2017年3月26日日曜日

“まとも”

 今回はiPhoneから投稿しているのだが、パソコンの調子が悪いみたいで、エラーが表示されて更新できない状態である。それを解決しなければならないのだが、私はこういうのが苦手なのでなかなか解決できずにいる。自然治癒するかも、と甘い考えでいるのだが、まずそれはあり得ないだろう。なんとかして解決しなければならない。

 会社事情なので詳しいことは書けないのだが、今働いているお店が閉店することになり、4月下旬から違うお店で働くことになった。異動である。なので今閉店に向けていろいろ準備しているところだ。何をやればいいのか全くわからないのだが、とにかく片付けやらを進めているところである。

 最近また寒くなってきている。そろそろ桜が咲くみたいなのだそんな気配はみられない。というか私が気付いていないだけだと思う(笑)。といっても桜が咲いたところで花見なんか行かないし、花見してるヒマなんてない。休みはあるから花見できるのだが、花見に休日は使いたくない。一人でゆっくりテキトーに歩いて桜なんか見て回るのはいいのだが、人と集まってお酒を飲んだりするのは面倒である。まあそれが楽しみの人も大勢いるはずだ。まだまだ寒いのに、お酒を飲むのが意味がわからない。トイレ事情もあるだろうし、どうしてわざわざそんな苦行を自ら選ぶのが理解できない。文句いってもしょうがないのでここまでにしておくが。

 5月に映画『ガーディアンズオブギャラクシー:リミックス』という映画が公開されるのだが、これは続編で、『ガーディアンズオブギャラクシー』が一つ目の作品なのだが、この映画もめちゃくちゃすばらしい映画であった。アメコミのマーベルの作品が原作なのだが、マーベル作品で感動して泣いたのはおそらくこの『ガーディアンズオブギャラクシー』が初めてだと思う。随所随所涙が溢れてしまった。ストーリーはいってしまえば、ありきたりな内容なのだが、またこれか、というような感想は一切出てこない。そして音楽もサイコーなのである。70年代の音楽がいろんなところで流れるのだが、おそらく70年代を生き抜いた人は涙なしでは観れないだろう。それが本当に羨ましい限りである。泣くといっても、この映画のどこで泣くの?という人は大勢いると思うのだが、私はマジで感動して涙が出るのである。こういう映画は本当に希望とか元気とかそんなものを私たちに与えてくれるんだなあ。しかも大ヒットしている映画なので、世界的にもこういう映画を求めている人が大勢いるということだ。マジでサイコーの映画なのでこれはオススメである。何も考えずに観れて熱くなれる映画だ。なんかイヤのことあってもこんな映画で救われる。また改めて書こうとと思うが、『キングスマン』、『キックアス』という映画もマジでサイコーの映画であった。これはどちらも同じ監督で『キングスマン』はイギリス、『キックアス』はアメリカで、その国らしい映画だ。これも本当に元気が出る映画である。こういう映画に出会うことができて、本当にしあわせである。

 職場とか生活している中で、いろんな話をしているし、考えることがあるのだが、本当に世の中にはいろんな人がいるんだなと改めて思う。自分では考えられないことがその人にはそれが普通であったりするし、自分さえよければいいと思ってる人もいっぱいいるし、オトナの世界でもイジメが当たり前のようにあるし、それぞれの人生のストーリーがあるし、すばらしい人もいるし、ブッ殺したくなるヤツもたくさんいるし、見ていて聞いていて絶望するようなこともあるし、まだまだ捨てたもんじゃないと思うこともあるし、もう本当にいろんなことがある。その中でも自分だけは“まとも”でありたいと思っている。人と同じように見られたくないし、同じことはしたくないと常に思っているのだが、この“まとも”というのはそうではなく、自分の存在価値というのか考えというのかどう表現したらいいかわからないが、そんな感じの“まとも”である。大勢の人はこう言うけど、あいつはこう言うよね、あいつはこう言ってたよね、みんなはこうするけど、あいつだったらこうするよね、こうしてたよね、そんな“あいつ”になりたいというか、そうありたいと願っている。なぜここでこんなこと書いたかは私自身もわからないし、映画のくだりとはなんの関係もないかもしれないのだが、私の中ではすごく関係しているし、最近やることとか考えることがたくさんあるのか、思考停止したくなるときもあるが、やっぱり人間は常に自分で考えて行動しなければならないし、話をしないといけない。苦しいこととか悲しいこと、辛いこと、しんどいこと、ダルいこと、そんなものは誰にだってある。もちろん楽しいこと、うれしいこともある。今まで自分が見てきたもの、経験してきたこと、聞いてきたこと、考えてきたこと、それらを通して、そんな中で自分の考え、行動が紛れもない“自分自身”である。人と違って当然だし、合わせる意味もないし、こう考えると本当にいろんな人がいるということ。そんな中でも、自分だけは“まとも”でありたいと思っているのだ。何を書いてるのかわからなくなってきたのでこれで終わりにするが、本当にいろんな人がいるよな、っていうことである(笑)。

