どうやらここ東京というか関東地方も梅雨入りしたらしい。というか気が付いたら6月になっているではないか。早いなぁ~。ついこの間まではまだまだちょっと肌寒いなと思っていたが、最近はかなり暑くなってきている。6月であるからもう夏の初めである。ついでにお中元時期に突入し、仕事の方も落ち着く暇もなく繁忙期に入り、これからますます忙しくなる。いろんな意味でもう大変である。最近もいろいろと最新映画が公開されているが、なんせ金欠状態で映画館に行くお金ですら大金と感じてしまうこの頃である。私の大好きな“ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー”が出ている『アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー』も観に行こうと思っていたが、結局行けなくなってしまった。6月になって『デッドプール2』も公開され、それも行きたいのだが、なかなか腰が持ち上がらないのである。映画は映画館で観るのが一番なのだが・・・。と言いながらDVDやブルーレイはちょくちょく買ってしまっている。最近はできるだけ買わないように?しているのだが、それでも観てみたい、観なければならないと思った作品は購入している。それもあり、映画館になかなか行けないのである。『デッドプール2』はかなり行きたい。
先日、といってもかなり前になってしまったが、久しぶりに友人と遊んだのである。その日は天気が悪く、最初は傘なしでも大丈夫であったが、だんだん雨が強くなってきて夕方くらいからは土砂降りであった(ような気がする)。その日は私が行きたいところが何か所かあり、まずそこからグルグル回り始めた。まずはこれも映画関係からで原宿にあるとあるアーティストの公式ショップがあり、そこに行ってみた。ここはなかなか最初に一人では入り辛いところで、友人がいて本当に助かった(笑)。気になっていたポスターとビジュアル本を購入し、本当はポスターをもう2枚とフィギュアも欲しかったのだが、もう一度言うが金欠でそれは次の機会に回すことにした。そこでも店員さんといろいろ話ができていろんな情報を得ることができた。そして店員さんの対応もすごく良くてまた来たいと思ったのである。というかまた行かなければならない。その次は原宿から歩いて渋谷の方へ行き、私の好きな映画監督の一人のデヴィッド・リンチ監督が作っている?監修している?コーヒーが飲めるカフェに行ったのである。そもそもデヴィッド・リンチ監督はコーヒーが大好きでコーヒーばっかり飲んでいたら監督の友人が「そんなにコーヒーが好きだったら自分で作ってみたら?」というのが事の始まりで、自分の家の庭でコーヒーを栽培し始めたのがきっかけである。この渋谷のカフェにわざわざ来なくても、ネットで調べればこのリンチ監督のコーヒー豆はすぐ手に入れることができる。しかし、私は7コーヒーメーカー?がないので、豆を買えばメーカーも買わなければならないので、買えば買えばで飲むようになるかもしれないが、面倒臭がって結局飲まなくなってしまうとそれももったいないので、とりあえず味だけは知りたかったのでこのカフェに来てみたのである。私はコーヒープラスチェリーパイも一緒に食べた。これはもう『ツイン・ピークス』を知っている者は王道中の王道である。このカフェはリンチ監督関係中心のカフェでそれ以外の映画資料やグッズも置いていた。私の隣に座ったカップルの男性が持っていた財布が映画『パルプ・フィクション』のジュールズが持っている“BAD MOTHER FUCKER”と書かれてある財布を持っていて、私の中では大爆笑だったのである。この人も映画が好きなんだなぁーと思った。そのあと秋葉原へ行って私がアメコミ専門店に行き、この前買った『HIT GIRL』の同じものをもう一冊欲しかったのだが、同じ表紙のものは売り切れだったみたいで置いていなかった。残念。そのあと友人がサバゲーグッズが売っているお店に行き、友人が見てみたかったガンが置いていなかったので、ここでもあきらめることに。そのあと地下鉄に乗って日比谷へ行き、先日オープンした東京ミッドタウン日比谷へ行ってみた。オープンしてそれほど日数が経っていなかったということもあるのか、雨だからみんな屋内に避難しているのかたくさんの人でごった返していた。ここはあまりおもしろいものは見つからず。歩いて銀座へ行き、ギンザシックスに行き、ここでも目当てのものは見つからず、また歩いて東京駅の方へ向かったのである。途中にアウトドアショップに立ち寄り、ここでは友人が一つ買いものをし、また歩いて神田まで向かい、ご飯を食べて電車で東京駅に戻り、一緒に電車に乗って新宿駅で解散したのである。この日もいろんなところを回った。雨が降っていたので余計な体力を使ってしまったような感じがした。今度は晴れている日に会いたい。久しぶりに街を歩いていい気分転換になったのである。
日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2018年6月7日木曜日
2018年6月1日金曜日
どう捉えるか
先日『ハート・ロッカー』という映画を観たのである。この映画は2008年の映画でアカデミー賞で9部門でノミネートされ、6部門受賞した作品である。この作品の監督はキャスリン・ビグローという女性監督である。女性監督が初めてアカデミー賞監督賞を受賞した監督である。なぜこの映画を観ようと思ったかというと、この映画に対する評価がみんなそれぞれ全然違うということで、評論家たちも評価が全然違っているということですごく興味を持ったのである。評価というよりも主人公の内的思考、思い、考え、といった方がいいかもしれない。『ハート・ロッカー』は戦争映画で、“棺桶”や“苦痛の極限地帯、極限状態”といった意味がある。今思ったのが、話が脱線してしまうが最近戦争映画をよく観るようになった。最近といっても私が大学を卒業して以来くらいである。小学生や中学生、高校生のときは戦争映画と聞くと「戦争映画はええわー」と拒絶していたのである。そもそも戦争映画に興味がなかったからかもしれない。その反対に私の友人は小学生のときから『プライベートライアン』などの戦争映画をよく観ていた。そしてその友人は『ロボコップ』も好きで、私は『ターミネーター』であった。今思えば完全に友人の方が“オトナ”であった。今私がそれを追いかけている状態になっている。「戦争映画は自分には関係ない」と思っていたのかもしれない。その時点で私の思考は完全に止まっていた。戦争は自分の生活とかけ離れている遠い存在と思っていたがそれは間違いで、日々身近に行われていることが戦争につながっていたり、加担していたりすることもある。そして登場人物の心理が日々の日常での心理にすごく貴重なヒントになるのである。この状況に自分はどう決断するのか。どういう答えを導き出すのか。戦争映画はただ戦争の悲惨さを教えてくれるだけではないということである。この『ハート・ロッカー』はそれを改めて強く思ったのである。私は戦争映画に詳しくなく、友人の方が圧倒的に詳しいと思うが、私が戦争映画でおススメするのは『プライベートライアン』、『アメリカン・スナイパー』、『ハクソーリッジ』である。これらは同じジャンルの戦争映画という類いだが、訴えてくるものはみんな全然違う。そして今回の『ハート・ロッカー』もこれらの作品とは全然違うのである。本当によくできたすごい作品だと思う。
