2018年6月28日木曜日

“アゲて”いけ!!

 気が付けばもう6月も終わりである。数日前くらいから急に暑くなり、一昨日からクーラーをつけたのである。沖縄では梅雨が明けたらしい。もう7月である。今年も半分が終わるということだ。本当に早いなー。

今回『ピッチ・パーフェクト』という映画を紹介したい。これは全部で3作品あるのだが、3作目はまだソフト化されておらず、アメリカではすでに販売されている。この作品は2012年公開なのだが、1作目はヒットはしたのだが、そこまでヒットはしなかった。そのせいで日本で当時公開されなかった。2作目のときにこれが爆発的ヒットとなり、そのとき公開されていた『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』をヒットチャートから引きずり下ろし、そして同日に公開された『マッド・マックス/怒りのデスロード』の倍近くの興行収入をあげたとんでもない作品である。その影響もあり、やっと1作目が日本で公開され、ソフト化もされた。日本の映画会社が大作で30憶40億のヒットを狙う以外は中規模な5億円くらい稼ぐ映画はわざわざ公開しなくなったのである。外れたらお金を捨てることになるので、大物狙いになってしまっている状態である。なのでこういう映画も見捨てないでほしいと心から願うばかりである。この映画がなぜ世界的に広がっていったのかというと、これはYouTube絡みで、『Cups』というこの映画で出てくる歌がめちゃくちゃ流行ったのである。プラスチックのコップを使ってそれをテンポをとったりしてパフォーマンスをするのだが、日本では映画は公開されなかったがこの『Cups』というか、このパフォーマンス、遊びは浸透したのである。そうやってどんどん世界に広がっていったのである。
 まず、『ピッチ・パーフェクト』の意味であるが、“Perfect Pitch”ということばがあるのだが、これは“絶対音感”という意味で、『ピッチ・パーフェクト』は“音程が完璧”、“絶対に外さない”などの意味がある。主人公が大学に入学していろいろあってアカペラ部に入部することになり、それで全国大会を目指すという内容である。そのアカペラ部はみんなバラバラでめちゃくちゃでもうダメダメなんだが、アカペラを通じて一つになっていくというもう映画を観なくても結果の想像がついてしまうちょーベタな映画である。と、カッコつけて上から目線で言ってはみたものの、ここで言っておかなければならないことがある。というか白状しなければならないことがある。それは・・・、はい・・・、すみません、・・・泣いてしまいました(笑)。ちょっと、もう、感動してしまったのである。ありきたりな内容なのだが、すばらしい映画だと思った。ただただそのアカペラ、歌によって感動したのではなく、この映画は全編通じて下ネタが満載の映画なのだ。映画冒頭のゲロシーンから始まり、そのアカペラ部に集まったメンバーが、黒人の子はレズビアンでメンバーにいた女の子の体をすっと触ってるし、ソプラノの女の子はいわゆるヤリマンの子で、ずっとセックスばっかり考えてきたり、アジア系の子は声が小さくて全然聞こえなかったりともうみんなめちゃくちゃなのだ。そしてエイミーという太った女の子もメンバーにいるのだが、この子は自分のことを“FAT AMY”と言って“デブのエイミー”と自分でいうのである。その理由は、痩せた女の子に陰でコソコソデブって言われる前に先に自分で言っておくのよ、というもの。すばらしいとしか言いようがない。本当にカッコいいと思う。この映画の中で、他のアカペラ部たちとアカペラバトルをするシーンがあるのだが、これを“Riff Off”といい、与えられたお題(縛り)をもとに即興で歌っていき、相手が歌っている歌の中に出てくる単語を引き継いで自分の歌にもってきてリードを奪うという、いわば歌のしりとりをやっていくのだ。例えばお題が“80年代女性シンガー”というお題が出ればそれをもとに即興で歌っていくのだ。もし途中で歌えなかったり、80年代女性シンガーの歌ではなかったり、引き継いだ単語が違っていたりすればそこで“CUT OFF!!”となって負けになるというルール。映画を観ていたらみんなバンバン歌っているので簡単そうに見えるが、これはものすごくハイレベルな争いをしている。その歌の歌詞をちゃんと覚えておかないといけないし、相手が歌っている歌も当然知っておかなければならないし、音楽そのものの知識も豊富でなければならないし、そしてそれを即興で歌っていかなければならない。これはめちゃくちゃレベル高い争いである。
 