2017年3月4日土曜日

贈り物

 
先月の2月24日、私の友人の一人が“遠いところ”へと旅立っていった。2月20日には一緒に遊び、最後のお別れをしたのである。旅立つ前日には最後のLINEの連絡をした。20日の最後の別れのときには、「3年なんてあっという間やで!!」というノリでいってまえ!!みたいな感じでお別れをして、けっこう軽い感じでお別れをしたのである。
 2月27日の夜9時ごろ、部屋でぼーっとしていたら突然インターホンが鳴ったのである。荷物を頼んだ覚えもなかったし、amazonで買い物をした覚えもなかったので、「誰や?」と思いながら玄関のドアを開けて観ると、配達のおじさんがいて荷物を届けてくれたのである。依頼人の名前を見てみるとその友人からの荷物であった。正直めちゃくちゃびっくりしたのである。急いでその箱を開けてみると、スターウォーズのフィギュアと手紙が入っていた。どうやらこの手紙を書いたのは私と最後にあった20日の夜みたいである。その日遊んだことの感想を書いていた。そういえば20日遊んだとき、表参道のおもちゃ屋さんで、ショーケースに入っているフィギュアをみながら「こうちゃん(私の名前)だったらどれがいい?」と聞かれたのを思い出した。4,5体くらいのフィギュアのランク付けをした。その中で1位を付けたフィギュアが贈り物の中に入っていたのである。その友人はそういう“ベタ”なことをしないヤツと思っていたのだが、そういうヤツがこういうことをすると効果抜群であった。手紙を読みながら泣いてしまったのである。やられた。あいつの“勝ち逃げ”である。
 その友人がどこへ行ったかは具体的には書くことができない。書いてもいいのだが、今はまだそんな感じではないかな。会うことはほとんでできないところである。外国へ行ったというわけでもない。とにかく“遠いところ”なのである。「今まで時間をつくってくれてありがとう」と手紙に書いていたが、私が彼を満足させてあげられるようなことができたのかは、はなはだ自信はない。とにかく会えるときは会っていた。2時間くらいしか会えない日もあったがそれは本当に貴重な2時間であった。彼にはタイムリミットがあった。時間というのは永遠にあるものだと錯覚しがちだが、彼といるときはその時間というヤツをすごく気にしながら遊んでいた。
 彼とよく待ち合わせをしていたのは、渋谷のツタヤの1階か新宿駅南口の小田急線の改札である。解散するのはさきほどの小田急線改札か、渋谷のバス乗り場かどちらかであった。20日最後に待ち合わせしたのはツタヤで、別れたのは小田急線の改札であった。最後の別れはハグをしていつもの握手をして、そしてV8ポーズをして別れた。最後に会って以来、数日が経過しているが、何度かその渋谷、新宿は訪れているのだが、渋谷だったらいるはずもない友人がもしかしたらツタヤの1階にいるかもしれない、とか、新宿南口小田急線改札の前を通るたび、最後に別れたあの時ときの光景の残像が蘇ってくる。いつも気が付いたら立ち止まってしまっている。私はこういう意味のないことは大っ嫌いなのだが、ついついそうなってしまうのだ。最後は軽い感じでバイバイをしたのだが、27日彼からの贈り物を受け取ったとき、なんだか急に現実味を帯びてきて、改めて彼は“遠いところ”に行ってしまったのだなと、ズシンと心に重くのしかかってきた。まあ考えていてもしょーがないのだが。フィギュアはスターウォーズに登場するストームトルーパーの戦国武将バージョンで、スターウォーズは観たことがないのだが、そのストームトルーパーはめちゃくちゃカッコいいので好きなのだ。しかもその戦国武将バージョンは格段にカッコいい。すぐに箱から出そうと思ったのだが、彼と再会できる3年後に箱から出そうと思った。それまで箱にしまったままにしておこう。彼との会話の続きは手紙でのやり取りになる。それができるだけでもありがたいな。人生いろんなことがある。何が正しいとか、何が間違っているとか、そんなものは存在しない。自分の物差しで他人を図っても何の意味もない。そんなものはファックオフである。いちいち文句を言うヤツには言わせておけばいい。自分が納得する生き方をしているのかどうか。それが大切なことである。3年間友人と会えないかもしれないが、私と彼が3年後も友人であることに変わりはない。再びほどけた糸が交差する日を楽しみに待ち続けることにしよう。また彼と一緒に東京の街を歩ける日を夢みながら。

