2018年4月19日木曜日

リンチ・ワールド全開で始まる

 もう4月の後半ということで時間があっという間に過ぎていってしまっている。朝と夜はまだまだ肌寒く、長袖が必要な気温である。もうすぐゴールデンウィークで、それが過ぎたら梅雨になって、それが過ぎたら夏で、そしたら秋で、気がつけばまた冬になって、・・・。そう考えると本当に一年って早いものである。このサイクルがあと何回自分は経験するのだろうか。平均寿命を考えると、70回?くらいだろうか。これは平均なので、自分はもしかしたら50回かもしれないし、30回なのかもしれない。そういうことを考えていると人生って短いなぁ〜と思う。なんでもやったもん勝ちというのは的を射ているような気がする。何もしないよりもなんでもいいから楽しんだ方がいいに決まっている。そう自分に言い聞かせて映画をたくさん買ってしまっているこの頃である(笑)。

 先日Amazonで映画のDVDを買ったのだがなかなか届かず、配達状況を調べてみると「配達完了」と表示されていたのだが、こういうケースは前にもあり、もう数日待っていたら届いたので、今回もそれだろうと思っていたのだが、それでも届かなかったので、配達業者に電話したのだがなかなか繋がらず、しょうがないのでAmazonに直接電話したのである。Amazonはすぐに繋がり、状況を確認しますとのことであった。さすがAmazonというのか対応が早かった。数日待って連絡がきたのだが、確かに配達したとの回答が返ってきたみたいだが、私はもらっていないのである。私もそれを伝えて、商品紛失ということで再配達してもらうことになった。電話でのやり取りがいろいろ面倒であったが、Amazonの対応の早さには驚かされた。

 ついに私はパソコンを買い換えたのである。今まで使っていたのはやはり少し無理が出てきていたので、買い換えることにしたのである。でも、今まで使っていたものはまだ使えるので、まだまだこれからも使っていこうと思っている。新しいのはまだまだ使い慣れていないところもあるし、なかなか思った通りに動いてくれないので、慣れるまでに少し時間がかかりそうである。そしてついにブルーレイが観れるようになったのである。そして、さっそく友人にお願いして録画してもらっていた『ツイン・ピークス/リターン』を観始めたのだ。全部で18話あり、まだ2話しか観ていないのだが、もうなんて言ったらいいのか全くわからないのである(笑)。もういろんな意味ですご過ぎて、ちょっと今はどうしようもない状態である。まだ始まったばかりなので、この先の話のキーワードになるだろうと思われるシーン、事件、出来事、が大量にブチ込まれており、今は説明不可能である。もう本当に意味不明で理解不能で、全くついていけないのだが、この感覚がもうなんていったらいいのかわからない。この知的好奇心というのか、本当にリンチ・ワールド全開である。アメリカでも日本でもそうだが、地上波放送ではなく、限定された放送だったので、本当にリンチ監督がやりたい放題なのである。ヌードシーンや恐ろしいシーンもさっそく出でいるし、ちょー興奮しているのだが、話やシーン自体はめちゃくちゃダークな雰囲気で異様な空気を醸し出している。観ていても怖い怖い(笑)。前回は制作会社や視聴者からいろいろなことがあり、妥協していたところはあったが、今回は全部リンチ監督が仕切って一切妥協はない。本当はこういうことをやりたかったんだなぁーと思う。リンチ監督は72歳だが、この人の頭の中はどうなっているんだと思ってしまう。もう歳をかなり重ねているということで、もう映画は撮らないといっていたのだが、今回のこの『リターン』はめちゃくちゃ分厚い脚本を俳優たちに渡されたのだが、全部で18話あるといったが、これはただ放送時間以内に収めるために切って18話になったという話なので、18話連続しての長編映画みたいになっている。まだまだ元気じゃねーかよ!とツッコミたくなってしまう。とにかく今はちょっとすご過ぎて気持ちの整理がつかない。新しいキャラクターも登場しているのだが、昔からのキャラクターも登場していて、久しぶりに再会できてすごくうれしい。1日でも早く早く全部観たいのである。


3 件のコメント:

  1. お疲れ様です。

    新しいパソコンが手に入ったとのことですが、よかったですね。
    特別な買い物の時は何でもそうですが、新しいものはやっぱりいいなーって思ってしまいますね。慣れてくるとフリーズなくサクサク動いてくれるのは気持ちがいいものです。
    今後もし気が向いたらでいいので…、以前『マイ・インターン』のときに紹介していただいたニューヨーク・ブルックリンの美しい街並みの写真とか、新しいパソコンでアップしていただけたらと思います。
    お忙しいところ恐縮ですが、これも是非ご検討下さい(笑)

