今日は11月の末だが、天気が良く、すごく暖かい一日であった。年末に近づくにつれて忙しくなるし、年末はお店とかもすぐに閉まってしまうため、仕事の後に買い物ができなくなってしまうので、今のうちに必要なものは少しずつ用意しておこうと思い、買い物をしていたのである。本当はどこかへ遊びに行きたいのだが、ここで体調を崩してはいけないので、できるだけ家にいようということですぐに家に帰ったのである。天気が良かったので久しぶりに歩きたいとも思ったが、それは繁忙期が過ぎた来年にしようと思う。本当にイヤな時期だなー。
来年は早々に『クリード/炎の宿敵』という映画が公開されるのだが、この映画は『ロッキー』シリーズの続編なのである。『ロッキー』シリーズは全部で6話あり、更にその続編として新たに『クリード』という新シリーズが始まったのである。来年に公開されるのがその2話目である。前話は『クリード/チャンプを継ぐ男』である。私はこの『クリード/チャンプを継ぐ男』をなかなか観なかったのである。本当は観たいという気持ちもあったのだが、なんせ『ロッキー/ザ・ファイナル』がシリーズ最終話として完璧過ぎる着地をしたので私の中ではこれで『ロッキー』は完結してしまっていたのである。でも来年にまた続編が公開されるというのを知り、やっぱり観ないといけないなーと思って『クリード』も観るようにしたのである。当然だがめちゃくちゃおもしろかった(笑)。やっぱりロッキーは変わらないんだなーと。誰もが知っているロッキーのテーマソングがあるが、今回は新シリーズということで流れないのかなーと思ってみていて、最後の方になってやっぱり流れないなーと思っていたらここぞという瞬間にバーンと流れたときは号泣であった。やっぱりすごいなーロッキーは。この続編である『クリード/炎の宿敵』は『ロッキー4』で闘った敵の息子が今度の相手になるのだ。『ロッキー』シリーズはすべて繋がっているのである。アメリカではすでに公開されているのだが、かなりのヒットを飛ばしているらしい。これは絶対におもしろいに決まっている。私も年が明けて少し仕事が落ち着いてきたら観に行こうと思っている。そういえば今年の最初は『キングスマン/ゴールデン・サークル』から始まった。そこから休む暇もなく『ツイン・ピークス』になり、『ツイン・ピークス/ザ・リターン』になった。来年は『クリード/炎の宿敵』から始まりそうである。ちなみに『キングスマン』の続編がもう少ししたら撮影を開始するらしい。こちらも期待大である。何度でも言うが、うざったい毎日だし、クズ野郎ばっかりだし、ブチギレたい毎日だが、もう本当に“奴ら”に救われている。たとえその2時間3時間の間だけでも現実を忘れられる。終わったら現実に戻されるわけだが(笑)。でも、私も闘おうとほんのちょっとだけでも思える瞬間がある。それだけでもいいと思う。そう思えているということは、観る前と観た後の自分が変わっているという証拠であるから。現実なんか変わりはしない。現実は確かに厳しくて苦しくて辛い世界だ。でもその中で“夢”をみせてくれる。世の中にはどうしようもない、どうにもならない現実というのが存在する。そのとき、目には見えないもの、論理では説明できないものこそが本当は大切なんだと気がつく瞬間がある。それは“夢”であったり、“やさしさ”であったり、“喜び”であったり、“愛”であったり。それを映画はみせてくれる。教えてくれるのだ。どれだけイヤでも明日は容赦なくやってきてしまう。容易に想像がつくイヤな明日が。でも、それでもまた“奴ら”に会える日がその向こうにあるのなら、「ちょっと仕事行ってくるか」とほんの少しだけ気が楽になるような気がする。
日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2018年11月29日木曜日
2018年11月25日日曜日
バカでいこうぜ!!
休日はあっという間に過ぎ去ってしまう。仕事の日の朝はもうおきおきるのが苦痛でしょうがないのだが。前日も寝るのが嫌でしょうがない。世の中にはもっと苦しんでいる人が大勢いるのかと思うと言葉にならない。生きている、生きていく意味というのを考えざるを得ない。本当にヤケクソ笑いで乗り切っていくしかない!!
前回少しだけコメディ映画について書いたが、具体的に今年観た印象に残っているコメディ映画は、『ハングオーバー』シリーズの『ハングオーバー/消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』、『ハングオーバー/史上最悪の二日酔い、国境を越える』、『ハングオーバー/最後の反省会』、『モンスター上司』とその続編の『モンスター上司2』、そして『21ジャンプストーリー』とその続編の『22ジャンプストーリー』である。この映画はもう本当に観ていてしあわせになれる映画であった。全部下品な映画だが(笑)。こんな映画を観ると本当に心が救われる。こんなんでいいんだと思う。いいわけないが(笑)。バカはバカなりに必死になってなにかをやるというのはカタルシスがある。最初からできるヤツがなにかをしていても話にならないしそもそもおもしろくない。バカなことをする、バカなことを考える、バカなことができるというのは日々の生活において非常に重要なことであると思っているし、非常に価値のあるものだと思っている。それは当然ながら日々の生活を生き抜くことにつながってくるからである。どれだけバカで頭が悪くて、そして仕事ができなくても、それでも毎日を楽しくやり過ごすコツをわかっているのである。それだけで本当に価値がある。自分の思い通りにいかなかったらすぐに怒るヤツとか、自分にとって言いやすい人にばっかり自分の感情を押し付けるヤツとか、気に入らない人には粗探しをしていちいちグダグダ言ってくるヤツとか、上の立場にいるというそれだけの理由で偉そうにしているヤツとか、そういうゴミみたいなヤツらよりも数億倍の価値がある。観ているこちら側も笑わせてくれるし、救ってくれるし、ハッピーにしてくれる。こんなすごいことがあるか。悩んでいる自分をバカバカしく思わせてくれるのだ。真面目なことも当然ながら必要なことだが、人間それだけでは生きていけないし、生きていけたとしても本当につまらない生活である。人間は時々でいいからバカにならないとダメである。人生を楽しむ、生活を楽しくやっていくコツは、どれだけバカなことを考えられるか、どれだけバカなことができるかである。
今年もあともう少しだ!!
