2017年11月30日木曜日

カッコいいタバコシーン

 お歳暮時期ということで仕事がめちゃくちゃ忙しいなっている。仕事の量が一気に増えたので毎日忙しいのである。気がついたらもうこんな時期になっている。早いなー。
  ヤフーニュースの一覧みたいなところで記事を見たのだが、仕事中の喫煙に関してである。それを法律的に禁止にできないだろうかというものである。私は喫煙していないので、どうでもいい話だなとおもったのだが、いろいろ記事を読んでいると、喫煙者と禁煙者との間に就業時間に不公平が生じたり、タバコのために席を外して、そこに電話がかかってきたりして、その人の仕事がこっちにまわってきたりして迷惑だったりと、思っていたよりも身近な内容だった。確かに今までいろんなところを見てきたが、喫煙者はしょっちゅう「ちょっと1本吸ってくるわ」とか「ちょっと一服してくるわ」と言ってどこか行ってしまう。これはちょっとした休憩に見えてしまう。というか休憩だろう。喫煙者にはこういう休憩があって、禁煙者にはこういった休憩みたいなものがないのは確かにおかしい話である。もうすぐオリンピックが開催されるということもあり、世界基準に合わせて室内は完全禁煙みたいになるかもしれない。確かに喫煙者の肩身が狭くなってしまうのがわかる。日本の場合、特にそれを感じてしまう。日本でも少しずつ店内禁煙とかそういうふうになってきているが、外でも喫煙スペースが限られてしまっているのが難題である。私は何度かニューヨークに行っているが、ニューヨークも完全室内禁煙になっているが、みんな外でバンバン吸っている。歩きタバコなんて当たり前で、ポイ捨ても当たり前である。道にはタバコがいっぱい捨てられている。これだったらまだ喫煙者も、「タバコを吸いに外に出るか」となるが、日本は外に出ても吸えなくなってきているのである。喫煙者を擁護するわけではないが、これは少しかわいそうだなと思ってしまう。
 話は少し変わるが、私はタバコは吸わないし、タバコのニオイが服についたりするのもイヤである。これからも吸うことはないが、例えば映画なんか観ているとよく喫煙シーンが出てくるが、その吸っているシーンはすごくカッコいいなぁと思う。例えば、『ルパン三世/次元大介の墓標』のラストでルパンと次元が一緒にタバコを吸うシーンはめちゃくちゃカッコいい。またスタローンやシュワちゃんがプライベートでも葉巻を吸っているのだが、そういうのを見てもカッコいい。そういう喫煙シーンでやっぱり外せないのが『エスケープ・フロム・L.A.』のカート・ラッセルが演じているスネイクがラストでマッチでタバコに火をつけて吸うシーンはカッコ良すぎる。スネイクはアウトローなのだが、とあることから無理矢理任務につかされてしまう。その上?の人たちからいろいろ武器やら無線やら渡されるのだが、その中にマッチがあり、スネイクは何でマッチがあるんだみたいな雰囲気を出すのだが、上の人はいろいろと役に立つから、ということだった。映画の内容は省略するが、いろいろあってスネイクは地球上のありとあらゆる場所に電磁パルスを発することができる装置を手にするのである。その電磁パルスはものすごく狭い範囲から地球全土まで操ることができる装置なのだが、まあスネイクはいろいろ利用されてしまっていたので、俺をナメるなということでスネイクは地球全土に電磁パルスを放ったのである。これによって地球は石器時代に逆戻りしたわけだが、そこでスネイクは持っていたマッチでタバコに火をつけたのである。カッコ良すぎるぜスネイク!!『エスケープ・フロム・L.A.』は『ニューヨーク1997』の続編で、『ニューヨーク1997』でスネイクは釘バットで敵をブン殴るのだが、これを観たときに、世界で一番カッコいい武器は釘バットだなと確信したのである(笑)。私が世界一カッコいい男をあげるなら、007やタイラー・ダーデン、そしてこのスネイクをあげるだろう。今あげた3人は全然違うタイプだが、みんな魅力的でサイコーにカッコいいヤツらである。


気がつけばもう12月!
今年もなんだかんだであと1カ月!
やりたいことは今のうちにやっておけ!
他人の戯言なんかゴミ箱に捨てちまえ!
しんどくなったらヤケクソ笑いでブッ飛ばせ!
世間は冬だが地獄は夏だ!
夏といったらコーラがうまい!
コーラ片手にフューリー・ロードを爆走しよう!
これが今年最後の地獄の1カ月だ!
最後までがんばっていこう!
なにかをな!!!

