お正月を過ぎてからの1月と2月は仕事の方は客数が減り、接客自体はあまり忙しくなく、売り上げも低くなるのだが、私個人はなぜかかなり忙しい。クリスマス、年末年始とは全然違う忙しさなのだが、お店自体はヒマなのにもかかわらず、始発出勤しなければならなかったり、本来なら帰れるのだが、他にやらなければならない仕事があって結局帰れなかったりと、毎日へとへとになってしまっている。睡眠不足は当たり前で、そして疲労困憊である。夜になるにつれて後頭部が痛くなってくる。頭の中というよりも表面というのか、疲れ過ぎて痛くなっているような感じである。他のスタッフに仕事をふればいいのだが、上の人はそれをせずに私の方に言ってくる。だから他のスタッフはいつも通りの仕事しかしなくなってしまうのである。とにかく毎日大変である。
最近だんだんと暖かくなってきたような気がする。といってももう2月も終わりなので、3月になればもう春というイメージなので、もうそろそろ冬が終わりになろうとしている。3月は卒業式であったり花見であったりとイベント事が増えてくる。ある意味またイヤな時期に近づいてきた。どの季節にもいいことであったりイヤなことがあるものである。時間が経つのは早いなー。
最近疲れているせいか、ブログで書くネタはたくさんあるのだが書いていてもなかなかまとまらないことが多く、途中まで書いてその後が続かないことがあり、結局白紙に戻してしまう日が多くなっている。うーん、やっぱりちゃんと寝ないとダメである。
もうすぐアカデミー賞があるのだが、私はそこまで最新の映画情報についていけてないので、今年はどの作品がどうとか、そういうのはほとんどわからない。話題になった作品をちらほら知っているくらいで、私はどちらかといえばこの賞の後に、気になったものがあれば観るという感じである。ちなみにアカデミー賞の作品賞を受賞したからといってすばらしい映画であるとか、賞とは全く無縁の作品であるからこの映画はダメな映画であるということは絶対にない。賞を受賞してもダメな映画もあるし、賞とは無関係でもサイコーにすばらしい映画なんて山ほどあるからである。賞レース作品ばかり見ているとバカになるし、逆に娯楽作品ばかり観ていてもバカになる。やっぱりいろんな作品があるので、いろいろ観た方がいいに決まっている。メッセージ性のある作品にはその良さが、娯楽作品にはその良さがあり、いろんなものを観ていると本当にいいものが分かってくる。これは何度も言っていることだが、最近テレビで映画はほとんど放送されなくなった。洋画最盛期の時代の端くれに生まれた私にしてみたらものすごく寂しい気持ちである。観たければ購入したり、レンタルしたり、動画配信を観たり、そして映画館に足を運ぶという自ら何か行動しなければ映画は観れなくなってしまっている。現在は金曜ロードショー?が最後のテレビ枠であるが、娯楽映画やジブリばっかりであったりするのでその価値はもうない。そのくせ『ボヘミアン・ラプソディー』がものすごく話題になり、応援上映といった一緒に映画に参加するというので、QUEENを知らない若い人にも人気が出ている。でもこれは映画そのものに心を打たれたというのではないような気がする。宣伝方法が成功し、その話題性であり、それに乗っかろうとした人がたくさんいただけだと思っている。それこそ、「観てきました!!行ってきました!!一緒に歌ってきました!!」というようなSNSに乗せるがための話題であったように思う。当然私はそういった話には乗っかりたくないので、『ボヘミアン・ラプソディー』はまだ観ていない。ソフト化されるのを待とうと思う。でも良い作品であろうとは思っているのだが、なんだか世の中のこの風潮とは全然違う思いなのである。サントラはちょっと聴いたが、買おうか悩んでいる(笑)。最近こういったミュージック映画やミュージカル映画が話題になることが多くなっているような気がする。最近だと『ラ・ラ・ランド』や『グレイテスト・ショーマン』である。これらも大ヒットしてかなり話題になっていたのだが、なぜか私は話題に乗りきれなかったのである。私は以前紹介した『ピッチ・パーフェクト』がお気に入りである。それ以外に『ドリーム・ガールズ』や『チアーズ!』も大好きである。エミネムの『8マイル』も大好きである。歌手が出演する作品はそうしてもアイドル作品になりがちになってしまうのだが、この『8マイル』はそうではない。ものすごくリアルに表現してくれているので、だからこそあのラップが我々の心に突き刺さるのである。“俺はこの8マイルの向こう側へ行くんだ”とラップバトルに挑みに行くのである。これもすばらしい作品である。話がアカデミー賞からかなりズレてしまったが、今年のアカデミー賞も注目していたい。
日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2019年2月24日日曜日
2019年2月17日日曜日
お酒はやっぱりカッコよく
まだまだ寒い日が続いているのだが、明日から天気が悪くなるみたいで、でも気温はかなり高くなるみたいである。でもまた寒くなるんだろうなーと思っているので、まだ期待はできない感じである。早く暖かくなってほしいものである。それはそれでイヤだなーと思うところもあるのだが(笑)。最近の仕事も相変わらず忙しい日が続いており、というのも今年から仕事の量がぐんと多くなってしまったので、それをやるのに限られた指定された時間内に終わらせることが不可能なくらいになっていて、本当は早く帰れる日なのに、結局最後まで残って仕事というのが毎日である。出勤のときに乗り換えの電車で反対方向に乗って携帯やスマホを捨ててどっか行ってやろうかと思うくらいである。とりあえず相変わらずの毎日ということである。