平成もあと少しだと!?
そんなこと知ったことか!!
そんなことどうでもいい!!
時代がどれだけ変わろうが、世界がどれだけ変わろうが、自分だけは変わらない!!
すべてのことに中指立てて突っ走る!!
イヤなことがあったらパーティーしようぜ!!
そんなことはいいからパーティーしようぜ!!
互いに最高であれ!!
今年もまだまだ大変な日が続くが、エンジン全開でぶっ飛ばしていくぞ!!
前回少しだけコメディ映画について書いたが、具体的に今年観た印象に残っているコメディ映画は、『ハングオーバー』シリーズの『ハングオーバー/消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』、『ハングオーバー/史上最悪の二日酔い、国境を越える』、『ハングオーバー/最後の反省会』、『モンスター上司』とその続編の『モンスター上司2』、そして『21ジャンプストーリー』とその続編の『22ジャンプストーリー』である。この映画はもう本当に観ていてしあわせになれる映画であった。全部下品な映画だが(笑)。こんな映画を観ると本当に心が救われる。こんなんでいいんだと思う。いいわけないが(笑)。バカはバカなりに必死になってなにかをやるというのはカタルシスがある。最初からできるヤツがなにかをしていても話にならないしそもそもおもしろくない。バカなことをする、バカなことを考える、バカなことができるというのは日々の生活において非常に重要なことであると思っているし、非常に価値のあるものだと思っている。それは当然ながら日々の生活を生き抜くことにつながってくるからである。どれだけバカで頭が悪くて、そして仕事ができなくても、それでも毎日を楽しくやり過ごすコツをわかっているのである。それだけで本当に価値がある。自分の思い通りにいかなかったらすぐに怒るヤツとか、自分にとって言いやすい人にばっかり自分の感情を押し付けるヤツとか、気に入らない人には粗探しをしていちいちグダグダ言ってくるヤツとか、上の立場にいるというそれだけの理由で偉そうにしているヤツとか、そういうゴミみたいなヤツらよりも数億倍の価値がある。観ているこちら側も笑わせてくれるし、救ってくれるし、ハッピーにしてくれる。こんなすごいことがあるか。悩んでいる自分をバカバカしく思わせてくれるのだ。真面目なことも当然ながら必要なことだが、人間それだけでは生きていけないし、生きていけたとしても本当につまらない生活である。人間は時々でいいからバカにならないとダメである。人生を楽しむ、生活を楽しくやっていくコツは、どれだけバカなことを考えられるか、どれだけバカなことができるかである。
今年もあともう少しだ!!
平成もあと少しだと!?
そんなこと知ったことか!!
そんなことどうでもいい!!
時代がどれだけ変わろうが、世界がどれだけ変わろうが、自分だけは変わらない!!
すべてのことに中指立てて突っ走る!!
イヤなことがあったらパーティーしようぜ!!
そんなことはいいからパーティーしようぜ!!
互いに最高であれ!!
今年もまだまだ大変な日が続くが、エンジン全開でぶっ飛ばしていくぞ!!
2018年11月23日金曜日
11月もあと1週間
最近急に寒くなってきたが、仕事で着る服装のほとんどがユニクロなのである。というか仕事に関するものはすべてにおいてお金をかけたくないという私の信念?があり、ユニクロですら高いと思ってしまうのである。しかし、寒くなってきたので家の最寄り駅にあるユニクロへ行き、シャツやらなんや買ってきたのである。毎日仕事で着ているので、何枚も持っていてもすぐに劣化してしまうので、昨年来ていた冬用のアンダーウェアなどもうボロボロになっていたので今年用みたいな感じで必要になっていたのだ。新発売みたいなのが販売されていたので、それを何枚か購入したら1万円を超えてしまったのである。ユニクロといっても高いなーと思ってしまった。とりあえず今年と来年の冬くらいは乗り越えられそうかなーという感じである。仕事に行く服装なんかもう本当にボロボロ同然である。もう本当にお金をかけたくないのである。休日に外出したり、友人と遊んだり、大阪に帰るときなんかは今まで苦労して集めた“いろいろ”を総動員して自分なりにキメて、いざ出陣みたいな感じである。仕事に行く服装と遊ぶときの服装の違いがすご過ぎて自分で言うのもなんだが別人である。私にしたら仕事の日がオフで、遊ぶときがオンである。今年はもう繁忙期に入っているので、休日はできるだけ家にいることが多くなるだろう。もう本当に疲れてしまっているので、一日中ボーっとしてウトウトしてしまってそして明日また仕事かと思うとそれだけでも疲れてしまって本当にどうしようもない感じである。11月もあと1週間で終わりである。もうすぐ12月なんだなー。年末になるにつれて忙しくなってくるので、想像するだけで億劫になるので先のことはあまり考えないようにしたい。FUCK EVERYTHING!!!
