2017年11月9日木曜日

奴隷制の悲劇

 少し前の投稿で、友達のひとりがハワイで結婚式をするという話をしたが、その友達が無事にハワイで式を挙げて帰ってきて、いつものメンバーでご飯を食べたのである。もちろん話は結婚式メインになり、いろいろ話をしていた。12月2日に披露宴とはいかないまでも1.5次会?(最近ではこういうのが流行っているみたい)をやる予定みたいだ。ずっとずっと前からそいうのは参加しないというのを伝えていたので、もちろん私は誘われていない。まだ間に合うよ、とは言われたが、行かん言うとるやろ!と何回も言ったのである(笑)。どっちみち12月2日は予定があって行けないのである。2日は東京コミックコンベンション2017(略して東京コミコン)という映画のお祭りがあって、それに参加しなければならないのである。その披露宴?に参加したくない理由はいくつかあるが、それも全部伝えてあるので、すべて了承済みである。参加しないので、それに代わるようなプレゼントを用意して、この前会ったときに渡したのである。披露宴の参加費以上になってしまったので、金銭的には披露宴に参加した方がよかったかもしれないが、まぁそれはいいやと思った(笑)。自分でもなかなかいいチョイスをしたのではないかと思う。当日にしか用意できないものだったので、待ち合わせ時間までに銀座と青山、渋谷を回っていたのである。会うときにはヘトヘトで疲れてしまっていた(笑)。よろこんでくれたので言うことはない。とりあえずよかった。
 その話の中に、その友達の旦那さんのお姉さんが今度結婚するみたいで、東京ディズニーランドで式を挙げるそうだ。お金もけっこうかかるそうだが、私はどんなにお金があっても絶対にディズニーランドでは式は挙げないなと思った(笑)。結婚という2人の間の誓いよりも、絶対にミッキーやらミニーやらのキャラクターと一緒に写真を撮ったり触れ合ったりして思い出作りをするのがメインになって肝心のものがそっちのけになるに決まっている。そりゃめちゃくちゃディズニーが好きで、憧れ?のキャラクターが目の前にいたらそっちに行ってしまうのは誰だってそうである。私も例えば大好きなハリウッドスターや長渕剛が私の結婚式にゲスト?できたらちょーハイになって握手や写真や話やらで結婚なんてどうでもよくなるよ(笑)。そりゃ(笑)。その話を友人から聞いて、ちょっとイタイなー、と自分の中で思ってしまったのである。まぁどこで式を挙げようと人の勝手なので、どうでもいいのだが。そもそもディズニーのキャラクターってそこまでかわいいのかなぁとも思う。私はそこまでかわいいとは思わないのである。スター・ウォーズに登場するイウォークだったり、チャイルド・プレイに登場するチャッキーのほうが絶対にかわいいと思う(笑)。イウォークもチャッキーもかわいいだけでなく、カッコいいし強いので、絶対にそっちの方がいいに決まっている(笑)。イウォークはともかくチャッキーをかわいいという人はそんなにいないと思うが(笑)。かわいいだけよりも強いとかカッコいいとかプラスαであるのなら、より魅力があるということなのでそっちがいいだろう、と私は勝手にそう思っている。と言いながらもまだ『チャイルド・プレイ』はまだ観ていないので、今度観てみようと思っている。