2017年2月16日木曜日

悪党ルパン三世

 早くも2月の中旬となり、まだまさ寒い日が続いているのだが、ほんの少しだが暖かい日差しがさす時間も出てくるようになった気がする。先日までは西日本で雪がたくさん降っていたみたいで、鹿児島でも雪が降っている映像を観た。山陰地方はさらにすごい雪でもう大変だったみたいである。私の実家の大阪はただ寒いだけであったみたいだが。大阪も東京もそれほど雪が降る場所ではないので、それだけでもずいぶんと生活しやすい。普段あまり雪が降らないところは、急に雪が積もったりしてしまうと電車などがすぐに止まってしまうのでそれが大変である。今年はそれがほとんどないのでよかった。まだ雪は降るかもしれないが、このまま暖かくなってほしいものである。

 
先日、今映画館で上映している映画、『LUPIN THE ⅢRD 血煙の石川五ェ門』を観てきた。私はアニメはほとんど見ないのだが、ルパンシリーズは大好きなので常にチェックしている。とはいっても最近のテレビシリーズはめちゃくちゃ面白くないので全然見ていなかったのだが、この劇場公開の作品は最高におもしろい。PG12指定がある作品で、これはテレビ放送される日はないだろう。今回の作品はシリーズものになっていて、この作品の前に『次元大介の墓標』という作品がある。これもめちゃくちゃおもしろい。もちろん作品の題名の通り、前回は次元大介にスポットを当てていて、今回は五ェ門にスポットを当てている。このシリーズで出ているルパン一味は悪党なのである。ルパン三世1stシリーズみたいにハードボイルドな作風で危険な匂いがして悪党なのだ。最近のルパンは完全にいい人扱いされているが、元々は完全に悪党である。宮崎駿が作ったルパン『カリオストロの城』がだいぶ印象を変えてしまったのである。これは原作者のモンキー・パンチもインタビューで答えており、あれは宮崎さんが作ったルパンで俺のルパンじゃないと。どこへ行ってもルパンといえばあの宮崎ルパンを思い出す人ばかりで、そしてあの優しいルパンばかり印象に残っている人が多く、それにウンザリしているみたいだ。私もあの宮崎ルパンをおもしろいと思ったことはない。しかし、今回の作品は危なくて危険なルパンが帰ってきたという感じで、見応え十分な作品である。前回では“次元の本気”を観ることができたし、今回は“最強になるまでの五ェ門”を観ることができた。上映時間は前回も今回も約1時間という短い作品で前篇後篇に分かれている作品であるが、時間の短さを感じさせない内容の濃い作品で、最後まで突っ走る感じである。出てくるキャラクターたちが本当にカッコイイ。前回でルパンは、「別に俺たちは正義の味方じゃねえ」と言うし、五ェ門は敵を切り殺しまくるし、こういうルパンが観たかったんだと感動している。1ヶ月限定上映なのでもう一回は観に行きたい。