そろそろ年末に近づいてくるので世間では忘年会やらなんやらで飲み会なんかも増えてくるだろう。私のところはそれがないだけでもまだうれしい。先ほども書いたが仕事に関することでお金をかけたくないのである。飲み会に参加するだけで3000円とか4000円もとられるので、そんな大金をくだらないものに出したくもないし、時間ももったいないし、それなら家で寝ている方がよっぽど有意義な時間であるし、疲れているのでさっさと家に帰りたいし、とまぁ参加したくない理由なんて腐るほどあるが、他のところで働いている人はそういう行事が増えてくるのだろう。年が明けたら新年会やらでまた同じことが繰り返される。ただ飲みたいだけなんだろうけど。今年の目標は?とかもいろいろ聞いてくるが、私はそういうのを考えたことがなく、目標があって生活した方が絶対に良いという人がいるが確かに私もそう思うが、1年の目標を聞かれてそれにいちいちと答えること自体が面倒になってしまっている。やりたいことなんてたくさんあるし、それをいったところで相手は全然興味のないことだろうし、それを聞いてお前どうするんだよと思うし、私の目標なんて「去年よりもたくさん寝たい!!」というのが一番だろう(笑)。ちゃんと寝ないと健康に悪いし、実際にそんなに眠れていないし、仕事期間は確実に睡眠不足だし、休みの日は変な時間に寝たりしてしまっているので健康に悪いし、というので目標は規則正しくちゃんと寝たいである(笑)。目標というよりも願望である。寝たいよ本当に(笑)。意識が朦朧とする中仕事しているんだから(笑)。
今年観た新しい映画は約100本であった。これから忙しくなって観る回数が減ってしまうのでおそらく100本いくかいかないかくらいだと思う。今年も本当にすばらしい映画に出会えたので、それについて本当はどんどん書いていきたいのだが、全く追いついていないので、少しずつ書いていけたらと思う。今は熟成期間ということにしておこう(笑)。今年もまぁいろんなジャンルの映画を観てきたが、“今年観たリスト”を見ているとコメディが多いのかなーという印象。私が観ておもしろいと思えるコメディ映画は下品?なものが多い(笑)。以前にも書いたがただほんわかするような笑いのコメディには大して価値はないと思っていて、ある一定数を怒らせたり、差別や偏見を逆手にとってそれを笑いに変えたり、タブーに挑戦してたり、そういうのをブラックユーモアというが、そういうことの方が絶対に価値があるしおもしろいし心にも残る。日本のような“安全圏の笑い、ネタ”なんかおもしろくない。ここまでやっていいの??というのばっかりでサイコーにおもしろいのばかり。日本はどんどんガラパゴス化しているので、本当に笑えなくなってきている。そういえばこの前メガネ屋さんにいったときに、話をしていて「今年観た中で一番おもしろかった映画は?」と聞かれたのだが、当然だが全部である(笑)。それも答えにならないし、誰もが知っているような映画を答えてもそれはそれでおもしろくないし、その方の好きな、おもしろい映画の好みをいろいろ探って、それで答えたのが『ミッション:8ミニッツ』という映画である。ジャンルでいえば、SFサスペンススリラー?かなという映画。どういう映画がネタバレなしに大雑把に説明しようとしたのだが、それすらも言わない方がいい映画なので、説明しようとしてやっぱり言わない方がいいと思って、その理由を伝えたのである。この映画は最初から“?”、“??”、“???”、というのがきて、それがだんだんわかってくるという映画で、久しぶりにこの感じが観ていて「これが映画だなー!!」と感じたのである。この映画も本当にすばらしい映画であった。
今回はテキトーに書いてしまったので、内容にまとまりがなくて申し訳ない(笑)。今回はというが、じゃあいつもはまともなのを書いているのかよという感じだが、確かにまともなのを書いたことがあるのかと自分でも思ってしまう(笑)。テキトーだからいいんだよ!!(笑)。
季節の変わり目ということで、体調を崩している人が増えてきているみたいなので、健康には気を付けて生活したい。毎日いろいろと大変だがテキトーにやっていこう!!そしてムカつく奴らはぶっ殺していこう!!
2018年11月13日火曜日
サングラスを取りに
11月も早いもので中旬になり、少しずつではあるが寒くなってきている。12月はもう目の前である。今年もだんだん少なくなってきた。毎回言っているが、早いものである。仕事の方もだんだん忙しくなっている。一番イヤな時期である。忙しいというので希望休はなしで、去年参加した東京コミコンは今年は参加できない。去年ですら休みたいというとギャーギャー言われたのである。今年は希望休すら受け付けない。最悪としか言いようがない。せっかく去年から楽しみにしていたのだが。楽しみにしていたのにそれに行けず、何のために仕事しているのかわからない。Fuck You!!