主人公は最初、他のメンバーや先輩たちとも合わず、まったく協調性がないのだが、後半に非常に重要になってくる映画が出てくるのだが、それが『ブレックファスト・クラブ』という1985年の映画があるのだが、それを観た主人公がそこからチームワークを立て直していくのだが、この『ブレックファスト・クラブ』についてなんの説明もないまま話が進んでいってしまうので、『ブレックファスト・クラブ』を知らない人は、なんでそこから主人公は変わっていくのか、というのがわからないのである。というかわざわざ説明しなくてもわかるでしょ、という感じかもしれない。それくらいアメリカでは有名な作品だということである。ということで恥ずかしながら私も観たことがなかったので、さっそく取り寄せして観てみたらこっちもすごかった(笑)。簡単に説明するとこの映画はとある高校が舞台で、アメリカで初めてスクール・カーストの存在を暴露したすごい映画なのである。土曜日に問題を起こした生徒たち5人が集められて、帰る時間までに図書館にこもって作文を書けと先生から言われる。そこに集められたのがそのスクール・カースト、ヒエラルキーの頂点にいる金持ちのモテモテの女の子、同じく頂点にいるレスリング部のキャプテンの男の子、いじめられっ子のオタクの男の子、暗くて友達がいない女の子、そして周りから怖がられている不良の男の子が集められる。アメリカの学校にはクラスがなく、友達と集まるとなればスポーツマンはスポーツマン同士で、オタクはオタク同士で、みたいな感じにカテゴリーで集まり、違うグループとは互いに話をしないのである。でもそこではじめてバラバラの子たちが集まり、互いの悩みを打ち明けあって互いを知っていくという話なのである。でもこれがアメリカに衝撃を与えた作品だったのだ。アメリカっていうのは自由と平等とかいっているくせに、学校ですら階級があるのかと。全然平等じゃねぇよと。アメリカのタブーを暴いてしまった作品なのだ。図書館に集められた生徒たちは喧嘩をしたり、言い争いをしたり、涙を流しながら心にあるものを打ち明けていく。そして互いを知っていく。そしてその図書館で“友達”になっていく。でもそこで言うのだ。「月曜日の朝、学校で会っても、廊下ですれ違っても、」互いを無視するのかな」って。でも、「それはやめようよ」と。「もし廊下ですれ違ったら声をかけてくれないか」、という話をして、それがこの『ブレックファスト・クラブ』の主題歌になっている『Dont' You』という歌になっている。「道ですれ違ったら声をかけてくれる?僕のことを忘れないでね。去っていっても僕の名前を呼んでくれないか」っていう歌なのだ。それがこの『ピッチ・パーフェクト』の主人公が観るのだ。そしてこの『Don't You』と最近のジェシー・Jのヒット曲の『Price Tag』をマッシュアップしてアカペラで歌うシーンが出てくる。もうこのシーンはちょーサイコーで、だれもが予想できるちょー王道パターンではあるが、涙が勝手に流れてきてしまうのだ。歌の力を感じるのだ。様々な人種が集まって、みんな何かを背負って生きている。それでも私たちは前に進んでいくのだとそんなメッセージにも聞こえる。本当にすばらしい映画だと思った。日本では絶対にできない下品なネタも満載である。これも私はすごいと思っていて、下品の限界がないのがアメリカである。すごいよ本当に。『ピッチ・パーフェクト2』では当時大統領だったオバマ大統領が冒頭に登場するのだが、これがゲロシーンよりもすごいことになってしまう(笑)。とにかくすごい(笑)。観ていて本当に元気になる映画であるし、歌ってやっぱりいいなーと思わせてくれるすばらしい作品である。もし余裕があれば『ブレックファスト・クラブ』もおススメである。こちらも私は泣いてしまった(笑)。今回紹介した映画は、珍しく誰も死なないかもしれません。