2017年11月20日月曜日

パンフレット紹介

 ここで読者の方のリクエストにお応えして、長渕剛の“富士山麓オールナイトライブ”のメッセージをご紹介したい。部屋で撮っているので写りや角度はよくないが、ちゃんと見えているので許していただきたい。ついでに今まで集めたコンサートのパンフレットも載せてみた。1冊4千円するので、全部で15冊あるので合わせると6万円することに気がついた。すごいなー(笑)。


 これが富士山麓のパンフレットの最後のページのメッセージである。“ここまで来てくれてありがとう”というのを、私は“今まで俺についてきてくれてありがとう”と解釈してしまい、コンサートが始まる前から泣いてしまったのである。今回で最後になるかもしれないと思ったので私も全力で挑んだのである。でも最後に剛が、「これからもまだまだー、いくぞー!!」と言ってくれたときもまた泣いてしまったのである(笑)。久しぶりにパンフレットを出したので、いろいろ思い出してしまった。



2017年11月18日土曜日

増えていくDVD

 先日、映画館に行かなければならないと言ったのだが、なかなか行くことができない。休日になにかと用事が入ってしまったし、忙しくなる前に行っておこうと思っていたのだが、もう忙しくなってしまったので、休日はできるだけ家にいたいと思ってしまったのである。忙しくなると体調を崩してはいられないので、休日は休みたいのである。それにちょくちょくDVDを買っているので、やはりお金が予想以上に出ていってしまっているので、本当は我慢したくないのだが、さすがに限度というものがあるので、少し我慢しなければならいかもしれない。でも年明けの『キングスマン/ゴールデンサークル』は死んでも観に行かないといけないので、それまで力を溜めておこうとも思っている。この前やっと『ハクソー・リッジ』を手に入れたのである。ついでに『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』も手に入れた。両方とも新作ということで合わせて8千円くらいしてしまった。しょーがないのだが。まだ『パイレーツ・オブ・カリビアン』の方は観ていないのだが、『ハクソー・リッジ』は3回観たが、やはりすばらしい映画である。毎回泣いてしまうんだなぁ。その他にもいろいろ観ているのだがすばらしい作品ばかりで、ちょっと頭の整理ができていない状態である。最近はポール・ヴァーホーヴェンという監督の作品を観ているのだが、この監督の作品も本当にすばらしいものばかりである。スプラッター要素はもちろんのこと、みんなこうだよね、というのをなにも隠さずに描いてくれるところがすばらしい。決して美化しないところがいいのである。なのでこの監督の作品をキライな人も大勢いると思うが、私は大好きな監督の一人である。有名な作品だと『ロボコップ』が有名である。この映画ももちろんおもしろい。以前、映画のタイトルシーンについて書いたことがあったが、このタイトルシーンを最後に持ってくる映画はあまり好きではないと書いた。この『ロボコップ』も最後に持ってきているのだが、これは例外ですばらしいのである(笑)。最後に持ってくるのはもちろん意味があってのことだが、なんの工夫もしていない文字“ROBOCOP”と出るのだが、めちゃくちゃカッコいい。この他に最近観たのが、『ブラック・ブック』、『スペッターズ』、『スターシップ・トゥルーパーズ』を観たが全部おもしろい。まだそれぞれ一回ずつしか観ていないので、もう何回か観て感想を書いていけたらと思う。
 さっきも書いたのだが、DVDやら買い過ぎてもう本棚に入らない状態で、本棚をもう一つ買おうかなとも思っているのだが、これにまたお金がかかるのもヤダなぁ〜と思ってしまう。DVDが本棚に入らないので積んである状態だ。今使っている本棚が何年か前にLOFTで買ったもので、スライド付きの本棚である。それがけっこう気に入ってて、もし買うなら同じものがいいなーと思っているのだが、けっこう昔のものになるので、同じのがまだ置いてあるのか不安である。今度でかけたときにLOFTが近くにあったら探してみようと思う。あったら買ってしまいそうだが、もう一つ本棚が増えると部屋が狭くなってしまうので、それもヤダなぁ〜と思うのだ(笑)。どうしたらいいのかわからなくなってしまっている。ないと部屋の整理ができないのも困るのだが。もう少し考えてから決めようと思う。
 あとこの前『キングスマン/ゴールデンサークル』に登場するお酒を買ったと書いたが、その画像を載せてみようと思う。グーグル関係のアプリをダウンロードしたらなんとか載せれるようになったのだが、載せ方がパソコンよりはるかに難しいので、うまくできないが、許していただきたい。

