2017年11月30日木曜日

カッコいいタバコシーン

 お歳暮時期ということで仕事がめちゃくちゃ忙しいなっている。仕事の量が一気に増えたので毎日忙しいのである。気がついたらもうこんな時期になっている。早いなー。
  ヤフーニュースの一覧みたいなところで記事を見たのだが、仕事中の喫煙に関してである。それを法律的に禁止にできないだろうかというものである。私は喫煙していないので、どうでもいい話だなとおもったのだが、いろいろ記事を読んでいると、喫煙者と禁煙者との間に就業時間に不公平が生じたり、タバコのために席を外して、そこに電話がかかってきたりして、その人の仕事がこっちにまわってきたりして迷惑だったりと、思っていたよりも身近な内容だった。確かに今までいろんなところを見てきたが、喫煙者はしょっちゅう「ちょっと1本吸ってくるわ」とか「ちょっと一服してくるわ」と言ってどこか行ってしまう。これはちょっとした休憩に見えてしまう。というか休憩だろう。喫煙者にはこういう休憩があって、禁煙者にはこういった休憩みたいなものがないのは確かにおかしい話である。もうすぐオリンピックが開催されるということもあり、世界基準に合わせて室内は完全禁煙みたいになるかもしれない。確かに喫煙者の肩身が狭くなってしまうのがわかる。日本の場合、特にそれを感じてしまう。日本でも少しずつ店内禁煙とかそういうふうになってきているが、外でも喫煙スペースが限られてしまっているのが難題である。私は何度かニューヨークに行っているが、ニューヨークも完全室内禁煙になっているが、みんな外でバンバン吸っている。歩きタバコなんて当たり前で、ポイ捨ても当たり前である。道にはタバコがいっぱい捨てられている。これだったらまだ喫煙者も、「タバコを吸いに外に出るか」となるが、日本は外に出ても吸えなくなってきているのである。喫煙者を擁護するわけではないが、これは少しかわいそうだなと思ってしまう。
 話は少し変わるが、私はタバコは吸わないし、タバコのニオイが服についたりするのもイヤである。これからも吸うことはないが、例えば映画なんか観ているとよく喫煙シーンが出てくるが、その吸っているシーンはすごくカッコいいなぁと思う。例えば、『ルパン三世/次元大介の墓標』のラストでルパンと次元が一緒にタバコを吸うシーンはめちゃくちゃカッコいい。またスタローンやシュワちゃんがプライベートでも葉巻を吸っているのだが、そういうのを見てもカッコいい。そういう喫煙シーンでやっぱり外せないのが『エスケープ・フロム・L.A.』のカート・ラッセルが演じているスネイクがラストでマッチでタバコに火をつけて吸うシーンはカッコ良すぎる。スネイクはアウトローなのだが、とあることから無理矢理任務につかされてしまう。その上?の人たちからいろいろ武器やら無線やら渡されるのだが、その中にマッチがあり、スネイクは何でマッチがあるんだみたいな雰囲気を出すのだが、上の人はいろいろと役に立つから、ということだった。映画の内容は省略するが、いろいろあってスネイクは地球上のありとあらゆる場所に電磁パルスを発することができる装置を手にするのである。その電磁パルスはものすごく狭い範囲から地球全土まで操ることができる装置なのだが、まあスネイクはいろいろ利用されてしまっていたので、俺をナメるなということでスネイクは地球全土に電磁パルスを放ったのである。これによって地球は石器時代に逆戻りしたわけだが、そこでスネイクは持っていたマッチでタバコに火をつけたのである。カッコ良すぎるぜスネイク!!『エスケープ・フロム・L.A.』は『ニューヨーク1997』の続編で、『ニューヨーク1997』でスネイクは釘バットで敵をブン殴るのだが、これを観たときに、世界で一番カッコいい武器は釘バットだなと確信したのである(笑)。私が世界一カッコいい男をあげるなら、007やタイラー・ダーデン、そしてこのスネイクをあげるだろう。今あげた3人は全然違うタイプだが、みんな魅力的でサイコーにカッコいいヤツらである。


気がつけばもう12月!
今年もなんだかんだであと1カ月!
やりたいことは今のうちにやっておけ!
他人の戯言なんかゴミ箱に捨てちまえ!
しんどくなったらヤケクソ笑いでブッ飛ばせ!
世間は冬だが地獄は夏だ!
夏といったらコーラがうまい!
コーラ片手にフューリー・ロードを爆走しよう!
これが今年最後の地獄の1カ月だ!
最後までがんばっていこう!
なにかをな!!!

