前回の投稿でDVDをたくさん購入してしまったことについて書いたのだが、それぞれいろんな意味というのかそういうのがあり、説明しようかなとも思ったのだが、全部してると大変なので今回は“ブルース・リー”について書いてみたい。
私がブルース・リーを知ったのは小学生のとき父が観ていたから、というおそろしく単純な理由である。それは『ドラゴンへの道』である。その後に『燃えよドラゴン』、『ドラゴン危機一髪』を観ておそろしく感動したのである。なにが感動したかというと、あんな動きが人間にできるのかということである。
今の人というと曖昧ではあるが、私と同世代、それより若い世代には馴染みがないかもしれない。同世代であったらブルース・リーよりもジャッキー・チェンの方が馴染みがあるかもしれない。でも私はブルース・リーの方が当時から絶対にカッコいいと思っているのである。これは私があまり知らない映画ライターのことばだが、“映画で世界を大きく変えた歴史上ただ一人の人物であり、ブルース・リーが世界で最も偉大な映画人であることは宇宙の絶対真理である。ブルース・リーがいなければ映画はとっくに滅びている。キリストやブッダか、それ以上。世界はブルース・リーを中心に回っている。”ということである。私はおそろしくこの意見に賛成であるし、実際にその通りである。ブルース・リーが有名になる前は、すべてがアメリカやヨーロッパが中心の世界であった。文化も経済も政治もなにもかもである。しかし、そこでブルース・リーが現れ、白人をボコボコにしていくのである。それをきっかけに東洋の思想などが見直されていったのである。本当に昔から私はこのブルース・リーを知っていたが、知識がなさすぎて語ることができない、もしくは語っては無礼に値すると思ってしまうほど偉大な人なのである。というより人の形をとって現れた神である。そこで今回この“神”をもっと知らなければならないと思い、DVDを購入したのである。今回私が初めて観た『ドラゴン 怒りの鉄拳』はものすごく感動したのである。日清、日露戦争後で大日本帝国が勝利した数年後の上海が舞台なのだが、もうわかる話だが日本人が敵なのである。とあるシーンで、“犬と中国人はお断り”という看板をブルース・リーが見つけるのだが、その看板を粉々に蹴り飛ばすシーンは涙が流れる。このシーンは同じ状況下に置かれている人々にどれほどの力を与えたことか。日本人がブルース・リーに向かって、「お前が四つん這いになって俺の犬になるんだったら中に入れるぞ」と言うが、ブルース・リーはその日本人をボコボコにしばき上げるところは本当にサイコーで気分がスッキリするのである。話は変わるのだが、ボスニアヘルツェゴビナでずっと内戦がつづいていたのだが、やっと平和が訪れたということで、もう二度とこういうことを起こさないために平和の象徴として銅像を建てようということになり、そこで選ばれたのがブルース・リーなのである。人種や民族で分断されていがみ合うことに立ち向かうシンボルとして、いろいろ考えた結果ブルース・リーしかいない。文化の架け橋のシンボルにもなり、民族間でいがみ合いがあったが、それを超えて統合する象徴としてふさわしいのがブルース・リーだったのである。そんなすごい人はもうブルース・リーしかいないのである。ブルース・リーは敵に一人で立ち向かっていく。肉体一つで。上半身から血を流している姿はキリストのようにも見える。キリストであればそこで十字架に架けられて処刑されて終わってしまうが、ブルース・リーはそこから反撃に出るのだ。どっちがすごいかは一目瞭然である。こんな巨大で偉大な人間はブルース・リーしかいないのである。ブルース・リーの映画は内容としてはそれほど良くないのかもしれない。しかし、ただそこにブルース・リーが映って動いているということだけが人間の魂を揺さぶるという話なのだ。こんな人間がいるっていうことがどれだけ人を勇気付けるか。なんというカッコいい信じ難いような人間が地上にいたのかという気持ちにさせてくれるのだ。世界中でみんながあの人になりたいと思ってマネをするようになった人間はブルース・リーしかいない。
人間の目標になる人である。我々はブルース・リーという人がいたから生きていけるのだ。伝説を感じ、そして泣け!!
