2015年1月1日木曜日

2015年、始まる

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

幸か不幸か、インフルエンザにかかってしまったおかげでゆっくり部屋で年を越すことができた(笑)。長渕剛が紅白に出場していたのでそれも見ることができた。テレビはないのでガラケーのワンセグで(笑)。長渕剛と中島みゆきは良かったんじゃないかな。好きな歌手しか評価できないし、真剣に見ないので最初からこういう結果になってしまうのだが。感想としては、期待通り、いやそれ以上やってくれたぜ、という感じである。来年夏の10万人ライブの宣伝も兼ねて出場していると見込んでいたのだが、それに関しては一切触れなかった。その方がよかったのではないだろうか。嵐のメンバーのひとりの二宮くんが剛からのメッセージを代読し、東日本大震災から今日までの3年間を振り返った。剛本人からは歌以外何も語られることはなかった。紅白歌合戦というある意味お祭り騒ぎな場面を一瞬にして静寂な空気へと変えてしまった。力強い彼からのメッセージを私は確かに受け取ることができた。彼にしかできない素晴らしい演出だったと思う。
 長渕剛が初めて紅白に出場したのは1990年、ベルリンの壁から中継での出演だった。紅白では異例中の異例ともいえる3曲を歌い、約15分間独占したのだ。その中での発言が問題となり、“長渕剛NHK永久追放”といわれた。その紅白の後の自身のライブのMCで、「毒にも薬にもならねえ歌をタラタラ3時間流すよりも、毒か薬かいずれかになる歌を15分歌ったほうがよっぽどマシなんじゃねえのか!!」といっていた。当時の剛はかなりトゲトゲしかったが、それは最高にカッコよかったと思う。周りと同じようなことはやりたくない、誰かと一緒はイヤ、誰もやったことがないことをやりたい、彼は常にそう自分に言い聞かせながら今まで生きてきている。形は違えど、今回のパフォーマンスも彼のこだわりが詰まっていたように思える。もちろん賛否両論あるだろうけど、一視聴者としての私はそう感じた。



 今日やっと平熱に戻り、安定している。咳もマシになり、やや頭痛があるくらいだ。頭痛というよりもフワフワと酔っているような感覚だ。真っ直ぐしているときは問題ないのだが、前かがみになったりすると急にクラクラして気分が悪くなってしまうのだ。それも早く治って欲しいものである。2015年はずっと健康で元気に過ごせるようにしたいものである。健康が一番。それに尽きる。あと漏水させないように注意しなければ(笑)。
 新年早々に個人的なネタで申し訳ない(笑)。

2014年12月31日水曜日

ややこしいこと

 前回の投稿から今回の投稿の間にややこしいことがあった。まずは私の部屋が漏水してしまったのである。部屋に洗濯機が置いてあり、そこに洗濯機用の水道がある。その上に突っ張り棒形式の棚を置いてあったのだが、私が外出している時にその棚が落ちてしまって、洗濯機用の水道に直撃し、水道が折れてしまったのだ。異変に気がついたのは下の階に住む管理人さんである。変な音と、天井から水が落ちてきたそうだ。急いで私の部屋に入り、水道の元栓をしめ、簡単な応急処置をしてくださったのだ。知らぬ私が帰ってきたのだが玄関に、水道が壊れ漏水したため元栓をしめました、というメモが貼ってあった。嫌な予感がした。何故か私の玄関の前にバケツと雑巾が置いてあったからだ。そのメモを見ていると近くに住んでいる方が得てこられて、「大変だったみたい」とおっしゃていた。恐る恐る部屋を開けてみると、やはり水浸し。幸いにも部屋の半分は無傷だったのがせめてもの救いであった。私の部屋に置いてあった新聞紙を床にまんべんなくしいてくれていたのだ。ただここからが面倒だったのだ。もちろん部屋の掃除はしなければならない。水道の修理は3日後らしい。なんと水無しで3日も過ごすというのか。それはきつい。近くに銭湯があるのだが、そこは23時まででその日は過ぎてしまっていた。たまたま全会社の後輩が私の家の近くに住んでいて、急いでその後輩に電話し、風呂だけ入らいてくれとお願いすると快くOKをもらた。次の日は銭湯に行った。その次の日は帰るのが遅くなってしまった。それもそのはず。よりによってクリスマスシーズンだったからだ。その日は後輩もお店の近くに宿泊しなければならないということで家には帰っていなかった。仕方がないので、住んでいるビルの1階に公共の水道があったので、ペットボトルを何本か持って行き、その水を使って頭と足だけ洗うことにした。外に設置してある水道だったのでものすごく冷たいのである。頭の感覚がなくなるくらいだ。体はコンビニで売っているような汗拭きシートで我慢することに。それでやっと水道がなおったということである。また、階下に住んでいる方に大変ご迷惑をかけてしまい、謝罪の挨拶に伺ったのだが、壊れたものや弁償しなければならないものはなかったというので、それだけでもよかった。
 
