2012年12月17日月曜日

Heavenはそう遠くはなかった

私の部屋は当たり前だが寝るときにはカーテンをしている。そして朝起きた時、カーテンの隙間から光が差し込んでくるのだが、その光の強さでだいたい天気がわかる。今日は光が強かった。つまり・・・・・、晴れだ!!久しぶりの晴れである。雪や雨が続いていたが、今日は太陽だ。何かいいことがありそう、というカンは当たった。以前内定をひとつもらったのだが、今日はもうひとつもらった。嬉しい。嬉しすぎる。もうそれしかない。
 今年は今までで一番辛い年だったかもしれない。何もかもがうまくいかない。死んでしまいたくなる程苦しくて悲しい時もあった。人間とはこんなにも薄っぺらいモノなのかと嘆く時もあった。己の人間力が試される瞬間だった。それがずっと続いていた。自分でも言いたい。「よくがんばった」と。
 私はあまり自分のことを褒めることは少ないが、今年はよく頑張ったと思う。よく耐えたと思う。頑張り抜いたと思う。よく戦ったと思う。よく最後まで諦めなかった。振り返れば涙が出てくる。今年で私は何倍も何倍も成長したと思う。自分で自分を褒めてやりたい。
 就活は今週で終わると思う。今残っているところは最後までやり遂げたい。大学のキャリアセンターの方とも約束をしている。自分でもその方に「今受けているところから全て内定もらいますよ」と。長かった就活ももう終わる。本当に長かった。人よりもうんと社会勉強をした。私は強くなった。
 今週末大阪に帰るが、やっと胸を張って帰れる。家族にいい報告ができそうだ。1年以上をかけた就職活動も改めて話をしよう。常に頭の中にあった「就職活動」という文字の鎖を断ち切ることができる。本当に心からゆっくりできそうだ。
 今残っている企業はあと二つ。ここからも内定がもらえるように最後までやり遂げよう。“Heavenはそう遠くない。日々近づいていっている。”本当にそうだった。それほど遠くはなかった。日々近づいて行っていた。

2012年12月16日日曜日

アメリカ銃乱射事件

先日起きた、アメリカでの銃乱射事件について少し書きたい。私の恩師もこの銃乱射事件のことを書いており、それも参考にさせていただきたい。
 コネチカット州という州で起きたのだが、日本ではそんなに衝撃的に伝えられてはいないが、この州は全米でも有数の豊かな(おそらく全米No.1の所得を誇る)らしいのだ。古くから産業革命が進んだ工業州で、軍需産業も盛んという。原子力潜水艦ノーチラスが進水した州でもある。また、NYCのすぐ西側にあり、富裕層が郊外感覚で住むところなのだ。州都ハートフォードは保険会社が集まる保険の首都と呼ばれる街。だから治安が圧倒的にいいのだ。こういう事件とはほとんど無縁の州だったわけである。
 犯人の精神的な問題が少しずつ報道されている。その動機云々はともかく、日本では依然として銃規制についての報道が目立つ。いいかげん、ちゃんとアメリカの銃社会の本質というか、自由と民主主義にかかわるアメリカの基本的な姿勢について語ってもいいのではないか。
 民主主義の根幹は、自分の自由を守るためにあり、権力に対抗するために銃を保持するというアメリカの姿勢は、日本のマスコミでは、なかなか語られることがない。だからいつまでたっても日本人は、本当のアメリカを理解することができないのではないか。
 私もアメリカ社会における銃規制はある程度必要だと思うのだが、同時にこう思う。自由や民主主義という概念は、日本のマスコミが謳いあげるような安っぽいヒューマニズムではない。

 こういう事件が起こるたびに、「アメリカは怖い国だ」、「危険な国だ」と声を発する者がいるが、聞いていて腹が立つ。どこの国にいたって、殺されるときは殺される。日本も例外ではない。人間味の温かさから言えば圧倒的に日本よりもアメリカの人々のほうがいい。人生と楽しむ天才のアメリカ人。それにはついつい憧れてしまう。現代は昔よりも世界は近くなった。しかし、「見えない壁」はまだまだ立ちはだかっているの明らか。この島国である以上、それは仕方のないことかもしれないが、その「自分自分」の考えはもう通用しないことを認めたほうがいいだろう。世界からもっといろんなものを学ぼうという意識さえもこの国では起こりにくいのかもしれない。まずは意識的な改革が必要だと思う。