だんだん忙しくなってきたので、まだ気持ちとしても落ち着いているときにお願いをしていたサングラスを取りに行ってこようと思い、いつも行っているメガネ屋さんに行ってきたのである。今回のものはわざわざボスがデザイナーさんに相談してパリから持ってきてもらったものなので、大変お手数をおかけしたということで私も何か持っていこうと思い、デヴィッド・リンチ監督がブレンドしているコーヒー豆が販売されているところを知っていたので、事前にそれを購入しておき、当日それを持って行ったのである。なぜそれにしたかというと、ここのメガネ屋さんにはボスと男性の方とお2人いらっしゃるのだが、男性の方はものすごく趣味の幅が広く、映画や本、マンガなどたくさん知っており、そして休日にはお昼ご飯などほとんど外出して食べているみたいで、いろんなおススメスポットを知っているのである。私は映画くらいなのそういう話をするのだが、確かにものすごくよくご存じなのである。私が話をする映画はほとんど知っていて、さすがだなーといつも感心してしまう。そしてお気に入りの作品がけっこう被っているということもあり、いつも話が盛り上がってしまうのだ。そこでいつか忘れたが、デヴィッド・リンチ監督の作品も話をしたことがあり、今回そのコーヒー豆を持っていこうと思ったのだ。そしたらそのコーヒー豆の存在を知っていたみたいで、「どこで手に入れたんですか!?」と大変喜んでもらえたのである。ちょうどそのコーヒー豆と一緒に購入したカフェの住所が書いてあるカードも持っていたのでそれと一緒にお渡ししたのである。ボスがアメリカで買ってきたDVDが日本に帰ってきて観ることができなかったという話をしていたので、私がリージョン・コードの話をして、パソコンであれば6回までは変更できるという話をしたり、外国版を手に入れる理由を説明したり、もちろん映画関連の話をしたりして2時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまった。話ができる人がいるとついついいろんな話になって盛り上がってしまうのである。今回意見が一致したのは『ショーシャンクの空に』という映画についてである。この映画はこのブログでは紹介したことはないが、批評家からはそれほど支持されない映画だが、我々一般人にとっては必ずといっていいほど人気ナンバー1になるくらい絶大な支持を得ている作品である。その方が言うには、友達何人かで飲みに行ったときに映画の話をしたら必ず誰かはこの『ショーシャンクの空に』が一番好きだというのがいるということである。確かにそうである。私の友人もこの作品お気に入りの一つであると言っていた。しかし私もその方もそこまで褒めるというのか支持するというのかそこまでの作品ではないということである。なぜ批評家から支持されない具体的な理由はわからないが、私が思うに、ひねりがない、わかりやすすぎる、予定調和である、化学反応がない、というのが理由なのではと勝手に思っているし、少なくとも私はそう思っている。とある刑務所の話で囚人の話なのだが、自分自身の穴を掘れという話なのである。現実というのは刑務所みたいなものであると。何かしようと思っても何もできないんだと。上っ面の娯楽に逃げることは簡単だし、それはそれで楽しいが、根本的には何も変わらないんだと。そこから抜け出すにはどうしたらいいのか。“穴”を掘るしかないんだと。その“穴”というのは人によって違うが、本を書くことであったり、絵を描くことであったり、音楽をすることであったり、何かの作品をつくることであったり、自分にとって好きなこと、やりたいことをやるということが“穴”を掘るということなんだ。そしたら、もしかしたらこの現実という刑務所の向こう側へ抜け出すことができるんじゃないか、という映画なのだ。ものすごく感動的につくられているし、非常にわかりやすい映画であるが、なぜか私やその方にはいい映画なのはわかるけどなーという感想なのである。もちろんいい映画であることには違いないが。この類の作品であれば私は邦画の『桐島、部活やめるってよ』がすばらしい映画だと思っている。これに関してもまた改めて書きたいと思うが。あとはナタリー・ポートマンの『ブラック・スワン』の話であったり。これもまた書きたいと思う(笑)。とまぁいろいろお互いの意見交換をしていたのである。久しぶりに映画ネタでここまで話ができたので私もものすごく楽しかったのである。その方もものすごく勉強になったとた異変喜んでいただいて私もうれしかったのである。もう本当に好きな者同士が話をしている感じで、全く興味のない人が聞いていたら本当に時間の無駄だろうし、またなんかしゃべってるよ、みたいな感じになる。その方にも言ったのだが、生きるには何の意味も価値もない知識なんですけどねー(笑)と。まぁ本当にその通りなのだが(笑)。無事にサングラスを受け取って、そこらく今年来れるのは今日が最後かなというのもお伝えして、また改めてお伺いしようと思っている。読者の方からのリクエストで私のサングラスのコレクション?もまたご紹介できればと思っている。いつもやろうやろうとは思っているのだが、なかなかできずにいるので、近日中にそれができればと思っている。楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうなー。イヤなことが向こう側にあるのはわかっているので、心の底からの解放は無いに等しい。これが日常生活というものなのか。この状況をただ受け入れる、受け入れているのではなく、このイヤな感情であったり、どうしようもないイライラやもどかしさがあるということだけでも忘れずに持ち続けていたい。その感情が“穴”を掘る力に、エネルギーになるから。