次はなんとインフルエンザにかかってしまったということである。人ごみの中で仕事をしているので、おそらくそのどこかでうつされてしまったのだろう。27日の夜、急に悪寒が走ったのである。急いで寝たのだが、次の日の朝、頭痛と体のだるさがあった。風邪だと思い、仕事があったのでいつも通り支度を。今までの経験から言うと、普通の風邪なら朝起きるときが一番辛く、体を動かしているうちにだんだんと体も慣れてきて、なんとかいくものである。しかし、今回はどんなに体を動かしてもだるいままである。電車内でもぼーっとしていた。百貨店についていつもどおり仕事をしていたが、やはりこれは普通の風邪じゃないと思い、繁忙期で申し訳なかったが早退させてもらい、病院を探した。年末、そして休日でも営業している病院を探した。私は普段保険証を持ち歩かないので、一旦家に帰り、そしてすぐに出かけたのである。熱を測ってみると、37.4°。昨日熱はあったか聞かれたのだが、私は体温計を持っていなかったので、わからないと答えた。時期が時期なのでインフルエンザの可能性もあるということだが、昨日熱を測っていたらその可能性が高かったが、測っていなかったので今日の朝熱が出たという結果にし、現時点は潜伏期間で検査しても結果が出にくいがどうするかと聞かれ、一応解熱剤だけをもらい様子を見ることにした。もしこの薬を飲んでも熱が下がらなかったり、体調が悪くなったら明日病院に行けと言われた。家に帰り、暖房をつけてゆっくりしていたが、頭痛と悪寒がすごいのである。ガタガタ震えるレベルである。この機会に体温計も買っておいた。その夜に早速測ってみると38°を超えている。明日熱が下がっていることを願いながら眠りについた。朝になり、もちろんその日も仕事が入っていた。その日は午後からのシフトインだった。熱を測ってみる39°。頭痛も激しい。自分でもインフルかもしれないと思った。とりあえず病院へ行くことに。インフルの検査をしてもらい、結果はインフルエンザA型。今流行りのものである。今日と明日は外出禁止令が出た。イナビルという吸引型の薬をもらい、そのまま家に直行。イナビルを吸引して寝た。それが昨日である。そして今日は熱が37.3°に下がり、体もだいぶ楽になってきた。早く体調をよくせねばならない。お店にも迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ない。
 そうそう体調を崩さない私だが、インフルエンザには勝てなかった。幼稚園時代に一度インフルになった記憶があるがそれ以来ということである。普通の風邪とインフルの違いを体感できただけでもよかった。

2014年12月16日火曜日

本が言う

 私が働いている百貨店は今繁忙期でかなり忙しい。今はお歳暮の時期で、ギフトセンターというお歳暮専用のエリアが設けられているので、私のお店もそこに何品かギフトを置かせてもらっているのだ。もちろんお店にもギフトを求めて買いに来られる。お歳暮に時期が終わるとすぐにクリスマスで、そのまま年末年始である。今年も慌ただしく新年を迎えそうである。