2018年6月15日金曜日

ヤダなぁー(笑)

 今個人的に仕事がうまくいっておらず、全てにおいて悪循環になってしまっている。今のこの状態を考えると以前働いていた会社を思い出してしまう。ということでここで言いたいことすべてブチまけてしまおうと思ったのだが、なにかでいろいろと面倒なことになってしまうのはそれはそれで面倒なのでその“とき”がきたら言おうと思う。仕事はヤダなぁー。

夏はもうすぐだといろいろ言っているが地獄は年がら年中真夏だ!!
暑いときはコーラのガブ飲みで乗り切ってしまえ!!
どんなことがあってもそいつの人格否定をするのは絶対に間違いだ!!
イヤなことがあったらヤケクソ笑いで忘れるぞ!!
どんなときでもコーラ片手に地獄のハイウェイを突っ走る!!
それいけ!!ジェノサイド!!
地獄の底から愛を叫ぶのだ!!

2018年6月11日月曜日

新作情報、そして・・・

 今日は一日中家にいたのだが、というか天気が悪かったので外に出る気もなかったのである。ヤフーニュースで台風が近づいていたというのを知ってビックリしたというのが本音である。昨日から少し天気が悪くなり、気温もぐっと下がって少し肌寒くなっている。もう梅雨入りしたし、それが明ければ夏がやってくる。早いなー、と何回言えばいいのかわからないが、本当に早く感じてしまう。

 先ほどまたまたヤフーニュースを見ていて入ってきたニュースであるが、私が大好きなコミック、映画の『キックアス』のリブートが制作される可能性が浮上してきたみたいだ。今コミックの方で新しい『キックアス』が始まっており、おそらくそっちの方の映画化になるのではないかと思う。そしてヒットガールの単独映画もつくられる可能性があるとのことである。こっちの方はどういった内容なのかはあまりわからないが、ヒットガールになるまでの話か、もしくは大人になった姿は描かれるのではないかということである。どちらにせよ、ファンであるわたしにとってはすこぶるうれしいニュースである。そして『キングスマン』の続編、そしてスピンオフが複数つくられるというニュースも。続編の方はエグジーとハリーの物語の最終章になると言われている第3弾の作成、そして同時期に1900年代初頭のスパイ組織を描くスピンオフ作品、そして“ステイツマン”のスピンオフ作品もつくられる可能性があるとのこと。これらのニュースは監督のマシュー・ヴォーン監督が話をしている。また来週くらいには新しい情報が出るのではないかと思う。もし本当にこれらの作品がつくられたらすごいね。すごすぎるね。ヒットガールの方は前回同様クロエ・グレース・モレッツが演じてほしいのだが、もしかしたらこの可能性は低いのではないかなと思う。でも違う女優になったとしてもとにかく新しい作品がつくられることを願いたい。そしてつくられるのであればコミックばりにバイオレンス描写をブチ込んで映画バージョンというテイストを入れた作品にしてほしい。どんな作品をつくろうとも誰かは絶対文句言ったり批判するのだから、それだったらとんでもなくすごい作品にしてほしい。それがこの『キックアス』そのもののよさである。倫理とかモラルだとかそういうものにケリを入れてくれるのがこの作品たちである。とにかく新しい情報が出るのを待ちたい。