お疲れ様です。
返信削除『デモリションマン』ですが、これもよかったです。
SAMURAIさんのオススメは今回もハズレませんね。
『ツイン・ピークス』は、シーズン2 Vol. 5 episode23~26まで終わったところです。
もうすぐラストですが、今週は金曜日が一日休みなのでそこで最後のDVDを借りてこようかと思っています。「ブラックロッジ」もいよいよ大詰めです。
ゴードンがリンチ監督自身であるという情報にはびっくりしました。
これは気づきませんでした。そうだったんですねー
フランス語ができないので持ち合わせているありったけのボキャブラリーを駆使して大声でシェリーを口説いていたところがかわいかったですね。
クーパー捜査官がルノーの人質になった際、デニースがダブルRのエプロンをして食べ物を差し入れるシーンですが、デニースの長い足が女性以上にとてもきれいでした(笑)
アニーに対してクーパーがペンギンジョークを飛ばしていました。ペンギンジョークは、拾ったペンギンをどこに連れて行ったらいいかという質問に対して動物園がいいんじゃないかと言われた人が、まるで自分の子供を連れて行くかように文字通り動物園へ連れて行って楽しんだというのが有名ですが、あのジョークの意味についてはいろいろ調べてみても分かりませんでした。タキシードとペンギンの関連について、SAMURAIさんは何かご存知ですか?
『ローラ・パーマーの最期の7日間』ですが、わざわざ追記でのご紹介をいただき、ありがとうございました。これもレンタルできればいいのですが、近所のお店にはないかもしれません。ない、といえば、桜島でのCaptain of the shipと富士山麓の勇次第2部だけはライブのDVDというのがあれば是非みてみたいので、探しているところです。
『昭和』だけでなく『BLACK TRAIN』からすでにこちらでは取り寄せレベルでしたので…
マナーやルールを逸脱しない範囲でやりたいことはやりたいときにやったほうがいい、自分の人生なのだから、ということでした。
問題は、「マナーやルール」の基準が時代や社会によって一定ではない、ということですね。
もちろん、過剰な塩分摂取は体に良くないのですが、全く摂取しないというのも状況によっては危険なこともあります。
また、心臓病を引き起こす元凶みたいに世間で思われている“コレステロール”ですが、必須アミノ酸とともに必須脂肪酸というものも人間には欠かせないものです。
LDLコレステロール・総コレステロールを減らすスタチン製剤が世界中で売れに売れまくって心臓病の危険因子を低下させている、これは事実ですが、一方で極端な“低コレステロールの食事”を続けるといった、総脂肪や飽和・不飽和脂肪の経口摂取を制限したとしても、冠動脈疾患の罹患率や死亡率を下げる決定的な効果は統計上認められていません。食事が生体に及ぼす影響と薬理作用では、同じ土俵では議論できないということですね。
確かに、高脂血症の場合は食事の影響を考慮する必要はありますし、世の中には“低脂肪”を謳った商品があふれていますが、修行僧のような極端な食生活をしたとしても全体としての死亡をみた場合には意味がなさそう、ということです。
Cochraneとかいろいろみてみたりしますと、食事中の脂肪と心臓病の関係については1950年代からすでに調査が行われているようですが、おそらくこの結論は2032年でも覆ることはないと思われます。ですから、エドガーが肉やベーコンを食べたいというのは健康に関しては必ずしも間違った主張ではありません。この映画の世界の場合、家畜や動物を屠殺して食料にする行為自体が野蛮だからダメ、ということなんでしょう。
タバコやドラックの全面的禁止については、私も異論はありませんね。
全裸で街中を走るストリーキングがやりたいのであれば、時間と場所と空間を区切ってやれば必ずしも不可能ではないかと思います。(ですが、厳密にはもうそれはストリーキングとは言えなくなってしまいますが)
誰も聞いていないところで一人でつぶやいた言葉に対してもコンピューターの監視が入ることについては、これはいくらなんでもやりすぎですね。
ベンジャミン・ホーンのセリフに「人生に必要なものは、調和・均衡・対称性」みたいなのがどこかにありましたが、言い得て妙、ですね。