 
先日、一日休日があったのでいつもの通り渋谷から東京駅までを歩いた。久しぶりに日曜日休日ということでどこに行っても人が多かった。私は歩くだけなので人の多さはどうでもいいのだが(笑)。そして東京駅のoazoの本屋に行った。本屋には久しぶりに立ち寄った。いい本はないかと探していると、こりゃまた“紀行”のエリアでニューヨーク関係の本が新しく出ていた。ニューヨークかぶれの私としては買わざるを得ないので2冊買った。1冊は一日で読んでしまい、もう1冊も読み始めようかなと思う。
 読んでいると疑問に思っていたことが「なるほど」と理解できることもあれば、笑いながら「そうそう」と共感するところが多い。実際に行ってみると文化の違いに圧倒される。そしていろんな疑問が生まれる。私も行く前はそんな本など読もうとも思わなかったものだが、帰ってきてからはもっと知りたいと思うようになった。気がつけばそれに関係するものを探している。まあ勉強もそんなものである。勉強はすべて”なぜ?”から始まる。知りたいから勉強する。今回のことでいえば本を読むことになるのだが。
 良くも悪くも私はあの街にとりつかれてしまったようだ。はっきり言って、うるさくて騒がしくて汚くて騙されて落ち着く暇さえも与えてくれない、それでもいつかこの街に住んでみたい、この街でなにかしてみたい、そう思う自分がいる。都会が好きな人もいれば嫌いな人もいる。東京が好きな人もいれば嫌いな人もいる。“東京って大変じゃない”と聞かれたことが何度かあるが、その大変というのが私にはよくわからないのである。私は東京が好きである。都会が好きである。私は田舎のような静かな暮らしは今は望んでいないようだ。それはもっと年をとってからでいい。今できることをやっておきたい。人生は思っているよりも短いんじゃないかな。気がつけばもうこんな年、それの繰り返し。やらないで後悔するよりやって後悔する方がいい。失敗することには耐えられるが、挑戦しないのは耐えられない。本を読んでいると私にそんなことを言っているような気がした。

2014年11月28日金曜日

記憶

前回の一応の続きでも書こうかなと思う。おそらくこの認知症は世界中で深刻な問題となっているだろう。認知症になれば介護が必要になってくる。一番理想的な姿はやはり家族が協力し合い、できれば自宅で面倒を見ていくというのが一番いいだろう。しかし、現実は違う。そうしたくてもできないものである。何よりも“自分”の生活がかかっている。仕事をしなければ自分が生きていけない。そして介護もすることができない。介護もかなりのお金がかかる。治療費、施設料などなど。それは想像以上に大金である。
 前回は明らかに私中心の意見を書いたが、実際に私自身が認知症になったらどうであろうか。世界でも深刻化している認知症は、明らかに昔よりも大きな関心が寄せられている。今や身近な問題ともなったこの悲しい現実を私たちが危惧する理由。そこには、私たちに失いたくない記憶や大切な人の存在があるからだろう。自分が歩んできた道、自分を構成する要素。それらが一つひとつこぼれ落ちていくことはどれほど残酷なことだろう。自分が自分でなくなっていく恐怖、愛する人々が何者なのかさえわからなくなる、無情さ。私にも“その日”はいつか来るのだろうか。
 私はまだ20数年しか生きていないが、忘れたくない記憶ばかりである。こんな私でも一緒に遊んでくれる仲間。ご飯行こう、と気軽にメールをくれる仲間。今度は○○に行こう、と次も会う約束をしてくれる仲間。当たり前のようだが当たり前ではない。そして家族の存在。面倒や心配ばかりかけている。しかし、それでも遠くで見守ってくれている。私は死ぬまで心配をかけ続けるだろう。私が何歳になろうとも、どこでどんな仕事をしようとも家族の関係は変わることはない。かけがえのない全ての“ひと”に心から感謝している。
 聴覚、臭覚など五感で味わった記憶ほど人はよく覚えているという。年を重ね、“今”が思い出になる日は必ずやってくる。忘却の彼方に消えてしまう喪失感も味わうかもしれない。しかし、私の名を叫ぶ声が、仲間、かけがえのない“ひと”たちと過ごした若きこの時代を呼び起こしてくれるだろう。デジタルカメラのメモリーカードのように形に残すことのできない“記憶”。淡く、儚く、・・・。だからこそ愛おしいのかもしれない。