2017年2月6日月曜日

よりテキトーに

先日、一緒に働いているスタッフの方一人がインフルエンザにかかってしまい、私を含めて3人で働いており、二人出勤でお店を回しているのだが、インフルエンザということで出勤できなくなってしまったので、急きょ休日に出勤しなければならなくなってしまった。こういうときは人数が少ないところでやっている職場は大変になってしまう。もう一人一緒に働いている方はシフト通りに来てもらうようにして、一日だけ私一人でお店を回さなければならない日もあった。私一人ということでもちろん休憩は取ることはできない。幸い、働いている百貨店はお客さんの数が少ないということもあり、そして私が働いているお店自体がヒマ?ということもあり、売り場の横にちょっとした厨房があるのだが、そこでこっそりお昼ご飯を食べたりして何とかその日を乗り切ったのである。ヒマだからといってもやはり一人でお店を回すというのは大変であった。ヒマでも売り場に立っているということでそれなりの緊張はあるので、開店が10時で閉店が20時だが、10時間は緊張しっぱなしということになる。そして二人分の仕事もしなければならなくなる。トイレに行きたくなった時はお隣のお店の方にちょっとだけお店をみてもらうようにお願いをして走って行ってくるのである。その日はなんやかんやいっても疲れてしまった。まあそういう日もあるよなとそんな感じであった。本来なら他店に応援を頼んだり、本社に連絡を入れたり、などしなければならないのだろうけど、どこのお店もギリギリでお店を回しているし、応援を呼ぶにはいいが、それまでにいろんな手続きなんかしなければならなくなるし、ある意味こっちの方が大変というか面倒にもなるので、どうしたらいいのかわからなくなってくる。今回は私一人でやったが、何かあったときは対応しきれなくなってしまうので、本来ならもう一人誰か入ってもらうのが正しいだろう。でもなかなかそうできないのだな。


一緒に働いている男性のスタッフの方とよくいろんな話をしているのだが、本当に自分でも思うのだが、何に関してもものすごくテキトーなのである。よくこれで生きてこれたなと自分でもほめてあげたいくらいである。そしてこれからもテキトーにやっていくんだろうなとそんな感じだ。お店でもそうだが、仲のいい友人と会うときでも私が発する言葉の9割は汚い言葉の連発であるし、ほとんどくだらない話であるし、もう本当にテキトーなのである。このブログ上では一応ではあるが正しい言葉使いになるように努めている。書いていることはそうであるし、友人と話をしているときも内容としてはそうなのだが、表現の仕方が全く違うというかブラックというかそういう表現をしている。このブログはある意味“私の部屋”みたいなものであるし、これからもこんな感じでテキトーに書いていくのだが、今まではもしかしたらカッコつけて書いていたかもしれない。それは正しい表現になるようにという意味である。それほど変わりはしないだろうが、ここは“私の部屋”であるのだから気を使わずに、何か言いたいことがあったときはブラックな表現も使っていこうかなと思う。話し言葉を入れていこうということである。これまでもテキトーにやっていたが、よりテキトーにやっていこうということである(笑)。そういいながらもほとんど変わらないのだが。最近よく私の周りというかいろんなところでメンタル面での悩み事を抱えている人の話をよく聞く。というか耳に入ってくる。一概には言えないが、几帳面な人、真面目な人、完璧主義な人、周囲の目が気になる人、責任感が強い人、感情表現が苦手な人、自己責任の意識が強い人、などなどそういった人がメンタル面で悩みを抱える人が多いみたいであるが、私ははっきりいってどれも当てはまらない。こういうメンタル面での悩みは本当に健康上良くないのでそうならないように、どれだけストレスなく生きていくかが私のモットーでもあるので、よりテキトーに、そしてくだらない感じで、改めてこういう感じでやっていこうというものである(笑)。楽しいのが一番である。

2017年1月21日土曜日

ブラック&クローム

 最近でもないのだが、少し前から使っているパソコンがものすごく調子が悪く、なかなかまともに動いてくれなくなってしまったのである。一番重要なDVDも観れなくなるときもあるし、インターネットも何度も接続が切断されてしまうし、急にブチンと電源が落ちてしまうし、パソコンを使うときはいつもイライラしながら使っているのである。このブログを書いているときも途中でネットが切断されてしまうときもある。パソコンの調子が悪いのは当然といったら当然なのかもしれない。大学入学の時に買ったものなのでおそらく寿命なのだろう。2009年春モデル、と書いてある。人間でいったら何歳くらいだろう。、150歳くらいだろうか。もうとっくに死んでいるのに無理やり働かされているようなものなのだろうか。とにかくパソコンもそろそろ替えどきなのかもしれない。

