記事を書いているときに、頭の中ではこんな風に書きたいとか表現したいとか浮かんでいるのだが、いざ文字にしてみると思っていたのと違っていたり、うまく表現できないということがけっこうある。そこで自分の頭の悪さというかそういうものを感じてしまう(笑)。うまく書けるのはもうほんのわずかである。意外にもテキトーに書いているときにうまく書けることもある。次はこういうことを書こうと思って書き始めると、全くうまく書けないのである。まぁそんなものなのかもしれない。テキトーが一番だろう(笑)。
この前家のパソコンでグーグルアースで遊んでいたのだが、これは見ていて本当にすごいものだと改めて感じたのである。自分が本当にそこにいるみたいな感覚になる。おそらく、もうちょっと進化すればゲームのVRみたいになって、より自分がそこにいるみたいになるだろう。そんなのがあったら速攻買いに行くだろう(笑)。話がそれるが、渋谷にVR専門のゲームセンターがあり、一度友人と遊びに行ったことがあるのだが、VRは本当にすごい。簡単に脳が騙されてしまう。360度上も下も映像が広がっていて、その世界に自分がいる感覚になり、そのVRを外すと現実に戻ってきたという感覚になる。このVRがもっともっと進化すれば、現実とゲームの世界との区別がつかなくなるような人が出てくると思う。つまりゲームの世界の中に自分の価値を見出す人が出てくるということである。楽しむ分には全然問題ないし、私も欲しいなと思ったのである(笑)。話が戻るが、グーグルアースはそれこそプチ旅行をしているみたいなものである。もちろん実際に行くのとでは全然違うのだが。でも見ていて楽しい気分になってしまう。おそらく次に行こうと思っているのはまたニューヨークなのだが、グーグルアースを見ていて今度はここに行ってみようとかいろいろ考えながら見ているのである。今ハマっている映画が『キックアス』で、この映画の舞台はニューヨークなので、また一人で勝手にロケ地ツアーをやりたい。といっても映画の舞台がニューヨークだからといって、実際に撮影されたのは全然違う場所というのはよくある話である。調べてみるとキックアスもニューヨークだと確信できるシーンはニューヨークの高層ビル群が見えるような映像がほとんどなのである。絶対に行こうと思ったのは、ウィリアムズバーグ橋である。この橋は最後、ヒットガールがこの橋を、バイクに乗ってニューヨークを去っていく橋なのである。私がいつも涙が出てしまうシーンである(笑)。ネットでロケ地とか調べていたのだが、意外と情報がなかったので、グーグルアースを使って、映画のシーンの確度に合わせてみたら、このウィリアムズバーグ橋ということがわかったのである。マンハッタン橋かジョージ・ワシントン橋かこのウィリアムズバーグ橋か迷っていたのだが、グーグルアースのおかげで解決したのである。そうやっているとまた行きたくなってきた。ニューヨークかサンフランシスコかネバダ州のお祭りバーニングマンが今一番行きたいところかな。まあ今のこの仕事をしているとそこまで遠いところに行けないのが現実である。中途半端には行きたくないからである。行くならちゃんと行きたい。そしてそのために英語を少しは話せるようにならないといけないと思い、そのハマっているキックアスの英語のセリフをすべて載せてくれているサイトがあったので、それをすべてコピーし、ワードにうつしたのだが、ただ羅列してしてあるだけなので、映画を観ながらこれは誰々セリフとわかるように編集して、やっとついこの間完成したのである。スクリーンプレイという映画のセリフをすごくわかりやすく載せてくれている本が売っているのだが、このキックアスは取り扱いがなかったので、自分で作ったのである。これでちょっと英語を勉強したい。そしてコミックの英語版を取り寄せている。もちろん内容は同じなので、日常会話を学ぶのにはいいだろうと思い、取り寄せてしまったのである。日常会話といってもスラングばっかりの会話なので、スラングの勉強をしたいというのが9割だが(笑)。今年度は少しでも英語が上達していればと思う。そう言っているのが今だけかもしれないが(笑)。