3 件のコメント:

  1. お疲れ様です。

    今年、こちらでは11月下旬から雪が降りはじめました。その後、SAMURAIさんところの給湯器はちゃんと直ったのでしょうか。
    冬に給湯器がないというのはこちらでは論外ですね。死活問題です。もしこっちで冬に給湯器が使えなかった場合、家賃を払う必要はないかと思います(笑)

    今回は喫煙についてということでしたが、私もたばこは吸わないのでいろんなところが完全禁煙になるのは大いに結構なことです。むしろ、遅すぎるぐらいです。喫煙者の肩身なんぞどんどん狭くなったらよい、と思います。喫煙は本当に健康を害しますし、吸っている本人はもとより、何の関係もない人も煙を吸わされること自体、本来あってはならないはずなのに、と思います。
    喫煙によって引き起こされる病気は多々あり、その治療にも国民の保険料・税金が使用されているわけですから。
    こちらの職場も一応、敷地内禁煙とはなっているのですが、吸う人は建物の陰に集まって一服しているようです。その場所がちょうど寮の角でもあるので、夏など窓を開けているときには風向きによってはたばこのにおいがすることもあります。非常に迷惑です(笑)
    仕事中に一服のために少し抜けるという人はこちらではいませんね。
    吸う人はきちんと自分の休憩時間に行っていますから、まだマシなほうなんでしょう。
    次元の墓標での喫煙シーンについては、これは前述した通りでカッコよかったですね。同感です。映画の中の喫煙であれば誰も健康を害したりしませんし、たばこのにおいに悩まされることもありませんしね(笑)

    長渕剛の曲について。
    追加でのご紹介をいただきました。いつもありがとうございます。
    長渕剛に関しては、読者業を始めてまだ1か月程度ですし、暫定リスト・awesome mix以外の曲は私にとって“非常に新鮮な時期”が続いています。そもそも曲数自体多いですし。楽しい期間です。そういえば『BLACK TRAIN』もまだ手つかずなので、映画と同様に長渕剛に関しても読者業としては当面は失業する心配はなさそうです。

    「Happy Birthday」
    これは長渕さんにしては珍しく、初々しい・かわいらしい感じがしてよかったですね。
    「走る」と同様に、とてもテンポの良い曲でした。とくに、「そんな気持ちがないわけじゃないんだ なんだか妙にドキドキしてさ」のくだりで、「気ぃ~持ち」「な~いわけじゃ」「妙~に」「ドキドキ」のところの歌い方が遊び心たっぷりでほほえましい感じでした。
    “剛らしくない”というのはおそらくこういうことなのかな、と思っていました。これはこれで全然いいですよね。


    ついでにこれも書いてしまいたいと思います。
    「耳かきの唄」
    第3弾のリストにラインナップされることは残念ながらかないませんでしたが、これも彼にしか歌えない唯一無二の曲かと思います。
    耳かきの唄がAwesome mix入りした理由は、8分41秒から始まるギターがとてもいいメロディーで印象的だったことと、以下の箇所もよかったからです。

    「どうせ一回きりの人生なら 
    潔よくかっさらわれてみるのもいいさ
    馬鹿だと世間にののしられても
    情けないほど女々しく泣くよりよっぽどましだ」

    「どうせ一生、男を張るなら変わらぬ大馬鹿者をつらぬこう
    一生、男を張るなら被害者面して逃げるのはよそう
    どうせ一生、男を張るならヤクザと呼ばれて上等だ
    一生、男を張るなら銭のカラクリなどまっぴらだ」

    “一生男を張るなら”というところが、よかったんです。
    私はどう頑張ってみても生物学的・遺伝的に“男を張る”ことはできませんが、要点はもちろんそこではなくて、自分の人生を悔いのないように真剣に生きる、というメッセージだと受け止めています。
    毎日仕事は大変だし、いつも何時間も残業です。今日は何が起きるんだろう、いつ終わるんだろう、何時に帰れるんだろう、今日もうまく対処できるんだろうかと、今でもそればっかり考えているかもしれません。毎日、こんな思いをしてまで一体何のために仕事をしているんだろう?、と。お金か?世間体か?見栄か?
    大学の同期の多くはライフイベントにおいて重要なターニングポイントをすでにこなし、仕事も家庭も“順調に”やっているように見えてしまいます。
    大阪や東京といった大都市ではどうなのかは分かりませんが、地方では“何もしていないこと”についての世間の風当たりはハンパではありません。
    私の言い分としては別に“何もしていない”わけではなく、今まで“何もなかった”わけでもなく、自分のことは自分で決めたつもりですし、それこそ朝から晩まで、さらには人が寝ている夜中でさえも仕事をして、小さい子供がいる同僚の急な欠勤や勤務交代に応じたり、働くことで社会に対して“多額の”(笑)税金を納め十分貢献していると大声で主張したいのですが(笑)
    同じくまだ“自由の身”である大学の同期と話をするときにもやっぱりどこも似たような状況らしく、困ったねと言うしかありません。地方では、世間からみれば私はやるべきことを依然としてやっていない“大馬鹿者”なのかもしれませんが、冗談じゃないですね(笑)

