日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2019年3月12日火曜日
圧倒的な世界に突っ込んでいこう
今年の4月26日に『アベンジャーズ/エンドゲーム』が公開される。私は今まで少ししかこの“アベンジャーズ”関係に触れていなかった。この前作の『アベンジャーズ/インフィニティウォー』が公開されるときに世界に追いつこうとしたがそれは叶わず、というか私がただ動かなかっただけであった。今回の『エンドゲーム』が公開されるというニュースを聞き、予告編が公開されたときに今まで動かなかった感情が揺るがされたのである。このシリーズは2008年から始まっており、このシリーズを“マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)”と呼ばれ、今回の作品を合わせると22作品ある。この中には私が大好きな『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズの2作品も含まれている。10年以上もわたり、このシリーズが制作され続けているのだが、全ての作品において圧倒的な大ヒットを飛ばしている。今世界はマーベルを中心に回っていると言ってもおかしくないだろう。この熱狂的なブームに私は歪んでいるがために敢えて避けてきたところもある。しかし、このままでいいのか?という疑問を自分に投げかけてみた。そこで少し挑戦してみようか、という感情が出てきたのである。本当に自分は乗れるのか?という半信半疑の状態で『アイアンマン』シリーズを観てみた。もう、乗るしかないだろう。この熱狂に。このブームに。この世界に。このビッグウェーブに。このシリーズは『マッド・マックス』シリーズとは違い、かなり濃密にストーリーが繋がっていて、本編中に様々な小ネタが大量にあり、知らない人が観ればスルーしてまうところが、このシリーズをちゃんと観ている人は「あれだ!!」とすぐにわかり、いろんな謎がわかったり、次回作に繋がる貴重なシーンになったりする。つまり今度公開する『エンドゲーム』をいきなり観ても効果は半減、おもしろみも半減、楽しめるものも楽しめなかったり、という結果になってしまうのである。私もこの世界に入りたいよ。楽しみたいよ。一緒に戦いたいよ。応援したいよ。でもそれを体験したいのであれば当然映画を観なければならない。現実問題それにはそれなりのお金がかかる。私はDVDやBlu-rayを買わないといけないので、何十本とある映画をいきなりそろえるのはかなりの負担になる。じゃあレンタルは?その手もある。でもそれでいいのか?お前は映画を楽しむだけではなく、映画を“知る”んだろ?“知りたい”んだろ?そう答えが返ってくる。何度も何度も観なければわからないことがある。結局私はそれを求めている。では買わなければならない。残された時間はあとわずかである。このシリーズに関して私は当然ながらそこまで詳しくない。以前それなりの知識はあると書いたが、ただスーパーヒーローたちが活躍する映画、というくらいなのかもしれない。“アベンジャーズ”というのは様々なヒーローたちが集まって敵に立ち向かうという話だが、それぞれのヒーローはそのヒーロー一人で主役を張り、何本もの作品を作れるほどの巨大なキャラクターである。当然ながら『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』もそうである。でもそんなすごい、すごすぎるヒーローたちが集まってでも敵わない敵が“サノス”である。この敵は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』にも少し登場する。『アベンジャーズ/インフィニティウォー』の予告編を観ただろうか。この予告編を観て、興奮しない人間がいるだろうか。スーパーヒーローたちがこの巨大な、強大な敵に立ち向かっていく姿を。これまで偉大だと思っていたスーパーヒーローたちがこれほどまでにちっぽけに思えたことはあるだろうか。これほどまでに無力に思えたことはあるだろうか。これほどまでに絶望に打ちひしがれたことはあるだろうか。スーパーヒーローたちが結束してでも敵わない敵が現れる。でも、それでもヒーローたちは立ち向かっていく。頭がおかしいと思はないか?頭が狂っていると思わないか?そこまでしてでも戦おうとするんだよ、戦っているんだよ、ヒーローたちが。普段の生活の中で、「こんなヒーローとかいると思ってんの?現実にはあり得ないね」と言われたら私は自信をもってこう答えるだろう。「いるよ」、と。『インフィニティウォー』の予告編だけでもう涙がボロボロ出てきてしまう。この壮大過ぎる、圧倒的なスケールのシリーズ。私も最後の戦い『エンドゲーム』に備えようと思う。この文章を涙を流しながら書いているのだが、全く興味ない人がこの文章をまとめるのであれば、「ただ映画を観るだけ」ということになる。その通りである。ただ映画を観るだけである。でも、ここまで感情が揺さぶられることがあるだろうか。魂が揺さぶられることがあるだろうか。たかが映画である。ちっぽけな楽しみの一つである。そもそも映画を観ない人もたくさんいる。そんな小さなことの一つが、どうしてここまで揺さぶるのだろうか。映画を観なくたって生きていける。映画を観るという行為にかかるお金や時間を他のことに使うこともできる。映画は虚構の世界かもしれない。でも、感動は?情熱は?苦悩は?思いは?揺さぶられる魂は?虚構の世界だろうが嘘だろうが、感動している心は、揺さぶられている魂は本物なんだ。
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