    『ツイン・ピークス』はシーズン2 Vol.6まで終わりました。
    最後の、クーパー捜査官がボブに魂を乗っ取られてしまうシーンは何だか怖かったというか残念だったというか…
    いくらアニーのためとはいえ、頭のいいクーパー捜査官なのですから、取引の際にこちらが払う犠牲はなるべく少なくなるように交渉する余地もあったのではないか、と思ってしまいます。
    確かに、あの場では冷静な判断ができなくても無理はないですが…
    赤いカーテンの待合室をクーパーが何度も行ったり来たりするシーンは、全く意味不明でした。
    白濁した眼と歯肉を丸出しにして別人のように叫ぶローラも、突然現れるリーランドも、怖かったですね。
    あのシーンで監督は何を表現したかったんだろう、と考えてしまいますが、この場合は考えたところで何も出てきませんね。
    ドナの家族もボロボロになったまま終わってしまいましたし、ミス・ツインピークスのコンテストの際に、ラナのエキゾチックなダンスをこともあろうにホークが警備業務そっちのけでぽかんと口を開けてみていたという、衝撃的なシーンにひっぱられてしまいました。

    「結局よくわからなかった」というのがvol. 6の正直な感想ですが、同じく「もうちょっと続きがみたい」とも思いましたね。
    ご指摘の通り謎なことばっかりで、ここで終わってしまうのは何だか中途半端というか物足りないというか… 
    でも、続きであるリターンもやっぱり謎だらけなんですよね(笑)
    映画版ですが、リボンどころか何もかもブッ壊して叩きつけてくるものとはどんなものか、大変興味深いです。取り寄せという手段もないわけではなさそうなので、まぁ何とか頑張ってみるつもりです。

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  2. 衝撃的なシーンにひっぱられてよく分からなかった、と書きましたが、他にも理由があります。
    Vol. 6とともにかねてからの懸案であった『ファイト・クラブ』も一緒にレンタルしてきたので、タイラーの強烈なキャラやメッセージのほうが、意味不明だった赤いカーテンよりも印象に残ったという事情もあります。
    タイラーはちょーサイコーですね。
    彼なりの道理で筋が通っていて、恐れも迷いもなく、理想のルックスを持ち賢くて有能、自由奔放で意味のないことはスルリとかわせるタイラー。
    まさに憧れの全て、ですね。

    一番良かったのは、レイモンドを店の裏で恐喝するシーンですね。
    頭に銃を突きつけ、撃鉄を起こす音を聞かせ、「お前は一体何になりたかったんだ」と本心を言わせるシーンです。
    「6週間後に獣医の勉強を始めていなきゃ、死んでもらう」
    6週間後、というのが重要だと思います。1週間後であれば最初の勢いがまだ残っている時期でもありますが、それを6週間継続できていればおそらくもう本当に自分の習慣として確立し、本気で取り組みはじめたとみなしてよいと思います。

    このレイモンドを恐喝するシーンをみて、変な話ですがちょっとレイモンドがうらやましいな、とも思いました。
    確かに、明日のレイモンドの朝食は、今までに食べたどんな朝食よりも生きている実感にあふれたすばらしいものになると思いますね。
    タイラーが恐喝してくれたおかげで、現状に甘んじて自分に言い訳して、社会や世の中の雰囲気・上司や他人のせいにして自分の本当の夢を自分で勝手にあきらめていたことに、無理やりでも気づくことができたのですから。
    「毎日怒られて、きつい仕事で、時間外労働は当たり前で、上の人の気分をいちいち気にしないといけなくて、ヘトヘトになって電車に乗って帰って、そしたらまた明日も早起きで、・・・。それを毎日繰り返して、そしてこれがこの先ずっと続くと考えてしまうと生きている価値なんてあるのかと思ってしまう」と返信でいただきました。
    「きつい仕事で時間外労働は当たり前」「ヘトヘトになって帰る」「明日もまた早起きして出勤」「それを毎日繰り返す」という項目はこちらでも一緒です。 毎日、始業前の残業もありますから合計で3~4時間の残業なんて当たり前、1~2時間で済むなんてことはまずありませんね。
    私の場合は、「毎日怒られる」「上の人の気分をいちいち気にする」「電車に乗って帰る」という項目はないのですが、その代わりに“今日は何が起きるんだろう、何に対処しなくてはならないんだろう、ちゃんと自分はそれに対応できるんだろうか”という“恐怖”にいつも耐えなければならないというのがあります。
    この仕事を選んでしまった以上、この恐怖があるのはもう仕方がないとわかってはいるのですが、やっぱり怖いですよ、ホントに。人によるのかもしれませんが。就職したての頃はたしかに先輩も怖かったですが、先輩が後輩に対して“怖く”対応した理由が身に染みて理解できる今は、私はこれが一番怖いですね。
    もちろん、正直なことを書くとあまり好きにはなれない先輩もたしかにいますが、昔と決定的に違うのは、嫌な先輩に“頼る”必要はない、ということですね。
    忙しいときはその先輩にも“手伝ってもらう”必要はあるかもしれませんが、その人に“依存”しなければならないということはもうありません。これは精神的にかなり大きな違いです。
    業務上では状況を自分で判断して方針を決めることができますからね。
    SAMURAIさんの職場で、上の人の気分をいちいち気にしなければならないというのは、業務そのものとは全く関係ないわけですから、ものすごく非生産的で無駄で、大変だなー…って思いますね。
    これはもう、100%上の人の責任です。
    …私も日々の仕事で気をつけなければなりませんね。先輩より後輩のほうが多くなってしまったので…
    と言いながら毎日反省することばかりですが。