なにかイヤなことや辛いこと、しんどいこと、悲しいこと、疲れてしまうこと、そんなことがあっても私は映画に救われている。現実逃避しているだけだろと言われれば確かにその通りかもしれない。でもそうとも言い切れない。映画を観ていて勉強すること、学ぶことは山ほどある。新しい発見なんて毎回である。観たことがない作品を観ると自分の世界が広がる。そして自分の中にあるイライラやもどかしさ、やりきれない感情、言い辛いこと、そんなことを映画の中だけかもしれないが遠慮なく徹底的にやってくれること。そして気が付けば気分が楽になっていること。スッキリしていること。もっといえば命を救ってくれているということ。他の人が観れば何とも思わないようなシーン、なんともないような一言でも、私は気が付けば涙が頬を流れていることがある。現実では絶対にできない、やってはいけないことを、どれだけ残酷なバイオレンス描写でも、そういったものがどれだけ多くの人間の命を救っていることか。どれだけ多くの人間を勇気づけ、奮い立たせてきたか。私もその一人である。はっきりと口で説明できない表現できないわだかまりや怒り、イライラ、苦しみ、生き辛さ、息苦しさ、それはこの世界なのか時代なのか社会なのか街なのか環境なのか周囲なのか周りからくる圧力なのか。そんな訳の分からない手ではつかめない煙のようなものに押し潰されそうになることもある。わけもわからず涙を流すこともある。でも、映画が、そんな“ヤツら”との闘い方を、闘う技を教えてくれる。ときには知恵をヒントをこっそりと置いていってくれる。ときには遠慮なく皆殺ししてくれる。それが助けてくれるんだよ、私を。そしてこれからもこの先も私は何度でも救われ、何度でも奮い立たせてくれるだろう。手を差し伸べてくれるだろう。背中を押してくれるだろう。殴ってくれるしケリも入れてくれるだろう。この発狂し、腐り切った、希望のかけらもない絶望の世界を時代を走り抜く、生き抜くエンジンを、ガソリンを、ハンドルを、映画は用意してくれる。そして、そのマシンを操るのは紛れもない自分自身なのだ。

2018年6月7日木曜日

ブルックリンの紹介??

 今回はリクエストにお応えしてアメリカのニューヨーク州の一部であるブルックリンという街を紹介しようと思い、紹介するといっても画像中心の紹介にしようと思っていたのだが、なんとブルックリンの画像があんまりなかったのである!!(笑)ここを強く主張しても全くなんの解決にもならないわけではあるが、私は今まで3回ほど、というか3回アメリカのニューヨークに行ったことがある。このブログでもイヤっちゅう程話をしているので今更の話にはなってしまうが。ニューヨークといってもこれは詳しく言えばニューヨーク市で、市はマンハッタン、ブロンクス、クイーンズ、ブルックリン、スタテンアイランドの区に分かれている。ニューヨークといえば多くの人が思い浮かぶのがマンハッタンのことである。マンハッタンとブルックリンを繋いでいる橋があるのだが、これがブルックリン橋という橋でアメリカで最古の石橋である。これはものすごく有名な橋で見ればすぐにわかる。映画にも何度も登場するし、いつも多くの人が利用している。もちろん観光客も山ほどいる。それを渡ったらブルックリンという街に入る。最近ブルックリンは開発が進み、私はここ数年行っていないので想像以上に進んでいるだろうと思われる。3回ニューヨークに来ているし、毎回このブルックリンの地を踏んでいるのだが、まともに歩いたことはあまりないので、今度行ったときはもう少しちゃんとこの街を歩いてみなければならない。私がニューヨーク・ワシントン旅を計画していた時に高校時代の恩師にいろいろ相談していたのだが、マンハッタンは宿泊費などがバカ高いのでブルックリンにしてみたらどうや?とアドバイスをいただいたのである。そしてマンハッタンに走っている地下鉄がそのままブルックリンにも走っているので不便さは全くないと。でも私は結局3回ともマンハッタン内のホテルに泊まることにしたのだが。マンハッタンは常にバタバタしていて、落ち着きが全くない。何もかもが騒々しい。私はこの雰囲気が大好きなのだが。この雰囲気を感じるためにマンハッタンに来ているようなものである。でも橋を渡ってブルックリンに入ると急に雰囲気が変わり、静かな街並みが続く。静かといっても街は街で、畑が続くというわけではない。私はいつもブルックリン橋を渡って少し街を歩いて、マンハッタンの高層ビル群が見渡せる川沿いの公園があり、そこのベンチに座ってぼーっとするのが恒例である。そこからマンハッタンの騒々しい音が遠くに聞こえるのである。これもいいんだなー。以前紹介した映画でアン・ハサウェイとロバート・デニーロの『マイ・インターン』がこのブルックリンが舞台の映画である。この映画でちらちら映る街並みが非常に美しい街並みなのである。で、で!で!、その街並みを写真で紹介しようと思い、過去3回分の写真を調べてみたらほとんどないではないか!!WHAT THE FUCK!?なんで撮ってねぇーんだよ!!と過去の自分に言っているところであるが、過去の写真を観ながら、そういえばこの時はこんな状態だったなぁーなど当時の心理的体力的状況が蘇ってきて、まぁーしゃーないか、という結論に至ったのである。終わりかい!!(笑)