    以前、就職して6年ぐらい経ってようやく“慣れること”ができたので、ちょっと外に出て運動でもしたり異文化の友人でも探したりしようとした時期があったとコメントさせてもらいました。その流れで今も月に数回(2~3回行ければいいほうですが)は泳ぎに行っているのですが、行くのがどうしても平日の昼間(毎日残業ですので仕事終わりに行くのは時間的にも体力的にも事実上不可能、土日の休みは前述の通りで月に1回しかありませんので)になってしまいます。すると、泳ぎに行った先で暇を持て余しているご年配の他の会員の人から、男女を問わずいろんなことを言われるわけです(笑)なんてったって平日の昼間にいい大人が水遊びをしているわけですから(笑)両親に言われるのならまだしも、全くの他人からもさらっとそういうことを言われてしまう地方の慣習には本当に閉口してしまいます。もちろん相手にしても仕方がないのでこっちもさらっと流してますが(笑)

    「変わってゆく者が利口なのか?
    変わらぬ俺がマヌケなのか?
    出口のない答を探し悩むより
    俺に惚れてくれる奴を当たり前に愛そう」
    状況に応じて賢く柔軟に変わることができる人は利口ですし、変わることができずにウジウジしている人は、やっぱりマヌケなんだと思います。残念ですがこれはきっと両方とも真実ですね。だから社会的な格差は広がる一方なんだと思います。
    この歌を聴いて、世間からみれば“大馬鹿者”かもしれませんが、ここに至るまで精一杯やってきましたから、少なくとも自分自身ではそれに対して否定はしないでおきたいと思いましたね。(もちろん、毎日反省することばっかりですが。)
    他人からみればこれも言い訳かもしれませんし、それは自分がもっと努力しない言い訳であることも自覚しているし、もっと上を目指したとしてもそこに天井はないことも分かっています。
    長渕剛の曲には、こういった困難にあるときとか、辛いこと・思い通りにいかないことがあるときとかに(使用する表現の良し悪しはともかくとして 笑)共感してくれるというか、その程度の小さいことでクヨクヨ悩むなよと引っ張っていってくれるような歌があるのが、宇多田やWestlifeと決定的に違うところで、これが彼の曲が持つ魅力なのかもしれません。
    私は私で、「俺に惚れてくれる奴」つまり、家族や友人など自分の手の届く範囲で、“いらぬ波風を立てないよう”過ごしていきたいものだなと思います。(それも実際は結構難しいのですが)しばらく会っていなくても時々連絡をしてくれる幼馴染とか、大学の同期とかは、やっぱり大事にしたいですね。

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  2. 読者業のうち映画のほうですが、前述した予定の通りでようやく『マッドマックス2』が終わりました。

    まず初めに、ガーディアンズのときと同じく、見る順番を間違えたなと思いました。
    私は最新作である怒りのデスロードから手をつけたわけですが、さらに間違えたことに、よりにもよって『マイ・インターン』を見た後でマッドマックス2を見てしまいました。
    もう、ある意味、最悪でした(笑)
    マッドマックスに平和的な要素は決して期待してはいけないことは分かっていたのに(笑)
    エクスペンダブルズ3を見たあとでもあったので、スタローンとメル・ギブソンが戦うシーンはなんだか複雑でした(笑)ボーナストラックでも言及がありましたが、“バーニーとマックスが殺し合いをしている”わけですから…