だんだん忙しくなってきたので、まだ気持ちとしても落ち着いているときにお願いをしていたサングラスを取りに行ってこようと思い、いつも行っているメガネ屋さんに行ってきたのである。今回のものはわざわざボスがデザイナーさんに相談してパリから持ってきてもらったものなので、大変お手数をおかけしたということで私も何か持っていこうと思い、デヴィッド・リンチ監督がブレンドしているコーヒー豆が販売されているところを知っていたので、事前にそれを購入しておき、当日それを持って行ったのである。なぜそれにしたかというと、ここのメガネ屋さんにはボスと男性の方とお2人いらっしゃるのだが、男性の方はものすごく趣味の幅が広く、映画や本、マンガなどたくさん知っており、そして休日にはお昼ご飯などほとんど外出して食べているみたいで、いろんなおススメスポットを知っているのである。私は映画くらいなのそういう話をするのだが、確かにものすごくよくご存じなのである。私が話をする映画はほとんど知っていて、さすがだなーといつも感心してしまう。そしてお気に入りの作品がけっこう被っているということもあり、いつも話が盛り上がってしまうのだ。そこでいつか忘れたが、デヴィッド・リンチ監督の作品も話をしたことがあり、今回そのコーヒー豆を持っていこうと思ったのだ。そしたらそのコーヒー豆の存在を知っていたみたいで、「どこで手に入れたんですか!?」と大変喜んでもらえたのである。ちょうどそのコーヒー豆と一緒に購入したカフェの住所が書いてあるカードも持っていたのでそれと一緒にお渡ししたのである。ボスがアメリカで買ってきたDVDが日本に帰ってきて観ることができなかったという話をしていたので、私がリージョン・コードの話をして、パソコンであれば6回までは変更できるという話をしたり、外国版を手に入れる理由を説明したり、もちろん映画関連の話をしたりして2時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまった。話ができる人がいるとついついいろんな話になって盛り上がってしまうのである。今回意見が一致したのは『ショーシャンクの空に』という映画についてである。この映画はこのブログでは紹介したことはないが、批評家からはそれほど支持されない映画だが、我々一般人にとっては必ずといっていいほど人気ナンバー1になるくらい絶大な支持を得ている作品である。その方が言うには、友達何人かで飲みに行ったときに映画の話をしたら必ず誰かはこの『ショーシャンクの空に』が一番好きだというのがいるということである。確かにそうである。私の友人もこの作品お気に入りの一つであると言っていた。しかし私もその方もそこまで褒めるというのか支持するというのかそこまでの作品ではないということである。なぜ批評家から支持されない具体的な理由はわからないが、私が思うに、ひねりがない、わかりやすすぎる、予定調和である、化学反応がない、というのが理由なのではと勝手に思っているし、少なくとも私はそう思っている。とある刑務所の話で囚人の話なのだが、自分自身の穴を掘れという話なのである。現実というのは刑務所みたいなものであると。何かしようと思っても何もできないんだと。上っ面の娯楽に逃げることは簡単だし、それはそれで楽しいが、根本的には何も変わらないんだと。そこから抜け出すにはどうしたらいいのか。“穴”を掘るしかないんだと。その“穴”というのは人によって違うが、本を書くことであったり、絵を描くことであったり、音楽をすることであったり、何かの作品をつくることであったり、自分にとって好きなこと、やりたいことをやるということが“穴”を掘るということなんだ。そしたら、もしかしたらこの現実という刑務所の向こう側へ抜け出すことができるんじゃないか、という映画なのだ。ものすごく感動的につくられているし、非常にわかりやすい映画であるが、なぜか私やその方にはいい映画なのはわかるけどなーという感想なのである。もちろんいい映画であることには違いないが。この類の作品であれば私は邦画の『桐島、部活やめるってよ』がすばらしい映画だと思っている。これに関してもまた改めて書きたいと思うが。あとはナタリー・ポートマンの『ブラック・スワン』の話であったり。これもまた書きたいと思う(笑)。とまぁいろいろお互いの意見交換をしていたのである。久しぶりに映画ネタでここまで話ができたので私もものすごく楽しかったのである。その方もものすごく勉強になったとた異変喜んでいただいて私もうれしかったのである。もう本当に好きな者同士が話をしている感じで、全く興味のない人が聞いていたら本当に時間の無駄だろうし、またなんかしゃべってるよ、みたいな感じになる。その方にも言ったのだが、生きるには何の意味も価値もない知識なんですけどねー(笑)と。まぁ本当にその通りなのだが(笑)。無事にサングラスを受け取って、そこらく今年来れるのは今日が最後かなというのもお伝えして、また改めてお伺いしようと思っている。読者の方からのリクエストで私のサングラスのコレクション?もまたご紹介できればと思っている。いつもやろうやろうとは思っているのだが、なかなかできずにいるので、近日中にそれができればと思っている。楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうなー。イヤなことが向こう側にあるのはわかっているので、心の底からの解放は無いに等しい。これが日常生活というものなのか。この状況をただ受け入れる、受け入れているのではなく、このイヤな感情であったり、どうしようもないイライラやもどかしさがあるということだけでも忘れずに持ち続けていたい。その感情が“穴”を掘る力に、エネルギーになるから。
2018年11月6日火曜日
ライバルであり、友情である
最近はかなり寒くなり、朝起きるのが苦痛になってきた。年末に近づくにつれて世間もいろいろ騒がしくなってくるし、落ち着かない時期になる。一年を通じてこの時期が一番イヤな時期である。でもそういう時期もあっという間に過ぎてしまうのはわかってはいるが、先がものすごく長いように感じでしまう。私が興味のあるイベントもあるのだが、繁忙期ということでなかなかその日に合わせて休みが取れないのでこれもまた苦痛である。仕方がないと言ったら仕方のないことなのだが。とりあえず目の前にあることをしっかりクリアしていきたい。