 
 
1回目のニューヨークで歩いてブルックリン橋を渡り、 途中で降りる階段があったがここで降りてもいいのかわからず、橋を最後まで渡ったのだがこれが本当に遠回りで、それでめちゃくちゃ疲れてしまって行きたかった公園にはたどり着けず、というか行く元気が全くなかった。ここまでが限界の場所であった(笑)。



2回目で、今度は反対方向に来てしまい、というかこの橋周辺を簡単に行き来できるのかなと思っていたが、確か反対方向に行くにはまた遠回りしなければならなかったような気がする?それでまたまた体力が持たず、このときはここで限界(笑)。

 
 


3回目で、今回はまっすぐ目的地へ行こうと思い、何も考えずに目的地の公園へ。その途中にちらっときれいな街並みがあったのでそれを写真に収めたのである。以前にもこのブログで載せていた画像もあるはずであるが、改めてここで紹介する。


3回目の正直というのか、やっとの思いでこの景色を見ることができた、ということである(笑)。

友人と東京をグルグル

 どうやらここ東京というか関東地方も梅雨入りしたらしい。というか気が付いたら6月になっているではないか。早いなぁ~。ついこの間まではまだまだちょっと肌寒いなと思っていたが、最近はかなり暑くなってきている。6月であるからもう夏の初めである。ついでにお中元時期に突入し、仕事の方も落ち着く暇もなく繁忙期に入り、これからますます忙しくなる。いろんな意味でもう大変である。最近もいろいろと最新映画が公開されているが、なんせ金欠状態で映画館に行くお金ですら大金と感じてしまうこの頃である。私の大好きな“ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー”が出ている『アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー』も観に行こうと思っていたが、結局行けなくなってしまった。6月になって『デッドプール2』も公開され、それも行きたいのだが、なかなか腰が持ち上がらないのである。映画は映画館で観るのが一番なのだが・・・。と言いながらDVDやブルーレイはちょくちょく買ってしまっている。最近はできるだけ買わないように?しているのだが、それでも観てみたい、観なければならないと思った作品は購入している。それもあり、映画館になかなか行けないのである。『デッドプール2』はかなり行きたい。