    SAMURAIさんのご指摘の通り、最初のマックス(まぎらわしいので便宜上、1としておきます)を文字通り最初に見ておくことがカギだったかもしれません。
    1とマッドマックス2ではだいぶ表現のタッチが違う感じがしました。
    これを書いている時点で私はまだ3を見ていないのですが、1でこのストーリーの前提となる事柄を説明して、2からようやく本領発揮、といった感じでしょうか。
    親友を亡くし、妻子も守れなかった過去の自分をひきずりながら荒野を彷徨うマックスが、暴走族的なろくでもない集団と敵対し、タンクローリーのような大きなトラックを操りながらなんとか生き延びる、というのがこのシリーズの骨組みというかコンセプトであると理解しました。
    バッハなどのクラシック音楽と一緒で、最初にある種の魅力的な“型”を定めることができれば、あとはその応用・アレンジになるので、その型を起点にしてどんどん物語の世界を広げていくことができる、といった感じでしょうか。
    暴走族が車の前に人質をしばりつけて爆走するという構図はデスロードでも踏襲されていましたし、果てしなく続く荒野のど真ん中にある砦・基地を中心に描かれているのも共通していました。あとはもう…デスロードと同様、これでもかといわんばかりに次々と人が死に、車やバイクが大破して大爆発…(笑)

    マックスのタンクローリーを陽動作戦にして石油精製基地の人たちが脱出したあと、今まで大切に守ってきた基地を侵入してきた暴走族もろとも一気に爆破するシーンですが、あれもきっと本当に爆破して撮影しているのでしょう。怒りのデスロードのコメントで、「改造車から先に造った映画」と教えていただきましたが、2もおそらくそうなんだろうなと思いました。大破させるシーンをとるために、車にも基地にも巨額の製作費をかけたんでしょう。
    後からぶち壊すものに大金をかける映画製作…。現実ではとても考えられないお金の使い方です。実にもったいない(笑)

    マックスが約束通りタンクローリーを基地に持ち帰り、取り返したインターセプターにガソリンを入れて立ち去ろうとしていたところ、基地のリーダー格のパッパガーロからタンクローリーを運転してくれないかと頼まれるシーン。マックスはパッパガーロから普通に“マックス”と呼ばれていました。デスロードでは、マックスがフュリオサに名前を明かすシーンは彼の心の動きを示しておりストーリーの中で特に重要なシーンでしたが、2ではそのへんの事情はあまり重要視されていませんでした。名前うんぬんよりも、「荒野にいて幸せか?漠然と彷徨うだけで、それじゃあハイエナと一緒だ。何か事情があるらしいな。人を殺したか、家族を失くしたか」と核心を突かれてしまったマックス。一番触れてほしくないところをパッパガーロに指摘され、殴りかかっていました。パッパガーロの言葉に反応するということは、マックスはまだ本当に“狂って”しまったわけじゃなく、人間的な心がまだ残っていたからなんだと思いましたね。だからこそ苦しんでいたんでしょうし、戦いが終わってほんの一瞬だけ見せる笑みにもつながっていくのでしょう。

    …マッドマックスは観るだけで体力を使いましたね。
    読者業としてはまだ3が残ってます。これはまずいですね、大変です(笑)
    4~5時間残業した日の仕事よりも疲れるかもしれません。
    1、2とデスロードを比較すると、やはりぶっちぎりでデスロードが面白いですね。
    内容が濃いというか、重層的というか。どんどん洗練されていってるというか。
    『マイ・インターン』もたしかにほのぼのとしてよかったです。SAMURAIさんのレビューにもあったとおり「万人受け」する感じです。これは決して、悪い意味ではありません。
    マックスのような世界も、ベンのような“絶滅危惧種”レベル(“危惧”ではないかも。すでに絶滅)のいいひとも、現実的にはありえないのですが、どちらも「表現」には変わりありませんしね。
    長渕さんの言葉を以前引用なさっていたかと思いますが、「毒」だったり「薬」だったり、世の中にいろんな表現があることが、映画の世界を豊かにしているんだと思います。


    ガーディアンズのDVDを返却してからもうずいぶん経ったような気がしますが、私はいまだにロケットの背中が忘れられません(笑)
    できるものならロケットが背中をみせるあのシーンを切り取って、windowsの壁紙にして毎日パソコンの電源を入れるたびに眺めたいぐらいです。
    仕事もそうですが映画に関する読者業は遅々として進まず、今後観る予定のリストはどんどん増えていくばかりでちっとも減りませんが、たまにまたガーディアンズに戻って観たくなりますね。
    やっぱりあれは面白かったんですね。
    ロケットの、あの金属のボルトみたいなのがついている背中、触ってみたいです。どんな手触りなんだろう?触れた瞬間、ロケットに噛みつかれそうですが…