ここからはネタバレも含まれてしまうので注意していただきたい。ここでこの映画具体的な内容やストーリーを描いてもいいのだが、長くなってしまうため今回は省略する。評論家でも意見が分かれているこの映画で一番論じられている点について私も考えてみたい。最終的に主人公のは戦場に戻っていくのだが、そのときの主人公の心理状態はどういう状態だったのか、ということである。舞台は2004年のイラクである。主人公は爆弾処理班でイラクで行われている爆弾テロによって使用される爆弾の無力化に従事しているのである。最初主人公はこのイラクに赴任してきたとき、爆弾を無力化するときに笑顔を見せたり、他の兵隊が動揺しているとき主人公は冷静に対処したりと、自分が優秀であるということを暗示させているし、それ自体を楽しんでいるかのようである。しかし、自分が優秀であると思っていたが、戦場で失敗をどんどん重ねていってしまう。そもそも爆弾テロを回避できずに仲間を失ってしまったり、イラク人に対する知識が全くなかったり、イラク人の見分けも自分は全然ついていなかったり、仲間を間違って撃ってケガをさせてしまったり、とどめに爆弾そのものを解除できずにイラク人のお父さんを救えなかったりして、自分は優秀だと思っていたが自分は全く持って無力だったことを思い知らされる。倫理的限界まで追い詰められてしまう。この映画の冒頭に、“戦争は麻薬だ。戦闘状態の興奮は中毒になる”という言葉で始まる。主人公は追い詰められるが、任務終了でアメリカに帰る。そしてしばらく家族と過ごすシーンになる。しかし、主人公はまた戦場に戻ってしまうのである。なぜ主人公は戻ってしまったのか。アメリカに帰ったとき、明らかに主人公の居場所はなかった。主人公が奥さんに戦争の話をしても全く聞いてもらえなかった。そしてこの映画の冒頭に言葉にあるように、主人公は結局爆弾処理が好きだから戻っていった。戦場は思考しても意味がなく、アドレナリン・ジャンキーとして思考停止をして戻っていく、思考停止することで生き延びるという心理で主人公は戦場に戻っていったと捉えている人がいる。というかそういうふうにとらえられる余地があるとみている。確かに言いたいことはわかるのだが、私はそうは思わなかった。というかこの評価の全く逆である。主人公は思考停止の状態から始まる。自分に自信があり余裕がある。しかし、失敗に失敗を重ね、自分が無力であることに気が付く。そもそもこの主人公は戦場で精神がマヒしていると言っている人もいるが本当にそうか。私は異常なほどに倫理的であろうと努力していると思う。アメリカに帰った時に、主人公に赤ちゃんがいて、その赤ちゃんに語り掛けるのだが、「このおもちゃが好きか。ママもパパも好きだろ。このパジャマも好きだろ。でも俺くらいの年になったら好きなものは一つや二つになってくる。特別だと思っていたことが特別ではなくなってくる。俺が好きなことはもう一つになってしまったよ」という。この映画の舞台はイラクだが、爆弾テロをやっているのはアメリカ人に対してではなく、イラク人に対してのテロである。そして主人公は爆弾処理ということで、爆弾を無力化することにより人々の命を救うということである。最初主人公は笑いながら爆弾を解除したりしてゲーム感覚でやっている。そのとき主人公は戦争そのものに興味はない。ただ爆弾を解除することに徹している。しかし、主人公はだんだんアメリカがイラクに対してやっていることがどれだけ酷いのかというのを知っていく。主人公は戦争で人を殺しに行っているわけではない。戦争が行われていること自体の責任は彼にはない。でもそれでも彼にでさえも責任が伸し掛かってきてしまうほどの状況なのを知る。彼は最初死をも恐れないかのように堂々と爆弾を解除していくが、失敗を重ねていくうちに自信も余裕もなくなってきて自己嫌悪に陥ってしまう。そしてとどめのシーンで、いくつもの爆弾をぐるぐるに鎖やカギで体中に巻き付けられたイラク人のお父さんが出てくるのだが、彼は必死に救おうとする。しかし、タイムリミットが迫ってきて、仲間の兵士が早く逃げろというが、彼は一人残って必死にカギを外している。でもタイムリミットが迫ってきて、主人公はそのイラク人に向かって言う。「ごめんなさい。助けられないです。本当にごめんなさい」と。完全な敗北である。これはイラク、そしてアメリカが置かれている状況を表している。主人公は最初は死ぬことなんか考えていないと言っていたが、ここで彼は逃げてしまう。最初主人公は自分サイコーと思っていたが、自分には何もできないことを思い知らされたのである。それで任務終了でアメリカに帰る。でもまた主人公は戦場に戻る。これは生き延びるために思考停止しているのか。彼は爆弾処理という最も死ぬ可能性の高いところに自ら飛び込んでいくのだ。爆弾処理ということが自分にできることなんだ。自分にできることは爆弾処理だけなんだ。自分にできることはそれだけなんだ。今自分にできるベストなことは爆弾処理なんだ。たとえそれが周りから文句言われようが、報われないことであろうが、戦争に加担していると言われようが、爆弾処理が自分の生きる意味なんだ、生きている意味なんだ。自己嫌悪に陥り、悩んで悩んで考えて考えて、タイトルにあるようにハート・ロッカー、極限地帯に戻っていくのだ。思考停止ではない。この流れは他の映画でいうと『マイレージ、マイライフ』という映画にすごく似ている。この映画も本当にすばらしい映画であった。リストラ宣告が仕事の主人公がいるのだが、その名の通りリストラを宣告しに行く仕事をしている。リストラすると決めたのは主人公ではない上のクラスの人間である。