 今日は映画館に行こうと思っていたのだが、朝6時半に起きる予定が寝坊して7時半に目が覚めて、もう映画館に行く気が失せてしまったのである。寝坊もそうだが、何時なのかは覚えていないが、寝ているときに久しぶりに足が攣ってしまい、またまた激痛と戦っていたのである。そして朝起きたら足が痛くてしばらく歩けないということに。なので今日はおとなしく家にいることにしたのである。今日観に行こうと思っていたのが『ブレード・ランナー2049』で、その前哨戦ということで、YouTubeに3つの動画が配信されており、その『2049』に至るまでのストーリーが描かれており、それもちゃんとチェックしていたのに足が攣ったり寝坊したりで散々であった。今度の休みに行こうかなと思っている。以前にも言ったのだが、観たい映画が次々と公開されて、早く観に行きたいのは山々なのだが、DVDもけっこう購入していて、そっちにお金がいってしまっていたので、映画館に行くお金が・・・という状態になってしまっているのである。それに今月初めにあの『ハクソーリッジ』が発売されて、それも買わないといけないのである。というか買いに行ったのだが、私の家の最寄り駅の近くのタワーレコードに行ったのだが、売切れ?でなかったのである。発売されてすぐだったので、そんな訳がないと思って店員さんに聞いてみたのだが、全部予約している人に取り置きしているみたいで、手に入れることができなかったのである。それも今度買いに行かないといけない。本当は今日映画館に行った帰りに買いに行こうと思っていたのだが、寝坊した時点でスケジュールが一瞬にして消え去ったのでそれはまた今度、である。まぁ、まだ観ていない映画も何本かあり、それを今日観ていたのである。今日観たのはヤコペッティ監督の『残酷大陸』という18世紀のアメリカが舞台で、黒人奴隷の悲劇のすべてをさらけ出すというちょー強烈な映画であった。このDVD をずっと欲しかったのだが、もうほとんど販売されておらず、プレミア価格がついていて1万円前後していたのでなかなか手が出せなかったのである。やっぱり買おうと決めたときにはAmazonでも楽天でももう取り扱いがなく、それ以外のサイトで探しても存在しなかったので泣きそうになったのだ。そして久しぶりに探してみると販売されていたので迷わずに購入したのである。値段は9千円くらいであったが、その価値はある。というかそれ以上の価値がある。今これほどの恐ろしく強烈な映像はどこに行っても見ることができないからである。しかし、これが現実に行われていたというのを知るとものすごく恐怖を覚えてしまう。これが人間なのかと。人間がやることなのかと。私の好きな監督のひとりのクエンティン・タランティーノの作品で、『ジャンゴ/繋がれざる者』というこれも黒人奴隷の話があるのだが、今回の『残酷大陸』を観てみると、『ジャンゴ』の怒りなんて当然のことである。黒人奴隷をやっている人たち、それを正当化している人たちなんて本当に全員ブッ殺したくなる。それくらい恐ろしいのである。私はまだ観ていないが、『ルーツ』という黒人奴隷の内容のドラマがあるのだが、このラストは白人も黒人も和解?して終わるみたいだが、これにタランティーノ監督は反感を覚えたのである。あれだけのことをされといて許せる訳がないと。それで『ジャンゴ/繋がれざる者』ができた。映画の中でなら復讐できるということで、もちろん白人全員皆殺しである。それに付随していた黒人ももちろんブッ殺す。本当に想像できない世界があってコトバが見つからない。その名残が現代でも残っているのが本当に悲しい。偶然かもしれないが、私がニューヨークに行ったときに助けてくれたほとんどが黒人の方々である。優しく迎えてくれて握手してくれたし、サムズアップもしてくれたし、道に迷っている私に向こうから声をかけてきてくれたし、カッコよくクールに地下鉄の乗り方を教えてくれたし、“You're very cool!!!”と褒めてくれたし、黒人のドアマンにいつも人間のぬくもりを感じたのである。だから私は差別とかそんなのは絶対に許さない。そんなことがあっていいわけがない。絶対に人間は平等である。アメリカの黒歴史の一つであるこの黒人奴隷だが、やはりアメリカでもタブーの一つであるみたいだ。『残酷大陸』の中で、優等生の博士が出てくるのだが、黒人は人間ではないというのをいろいろ説明してくるのだが、取材班がその博士に出自は?と聞くとその博士はユダヤ系だと言う。このセリフがどれだけ皮肉で強烈なメッセージであるか。奴隷制のような残酷なことはいつでもどこでよ起こりうるという、本当に人間ってクズなんだと思ってしまうシーンだ。しかし、こういうのを自分の目で見てみないとわからないのである、その恐ろしさが。だからそういう映像というのは貴重なものなのだ。その“残酷”な映像を目の当たりにする瞬間、それがどれほどの価値を自分に与えてくれるのか。だから必要なのである。

2 件のコメント:

  1. 疲れ様です。

    ご友人の方が無事に式を終えて帰国されたとのこと、おめでたいことでしたね。

    大学の同期とかが結婚したり子供ができたりすると、どうしても何だか今までのように気軽に誘いづらくなってしまい、結局“自由の身”の仲間だけで集まったりしがちになってしまいます。別に気にしなくてもいいから呼んでね、とは言ってくれるのですが。こちらとしては気にしないわけにはいきませんから…
    もともとお互いの勤務形態が就職先によってバラバラの業種についていることもあって、たとえ自由の身であっても休みを合わせるのは結構大変で、そこにさらに“日曜日がいい”などの制約が加わるとなると、やっぱり無理なのかなぁと思ってしまいます。
    「いつものメンバーでご飯を食べた」とありましたが、そうやって結婚後にも以前のような良好な関係を続けられるということはよいことですね。

