一昨日東京では雪が降り、そして積雪もあり、11月での積雪は観測史上初めてのことらしい。積雪といっても全然たいしたことはないのだが、ちょっとうっすら積もったくらいである。雪の降る前日はまだ暖かいくらいであったが、その雪の日は急に寒くなり、もう一気に冬になってしまった感じである。といっても来週には12月になるのでいつ本格的な冬になってもおかしくないのだが。
前回の投稿でスーパーで流れていた洋楽を探していたのだが、苦労した挙句見つかることができた。百数曲目で見つけたのである(笑)。べリンダ・カーライルの“Heaven on Earth”という曲であった。探している途中にもいろんな曲が聴くことができて新しい発見がたくさんあったのである。たまには当てもなく適当にいろんな曲を聞いてみるのもいいかもしれない。
最近もずっと映画を観ているのだがいい意味でも悪い意味でも印象に残る、残りやすい映画というのは私が思うに“過激”な表現があればあるほど残りやすいということがある。その“過激”というのは暴力表現であったり、残酷表現、エロなどいろんな意味を含んでいる。子供では観ることができない、つまりそれはR指定である。私のヒーローの一人であるシルヴェスタ・スタローンの主演映画の一つで“エクスペンダブルズ”シリーズがあるのだが、1作目と2作目ずっとR指定できていたのだが、3作目でスタローンがより若く幅広い世代に観てほしい気持ちがあり、目標はPG-13だったが、協会へ提出した際にR指定評価され、目標のPG-13を受けるために修正しなければならなくなった。スタローンはPG-13にするための過程を後悔しており、もし次回作を作るときは前2作と同様にR指定でいくと答えている。つまりスタローンもかなりこの表現にこだわりを持っている。2008年の『ランボー/最後の戦場』では過去のランボーシリーズよりも更に過激な表現があり、かなりエグイ内容となっている。銃撃戦では肉片が飛び散り、体がちぎれ、内臓が出て、血が吹き出る。しかし、この表現は大げさにやっているのではなく、実際に起こっていること、起こり得ることとして描いている。今までのランボーシリーズとは違って、ランボーのヒーロー像をできるだけ出さないようにした作品である。世間では酷評されているが私はすばらしい作品だと思っている。こういった表現は戦争映画のスピルバーグ監督の『プライベートライアン』が大きく変えたのである。実際に戦争に行っていた人の話をもとに、そしてその中でも一番エグイ内容を集めて作られた作品である。なのであれは大げさな表現ではなく実際にあった、実際に行われていた内容なのである。
上記で述べたR指定映画は観る人を選んでしまう。そういった“過激”な表現が苦手な人も大勢いる。私は好んで観るタイプなのだが。“正しい”、“美しい”、“清潔”、“きれい”、そういったものを希求するのはもちろんすばらしいことである。それは歓迎すべき精神の変化をもたらすのかもしれない。しかし私はそういったもの、価値をあまり認めていない。むしろ嫌っているかもしれない。自分自身を“正しい”、“美しい”、“清潔”、“きれい”といった清廉潔白であることを信じている人は、“愚かさ”、“不潔”、“残酷”、“恐怖”といったものを否定していることになる。ありがたいことに映画の世界ではこういった“愚かさ”、“不潔”、“残酷”、“恐怖”といったものを自ら公言し、笑いながら私たち観客にショッキングな映像を叩きつけてくる。私はそういった性格の悪い映画にどれほど救われたことか。度を越した暴力表現、残酷表現、性格の悪い皮肉な視点、圧倒的な力に無謀にも立ち向かっていく頭の狂った主人公たち。こういったものが私を勇気づけ、奮い立たせてくれる。今までにも何度も救われてきた。結局は無理だった、意味がなかった、未来を変えることはできなかった、現実なんて変わりはしない、それでも主人公たちは戦う。そういったものに私はより感動を覚える。ただのハッピーエンドでは物足りないんだな。もちろんおもしろい作品は山ほどあるのだが。