    祖母と同じ資格を取ったと書きましたが、戦後すぐの時代と現代では状況は違うとはいえ、4人も子育てしながらこの仕事を長年祖母はしてきたわけですから、身内ながらすごいなーって思います。
    私はこの歳になっても子育てどころか自分一人の面倒をみることだけでも精一杯ですが。
    毎月の給料は、人生の時間を労働者として提供した対価というよりも、この恐怖に耐えた対価だと思っています。
    毎日怖い思いをして仕事を続けることに、一体何の意味があるのか、何の価値があるのか。そう思ってしまうこともありますよね。

    「 “自分のやってみたいこと”を書きましたが、それは当然変わらずに今も持っている」ともありました。
    もしSAMURAIさんが、今日の仕事の帰りにコンビニの裏でタイラーに恐喝されたとしたら、どうでしょうか?(笑)
    もし、6週間後までに、次のバーニングマンに参加するための渡航準備や、自分が着てみたい服をデザインするブランドを立ち上げるための勉強を本格的に始めていなかった場合、タイラーに殺されるとしたら…
    思いだすのはやはりこのセリフです。
    Someday. That's a dangerous word. It's really just a code for ‘never.’
    いつかやりたいと思うことは決して実現しない。
    …私の場合、この資格は一回取得してしまえばたとえキャリアを中断したとしても更新する必要はない(だからこそブランクがあると逆に怖い)ですし、両親はまだ元気で介護が必要なわけでもないですし、財布と相談しながらずっとは無理でもたぶん1~2年ぐらいだったら、ドイツでも難波宮跡でもカナダでもニューヨークでもどこでもプラプラできると思いますし、やろうとさえすればできなくはないんです。そんなことわかってるんです。
    でも、やろうとしないんですよね。
    怖い怖いと言いながら日常を失うのはもっと怖いんですよね。
    私だったら、6週間後にタイラーに頭をぐちゃぐちゃに撃ち抜かれていますね。

    よく世間では、“みんなひとりひとりかけがえのない命だから、自分の人生は大切にしなければいけない”、みたいな論調で語られることが多いですが、タイラーの論理は全く出発点が逆ですよね。
    「お前らは歌って踊るだけのこの世のクズだ」
    「美しくもなければ特別でもない」
    「他と同様朽ち果てていくだけの有機物」
    人間なんて所詮何の価値もないただのクズだ、それがタイラーの論理の前提ですよね。
    どんなにあがいたところでいつかは死ぬただのクズなんだから、自分の夢のひとつぐらい持てなくてどうするんだ、と。そういうことなんだと思います。
    毎日仕事で疲れ果てていると、かけがえのない命とキレイゴトをいわれるよりも、所詮お前らはクズなんだと突き放されたほうが、何だか気が楽に感じることもあります。
    クズはクズなりに精一杯悪あがきしてみろよ、どーせクズなんだから小さいことなんか気にしてないでやりたいようにやってみろよ、みたいな感じですね。
    もちろんこの論理を現実の社会生活で他人に対して適応するわけにはいきませんし、仕事は仕事ですから、きちんとやらなければなりません。(笑)
    でも、キレイゴト以外で、言われてみればたしかにこういう考え方もできなくはないなーというのが発見できて新鮮でしたね。