最近もまたDVDやBlu-rayなどちょいちょい取り寄せてしまっているのだが、これは今年の前半に取り寄せた作品なのだが、今日それを観たくなり、やっぱりすばらしい映画だなと思った映画である。これは実際にあった話で伝記映画になるのだが、『ラッシュ/プライドと友情』という映画である。2013年に公開された映画だが、1976年のF1レースの1年を追った作品である。F1は1年を通しての総合得点で優勝が決まるのだが、毎年2人は死亡するという非常に危険なスポーツでもある。その年というかF1界でも伝説となっている二人のレーサーが存在して、一人はニキ・ラウダ、もう一人はジェームズ・ハントである。ジェームズ・ハントは野性的でプレイボーイでその日を人生最後の日のように生き、持ち前のセンス、直感でレースを走る男で、ニキ・ラウダは正反対で非常にまじめで勤勉で“コンピューター”と呼ばれ、車に乗ったり、音を聞いただけでどこに問題があるかすぐにわかるし、それを正確に整備できるレーサーなのである。この正反対の二人の天才の1976年に行われたF1の戦いを描いているのである。この2人はF3時代からすっとライバルで、互いに仲が悪くて「テメー!!この野郎!!」と言ってずっと争っているのである。1976年はニキ・ラウダが総合得点で1位でそれをジェームズ・ハントが2位で追いかけている状態で、ドイツのレースが行われるのだがその日は豪雨でレースのコンディションが非常に悪かったのである。そこで審査が行われるのだがニキ・ラウダは、ここでレースをするのは危険であると。俺たちは命がけでレースしているが、命を無駄にするために走っているんじゃないと言う。そこでジェームズ・ハントは、こいつは今1位だからレースが一つ少なくなる度に有利になるからやめようって言ってるからこいつの話乗るんじゃねえ!と他のレーサーに呼び掛け、審査の結果レースは決行されることになる。ニキ・ラウダは真面目であるし、ユーモアがないので人気があまりないのだが、ジェームズ・ハントは人気者だしロック・スターみたいな存在だったのでこういう場面ではジェームズ・ハントが有利だったのである。しかし、危険だからやめようと言っていたニキ・ラウダが大事故を起こしてしまい、車は炎上。生死をさまよう大怪我をしてしまう。顔が焼けただれ、耳を失うくらいの大怪我であった。太ももの皮膚を移植する手術をしたが、当然ながら元の顔には戻らなかった。でも怪我はそれだけではなく、炎上したときに非常に高温の煙や有毒ガスを吸ってしまったがため、肺からそれを取り出す手術をしなければならなかったが、麻酔なしでそれを行う。そのときニキ・ラウダはテレビをつけさせ、ニキ・ラウダが休んでいる間にもレースは行われているため、ジェームズ・ハントがその間にどんどんどんどんポイントを稼いでいっていたのである。それを観てニキ・ラウダは「ふざけんじゃねーよ!!負けてたまるかよ!!」と思いながら手術をするのである。そして事故からわずか42日でレースに復帰するのである。奇跡の復帰だと言われた。ニキ・ラウダとジェームズ・ハントは互いに罵り合っているが、もしジェームズ・ハントがいなかったらニキ・ラウダは復帰できたのだろうかと思う。もしこのライバルがいなかったら今の実力を出せたのだろうか、ライバルがいたから、お前がいたからここまでこれたんだ、お前がいたからこんなにも強くなれたんだと。ニキ・ラウダの闘志にジェームズ・ハントも応えるのだ。ライバルライバルばっかり言っているけど“友情”ってこのことだったのかとその瞬間は涙がボロボロボロボロ溢れ出てきてしまう。こんなすごい友情ってあるのかと思う。総合得点は依然としてニキ・ラウダが首位だったがジェームズ・ハントは徐々に徐々にポイントを詰めていき、次のレースでジェームズ・ハントが勝てば総合優勝になるというところまできたときに最終決戦となる。しかもその最終決戦の舞台が日本の富士スピードウェイだったのである。さらにこのレースは日本にとって初めてのF1のレースであり、しかもそれが最終決戦の舞台だったのである。こんな完璧なシナリオが存在するのかと。こんな完璧な脚本があるのかと。しかし最終決戦当日は豪雨であった。で、どうなるか!!という話である。こんな実話があるのかとただただ驚くばかりである。車のことやF1の知識が全くなくても思いっきり楽しめる作品である。確かにこの作品は二人の天才レーサーの話であるし、F1の話であるし、レースの話であるが、でもこれは最終的に人生のレースの話になってくるのである。この人生におけるレースのチャンピオンはどっちだったかという話でもある。本当に深い映画になっている。これほどまでに対局の二人が同じ時代にいて、しかもその決着をこの日本でつけたというすごすぎる映画である。ジェームズ・ハントはその瞬間瞬間を生きていて、目の前にお酒があればお酒を飲むし、目の前に女がいればすぐにセックスするし、目の前にチャンスがあれがそれに挑もうとする、明日のことなんかどうでもいい、その瞬間にすべてを尽くそうとする。でもニキ・ラウダはそうじゃないのだ。“偉大な者というのは、凡人が味方から得るよりも、遥かに多くのことを敵から得る者のことをいう”とニキ・ラウダは引用して言うのだ。本当に偉大な人は味方からではなく敵から多くのことを学ぼうとするのだ。人生にはライバルが必要なのだ。ライバルがいるからこそ実力以上のものが出せるし、もっと強くなろうと思える。闘いの中から何かを見出せる人が本当に強い人なんだと思う。これが本当のライバルであり、これが本当の友情である。
最近もまたDVDやBlu-rayなどちょいちょい取り寄せてしまっているのだが、これは今年の前半に取り寄せた作品なのだが、今日それを観たくなり、やっぱりすばらしい映画だなと思った映画である。これは実際にあった話で伝記映画になるのだが、『ラッシュ/プライドと友情』という映画である。2013年に公開された映画だが、1976年のF1レースの1年を追った作品である。F1は1年を通しての総合得点で優勝が決まるのだが、毎年2人は死亡するという非常に危険なスポーツでもある。その年というかF1界でも伝説となっている二人のレーサーが存在して、一人はニキ・ラウダ、もう一人はジェームズ・ハントである。ジェームズ・ハントは野性的でプレイボーイでその日を人生最後の日のように生き、持ち前のセンス、直感でレースを走る男で、ニキ・ラウダは正反対で非常にまじめで勤勉で“コンピューター”と呼ばれ、車に乗ったり、音を聞いただけでどこに問題があるかすぐにわかるし、それを正確に整備できるレーサーなのである。この正反対の二人の天才の1976年に行われたF1の戦いを描いているのである。