    今日は上司と先輩とともに、横浜まで行っていました。
    せっかくここまで来たんだからということで、切ったカマボコを縦にしたような形の建物のインターコンチネンタルホテルにも行って、やっと帰ってきました。
    神奈川自体は職場の研修で行ったことはあるのですが、研修施設は武蔵小杉にあったため海とは無縁で、今回は人生初のいわゆる桟橋側の横浜を見たことになります。
    ホテルの玄関には、加藤家と何とか家の結婚披露宴みたいな予定が計3件出てましたね。
    こんな都会の超有名なホテルで結婚式を挙げるには、一体何年前から予約して一体いくらかかるんだろうなどと、下世話なことを考えていました。「まぁどこで式を挙げようと人の勝手なので、どうでもいいのだが。」とありましたが、同感ですね。
    当人たちが好きにしたらよいと思います(笑)
    大桟橋には、飛鳥Ⅱの他にやたらデカいダイヤモンドプリンセスが停泊していて、豪華な共演でした。
    もちろん、豪華客船なんか見たのも人生初です。
    船、というといつも思い出すのはこれです。10年以上前かと思いますが、地元の港に北朝鮮船籍の万景峰号が停泊していたことがあったので野次馬をして見に行ったこともありましたが、かたや豪華客船、かたや北朝鮮…
    現在は政府による経済制裁が発動されてから久しいせいか、もうお目にかかることはないみたいですが。

    以前ご紹介いただいた『ハクソーリッジ』の他、『残酷大陸』『ジャンゴ/繋がれざる者』についてですが、これも考えさせられるところが満載でとてもおもしろそうですね!
    『パルプフィクション』『キングスマン』等の、今後の“読者業”の予定に追加しておく必要がありそうです(笑)
    タランティーノ監督の件がありました。これ幸いと無理やりそれにこじつけて(?)、『ヘイトフルエイト』、ついでに『次元大介の墓標』について“読者業”用のコメントを書いたものを、ここにコピペさせていただこうかと思います。書いた後、どこにuploadしたらよいかなぁと思ったまま、そのままにしていたので…


    『ヘイトフル・エイト』
    どんなストーリーなのかほぼ基礎知識がない状態でまず見たので、理解するのが大変でした。最初さらっと見ていたのですが、なかなか難しいので途中で止めたり巻き戻したりしながら見てました。

    SAMURAIさんの投稿でも取り上げられていた、オズワルドが正義について語り出す例のシーン。文明社会でいう正義と、西部の正義との違いについて言及がありました。
    西部の正義では、「複数の欲求が満たされる」「正しいことだと信じて過ちを犯す」との相反する側面がありました。
    また、「偏見のなさこそ正義の神髄。偏見を持って下された正義は本当の正義ではない」、とも。
    オズワルドは絞首刑実行人と言っていますが、実際はジョン・ルースを殺害しドメルクを奪還しようとしているれっきとした悪党のうちの一人なわけです。…そんなヤツが正義をえらそうに語るなよとまずツッコミたいところですが(笑)