    タイラーのセリフに、
    「持っているものが自分を束縛する」
    「文明の思い上がりともいえる物質至上主義を拒否する」
    「嫌な仕事をしていりもしない物を買わされるわけだ」
    というのがありました。
    以前いただいた返信でミニマリストの話題がありましたが、実際にこの映画見て、
    “ミニマリスト”で肝要なことは単に持っているものの多寡ではない、と思いました。
    ミニマリストの本質は、持っているものの物理的な量ではなくて、自分が人生で大切にしていることや本当に必要なものは何なのか見極める能力と、それを維持し自分の生活を整える能力なのだと思いますね。
    例えば、本や映画のDVDが本当に自分の生活を豊かにしてくれるものであるならば、たとえそれらが限られたスペースに何千冊・何千枚あったとしてもミニマリストを実践することを妨げる要因にはならないと思います。
    必要だと思って買ったものでも、維持管理が行き届かず結局無駄になってしまうことの何と多いことか。
    問題は物でも量でもなくて、自分自身のありようなんだな、と感じました。

    以前、SAMURAIさんはこのDVDを違うバージョンで4枚もっていると教えていただいたことがあったかと思いますが、タイラーに関しては同じDVDでも全種類所有したいというその気持ちは、非常に理解できますね。もちろんピンクの石鹸についても同様です。
    最近は、ピンク色でなくても石鹸をみるたびにタイラーのことを思い出してしまいますね。

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    1. Abbyさん、コメントありがとうございます。
      大金が吹っ飛んでいきましたが、とりあえず新しいものが手に入ってよかったです。
      そうですね。
      iPhoneで投稿するときはうまく画像が添付できないというのがありますが、これからはパソコンからでも投稿できるようになったので、ブルックリンの画像も添付していきますね。
      以前のブログで内容と全く関係ないところでちょくちょく何も考えずにテキトーに添付していたんですが、改めて添付していきたいと思います。
      マンハッタンに比べて圧倒的に数は少ないんですが、3回行っているので、いろいろ探してご紹介したいと思います。

      『ツイン・ピークス』がとりあえず終了しましたね。
      最期は本当に残念でした。
      いってしまえばドラマが中途半端なところで打ち切りになったみたいな感じでしたからね。
      でもリンチ監督なので、私たちが思い描いているような結末は絶対にやらないし、私たちが思い描いていることをわざわざやる意味もないので、それでは表現にはならないので、私は予想外のことが起きてラッキーというのか得した気分になりましたね(笑)。
      違う作品でもそうですが、思っていたのと違う内容の作品は、いつもそう感じます。
      たまに「思っていたのと違う」と言って文句を言う人を見ますが、思っていたことが映し出されるのであればそれをわざわざ見る必要はないと思いますね。
      そういうのを裏切られると私は「すげー!!」って思ってしまいます(笑)。
      クーパー捜査官は最終的にキラー・ボブに乗っ取られてドッペルゲンガーになってしまいますが、当然なんですが25年後の『リターン』の世界でもドッペルゲンガーの状態です。
      もう予想はつくと思いますが、『リターン』のオープニングというのか始まりはクーパー捜査官は人を殺しまくっていましたね。
      25年間ずっとヤクザやっていましたね(笑)。
      それもチョーカッコよかったんですが(笑)。
      7月に発売、レンタルもされると思うので、この続きはその時になると思います。
      でもこの『リターン』は本当にすごかったです。
      あ“駄作”だと言われていた映画版がものすごく重要なキーとなっていました。
      もし可能であれば『リターン』をご覧になる前に映画版をご覧になることをお勧め致します。