2014年11月24日月曜日

祖母の認知症

最近、祖母(母方)が認知症になったのである。母が祖母の認知症に気付いたのはある事件がきっかけだったのだ。詳しく書くと長くなるので省略するが、救急車、消防車、警察、というオールキャストが揃うほどのちょっとした事件だったのだ。しかし、そのようなことがあったというのは祖母は覚えていない様子だったのだ。詳しく検査すると認知症と診断された。24時間目を離さないように医者から言われたのだが、母も仕事をしているのでそうはいかない。預けてもらえる施設を一緒に探した。ちょうど大阪に戻った時である。
 祖母の家はマンションの最上階で、私の実家も同じマンションである。私が中学3年生の時に祖父をなくした。今でも鮮明に覚えている。祖父がなくなったのは1月1日。その日以来祖母はひきこもり状態になってしまった。家事は祖父がよくやっていた。家に遊びに行った時に祖父がよく掃除機をかけていた。言い方は悪いが祖母は人に頼っていたのである。毎晩夕食は母が作ってそれを持って行っていた。しかし、ご飯を食べるよりも酒ばかり飲んでいた。母はやめるように何度も注意をし、医者からもやめるように言われたが祖母は聞かなかった。酒を飲むことが唯一の楽しみになっていたのだ。次第に医者から酒をやめるように言われなくなった。患者が協力しなければ何の意味もない。骨粗鬆症、肝硬変などの病気にかかっていたが、治るはずもない。そして認知症に。
 大切な人を失って悲しむのは当然のことである。そして祖母だけが通る道ではない。世界中の人が生きていれば必ず通る道。通りたくなくても通る道。1年間悲しくて辛くてなにもできなかった。しょうがないね。5年間悲しくて辛くてなにもできなかった。しょうがないね。10年間悲しくて辛くてなにもできなかった。しょうがないね。死ぬまで悲しくて辛くてなにもできなかった。ノー!!私ならばこう答えるだろう。悲しくて辛いのは仕方のないこと。それをいつまでじ悲しむのか。死ぬまで?
 私ももしかしたらそれほどの悲しみに直面したことがないからそんなことが言えるんだと言われるかもしれないが、立ち上がらなければならないときがある。大切な人を失ってもなお立ち上がってたくましく生きている人はたくさんいる。むしろ立ち上がらなければ生きていけない。そんな姿を周りの人が見て、手を差し伸べてくれるのである。生きる目標を失い、アルコール依存の生活をしている人に誰が手を差し伸べようとするのか。残るは家族しかいない。面倒を見ているのは私の母。だから私の母は今本当に大変なのである。
 認知症になるまでに何かしらの方法で生きる目標を見つけられなかったのは、周りにいた人も悪いかもしれない。しかし、あらゆる手は尽くしたと思う。人はどんなことがあっても前に進まなければならないときがある。立ち止まってはいられないときがある。山を登らなければならないときがある。アルコールに悲しみを紛らわそうと決めたのは紛れもない祖母自身。己で選んだ道である。それが周りの人に迷惑をかける結果に。しかし、そんなことはすぐに忘れてしまう祖母。怒りすら湧いてくる。そんな祖母だが母は毎日は厳しいが二日に一回は祖母に会いに行っている。会うたびに喧嘩しているみたいだ。私は、「いかんでええやん」と言う。母は、「うん。でもなー・・・」。私が心配なのは母が体調を崩さないかどうかそれだけ。
 