この2人はF3時代からすっとライバルで、互いに仲が悪くて「テメー!!この野郎!!」と言ってずっと争っているのである。1976年はニキ・ラウダが総合得点で1位でそれをジェームズ・ハントが2位で追いかけている状態で、ドイツのレースが行われるのだがその日は豪雨でレースのコンディションが非常に悪かったのである。そこで審査が行われるのだがニキ・ラウダは、ここでレースをするのは危険であると。俺たちは命がけでレースしているが、命を無駄にするために走っているんじゃないと言う。そこでジェームズ・ハントは、こいつは今1位だからレースが一つ少なくなる度に有利になるからやめようって言ってるからこいつの話乗るんじゃねえ!と他のレーサーに呼び掛け、審査の結果レースは決行されることになる。ニキ・ラウダは真面目であるし、ユーモアがないので人気があまりないのだが、ジェームズ・ハントは人気者だしロック・スターみたいな存在だったのでこういう場面ではジェームズ・ハントが有利だったのである。しかし、危険だからやめようと言っていたニキ・ラウダが大事故を起こしてしまい、車は炎上。生死をさまよう大怪我をしてしまう。顔が焼けただれ、耳を失うくらいの大怪我であった。太ももの皮膚を移植する手術をしたが、当然ながら元の顔には戻らなかった。でも怪我はそれだけではなく、炎上したときに非常に高温の煙や有毒ガスを吸ってしまったがため、肺からそれを取り出す手術をしなければならなかったが、麻酔なしでそれを行う。そのときニキ・ラウダはテレビをつけさせ、ニキ・ラウダが休んでいる間にもレースは行われているため、ジェームズ・ハントがその間にどんどんどんどんポイントを稼いでいっていたのである。それを観てニキ・ラウダは「ふざけんじゃねーよ!!負けてたまるかよ!!」と思いながら手術をするのである。そして事故からわずか42日でレースに復帰するのである。奇跡の復帰だと言われた。ニキ・ラウダとジェームズ・ハントは互いに罵り合っているが、もしジェームズ・ハントがいなかったらニキ・ラウダは復帰できたのだろうかと思う。もしこのライバルがいなかったら今の実力を出せたのだろうか、ライバルがいたから、お前がいたからここまでこれたんだ、お前がいたからこんなにも強くなれたんだと。ニキ・ラウダの闘志にジェームズ・ハントも応えるのだ。ライバルライバルばっかり言っているけど“友情”ってこのことだったのかとその瞬間は涙がボロボロボロボロ溢れ出てきてしまう。こんなすごい友情ってあるのかと思う。総合得点は依然としてニキ・ラウダが首位だったがジェームズ・ハントは徐々に徐々にポイントを詰めていき、次のレースでジェームズ・ハントが勝てば総合優勝になるというところまできたときに最終決戦となる。しかもその最終決戦の舞台が日本の富士スピードウェイだったのである。さらにこのレースは日本にとって初めてのF1のレースであり、しかもそれが最終決戦の舞台だったのである。こんな完璧なシナリオが存在するのかと。こんな完璧な脚本があるのかと。しかし最終決戦当日は豪雨であった。で、どうなるか!!という話である。こんな実話があるのかとただただ驚くばかりである。車のことやF1の知識が全くなくても思いっきり楽しめる作品である。確かにこの作品は二人の天才レーサーの話であるし、F1の話であるし、レースの話であるが、でもこれは最終的に人生のレースの話になってくるのである。この人生におけるレースのチャンピオンはどっちだったかという話でもある。本当に深い映画になっている。これほどまでに対局の二人が同じ時代にいて、しかもその決着をこの日本でつけたというすごすぎる映画である。ジェームズ・ハントはその瞬間瞬間を生きていて、目の前にお酒があればお酒を飲むし、目の前に女がいればすぐにセックスするし、目の前にチャンスがあれがそれに挑もうとする、明日のことなんかどうでもいい、その瞬間にすべてを尽くそうとする。でもニキ・ラウダはそうじゃないのだ。“偉大な者というのは、凡人が味方から得るよりも、遥かに多くのことを敵から得る者のことをいう”とニキ・ラウダは引用して言うのだ。本当に偉大な人は味方からではなく敵から多くのことを学ぼうとするのだ。人生にはライバルが必要なのだ。ライバルがいるからこそ実力以上のものが出せるし、もっと強くなろうと思える。闘いの中から何かを見出せる人が本当に強い人なんだと思う。これが本当のライバルであり、これが本当の友情である。
2018年11月1日木曜日
今年も相変わらず
気が付けば11月になっている。今年もあと2か月になった。本当に早いなー。昨日からまた寒くなり、今までの服装では外は歩けなくなってしまった。このままどんどん寒くなっていくと思う。季節の変わり目ということで体調には気を付けるようにしたい。
そういえば昨日はハロウィンということで今年も渋谷は大混雑であったみたいだ。大阪では道頓堀が混雑していたみたいである。今年のニュースは悪いニュースが多かったような気がする。トラックをひっくり返したり、券売機?を壊したり、痴漢であったりとまぁいろいろニュースに出ていたが、なんなのこのイベント?という感じでなんとも思わない。ただ迷惑をかけているだけみたいな印象である。その周辺に住んでいる人や商売をしている人にしてみたらやめてほしいイベントだろう。経済効果もほとんどないみたいだし、ただ騒いで知らない人とかと写真を一緒に撮ってSNSに投稿して楽しんでますアピールとカワイイでしょアピールしているただそれだけ。メディアとかも注目するから意味なくビッグイベントになってしまっただけ。今回のニュースを見る限り何の意味もないイベントである。今年のハロウィンに関していろんな意見が出ているが、この国は抑圧されているからその反動でこういうイベントで爆発してしまうんだと、良くないけど若者はこれくらい元気でないといけないのかもしれないとか、こういうイベントを思う存分楽しめるようにパレードみたいな感じでそういう場を設けるのも必要かもしれないとかいろいろ聞いた。なるほどという意見もあってけっこうおもしろかったのである。このイベントの夜が明けて、まぁ今日になるのだが問題の一つになっているゴミである。