 端の2本は『007 スペクター』の公開記念限定ボトルの“ヴェルヴェデール  ウォッカ”である。その隣が“オールドフォレスター ステイツマン”である。真ん中のはラムの“バカルディ スペリオール”である。バカルディはブランドマークがカッコいいから買ったのだが、よくよく調べてみると007映画に登場していたので、買ってよかったのである。それぞれ2本ずつあったので、“ヴェルヴェデール”は父に、“オールドフォレスター ステイツマン”は母にプレゼントしたのである。もちろん1本は自分に確保している。まだ飲めないのだが、『キングスマン/ゴールデンサークル』が公開されて、映画を観ながらこの“ステイツマン”を飲んでみたい(笑)。

2017年11月13日月曜日

長渕剛選曲第3弾

  長渕剛選曲第3弾といこう。本当は連続して投稿するべきだったのだが、そう簡単にはいかなかった(笑)。意味不明だが、今回満を持してという感じである。今回紹介する曲を聴けばある程度はカバーできるのではないかと勝手に思っているのだが、これもあくまで私の視点の考えなのである。私は過去も現在も両方好きなので、できるだけ偏りなく紹介しているのだが、やはり長渕剛が神がかっていた、まさに長渕剛の時代であった80年代後半から90年代前半のことを考えると、そこから少し外れてしまっているのかなぁとも思う。確かにその時代の長渕剛は本当にすごいのである。何がすごいのかというと、何をしでかすかわからない独特な緊張感、他人を寄せ付けないオーラ、孤独を背負って万人に立ち向かっていく姿がめちゃくちゃカッコいいのである。その時代があって今があるのだが。92年東京ドームJAPANというライブがあったのだが、センターステージで6万5千人を動員した伝説のライブの一つである。そのセットリストで“勇次”という曲があるのだが、後奏での拳上げを観るたびに涙が出てしまうのである。「そうだよな、そうなんだよな、これなんだよな」、となんと言えばいいのかわからないのだが、観ているとそんな気持ちになる。当時私は3歳くらいなので知る由もないのだが、往年のファンにしてみればそこから富士山麓に至ったの
かなぁとも思う。話がだいぶ逸れてしまったが、本題に入ろう。今回はクセのある曲ということで、これぞ長渕剛の真骨頂という曲を紹介したい。今回も前2回の投稿と被ってしまう曲も出てくるとは思うが、それは了承いただきたい。