でもリストラを宣告したときに、された人は主人公に対して「お前のせいで人生がめちゃくちゃだ」、「明日からどう生きていけばいいんだ」、「殺されたも同然だ」、「ふざけるなバカヤロー」など、いろいろと言われてしまうのだが、その責任は主人公にあるわけではない。それでもその関係のない責任は主人公にのしかかってきてしまう。でもいろいろあって主人公もいろいろ悩んで考えて最終的に出した答えが、その責任を負うよ、ということである。この『ハート・ロッカー』もそうである。この今のイラクの現状をつくってしまったのはアメリカである。主人公は殺しに行くために戦場に来たわけではなく、爆弾を無力化するということでイラクの人々の命を救うことで、そのテーマそのものが反戦である。特権階級的にみられていた爆弾処理班であったが、その主人公ですらこのバカげた戦争の責任が伸し掛かってきてしまうのである。責任は紛れもないアメリカそのもであり、この現状をつくったのはアメリカであるが、全く関係のない主人公がその責任を負うよということなのだ。この映画ではミニストリーというロックバンドの音楽がかかるが、歌詞は流されない。その歌詞が反ブッシュ反イラク戦争だからだ。だから観てわかる人にはわかるし、わからない人にはわからないように作られている。というか広い表現が使われているのでどうとでも捉えられてしまう可能性があるが、このミニストリーがなかったとしても主人公の表情、行動、言葉を追っていけばこれは思考停止ではない、アドレナリン・ジャンキーではないことはわかるはずである。最後主人公はミニストリーの音楽をバックに爆弾のある方向へと歩いていく。「ブッシュこのバカげて無意味な戦争はテメーのせいだ!!」と言わんばかりに、責任を負った主人公の表情がうかがえる。自分にできる一番のことは何か、自分にできることは何か、ベストなことは何か。戦場に戻らなくても、ドロップアウトする選択もあるし、家族を選択することもできるし、それこそ思考停止して戦場で生き延びることもできるし、いろんな選択ができる。戦争があればできるだけ加担しないように、あまり関わらないようにするのが一番という人も当然たくさんいるだろう。もし私が主人公であれば私も戦場に戻ると思う。生きる意味がそこにあるから。その技術が求められているなら。それで多くの人間を救えるのなら。だったら行くよ、私も。
2018年5月17日木曜日
個人的に好きな女性キャラクター
この前だんだん暑くなってきたなーと思っていたら、また寒くなってきたのだが、ここ2,3日でまた暑くなってきた。もう5月の中旬なので、もう少したら梅雨になるんだなーと思う。本当に早いものである。
今回は私が個人的に好きな、気に入っている女性映画キャラクターを紹介していこうと思う。なぜそうしようと思ったかというと、先日ずっと観ていた『ツイン・ピークス/リターン』に登場した“ダイアン”が非常にすばらしいキャラクターで、久しぶりに強烈なインパクトのある女性を観たからである。それで今回改めて自分の好きなキャラクターを整理してみようと思ったからである。もちろん全部は紹介できないので、テキトーに思いついたのを紹介していきたい。好きな男性キャラクターは以前簡単に書いたことがあるが、それも改めてもう少し拡大して書いてみたい。ということで個人的に勝手に好きなキャラクターを紹介する。とりあえず第一弾?で、また思いついたら投稿しようと思う。
“LET'S ROCK!!!”
まずはこのすばらしい人から。この人を出さずにこの企画は成り立たない。『マッドマックス/怒りのデス・ロード』に登場するフュリオサ・ジョ・バッサ大隊長である。これほど強くて物静かで美しく、坊主が似合う女性が他にいるのか。アカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しているのだが、この映画に登場するキャラクターのほとんどがハゲじゃねーかよ!!とついついツッコんでしまったのだが、それほどすばらしいということである。ちなみに私がすきなフュリオサ大隊長のセリフが、“We fang it!!!(ぶっ潰す)”である。気合を入れるときはこのセリフ以外ない。
ちなみにこの映画ではフュリオサ大隊長以外にも美しい女性たちが登場していて、イモータン・ジョー様に囚われてしまっている女性が5人いるのだが、その中で一番好きなのがケイパブルという赤髪のキャラクターである。みんなすごく美しいのだが、私はこのケイパブルが一番好きなのである。
この2人のツーショットはサイコー過ぎる。泣いてしまう。
『マッドマックス/怒りのデス・ロード』と同じ年に公開された『ターミネーター/新起動:ジェニシス』に登場するサラ・コナーを紹介したい。この映画はシリーズもので、今までは別の女優がこのサラ役をしていたのだが、今回新しくセッティングされたのだが、このキャラクターも非常に美しかったのである。世界的な興行収入はよかったのだが、肝心のアメリカ国内でコケてしまい、もともと3部作の予定だったのだが、この『ジェニシス』で白紙になってしまったのである。みんなこの作品を悪く言うのだが、私はこの作品は大好きだしおもしろかった。そしてこの続きを観たいと思っているのだが、それは叶いそうにない。非常に残念である。
この映画、ドラマは何度かこのブログに紹介しているのだが、『セックスアンドザシティ』からサマンサというキャラクターを紹介したい。この映画、ドラマでは4人の女性が主人公で登場するのだが、みんな性格がバラバラで個性が豊かなのである。その中で一番好きなのがサマンサである。なぜかというとこの4人の中で一番わかりやすいというのか割り切っているというのかおもしろいというのか、そんなキャラなのである。右の画像でいうと赤い服を着ているのがサマンサである。そしてなによりも“FUCK”を使うからである(笑)。これはわあつぃの中では非常に重要で、この映画、ドラマに関係なく“FUCK”を使っているキャラクターや映画はかなり好きである。やっぱりそれはカッコいいからであろう。ちなみに私が好きなサマンサの名言は“I'm fifty-fucking-two and I will rock this dress(52歳だけど、このドレスを着こなしてやるわよ!!).”である。ファッションに年齢なんて関係ないのである。そして、“I love you too, but I love me more(あなたのことを愛してる、でもそれよりも大事なのは自分自身なの).”