映画は普段では観ることのできない、経験することのできないものを私たちに観せてくれる唯一の機会である。実際の生活の中で、もし私自身が何かで悩み、苦しみ、病んでいる。しかし、映画の中では私よりもはるかに過酷な現状で数億倍苦しんでいる。それでも主人公たちは立ち向かっていく。それを観れば今私が悩んでいることなんて石ころレベルである。そんな風に観ることができたら今実際に苦しみ悩んでいれば、少し楽になるのではないだろうか。現実と映画とは全然違うんだよ、という人はそれでいいと思うし、私は説得も何もしない。だが私はそうは思えない。現実の生活をより豊かにしてくれ、悩み、苦しみ、ストレスを軽減させてくれる。それが映画の良さの一つではないかと思っている。そもそもエンターテイメントってそういうものではないか。その一つが映画、ただそれだけの話である。
日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2016年11月26日土曜日
2016年11月21日月曜日
あの洋楽
11月ももう少しで終わってしまうくらいになってきた。もう12月である。寒いのは嫌いなので毎朝玄関を開けるたびに、本当は寒いのだが、「まだ寒くないな」とか「まだいけるな」などなど寒いのを認めたくない自分がいるのである。しかし、もうそれも限界に近付いてきた。冬の朝に、仕事に向かうための玄関を開けるというのは大仕事である。それが成功すれば一日の9割は成功したようなものである。この大仕事が毎日続いて行くと思うと本当に嫌になってくる。文句を言っても仕方ないのだが。
私が今住んでいる最寄駅にイオンがあるのだが、毎晩仕事帰りに晩ご飯を買ったりするのに利用している。ほぼ毎日地下のスーパーで買い物をしているのだが、そこでいつも音楽が流れている。常に洋楽でそれも正確な年代はわからないが、70年代80年代90年代のちょっと昔の洋楽が流れているのだ。なんてすばらしいスーパーなのだといつも感心している。知っている洋楽も多々流れていて心の中ではいつもノリノリで買い物をしているのだ。つい先日行ったときもいつものように流れていて、私の知らない曲が流れていたのだが、それがめちゃくちゃよかったのである。なんていう曲かを知りたかったのだが、誰に聞いていいのかわからないし、そもそも「今流れている曲は何ていう曲ですか」とも言う勇気もなかなか出てこない。質問できたとしても変質者と言われてもおかしくない。私は言われても気にしないのだが(笑)。というか“変”だし(笑)。しかし、そのときはなかなか質問しようという気力が起こらなかった。これがかなり後悔していて、あの時聞いておけばよかったと今頃になって思うのだ。その後も何度もそのスーパーに行っているのだが、あの曲は流れてこない。一日中いたら流れるかもしれないが、そんなヒマもないし(あるといったらあるのだが)、そんな体力もない(あるといったらあるのだが)。インターネットで70年代80年代90年代洋楽ヒット曲でそれぞれ検索して調べているのだが、まだ見つかっていない。しかもあのときいいなーと思ったが、その肝心のメロディーを忘れてしまったのである。また聴いたら思い出すと思うのだが、一度聴いただけではやはり記憶に残りにくいようだ。それはただ単に覚えが悪いだけかもしれないが。気になったことはその場で解決した方がいいと今更思ってしまう。この後もインターネットであの洋楽を探す予定だが、これも大変な作業である。また別のいい曲も発掘してしまうのでなかなか前に進まない。それはそれでいいのだが。今度そのスーパーに行ったときに流れていたら聞いてみよう。