最近といっても常に思っているのが海外へ行きたいなーということなのだが、いろいろ行きたいところが山ほどあって困るのだが、それでもやっぱりニューヨークには行きたいというのがある。住みたいレベルである。先日本屋さんへいったときに『TRANSIT』という雑誌というのかかなりボリュームのある外国を紹介している本があるのだが、その雑誌がニューヨークを紹介していて、サブタイトルみたいなところに“ニューヨークには夢がある!”と書いていて、それを見たときに“FUCK YEAH!!!”と叫んで即買いしたのである。読んでいて改めてニューヨークはサイコーだなーと思ったのである。前回行ったときに、行く予定であったセントレジスホテルの“KING COLE BAR”を入り口付近で緊張のあまり挫折してしまったので、今度は最優先事項として挑みに行く予定である。そのついでにニューヨークにある私がカッコいい、オシャレ、エレガント、クール、ビューティフル、と思ったバーも挑戦しようと思っている。ラグジュアリーホテルに宿泊するのは無理だが、バーを利用するなら比べれば安く済む。いろいろ行きたいバーがたくさんあって困るくらいなのだが、そこの写真などを見るだけ一日でも早く行きたいと思ってしまう。そこでちょっと思い出したのが、『キングスマン/ゴールデン・サークル』で、記憶を失ってしまったハリーをどうしたらいいだろうかと主人公のエグジーがバーで悩んでいるシーンである。アメリカのスパイ組織“ステイツマン”がある場所は南部のケンタッキー州である。ここはバーボンが有名で、エグジーが悩んでいたバーでは、エグジーがマティーニを注文すると普通にバーボンが出てきて、エグジーが「マティーニを注文したんだけど」と言うと、店員の女性が「ここではそれがマティーニよ」と言う。エグジーはちびちびそのバーボンを飲みながらとあるアイデアを思いつき、その店員に「今まで飲んだマティーニで一番おいしかった」と言うのだが、もうちょっとここだけで涙が出てきてしまう。お酒でいろいろ問題を起こすヤツとか、大声でバカ騒ぎするヤツとか、お酒がなければ大事なことが言えないヤツとか、そういうのはもう本当にぶっ殺したくなるのだが、このエグジーのシーンとか見るとお酒っていいもんだなーと思う。居酒屋みたいなところもいいが、たまにはちょっと雰囲気のいいバーでちびちび飲むっていうのもいい。ニューヨークへ行ったら何を飲もうか。“KING COLE BAR”ならブラッディー・メアリーは外せない。なぜならこのバーでこのカクテルが生まれたから。次の注文はどうしようか・・・・・。マンハッタンでいこう。
最近といっても常に思っているのが海外へ行きたいなーということなのだが、いろいろ行きたいところが山ほどあって困るのだが、それでもやっぱりニューヨークには行きたいというのがある。住みたいレベルである。先日本屋さんへいったときに『TRANSIT』という雑誌というのかかなりボリュームのある外国を紹介している本があるのだが、その雑誌がニューヨークを紹介していて、サブタイトルみたいなところに“ニューヨークには夢がある!”と書いていて、それを見たときに“FUCK YEAH!!!”と叫んで即買いしたのである。読んでいて改めてニューヨークはサイコーだなーと思ったのである。前回行ったときに、行く予定であったセントレジスホテルの“KING COLE BAR”を入り口付近で緊張のあまり挫折してしまったので、今度は最優先事項として挑みに行く予定である。そのついでにニューヨークにある私がカッコいい、オシャレ、エレガント、クール、ビューティフル、と思ったバーも挑戦しようと思っている。ラグジュアリーホテルに宿泊するのは無理だが、バーを利用するなら比べれば安く済む。いろいろ行きたいバーがたくさんあって困るくらいなのだが、そこの写真などを見るだけ一日でも早く行きたいと思ってしまう。そこでちょっと思い出したのが、『キングスマン/ゴールデン・サークル』で、記憶を失ってしまったハリーをどうしたらいいだろうかと主人公のエグジーがバーで悩んでいるシーンである。アメリカのスパイ組織“ステイツマン”がある場所は南部のケンタッキー州である。ここはバーボンが有名で、エグジーが悩んでいたバーでは、エグジーがマティーニを注文すると普通にバーボンが出てきて、エグジーが「マティーニを注文したんだけど」と言うと、店員の女性が「ここではそれがマティーニよ」と言う。エグジーはちびちびそのバーボンを飲みながらとあるアイデアを思いつき、その店員に「今まで飲んだマティーニで一番おいしかった」と言うのだが、もうちょっとここだけで涙が出てきてしまう。お酒でいろいろ問題を起こすヤツとか、大声でバカ騒ぎするヤツとか、お酒がなければ大事なことが言えないヤツとか、そういうのはもう本当にぶっ殺したくなるのだが、このエグジーのシーンとか見るとお酒っていいもんだなーと思う。居酒屋みたいなところもいいが、たまにはちょっと雰囲気のいいバーでちびちび飲むっていうのもいい。ニューヨークへ行ったら何を飲もうか。“KING COLE BAR”ならブラッディー・メアリーは外せない。なぜならこのバーでこのカクテルが生まれたから。次の注文はどうしようか・・・・・。マンハッタンでいこう。
2019年2月5日火曜日
食あたりはキツい
気が付けば2月になっており、最近暖かいのか寒いのかわからない気候が続いている。そして周りには体調を崩している人がけっこういる。インフルエンザも猛威を振るっているみたいで、全国的に注意が必要みたいだ。と、他人事みたいに言っているが、先日私も体調を崩してしまったのである。風やインフルではないが、食あたりである。さらっと言ったが、この食あたりはなかなかきつかったのである。普段私の食生活はほとんど同じものを毎日食べているのだが、普段食べていないものを食べてしまったのが原因だと思っている。今まで生きてきて、覚えのある食あたりみたいな症状は3回ある。最初のはもうずーっとお腹が痛く、夜も眠れないくらいで、というかトイレに何度も何度も行かなければならなかったので眠れなかったのだが、とにかくお腹が痛かったのである。痛すぎたので病院に行って点滴を打ってもらったのである。これが最初で、2回目はそれほどきつくはなく、トイレに何度か行って1日で治った。そして今回である。今回は少しずつお腹が痛くなり、トイレに何度も行くようになる。あーまた食あたりかなー、とそんな感じでいたのだが、ちょうどそのときは休日で外出をしていて百貨店にいたのである。百貨店のトイレに何度も行っていたのだが、歩いていて急に気分が悪くなってきて、またトイレに行ったら嘔吐したのである。もう何年ぶりにまともに嘔吐したのである。これはマズいと思った。家まで地下鉄に乗らなければならず、気分とお腹のことを考え、今なら行けるという状況で急いで地下鉄に乗ったのである。そして最寄り駅に到着し、エスカレーターを上がっているとまた急に気分が悪くなり、改札を出てたら嘔吐しそうになったがまわりにはトイレがなかったので吐くにも吐けず、ゲロと一進一退の攻防を繰り広げたのである。冷や汗をかきながらの戦いであったが、なんとか収まったようで歩けるようになり、急いで家に向かって歩いたのである。何とか無事に家に到着して、その日はまだトイレに何度も行かなければならなかったが、整腸剤を飲んでなんとか収まってきて、次の日には完全回復していたので一安心したのである。あーよかったよかった(笑)。今なら普通に話ができるが、まさか嘔吐するまでになるとは思っていなかったので自分でもビックリである。この食あたりは急に来るので油断できない。風やインフルもそうだが、そういった関係のないものも注意が必要だと今回改めて感じた次第である。