 先日、といってもかなり前になってしまったが、久しぶりに友人と遊んだのである。その日は天気が悪く、最初は傘なしでも大丈夫であったが、だんだん雨が強くなってきて夕方くらいからは土砂降りであった(ような気がする)。その日は私が行きたいところが何か所かあり、まずそこからグルグル回り始めた。まずはこれも映画関係からで原宿にあるとあるアーティストの公式ショップがあり、そこに行ってみた。ここはなかなか最初に一人では入り辛いところで、友人がいて本当に助かった(笑)。気になっていたポスターとビジュアル本を購入し、本当はポスターをもう2枚とフィギュアも欲しかったのだが、もう一度言うが金欠でそれは次の機会に回すことにした。そこでも店員さんといろいろ話ができていろんな情報を得ることができた。そして店員さんの対応もすごく良くてまた来たいと思ったのである。というかまた行かなければならない。その次は原宿から歩いて渋谷の方へ行き、私の好きな映画監督の一人のデヴィッド・リンチ監督が作っている?監修している?コーヒーが飲めるカフェに行ったのである。そもそもデヴィッド・リンチ監督はコーヒーが大好きでコーヒーばっかり飲んでいたら監督の友人が「そんなにコーヒーが好きだったら自分で作ってみたら?」というのが事の始まりで、自分の家の庭でコーヒーを栽培し始めたのがきっかけである。この渋谷のカフェにわざわざ来なくても、ネットで調べればこのリンチ監督のコーヒー豆はすぐ手に入れることができる。しかし、私は7コーヒーメーカー?がないので、豆を買えばメーカーも買わなければならないので、買えば買えばで飲むようになるかもしれないが、面倒臭がって結局飲まなくなってしまうとそれももったいないので、とりあえず味だけは知りたかったのでこのカフェに来てみたのである。私はコーヒープラスチェリーパイも一緒に食べた。これはもう『ツイン・ピークス』を知っている者は王道中の王道である。このカフェはリンチ監督関係中心のカフェでそれ以外の映画資料やグッズも置いていた。私の隣に座ったカップルの男性が持っていた財布が映画『パルプ・フィクション』のジュールズが持っている“BAD MOTHER FUCKER”と書かれてある財布を持っていて、私の中では大爆笑だったのである。この人も映画が好きなんだなぁーと思った。そのあと秋葉原へ行って私がアメコミ専門店に行き、この前買った『HIT GIRL』の同じものをもう一冊欲しかったのだが、同じ表紙のものは売り切れだったみたいで置いていなかった。残念。そのあと友人がサバゲーグッズが売っているお店に行き、友人が見てみたかったガンが置いていなかったので、ここでもあきらめることに。そのあと地下鉄に乗って日比谷へ行き、先日オープンした東京ミッドタウン日比谷へ行ってみた。オープンしてそれほど日数が経っていなかったということもあるのか、雨だからみんな屋内に避難しているのかたくさんの人でごった返していた。ここはあまりおもしろいものは見つからず。歩いて銀座へ行き、ギンザシックスに行き、ここでも目当てのものは見つからず、また歩いて東京駅の方へ向かったのである。途中にアウトドアショップに立ち寄り、ここでは友人が一つ買いものをし、また歩いて神田まで向かい、ご飯を食べて電車で東京駅に戻り、一緒に電車に乗って新宿駅で解散したのである。この日もいろんなところを回った。雨が降っていたので余計な体力を使ってしまったような感じがした。今度は晴れている日に会いたい。久しぶりに街を歩いていい気分転換になったのである。