2015年
『富士山麓 ALL NIGHT LIVE 2015』
・富士の国

2014年
『ALL TIME BEST 2014』
・カラス

2012年
『Stay Alive』
・日本に生まれた
・明日をくだせえ

2005年
『YAMATO』
・親知らず
・西新の親父の唄
・お家へ帰ろう

2004年
『ALL NIGHT LIVE IN 桜島』
・お家へ帰ろう'04
・Captain of the Ship 

1990年
『JEEP 』
・流れもの
・カラス
・しょっぱい三日月の夜

1989年
『昭和』
・明け方までにはケリがつく


とこういう感じになった。少し昔になると声が今の声と違ってくるので、少しそれに違和感を感じるかもしれないが、それが良さでもある。今回第3弾であったが、なかなか難しいものである。私は人から影響を受けやすいタイプなのかなと思っていたのだが、本当に心にのこっている、残る人はすごく少ないのである。1人はこの長渕剛なのである。ここまで好きになれるのもなかなかないので、そういうのを見つけられてよかったなぁと今更ながら思う。“好き”のレベル、次元が周りとは違うのである。周りの人が言う“好き”は、私にしたらまだまだなレベルである。好きだったらもっと命かけろ!と言いたくなるのだが、私は逆くにそこは反省しないといけないと思うときもある(笑)。案外ほどほどの方がいいのかなぁとも思う(笑)。でも私自身はこれでいいと思っている。ヤツに会うためならどこでもいく覚悟である。といいながら、その日は仕事やからライブ行けないなー、といっている自分がいる(笑)。それはそれ、である(笑)。本当に自分勝手なことしか言っていなくて申し訳ない(笑)。とまぁー、とりあえず3回にわたって私の独断と偏見による長渕剛オススメ曲をお送りしてみた。この中で気になった曲があれば是非聴いてもらいたい。その中にもしかしたら魂を揺さぶる一曲があるかもしれない。

2017年11月9日木曜日

奴隷制の悲劇

 少し前の投稿で、友達のひとりがハワイで結婚式をするという話をしたが、その友達が無事にハワイで式を挙げて帰ってきて、いつものメンバーでご飯を食べたのである。もちろん話は結婚式メインになり、いろいろ話をしていた。12月2日に披露宴とはいかないまでも1.5次会?(最近ではこういうのが流行っているみたい)をやる予定みたいだ。ずっとずっと前からそいうのは参加しないというのを伝えていたので、もちろん私は誘われていない。まだ間に合うよ、とは言われたが、行かん言うとるやろ!と何回も言ったのである(笑)。どっちみち12月2日は予定があって行けないのである。2日は東京コミックコンベンション2017(略して東京コミコン)という映画のお祭りがあって、それに参加しなければならないのである。その披露宴?に参加したくない理由はいくつかあるが、それも全部伝えてあるので、すべて了承済みである。参加しないので、それに代わるようなプレゼントを用意して、この前会ったときに渡したのである。披露宴の参加費以上になってしまったので、金銭的には披露宴に参加した方がよかったかもしれないが、まぁそれはいいやと思った(笑)。自分でもなかなかいいチョイスをしたのではないかと思う。当日にしか用意できないものだったので、待ち合わせ時間までに銀座と青山、渋谷を回っていたのである。会うときにはヘトヘトで疲れてしまっていた(笑)。よろこんでくれたので言うことはない。とりあえずよかった。
 その話の中に、その友達の旦那さんのお姉さんが今度結婚するみたいで、東京ディズニーランドで式を挙げるそうだ。お金もけっこうかかるそうだが、私はどんなにお金があっても絶対にディズニーランドでは式は挙げないなと思った(笑)。結婚という2人の間の誓いよりも、絶対にミッキーやらミニーやらのキャラクターと一緒に写真を撮ったり触れ合ったりして思い出作りをするのがメインになって肝心のものがそっちのけになるに決まっている。そりゃめちゃくちゃディズニーが好きで、憧れ?のキャラクターが目の前にいたらそっちに行ってしまうのは誰だってそうである。私も例えば大好きなハリウッドスターや長渕剛が私の結婚式にゲスト?できたらちょーハイになって握手や写真や話やらで結婚なんてどうでもよくなるよ(笑)。そりゃ(笑)。その話を友人から聞いて、ちょっとイタイなー、と自分の中で思ってしまったのである。まぁどこで式を挙げようと人の勝手なので、どうでもいいのだが。そもそもディズニーのキャラクターってそこまでかわいいのかなぁとも思う。私はそこまでかわいいとは思わないのである。スター・ウォーズに登場するイウォークだったり、チャイルド・プレイに登場するチャッキーのほうが絶対にかわいいと思う(笑)。イウォークもチャッキーもかわいいだけでなく、カッコいいし強いので、絶対にそっちの方がいいに決まっている(笑)。イウォークはともかくチャッキーをかわいいという人はそんなにいないと思うが(笑)。かわいいだけよりも強いとかカッコいいとかプラスαであるのなら、より魅力があるということなのでそっちがいいだろう、と私は勝手にそう思っている。と言いながらもまだ『チャイルド・プレイ』はまだ観ていないので、今度観てみようと思っている。