2019年1月21日月曜日
久しぶりのドラッグネタ
昨日は仕事が終わって、着替えをしてさぁ帰ろうかと思ったらやり残したというのか確認しなければならないことを思い出し、再び売り場へ戻ってパソコンやら資料やらを確認していたら結局いつもより帰る時間が遅くなってしまったのである。せっかく少し早く帰れると思ったのに結局こうなってしまうのかと思ってしまったのである。本当は帰りに本屋さんへ寄りたいのになかなか行けずじまいである。1月も後半になり落ち着くと思っていたが、別の意味でいろいろ大変である。結局1年間何かは必ずあるということである。
年末に忙しくてなかなか買い物ができなかったので、その反動かは知らないがDVDやらBlu-rayやらをちょくちょく取り寄せてしまっている。この時点で私にとって新しい映画は10作品は観ている。こういうのは波があるので、取り寄せしたり取り寄せしなかったりというので、今はけっこう取り寄せしたのでしばらくしたら落ち着くだろう。その中で『トレインスポッティング』という作品があるのだが、これもすばらし映画で、これもR15指定の映画でバイオレンス、セックス、ドラッグなどなどいろいろ満載なのだが、この中でより強く描かれていたのがドラッグである。しかもヘロインに限定しているところがおもしろかった。主人公はヘロイン中毒者で何度も何度もやめようと思っているのだが結局手を出してしまうのである。そもそもヘロインというのはどういうドラッグかというとヘロインは“薬物の王様”と言われているほどドラッグの中では突出しているのである。そもそもドラッグは“快楽の補助”という形で使用されることが多い。だいたい映画ではセックス絡みで使用されているシーンが多い。セックスしたり遊んだりくつろいだりするためのドラッグで快楽を増強させているのだが、ヘロインはそうではない。ヘロインは単独でとんでもない快楽を得ることができるのである。よく映画では寝転がっているシーンが多いが、その通りで寝転がっているだけで多幸感を得られるのである。おそらく動けないほどの快楽だと思われる。シャワーを浴びれば水滴の一滴一滴がサイコーに気持ちがいいと表現される。ウィキペディアでは、その快感は『オーガズムの数万倍の快感を伴う射精を全身の隅々の細胞で行っているような』、『人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態』などと表現される。また、常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての「快感」の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいと云われるその快楽度の強さ、そしてそこから生ずる至福感は、しばしば「約束された安堵」などと表現されてきた。要するに想像を絶する快楽を一瞬で得られるということである。そりゃ依存症にもなるわなと思った。当然そのあとの“地獄”も強烈なので、またほしくなってしまうということである。ヘロインはスプーンであぶってそれを注射器に入れて静脈にぶち込むという使用法が多いが、あぶる前は“白い粉”である。映画は変わるがタランティーノ監督の『パルプ・フィクション』で、ヴィンセントはヘロインを使用していて、ミアはコカインを使用している。この2人がレストランでツイストダンスをしているときに、ヴィンセントはノロノロ踊っているのに対し、ミアはテキパキ踊っているのが観てわかるが、それはこのドラッグの違いである。そしてミアの自宅に戻って、ヴィンセントのコートのポケットに入っていた“白い粉”をヘロインなのにコカインと間違えて吸ってしまい、
オーバードーズして倒れてしまったのである。ヘロインはダウナー系で、コカインはアッパー系である。だいたいのドラッグはこの2種類にわかれるが、その他にもサイデリック系もある。だいたい映画に登場するのは、ヘロイン、コカイン、マリファナである。その中でも画になるのは鼻から吸うコカインだろう。スコセッシ監督の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』というすばらしい映画があるが、ここはコカインがメインであるが、途中に主人公らが“ルード”という伝説的ドラッグを手に入れ、やはりぶっ飛んでしまい、ぶっ飛びながら主人公と仕事仲間の一人がおそらく映画史上最低のケンカをするのである。でも途中にその仲間が喉を詰まらせてしまい、呼吸困難で死にそうになったときに主人公は助けようと思うがぶっ飛んでいるので体が思うように動かなかったため、そこでコカインを吸って復活するのである。これは本当にすばらしいシーンである(笑)。それで仲間を救うことができたのである。最近マリファナがアメリカの多くの州で解禁になり、カナダはとっくに全解禁している。アメリカで普通に売られている雑誌の中の広告にマリファナの宣伝も載っているくらいである。マリファナも怖いと思われているが、致死率や依存性などはアルコールやニコチンなどの方が圧倒的に高いので、そういう面から言えばマリファナは安全である。まぁ何をするにも“やり過ぎ”はよくないということである。世界的に見て、マリファナは合法国が多くなっているので、日本でもうじきオリンピックが開催されるというので多くの外国人が日本に来るが、日本でマリファナは禁止されているというのを知らずにマリファナを持ってきて日本の空港で捕まってしまうという外国人が大量にいるのではないかと思う。留置場がパンクするのではないかと心配でしょうがない。日本での合法化は私が生きている間はないだろうと思っている。なにかとドラッグは悪く言われているが、医療用の大麻などでたくさんの人が救われているというのも事実である。当然ながら快楽欲しさに乱用するのはダメであるが。多くの映画で登場するドラッグであるが、これはキッてもキレない文化、習慣の一つである。『トレインスポッティング』を観て、久しぶりの?ドラッグネタであった(笑)。