私が今住んでいる最寄駅にイオンがあるのだが、毎晩仕事帰りに晩ご飯を買ったりするのに利用している。ほぼ毎日地下のスーパーで買い物をしているのだが、そこでいつも音楽が流れている。常に洋楽でそれも正確な年代はわからないが、70年代80年代90年代のちょっと昔の洋楽が流れているのだ。なんてすばらしいスーパーなのだといつも感心している。知っている洋楽も多々流れていて心の中ではいつもノリノリで買い物をしているのだ。つい先日行ったときもいつものように流れていて、私の知らない曲が流れていたのだが、それがめちゃくちゃよかったのである。なんていう曲かを知りたかったのだが、誰に聞いていいのかわからないし、そもそも「今流れている曲は何ていう曲ですか」とも言う勇気もなかなか出てこない。質問できたとしても変質者と言われてもおかしくない。私は言われても気にしないのだが(笑)。というか“変”だし(笑)。しかし、そのときはなかなか質問しようという気力が起こらなかった。これがかなり後悔していて、あの時聞いておけばよかったと今頃になって思うのだ。その後も何度もそのスーパーに行っているのだが、あの曲は流れてこない。一日中いたら流れるかもしれないが、そんなヒマもないし(あるといったらあるのだが)、そんな体力もない(あるといったらあるのだが)。インターネットで70年代80年代90年代洋楽ヒット曲でそれぞれ検索して調べているのだが、まだ見つかっていない。しかもあのときいいなーと思ったが、その肝心のメロディーを忘れてしまったのである。また聴いたら思い出すと思うのだが、一度聴いただけではやはり記憶に残りにくいようだ。それはただ単に覚えが悪いだけかもしれないが。気になったことはその場で解決した方がいいと今更思ってしまう。この後もインターネットであの洋楽を探す予定だが、これも大変な作業である。また別のいい曲も発掘してしまうのでなかなか前に進まない。それはそれでいいのだが。今度そのスーパーに行ったときに流れていたら聞いてみよう。
2016年11月15日火曜日
フランスから来日
最近メガネ話が多くて申し訳ないのだが、先日私がかけているメガネブランドの一つのデザイナーの方がフランスから来日されるということで、ぜひとも伺わせていただこうと思っていたのである。来日されてメガネのお店に来るのは20時半くらいで約1時間ほどの滞在予定みたいであった。私はその日は仕事だったのだが、ちょうど早上がりの日だったので仕事が終わったらお店に行こうと予定していたのである。しかし、その日は金曜日ということもあって夕方から忙しくなり、18時上がりの予定だったのが19時15分上がりになってしまい、急いでいったん自宅に戻り、着替えて準備をして移動はすべて走って向かったのである。お店に到着したのは21時20分くらいで閉店ギリギリであった。いつもお世話になっている男性にスタッフと先日話をしていただいた女性のスタッフの方もいらっしゃり、そしてデザイナーさんもいらっしゃって短い時間であったが話をさせていただいたのである。このデザイナーさんはメガネ業界では大御所中の大御所である。自分のブランドだけでなく、誰もが知っているラグジュアリーブランドのメガネのデザインも手掛けている方で、めちゃくちゃ有名な方なのである。それだけすごい方なのに、すごく温和な方で優しい笑顔で話をしてくださるのである。その方は英語で話をされていたのだが、私は英語は話せないので思いっきり日本語で話をしていたのだが(笑)。私は今まで買ったそのブランドのメガネすべて持って来ていて、そのメガネケースすべてにサインを書いていただいたのである。もう最高である。そして一緒に写真を撮っていただくこともできた。以前、といっても7,8年前くらいになるのだが、私が高校生だったか大学生だったかそれくらいのときに、その時はまだ大阪にしか本店がなかったときで、その大阪のお店にデザイナーさんが来日されるときがあって、その当時も呼んで頂いていたのだが、日程が合わず、当時は会うことができなかった。それがやっと会うことができたということである。急いできた甲斐があった。最後はがっちり握手もしていただき、最高の時間を過ごすことができたのである。帰り道、少し雨が降ってきたのだが、そんなことはどうでもよかった。あれだけ有名な方に会うことができたのだから。今度来日されるときはまた駆けつけたい。
作業ではなく仕事を