誰にとってもクリーンで、安心で、バランスがとれていて、正しくて、善であるとは何か。
暴力や復讐の是非についてもスタローンシリーズで以前話題がありましたが、これは今後もずっと難しい問題であり続けると思います。
私の場合、この映画を観て印象的だったことは、スパルタンのやさしさというか忍耐強さみたいなところです。過激なアクションや暴力的表現のなかにやさしさ・忍耐強さといった精神的な美徳も含まれているというのがスタローン映画の特徴ではないかと思います。
2年間も凶悪犯を追って逮捕や治安維持に貢献したのにも関わらず警察のルールを守らなかったという理由で氷漬けにされ、勝手に解凍されてからもcavemanと蔑まれたり、食事に行った先でも初対面の人から「腐敗した過去のシンボル」などとひどい言われようでした。貝殻の使い方が分からないことはスパルタンの責任ではないのに一方的に笑われてしまっていました。
私だったら、こんな対応を受けたらそれこそ毎回キレていると思いますね。
でもスパルタンはぐっと沈黙を貫いていましたし、むしろ「いや、ありがとかな」と皮肉たっぷりに返していました。
スパルタンのやさしさがもっとも表現されているのは、エドガーたちが食料を奪いに来た後にレニーナに対して声を荒げるシーンかと思います。
「やめろ、西部劇と現実は違う。これは遊びではない。腹をすかせた弱いものを殴っていい気分なわけないだろう」
スパルタンは、レニーナの発言に悪気がないことも分かっていたので「さっきはどなって悪かった」とフォローを入れていましたし、エドガー達が抱えている事情も、彼らに敵意はないことも理解していました。
映画の最後で、お互いのことを理解する立場をとることで歩み寄れるとありました。
普段の生活でも、自分とは考え方の違うことを認めたり尊重したりすることは、簡単ではないことがありますよね。
また、レニーナからの誘いに対しても、昔の方法でやろうと言って結局彼女を怒らせてしまっていましたが、翌朝セーターとともに「ゆうべはすまなかった」と自分から謝罪するシーンがありました。
これもなかなかポイント高いですね。
そして、たった一晩でセーター1着を編み上げてしまうお針子スパルタンもすごいです。もしかしたら、スタローンは実はプライベートでも編み物が趣味で得意だったりするのかもしれません。編み物は、単純な細かい作業をひたすら繰り返す・編み目のひとつひとつは小さいけれども、編み目を重ねることで確実に進んでいくのが目に見えてわかるという作業上の特性があります。こういう作業は筋トレにも通じるところがありますし、筋トレの合間の精神集中にぴったりかと思います。
お疲れ様です。
返信削除先日いただいた返信の中に、「明日は仕事だからという呪縛から解放されることがないので、なにをしてもいろんなところで制限が出てきてしまうので、何もかも忘れて本当にゆっくり過ごしたい」とありました。
これを読んだとき、“このブログを見つけることができて本当によかった”と思いましたね。
お世辞とか冗談とか、そういうものを一切抜きで。
あぁ世の中には、私と同じようなことをほんの一瞬でも考えている人がいるんだなって。
社会人である以上は、明日は仕事だからという呪縛はいつも抱えていて、決してもう逃げられませんよね。
本当にそう思います。
本当に。
就職してから、私はそんなことしか考えてこなかったような気がします。
元の上司にドイツ旅行に誘われたが断った、という話を以前書かせてもらいましたが、
その原因はまぎれもないこの呪縛なんですね。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、帰ったらまた仕事に行かなければならない。
休みボケした頭で。
あのスピードについていけるのか?
そう考えたら怖くて怖くて仕方がありませんでした。
休みは休み、仕事は仕事って割り切って考えればいいじゃないと上司は言ってましたが、
私はそんな器用なことはできません。
そんなことができるのなら、ドイツぐらいとっくの昔に自分でもう行ってますよ。
“She wonders, when will this end?”