年末に忙しくてなかなか買い物ができなかったので、その反動かは知らないがDVDやらBlu-rayやらをちょくちょく取り寄せてしまっている。この時点で私にとって新しい映画は10作品は観ている。こういうのは波があるので、取り寄せしたり取り寄せしなかったりというので、今はけっこう取り寄せしたのでしばらくしたら落ち着くだろう。その中で『トレインスポッティング』という作品があるのだが、これもすばらし映画で、これもR15指定の映画でバイオレンス、セックス、ドラッグなどなどいろいろ満載なのだが、この中でより強く描かれていたのがドラッグである。しかもヘロインに限定しているところがおもしろかった。主人公はヘロイン中毒者で何度も何度もやめようと思っているのだが結局手を出してしまうのである。そもそもヘロインというのはどういうドラッグかというとヘロインは“薬物の王様”と言われているほどドラッグの中では突出しているのである。そもそもドラッグは“快楽の補助”という形で使用されることが多い。だいたい映画ではセックス絡みで使用されているシーンが多い。セックスしたり遊んだりくつろいだりするためのドラッグで快楽を増強させているのだが、ヘロインはそうではない。ヘロインは単独でとんでもない快楽を得ることができるのである。よく映画では寝転がっているシーンが多いが、その通りで寝転がっているだけで多幸感を得られるのである。おそらく動けないほどの快楽だと思われる。シャワーを浴びれば水滴の一滴一滴がサイコーに気持ちがいいと表現される。ウィキペディアでは、その快感は『オーガズムの数万倍の快感を伴う射精を全身の隅々の細胞で行っているような』、『人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態』などと表現される。また、常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての「快感」の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいと云われるその快楽度の強さ、そしてそこから生ずる至福感は、しばしば「約束された安堵」などと表現されてきた。要するに想像を絶する快楽を一瞬で得られるということである。そりゃ依存症にもなるわなと思った。当然そのあとの“地獄”も強烈なので、またほしくなってしまうということである。ヘロインはスプーンであぶってそれを注射器に入れて静脈にぶち込むという使用法が多いが、あぶる前は“白い粉”である。映画は変わるがタランティーノ監督の『パルプ・フィクション』で、ヴィンセントはヘロインを使用していて、ミアはコカインを使用している。この2人がレストランでツイストダンスをしているときに、ヴィンセントはノロノロ踊っているのに対し、ミアはテキパキ踊っているのが観てわかるが、それはこのドラッグの違いである。そしてミアの自宅に戻って、ヴィンセントのコートのポケットに入っていた“白い粉”をヘロインなのにコカインと間違えて吸ってしまい、
オーバードーズして倒れてしまったのである。ヘロインはダウナー系で、コカインはアッパー系である。だいたいのドラッグはこの2種類にわかれるが、その他にもサイデリック系もある。だいたい映画に登場するのは、ヘロイン、コカイン、マリファナである。その中でも画になるのは鼻から吸うコカインだろう。スコセッシ監督の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』というすばらしい映画があるが、ここはコカインがメインであるが、途中に主人公らが“ルード”という伝説的ドラッグを手に入れ、やはりぶっ飛んでしまい、ぶっ飛びながら主人公と仕事仲間の一人がおそらく映画史上最低のケンカをするのである。でも途中にその仲間が喉を詰まらせてしまい、呼吸困難で死にそうになったときに主人公は助けようと思うがぶっ飛んでいるので体が思うように動かなかったため、そこでコカインを吸って復活するのである。これは本当にすばらしいシーンである(笑)。それで仲間を救うことができたのである。最近マリファナがアメリカの多くの州で解禁になり、カナダはとっくに全解禁している。アメリカで普通に売られている雑誌の中の広告にマリファナの宣伝も載っているくらいである。マリファナも怖いと思われているが、致死率や依存性などはアルコールやニコチンなどの方が圧倒的に高いので、そういう面から言えばマリファナは安全である。まぁ何をするにも“やり過ぎ”はよくないということである。世界的に見て、マリファナは合法国が多くなっているので、日本でもうじきオリンピックが開催されるというので多くの外国人が日本に来るが、日本でマリファナは禁止されているというのを知らずにマリファナを持ってきて日本の空港で捕まってしまうという外国人が大量にいるのではないかと思う。留置場がパンクするのではないかと心配でしょうがない。日本での合法化は私が生きている間はないだろうと思っている。なにかとドラッグは悪く言われているが、医療用の大麻などでたくさんの人が救われているというのも事実である。当然ながら快楽欲しさに乱用するのはダメであるが。多くの映画で登場するドラッグであるが、これはキッてもキレない文化、習慣の一つである。『トレインスポッティング』を観て、久しぶりの?ドラッグネタであった(笑)。
2019年1月15日火曜日
前回の付け足し
昨日久しぶりに職場で限られた人が集まってご飯を食べたのだが、ついつい時間を見るのを忘れていて、気が付けば23時45分になっていて、これはいかんと思ってそこで解散したのだが、そこから走って最寄り駅に向かったのである。結果的には余裕で電車に乗って家に帰れたのだが、久しぶりに終電があるかどうかとかそういうので少し焦ってしまったのである。遅い時間に乗ったが、でもその時間に乗っている人も何人かいて、ある意味すごいなーと思ったのである。どこどこ行きの最終電車が間もなく到着します、みたいなアナウンスをしていたりして、その中を私は走ったり早歩きしたりしていたのだが、すれ違う人でもうフラフラになって千鳥足みたいになっていて、その人の顔を見たら真っ青で、完全に酔っぱらっていてとそういう人にすれ違ったが、「こいつは駅のホームまでたどり着かれへんやろ」と心の中で呟きながらすれ違ったのである。そういえば成人の日だったが、それらしき人は一人も見なかった。時間が時間だったのかもしれないが、騒いでいる人がけっこういるのかなーとも思っていたがそうでもなかった。