仮装したままゴミ拾いしている人たち、芸能人などの有名人、ホストの人たちもゴミ拾いしていたが、もちろんこの行動はいいことだが、そういうのもなんか“狙ってる”感じがして、私は歪んでいるのでそういうふうに見えてしまう。ゴミ問題なんて毎年取り上げられているし、どっちみちゴミが散乱しているのは誰にだってわかっているし、そのあとにゴミ拾いしていたらまたメディアが取り上げてくれるし、などついついそう思ってしまう。もちろんいいことをしていることに違いはないのだが。有名人であれば必ずだれか一緒についてくるしメディアも注目しているし、ホストであればそこで働いているホストたちで掃除しているし、仮装している人は友達と協力してゴミ拾いしているが、もし自分が友達も仲間も誰もおらず自分一人で誰も注目していない環境であったら、それでもお前掃除するのか?ゴミ拾いしてるか?と思う。別にそこに住んでいるわけでもないのに、自分が出したゴミでもないのに、そこまでできるのかと思う。友達と仲間と一緒に掃除しているときに急に友達が帰らなくなってしまって自分一人になったとき、引き続き掃除を続けているのか?と思う。メディアや周りが注目しているからこその行動のようにしか見えないのである。何度も言うがこの行動はすばらしきことであるし、なかなかできないことである。それでもなーと私は思ってしまうのである。ハロウィンそのものの意味であったり価値であったり楽しみであったり、自分で出したゴミは自分で処分しようとか、周りに迷惑をかけないようにしましょうとか、痴漢がどうだこうだとか露出している自分も悪いとか、話をしている次元がジャンルが違い過ぎているので、もう“ハロウィン”とは全く関係ない話なのである。そこまで大きく取り上げる意味も必要もない。このイベントで盛り上がっている人もそうだし、それに対して有名人がいろいろ言っているが全部当たり前のことしか言っていないし、全部くだらないとしか言いようがない。もちろん自宅や友人宅やどこかのお店であったりそういった場所でこのハロウィンという行事を楽しんいる人たちは心置きなく楽しんでほしいと思う。外国のニュースはみんなハロウィンを楽しんでいるし、ほのぼのとしているし、見ているこちら側も笑顔になってしまう。でもハロウィンということで渋谷に行かなければならないという思いで集結する人間たちの心理は理解することができない。TRICK or DIE!!!
そういえば昨日はハロウィンということで今年も渋谷は大混雑であったみたいだ。大阪では道頓堀が混雑していたみたいである。今年のニュースは悪いニュースが多かったような気がする。トラックをひっくり返したり、券売機?を壊したり、痴漢であったりとまぁいろいろニュースに出ていたが、なんなのこのイベント?という感じでなんとも思わない。ただ迷惑をかけているだけみたいな印象である。その周辺に住んでいる人や商売をしている人にしてみたらやめてほしいイベントだろう。経済効果もほとんどないみたいだし、ただ騒いで知らない人とかと写真を一緒に撮ってSNSに投稿して楽しんでますアピールとカワイイでしょアピールしているただそれだけ。メディアとかも注目するから意味なくビッグイベントになってしまっただけ。今回のニュースを見る限り何の意味もないイベントである。今年のハロウィンに関していろんな意見が出ているが、この国は抑圧されているからその反動でこういうイベントで爆発してしまうんだと、良くないけど若者はこれくらい元気でないといけないのかもしれないとか、こういうイベントを思う存分楽しめるようにパレードみたいな感じでそういう場を設けるのも必要かもしれないとかいろいろ聞いた。なるほどという意見もあってけっこうおもしろかったのである。このイベントの夜が明けて、まぁ今日になるのだが問題の一つになっているゴミである。仮装したままゴミ拾いしている人たち、芸能人などの有名人、ホストの人たちもゴミ拾いしていたが、もちろんこの行動はいいことだが、そういうのもなんか“狙ってる”感じがして、私は歪んでいるのでそういうふうに見えてしまう。ゴミ問題なんて毎年取り上げられているし、どっちみちゴミが散乱しているのは誰にだってわかっているし、そのあとにゴミ拾いしていたらまたメディアが取り上げてくれるし、などついついそう思ってしまう。もちろんいいことをしていることに違いはないのだが。有名人であれば必ずだれか一緒についてくるしメディアも注目しているし、ホストであればそこで働いているホストたちで掃除しているし、仮装している人は友達と協力してゴミ拾いしているが、もし自分が友達も仲間も誰もおらず自分一人で誰も注目していない環境であったら、それでもお前掃除するのか?ゴミ拾いしてるか?と思う。別にそこに住んでいるわけでもないのに、自分が出したゴミでもないのに、そこまでできるのかと思う。友達と仲間と一緒に掃除しているときに急に友達が帰らなくなってしまって自分一人になったとき、引き続き掃除を続けているのか?と思う。メディアや周りが注目しているからこその行動のようにしか見えないのである。何度も言うがこの行動はすばらしきことであるし、なかなかできないことである。それでもなーと私は思ってしまうのである。ハロウィンそのものの意味であったり価値であったり楽しみであったり、自分で出したゴミは自分で処分しようとか、周りに迷惑をかけないようにしましょうとか、痴漢がどうだこうだとか露出している自分も悪いとか、話をしている次元がジャンルが違い過ぎているので、もう“ハロウィン”とは全く関係ない話なのである。そこまで大きく取り上げる意味も必要もない。このイベントで盛り上がっている人もそうだし、それに対して有名人がいろいろ言っているが全部当たり前のことしか言っていないし、全部くだらないとしか言いようがない。もちろん自宅や友人宅やどこかのお店であったりそういった場所でこのハロウィンという行事を楽しんいる人たちは心置きなく楽しんでほしいと思う。外国のニュースはみんなハロウィンを楽しんでいるし、ほのぼのとしているし、見ているこちら側も笑顔になってしまう。でもハロウィンということで渋谷に行かなければならないという思いで集結する人間たちの心理は理解することができない。TRICK or DIE!!!
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