2013年5月27日月曜日

それぞれの生き方

 一日の休みというのは本当にあっという間に終わってしまう。起きて部屋を掃除して休憩をしたらもう夕方である。まあ起きるのが遅いだけなのだが。休日になる前日の夜が一番いい。ついつい遅くまで起きてしまう。休日になれば次の日はまた仕事に行かなければならないので、休日の前日がいいのかもしれない。



今の仕事をして一ヶ月が過ぎた。大変なことばかりだが、学ぶことも多い。学生の期間は20年弱。それを過ぎれば社会人。社会人は無制限の期間だろう。学生が終わって、社会に出て、自分が何をするのか自由に決めることができる。何をするのか、何がしたいのか、自分で決めることができる。一つの場所にとどまることもよし。様々なところに転々とするのもよし。自分で何かを始めるのもよし。一つの組織に属して骨を埋めるのもよし。どれも正解である。自分のやりたいようにやればいい。しかし、自分の決めたことには責任を持たなければならない。それが“自由”というものである。“自由”とは“責任”である。
 私にはやりたいことが山ほどある。それが全部できるかはさて置き、それらが夢であることには違いはない。人は、「それは難しいだろう」と言うがそれは正しいかもしれない。しかし、やるかやらないかは自分が決めることである。難しいかもしれないが、不可能ではない。人よりも苦労をしなければならないし、努力も必要だし、覚悟も必要である。誰にでもチャンスはある。そのチャンスを逃すか逃さないか。それはその人次第である。一生このままでいいという人はそのままでいい。このままでは嫌だという人は何かを変えなければならない。周りを変えたければまず、自分から変わらなければならない。
 生き方に正解も間違いもない。70億人の人がいれば70億通りの生き方がある。私は私の生き方があり、やり方がある。人の生き方に文句も言わない。しかし、「こうはなりたくないよな」と思う瞬間がある。人は誰にでもチャンスはある。そのチャンスを逃したら私は一生後悔するんだろう。誰のせいでもない。チャンスを逃した自分が悪いだけだ。それはそれでいいかもしれない。それも人生なんだから。だが、勝負はしたい。敗者とは負けた人をいうのではない。スタートラインに立たなかった人をいうのだ。リングに上がらなかった人をいうのだ。人ひとりの命を救う者は、世界をも救う。人ひとりの人生を変える人は、世界をも変える。生きる上で信念がなければやっていくのは厳しいものだ。そして己の信念を貫くのも簡単なようでなんとも難しいことだ。その信念を貫けない者は、惨めなものだろう。戦いもせずに偉そうなことを吠える負け犬にだけはなりたくないものである。