道具ではない

 前の投稿で政治のことについて書いたのだが、今回もその続きを少し書きたい。つい先程、とある人から電話があったのだ。「○○党に一票入れてほしい」とのこと。この電話の主はあるところで知り合ったのだが、もう1年半以上も連絡を取り合っていなかった。正直、それきりの友達であった。いや、友達というよりもただの知り合いだ。私としてはもう二度と会うことはないし、会いたいとも思わない人だった。しかし、急に電話でそのようなことを告げられた。何を言っているんだこいつは、と思った。私はその人のことは好きではないし、多分その人も私のことは好きではない。それなのにどうして選挙があるから一票入れて欲しいというなんとも厚かましい意味のわからないお願いをしてくるのだろうか。そもそも、選挙は自分で考えてどの政党がいいのか決めて、自分の意志で一票を投じる。どうして人のお願いに従わなければならないのだろうか。選挙前になると、○○の政党に入れて欲しいというお願いをよくされる。大阪にいても、わざわざ自宅まで来て、「よろしくお願いします」と。
 今回、私が意見したいのはこの選挙に関してもそうなのだが、人を選挙の道具に使わないでくれということだ。仲がいい友人であれば、選挙でどの政党に入れるのかの話はするが、仲がいいとも言わない、お互い会う気も話す気もない間柄で、どうしてこんな時に電話ができようか。「久しぶり」とあたかも機嫌を伺うような話し方で、なおさら腹が立つ。適当に受け答えして電話を切ったが、腹が立ってしょうがない。人間を舐めている。向こうも会う気がないのに、こっちに来たら連絡をしてくれ、だと。今まで一回も連絡ととっていないくせによくそんなこと言える。いいかげんにしてくれ。まあ、これが「付き合い」というものかもしれない。社会に出たら、この「付き合い」で行きたくもないところや話したくない人とも話をしなくてはならなくなるのだろう。


 月曜日の夜、また就活で東京に行く。そしてそのまま大阪に戻る予定だ。10月下旬以来の大阪だ。なんだかかなり時間が経ったように感じる。アルバイトも入れてもらえそうだ。年末年始はどう過ごそうか。毎年恒例のバーゲンセールに年始から走ろうか。去年はそうであった。最近、ただ見るだけのウィンドウショッピングばかりで何か欲しい。交通費ですべてが消えてしまっているので、こんな贅沢はできないが。結局生まれ育った場所が一番落ち着くのは、誰でもそうなのかもしれない。私は間違いなく、都会の人だ。大都会の方が自分に合っている。というか都会を求めている。年をとったら田舎の生活に憧れるのかもしれないが、私はもっともっと都会でいろんなものを吸収した。人にもまれて大きくなりたい。疲れたって、ストレス溜まったって、それ以上の刺激を与えてくれる都会がいい。だって若いんだから。と、大阪に帰る日が近づいてきて、つくづくそう感じるのである。

2012年12月15日土曜日

どう見る、この国を

地鳴りのような轟音を上げ煙を発しうごめく巨大な船影。1953年、ペリー提督率いるアメリカ艦隊が浦賀湾沖に姿を現した。世に言う“黒船来航”である。いきなり目の前に現れた圧倒的な力。あるおのは武器を手に、あるものは知恵を絞り異国へ立ち向かった。
 近代日本の礎を築いた“坂本龍馬”もその一人だ。「世に生を得るは事を成すにあり」(司馬遼太郎著『竜馬が行く』より)。当時19歳の若者この時を境に「日本国」のため自らの一生を捧げることを決意。諸藩が力を合わせる必要性を説き、薩長同盟を実現させ大政奉還を成し遂げた。
 黒船来航から約150年。当時2週間あまりかかった京都東京間新幹線でわずか2時間半。その気になれば、日本中どこの情報だろうと一瞬で手に入る。一方で続いている未曾有の経済危機。年々強大になる経済力を背景に干渉を繰り返す隣国。この現在の日本が龍馬の生きた時代、幕末と重なる。では、今の日本に志を持ち、国難に立ち向かった龍馬のような若者はいるのか。
 36.0%ー。2007年7月29日に行われた参議院議員選挙での20代の投票率だ。他の先進国と比べても、極端に低いこの数字。若者の政治離れは、低下する学力同様、危機的状況と言える。確かにグローバル化社会の進展で国際状況が複雑化する時代。選挙で一人が投じる一票が国を劇的に変えることはできないかもしれない。しかし、だからと言って、「国民」としての義務を放棄してよいはずがない。
 33歳で暗殺されるまで「日本国」のために命をかけた龍馬。短い生涯を閉じた若者は霊山護国神社で幕末の志士たちとともに、ひっそりと眠る。京都市内を一望できる東山で世界を、そして私たちをどのように見ているのだろうか。