ちなみにこのサマンサが持っているプラカードだが、このシーンはオークション会場でサマンサがちょうどオークションしているシーンだが、このプラカードの番号は本当は“69”を使用したかったのだが残念ながら“69”がなかったので“969”になったのである。“69”はサマンサの番号である(笑)。
次は『スターシップ・トゥルーパーズ』に登場するディジー(ディズ)というキャラクターである。主人公はリコという青年なのだが、この主人公には彼女がいるのだが、このディズは主人公にベタ惚れしていて、何度もアプローチしていくのだが、「友達でいよう」と断られてしまう。でも、そのアプローチしていく姿が何とも言えないのである。この映画は軍事国家を描いているパロディになっていて、ものすごくカッコよく仕上がっている映画なのだが、実はこんなのは最悪だという映画である。主人公は能力が低いということで歩兵に、主人公の彼女は宇宙船の操縦士に選ばれ、そしてディズはもともとアメフトで進んでいく道を選んでいたが、遅れてリコがいる歩兵部隊に合流したのである。そんなディズにリコは嫌悪感を抱いていたが、だんだん心を通わせるようになっていく。宇宙船内でディズがリコにサムズアップする姿やリコやディズの他に仲間合わせて4人で右腕に同じタトゥーを入れるところは本当にサイコーである。このディズもカッコよく強く美しいキャラクターなのである。
そして私のブログではおなじみの『キックアス』に登場するヒットガールである。世間的に1作目のヒットガールの方が人気があるのだが、私は1作目も好きだが2作目の『キックアス/ジャスティス・フォーエバー』のヒットガールの方が好きである。1作目に登場したヒットガールは小学生の年齢なのに放送禁止用語連発で公開当時は大問題になっていたが、それがこの映画のいいところであり魅力的なところである。映画だけでなくコミック版も大好きで、映画版よりもコミック版の方がより陰湿で過激で残酷に描かれている。ヒットガールが言うセリフはほとんどスラングで、これはコミック版からだが、“We need to hurt this fucker down and make him wish his dad had finished on his mother's tits. We need to hit him hard and fast and send a message to these cocksuckers that New York's superheroes are not to be fucked with(あのクソ野郎にパパがママに中出ししたのが間違いだったと思い知らせてやる。徹底的に喰らわせてやる。ヒーローを甘く見るとどうなるか、骨のズイまで叩き込んでやるわ).”っていうことを普通に言うのだが、小学生がそんなこと言うわけないやろと言いたくなるのだが、それほど魅力的で強くてカッコいいのがヒットガールである。
次は『キングスマン』シリーズに登場するロキシーである。残念ながら2作品目の『ゴールデン・サークル』では見せ場があまりないのだが、非常に美しい女性というのか私がカワイイと思うキャラクターである。本当はもっともっと出番を増やしてほしかったのだが、あんなことに?なってしまったのでついつい涙が出てしまう。“FUCK”も使ってくれているので私の中では非常に気に入っているのである。ランスロットとしてもっと活躍してほしかったのになー。
初めにも書いたが、今回改めて整理してみようと思わせてくれたのが『ツインピークス/リターン』に
登場したダイアンである。ドラマシーズン1、シーズン2ではクーパー捜査官が録音機に向かっていつも語り掛けるのだが、そのときに必ず“ダイアン”と呼びかけるのだ。そして今回の『リターン』でこの“ダイアン”がついに登場する。そのダイアンがもう本当にサイコーでめちゃくちゃカッコいい。ダイアンも“FUCK”を使うし、最初にも書いたが彼女の名言が飛び出すシーンが一度だけあるのだがそれが、“LET'S ROCK”である。こんなカッコいいオトナの女性が他にいるのか。ちなみに先日『ツイン・ピークス』の公式のグッズを海外のサイトから購入し、このダイアンとブルーローズのシャツを持っている。カッコよすぎるぜダイアン!!!
今回は私が個人的に好きな、気に入っている女性映画キャラクターを紹介していこうと思う。なぜそうしようと思ったかというと、先日ずっと観ていた『ツイン・ピークス/リターン』に登場した“ダイアン”が非常にすばらしいキャラクターで、久しぶりに強烈なインパクトのある女性を観たからである。それで今回改めて自分の好きなキャラクターを整理してみようと思ったからである。もちろん全部は紹介できないので、テキトーに思いついたのを紹介していきたい。好きな男性キャラクターは以前簡単に書いたことがあるが、それも改めてもう少し拡大して書いてみたい。ということで個人的に勝手に好きなキャラクターを紹介する。とりあえず第一弾?で、また思いついたら投稿しようと思う。
“LET'S ROCK!!!”
まずはこのすばらしい人から。この人を出さずにこの企画は成り立たない。『マッドマックス/怒りのデス・ロード』に登場するフュリオサ・ジョ・バッサ大隊長である。これほど強くて物静かで美しく、坊主が似合う女性が他にいるのか。アカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しているのだが、この映画に登場するキャラクターのほとんどがハゲじゃねーかよ!!とついついツッコんでしまったのだが、それほどすばらしいということである。ちなみに私がすきなフュリオサ大隊長のセリフが、“We fang it!!!(ぶっ潰す)”である。気合を入れるときはこのセリフ以外ない。
この2人のツーショットはサイコー過ぎる。泣いてしまう。
『マッドマックス/怒りのデス・ロード』と同じ年に公開された『ターミネーター/新起動:ジェニシス』に登場するサラ・コナーを紹介したい。この映画はシリーズもので、今までは別の女優がこのサラ役をしていたのだが、今回新しくセッティングされたのだが、このキャラクターも非常に美しかったのである。世界的な興行収入はよかったのだが、肝心のアメリカ国内でコケてしまい、もともと3部作の予定だったのだが、この『ジェニシス』で白紙になってしまったのである。みんなこの作品を悪く言うのだが、私はこの作品は大好きだしおもしろかった。そしてこの続きを観たいと思っているのだが、それは叶いそうにない。非常に残念である。
この映画、ドラマは何度かこのブログに紹介しているのだが、『セックスアンドザシティ』からサマンサというキャラクターを紹介したい。この映画、ドラマでは4人の女性が主人公で登場するのだが、みんな性格がバラバラで個性が豊かなのである。その中で一番好きなのがサマンサである。なぜかというとこの4人の中で一番わかりやすいというのか割り切っているというのかおもしろいというのか、そんなキャラなのである。右の画像でいうと赤い服を着ているのがサマンサである。そしてなによりも“FUCK”を使うからである(笑)。これはわあつぃの中では非常に重要で、この映画、ドラマに関係なく“FUCK”を使っているキャラクターや映画はかなり好きである。やっぱりそれはカッコいいからであろう。ちなみに私が好きなサマンサの名言は“I'm fifty-fucking-two and I will rock this dress(52歳だけど、このドレスを着こなしてやるわよ!!).”である。ファッションに年齢なんて関係ないのである。そして、“I love you too, but I love me more(あなたのことを愛してる、でもそれよりも大事なのは自分自身なの).”ちなみにこのサマンサが持っているプラカードだが、このシーンはオークション会場でサマンサがちょうどオークションしているシーンだが、このプラカードの番号は本当は“69”を使用したかったのだが残念ながら“69”がなかったので“969”になったのである。“69”はサマンサの番号である(笑)。
次は『スターシップ・トゥルーパーズ』に登場するディジー(ディズ)というキャラクターである。主人公はリコという青年なのだが、この主人公には彼女がいるのだが、このディズは主人公にベタ惚れしていて、何度もアプローチしていくのだが、「友達でいよう」と断られてしまう。でも、そのアプローチしていく姿が何とも言えないのである。この映画は軍事国家を描いているパロディになっていて、ものすごくカッコよく仕上がっている映画なのだが、実はこんなのは最悪だという映画である。主人公は能力が低いということで歩兵に、主人公の彼女は宇宙船の操縦士に選ばれ、そしてディズはもともとアメフトで進んでいく道を選んでいたが、遅れてリコがいる歩兵部隊に合流したのである。そんなディズにリコは嫌悪感を抱いていたが、だんだん心を通わせるようになっていく。宇宙船内でディズがリコにサムズアップする姿やリコやディズの他に仲間合わせて4人で右腕に同じタトゥーを入れるところは本当にサイコーである。このディズもカッコよく強く美しいキャラクターなのである。
そして私のブログではおなじみの『キックアス』に登場するヒットガールである。世間的に1作目のヒットガールの方が人気があるのだが、私は1作目も好きだが2作目の『キックアス/ジャスティス・フォーエバー』のヒットガールの方が好きである。1作目に登場したヒットガールは小学生の年齢なのに放送禁止用語連発で公開当時は大問題になっていたが、それがこの映画のいいところであり魅力的なところである。映画だけでなくコミック版も大好きで、映画版よりもコミック版の方がより陰湿で過激で残酷に描かれている。ヒットガールが言うセリフはほとんどスラングで、これはコミック版からだが、“We need to hurt this fucker down and make him wish his dad had finished on his mother's tits. We need to hit him hard and fast and send a message to these cocksuckers that New York's superheroes are not to be fucked with(あのクソ野郎にパパがママに中出ししたのが間違いだったと思い知らせてやる。徹底的に喰らわせてやる。ヒーローを甘く見るとどうなるか、骨のズイまで叩き込んでやるわ).”っていうことを普通に言うのだが、小学生がそんなこと言うわけないやろと言いたくなるのだが、それほど魅力的で強くてカッコいいのがヒットガールである。
初めにも書いたが、今回改めて整理してみようと思わせてくれたのが『ツインピークス/リターン』に登場したダイアンである。ドラマシーズン1、シーズン2ではクーパー捜査官が録音機に向かっていつも語り掛けるのだが、そのときに必ず“ダイアン”と呼びかけるのだ。そして今回の『リターン』でこの“ダイアン”がついに登場する。そのダイアンがもう本当にサイコーでめちゃくちゃカッコいい。ダイアンも“FUCK”を使うし、最初にも書いたが彼女の名言が飛び出すシーンが一度だけあるのだがそれが、“LET'S ROCK”である。こんなカッコいいオトナの女性が他にいるのか。ちなみに先日『ツイン・ピークス』の公式のグッズを海外のサイトから購入し、このダイアンとブルーローズのシャツを持っている。カッコよすぎるぜダイアン!!!