前回の投稿で、『ドラゴン・タトゥーの女』の話を少ししたが、私の友人の一人がこの作品を『007』シリーズと思っていたという話をかなり前にしたことがあり、そのとき私は「全くの別物やで」という返答で終わっていたのだが、よくよく考えてみて、そしてこのブログでも少し書いたことがあるが、間違えるというか勘違いしてしまう要因として、まず今の007役の俳優が同じところと、オープニングタイトルが非常に007っぽい?ところである。『007』シリーズはすべて冒頭にワンアクションがあり、そしてタイトルに入るのがお決まりである。そのオープニングタイトルで裸のお姉さんらが踊っていたりするのが定番で、そのオープニングタイトルだけを見に行くという007ファンも大勢いるくらいである。そして『ドラゴン・タトゥーの女』だが、この作品も同じように冒頭にアクションではないが、謎かけ?みたいなものがあってそこからオープニングタイトルになる。この作品ではレッド・ツェッペリンの『移民の歌』をカバーした曲が流れる。話が逸れるがレッド・ツェッペリンは自分たちの曲を他では使用させないというか非常にケチで有名であった。違う作品だがこれも私が大好きな映画で『スクール・オブ・ロック』というジャック・ブラック主演の映画があるのだが、この映画でどうしてもこの『移民の歌』を使いたい思ったが、許可を得ようと思ってもまず無理なので、とりあえず映画を完成させてしまおうということで『移民の歌』をあるシーンに入れて、映画を完成させて、そしてこの映画で登場した子供たちがビデオメッセージをつくって「使わせてくださーい!!」とレッド・ツェッペリンにお願いをしたところ、「しょーがねぇーなー!!」ということで初めて使用が許可されたのである。「しょーがねぇーなー」と言ったのかは知らないが(笑)。そして今回の『ドラゴン・タトゥーの女』ではカバーではあるが使用を許可されている。おそらく使ってもらえるとお金になるのを知ったからではと思う(笑)。このオープニングタイトルが非常に007っぽくできているので、確かにそういわれたらそうかもしれないと思うくらいである。このオープニングタイトルはものすごくカッコいいので、このシーンだけでも観る価値があるので必見である。確かYouTubeでも上がっていたような気がする。
あとタランティーノ監督の『パルプ・フィクション』だが、今映画のイベントの一つとして『午前10時の映画祭』というのが開催されていて、1週間から2週間の間に過去の作品を再上映しているのだが、その映画祭をしている映画館は一応全国展開だが、全ての映画館がやっているわけではないのでチェックが必要だが、来月にこの『パルプ・フィクション』が上映されるのである。あの伝説的映画が映画館で観られるのか!!とちょっと興奮しているのだが、上映期間が短いので観に行けるかは今のところわからないのだが、せっかくの機会なので、観に行ってきたい。この映画のオープニングタイトルがサイコーで、パンプキンとハニー・バニーのレストランでの会話からミザルーの曲が流れるというカッコ良すぎる始まり方である。『パルプ・フィクション』はどういう映画か、と言われると説明しずらい映画なのだが、しいて言えば“くだらない”映画である。当然いい意味である。“チョーサイコーにくだらない映画”なのである。音楽センスも抜群で、タランティーノ監督の最高傑作である。映像の魔術師と言われるデヴィッド・フィンチャー、とにかくアナログにこだわるタランティーノで、二人とも自分の作品にこだわりを持ち、このオープニングタイトルに並々ならぬ力を注いでいるのがわかる作品である。2作品ともYouTubeに上がっているはずなので要チェック!!!
前回の投稿で、『ドラゴン・タトゥーの女』の話を少ししたが、私の友人の一人がこの作品を『007』シリーズと思っていたという話をかなり前にしたことがあり、そのとき私は「全くの別物やで」という返答で終わっていたのだが、よくよく考えてみて、そしてこのブログでも少し書いたことがあるが、間違えるというか勘違いしてしまう要因として、まず今の007役の俳優が同じところと、オープニングタイトルが非常に007っぽい?ところである。『007』シリーズはすべて冒頭にワンアクションがあり、そしてタイトルに入るのがお決まりである。そのオープニングタイトルで裸のお姉さんらが踊っていたりするのが定番で、そのオープニングタイトルだけを見に行くという007ファンも大勢いるくらいである。そして『ドラゴン・タトゥーの女』だが、この作品も同じように冒頭にアクションではないが、謎かけ?みたいなものがあってそこからオープニングタイトルになる。この作品ではレッド・ツェッペリンの『移民の歌』をカバーした曲が流れる。話が逸れるがレッド・ツェッペリンは自分たちの曲を他では使用させないというか非常にケチで有名であった。違う作品だがこれも私が大好きな映画で『スクール・オブ・ロック』というジャック・ブラック主演の映画があるのだが、この映画でどうしてもこの『移民の歌』を使いたい思ったが、許可を得ようと思ってもまず無理なので、とりあえず映画を完成させてしまおうということで『移民の歌』をあるシーンに入れて、映画を完成させて、そしてこの映画で登場した子供たちがビデオメッセージをつくって「使わせてくださーい!!」とレッド・ツェッペリンにお願いをしたところ、「しょーがねぇーなー!!」ということで初めて使用が許可されたのである。「しょーがねぇーなー」と言ったのかは知らないが(笑)。そして今回の『ドラゴン・タトゥーの女』ではカバーではあるが使用を許可されている。おそらく使ってもらえるとお金になるのを知ったからではと思う(笑)。このオープニングタイトルが非常に007っぽくできているので、確かにそういわれたらそうかもしれないと思うくらいである。このオープニングタイトルはものすごくカッコいいので、このシーンだけでも観る価値があるので必見である。確かYouTubeでも上がっていたような気がする。
あとタランティーノ監督の『パルプ・フィクション』だが、今映画のイベントの一つとして『午前10時の映画祭』というのが開催されていて、1週間から2週間の間に過去の作品を再上映しているのだが、その映画祭をしている映画館は一応全国展開だが、全ての映画館がやっているわけではないのでチェックが必要だが、来月にこの『パルプ・フィクション』が上映されるのである。あの伝説的映画が映画館で観られるのか!!とちょっと興奮しているのだが、上映期間が短いので観に行けるかは今のところわからないのだが、せっかくの機会なので、観に行ってきたい。この映画のオープニングタイトルがサイコーで、パンプキンとハニー・バニーのレストランでの会話からミザルーの曲が流れるというカッコ良すぎる始まり方である。『パルプ・フィクション』はどういう映画か、と言われると説明しずらい映画なのだが、しいて言えば“くだらない”映画である。当然いい意味である。“チョーサイコーにくだらない映画”なのである。音楽センスも抜群で、タランティーノ監督の最高傑作である。映像の魔術師と言われるデヴィッド・フィンチャー、とにかくアナログにこだわるタランティーノで、二人とも自分の作品にこだわりを持ち、このオープニングタイトルに並々ならぬ力を注いでいるのがわかる作品である。2作品ともYouTubeに上がっているはずなので要チェック!!!