“帰りたいけど帰れない 戻りたいけど戻れない”
ニューヨークの公園のベンチに座って、とありましたが、私の場合は最近これをやったのは2回目の大阪のときでした。
誰もいなくなってから大極殿跡に座って、先端がちょっとだけ見える大阪城と、目の前でものすごい音を立てながら大型トラックとかが走り去っていく阪神高速をぼんやり眺めていました。
座りながら何を考えていたかはもう覚えていないのですが、大阪から帰ったらまた日常が始まるんだなとか、この高速を通っている人達みんなにそれぞれ日常があって、みんなも仕事してるんだよなとか、そんなようなことだったような気がします。
普通に考えたらもったいないですよね。せっかく大阪まできたのに。
おいしいたこ焼きのひとつでも食べにいけばよかったのに、私は大阪での貴重な時間をこんなことに費やしていました。
でもこれをするために、わざわざ泊まるところを谷町4丁目にしたんです。
こういう時間って、絶対に必要だと思うんです。
いつの間にかすっかり陽が落ちて、公園の白っぽい、マッチ棒を立てたような形の街灯がついて、そのうちにあたりが暗くなって小雨も降ってきたので部屋に帰りましたが。
来た道が分からなくなっても困りますし。
1回目の大阪の時には気づきませんでしたが、阪神高速にはなんと歩道橋がかかっていました。
高速の上に歩道橋です。
これは地元では絶対にありえない構造です。
まさか高速道路の上に歩道があるなんて、大阪ってすごいなーって思いました。
高速にかかる歩道橋の真ん中で、流れる車の列もしばらく眺めていましたね。
帰ってきてからネットで、阪神高速を建設する際に難波宮跡から大阪城が見えるよう景観に配慮した結果と、たしかwikipediaか何かで知りました。
…これを書いている今も、“あぁ明日も明後日もその次も仕事だ”と考えているのですが(笑)
本当に、いつも好き勝手に長すぎる返信を書かせてもらっていますが、丁寧なコメントの返信をいただき、ありがとうございます。
Abbyさん、コメントありがとうございます。
削除『ツイン・ピークス』ですが、最終章ですね。
どうご覧になりましたか。
「えーっ!!うそーーー!!!」という終わり方だったと思います(笑)。
私もペンギン・ジョークは全然知りませんでしたね。
これはこのドラマが元ネタという情報もありましたが、はっきりとしたことはわからないですね。
“BLACK LODGE”もはっきりとこういう場所、こういったもの、というような明確な説明がないので、これはファンの間でも大きな議論となっています。
リンチ監督もわかっていないし、もし意味がわかったらわ自分でも驚くだろうね、と言っていました。
そして“WHITE LODGE”の存在も出ておりましたが、これは映像として具体的にどんな場所かはわかりませんが、ここへ行ったのはおそらく丸太おばさんとガーランド少佐だったと思います(間違っていたらすみません)。
次の章の『リターン』があるので、現段階ではまだ話の途中ということなので、この続きを待ちたいですね。
映画版なんですが、もう少し付け足すとドラマ版を包装紙でくるんで、きれいにリボンをかけて、パッケージとして完成させることがプリクエルとしての映画版には求められていましたが、そんなこちら側観客が求めているようなことをリンチ監督がやるわけがありせん。
リボンをかけるどころかもう何もかもブッ壊してぐちゃぐちゃにして我々に叩き付けてくる感じになっています。
ちょっと怖いシーンもありますし、オトナが観る作品です。
だからそれを観た観客は動揺してしまったんですね。
それがリンチ監督です。
つまり映画版は“外側に向けた”作品なんですね。
そしてその勢いのまま『リターン』に突っ込んでいきます。
全く展開が読めません(笑)。
だから余計に楽しみですね。
『デモリションマン』ですが、急にスパルタン刑事が編み物をするシーンは爆笑してしまいますね。
逆にフェニックスの方は陰謀により殺人術や格闘、コンピューターハッキング能力などがプログラムされていて、めちゃくちゃ強くなっていましたね。
スパルタン刑事は、こいつは暴れん坊だから編み物をプログラムしておけ、ということになったのでしょう。
でもこれをよくよく考えてみると、ものすごく恐ろしいことなんですね。
つまりこれは国家の力でその人の人格を強制的に変えさせるということなんです。
私の好きな映画の一つのキューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』という作品があるのですが、この中でも人格を変えさせるというルドヴィコ療法という治療で人格を変えさせられるようになります。
これは本当に恐ろしい治療なんですが、『デモリションマン』では冷凍されているうちにプログラムされているので、治療自体はありませんが、実際に人格を変えさせるというのは実は恐ろしい過程でもって行われるんだなと思います。
フレンドリーが言った言葉はものすごく大切なことだと私は思います。