バタフライ効果

 今年ももうすぐ終わりに近づいている。今年も早かったかな。今年は就活三昧の年であった(笑)。数億倍成長した年である。これでまた話のネタが増えた。実に素晴らしい社会経験をさせてもらった。大変で辛い年ではあったが、これで私も少しは強くなった。もしかしたら青森よりも東京で過ごした日にちの方が長いかもしれない。改めて移動距離を調べてみようと思う。



 青森に戻ってきた日、大学に行ったのだ。またキャリアセンターに現状報告しに行くためにだ。キャリアセンターの教室に行く途中に、最近かなりご無沙汰していたが、私の好きな教授のひとりであるH教授にあったのだ。この先生とすれ違うたびに毎度毎度立ち話をしてしまう。私のことを気にかけてくれているみたいなので、本当に嬉しい限りだ。久しぶりという話になり、私がまだ就職活動をしています、と言うと驚いた顔で、「君だったらすぐに決まると思っていたのにね。企業も見る目がないね」とおっしゃっていた。さすがH先生、わかっていらっしゃる(笑)。もうすぐ卒業ということで、今お世話になっている教授とはお別れになる。出会いがあれば別れがあるが、寂しいものは寂しいものだ。今度は立ち話ではなく、ゆっくり話をさせていただきたい。
 キャリアセンターに行ったのはいいものの、またまたいつもお世話になっている人と2時間以上も話し込んでしまった。内容は世間話であったり、東京の話であったり、アメリカの話であったり。私としてはそれが楽しくてしょうがない。その方も「今日も楽しかったわ」とおっしゃってくださるので、いつも来てよかったと思う。人生の先輩からも学ぶものは多い。


先日、東京で泊めてもらっている友人から「バタフライエフェクト」という映画を紹介してもらった。この映画は実に興味深かった。このバタフライエフェクトというのはバタフライ効果という意味である。バタフライ効果というのは、蝶が羽ばたいた時、地球の裏側で竜巻が起こるというものだ。つまり、どんな些細なことでも多大な影響を及ぼしているかもしれないということだ。
 映画の詳しい内容には触れないが、主人公は大人になって、子供の時に書いていた日記を読むと過去に戻れるというものだ。いつに戻ってやり直しても、必ず誰かが悲しい思いをしているという結果になる。そして最後に主人公が選ぶ道があるのだが、これがなんとも切ない。
 この映画を見終わった時、いま自分がしてることについて考えてしまう。いま自分がしていることが、未来に大きな影響を及ぼしているかもしれない。どんな些細なことでも未来は大きく変わってしまう。そう考えれば、いま自分がしていることが未来にどのような影響を及ぼしているのか、恐ろしくらいに気になってしまう。うかうかなんてしていられないとも思うし、ついつい先々のことを考えてしまい、行動に移せなくなってしまうかもしれない。複雑な気持ちになってしまう。
 しかし、現実に存在するのは「今」だけだ。過去も未来もない。未来は「今」の積み重ねなのだ。先々のことを考えるのはいいことかもしれないが、未来が保証されていなかったら行動に移さないのはただの敗者だ。未来が保証されていなかったら何もしてはいけない人生など、何が面白いのだ。私たちはこの映画の主人公とは違い、過去に戻ってやり直すことはできない。人生には練習もリハーサルもない。常に本番なのだ。未来にどんな影響を及ぼすのか。そんなことわからなくとも、必ず何かしらの影響を及ぼすことは分かっている。それならば、今、教養を身に付けよう、友情・絆を深め合おう、自分の認識・価値観を広げよう、社会勉強をしよう、・・・。やるなら今。今、やることがある。蝶が羽ばたいた時、地球の裏側では竜巻が起こっていることを信じて。

2012年12月14日金曜日

お互い頑張ろうか

 昨日青森に戻ってきた。やはりこちらは雪が積もっていて、かなり寒い。夜行バスで朝青森に着き、母から根昆布を買っておいてくれと頼まれていたので、駅前に市場があるのだが、いつものところで根昆布を買った。そういえばもうここに来るのも数えるくらい。大阪まで配達できるか尋ねると、もちろんとのことであった。