 今日は映画館に行こうと思っていたのだが、朝6時半に起きる予定が寝坊して7時半に目が覚めて、もう映画館に行く気が失せてしまったのである。寝坊もそうだが、何時なのかは覚えていないが、寝ているときに久しぶりに足が攣ってしまい、またまた激痛と戦っていたのである。そして朝起きたら足が痛くてしばらく歩けないということに。なので今日はおとなしく家にいることにしたのである。今日観に行こうと思っていたのが『ブレード・ランナー2049』で、その前哨戦ということで、YouTubeに3つの動画が配信されており、その『2049』に至るまでのストーリーが描かれており、それもちゃんとチェックしていたのに足が攣ったり寝坊したりで散々であった。今度の休みに行こうかなと思っている。以前にも言ったのだが、観たい映画が次々と公開されて、早く観に行きたいのは山々なのだが、DVDもけっこう購入していて、そっちにお金がいってしまっていたので、映画館に行くお金が・・・という状態になってしまっているのである。それに今月初めにあの『ハクソーリッジ』が発売されて、それも買わないといけないのである。というか買いに行ったのだが、私の家の最寄り駅の近くのタワーレコードに行ったのだが、売切れ?でなかったのである。発売されてすぐだったので、そんな訳がないと思って店員さんに聞いてみたのだが、全部予約している人に取り置きしているみたいで、手に入れることができなかったのである。それも今度買いに行かないといけない。本当は今日映画館に行った帰りに買いに行こうと思っていたのだが、寝坊した時点でスケジュールが一瞬にして消え去ったのでそれはまた今度、である。まぁ、まだ観ていない映画も何本かあり、それを今日観ていたのである。今日観たのはヤコペッティ監督の『残酷大陸』という18世紀のアメリカが舞台で、黒人奴隷の悲劇のすべてをさらけ出すというちょー強烈な映画であった。このDVD をずっと欲しかったのだが、もうほとんど販売されておらず、プレミア価格がついていて1万円前後していたのでなかなか手が出せなかったのである。やっぱり買おうと決めたときにはAmazonでも楽天でももう取り扱いがなく、それ以外のサイトで探しても存在しなかったので泣きそうになったのだ。そして久しぶりに探してみると販売されていたので迷わずに購入したのである。値段は9千円くらいであったが、その価値はある。というかそれ以上の価値がある。今これほどの恐ろしく強烈な映像はどこに行っても見ることができないからである。しかし、これが現実に行われていたというのを知るとものすごく恐怖を覚えてしまう。これが人間なのかと。人間がやることなのかと。私の好きな監督のひとりのクエンティン・タランティーノの作品で、『ジャンゴ/繋がれざる者』というこれも黒人奴隷の話があるのだが、今回の『残酷大陸』を観てみると、『ジャンゴ』の怒りなんて当然のことである。黒人奴隷をやっている人たち、それを正当化している人たちなんて本当に全員ブッ殺したくなる。それくらい恐ろしいのである。私はまだ観ていないが、『ルーツ』という黒人奴隷の内容のドラマがあるのだが、このラストは白人も黒人も和解?して終わるみたいだが、これにタランティーノ監督は反感を覚えたのである。あれだけのことをされといて許せる訳がないと。それで『ジャンゴ/繋がれざる者』ができた。映画の中でなら復讐できるということで、もちろん白人全員皆殺しである。それに付随していた黒人ももちろんブッ殺す。本当に想像できない世界があってコトバが見つからない。その名残が現代でも残っているのが本当に悲しい。偶然かもしれないが、私がニューヨークに行ったときに助けてくれたほとんどが黒人の方々である。優しく迎えてくれて握手してくれたし、サムズアップもしてくれたし、道に迷っている私に向こうから声をかけてきてくれたし、カッコよくクールに地下鉄の乗り方を教えてくれたし、“You're very cool!!!”と褒めてくれたし、黒人のドアマンにいつも人間のぬくもりを感じたのである。だから私は差別とかそんなのは絶対に許さない。そんなことがあっていいわけがない。絶対に人間は平等である。アメリカの黒歴史の一つであるこの黒人奴隷だが、やはりアメリカでもタブーの一つであるみたいだ。『残酷大陸』の中で、優等生の博士が出てくるのだが、黒人は人間ではないというのをいろいろ説明してくるのだが、取材班がその博士に出自は?と聞くとその博士はユダヤ系だと言う。このセリフがどれだけ皮肉で強烈なメッセージであるか。奴隷制のような残酷なことはいつでもどこでよ起こりうるという、本当に人間ってクズなんだと思ってしまうシーンだ。しかし、こういうのを自分の目で見てみないとわからないのである、その恐ろしさが。だからそういう映像というのは貴重なものなのだ。その“残酷”な映像を目の当たりにする瞬間、それがどれほどの価値を自分に与えてくれるのか。だから必要なのである。