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    1. Abbyさん、コメントありがとうございます。
      映画の中ではタバコや葉巻を吸っているシーンはサイコーにカッコイイですね。
      しかし、実際に自分の周りにいるとすごく迷惑になりますね。
      風向きによってはタバコのにおいがするというのは本当に最悪ですね(笑)。
      タバコのにおいはなかなかとれないですからね。
      私は過去に肺気胸という病気になったことがあり、肺気胸になったことがある人はタバコを吸っていると肺気腫にもなりやすいとお医者さんから言われたので、タバコは吸わないと決めていますね。
      病気になるためにわざわざ吸わないです。

      『耳かきの唄』でのご感想ですが、すごく深いですね。
      世の中の流れというのか雰囲気というのか、多くの人は当たり前かの様にそうやって生きていますが、私はそういう世の中の風潮にはものすごく違和感というのか反発というのか、そういうのがありますね。
      こうしなければならないとか、こういうのが望ましいんだとか、それって誰が決めたんだよって常に思いますね。
      『ゼイリブ』という映画があるのですが、以前紹介したことがあるかそれすらも忘れてしまいましたが(笑)、本当のことが見えてしまうというサングラスがあるのですが、それをかけたらいろんなことが見えるんですね。
      街にある看板や雑誌にある広告なんかを見てみると、「従え」とか「眠ったままでいろ」、「権威に逆らうな」などと真実のメッセージが見えてしまうんですね。
      お金のお札を見てみると「これがお前の神だ」と書いているんです。
      リゾート地の宣伝の看板を見てみると「子供を産め」とか書いているんですね。
      昔からの流れももちろんありますし、世の中ってはやり“見えないものの圧力”ってあると思いますね。
      それは先ほど書いたような国や政治家、権力者からの圧力であったり、Abbyさんが書かれていたような周りの人の圧力みたいなものがあると思います。
      こうあるべきとか、みんなそうしているからとか、ほんとうにそういうのにはウンザリしてしまいますね。
      なぜ自分が周りがしていることを同じようにしなければならないのか。
      それをしなければ悪になるのか。
      そして多くの人がそれに流されている、当然のこととしてとらえているというのにも疑問を感じます。
      とくに日本ではそういうのが多いのではないかと思いますね。
      いろんな生き方があって、いろんな考えがあって、それが当然ですし、それをどうして自分の思考回路に当てはめてその人を判断しようとするのかが理解できません。
      本当に窮屈です。
      そういうのは全部FUCK OFFです。
      相手にするのも面倒ですし、そういう自分の頭で考えていない人は話をしても時間の無駄になってしまいます。
      言っても、「そういうものだから、あの人もそうしているから」としか言いませんからね。
      だからなんやねん、という感じです(笑)。


      マンガで『北斗の拳』というのがありますが、その作者は『マッドマックス2』を観て影響を受けたんですね。
      そこで登場するヒューマンガス様はちょーカッコいいです(笑)。
      イモータン・ジョー様バリにカッコいいですね(笑)。
      1作目の『マッドマックス』は荒廃しかけの世界なんですね。
      『2』以降はもう完全に荒廃してしまっているので、少し『1』は時代設定が違いますね。
      最初の作品の映画を創る際に予算の問題で都会では撮影できないということで郊外の砂漠みたいなところでしか撮影できなかったのですが、近未来の荒廃したという時代設定にしようというそういういきさつがあります。
      それがよかったんですけどね(笑)。
      『マッドマックス』シリーズはカルト映画なので、『マイ・インターン』などとは全然違うテイストですね。
      両方の良さがあります。
      私は両方楽しんで観ています。
      そのときの気分次第で観る映画が決まりますね(笑)。

      『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のロケットの背中ですが、ロケットの胸骨や肋骨が無理矢理引き延ばされていて、どれだけ過酷な実験を通して現在の姿になったかを表しているんですね。
      そのため背中にはいくつもの傷痕や金属片が残っているんです。
      刑務所でピーターがロケットの背中を見る(見える)シーンがありますが、ピーターはおそらくその“過酷さ”がわかったのだと思います。
      なので、あのガーディアンズメンバーは全員がいろんな“苦しみ”を背負っているんですね。
      ドラックスがロナンを引き寄せてしまったあと、ロケットとグルートに謝るところがありますが、そこでロケットが「お前だけが悲しいんじゃない。みんな誰にだって悲しいことがあるんだ」と怒るところがありますが、そういうことなんです。
      私はやっぱりロケットが大好きですね。
      まさかアライグマに泣かされる日が来るとは思ってもいませんでした(笑)。

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