2019年1月13日日曜日
1日に2本映画館で
11日に公開された『クリード/炎の宿敵』と『蜘蛛の巣を払う女』を今年初めて映画館に足を運んで観てきたのである。公開された次の日でそして土曜日ということもあり、多くの人がいたのである。生まれて初めて映画館で2本観た。2本連続して観るのは予定していたので、1本目が終わってすぐに2本目が観たかったので、空き時間ができるだけ少ない上映スケジュールになっている映画館をいろいろ探し、一番少なかったのが比較的最近できた日比谷にあるミッドタウンであった。そこの映画館も初めて訪れた映画館であった。公開して二日目で、そして土曜日ということもあり、混雑は予想していたので、前日にあらかじめネットで座席予約をしていたので、場所もいい席を確保しておいたので、時間調度に着くようにしていた。
最初に観たのは『蜘蛛の巣を払う女』である。この作品は原作があり、スウェーデンの作品で『ミレニアム』シリーズで知られていて、世界中で大ヒットした作品である。第一部が『ドラゴン・タトゥーの女』、第二部が『火と戯れる女』、第三部が『眠れる女と狂卓の騎士』、第四部が『蜘蛛の巣を払う女』になっている。まずスウェーデンで第一部から第三部まで映画化され、こちらも大ヒット。そしてハリウッドでデヴィッド・フィンチャー監督のリメイクで『ドラゴン・タトゥーの女』が制作され、こちらもヒットし、そして今回制作されたのが『蜘蛛の巣を払う女』である。今回デヴィッド・フィンチャーは監督ではなく、製作総指揮に回っている。キャストも一新し、前回の『ドラゴン・タトゥーの女』とは全く新しくなっている。前回の作品がものすごく好評で、私も大好きな作品であったため、今回デヴィッド・フィンチャーが製作総指揮になっていることからかなり心配していたのである。ハリウッド版の『ドラゴン・タトゥーの女』はオープニングタイトルが本当にチョーサイコーにカッコよく、そこからストーリーが展開し、謎が明るみになっていくのだが、そしてラストも本当に切なく、でも良い終わり方をしていて、さすがはデヴィッド・フィンチャーだなーと誉め言葉しかない作品である。ちなみに私はこの作品と、タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』が史上サイコーにカッコいいオープニングタイトルだと思っている。このシリーズはミカエルというジャーナリストで雑誌『ミレニアム』の発行責任者兼共同経営者と、リスベットという過去の虐待をトラウマに持ち、背中にドラゴンのタトゥーを入れている天才ハッカーがメインキャラクターである。今回の作品はリスベットをメインの焦点に当てて、彼女の様々な過去が明るみに出る作品であった。ネットでの感想をいろいろ調べていると、感想はいまひとつのものが多かった。私は原作やスウェーデン版を知らないがため、このシリーズファンの期待に応えられていなかったのかなーと思うのだが、それとは反対に私は大満足の作品であった(笑)。展開がすご過ぎて次から次へと呼吸する間もなく、あっという間の2時間であった。今回はミステリーというよりもスパイものに近い感じになっており、これが少しファンにしてみればよくなかったのかもしれないが、私はスパイものやアクションは大好物なので、ダークでシリアスな『007』、ダークな『ミッション・インポッシブル』みたいで、私はこれで“あり”なんじゃないかなーと思う。前回はルーニー・マーラという女優がリスベット役をしたが、それもものすごくよかったが、今回のリスベット役はクレア・フォイという女優だったが、クレア・フォイのリスベットも私はかなり気に入ったので、続編などもこのまま作ってほしいと思った。ソフト化されれば即行買いに行くと思う。注文かな。
『蜘蛛の巣を払う女』の上映が終わって5分後に『クリード/炎の宿敵』の上映開始になるのでトイレだけ行ってすぐ別のシアターに向かった。本編開始前に予告や宣伝があるので5分後でも十分に時間に余裕があった。『クリード/炎の宿敵』は以前にも何度も書いたことがあるが、『ロッキー』シリーズである。『ロッキー』シリーズは毎回毎回同じようなパターンではあるが、でもこれがいいんだよなー。観ていると必ず涙があふれてくる作品である。当然ながら今回も涙が出た。ちなみに『蜘蛛の巣を払う女』でも泣きました(笑)。『ロッキー』シリーズに関しては何度も紹介しているので今回は省略する。でも今回観ていて思ったのが、このシリーズでは“ポーリー”というキャラクターがいるのだが、前回の『クリード/チャンプを継ぐ男』でお墓に入っていたので、前回から登場していない。前回は全く気にならなかったのだが、今回この“ポーリー”的な存在がないことに物足りなさを感じたのである。このシリーズには欠かせないと言ったら大袈裟かもしれないが、でもかなり重要なキャラクターではないかと思う。なので“ポーリー”を復活させるのは不可能だが、それに代わる存在が必要なのでは、と思った。
映画を観終わった後、銀座や東京駅に用事があったので、日比谷からすべて歩いていける距離なので、日比谷にして正解であった。昨日は東京で初雪を観測したみたいで、昨日もかなり寒かった。東京ではインフルエンザが流行っているみたいだが、この冬はこのまま体調を崩さずに乗り切れたらと思う。映画はやっぱり映画館で観るのが一番である。