2013年5月21日火曜日

狭い街、日本

 休日は早く過ぎてしまう。また明日から始まる。体調に気をつけてやっていこう。


3月末こちら東京に来て、3日間だけ母が部屋の片付けをしに来てくれた時がある。そのついでに東京を案内してあげたのだ。私は東京に住んでいる人よりも東京を知っているような気がする。なので私が気に入っている場所を少しだけだが母と一緒に歩いた。六本木一丁目から赤坂まで歩いていこうと思い、適当に歩いているとある女性が話しかけてきたのだ。「赤坂サカスはどこですか」と聞いてきた。見た目は日本人だが、少しカタコトのようだった。私は「僕たちも今赤坂サカスに向かうところなので、一緒に行きましょう」と一緒に行くことにした。その女性と話をしていると帰国子女らしい。今はアメリカのロサンゼルスに住んでいて、実家は東京にあり、3週間ほど日本に戻ってきたという。ロサンゼルスで飲食店を経営していて、メールアドレスを教えてもらい、もしロサンゼルスに遊びに来た時はぜひ連絡してくださいとのこと。これはうれしいことである。その経営しているお店をあとで調べてみると、ちょっとすごそうな感じ。どうやらすごい人と出会ったのだ。出会いというのは大切にしなければならない。
 その話はさて置き、その女性は道に迷っていたということなのだが、タクシーに乗ろうともしたらしいのだが、一回京都で乗車拒否されたらしい。その時も道に迷っていたらしく、タクシーで行こうとしたらその行き先が近かったようで乗せてもらえなかったらしい。今回も乗車拒否されたらどうしようと思ったらしく、そこでたまたま私たちと遭遇したということだ。私は人に道などを聞かれたら快く教える。もし時間があり、行き先が近くならば一緒に行く。見知らぬ場所で、ほんの少しでも助けがあればどれほどありがたいか私も痛いほどよく分かる。
 外国人はこの日本の街でよく道に迷うのではないかと思う。その女性も日本の道はよくわからないという。私もそう思う。なんせ道が狭いし入り組んでいる。ニューヨークもそうが、ロサンゼルスも碁盤の目になっているらしい。そして道路面積が広い。昨日のブログで、「3ブロックを走った」と表現したが、この表現は日本にはない。ニューヨークで自分が今どこにいるのかと迷うことはほとんどない。わかりやすい街なのである。そして道が広いことにより、開放的な気分になる。そこがいい。日本のように狭い道が入り組み、蜘蛛の巣状になっている。確かに道に迷うのもしょうがない気がする。もちろん狭い道になっているのは日本だけではない。イタリアのベネチアも迷路のようになっているが、それはベネチアの名物の一つになっている。それは美しい。しかし、日本はただひたすら雑居ビルが立ち並んでいるだけという、風情の欠片もない状態である。ニューヨークの街に憧れる要因の一つとして街の景観がある。今更街の景観よくしようとしてもそれは不可能に近いことだが、外国人にしてみたら狭い街なのだと思う。

2013年5月20日月曜日

ハーレムのゴスペル

 今日は休日で、今月唯一の連休である。昨日は朝の6時30分から夜の10時30分まで働いた。朝から夜はさすがに疲れる。まだまだ慣れないことばかりなので余計に神経を使い、疲れてしまう。今の場所に配属されてから約1ヶ月だが、仕事に慣れてきたという実感はない。もちろん最初の方に比べればマシなのだが、覚える仕事はまだ山ほど残っている。先輩方の足を引っ張ってばかりである。ノートを作って勉強しているが、まだダメである。一日でも早く慣れるようにしたい。


 先日、大阪の阪急百貨店でニューヨークフェアがあると書いたが、母が行ってきたらしい。しかし、それほど良くなかったという。まあそりゃそうだろう。ニューヨークのお店をいくつかもってきても、所詮それだけの話である。ゴスペルも聞けなかったらしい。うーん、これはもったいないと思うが。