先日まではかなり寒かったのだが、ここ数日はまた少しだが暖かくなり過ごしやすい気温だったが、雨が降ったりしてなかなか落ち着かない天気であった。また明日からは寒くなるみたいである。とはいってももう11月半ばでもうすぐ12月になる。やはり9月から時間が経つのが早く感じる。季節の変わり目ということで体調を崩している人が多いみたいなので、体調管理には気をつけたい。
最近仕事で本所属ではない、以前働いていたところにヘルプでシフトインしていたのだが、本所属のところがもう年末近いということもあって、やっと本拠地に地に足を付けてシフトインできるようになった。私が留守にしている間、スタッフの方が定期的に私に連絡を入れてくれていたので、いろんなことがあったみたいでそれを解決していかなければならない。それがなかなか大変である。スタッフの一人である方は基本業務のみをやっていただいているのだが、その方が閉店作業に時間がかかっているらしく、タイムカードを打刻しているのがかなり遅い時間なのである。そのお店は20時に閉店しているのだが、その方が打刻する時間は21時半であったり日によっては22時を回っていたりする。私は20時30分に終わって帰っているのだが。もう一人の方は20時45分である。なぜこれほどまでに時間がかかっているのかわからないのだが、まぁいろいろ理由はあるのだろうけどちょっと時間がかかり過ぎである。私よりも1時間半も遅いのはかなり問題である。これをどうにかせねばならない。早くやる気がないのなら入り時間を遅くして拘束時間をずらすしかないのだが、もう少し時間を考えながら作業してほしいものである。時間は無限にあるものではない。時間的にどうしても終わる事ができないこもあるが、そこまでの仕事量はない。限られた時間の中でどうやって今ある仕事を終わらせることができるかどうかを考えながら仕事をしなければならない。ただやるだけならそれは仕事ではなく作業である。残業代目当てならそれはまた別の話になるのだが。よく残業代目当てに毎日何かしら残業している人はよく見かけるのだが、それはそれで鬱陶しいものである。時間内にどうやったら終われるかを考えて仕事している人よりも、ダラダラ仕事をやって残業している人の方が給料が高いのは絶対におかしい話である。がんばっている人がどんどんやる気がなくなってしまう。これは防がなければならない問題である。自分で気が付けばいいのだが、こういうのはなかなか気が付かないものである。こういうことを指摘するのが一番大変な仕事である。それを解決していかなくてはならない。
最近仕事で本所属ではない、以前働いていたところにヘルプでシフトインしていたのだが、本所属のところがもう年末近いということもあって、やっと本拠地に地に足を付けてシフトインできるようになった。私が留守にしている間、スタッフの方が定期的に私に連絡を入れてくれていたので、いろんなことがあったみたいでそれを解決していかなければならない。それがなかなか大変である。スタッフの一人である方は基本業務のみをやっていただいているのだが、その方が閉店作業に時間がかかっているらしく、タイムカードを打刻しているのがかなり遅い時間なのである。そのお店は20時に閉店しているのだが、その方が打刻する時間は21時半であったり日によっては22時を回っていたりする。私は20時30分に終わって帰っているのだが。もう一人の方は20時45分である。なぜこれほどまでに時間がかかっているのかわからないのだが、まぁいろいろ理由はあるのだろうけどちょっと時間がかかり過ぎである。私よりも1時間半も遅いのはかなり問題である。これをどうにかせねばならない。早くやる気がないのなら入り時間を遅くして拘束時間をずらすしかないのだが、もう少し時間を考えながら作業してほしいものである。時間は無限にあるものではない。時間的にどうしても終わる事ができないこもあるが、そこまでの仕事量はない。限られた時間の中でどうやって今ある仕事を終わらせることができるかどうかを考えながら仕事をしなければならない。ただやるだけならそれは仕事ではなく作業である。