以前宇多田ヒカルさんがインタビューか何かのときに、「曲を作り始めると一瞬だけ素晴らしいものが見えて、次の瞬間、あっという間に崩れ去ってしまう。その後はバラバラになった破片を拾い集めて元通りになるようにする作業。前に見た光景が見えた時、私には曲が完成したとわかる」といったことを話していたことを思いだしました。
返信削除Blogのような個人的で気楽な文章を書く時でも、最初は何かしらこれを書こうとの思いが頭にあるのですが、書いているうちにいつのまにかどこかに行ってしまって、指は別のことをタイプしている、というのはしばしば経験することですよね。
本当に残しておきたいことは、温度が下がらないうちに記録するのが一番です。
先日、キックアスを見ました。
『キックアス』『キックアス ジャスティス・フォーエバー』の2本。
これもご指摘の通り、暴力的表現がハンパない(笑)
まともにツッコんだら、未成年の子女にまともな教育を受けさせず、銃を持たせ人を殺害させているわけで、青少年の健全育成とはかけ離れています。R指定じゃなかったら、ありとあらゆる教育団体から苦情の嵐でしょう。決してTVでは放送できません。
でもまぁ、そこは映画なので…。私もそれをどうこう言うつもりはさらさらありません。
要は、「正義とは何か」がポイントなので。
確かに、目の前に悪があるのに、自分は何もしないままでいいのかというのは難しい問題です。現実社会では、何もできないであきらめることのほうが多いような気がします。できるならなるべくそういう場面には遭遇したくない、と。
パリス・ヒルトンに憧れてヘアスタイルやファッションを真似する人はたくさんいるのに、なぜスーパーマンに憧れて自分も正義を実現しようとしてはいけないのか、主人公の主張にもたしかに一理あり、それ自体は立派な考えだと思います。
ただ、それを実現する方法には、いいことと悪いことがある、ということだと思います。
街角で困っている人を助けたり、路上のごみを拾ったり。迷い猫を探してあげたり。
そういうことはよいけど、では何か悪いことをしてギャングに追いかけられ、ボコボコにされかけている人を、ギャングに対して暴力をふるうことで助けた場合はどうか。
仲間を殺そうとしていたマフィアのボスを、バズーカで高層ビルの間に吹っ飛ばして殺害した場合はどうか。
ここまではいいけど、ここからは絶対ダメという明確な基準なんてないし、そもそも物事の善悪の基準は人によって違うわけですから。
白から黒へのグラデーションのような感じですかね。
日本でも江戸時代とかでは、被害者家族に限って敵討ちが認められていたらしいですが、現在の法律では殺人は事情の有無に関わらず違法です。
暴力に対しては暴力でしか抵抗できないことだって、実際はあるのだと思います。
現実では、殺人事件の被害者家族は復讐もできず苦しんだままということも聞きます。
理不尽な暴力に対してさらなる暴力で応酬していても、結局何の解決にならないとも言われますが、当事者たちの間では抑えきれない感情もあることも事実でしょう。
世界にはどう頑張っても埋めようのない格差があって、日本という比較的平和な社会に住んでいる人間には想像すらできないような、毎日命の心配をしなければならないような
シビアな現実の中で生きている人たちもいるわけで。
あぁ何だかよくわからなくなってきますが、でも、みんなが平和に過ごせたらいいのに、と思います。それしか言葉になりませんね。
ジャスティス・フォーエバーの最後のシーン、ヒットガールが紫色のバイクを飛ばして街を出ていくシーン。ロケ地はウィリアムズバーグ橋ということですが、あのシーンもよかったですね!
タクシーでもバスでもなんでもいいので、通ってみたいです。
自分じゃあんな道を運転するなんて100%無理ですので。
Abbyさん、コメントありがとうございます。
削除宇多田ヒカルさんのようなアーティストの方もそうなんですね。
宇多田ヒカルさんと私とでは次元が違いすぎますが、でも感覚としてはそんな感じですね。
あれについて書こう、と思って一日でも置いてしまうと、“あれ”自体忘れていることはしょっちゅうです。
思ったこと、思いついたことはすぐ書くのが一番ですが、それができない場合はどこかに簡単なメモを残しておくようなことをしないといけませんね。
『キックアス』、『キックアス/ジャスティスフォーエバー』の2作品観られたんですね。
すごいです!!