2018年5月2日水曜日
いい映画とは
先日ネットで映画に関してコメントしているコメント欄?みたいなところをテキトーに散策していたのだが、その中で“いい映画”についてコメントしている人がいたのだが、その人は「フラストレーションを発散させてくれる映画。スリルや迫力があって、頭を空っぽにして観て、あー楽しかった、おもしろかったと言って思って映画館を後にするのがいい映画だ」というものである。私が思うに、すべての映画はフラストレーションを発散させるために作られているものであると思っている。もちろんその種類は様々で、その感じ方も様々である。しかし、ここでハッキリとしておきたいのがこのコメントをしている人のフラストレーションを発散させるというのはある意味ジェットコースターの様な楽しみ方に近いものだということである。感覚的な快楽である。それはそれで確かにおもしろいことは確かであるが、私はそこで「それって本当におもしろいか?」ということである。そもそもこれは人それぞれの感じ方や見方があるので、その人が一番いいと思っているのでいいのだが、今回見たコメントで少し疑問が浮かんだのである。もちろん私もそういったジェットコースターみたいな楽しみ方の映画を自らのぞんで観ていることはある。それはそれでおもしろいから。しかし、最近のハリウッド映画は本当にこういったジェットコースター的映画が増えたというかほとんどがそうなってしまっている。つまり映画が“商品”になってしまっているということである。金儲けが第一になってしまっている。マーケティングが入ってきて、これは興行収入狙いでいこう、これは賞レース用の作品でいこう、などと、そういうシステムで映画が作られている。今の時期から夏は興行収入狙いの映画がどんどん公開され、秋、冬は賞レース用の映画が公開される。
私が小学生くらいのときはテレビではしょっちゅう映画放送されていたのを覚えている。当時は映画館なんてほとんど行くことができなかったが、テレビで放送されていた映画が私の映画への入口であった。正しい番組名は忘れたが、土曜日のゴールデン洋画劇場、日曜洋画劇場、木曜ロードショー、金曜ロードショー、時々水曜特別ロードショーなんかもあった。そして夜中にもたくさん放送されていた。しかし、今は映画はほとんど放送されていないし、ジブリばっかりである。映画離れというのは確実にあると思うし、あまり映画を知らない若者?が映画に求めるものがそういった“ジェットコースター的映画”なのではないかと思う。映画が商品となってしまったというのは、作り手側が「こういうストーリーにしたら当たるだろう」とか「こういったキャラクターを登場させれば当たるだろう」というメッセージもクソもなにもないことになってしまっている。その程度の娯楽で、快楽で、フラストレーションで、そしてそういう映画を観て私たちは「おもしろい、おもしろい」と言っているのだ。本当におもしろいか、それ。
以前にも紹介したことがあるが『ロッキー』というこの作品は本当にすごい作品だと思う。これはボクシングの話であるが、これは紛れもなくスタローンそのものなのである。彼は役者の仕事がしたくてオーディションも何十回も受けて全部不合格で、シナリオも何十本も書いて全部ダメで、何をやってもダメな人間だったのである。本当にドン底でライオンの檻の中の掃除の仕事をしていて、貯金は全然ないし、そしたら奥さんが妊娠してしまうし、オーディションは全く受からないし、役者の才能がないのに俺はこんなことしていていいのかとずっと苦しんでいたのである。シナリオを書いたのはただ役者の仕事が全部ダメだったから始めたのである。その話をボクシングというストーリーにして作ったのがロッキーである。なのであのロッキーはスタローンそのものである。そしてロッキーというのは、生活はボロボロで、友達はいないし、まわりからはクズ野郎って言われて、テキトーにボクシングをやっていて、汚いヤクザの下で働いて小銭を稼いでいて、という中で偶然世界チャンピオンの目に留まり、チャンスが巡ってきたのである。しかしこんなものは試合にもなるはずがない。チャンピオンと田舎でテキトーにやっているヤツとの試合なんか、絶対にボゴボコにされて一瞬で負けることなんか誰にだってわかる。ただの見世物試合である。しかし、そうはならないぞとそこから地獄の猛特訓が始まるのだ。でもどうやったって勝つことは不可能。でも最後のゴングが鳴るまで俺は立っていればそれでいいんだ。チャンピオンに勝つことなんかできないのはわかっている。でも俺は自分に勝ちたいんだ。こんなクズみたいな俺でもなにか一つ成し遂げられることがあるんだということを世間に証明したいんだ。そして彼は自分に勝つことができたし、世間にも勝つことができたのである。それを観た私たちはどう思うだろうか。「自分もできるかもしれない」と思うのではないか。才能なんかなくたっていいんだ。運なんてなくたっていいんだ。根性があればいいんだ。どんなに相手が強くても、どんなに厳しい状況でも、どんなことがあっても絶対にギブアップだけしなければいいんだ。この生きている世界、社会、世間には絶対に超えられない壁がある。打ち砕けない壁がある。闘いすら挑めない挑んではいけない壁もある。それはわかっている。でも、それでも諦めないぞ、ギブアップだけはしないぞ、負けちゃいけないんだ、そう思えるんじゃないか。金儲けのための映画を観て、自分の心の中にあるイライラや苦しみ、辛さがなにか変わるのか、解消されるのか。その映画を観る前と後で、自分や人生が変わるのか。でもロッキーを観てどう思うか。現実には勝てないが、自分にだけでも勝ちたいんだ。そうすれば自分という人間を自分で嫌いにならないで済むだろう。こういうのがいい映画って言うのではないか。観る前と後とでは全然違う自分になっているはずである。観る前に持っていたイライラや苦しみ、辛さは確実に減っている。なぜならその“現実”と闘う技を教えてくれたから。せっかくお金を払って2時間3時間を“無駄”にして映画を観るのである。本当にいい映画っていうのは人生を変える、変えてしまう力があると私は信じているし、実際にそうである。作り手側が伝えたいこと、苦しみをぶつけたいこと、心の叫び、愛、それがあるから我々にも伝わってくる。金儲けのために作られた映画でそれだけの感動があるか、それだけリアリティーがあるか、人々の心を突き動かす何かがあるか。作り手側の根底にある心の叫びや苦しみ、悲しみ、そういうのを作品にぶつけている爆発させているのがいい映画であると思う。もちろん映画に限らず、音楽や小説でもそうである。