アビシニアン・バプティスト教会
ここで私のニューヨークでのゴスペルの話をしよう。旅の3日目、日曜日の朝ホテル(ユースホステルだったが、私はシングルの部屋だった)を出発した。行き先はハーレム。セントラルパーク以北は行ったことがなかったので楽しみであった。朝9時からのゴスペルに参加しようと思っていたので、8時過ぎに出発し、地下鉄に乗った。初めての地下鉄である。135丁目駅に行きたかったのだが、この地下鉄は96丁目から2方向に分かれていた。次にくる地下鉄が私の行きたい方向に行くのかわからなかったので、近くにいた女性に聞いてみた。その女性は、「うん、行くよ」と言う。その言葉を信じて乗ったのだが、やはり心配になってきた。私は街を歩いていてもガイドブックは絶対に見ないようにしている。観光客と周りに悟られないためだ。観光客を狙ってくる人もいる。そのためガイドブックは誰も見ていないところでこっそり見るようにしていたが、今回はそう言っていられなくなったので、カバンからガイドブックを取り出し確認してみると、135丁目駅には行かないではないか。急いで96丁目駅で降りた。次の地下鉄も先ほどの地下鉄と同じ行き先だ。ここからの行き方がわからなかったので、男性に聞いてみた。どうやら私の行きたい方向の地下鉄は出ていないらしい。この96丁目駅から無料のバスが出ているというので、男性が教えてくれたところに行くと、無料の切符を配っていたのでそれをゲットした。地上に出たが、バスがどこから出ているのか周りをキョロキョロしていると黒人の女性が「バスはあそこだよ」と教えてくれた。バスも初めて乗る。バスの運転手に135丁目駅に着いたら教えてくださいと頼んだ。やっとのことで135丁目にたどり着いたのだが、8時50分であと10分で始まるではないか。私が行こうとしていた教会が138丁目だったので3ブロックを走った。到着したのだが、観光客は並ばないといけないらしく、観光客の列に並んだ。予想以上に観光客がたくさんいた。しかし、予定の9時を過ぎても中に入れてくれる気配がない。寒い中をひらすら待った。ここの教会に行く黒人の方々は実にすごかった。何がすごいかというと女性も男性も子供も頭から足先までビシッとキメていたのだ。いかにも高級そうな。あれほどパンチのきいた人の集団を見たのは生まれて初めてである。白色人種でも黄色人種でもあれほどのインパクトは残せないだろう。
 ここの教会はアビシニアン・バプティスト教会というニューヨーク最古の黒人教会である。日本に帰って調べてみたのだが、ヒラリー・クリントンさんも演説に来ていたらしい。寒い中をひたすら待ち、中には入れたのは11時半。約2時間半外で待たされるということになった。待っている間に何度もこの教会の説明などをしていたが、私はほとんど聞き取れなかった。何時に中には入れるかわからないとは言っていた。あと今日はWomen's Dayという日で、ゴスペルはあまりやらないといっていた。水曜日はゴスペル中心なので、そっちのほうがいい人は水曜日に来てくれという話であた。水曜日には私はワシントンにいるので、今日なんとしてもゴスペルを聞かなければならなかった。
 観光客は2階の席に案内された。教壇の上の席にゴスペルシンガーが約30名ほどいて、マイクで歌うシンガーが一人いた。ゴスペルは宗教行事なので、落ち着いた感じなのかと思いきや、あれはまさにライブであった。ものすごい迫力である。見ている人も手拍子。そして会場全員が立って手拍子し、拍手を送る。感動である。これがブラックカルチャーなのか。すごい。すごすぎる。私も立って泣きながら拍手を送った。説教もあり、女性が演説していたがこれも力強いすごい演説であった。ここでも立って拍手を送る。日本との大きな違いを見せつけられた。この力強さは日本には存在しないものだ。教会を出るときに、観光客を案内していた黒人の方と握手をした。その握手も力強かった。
 約2時間半寒い外で待ったのだが、待ってよかった。ディズニーランドのアトラクションで2時間半待つのとでは格段に話のレベルが違う。どっちかを選べと言われたら、迷わずゴスペルを選ぶ。今回のこのゴスペルの経験は私に強烈なインパクトを与えた。これからニューヨークを訪れた時は必ずゴスペルを聞きに行こうと思う。

 余談だが、この138丁目はダイハード3で、敵役のサイモンがマクレーン刑事に最初の命令で行かせたところであった。ダイハード3はニューヨークが舞台の映画なので、大好きな映画の一つである。

2013年5月9日木曜日

食生活に気をつける

今働いているところはシフト制なので、規則正しい生活は難しい。夜帰ってくる時間が12時を過ぎる場合もある。寄り道をしなくてもこの時間になる。また、来週からは朝7時には出勤していなければならず、朝起きるのは午前4時過ぎになりそうだ。朝早かったり、夜遅かったり、もしくは両方だったり。シフト制なのでこれは仕方のないことだが。健康管理は徹底したい。
 食事にも気を使っている。幸運なことに、食品会社なので食に関しての知識は少し勉強している。お昼ご飯は基本自分の会社のお弁当を食べている。何種類かあるのだが、半日分の野菜を摂取できる弁当を主に食べている。また、この会社は有機食材を扱っていて、さらに添加物も使用していない会社なのだ。添加物はかなり恐ろしいものだというのは勉強したし、自らの健康管理をする上では重要なことである。まあこの時代、添加物から版画れられないのだが。しかし、昼ご飯だけでも添加物を取らないでいると、一日摂取する添加物を今までの3分の2に抑えられる。これは長い目で見れば大きい。そして自宅では4人前の生野菜を必ず食べている。主に野菜が食事のメインだ。ファーストフードは自分から食べることはないし、最近はカップラーメンも食べない。それだったら生野菜を食べている方がいい。
 学生時代は不規則な食生活をしていたが、今働いているとちゃんとご飯を食べなければを思う。学生は体調を崩してもなんとかなるが、社会人になって体調を崩すと多大な迷惑や影響がある。そうならないためにも食生活にはかなり気を使うようになった。食費を削ろうとして、ろくなものも食べず、体調を崩してしまうような人もいるが、言語道断である。もちろん高い良いおのを食べろという意味ではない。まともなご飯を食べないとという意味である。自分の健康管理もできない人は仕事する資格はない。仕事をする前にまず自分の健康管理ができるようにならなければならない。自分の面倒は自分で見ること。これは当たり前であり、最低条件である。