最初に観たのは『蜘蛛の巣を払う女』である。この作品は原作があり、スウェーデンの作品で『ミレニアム』シリーズで知られていて、世界中で大ヒットした作品である。第一部が『ドラゴン・タトゥーの女』、第二部が『火と戯れる女』、第三部が『眠れる女と狂卓の騎士』、第四部が『蜘蛛の巣を払う女』になっている。まずスウェーデンで第一部から第三部まで映画化され、こちらも大ヒット。そしてハリウッドでデヴィッド・フィンチャー監督のリメイクで『ドラゴン・タトゥーの女』が制作され、こちらもヒットし、そして今回制作されたのが『蜘蛛の巣を払う女』である。今回デヴィッド・フィンチャーは監督ではなく、製作総指揮に回っている。キャストも一新し、前回の『ドラゴン・タトゥーの女』とは全く新しくなっている。前回の作品がものすごく好評で、私も大好きな作品であったため、今回デヴィッド・フィンチャーが製作総指揮になっていることからかなり心配していたのである。ハリウッド版の『ドラゴン・タトゥーの女』はオープニングタイトルが本当にチョーサイコーにカッコよく、そこからストーリーが展開し、謎が明るみになっていくのだが、そしてラストも本当に切なく、でも良い終わり方をしていて、さすがはデヴィッド・フィンチャーだなーと誉め言葉しかない作品である。ちなみに私はこの作品と、タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』が史上サイコーにカッコいいオープニングタイトルだと思っている。このシリーズはミカエルというジャーナリストで雑誌『ミレニアム』の発行責任者兼共同経営者と、リスベットという過去の虐待をトラウマに持ち、背中にドラゴンのタトゥーを入れている天才ハッカーがメインキャラクターである。今回の作品はリスベットをメインの焦点に当てて、彼女の様々な過去が明るみに出る作品であった。ネットでの感想をいろいろ調べていると、感想はいまひとつのものが多かった。私は原作やスウェーデン版を知らないがため、このシリーズファンの期待に応えられていなかったのかなーと思うのだが、それとは反対に私は大満足の作品であった(笑)。展開がすご過ぎて次から次へと呼吸する間もなく、あっという間の2時間であった。今回はミステリーというよりもスパイものに近い感じになっており、これが少しファンにしてみればよくなかったのかもしれないが、私はスパイものやアクションは大好物なので、ダークでシリアスな『007』、ダークな『ミッション・インポッシブル』みたいで、私はこれで“あり”なんじゃないかなーと思う。前回はルーニー・マーラという女優がリスベット役をしたが、それもものすごくよかったが、今回のリスベット役はクレア・フォイという女優だったが、クレア・フォイのリスベットも私はかなり気に入ったので、続編などもこのまま作ってほしいと思った。ソフト化されれば即行買いに行くと思う。注文かな。
『蜘蛛の巣を払う女』の上映が終わって5分後に『クリード/炎の宿敵』の上映開始になるのでトイレだけ行ってすぐ別のシアターに向かった。本編開始前に予告や宣伝があるので5分後でも十分に時間に余裕があった。『クリード/炎の宿敵』は以前にも何度も書いたことがあるが、『ロッキー』シリーズである。『ロッキー』シリーズは毎回毎回同じようなパターンではあるが、でもこれがいいんだよなー。観ていると必ず涙があふれてくる作品である。当然ながら今回も涙が出た。ちなみに『蜘蛛の巣を払う女』でも泣きました(笑)。『ロッキー』シリーズに関しては何度も紹介しているので今回は省略する。でも今回観ていて思ったのが、このシリーズでは“ポーリー”というキャラクターがいるのだが、前回の『クリード/チャンプを継ぐ男』でお墓に入っていたので、前回から登場していない。前回は全く気にならなかったのだが、今回この“ポーリー”的な存在がないことに物足りなさを感じたのである。このシリーズには欠かせないと言ったら大袈裟かもしれないが、でもかなり重要なキャラクターではないかと思う。なので“ポーリー”を復活させるのは不可能だが、それに代わる存在が必要なのでは、と思った。
映画を観終わった後、銀座や東京駅に用事があったので、日比谷からすべて歩いていける距離なので、日比谷にして正解であった。昨日は東京で初雪を観測したみたいで、昨日もかなり寒かった。東京ではインフルエンザが流行っているみたいだが、この冬はこのまま体調を崩さずに乗り切れたらと思う。映画はやっぱり映画館で観るのが一番である。
2019年1月10日木曜日
そこにいる人にしかわからない“心”
今年はまだ東京では雪は降っていないと思うが、そして今年は暖冬という話も聞くが、外を歩いているとすこぶる寒い。歩きながら「どこが暖冬やねん」と何度も言いそうになった。今が一番寒い時期ではあるが、少なくともあと1か月半くらいはこの状態が続くと思うと、早く暖かくなってほしいなーと思う。暑いか寒いかどちらの方が好きか、と言われたら私は暑い方が好きである。暑いのは暑いでイヤではあるが。
今回も昨年観た映画なのだが、私のお気に入りの俳優の一人であるジェレミー・レナー主演の作品『ウィンド・リバー』という映画である。昨年公開の映画であり、Blu-rayを予約して手に入れた作品である。“ウィンド・リバー”というのは「風の川」という意味でこれは実際にある地名なのだが、アメリカにあるウィンド・リバー先住民居留地のことである。ここは先住民居留地ということで連邦政府の土地ではあるが、驚くことに完全に“無法地帯”なのである。ここウィンド・リバー地区の面積はだいたい鹿児島県くらいの面積で人口は約2万人いるのだが、警察官は6人しかいないのである。この時点で異常なのだが、この地区の平均寿命が49歳、失業率80%、10代の自殺率が全米平均の2倍以上、先住民の女性がレイプされる率が全米平均の2.5倍以上、先住民が殺人事件の被害者になる率は全米平均の5倍という驚く数字が並ぶ。この映画はこのウィンド・リバー地区が舞台の作品である。2012年にニューヨーク・タイムズがこの地区で異常にレイプ事件や女性の行方不明者が多いという記事が出て、それを呼んだ監督のテイラー・シェリダンがこの作品を作ったのである。