最近観た映画で、『シティ・オブ・ゴッド』という映画を観た。この映画は有名な俳優、女優は誰一人出演していないし、監督も知らないし、ブラジル映画であるし、この映画を観た人はあまり多くはいないと思うが、本当にすばらしい映画だった。本当に美しい映画であった。これは全部実話なのだが、もうとんでもないスラム街があって、そこに住む男たちの話である。終始バイオレンス描写が強烈で、映画館では途中で出て行ってしまう人もいたみたいである。そこに住む人たちは5歳くらいから銃を持ってドラッグをやってという世界なのだ。20歳になるまでには20人くらいは殺しているのである。どうしようもやくドン底のような世界である。しかしその中の一人は、銃や殺し、ドラッグが嫌いで、写真を撮るのが好きな青年がいる。彼は元々好きな女の子がいて、その子にキレイな写真を撮ってモテたいと思って写真を撮り始めたのである。そのうち写真を撮ることが好きになり、のめり込んでいく。周りはみんなギャングで殺しやドラッグをやっているが、彼は自分の好きなことを貫き通している。周りは自分がなんのために生きているのかわからないから殺し合っているし、現実逃避したいからドラッグをやっている。でも最後の最後の最後に勝つのは写真を撮ることが好きなその青年が勝つのである。これが快感だろう。これを観たときに我々はどう思うか。どんなにドン底でどうしようもない救いようのない世界や環境、社会、街、身の周りでも、自分の好きなことを徹底してやり続けていたらいいことがあるかもしれない、と思うだろう。ラストを迎えたときに、「やったー!!!」と立ち上がってガッツポーズしたくなる。本当にいい映画だと思う。でもその現実の描写が強烈なので、なかなか観る人も少ないだろう。10歳の子どもが同じくらいの年の子どもの足を銃で撃って、それで泣き叫んでいるその子の頭を銃でブチ抜いたりする。人間の精神の許容範囲が全くわからなくなってくる。でもそれが現実としてあるということである。でもそれだけを訴えているのではない。ちゃんと闘い方を生き方を教えてくれるのである。今のハリウッドはこういう度胸のある映画はつくれなくなってしまったなー。こういう映画は人生経験になる。本当にそのスラム街にいるような感覚になる。実際にそこにいるくらい近い経験になる。そんなことができるのは映画しかないのである。これが映画体験である。映画を観る前と観た後では全く違う自分になる。なぜならその映画を観てしまったからである。「あぁ、明日から生き方変えよう」、「今から考え方を変えよう」、その力が本当にいい映画にはある。「あー楽しかった」で5分後には忘れてしまっているような映画は観てもしょーがない。2時間3時間が無駄である。人生短いんだよ。せっかく観るのであれば良い意味でも悪い意味でも自分の人生や考え方を変えてしまうようなすごい映画を観た方がいいに決まっている。そういうのが本当にいい映画だと思う。先日読者の方が『ファイト・クラブ』をご覧になった。この映画も本当に強烈な映画で、猛毒のような麻薬のような、それほどインパクトを与えるし、取り憑かれてしまう。平凡で、平和で、ぬくぬくとしあわせに暮らしていきたい人には全くもって理解できない映画である。資本主義のブタ野郎!!と中指を突き立てるチョーサイコーの映画である。こういう映画がいいと思う。人生変わるよ。変わってしまうよ。少なくとも私は映画にはそういった“力”があると信じているし、何度も映画に救われているのである。
2018年4月24日火曜日
『リターン』観終える
前回投稿した『ツイン・ピークス/リターン』をすべて観終えた。これはもうなんていったらいいのか。こんな作品はもしかしたらもう二度と観れないかもしれないと言ってもいいかもしれない。これほどいろんな要素が含まれている作品はほかにないだろうし、こんなに憑りつかれるのもないだろう。以前にも書いたが、これはファンなどには作れない、オリジナルにしか、リンチ監督にしか作れない作品である。誰も予想できない展開、事件、謎、夢、異空間、超現実。意味不明な、理解不能な展開が次から次へと出てきて、もう本当にすごい作品である。観客から大ブーイングを受けた『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』がドラマシーズン1、シーズン2の世界を広げ、今回のリターンで新たな『ツイン・ピークス』という“世界”を構築している。前回のドラマシリーズから約25年後の今回の作品であったが、ドラマの中でも、そして現実でも25年後の世界である。目に見えない“何か”を感じざるを得ない。残念ながらその25年間の間に亡くなってしまった方がいるし、『リターン』を撮り終えて亡くなってしまった方もいて、ドラマを観ながらいろんな思いが交錯してしまった。本当にすさまじい作品である。
今回の作品で一番驚かされたのは“遅さ”である。俳優、女優たちがみんな年を取ってしまったというのも当然理由の一つとしてあるだろうが、なんせ“遅い”のである。1シーン1シーンをものすごく丁寧に撮っているし、何も起こらないことを永遠と撮り続けていたりもする。ほうきで床を掃いているシーンがあるのだが、なにか起こるのかなーとじっと観ていたのだが結局何も起こらなかったのである。こういったシーンがたくさん出てくるのだ。全部で18話あるのだが、その中で“意味の無い”シーンというのがたくさんある。そのシーンを飛ばしてもストーリーの内容としては何の問題もない。しかし、それをしてしまうとこの『ツイン・ピークス』という世界を体験したことにはならない。普通の映画やドラマであれば絶対にカットされるであろう省略されるであろうシーンが山ほどあるのだ。しかし今回はすべてリンチ監督の権限の元撮影をしているので、これらは絶対に必要なシーンなのだ。今回の作品を作る際に、配給会社はリンチ監督に予算を提示したのだが、リンチ監督は「この予算では制作はできない」と言って断っている。それでも配給会社はリンチ監督抜きでドラマを制作しようとして、全部で9話になるドラマを考えていた。しかし、『ツイン・ピークス』関係者、俳優たち、女優たちが、“NO LYNCH, NO TWIN PEAKS”といってリンチ監督抜きでは『ツイン・ピークス』はあり得ないと反対運動があり、配給会社は再びリンチ監督にお願いをして制作が始まったのである。なので予算の面からも、芸術性の面からも、リンチ監督自身が納得のいくように作っているし、それが可能となったのである。これほど自由度の高い作品は本当になかなか観ることができないのである。そういう意味でもすごい作品なのだ。