昨日は休日だったのだが、1月14日から全国劇場公開していた“マッドマックス 怒りのデスロード ブラックアンドクローム”を観てきた。2015年に公開していたものを白黒版にした作品である。監督のジョージ・ミラーがカラー版よりも白黒の方が映像がより抽象的になるし、色の情報が少ないことでなぜかより魅力的に見えると絶賛しているバージョンである。観る前はただ白黒になっただけだと思って映画館に行ったのだが、それは間違いで全く違う作品になっていた。映画を観ている感覚ではなく、どういえばいいのかわからないが、全く違う世界といえばいいのだろうか、監督が言っていたようにとにかく抽象的なのである。上映中5,6回は泣いてしまっていた。2月8日にはブルーレイが発売されるので、ブルーレイは観ることができないが絶対に買いに行く。改めてすばらしい作品なんだなと思った。生きている間にこれほどすばらしい映画を観ることができて本当によかったと思う。
 最近はクエンティン・タランティーノ監督の映画を観ている。監督を務めた作品は全部で9作品あるのだが、観ていないのは“キルビルVol.1”、“キルビルVol.2”、“ヘイトフルエイト”である。キルビルは当時中学生だったがかなり話題になっていたのだが、話題になっているのは避けるという変なプライドがその時からもあり今まで観ることはなかったが、タランティーノ監督作品はすべてみようと思ったのでこの後手に入れて観ようと思う。今まで観たタランティーノ作品はどれもすべておもしろい。“レザボアドックス”で衝撃的デビューをして、“パルプフィクション”でカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞して世界に名を知らしめた監督である。“パルプフィクション”は本当に最高の作品である。めちゃくちゃおもしろい。複数の話があり、そして時系列がばらばらな作品である。しかしそれが一本の流れに仕上がっている作品だ。ファック連発の作品で最高としか言いようがない(笑)。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したとき、観客から「こんなのパルムドールじゃねえ!!」と罵声があったが、タランティーノはその観客に向かって中指を立てた。最高にカッコイイ。“パルプフィクション”の“パルプ”というのはパルプ紙とかパルプ雑誌とかでも使うように、安いとか低俗なとかそういう意味である。つまりこの映画自体がくだらない話をしますよという意味である。タランティーノ作品でよくみられるのが、どうでもいい話をずっとしているということだ。“デスプルーフ”では半分以上がこのどうでもいい話を延々としている。“パルプフィクション”でもどうでもいい話をしている。人生ってどうでもいいことも多いよね、というかどうでもいいことの方が多いよね、その中でちょっとしてストーリー、ドラマがあるんだよね、とそんな監督のメッセージが感じ取れるかもしれない。観ていない作品は2月中には手に入れたい。

2017年1月6日金曜日

2017年、始まる

 遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 
ということでやっぱり気が付いたら年が明けていたのである。クリスマス前から今日この頃まで予想通り忙しい大変な毎日であった。でもまあ、とりあえず乗り切ることができてよかったいうのが一番の感想である。12月29日に間の一日休みがあったのだが、その日は一日中寝ていてその前は9連勤でその後は6連勤だった。1月4日は少し遅い出勤で、その日初めて今年に入って太陽を見たのである。暗いうちに出勤して21時前後に帰っていたので太陽を見ることはなかった。やっと“初日の出”を見ることができたのである。
 昨日と今日は久しぶりの連休だったが、かなり疲れていたので昨日は少し出かけ、今日はずっと家にいて休んでいたのである。観ていない映画のDVDがあったのでそれを観ていたのである。家でゆっくりするのもたまには必要だなと思った次第である。そういえば昨日というか朝の4時くらいに足が攣ってしまい、一人で激痛に苦しんでいたのだ(笑)。寝ぼけながら「痛い痛い痛い」と唸っていたのである(笑)。攣っているところを手で抑えていると、痙攣しているのがよくわかり、いたるところでボコボコと痙攣していたのだ。なんだか細胞が爆発しているみたいであった。その痛みに耐えていたら今度はだんだん気分が悪くなってきて吐き気がするようになってきた。頭を動かしたら吐きそうになるので、頭を動かさずにずっと横を向いていたのだが、さらに今度はお腹が痛くなってきたのである。どうなっているんだと思ったが、こればかりはトイレに行かなければならないので、攣っていた足をまた攣らないように、というか痛過ぎてまともに歩けず、足を引きずりながらトイレに行き、30分くらいトイレにこもっていたのである。それは何とか乗り切ってまた寝たのだが、朝起きても足が痛すぎて歩けないのだ。その日(昨日)は以前働いていたお店に差し入れなどを持っていこうと思っていたし、私が好きなステーショナリーのお店が閉店するということで最後にそのお店にも行かなければならなかったし、今働いているお店にもクリスマス年末年始お疲れさまでしたということでちょっとしたギフトを持って行こうと思っていたし、やることがあったのだが、まずこのどうにもならない足を何とかしなければならなかったので、マッサージというかストレッチというかそんなことから一日が始まったのである。何とか歩けるようにまで回復したので行動開始である。予定よりも少し遅れたがなんとかその日のやらなければならなかったスケジュールをこなしたのである。仕事するよりも疲れてしまった(笑)。それが昨日の話である。なので今日は一歩も外に出ていない。明日からまた仕事である。休みはすぐに過ぎ去ってしまうものだな。たまには長期休暇も欲しいものだ。ろくな年明けというか年始ではなかったが、2017年もクレイジーでファンキーな怒りのデスロードを爆走していきたい。車はないけどな!!