残業代目当てならそれはまた別の話になるのだが。よく残業代目当てに毎日何かしら残業している人はよく見かけるのだが、それはそれで鬱陶しいものである。時間内にどうやったら終われるかを考えて仕事している人よりも、ダラダラ仕事をやって残業している人の方が給料が高いのは絶対におかしい話である。がんばっている人がどんどんやる気がなくなってしまう。これは防がなければならない問題である。自分で気が付けばいいのだが、こういうのはなかなか気が付かないものである。こういうことを指摘するのが一番大変な仕事である。それを解決していかなくてはならない。
2016年11月8日火曜日
メガネ屋さんで盛り上がり
今日の東京はすごく寒い一日となった。手がかじかんできそうな感じであった。今年は夏が終わって秋を通り越して冬になってしまったような、そんな気候である。もう冬だな。早いものだなー。
新調していたサングラスを取りに、またメガネ屋さんに行っていた。夕方から天気が悪くなりそうな予報だったので、早く行って早く帰ろうと思い、午前中から出かけていたのである。今日はいつものスタッフの方がお休みで、女性の方が担当して下さったのだが、この方とも話が合い、3時間近く話をしてしまったのである。最初はもちろんメガネの話であった。新調していたサングラスにプラスチックの鼻パッドが付いていたのだが、私の顔には合わず、その鼻パッドを削ってほしいとお願いしていたのである。削る作業はすごく珍しかったですと言われたのだ。フランスで作られているメガネなので日本人向けには作られておらず、日本人はたいてい鼻パッドがなければかけられないものが多いのだ。私が選んだサングラスはカーブのきついものなので、普通だと鼻には乗らずに頬に乗ってしまう人が多いみたいなのだが、私は逆に鼻パッドがない方がしっくりくるのである。鼻パッドを付けることは多くても削ることはなかなかないみたいである。次は仕事の話であったり、外国の話であったり、日本の風潮であったりといろんな話をしたが、私の考えとすごく似ているところが多く、すごく楽しい時間であった。その方の結婚相手の方がニューヨークに住んでいるらしく、私もニューヨークかぶれ?ということもあり、話が盛り上がったのである。あの街、あの島独特のあの雰囲気、空気は何なんだろうね、と言葉では言い表せないもので熱く語っていたのだ。そして外国と日本の比較であったり、もちろんファッションの話にもなった。私もかなり目立ちそうな服装をしていたので、私が「変な目で見られることが多いですよ(笑)」と言ったら、その方は「それはIさん(私の名前)が個性を、自分を持っていてその人は持っていないからですよ」と言ってくれたのである。嬉しい言葉であった。つい先日のハローウィンの話にもなり、盛り上がることに関してや、日本独特に変化したハローウィンのイベントに関しては何も文句はないのだが、何か違和感を覚えるよねー、何か違うよねーと二人で討論していた。みんながやっていることはやりたくないという意見は完全に一致して爆笑していた。その方も仕事上でも海外へ飛び回っている方なので、やはり見てきたもの、経験してきたものが多いのである。私も聞いていて勉強することばかりであった。その方も、「久しぶりに元気な若者?に会えてなんか安心しました。この若くて体力があるときに、お金も使って?いろんな経験をしてください。それは全部自己投資になりますから」と言葉をいただいたのである。そう言ってくださると嬉しいものである。まぁ最近はお金を使い過ぎてヤバいと思うことが多いので、少しは気をつけないといけないのだが(笑)。
2016年11月6日日曜日
変わらないもの
最近東京は天気のいい日が続いて大変過ごしやすい。今日は休みであったが、ずっと部屋にいて昨日渋谷のタワーレコードで買った映画4本をずっと観て過ごしていた。ずっとパソコンの画面を見ていると目が疲れてしまうが、そんなことには構わず見続けた。どれもおもしろかったのでついつい観てしまうのだな。