前回のシリーズもそうだし、今回もそうだし、ほかのリンチ監督作品もそうなのだが、本当に訳の分からないシーンがたくさん出てくる。夢なのか現実なのか。でもそれはわかりにくく作っているので訳が分からなくて当然である。事細かにこのシーンはこういった意味があって、犯人は誰で、とかそういったこと自体にリンチ監督は全然興味がなく、ただ“謎”を楽しんでもらいたいというメッセージが込められている。だからあるシーンについて神経質になっていろいろ考えるというのはリンチ監督が思っている楽しみ方ではない。なのでもう本当に「謎って気持ちいいねー」ということである。まだ一度しか観ていないので、また1話目から観なおしていきたい。5日くらい前だったか新しい情報が入り、今回の『リターン』のブルーレイ・DVDが今年の7月4日に発売されるというのだ。早速予約注文をしたのだが、ブルーレイには400分以上の特典映像がついているので、本当にブルーレイが観れるようになってよかったと思っている次第。今は観終えた直後で頭の中が全く整理できていないので、改めてこの『ツイン・ピークス』について書いてみたい。
今回の作品で一番驚かされたのは“遅さ”である。俳優、女優たちがみんな年を取ってしまったというのも当然理由の一つとしてあるだろうが、なんせ“遅い”のである。1シーン1シーンをものすごく丁寧に撮っているし、何も起こらないことを永遠と撮り続けていたりもする。ほうきで床を掃いているシーンがあるのだが、なにか起こるのかなーとじっと観ていたのだが結局何も起こらなかったのである。こういったシーンがたくさん出てくるのだ。全部で18話あるのだが、その中で“意味の無い”シーンというのがたくさんある。そのシーンを飛ばしてもストーリーの内容としては何の問題もない。しかし、それをしてしまうとこの『ツイン・ピークス』という世界を体験したことにはならない。普通の映画やドラマであれば絶対にカットされるであろう省略されるであろうシーンが山ほどあるのだ。しかし今回はすべてリンチ監督の権限の元撮影をしているので、これらは絶対に必要なシーンなのだ。今回の作品を作る際に、配給会社はリンチ監督に予算を提示したのだが、リンチ監督は「この予算では制作はできない」と言って断っている。それでも配給会社はリンチ監督抜きでドラマを制作しようとして、全部で9話になるドラマを考えていた。しかし、『ツイン・ピークス』関係者、俳優たち、女優たちが、“NO LYNCH, NO TWIN PEAKS”といってリンチ監督抜きでは『ツイン・ピークス』はあり得ないと反対運動があり、配給会社は再びリンチ監督にお願いをして制作が始まったのである。なので予算の面からも、芸術性の面からも、リンチ監督自身が納得のいくように作っているし、それが可能となったのである。これほど自由度の高い作品は本当になかなか観ることができないのである。そういう意味でもすごい作品なのだ。
前回のシリーズもそうだし、今回もそうだし、ほかのリンチ監督作品もそうなのだが、本当に訳の分からないシーンがたくさん出てくる。夢なのか現実なのか。でもそれはわかりにくく作っているので訳が分からなくて当然である。事細かにこのシーンはこういった意味があって、犯人は誰で、とかそういったこと自体にリンチ監督は全然興味がなく、ただ“謎”を楽しんでもらいたいというメッセージが込められている。だからあるシーンについて神経質になっていろいろ考えるというのはリンチ監督が思っている楽しみ方ではない。なのでもう本当に「謎って気持ちいいねー」ということである。まだ一度しか観ていないので、また1話目から観なおしていきたい。5日くらい前だったか新しい情報が入り、今回の『リターン』のブルーレイ・DVDが今年の7月4日に発売されるというのだ。早速予約注文をしたのだが、ブルーレイには400分以上の特典映像がついているので、本当にブルーレイが観れるようになってよかったと思っている次第。今は観終えた直後で頭の中が全く整理できていないので、改めてこの『ツイン・ピークス』について書いてみたい。
2018年4月19日木曜日
リンチ・ワールド全開で始まる
もう4月の後半ということで時間があっという間に過ぎていってしまっている。朝と夜はまだまだ肌寒く、長袖が必要な気温である。もうすぐゴールデンウィークで、それが過ぎたら梅雨になって、それが過ぎたら夏で、そしたら秋で、気がつけばまた冬になって、・・・。そう考えると本当に一年って早いものである。このサイクルがあと何回自分は経験するのだろうか。平均寿命を考えると、70回?くらいだろうか。これは平均なので、自分はもしかしたら50回かもしれないし、30回なのかもしれない。そういうことを考えていると人生って短いなぁ〜と思う。なんでもやったもん勝ちというのは的を射ているような気がする。何もしないよりもなんでもいいから楽しんだ方がいいに決まっている。そう自分に言い聞かせて映画をたくさん買ってしまっているこの頃である(笑)。
先日Amazonで映画のDVDを買ったのだがなかなか届かず、配達状況を調べてみると「配達完了」と表示されていたのだが、こういうケースは前にもあり、もう数日待っていたら届いたので、今回もそれだろうと思っていたのだが、それでも届かなかったので、配達業者に電話したのだがなかなか繋がらず、しょうがないのでAmazonに直接電話したのである。Amazonはすぐに繋がり、状況を確認しますとのことであった。さすがAmazonというのか対応が早かった。数日待って連絡がきたのだが、確かに配達したとの回答が返ってきたみたいだが、私はもらっていないのである。私もそれを伝えて、商品紛失ということで再配達してもらうことになった。電話でのやり取りがいろいろ面倒であったが、Amazonの対応の早さには驚かされた。