野生動物局員である主人公がある日少女の死体を発見するところから物語は進んでいく。少女はレイプや暴行された痕跡があったが、直接的な死因は自然死であった。このウィンド・リバー地区というのはものすごく寒い地域で零下20度から30度にもなるくらい寒い。なので外気を一気に吸い込んでしまうと肺胞が一瞬で凍結してしまい、それで呼吸困難になり死んでしまうのである。この少女はそれが原因で死んでしまったのである。そしてなぜか少女は裸足であった。半径10キロは雪しかないこの場所になぜ少女は倒れていたのか。今回FBIから新人の女性捜査官が派遣されてくるのだが、なんとかこのレイプした犯人を捕まえたいと思ったが、殺人ではないと捜査ができなくなるのし、応援を呼んで殺人ではないというのがバレてしまうのを防ぐため、新人捜査官は主人公の協力を得て二人で捜査をすることになる。これはアメリカのダークサイドを描いた社会派の作品ではあるが、これはジャンル分けをすると西部劇である。そもそも西部劇と言うのはアメリカの開拓時代の話で1880年くらいである。1860年代に南北戦争が終わり、そこから西の方へアメリカではなかった土地に向かって移住していった話である。未開の地へ進んでいくことになるので様々な動物や先住民がいる。当然ながら警察もいない。非常に危険な場所ということで銃を持って武装する。なにかあったり揉めたりしたときには警察がいないのでその銃で決着をつけるしかないのである。これが西部劇の始まりである。ほんの150年前の話で、それが今も全く変わっていないということである。それはこのウィンド・リバー地区の話だけではなく、アメリカは非常に土地が広いため、警察を呼んでも6時間や7時間しないと来ないという場所はいくらでもあり、そこに住んでいたらやはり銃がないと不安になるのである。例えばそこで誰かに殺されてどこかへ埋められたらまず見つかることはないだろう。そんな場所が今のアメリカにもある。田舎の方はほとんどがそうだろう。どうしても銃は必要になるのである。
最初このFBIの新人捜査官はこの地域のことを全く知らず、いろんな“問題”を起こしてしまうが、主人公と行動を共にしているうちに、この過酷な“世界”を知っていくようになる。なぜこの場所に少女が死んでいたのか。なぜ裸足であったのか。この過酷で異常な世界を知った捜査官が最後に“生きる力”、“生きようとする力”を痛切に感じ、言葉にならない感情が涙となってあふれ出す。この過酷で異常な場所で住んでいる人にしかわからない“心”、“思い”というのがある。それをあの静寂とその静寂を打ち砕く一発の銃声が私たちに訴えかけている。これも本当にすばらしい映画であった。
オバマ大統領であった当時、このウィンド・リバー地区の警察の数を6人から36人に増やしたのだが、それでも少なすぎる数である。“自由と平等”と言ってはいるものの、それにはまだまだ遠い話のようである。
今回も昨年観た映画なのだが、私のお気に入りの俳優の一人であるジェレミー・レナー主演の作品『ウィンド・リバー』という映画である。昨年公開の映画であり、Blu-rayを予約して手に入れた作品である。“ウィンド・リバー”というのは「風の川」という意味でこれは実際にある地名なのだが、アメリカにあるウィンド・リバー先住民居留地のことである。ここは先住民居留地ということで連邦政府の土地ではあるが、驚くことに完全に“無法地帯”なのである。ここウィンド・リバー地区の面積はだいたい鹿児島県くらいの面積で人口は約2万人いるのだが、警察官は6人しかいないのである。この時点で異常なのだが、この地区の平均寿命が49歳、失業率80%、10代の自殺率が全米平均の2倍以上、先住民の女性がレイプされる率が全米平均の2.5倍以上、先住民が殺人事件の被害者になる率は全米平均の5倍という驚く数字が並ぶ。この映画はこのウィンド・リバー地区が舞台の作品である。2012年にニューヨーク・タイムズがこの地区で異常にレイプ事件や女性の行方不明者が多いという記事が出て、それを呼んだ監督のテイラー・シェリダンがこの作品を作ったのである。
野生動物局員である主人公がある日少女の死体を発見するところから物語は進んでいく。少女はレイプや暴行された痕跡があったが、直接的な死因は自然死であった。このウィンド・リバー地区というのはものすごく寒い地域で零下20度から30度にもなるくらい寒い。なので外気を一気に吸い込んでしまうと肺胞が一瞬で凍結してしまい、それで呼吸困難になり死んでしまうのである。この少女はそれが原因で死んでしまったのである。そしてなぜか少女は裸足であった。半径10キロは雪しかないこの場所になぜ少女は倒れていたのか。今回FBIから新人の女性捜査官が派遣されてくるのだが、なんとかこのレイプした犯人を捕まえたいと思ったが、殺人ではないと捜査ができなくなるのし、応援を呼んで殺人ではないというのがバレてしまうのを防ぐため、新人捜査官は主人公の協力を得て二人で捜査をすることになる。これはアメリカのダークサイドを描いた社会派の作品ではあるが、これはジャンル分けをすると西部劇である。そもそも西部劇と言うのはアメリカの開拓時代の話で1880年くらいである。1860年代に南北戦争が終わり、そこから西の方へアメリカではなかった土地に向かって移住していった話である。未開の地へ進んでいくことになるので様々な動物や先住民がいる。当然ながら警察もいない。非常に危険な場所ということで銃を持って武装する。なにかあったり揉めたりしたときには警察がいないのでその銃で決着をつけるしかないのである。これが西部劇の始まりである。ほんの150年前の話で、それが今も全く変わっていないということである。それはこのウィンド・リバー地区の話だけではなく、アメリカは非常に土地が広いため、警察を呼んでも6時間や7時間しないと来ないという場所はいくらでもあり、そこに住んでいたらやはり銃がないと不安になるのである。例えばそこで誰かに殺されてどこかへ埋められたらまず見つかることはないだろう。そんな場所が今のアメリカにもある。田舎の方はほとんどがそうだろう。どうしても銃は必要になるのである。
最初このFBIの新人捜査官はこの地域のことを全く知らず、いろんな“問題”を起こしてしまうが、主人公と行動を共にしているうちに、この過酷な“世界”を知っていくようになる。なぜこの場所に少女が死んでいたのか。なぜ裸足であったのか。この過酷で異常な世界を知った捜査官が最後に“生きる力”、“生きようとする力”を痛切に感じ、言葉にならない感情が涙となってあふれ出す。この過酷で異常な場所で住んでいる人にしかわからない“心”、“思い”というのがある。それをあの静寂とその静寂を打ち砕く一発の銃声が私たちに訴えかけている。これも本当にすばらしい映画であった。
オバマ大統領であった当時、このウィンド・リバー地区の警察の数を6人から36人に増やしたのだが、それでも少なすぎる数である。“自由と平等”と言ってはいるものの、それにはまだまだ遠い話のようである。
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