先日、高校時代の友人から連絡があり、前々から電話するわと言っておきながらなかなか電話できずにいたので、調度仕事の帰り道だったので、電話して話をしたのである。結果的には3時間ほど電話してしまったのだ。久しぶりだったので話すことも多いわけである。話をしていて私とその友人が感じたことはおそらく、あの時と何も変わっていないんだな(成長していない)ということである(笑)。私たちは何につけても“暴言”を繰り返しはき続けるので、一つのネタで延々と“暴言”を言いまくるのである。それが高校時代からずっと続いているのだな。そういう意味で何も変わっていないのである(笑)。高校時代、休み時間に、廊下でその“暴言”をはいて笑いまくっていたら、私の担任の先生が通り、先生が「お前ら文化祭で漫才しろ」とまで言われたのである。低レベルな内容でいちいち笑ってしまうのだな。もう言ってしまえば30歳近いオッサンらがあの時と変わらない内容で、あの時と同じように、アホみたいに、バカみたいに笑えることは、私たちはまだまだ“高校生”なのかもしれない(笑)。私としては小学4年生くらいから何も変わっていない気がするのだが(笑)。私はそれがいいと思っている。人生楽しまな損である。苦しいことも、悲しいことも、辛いことも、笑えるネタになればそれはすごい能力である。そんな生き方がいい。人生どれだけストレスなく生きていくか。私はそれが大前提であるから。
その友人との電話は日が変わってもしゃべり続けた。彼は大阪に住んでいるのでなかなかすぐに会うことができない。私が大阪に帰っても結局すぐに東京に戻らなければならないので、なかなか予定を定めるのが厳しいのが現状である。大学時代は長期休暇が多かったので青森から大阪に帰ったときに会っていたのだが、働きだしてからはおそらく一度も会えていないような気がする。ゆっくり会って話をしたいものだな。まぁ、会って話をしても内容はどうせいつもの“アレ”なのだが(笑)。久しぶりだったので話をしていると内容がいろんなところに飛んで結局話が長くなってしまったのである。おそらく3年後、5年後、10年後、30年後、死ぬ間際になっても私たちは変わらずに、いつもの“アレ”で笑い合っているだろう。いつまでも変わらず、ずっとあの時のままだ。それが紛れもない“私たち”である。また会える日を楽しみに、私たちは電話を切り、また日常へと戻ったのである。
先日、高校時代の友人から連絡があり、前々から電話するわと言っておきながらなかなか電話できずにいたので、調度仕事の帰り道だったので、電話して話をしたのである。結果的には3時間ほど電話してしまったのだ。久しぶりだったので話すことも多いわけである。話をしていて私とその友人が感じたことはおそらく、あの時と何も変わっていないんだな(成長していない)ということである(笑)。私たちは何につけても“暴言”を繰り返しはき続けるので、一つのネタで延々と“暴言”を言いまくるのである。それが高校時代からずっと続いているのだな。そういう意味で何も変わっていないのである(笑)。高校時代、休み時間に、廊下でその“暴言”をはいて笑いまくっていたら、私の担任の先生が通り、先生が「お前ら文化祭で漫才しろ」とまで言われたのである。低レベルな内容でいちいち笑ってしまうのだな。もう言ってしまえば30歳近いオッサンらがあの時と変わらない内容で、あの時と同じように、アホみたいに、バカみたいに笑えることは、私たちはまだまだ“高校生”なのかもしれない(笑)。私としては小学4年生くらいから何も変わっていない気がするのだが(笑)。私はそれがいいと思っている。人生楽しまな損である。苦しいことも、悲しいことも、辛いことも、笑えるネタになればそれはすごい能力である。そんな生き方がいい。人生どれだけストレスなく生きていくか。私はそれが大前提であるから。