ついに私はパソコンを買い換えたのである。今まで使っていたのはやはり少し無理が出てきていたので、買い換えることにしたのである。でも、今まで使っていたものはまだ使えるので、まだまだこれからも使っていこうと思っている。新しいのはまだまだ使い慣れていないところもあるし、なかなか思った通りに動いてくれないので、慣れるまでに少し時間がかかりそうである。そしてついにブルーレイが観れるようになったのである。そして、さっそく友人にお願いして録画してもらっていた『ツイン・ピークス/リターン』を観始めたのだ。全部で18話あり、まだ2話しか観ていないのだが、もうなんて言ったらいいのか全くわからないのである(笑)。もういろんな意味ですご過ぎて、ちょっと今はどうしようもない状態である。まだ始まったばかりなので、この先の話のキーワードになるだろうと思われるシーン、事件、出来事、が大量にブチ込まれており、今は説明不可能である。もう本当に意味不明で理解不能で、全くついていけないのだが、この感覚がもうなんていったらいいのかわからない。この知的好奇心というのか、本当にリンチ・ワールド全開である。アメリカでも日本でもそうだが、地上波放送ではなく、限定された放送だったので、本当にリンチ監督がやりたい放題なのである。ヌードシーンや恐ろしいシーンもさっそく出でいるし、ちょー興奮しているのだが、話やシーン自体はめちゃくちゃダークな雰囲気で異様な空気を醸し出している。観ていても怖い怖い(笑)。前回は制作会社や視聴者からいろいろなことがあり、妥協していたところはあったが、今回は全部リンチ監督が仕切って一切妥協はない。本当はこういうことをやりたかったんだなぁーと思う。リンチ監督は72歳だが、この人の頭の中はどうなっているんだと思ってしまう。もう歳をかなり重ねているということで、もう映画は撮らないといっていたのだが、今回のこの『リターン』はめちゃくちゃ分厚い脚本を俳優たちに渡されたのだが、全部で18話あるといったが、これはただ放送時間以内に収めるために切って18話になったという話なので、18話連続しての長編映画みたいになっている。まだまだ元気じゃねーかよ!とツッコミたくなってしまう。とにかく今はちょっとすご過ぎて気持ちの整理がつかない。新しいキャラクターも登場しているのだが、昔からのキャラクターも登場していて、久しぶりに再会できてすごくうれしい。1日でも早く早く全部観たいのである。
2018年4月10日火曜日
彼がいなかったら人類は滅亡していたかもしれない
先日少しだけ体調を崩してしまっていたのである。多忙なのはいつものことなのだが、このすごく過ごしやすい時期に気が緩んでしまったのか、ちょっとしんどくなってしまったのである。今はほとんど回復しているのだが。仕事のスタッフの人数が少ないので、休むことはできない状態である。休んでしまうと他のスタッフに迷惑や負担がかかってしまうので、体調には気をつけていきたい。
前回の投稿でDVDをたくさん購入してしまったことについて書いたのだが、それぞれいろんな意味というのかそういうのがあり、説明しようかなとも思ったのだが、全部してると大変なので今回は“ブルース・リー”について書いてみたい。
私がブルース・リーを知ったのは小学生のとき父が観ていたから、というおそろしく単純な理由である。それは『ドラゴンへの道』である。その後に『燃えよドラゴン』、『ドラゴン危機一髪』を観ておそろしく感動したのである。なにが感動したかというと、あんな動きが人間にできるのかということである。
今の人というと曖昧ではあるが、私と同世代、それより若い世代には馴染みがないかもしれない。同世代であったらブルース・リーよりもジャッキー・チェンの方が馴染みがあるかもしれない。でも私はブルース・リーの方が当時から絶対にカッコいいと思っているのである。これは私があまり知らない映画ライターのことばだが、“映画で世界を大きく変えた歴史上ただ一人の人物であり、ブルース・リーが世界で最も偉大な映画人であることは宇宙の絶対真理である。ブルース・リーがいなければ映画はとっくに滅びている。キリストやブッダか、それ以上。世界はブルース・リーを中心に回っている。”ということである。私はおそろしくこの意見に賛成であるし、実際にその通りである。ブルース・リーが有名になる前は、すべてがアメリカやヨーロッパが中心の世界であった。文化も経済も政治もなにもかもである。しかし、そこでブルース・リーが現れ、白人をボコボコにしていくのである。それをきっかけに東洋の思想などが見直されていったのである。本当に昔から私はこのブルース・リーを知っていたが、知識がなさすぎて語ることができない、もしくは語っては無礼に値すると思ってしまうほど偉大な人なのである。というより人の形をとって現れた神である。そこで今回この“神”をもっと知らなければならないと思い、DVDを購入したのである。今回私が初めて観た『ドラゴン 怒りの鉄拳』はものすごく感動したのである。日清、日露戦争後で大日本帝国が勝利した数年後の上海が舞台なのだが、もうわかる話だが日本人が敵なのである。とあるシーンで、“犬と中国人はお断り”という看板をブルース・リーが見つけるのだが、その看板を粉々に蹴り飛ばすシーンは涙が流れる。このシーンは同じ状況下に置かれている人々にどれほどの力を与えたことか。日本人がブルース・リーに向かって、「お前が四つん這いになって俺の犬になるんだったら中に入れるぞ」と言うが、ブルース・リーはその日本人をボコボコにしばき上げるところは本当にサイコーで気分がスッキリするのである。話は変わるのだが、ボスニアヘルツェゴビナでずっと内戦がつづいていたのだが、やっと平和が訪れたということで、もう二度とこういうことを起こさないために平和の象徴として銅像を建てようということになり、そこで選ばれたのがブルース・リーなのである。人種や民族で分断されていがみ合うことに立ち向かうシンボルとして、いろいろ考えた結果ブルース・リーしかいない。文化の架け橋のシンボルにもなり、民族間でいがみ合いがあったが、それを超えて統合する象徴としてふさわしいのがブルース・リーだったのである。そんなすごい人はもうブルース・リーしかいないのである。ブルース・リーは敵に一人で立ち向かっていく。肉体一つで。上半身から血を流している姿はキリストのようにも見える。キリストであればそこで十字架に架けられて処刑されて終わってしまうが、ブルース・リーはそこから反撃に出るのだ。どっちがすごいかは一目瞭然である。こんな巨大で偉大な人間はブルース・リーしかいないのである。ブルース・リーの映画は内容としてはそれほど良くないのかもしれない。しかし、ただそこにブルース・リーが映って動いているということだけが人間の魂を揺さぶるという話なのだ。こんな人間がいるっていうことがどれだけ人を勇気付けるか。なんというカッコいい信じ難いような人間が地上にいたのかという気持ちにさせてくれるのだ。世界中でみんながあの人になりたいと思ってマネをするようになった人間はブルース・リーしかいない。
人間の目標になる人である。我々はブルース・リーという人がいたから生きていけるのだ。伝説を感じ、そして泣け!!
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