2013年5月8日水曜日

ケチくさい人

新聞を配達してもらおうと考えている。現在テレビがない状態が続いているので、情報が入ってこない。これはなんとも恐ろしいことだ。情報社会で情報が入ってこないのは恐怖である。本当はテレビも欲しいのだが、そこまで手が回らない。それよりも新聞が欲しい。
 私はテレビをあまり見ない。現にテレビがない生活を送っている。なくても困らないことがわかる。テレビが好きな人は、いくつもの番組を録画しておいて、休日はその録画しておいた番組を見るという生活をしている人もいるが、私にはそれはありえない。とりあえず今世界で何が起こっているのかが知りたいのだ。
 働き始めて、お金のことを考える機会が多くなった。給料はいくらで、そのうちいくらが引かれて、手取りはいくらで、家賃はこれだけで、生活費はこれだけで、光熱費かこれだけで、食費がこれだけで、・・・・・などなど。自分の手元に残るお金はほとんどないことがわかる。一人暮らしをしているとそれはなおさらである。
 私の友人で東京に住んでいるのだが、この友人はこのブログで何度も登場している。就活で家に泊めてくれていた友人である。この友人とは何度も飲みに行ったり、遊んだりしている。彼も一人暮らしで、高卒で東京に出てきている。彼もやっぱりお金がたまらないらしい。
 お金がたまらないといっても、その友人はお金の使い方をよく知っていると思う。彼と飲みに行ったりすると必ず彼が多く出してくれる。「学生やからええよ」といつも言ってくれる。しかし、今私が社会人になって、お金のことについて考えてみると、彼のやっていることはなかなかできるものではない。
 私はおごってもらうのが好きではない。なんといったらいいのかわからないが、おごってもらった人の下になる気がするのだ。今日はおごるから、と言ってくれるときはその言葉に甘えるのだが、基本おごってもらうのは好きではない。しかし、おごるのは好きである。先ほど述べたことの逆になるし、何かしらの形でいつか自分に返ってくるのがわかるから好きである。中には私が多めに出そうとすると、断りはするが明らかに嬉しそうな様子を浮かべる奴がいるが、そういう奴には二度とおごったり多めに出したりはしない。というかそんな奴はさっさと縁を切る。
 ケチな奴も私は嫌いである。一円単位まできっちり計算しようとする人がいるが、あれは鬱陶しい。ちょっとくらい多く出したって大したことはない。これはお金を大切にいていないというわけではない。もちろん全額出せといっているわけでもない。お金の使い方が間違っているとは言えないが、よろしくないと思う。見ていてかっこわるいし、「ケチくさいやっちゃなー」と思う。何でもかんでもケチろうとする人は、結局お金がたまらない人だと思う。その場(人との交流の場での話)しのぎでお金を使わずに済んだだけであって、長い目で見れば逆効果ではないかと考える。まあ私もケチくさい人間にはなりたくないものだな。