その友人との電話は日が変わってもしゃべり続けた。彼は大阪に住んでいるのでなかなかすぐに会うことができない。私が大阪に帰っても結局すぐに東京に戻らなければならないので、なかなか予定を定めるのが厳しいのが現状である。大学時代は長期休暇が多かったので青森から大阪に帰ったときに会っていたのだが、働きだしてからはおそらく一度も会えていないような気がする。ゆっくり会って話をしたいものだな。まぁ、会って話をしても内容はどうせいつもの“アレ”なのだが(笑)。久しぶりだったので話をしていると内容がいろんなところに飛んで結局話が長くなってしまったのである。おそらく3年後、5年後、10年後、30年後、死ぬ間際になっても私たちは変わらずに、いつもの“アレ”で笑い合っているだろう。いつまでも変わらず、ずっとあの時のままだ。それが紛れもない“私たち”である。また会える日を楽しみに、私たちは電話を切り、また日常へと戻ったのである。
2016年11月4日金曜日
メガネの良さ
本日の東京はすごく天気のいい日であった。影を歩けば少し肌寒く、太陽の下だと少し暑いくらいであった。まだ過ごしやすい時期である。これがあっという間に冬になってしまうのだな。私はどちらかというと寒いよりも暑い方が好きである。寒いと縮こまってストレスがたまるからである。まあどうでもいいのだが(笑)。
先日メガネを拭いているときにメガネが折れてしまうという事件というか事故が起こってしまい、そのメガネは大切なもののひとつなので修理に出していたのである。そのメガネの修理ができたということで電話がかかってきていたので、今日はちょうど天気もいいということでメガネを取りに行ってきた。予想以上に修理のクオリティが高く、折れたところがほとんど分からない状態になっていた。修理代は1万円と少し高かったのだが、大切なものなので、できればずっと使っていたいものである。私が行っているメガネのお店は東京では2店舗、大阪でも2店舗ある。私のメガネの価値観をぶっ壊してくれたのが私が通っていた高校の近くにあり、私が気に入ったメガネブランドの本店が梅田のスカイビルの近くにあった。当時高校生の時にお世話になっていて、数年前に東京にも店舗を出店するということで、大阪にいらっしゃった店員さんが東京に来ていて、改めて東京でお世話になっているということである。意外にもつながっているんだな。
メガネをかけ出したころは、メガネが大嫌いでできればかけたくないものであった。しかし、メガネなしでは生活に支障をきたしてしまうほど悪くなってしまい、嫌々かけていたのである。そんなとき、調度メガネの替えどきということでメガネを探そうとしたとき、そういえば高校の近くにメガネ屋さんがあったなということでお邪魔させていただいたのだ。私の人生の転換期の一つである。メガネはただ単に視力の補助をするための道具ではなく、表情を豊かにさせてくれる道具の一つであるということを教えてくれたのだ。メガネは服とは違って顔の一部である。話をしていて相手に与える印象が大きく違ってくるのだ。そういう考え方があるのだと私は知ったのである。メガネの値段はやはり高い。これで良いや、と気軽に買える値段ではない。でも、その値段そのものの美しさ、楽しさ、個性、価値がある。授業中にだけかける、仕事中にだけかける、というのではメガネもかわいそうである。「私メガネ似合わないだよね」という人が結構いるが、それはただ単に自分に似合うメガネに出会っていないだけだ。私はおそらく通算してメガネ、サングラスを試しにかけた数は1000型を超えていると思う。そのお店に置いてあるメガネすべて試しがけさせていただくくらいの勢いである。置いてあるものは芸術そのもの。自分に合うものは必ずあるのだ。
私のファッションの入口はメガネだったのである。大学1年生以来、メガネは買っておらず、少しメガネから遠のいてしまっていたが、夏にまたメガネを新調し、サングラスなども新調して、改めてメガネっていいなーと再確認していたのである。その日の気分によって今日はこのメガネ、このサングラス、コンタクトで、といろんな“顔”を持つことができる。そういう楽しみ方もできる。自分の人生を豊かにさせてくれる道具なのだ。
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