市であるといえる。
 次に都市景観を見てみよう。ここでは東京の新宿にある高層ビル群を見てみる。代表する新宿ビル群・中心部のビル数は29棟であるのに対し、マンハッタンのミッドタウンというエリアにある高層ビル群のビル数は285棟である。新宿の高層ビル数はミッドタウンの約10%しかない。ロウアーマンハッタンのエリアを見ただけでも高層ビル数は103棟だ。マンハッタンの高層ビル群も東京の比較の対象にはならないということがわかる。
 世界都市ランキング(2012年)を見てみると、第1位がニューヨーク、2位がロンドン、3位がシンガポール、4位が香港、5位がパリ、そして6位が東京である。ちなみに大阪は47位であった。ランキングの調査項目は、経済力、物的資本、金融成熟、制度の有効性、社会・文化特性、人的資本、環境・自然災害、グローバルアピールだ。上記で述べてきたが、1位と6位とではかなり差がある。東京が発展していくにはどうしたらいいのかを考えていかなければならない。そんなことを卒論のテーマにしようかなと考えているところだ。どうなるかわからないが(笑)。

マンハッタン

生まれ変わる東京駅

 そういえば、本日10月1日より、修復工事をしていた東京駅が新しく生まれ変わる日である。先日東京に行った時は、外から見た感じではもう工事が終わっていた。中ではまだ少し行われていたが。1日はセレモニーか何か行われるのか詳しいことはわからないが、大きなテントが張っていたり、テレビ局のカメラがたくさん来ていたのを見たのだ。就活の日が重なったら行っていたのだが、残念ながら行けなかった。歴史的瞬間を見逃してしまった感じがする。しかし、台風の影響で式は中止になったそうだ。
 私は東京を訪れるとき、夜行バスを利用しているが、必ずといっていいほど東京駅で乗り降りしている。大阪―東京、東京―青森の夜行バスを利用してもだいたい停まる場所は、東京駅、新宿駅、東京ディズニーランドだ。大阪―東京なら横浜にも停まるし、東京―青森ならば大宮に停まる場合もある。就活で新宿の方が近いときもあるが、私は東京駅を利用する。その理由はいくつかある。まず、東京駅周辺は圧倒的にきれいだということだ。それに、朝早く、そして夜遅くまで屋内で滞在できる場所があるのだ。それは喫茶店などではない。自由に利用できる場所だ。oazoという場所なのだが、地下から東京駅に直結し、丸善の本屋もあるので快適快適なのである。もちろん新宿にもそのような場所があるのかはよく知らないのだが、快適面を考えればここが一番である。二つ目に、個人的に私は新宿はあまり好きではないということだ。時間をつぶすのには苦労する。東京駅にいて、ちょっと座って休憩したいと思えば、いくつかすぐに候補が頭の中で浮かぶのだが、新宿は思い浮かばないのだ。つまり私にとって新宿は近寄り難い場所である。
 oazoのoo広場というところで時間をつぶしているのだが、本当にお世話になっている場所である。朝早くバスが到着するので、就活が昼からの日は5時間もここにいるときもある。着替える場所(トイレ)もここにはあるので、ここがなければ私はどうなっていただろうというくらいである。夜、バスを待つ時はここでコンビニで買ってきたご飯を一人で食べている。
 話は変わるが、一行上で、“コンビニで買ってきたご飯を一人で食べている”と書いたが、なぜ喫茶店やレストランに行かないのだろうという人がいるかもしれない。私は一人でその様な場所に入ったことがない。それはお金がかかるという理由ではない。一人でその様な場所に入る勇気がないといえばいいのか、一人で行こうとすら思わないのだ。韓国では、一人でその様な場所に行くと、「おかしな人」と思われて、笑い者にされるというのを聞いた。もともと行く気がなかったが、それを聞いてなおさら行く気がしなくなったのだ。
 話を戻そう。東京駅のあの煉瓦の建物を見ると「東京に来たな」という実感がわくのだ。今は夜になるとライトアップされるのでそれもまた美しい。工事に入る前、工事が始まって煉瓦の建物に防音のためのシートがかけられていた期間、そして今は新たな姿を見せてくれた。ずっと東京駅の移り変わりを見てきているので、新しくなった時は私も、「やっと姿を見せてくれたのだな」と嬉しくなったのだ。ライトアップされているのも美しかったが、その東京駅をビジネスマンたちがカメラ、携帯電話、スマートフォンを手に抱えて写真に収めている姿を見るのもまた美しい。みんなこの瞬間を待っていたに違いない。「新たな時代が始まった」。そう大げさに感じているのは私だけではないはずだ。