2016年12月7日水曜日

忙しい時期

 12月となり、もう1週間が過ぎた。12月にしてはまだまだ暖かいと思っていたが、昨日の夜から急に寒くなり、本格的な冬になってきた。そして世間もクリスマスやら年末年始やらとそんな雰囲気になってきている。今年も残り3週間である。気が付けば年が明けているだろう。毎年のことだが、仕事も一番忙しい時期になってきた。体調だけは崩さないようにしたい。お店が小さいので、一人休むと代替する人がいないので大ダメージとなってしまうからである。寝れるときは少しでも寝るようにしたい。

今日は休日であったが、忙しくなる前に済ませておきたい用事を済ませようと、病院へ行ったり美容院へ行ったり買い物したりといろいろ回っていたのである。疲れて体調を崩したくないのでできるだけ早く家に帰り、部屋でゆっくりしていたのである。2年前にインフルエンザにかかってしまった経験から、この時期は何としてでも乗り越えなければならない。なのでこの時期はできるだけ体力を使いたくないし、休日はできるだけ自宅待機していたいのである。今年はクリスマスの時期に9連勤しなければならない。いつも通りの9連勤だったら何ら問題ないのだが、忙しいときの9連勤はかなりきつい。その期間は確実に寝不足になるし、長時間労働になるので油断できないのである。休日になったからといって油断して体調を崩すくともできない、緊張した時期だ。そう思うと早く年が明けてほしいものである。クリスマスだろうが年末だろうが正月だろうが私はどうでもいいので早く過ぎ去ってほしい。本当に私はそういったものにあまり影響されない人間である。クリスマスだからといっておいしいものを食べるとか、年越しそばを食べるとか、おせちを食べるとか、そういったものに一切こだわりはない。毎日同じご飯を食べている。ご飯というか豆腐サラダであるが。お腹が満たされればそれで満足である。栄養が偏っているので、豆腐サラダプラスお店で売れ残った惣菜を持って帰って食べている。それでも偏っているが。年末年始などで太るという人が結構いるみたいだが、私には無関係な話である。おそらく太っている人がいて、その人がやせたいと希望するなら私と同じ食生活をすれば絶対に痩せると思う。しかし、その人は私のこの食生活にはおそらくついてこれないだろう。その人は食べることにある程度こだわりを持っているだろうし、割り切るのにも限界がある。私はこだわりはほとんどないので毎日同じ食事でも問題ないし、例え私が急に太ったとしても1カ月もあれば今の状態の戻せる自信もある。もちろんその時は今よりも食事制限をして運動もする。痩せる気もないのに痩せたい痩せたいという人がいる。痩せたいなら食べなければいい。それが一番である。でもその人にはできない。ではそれ以上に運動すればいい。でもそれくらいの運動もできない。なかなか厳しい現実である。いっそ今の状態を受け入れてそのままいればいいとも思ってしまう。好きなことを我慢しなければならないというのはかなりのストレスになってくる。これも健康によくない。人によってストレスの度合いが違ってくる。好きなことをするのが一番である。食べることが好きであれば我慢せずに食べればいい。そう思ってしまう。それなのに痩せたい痩せたいというのも変な話である。ご飯を食べなかったら体が動かないという人もいるが、ボクシング選手なんか減量でほとんど食事してない状況でもあれだけ動けるんだから全く問題ない。なぜか今日は適当に書いていたらこんな変な内容になってしまった。