    キックアス等で正義とは何かについてSAMURAIさんは投稿なさっていますし、コメントも何度かいただいていました。「ヒーロー自体が異常者だ」と。
    悪党はもちろんヒーロー自体がすでに異常者なのであれば、本当の正義は一体どこにあるのか?いいか悪いかの線引きは人によって違うから、答えはでない。だから自分の考えをもつことが大切だ、とのことでした。
    文明社会での正義も西部の正義も、関係するすべての人の欲求を同時に満たすことはできません。片方にとっては良くても、もう片方にとってはふざけるなということになります。
    だからこそ西部の正義では“複数の”という言葉がついているのだと思います。決して、全部の、ではないのです。
    アメリカのある社会学者がいるのですが、この人の著書は職業倫理を考える際に必ず引用され、私たちのような領域の業種につく人にとっては専攻を問わず必ず学生時代に、それも専門教育に入る前に必ず読んでおかなければならないほど、超がつく有名なもののうちの1冊です。(これを知らない人はモグリだと断定しても大丈夫です(笑)もしそういう人がいたら、少なくともその人は大学教育を受けていないことが簡単に推測できますね。)
    この教授は著書の中で、「同時には到底満たすことができない問題を何とか満たそうとするから葛藤が生まれる」と述べています。文章の文字だけみれば至極当然、当たり前じゃないかと思うところですが、でもそれをきちんと研究して学問として指摘したところがこの教授のすごいところです。
    正義もこれに似ていると思います。人によって価値判断の線引きが違う問題を、両方同時に満たすことなどそもそも不可能であり、だから正義にも正解がないのです。
    また、世の中に偏見のない人なんか存在しないと思います。私なんか、偏見の塊みたいなものです(笑)もし偏見がない人がいるとしたら、それこそまさに“弥勒菩薩の化身”でしょう。ではオズワルドが言うように、偏見なく正義を行使するにはどうしたらよいか?
    私は、「法律とかでルールを決める」しか方法がないと思いますね。
    もちろん、偏見だらけの人間が法律を作るわけです。そしてどの人間が法律を作るかも、どうやって作るかも、正しい答えがあるわけではないのです。
    それでもいったん「法律」がつくられてしまえば、それに沿ってさえいれば「偏見のない正義」なんだと私は思います。(もちろん、「法律」の内容は、少なくとも社会通念上、常識的な水準を満たすものであることが前提ですが、ここでは「法律」の内容が“真に正しいものであるか”は問わないのです。それは、たとえ問うたとしても正解はありえないからです。)
    正義というのは、空っぽの容器のようなものかもしれませんね。社会を社会として成り立たせて維持するためには絶対に必要で、でもどんなに探しても実体はみつからないような。
    どんな立場の人間の欲求でも同時に満たしてくれるような正義なんて存在しないのなら、
    世の中が平和になって穏やかに暮らしていくためには、私たちはまず自分の手の届く範囲の人たちと幸せな関係を維持する努力をするのが肝要なのかもしれません。
    一人一人が、無駄な争いをせず他人に対して敬意と感謝を持つこと。
    誰もが映画のような世界中の悪をたたきつぶすヒーローにはなれません。スーパーマンのような特殊な能力もありません。
    平和な世界というのはきっと、そういう小さいけれども穏やかな関係が無数に寄せ集まった状態なのかなと思いますね。

    床下からウォーレンが銃撃されるシーンにはびっくりでした。
    まさかまさか床下にも誰かがいるとは…(笑)


    『LUPIN THE ⅢRD 次元大介の墓標』
    まず、悪党次元も相変わらずカッコよかったです。ありきたりな感想になってしまいますが、いいものは仕方がない(笑)カリオストロの城のような“ほのぼの要素”が全くないほうが、ルパンや次元のカッコよさがより明確に際立ちます。
    やっていることは泥棒の片棒担ぎなんですが、銃や狙撃へのこだわりに一切妥協がない次元。ここがいいですね。
    印象的だったシーンを取り上げるなら、もう絶対にココでしょう。
    「お前がどれだけ軽い銃を使おうが知ったこっちゃないが、俺に言わせりゃロマンがねぇな」

    「別に俺たちは正義の味方じゃねえ」
    「一介の泥棒と」
    「一介のガンマン」
    「…格別な味だ」
    普段暗めの色のスーツばかりを着ているイメージの次元ですが、この作品ではルパンも次元もカラフルでオシャレでした。ジバンシィとかフェンディとかって言ってましたね。
    パリやローマで、すっきりと晴れた日には次元も鼻歌まじりでお買い物してるんでしょうか(笑)次元のワードローブ、見てみたいものです。

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    1. Abbyさん、コメントありがとうございます。
      確かに今まではみんな独身ということでお互いに時間的に余裕がありましたね。
      なので、今回友人の一人が結婚したということでこれからどうなっていくのかはわかりませんが、とりあえずしばらくはこのままいくのではないかと思っています。
      例えば子供ができたとかなればAbbyさんのおっしゃる通り、気を使ってなかなか予定を合わせるのができなくなってくるかもしれません。
      そもそも子育てをしていたら遊んでる余裕なんてないとも思ってしまいますが。
      今月の1日に、私の兄に子供が生まれ、7日に奥さんと赤ちゃんが退院して今家にいるみたいですが、やはり大変そうみたいですね。
      それを聞いていたら時間をつくる余裕なんてなさそうですね。
      すみません、話が脱線しました。

      Abbyさん、横浜にいらしていたのですね。
      ついこの間まで天気が悪い日が多かったのですが、ここ最近はすごくいい天気が続いているので、そして横浜ということですごく過ごしやすかったのではないかと思います。
      みなとみらい21とか観覧車とか海とかそういう街並みを見ると、横浜にきたなぁという感じがしますね。
      時々ですが、一人で横浜の街を歩いたりしています。
      ぷらぷら歩きながら、たまには横浜に来るのもいいなぁと思いますね。