例えば小さい子どもは急に走り出したり急に叫んだりと本能のままに生きているところがあります。
大人になれば形は変われどそういう本能的な何かしらの行動は誰にでもあると思いますね。
それを誰かから抑えつけられたり、禁止にされたりするのは絶対によくないと思います。
人間ですからね。
もちろんムカつくからと言って全然知らない人を殴ったりするのはダメですが。
我々“大人”というのは進化しすぎたのかもしれません。
とくに日本人はそうかもしれません。
なにをするにも周りの人の目を気にしなければならなかったり、周りの人の承認を得ようとしたり、いちいち他人目線が気になってしまうのはよくない状況だと思います。
同調圧力みたいなものがあるんですね。
周りと一緒にしておかないと自分が血祭りにあげられると思ってしまうんですね。
そうやって考えてしまう思考回路もよくないですが、そういう考えにもっていかされてしまうこの環境、世間、社会そのものに問題があると思います。
スタローン映画にはめずらしくコメディ要素が含まれていましたね。
『ツイン・ピークス』でいろいろと考えなければなりませんが、この『デモリションマン』でちょっとリフレッシュできたのではないかと思います。
結局あの“3枚の貝殻”の使い方はわからないままでです。
何をするにしても、仕事かー・・・仕事かー・・・ってなってしまいますよね。
本当にしんどいですね。
鬱陶しいです。
もし自分の好きなことを仕事にできている人はたとえ仕事に追われていたとしても、その“しんどさ”は全く違うものだと思います。
でもほとんどの人はそうではないと思います。
毎日怒られて、きつい仕事で、時間外労働は当たり前で、上の人の気分をいちいち気にしないといけなくて、ヘトヘトになって電車に乗って帰って、そしたらまた明日も早起きで、・・・。
それを毎日繰り返して、そしてこれがこの先ずっと続くと考えてしまうと生きている価値なんてあるのかと思ってしまいます。
いつか忘れてしまいましたが、Abbyさんから頂いたコメントの返信のところで“自分のやってみたいこと”を書きましたが、それは当然変わらずに今も持っています。
私は“変”なひとです。
もし私が普通な人だったらそういう考え自体もっていないと思うんです。
周りの人はみんな言います。
いい大学を出ろ、いい会社に勤めろ、結婚しろ、子どもをつくれ・・・。
でもそれになんの意味があるのかと思うこともあります。
倫理で習った実存主義やニヒリズムですね。
もし私が普通の人だったらそんなことは思わないで、いい大学を目指して、いい会社に就職して、結婚して、子どもをつくってと何の文句も言わずにそうしていると思います。
でも私はそうはいかないんですね。
自分でも不思議に思います。
なんでそこまで毎日しんどい思いをしてまで仕事をしなければならないのか。
みんな心のどこかでそう思っているところはあると思います。
それが仕事だから、なんでしょうか。
生活、生きていくため、なんでしょうか。
どれだけ金持ちになってもみんないつかは必ず死にます。
先ほどみんなが言うことを全部やったとしても私はおそらく自分に納得できないと思います。
ロッキーがいう、自分に勝ったことにはならないと思うんです。
タイラーがいう、自分にファイトしたことにはならないと思うんです。
なぜそう思うか。
私は“変”だからです。
もし私が普通の人だったらこのブログ自体も始めていなかったかもしれません。
70億人の人が生きていて、私一人ぐらい変でも問題ないんじゃないと思っています。
どれだけ文句や愚痴を言っても明日は仕事に行かなければなりません。
なにをしても怒られるというのを知っていても行かなければなりません。
サービス残業があるとわかっていても、明日もハードスケジュールだとわかっていても行かなければなりません。
楽しく朝を迎えて仕事に行きたいとそう願っている人はたくさんいると思います。
苦しいよりも楽しいほうがいいに決まっています。
なぜみんなそういう“場”にしようとしないのか不思議に思います。
たとえ仕事自体がつらくても、そこの人間関係がよかったら気分は全然違うと思います。
なかなか思った通りにはいかないものですね。
旅先でスケジュールをガンガン詰め込んで、というのは日本人特有みたいですね。
旅先のホテルでゆっくりしたとか、本を読んだとか、そういったこと旅先ではすごく貴重な時間だと思います。
そういったことができるのも一人旅だからこそです。
それがいいんですねー。
誰と一緒にいると、食事を気にしたり、休憩を気にしたり、買い物を気にしたりと好きなことができなくなってしまいます。
私も本当にまたゆっくりと一人旅がしたいですね。
何も気にせずに、ですね。
私も明日から仕事ですね。
この感覚、どうにかならないんですかね(笑)。
こちらこそいつもコメントいただき、本当にありがとうございます。
私も書けるときにしか書いていないですし、いただいたコメントの返信もできるときでしかできないのですが、気長にお待ちいただければと思います。
明日からもフューリー・ロードを爆走しましょう!!!