2013年5月7日火曜日

阪急でニューヨークフェア

ソーホー
先日、大阪のグランフロント大阪という商業施設がオープンした。ゴールデンウィークはそのニュースが多かったという。大阪梅田のヨドバシカメラのすぐ近くにあるのだが、梅田は商業施設や百貨店の激戦区である。大きな施設ができると人の流れが一気に変わってしまうのだが、これほどの激戦区は東京でもないだろう。銀座も激戦区ではあるが、今回この施設がオープンして大阪梅田が日本一の激戦区になったのではないだろうか。書店の激戦区も大阪梅田が日本一である。大阪もなかなかやるではないか。東京は、銀座、渋谷、新宿、池袋、六本木、などなど多くの繁華街があるが、大阪はキタかミナミだ。東京を圧縮したみたいなのが大阪だ。とはいっても東京と大阪は全然違うのだが。それにしてもこのグランフロント大阪に行ってみたい。帰ったら真っ先に行こう。
 そして5月15日から21日まで、阪急本館でニューヨークフェア2013があることを母から聞いた。なんと!!それには行きたい。でも無理である。うーん、どうにかならんのか。ニューヨークはおもしろい。地図を見ているだけで気分が高揚する。やっぱりあの街には引き寄せられる。だって世界一の街なんだからな。そりゃすごいわ。
 ニューヨークで気がついたことなのだが、日本と同じように様々なレストランやカフェ、バーなどの飲食店がある。日本では人がたくさんいる店、その反対にほとんど人がいない店がある。しかし、ニューヨークではどの店も人で賑わっているのだ。これはすごいと思った。少し静かなソーホーを歩いていても、そういう店があると覗いてみるのだが、やっぱり人がいる。人で賑わっているのを見ると、全く関係ない私も嬉しい気分になる。どこの店にも人がいるのはどうしてなんだろうか。裏通りが存在しないからだろうか。それともマンハッタンに住んでいる人がたくさんいるからだろうか。
 あとイベントもやるらしく、その中でゴスペルを歌うシンガーがいらっしゃるそうだ。これはやばい。これは必見である。3月に一人旅したが、今回ハーレムに行って本場のゴスペルを聞いてきたのだ。これぞブラックカルチャー!!私は泣きながら拍手を送った。感動した。これからニューヨークを訪れるときは、必ずハーレムに行ってゴスペルを聞こうと思う。詳しいことはまた改めて投稿しよう。とにかくあのゴスペルは素晴らしい。なので今回阪急でゴスペルを聞けるチャンスだったのだが、残念で仕方がない。これはまた次の機会に、やな。

2013年5月4日土曜日

一筆男子。

 東京では桜が散って、今は過ごしやすい季節となっている。暑くもなく寒くもなくといったところだ。もうすぐすると梅雨の時期がやってきて、そしたら夏がやってくる。こちらに引っ越してきたのは3月下旬だったが、あれからまる一ヶ月と少したった。早いものである。年を取るスピードは車のスピードと一緒だという。車は10キロよりも20キロ、20キロよりも50キロのほうがスピードが速い。年を取れば取るにつれて、過ぎるスピードは速くなる。よく学生に戻りたいという声を聞くが、私は全く思わない。今の方が格段に充実しているし、楽しい。もちろんしんどいことばっかりだが、その先に目指しているものがあるので、ただ今はそれに向かって走っている状態だ。そうはいっても仕事へ行く朝はやっぱり苦しいものだが(笑)。楽してお金なんて稼げるわけがない。お金を稼ぐというのは大変で当然である。


 先日、掃除をして部屋を整理していたら、新聞の気に入った記事を切り取って保管しているのだが、それが出てきてすこし読み返していた。これはとある百貨店のステーショナリーの宣伝の記事だ。海外へ一人で出た私にはこの気持ちがわかるような気がする。それをちょっと載せてみたい。


 一筆男子。
ジェファソン記念館

 学生時代、一人で初めて海外に出た。
 無計画な旅に出発する前夜、母は丁寧におった紙幣を押し付けながら小さく言った。
 「時々は便りをなさい」
 心配をひた隠したその目が焼きついて、バンコクに到着するなり一通目を送った。「無事。暑い。」露店で買った絵葉書の埃を払いながら、短い言葉を並べた。二通目はデリーから。宿のクーラーは唸るだけで、汗でインクが滲んだ。涙と勘違いされないか気がかりだった。
 その後は行く先々で好奇心に翻弄され、文字にできない日々が続いたが、欧州に辿り着くと急にペンが軽くなった。次第に小銭が惜しくなり、籍を置いた語学学校の食堂のナプキンに“フランス語は簡単”などと怪しい綴りで書いては、事務局で使い古しの封筒をもらって投函した。授業をさぼると、美術館の半券や秋色のマロニエの葉を同封した。
 とうに予定を過ぎて家に戻ると、母は送ったものすべてを居間の壁にピンナップしていた。数はそれなりだが、文面はどれもおそまつ。なかには。「○」ひとつだけ、というものもある。息災を知らせたつもりだったのだが。
 印刷のずれた絵葉書、お国柄漂う切手、謎めいた同封物が並んだ様子は、語学学校の水色の封筒が海のようでもあり、どこか世界地図のように見えた。母は心配の消え去った目を細めて、気ままな息子と見比べていた。
 遥か年月が経った今頃になって、出る先々でまた一筆したためるようになった。ふとよぎるものを綴り、旨い店との遭遇をレポートする。その土地限定の切手を探しながら。
 青春解雇が理由ではない。一方的な土産を面白がってくれる友が増えたのである。そして、どこにいてもペンを走らせたくなる、なんともいい道具を見つけてしまったからである。
 とはいえ、二通に一通は手渡しにしようと思う。旧友の一人、母宛だけは。