      『ヘイトフル・エイト』、『次元大介の墓標』をご覧いただき、ありがとうございます。
      『ヘイトフル・エイト』ですが、確かに一度観ただけでは難しい作品だと思います。
      2回目を観れば、誰がどうウソをついているのかわかるので、それを追って観たりすればもっと楽しんでみることができると思います。
      『ヘイトフル・エイト』を少しだけ紹介します。
      というかもっと早く紹介するべきでしたね。
      すみませんでした。
      過去に少しこの『ヘイトフル・エイト』について触れたことはあったと思いますが、「観たよ」くらいだったような気がします(笑)。
      『ヘイトフル・エイト』を合わせてここ最近のタランティーノ監督の3作品が“復讐”がテーマの作品なんですね。
      『イングロリアス・バスターズ』、『ジャンゴ/繋がれざる者』、そしてこの『ヘイトフル・エイト』なんです。
      『イングロリアス・バスターズ』はナチズム、『ジャンゴ』は黒人奴隷、『ヘイトフル・エイト』は南北戦争の話です。
      以前にも紹介しましたが、『イングロリアス・バスターズ』はナチ全員皆殺し、『ジャンゴ』も白人全員皆殺しのストーリーです。
      “フィクションの力で歴史を変える”というのをやっています。
      フィクションの力で「本当は叶わなかった復讐」を映画の中で遂げているんです。
      しかし映画の中とはいえ歴史を変えることになります。
      それにタランティーノ監督は10年悩んだと言っていました。
      しかし、今回の『ヘイトフル・エイト』をつくる際に、タランティーノ監督は「じゃあそれでいいのか、復讐だけすればいいのか」というのを考えたんですね。
      恨みを持って殺し合っていればいいのか。
      ここでは二重にも三重にもクセのある連中が登場しますが、みんなそれぞれ自分の“正義”があるんですね。
      その自分の“正義”がある中で戦うんです。
      そしてタランティーノ監督は、“フィクションにはどれだけの力があるのか”というのを訴えかけているんですね。
      フィクション(ウソ)でしかできない心の動かし方があるのではないか、と。
      前2作品の『イングロリアス・バスターズ』や『ジャンゴ』もそうだし、その他の映画や小説、音楽でもそうですが、内容としてはフィクション、ウソです。
      でもその作品の中では“本当”だといってやっています。
      しかし、『ヘイトフル・エイト』では映画の中ですらそれは“ウソ”だってわかってるけど、それの良さがあるよね、ということを伝えようとしているんですね。
      ホラ話でしか伝えられない感動というものがあって、その感動そのものは真実なんだ、と言っているんです。
      すみません、なんだかわかりにくくて抽象的な話ばかりになっておりますが(笑)。
      この作品でも“正義”がキーワードとして出てきますが、“正義”の正体とは何なのか、対立する“正義”がぶつかり合ったときに何が起こるのか、そういうのをみせてくれるんですね。
      一歩踏み込んだユニークな作品なのではないかと思います。
      最後のシーンでリンカーンの手紙を読むときには涙が出るんですね。
      全部“ウソ”なんですが(笑)。

      『次元大介の墓標』は『血煙の石川五ェ門』と同様にハードボイルドな作品だったと思います。
      両作品ともめちゃくちゃおもしろいですよね。
      言葉が出ないくらいにおもしろいということですからそれは仕方がありませんね(笑)。
      以前このブログのどこかに書いた記憶がありますが、『カリオストロの城』は宮崎駿が創ったルパンで、それがなんだか世界中に広がって「ルパンは優しい」みたいになっているのが原作者のモンキー・パンチは鬱陶しがっているんですね。
      あれは宮崎のルパンであって俺のルパンじゃないと。
      もし、絶体絶命の状況でルパン自身が助からないかもしれなかったら、そこに女の子がいたとしても女の子をほったらかして自分だけ逃げるというのが俺のルパンだと。
      いやー、モンキー・パンチもかっこいいですね。
      私もモンキー・パンチに同感です。
      だってルパンや次元は悪党ですからね。
      悪いことをしているヤツらですから。
      でもそれがカッコいいんですね。
      私もこの作品で次元がきているスーツがジバンシィやフェンディというのを知りました。
      ちなみに次元の帽子はボルサリーノです。
      敵役のヤエル奥崎は全部同じスーツでプラダを着ていましたが、全部同じというところに彼のオシャレを感じましたね。
      それはルパンもほめていましたね。
      どのシーンを取っても見逃せないカッコいいスタイリッシュな作品だと思います。
      この作風で次回作も作ってほしいですね。

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