2014年11月13日木曜日

久しぶりの再会

 
同期のお土産
昨日私がいつものように店頭に立って仕事をしていると、何やら久しぶりに見た顔がいたのである。前会社の同期のひとりであった。その同期の子は私と一緒で百貨店課の一人として働いていたのだが、一ヶ月くらい前に退職したのだ。この話を聞いたのは同じ同期仲間からである。
 私が前会社を退職してアメリカへ行き、同期のお土産としてm&mのお菓子を買って帰ったのだ。そして直接その同期たちにお土産を渡すために一日をかけていろんな店を回ったのである。ほとんどの同期はお店にいて、直接渡すことができたのだが、ちょうどその子だけ休みで他のお店のスタッフに頼んで渡してくださいとお願いをしたのである。そのお土産とメモを残して。もし受け取ったら何かしら連絡が来るだろうなと思っていたのだ。しかし、次の日やまた次の日になっても何の連絡も来なかった。なんで何も言わないんだよ、と思うこともあったし、大丈夫だろうかと心配になったこともあったが、催促の連絡はよくないので私からは何も連絡をしなかった。それは今年の5月後半だった。そして昨日、直接私に会いにお店に来てくれたということである。元気そうで本当に良かった。私もわざわざ来てくれたということで、連絡をよこさなかったことなどはもちろん不問にした。本当は以前にも3、4回ほど来てくれていたみたいなのだが、私が休みだったのか裏の仕事だったのかでお店にいなかったという。これは申し訳ない。やっと会えたというわけである。その子は退職をして、しばらく実家に帰っていたみたいだ。ゆっくりできてよかったと言っていた。今就職活動しているみたいだ。
 仕事といってもいろんな仕事がある。同じ百貨店の惣菜販売にしてもお店によって全然違う。人間関係やハードワーク、そんなこんなで体調を崩してしまう人も多い。でもそれはやっぱりよくない。ときには休憩も必要だろう。立ち止まることもありだと思う。仕事を辞め、少しのあいだ立ち止まり、そしてまた歩き出せばいい。元気が一番である。その元気から出る笑顔が一番である。私はその子との再会でそう思ったのだ。

2014年11月8日土曜日

カウントダウンをNYで

 11月になり、かなり寒くなってきた。私が働いている百貨店も繁忙期に入ってきた。お歳暮、クリスマス、年末年始。昨年は前会社のお店で働いていて、忙しかったのを思い出す。今年も忙しくなりそうである。


 東京駅に新丸ビルという複合施設があるのだが、私はよくそこに買い物に行く。そこのとあるお店に行き、いつもの店員さんがいたので、少しばかり話をした。その方が年末年始にニューヨークに行くそうだ。タイムズスクエアのカウントダウンを見にいくらしい。すごいではないか。タイムズスクエアのカウントダウンは毎年絶対に日本でも映像が流れる。15時くらいにはいないともう入れない状態になっているそうである。普段のタイムズスクエアですら人・ひと・ヒトである。私もまだ経験していないので、死ぬまでには絶対に行こうと思っている。
 そのお店の方はもうホテルや航空券も予約をしていてあとは行くだけらしい。オススメの場所とかあれば教えてくださいと言われたが、ニューヨークはどこもオススメである。歩くだけでも最高である。その方は映画『レオン』でも最後に出てきたマチルダ(ナタリー・ポートマン)がゴンドラに乗っているシーンがあるのだが、そこには絶対に行きたいとおっしゃっていた。私はそこに行ったことがない。でもそこにも行きたい。『レオン』は私の好きな映画の一つである。また“一人で勝手にロケ地ツアー”をやろうかな。『ダイ・ハード3』、『ナショナルトレジャー』、『プラダを着た悪魔』の“一人で勝手にロケ地ツアー”はやった。次は『レオン』かな。
 カウントダウンをあのタイムズスクエアで迎えるおいうのあ最高に羨ましい。私は去年もそうだったが、百貨店で働かなければならない。私は家でゆっくりするのは1日もあれば満足なので、正月に仕事があるのは嬉しいとも思う。まあ、忙しいのは嫌だが(笑)。それにしても1年経つのは本当に早いものである。