2017年11月6日月曜日

究極のタブー

 長渕剛の選曲第3弾をやらなければならないのだが、その前にものすごい映画を観てしまったのでそれについて少し書きたい。今回はおそらくこの世で最もタブーに挑んだ作品である。戦争や殺人も最もタブーなことの一つだが、今回は“食人”である。『グリーン・インフェルノ』という映画を観たのだが、これはものすごく残酷映画である。といっても笑えるところもあるので、コメディホラー映画である。この映画の監督は、イーライ・ロスという人で、ホラー映画の若きカリスマと呼ばれている。簡単に映画の説明をすると、過激な慈善活動をしている学生団体が飛行機トラブルでアマゾンの奥地に墜落して、その場所は人を食べるという食人族がいた、というなんとも在り来たりは内容である。といっても現実世界では、人間は歴史的にもよく人を食べていた。なので、食人族にしてみれば人間も動物と同じなので、我々の感覚からしてみれば残酷に見えてしまうが、彼らの視点からみると至って普通なことである。そうは思っても、やはり仲間が次々と食べられていくのをみると恐怖を感じてしまう。こういったカニバルイズムは究極のタブーであるが、違う作品の『野火』であったり、そういった状況だと自分はどうするだろう、と考える。食べるか食べないか。もちろん他に食糧がないので、食べなかったら死んでしまう状況である。自分だったら食べちゃうんだろうな、と思ってしまう。
 映画を観ていて思ったのが、食人族よりも、慈善活動をしていた学生団体である。主人公の女学生は自分もそういった活動をしておいた方がいいのかな、といった感じで活動に参加するのである。ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアーということばがあるが、まさにそれである。ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアーというのは、インターネット上でお手軽な正義感に基づいて他人を弾劾したり糾弾したりするひとたちのことをいうのだが、普段全然考えてもいないのに、2分前に拡散されてきたニュースに関して、「これは許せない!」といきなり言いだしたりする。それにこのイーライ・ロス監督はウンザリしていたのだ。そういうひとたちを、どうしたらいいのかと考えていたら、そうだ!食人族に食われてしまえばいいんだ!となった(笑)。それで作られた作品が『グリーン・インフェルノ』である。最近ネットでも炎上とかあるが、これは責任者が誰だかわからないし、本人に責任があるのか周りが悪いのか。とあることに関していろんな考え方があるのに、正義的なものの見方以外は全部アウトになってしまうのがソーシャル・ジャスティス・ウォーリアーの特徴である。これは日本だけでなく世界中にこういうひとがいるのではないかと思う。ネット上だとどうしてもメタな視点でいろんなことをなんでも書けてしまう。それがSNSの特徴でもある。確かに監督の言う通り、ウンザリしてしまうよなぁと思ってしまう。私もそういうのがイヤなので、そういうのはほとんどやらない。メタな視点だと誰でも無敵になれる。全部他人ごとで外野から「バーカ」って言ってられるのだから。こういったことも、前回の投稿のハロウィンなんかのイベントの投稿であったり、なんかある種の共通点があるように思える。そのことに関して肯定するか否定するかの違いだけで、やっていること自体は同じように見える。私もよく思うのだが、“利口である”ことと“利口ぶること”は全然違うということだ。浅はかな考えであったりそもそも普段考えていなかったり、その場のノリであったり、周りに合わせてみたり、とどれも全部無責任というのか主体性がないというのか、それにプラスしてネットやSNSが拍車をかけているのでなんでもアリ状態である。それってどうなの?となってしまうのは当たり前である。その状態に自分がいるのかどうか。本当に残酷なのはそういった人たちなのではないかと考えてしまう。