両作品共にバイオレンス描写が激しかったと思います。
『キックアス』が公開されたときはやはり未成年が人をブッ殺しまくっているし、スラング用語連発で問題になっていたみたいです。
まあ、ここが見所の一つなんですけどね(笑)。
みんなできないけどヒットガールはやってくれる、そういうのがあってヒットガールしかできないのでカッコいいんですね。
Abbyさんのおっしゃる通り、どこまでがよくてどこからがダメなのか。
ヒーローになりたい、憧れるのは確かにわかります。
しかし、何度か書いていますが、ヒーロー自体が異常者なんですね。
酷いことをされて本当は仕返しをしたい、でもそれができない。
理由はいろいろあると思います。
体力的、技術的、能力的、法により不可能。
これは現実世界でも同じですね。
こういうじれったい“壁”、警察ですら手を出したくない、手を出せない“問題”などそういうものに鬱陶しさを感じて自らヒーローとなってそれを解決しようとするんですね。
現実問題を無視した存在なのでやっぱり異常なんですね。
Abbyさんの、“日本でも江戸時代とかでは、被害者家族に限って敵討ちが認められていたらしいですが、現在の法律では殺人は事情の有無に関わらず違法です。
暴力に対しては暴力でしか抵抗できないことだって、実際はあるのだと思います。
現実では、殺人事件の被害者家族は復讐もできず苦しんだままということも聞きます。”
ですが、以前映画『ヘイトフルエイト』というタランティーノ監督の記事を書いたのですが、そのまま写すと、自称首吊り役人が言うのだが、自分は処刑人だから悪いヤツを連れてきて俺が首を吊って殺せばそれは正義だ、と。しかし、それでは納得しないと言う人がいる。殺人犯に殺された遺族がその殺人犯を殺せば、そっちの方が人受けもいいし、みんなそっちの方がスッキリするしカッコいいから好きだと言うが、それは“西部の正義(フロンティアジャスティス)”であって、“正義”とは違うと言うのである。
ここも考えさせられるところですね。
これは明確には回答できませんね。
なぜなら答えがない、でない問題です。
Abbyさんも、私も今その答えの出ない問題と向き合っています。
これが大切なんですね。
倫理、道徳というのは答えがありません。
考え続けないといけないんですね。
ものすごく貴重な時間だと思います。
環境や時代によってその“暴力”の意味が違ってきます。
いいと言われるときもあればダメと言われるときもあります。
そのいいか悪いかは誰の判断なのか、それは絶対的なのか、自分の中にその“線引き”はあるはずです。
その“線引き”はどこからきているものなのか。
考えが尽きることはありませんね。
倫理というのは自分自身の考え、答えです。
自分がいわなかったらそれ自体が無なんですね。
自分がいえばそれは存在するんですね。
こういう解答の出ないケースは自分自身の考えを持つことはすごく大切なことだと思います。
映画の世界ではこういう難しいことに対して、鬱陶しい、じれったい“壁”を気持ちいいほどに叩き壊してくれるんですね。
自分の考えを持って、それはヒーローでも悪党でも。
それがやっぱり映画の良さですね。
『ジャスティスフォーエバー』のヒットガールが乗っているバイクのナンバープレートを以前アメリカのAmazonで買ったんです(笑)。そのナンバープレートには、“HIT A RUN”、と書いてあるんです。
意味を調べてみると、“ひき逃げ”だそうです(笑)。
さすがヒットガールですね(笑)。
最後バイクでウィリアムズバーグ橋を渡っているシーンは泣けますね。
最高にカッコいいです。
私も今度行ったときは絶対に行こうと決めています(笑)。
調べたら歩いて渡ることも可能みたいですが、ヒットガールみたいになにかタクシーでもいいので乗り物に乗って渡ってみたいです。
暴力や殺人は当たり前ですがやってはいけませんが、でもヒットガールはやっぱりカッコいいと思います。
映画の世界ですからね。
『キックアス』シリーズも観ていただいて、本当にありがとうございます。