母校の卒業式で恩師と再会

 ゴールデンウィークだが私は今日も出勤していた。お客さんの一人から、「ゴールデンウィークなのに大変だね」と言われた。これが仕事なのだから仕方がない。社会人となって3連休以上とるのは難しくなる。私の仕事では2連休取ることも難しい。まあ、そんなことはどうでもいいのだが、お客さんを見ていても大きな荷物を持っている人が多かった。実家に帰るのか、遊びに行くのかはわからないが、日本全国おもしろいようにこの休みには動き出す。新幹線の切符も早めに予約しておかなければなくなってしまう。この連休を楽しみにしていた人も多いはずだ。
 今私にゴールデンウィークがあったとしても、実家には帰らなかっただろう。今実家に戻る気がないというか、余裕がないというか、足が重たいというか・・・。それよりもやらなければならないことがアホほどある。今は気を休めている暇はない。もう少し余裕が出てきたら大阪に少し戻ろうという気が出てくるかもしれないが、今はない。大阪と東京は近いので、その気になればいつでも行き来できるので気分的にはどうってことないが。


多摩川沿い
3月5日に教育実習に行った高校の卒業式があり、私も時間を見つけ、とりあえずの最後ということで少しだけ伺ったのだ。式には卒業生、在校生、保護者、教員しか入れないため、私は式が終わるまで食堂で待とうと思い、椅子に座って新聞を読んでいた。「ここに来るのもこれが最後かもしれないな」と誰もいない食堂で思いを巡らしていた。しばらくすると、誰かが「おーい」と私に呼びかけた。ふと出入り口の方を見ると、なんと私が高校時代にお世話になった恩師、担任のT先生がいるではないか。このT先生は今は違う高校で教員をされている。1年か2年ほど前、T先生に会いにその高校へ行ったりしたし、私の教育実習最終日に高校まで来てくれてお疲れ様パーティーまでしてくれた。最近はしばらくご無沙汰していたので、会いに行かなければな、と思っていたところであった。あまりの突然さにうれしくなり、お互いに自然と抱擁。先生がこの高校で教えていた最後の教え子が今回卒業する生徒なので今回この高校生来たのだ。
 「茶でもしばきに行くか」とこの高校の近くにある喫茶店に向かった。そこでもいろいろな話をさせてもらたった。主にお互いの旅の話。先生は去年の夏にエルサレム周辺を旅したのだ。そして私は数日後に出発することを伝えた。また先生はアメリカのことに関してもかなり詳しいので、通なところを教えてくれた。高校を卒業してからも未だに交流があり、これほどいい先生はなかなかいないだろう。
 私はその卒業式にはそれほどゆっくりいれなかった。ほかにも予定が詰まっていたし、やらなければならないこともたくさんあったので、ゆっくりすることができなかった。生徒たち、先生方とちょっとした挨拶をしてお暇させてもらった。まあ、部外者の私がたらたら長くいるのはあまり美しくない。こういうのは風のように来て、風のように去っていくのがいい。自分の卒業式には行かず、他人の卒業式に参加するというのはなかなか面白い。T先生に言われたのだが、「お前やったら来ると思ったわ」と。私は、「なんでわかったんですか?」。T先生、「ん、勘」。