2018年6月1日金曜日

どう捉えるか

 
先日『ハート・ロッカー』という映画を観たのである。この映画は2008年の映画でアカデミー賞で9部門でノミネートされ、6部門受賞した作品である。この作品の監督はキャスリン・ビグローという女性監督である。女性監督が初めてアカデミー賞監督賞を受賞した監督である。なぜこの映画を観ようと思ったかというと、この映画に対する評価がみんなそれぞれ全然違うということで、評論家たちも評価が全然違っているということですごく興味を持ったのである。評価というよりも主人公の内的思考、思い、考え、といった方がいいかもしれない。『ハート・ロッカー』は戦争映画で、“棺桶”や“苦痛の極限地帯、極限状態”といった意味がある。今思ったのが、話が脱線してしまうが最近戦争映画をよく観るようになった。最近といっても私が大学を卒業して以来くらいである。小学生や中学生、高校生のときは戦争映画と聞くと「戦争映画はええわー」と拒絶していたのである。そもそも戦争映画に興味がなかったからかもしれない。その反対に私の友人は小学生のときから『プライベートライアン』などの戦争映画をよく観ていた。そしてその友人は『ロボコップ』も好きで、私は『ターミネーター』であった。今思えば完全に友人の方が“オトナ”であった。今私がそれを追いかけている状態になっている。「戦争映画は自分には関係ない」と思っていたのかもしれない。その時点で私の思考は完全に止まっていた。戦争は自分の生活とかけ離れている遠い存在と思っていたがそれは間違いで、日々身近に行われていることが戦争につながっていたり、加担していたりすることもある。そして登場人物の心理が日々の日常での心理にすごく貴重なヒントになるのである。この状況に自分はどう決断するのか。どういう答えを導き出すのか。戦争映画はただ戦争の悲惨さを教えてくれるだけではないということである。この『ハート・ロッカー』はそれを改めて強く思ったのである。私は戦争映画に詳しくなく、友人の方が圧倒的に詳しいと思うが、私が戦争映画でおススメするのは『プライベートライアン』、『アメリカン・スナイパー』、『ハクソーリッジ』である。これらは同じジャンルの戦争映画という類いだが、訴えてくるものはみんな全然違う。そして今回の『ハート・ロッカー』もこれらの作品とは全然違うのである。本当によくできたすごい作品だと思う。
 ここからはネタバレも含まれてしまうので注意していただきたい。ここでこの映画具体的な内容やストーリーを描いてもいいのだが、長くなってしまうため今回は省略する。評論家でも意見が分かれているこの映画で一番論じられている点について私も考えてみたい。最終的に主人公のは戦場に戻っていくのだが、そのときの主人公の心理状態はどういう状態だったのか、ということである。舞台は2004年のイラクである。主人公は爆弾処理班でイラクで行われている爆弾テロによって使用される爆弾の無力化に従事しているのである。最初主人公はこのイラクに赴任してきたとき、爆弾を無力化するときに笑顔を見せたり、他の兵隊が動揺しているとき主人公は冷静に対処したりと、自分が優秀であるということを暗示させているし、それ自体を楽しんでいるかのようである。しかし、自分が優秀であると思っていたが、戦場で失敗をどんどん重ねていってしまう。そもそも爆弾テロを回避できずに仲間を失ってしまったり、イラク人に対する知識が全くなかったり、イラク人の見分けも自分は全然ついていなかったり、仲間を間違って撃ってケガをさせてしまったり、とどめに爆弾そのものを解除できずにイラク人のお父さんを救えなかったりして、自分は優秀だと思っていたが自分は全く持って無力だったことを思い知らされる。倫理的限界まで追い詰められてしまう。この映画の冒頭に、“戦争は麻薬だ。戦闘状態の興奮は中毒になる”という言葉で始まる。主人公は追い詰められるが、任務終了でアメリカに帰る。そしてしばらく家族と過ごすシーンになる。しかし、主人公はまた戦場に戻ってしまうのである。なぜ主人公は戻ってしまったのか。アメリカに帰ったとき、明らかに主人公の居場所はなかった。主人公が奥さんに戦争の話をしても全く聞いてもらえなかった。そしてこの映画の冒頭に言葉にあるように、主人公は結局爆弾処理が好きだから戻っていった。戦場は思考しても意味がなく、アドレナリン・ジャンキーとして思考停止をして戻っていく、思考停止することで生き延びるという心理で主人公は戦場に戻っていったと捉えている人がいる。というかそういうふうにとらえられる余地があるとみている。確かに言いたいことはわかるのだが、私はそうは思わなかった。というかこの評価の全く逆である。主人公は思考停止の状態から始まる。自分に自信があり余裕がある。しかし、失敗に失敗を重ね、自分が無力であることに気が付く。そもそもこの主人公は戦場で精神がマヒしていると言っている人もいるが本当にそうか。私は異常なほどに倫理的であろうと努力していると思う。アメリカに帰った時に、主人公に赤ちゃんがいて、その赤ちゃんに語り掛けるのだが、「このおもちゃが好きか。ママもパパも好きだろ。このパジャマも好きだろ。でも俺くらいの年になったら好きなものは一つや二つになってくる。