      『ファイト・クラブ』もついにご覧になられたのですね。
      どうご覧になりましたか。
      この映画は1999年に公開されましたが、大コケしました。
      それで配給会社の20世紀フォックスの重役が何人も首を切られたのは有名な話です。
      でも後々になって「これってすごい映画なんじゃないか」とじわじわと一部の人に魅了されていったんですね。
      それでカルト映画となっていきました。
      観てもわかるのですが、こういう作品は万人受けはしない映画です。
      調べたら2003年にフジテレビのゴールデンシアターで普通に放送していましたね。
      今は絶対に不可能だと思いますが、“まだマシ”な時代だったと思います。
      十数年前の話ですが、たかがテレビ放送でこれほどまでにいかにこういったものを排除していこうとしているのかがよくわかります。
      私はこういったところを危惧しているんですね。
      これからもどんどん人間は腐っていくと思います。
      すみません話が飛んでしまいました。
      レイモンドのシーンはサイコーですね。
      今まで味わったことがないくらいウマい朝飯にありつけるんだ、というのは本当に正しいと思います。
      というかタイラーが主張していることはすべて恐ろしく的を射ていると思っています。
      本当に正しい主張です。
      私もタイラーに瞬殺されていると思います。
      私はこの映画を見るたびに本当に元気になりますね。
      Abbyさんが書かれた、“みんなひとりひとりかけがえのない命だから、自分の人生は大切にしなければいけない”ですが、この文章で思い出したのが、ちょっと前に『アナと雪の女王』という映画がありました。
      そこで歌われて一世を風靡した「ありのーままのー🎵」みたいなフレーズがあったと思うのですが、あれはそう言ってもらえたら気持ちよく聞こえるということなんですね。
      耳には心地よく聞こえるんですね。
      もしくはそう言ってもらいたかった、というので多くの人が耳を傾けに行ったのだと思います。
      もっと前だと「No.1にならなくてもいい、もっともっと特別なオンリー1」という甘っちょろい歌が流行りましたが、これもその類ですね。
      そう言ってもらいたかった、みたいなものがあったと思います。
      誰だって心地よく聞こえますよね。
      ちなみにメジャーリーガーのイチロー選手は「オンリー1とか言っているヤツ大っ嫌い」と言ってましたね。
      タイラーに言わせればそういうのがクソなんですね。
      バカなんじゃねーのっていう感じですね。
      そうやって自分の人間性というものを主張せずに、ないままに、死んでいくだけなんだよ、お前なんか有機物の塊でしかないんだよ、ということです。
      注意はしたがそれでもお前がそのまま無駄に生きていくのならお前も統計データの一部にしてやるよ、と言っていますね。
      本当にサイコーですね。
      国や政府や会社の上司やそういったものの家畜、ペットになってるんじゃねーよっていることです。
      こういうのは次のAbbyさんのいただきましたコメントに続きを書きたいと思いますが、ご覧になられた『時計じかけのオレンジ』にも共通してくるんですね。
      詳しくは次のコメントの返信のところで書いてみたいと思います。
      この映画のラストはAbbyさんはどう解釈されましたか。
      ファンの間では、“死ぬ”派と“死なない”派とで分かれているんですね。
      私は“死ぬ”派です。
      まず映画のエンドクレジットに差し掛かる直前に画面が揺れて一瞬男性器を見せつけられますが(サブリミナル)、その画面が揺れるというのは私はビルが倒壊したと解釈しています。
      まずそのビルの地下にあったバンの中の爆弾を“僕”はとめますが、そのあとタイラーにボコボコにされて気絶します。
      その直後のカットは銃を口の中に突きつけられているシーンになりますが、気絶させてそのまま上の階へ移ったとは思えません。
      なぜならタイラーに抜目はないからです。
      ビルを倒壊させて社会を混沌に陥れるのがメイヘム計画です。
      中途半端にビルを一棟残すというのは考えにくいです。
      ビルをすべて爆破して主導者であるタイラー自身も死んで社会を混沌に陥れてメイヘム計画は完成するので、死んでいないという解釈は私はどうもしっくりきません。
      もちろん死んでいないという解釈であれば、マーラと初めて分かち合えて次の新たなストーリーが待っているというのはそれはすごく多くの人が求めていることではありますが、デヴィッド・フィンチャー監督はそうするかな?と私は思っています。
      この『ファイト・クラブ』の前の作品は、これもブラッド・ピット主演で『セブン』という映画を撮っていますが、これは本当に壮絶です。
      そしてその後の監督作品を考えてそういうのを踏まえて考えると、死んでいないという解釈は私にはできないですね。
      当然いろんな解釈があるんですけどね。
      もう一つなんですが、よくこの主人公の名前を“ジャック”って言っている人がいるんですが、それは間違いです。
      たまたまタイラーの家?にあった古本を読んでそこに“ジャック”と書かれていただけです。
      そしてエンドクレジットで主役のエドワード・ノートンのところは“Narrator”と出ています。
      つまり主人公には名前がないんですね。
      主人公の名前はおそらく観ている私たちそれぞれの名前なんだと思います。
      あとタイラーがヌンチャクをもって振り回しているシーンがありますが、あれは完全にブルース・リーのマネをしています。
      ちゃんとブラッド・ピットもそう言っていました。
      これは以前にも書いたことがあると思うのですが、デヴィッド・フィンチャー監督の嫌いな色はピンクです。
      この映画の石鹸の色がピンクというのは本当に興味深いところです。

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