 
今回は1週間ほど東京にいた。土日以外は全て就活で埋まっていた。こちらに帰ってきてからはホッととしたのかかなり疲れていることがわかった。水曜日の夜にバスに乗ることになっていたが、就活が終わった後、最初のボランティアで知り合った友達と会う約束になっていた。明治大学の学生で、御茶ノ水にキャンパスがあるのだが、私が就活が終わってからそちらに向かった。2014年度卒の就活が始まっていて、明治大学にもたくさんのリクルートスーツを着た学生がたくさんいた。なんでも、毎日企業説明会が大学であるのだとか。しかも有名企業ばかり。さすがブランドのある大学は違う。
 その友達は今3年生なのだが、就活はしていない。将来、司法試験を目指していて、大学院へ行くために今猛勉強中なのだ。毎日夜中の2時3時まで勉強しているそうだ。彼も私が尊敬する友達の一人だ。勉強が忙しく、今回もゆっくりする時間はなかったが、楽しい時間を過ごすことができた。
 彼とは似ているところがある。その似ているところの話をしたりして、どう思っているのか、聞いてみたりした。今回話しをしたのはいくつかあるが、「人付き合い」について話をした。彼も私と同じで、好き嫌いがはっきりしている。彼に自分で人付き合いが苦手だと思うかと聞いていると、そうは思わないと。私も同感だ。その他にも、「約束」についての話もした。彼ほどの人格のある人と話をしていると話をしていて楽しいし、学ぶものも多い。
 ご飯を食べたあと、彼が文房具屋に行きたいと言い、お茶の水駅前の文房具屋へ行ったが、彼の欲しいものはなく、新宿の文房具屋に行った。膨大な資料があるらしく、それを整理するために必要らしい。資料の一部を見せてもらったが、意味不明だった(笑)。司法試験となれば生半可な気持ちでは太刀打ちできないことがわかる。
 焼肉食いたいな、という話をしながら別れた。落ち着いたらまたゆっくりご飯でも行こうか。来年の夏から秋にかけて大学院の試験が始まるらしい。今はそれに向けて猛勉強。彼も頑張っている。私も頑張らなければ。別れてからメールを送り、彼からの返信メールが面白かった。「お互いギリギリ死なない程度にはがんばろうか」(笑)。そうだな。死ぬ気でやろうな、死なないから。
 彼は小さなノートに自分を奮い立たせるための名言をメモっている。そして自分でも言葉を作っている。今感じたこと、思ったことを言葉として文字化している。この文字にするところは素晴らしいことだと思う。文字にすることにより、それは確実に現実とかする。彼も自分に厳しい人だと思う。見習わなければ。
 彼に一つ名言を贈ろう。

 “行く価値のある場所には、近道などひとつもない。” ~ビヴァリー・シルズ(オペラ歌手/アメリカ)~

2012年12月4日火曜日

教職最後の授業

 明日の夜、東京に向けて出発する。12月になった。次の新卒採用が始まったということだ。焦りはないと言ったらうそになるだろうが、勝負の月になりそうだ。今受けている企業からすべて内定をもらうつもりだ。迷う時間はない。
 今日は大学へ行き、キャリアセンターにお邪魔した。最近お世話になっているのだが、就活状況を報告しに行ったのだ。「もっと早くこればよかったのに」、と以前言われたが、前にも言ったように私は反キャリア側だったので、利用しなかった。しかし、キャリアセンターの方が非常に私と話が合うので、それを楽しみに行くようになっている。今日は2時間半くらい話をしてしまった。内容はもちろん就活のこととプラスαだ。今日の話で大分私のことを理解してくれたらしく、私もその方の話が非常に面白いので、すべてが終わったらゆっくり話がしたい。いやー、実に楽しい時間であった。