特別だと思っていたことが特別ではなくなってくる。俺が好きなことはもう一つになってしまったよ」という。この映画の舞台はイラクだが、爆弾テロをやっているのはアメリカ人に対してではなく、イラク人に対してのテロである。そして主人公は爆弾処理ということで、爆弾を無力化することにより人々の命を救うということである。最初主人公は笑いながら爆弾を解除したりしてゲーム感覚でやっている。そのとき主人公は戦争そのものに興味はない。ただ爆弾を解除することに徹している。しかし、主人公はだんだんアメリカがイラクに対してやっていることがどれだけ酷いのかというのを知っていく。主人公は戦争で人を殺しに行っているわけではない。戦争が行われていること自体の責任は彼にはない。でもそれでも彼にでさえも責任が伸し掛かってきてしまうほどの状況なのを知る。彼は最初死をも恐れないかのように堂々と爆弾を解除していくが、失敗を重ねていくうちに自信も余裕もなくなってきて自己嫌悪に陥ってしまう。そしてとどめのシーンで、いくつもの爆弾をぐるぐるに鎖やカギで体中に巻き付けられたイラク人のお父さんが出てくるのだが、彼は必死に救おうとする。しかし、タイムリミットが迫ってきて、仲間の兵士が早く逃げろというが、彼は一人残って必死にカギを外している。でもタイムリミットが迫ってきて、主人公はそのイラク人に向かって言う。「ごめんなさい。助けられないです。本当にごめんなさい」と。完全な敗北である。これはイラク、そしてアメリカが置かれている状況を表している。主人公は最初は死ぬことなんか考えていないと言っていたが、ここで彼は逃げてしまう。最初主人公は自分サイコーと思っていたが、自分には何もできないことを思い知らされたのである。それで任務終了でアメリカに帰る。でもまた主人公は戦場に戻る。これは生き延びるために思考停止しているのか。彼は爆弾処理という最も死ぬ可能性の高いところに自ら飛び込んでいくのだ。爆弾処理ということが自分にできることなんだ。自分にできることは爆弾処理だけなんだ。自分にできることはそれだけなんだ。今自分にできるベストなことは爆弾処理なんだ。たとえそれが周りから文句言われようが、報われないことであろうが、戦争に加担していると言われようが、爆弾処理が自分の生きる意味なんだ、生きている意味なんだ。自己嫌悪に陥り、悩んで悩んで考えて考えて、タイトルにあるようにハート・ロッカー、極限地帯に戻っていくのだ。思考停止ではない。この流れは他の映画でいうと『マイレージ、マイライフ』という映画にすごく似ている。この映画も本当にすばらしい映画であった。リストラ宣告が仕事の主人公がいるのだが、その名の通りリストラを宣告しに行く仕事をしている。リストラすると決めたのは主人公ではない上のクラスの人間である。でもリストラを宣告したときに、された人は主人公に対して「お前のせいで人生がめちゃくちゃだ」、「明日からどう生きていけばいいんだ」、「殺されたも同然だ」、「ふざけるなバカヤロー」など、いろいろと言われてしまうのだが、その責任は主人公にあるわけではない。それでもその関係のない責任は主人公にのしかかってきてしまう。でもいろいろあって主人公もいろいろ悩んで考えて最終的に出した答えが、その責任を負うよ、ということである。この『ハート・ロッカー』もそうである。この今のイラクの現状をつくってしまったのはアメリカである。主人公は殺しに行くために戦場に来たわけではなく、爆弾を無力化するということでイラクの人々の命を救うことで、そのテーマそのものが反戦である。特権階級的にみられていた爆弾処理班であったが、その主人公ですらこのバカげた戦争の責任が伸し掛かってきてしまうのである。責任は紛れもないアメリカそのもであり、この現状をつくったのはアメリカであるが、全く関係のない主人公がその責任を負うよということなのだ。この映画ではミニストリーというロックバンドの音楽がかかるが、歌詞は流されない。その歌詞が反ブッシュ反イラク戦争だからだ。だから観てわかる人にはわかるし、わからない人にはわからないように作られている。というか広い表現が使われているのでどうとでも捉えられてしまう可能性があるが、このミニストリーがなかったとしても主人公の表情、行動、言葉を追っていけばこれは思考停止ではない、アドレナリン・ジャンキーではないことはわかるはずである。最後主人公はミニストリーの音楽をバックに爆弾のある方向へと歩いていく。「ブッシュこのバカげて無意味な戦争はテメーのせいだ!!」と言わんばかりに、責任を負った主人公の表情がうかがえる。自分にできる一番のことは何か、自分にできることは何か、ベストなことは何か。戦場に戻らなくても、ドロップアウトする選択もあるし、家族を選択することもできるし、それこそ思考停止して戦場で生き延びることもできるし、いろんな選択ができる。戦争があればできるだけ加担しないように、あまり関わらないようにするのが一番という人も当然たくさんいるだろう。もし私が主人公であれば私も戦場に戻ると思う。生きる意味がそこにあるから。その技術が求められているなら。それで多くの人間を救えるのなら。だったら行くよ、私も。