2017年11月3日金曜日

ハロウィンに思うこと

 少しご無沙汰してしまった。ここ数日いろんな意味で忙しい日が続いていたのである。台風の影響でスケジュール的に少しダメージも受けて思うようにいかない日もあり、しばらくバタバタしていたのである。
 今年のハロウィンはその台風とかの影響があって、結果的にはどれほどの賑わいがあったのだろうか。ニュースを見ていないので、今年の様子を知らないのだが、仮装して歩いている人は何人か見かけたので、ある程度はやっていたのだろう。よく渋谷のクランブル交差点周辺で、こういうイベントごとが行われている。今回のハロウィンであったり、年末のカウントダウン、サッカーのワールドカップを決めた瞬間?など、大勢の人が集まって賑わっているのをニュースで聞くことがある。以前にも書いたことがあるのだが、大勢の人が集まって知らない人と喜びを分かち合ったり、ハグしたり、ハイタッチしたり、写真を撮ったりするのには私は反対とかするつもりはない。世の中としては経済効果とかあって、こういうイベントは大歓迎というのもあるだろう。もちろん、ゴミの問題であったり、事件であったり、近所迷惑だったり、そういうのは当然あるだろが、ここ最近のこういう日本独特に変化した“イベント”に関していつも違和感を感じている。その違和感を文章で表現するのは難しいのだが、できる範囲で書いていきたい。
 そもそもこういうのがニュースになり始めたのは本当に最近の話だと思う。私が気になり始めたといった方がいいかもしれない(笑)。日本にハロウィンが本格的に入ってきたのはディズニーランドが始めたことにより、日本に広まっていったらしい。ディズニーランドはハロウィンの季節になるとコスプレして来場する人が多いが、そのコスプレする範囲が決められているらしく、ディズニー関係のキャラクターのコスプレのみ許されているみたいだ。これは詳しいことはわからないが。一方大阪のUSJはなんでもオッケーみたいだ。話がそれたが、このテーマパークがハロウィンを広めたのはほぼ間違いないだろう。それに拍車をかけていったのがSNSの発達が多いに関係していると思う。リア充であったり、自撮りであったり、そういうコトバができてからなんだかみんなそういうのをやり始めたような気がする。いってしまえば、SNSに投稿するがための行動である。なにもしないよりかはいいのかなぁとは思うのだが、それってどうなの?と疑問もある。ハロウィンは自分を表現する機会、という人もいた。それも逆なのでは?と思ってしまう。コスプレって違う自分になれるからいいのでは?あとはやはり、自分はひとりではないという安心感を得たいからではないだろうか。みんないろんな格好をしているし、みんなしているから自分もできると思っているだろう。そもそもハロウィンを楽しんでいるわけではなく、ハロウィンというイベントを利用して、自分の生活を楽しんでいるように装っている、もしくは知らない人とその瞬間だけ時間を共有している仲間?と楽しんでいる、楽しめているんだという感覚に浸っている。もちろんハロウィン自体を楽しんでいる人もたくさんいると思うし、これらは私のひねくれた歪んだ考えである。しかし、私には渋谷のスクランブル交差点に集結した者たちをみるとそう見えてしまうのである。カウントダウンでもそうだし、サッカーのハイタッチもそうである。そのイベント自体はどうでもいいことである。楽しんでいる自分に浸っている感覚になりたいのだろう。それはそれでいいと思うのだが、私はその場所にはいたくないと思ってしまう。そういうイベントに積極的に参加している人は元気だなぁと見えてしまうかもしれないが、私は全然そう思わない。読者の方からのコメントの返信で、少し書いたことがあるが、外国の人はものすごく元気なのである。普通に話をするときでもそうだし、話をしながらいろんなジェスチャーもするし、スキンシップも多い。日本では見ることがない光景がどこでも広がっているのである。私はそういうのを元気のあると見ているので、スクランブル交差点に集結しているひとたちをそう見えることはない。そういう機会でないとそうなれないのか、とそう感じてしまうのである。感覚が違うんだなぁ。なんかちょっと違うんだなぁ。