明日、教職の授業が最後なのだが、教育実習に関しての発表をしなければならないのだ。20分以内でという話で、その様子をDVDに撮るのだ。DVDに残すほどの者ではないと思うが、私の代が教職課程のパイオニアなので、教授たちも張り切っているのだろう。それはそれとして、何を発表するのか話をまともていたところだ。自分が担当していた現代社会の範囲もすっかり忘れてしまっていたので、復習していた。といっても20分くらいしかないので、感想を言えば終わりのような気もするが。
 そういえば、教育実習中に生徒から、大学では何を学んでいるのか、という質問を受け、経済を学んでいると答える。そもそも経済とは何なのか。経済を学んだとは言え、詳しく語れるくらいのレベルではないが、「経済」という意味くらいなら説明できる。経済の意味は、「経世済民」である。文字通り、「世をおさめ、民をすくう」である。何と素晴らしい学問なのだ。これを聞いた時はそう思ったのだが。
 この経済という訳語の作者は福沢諭吉だ。福沢諭吉と聞くと私はどうもいい感じがしないのだ。この国の最高紙幣となっており、偉大な人物の一人となっているが、私は好きではない。何故なら福沢諭吉は戦争を擁護しているからである。前期の福沢諭吉は偉大なのだが、後期の福沢諭吉がだめなのだ。西洋は文明的でアジアは野蛮であり、日本は半野蛮だから、他のアジアの国を発達させるために植民地化することは正しいといったのだ。このことを日本は隠そうとしている。『脱亜論』だ。韓国の方々はこのことをかなり不満に思っているそうだ。だいたいなぜこの人が最高紙幣となっているのだろうか。紙幣とは国の象徴である。しかも最高紙幣である。この国はこういう方針で行きますよ、と言っているようなものだ。
 話がこのようにずれてきてしまったのだが、身の回りのことでももう少し興味を持った方がいい。「これはなぜこうなのか」、「どうしてなんだろう」、「なぜだろう」。そこから勉強が始まる。まあ、どうでもいいが明日の発表どうしようか。

2012年12月1日土曜日

東京大学駒場祭

 今日の朝青森に戻ってきた。朝は雪が積もっていなかったのだが、夜になるまでに雪が積もった。去年は雪が多かったが、今年はどうなることやら。
 いつもバスに乗って朝青森駅に到着し、そこからうまく行けば下宿行きのバスに乗れるが、うまくいかない場合は2時間も3時間も待たなければならないときがある。休日のバスの便数は極端に少ないのだ。平日も少ないが休日はもっと少なくなる。青森に住んでいるとバスの時間を気にしながら生活しなければならないのが一番嫌なことだ。大阪や東京で生活するとその様なことはまず心配しない。行ってしまってもすぐにまた次の電車が来る。青森ではバスが行ってしまうと次に来るのが数時間も後になることもしょっちゅうだ。ただでさえ人間は時間に縛られて生きているので、交通機関を利用するときくらいは時間を気にしなくてもいいようにしたいものだ。


先月の11月25日(日)、就活もなく夜に青森に戻る日だったのだが、特にやることもなかった。ちょうどその日に東京大学の大学祭がおこなわれている日で、東京の友人も行けるということで少しだけだったが、東京大学の駒場キャンパスに行ってきたのだ。東大の大学祭は五月祭と駒場祭があるのだ。駒場祭は教養学部前期課程のみで構成される駒場祭委員会により開催されている。
 人がたくさんいて私の大学の大学祭とは大違いであった。400を超える企画が参加するこの駒場祭。企画されているイベントなども高度でさすがは日本一の大学という貫禄であった。この駒場祭にな毎年テーマというのが掲げられている。今年のテーマは、“Festaholic”だ。Festival(お祭り)+holic(~中毒)でこのテーマとなり、駒場祭に思いっきり打ちこんでほしいという思いと、駒場祭に来てくださるお客さんにその思いをしっかり伝えようという誓いが込められているそうだ。このテーマはもちろんだが毎年違う。私は過去のテーマを見てすごく感動したのだ。これぞ日本一の大学!!というのがまざまざと伝わってきた。日本を動かすにはこれほどの知恵と力が必要なのだということが分かる。私が一番気にいったのは、32回のテーマ「時代の奔流に世界が眠りこむ今 真理を叫べ 警笛を鳴らせ 世紀末の暗雲を突き破り 飛翔しよう!」だ。そのテーマによって時代背景が見えてくる。最近のテーマは短くまとまっているのが多くなってきているが、私は昔の方が好きである。どれもふつふつと力がみなぎってくる美しいテーマで、これはもはや名言の域に達する。まあ、今回大学祭に足を運んだのは、東京大学をいろいろ調べている時に、この大学祭のテーマを見つけたので、興味を持ったのだ。実にすばらしいテーマである。