前回の投稿に続いて観た映画の感想である。もう一つ映画館で見てきたのは、『サバイバー』という映画である。ミラ・ジョヴォヴィッチとピアース・ブロスナンが出演している作品である。私は『007』シリーズが大好きで特に5代目ボンドが好きで、その5代目ボンドがピアース・ブロスナンなのである。カッコいいの一言である。今の007はダニエル・クレイグが役を演じているが、ダニエル・クレイグのシリーズからなぜか“007の掟”崩しに命をかけているみたいで、おもしろいといえばおもしろいのだが、私は今まで通り何事もクールに任務を遂行し、クールに人を殺し、クールにお酒を飲み、クールにお金を使い、クールに美女と関係を持っている007が好きなのである。やっぱり男性の私から見ても絶対カッコいいと思う。しかし、今は人間性を前面に出し、007の苦しみ?みたいなものを表現しようとしているみたいだが、私は007にそんなものは全く求めていないので、今の007は全く別物と思って観ている。
話が脱線してしまったが、この『サバイバー』は評価としてはかなり低かった。そんなおもしろくないの?と私もいってしまえばそれほど期待せずに観に行ってみたのだが、私はおもしろかった(笑)。どんでん返しはなかったが、テンポとしてはよかったのではないか。確かにツッコミどころは山ほどあったが、映画ってそんなものである。ツッコめばきりがない。前回の投稿とかぶるが、ミラ・ジョヴォヴィッチもあまり好きではなかったが、今回の映画で少しだが好きになった(笑)。今回私の好きなピアース・ブロスナンは敵役を怪演していたが、これもまためちゃくちゃカッコよかった。暗殺者の役であったが、敵役も似合うものである。こういうすごい俳優が敵役に回るというのはなかなかインパクトがあるし、見応えがある。中身やストーリー性がなくても、そういう俳優が演じるだけで映画を観る価値はあると私は思っていて、例えばブルース・リーなんかがそうである。映画としてはそんなに良くないが、ブルース・リーのあの肉体美、筋肉だけでその映画を観る価値がある。
またまた話が脱線してしまったが、敵がニューヨークでテロを起こすというのでそれを阻止しようとするのだが、確かに9.11以降空港などの審査が厳しくなったそうである。私は9.11以降にしかアメリカに行ったことがないのでそれ以前はどんな感じだったのかは分からないのだが、確かに入国審査など厳しいと感じた。飛行機に乗るよりも厳しい。映画の最後に文字で出ていたのだが、9.11以降にアメリカの空港で54人のテロリストを逮捕しているのだそうだ。
それにしても今年62歳とは思えないピアース・ブロスナンである。今回の作品でもサイレンサーを使っているのだが、世界で最もサイレンサーの似合う男なのは確かではないだろうか。もっといろんな作品で出てきてほしい。韓国車KIAのCMでピアース・ブロスナンが出ているのだが、『007』風のパロディみたいなCMだったが、これはおもしろかった。まあ、007がKIAの車に乗ることはないし、そのCMにピアースが出るのもな、とも思ったがそれはそれで、なかなかいいCMだった。ピアースが007役を降りてかなりの年数が経つが、いまだに世界では007はやっぱりピアース・ブロスナンだろうという意識があるのだろう。まあ、私もその一人だが。また007に戻ってきてほしいな。
日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2015年10月31日土曜日
交友関係を見直してみる
休日に2本映画を観に行っていたので、まずはその一つを紹介したい。2本ともニューヨークが出てくるということと、好きな作品との関連性、そして好きな俳優が出ていたからである。“マイインターン”という映画を観た。アン・ハサウェイとロバート・デ・ニーロが出演している作品である。“プラダを着た悪魔”の続編とも言われているようだが、私は観た感想を言えば全くそうは思わず、番外編という位置づけで観た。面白かったのだが、続編ではないだろうという感想。全くの別物ではないだろうか。
若い女性社長と40歳年上のシニアインターンとして雇われた男性の交流を描く作品であった。主に女性向けとして宣伝されていたが、男性も見る価値がある作品である。生活、仕事、人間関係、友達などなど、いろんな問題や悩みを抱えながら、人生の先輩の助言を受けて、乗り越えていくところが一つの見どころである。私はアン・ハサウェイをあまり好きではなかったのだが、今回の作品で少し株が上がったのである(笑)。ロバート・デ・ニーロは意外にもこういう作品にも出演するのだなという驚きが大きかった。
詳しいことはあまり書くことができないが、最初若い女性社長は40歳も年上のインターンのことをあまり好きではなかった。むしろ鬱陶しいくらいに思っていたのだが、だんだんと心を通わせるようになっていく。これは自分の生活でもいえることである。最初から好きになることもあれば、嫌いだったのにだんだん好きになっていくこともある。私はどちらかといえば直感型な方で、初対面の人と5分話をすればその人のことはだいたい理解できるという考えで今まで生きてきているので、その5分で今話をしている人との今後の接し方が決まってしまうのである。この私の考えに対して反対している人がいて、嫌いでもコミュニケーションをとってだんだんとその人の良いところが見えてくるんだよ、と説教を食らってしまうことがある。確かにその人の言うとおりである。おそらく私は面倒臭がりなんだと思う。複数人と群れることはほとんどないし、そういう誘いがあっても行こうと思わないのである。私の仲のいい友人は誰とでも話ができて、そういう話があれば何ら関係なく参加しているので、私もそういうところは見習わなければならないなといつも思うのだが、なかなか体が動かないので厄介である(笑)。まあ、私の性格でもあるのだとは思うのだが、無理する必要もないとも思ったりしてしまうのだが、またこれも言い訳になってしまう。何事もメリットデメリットが存在するが、様々な人との交流を広めた方が、自分の視野が広がるのは確かではあると思う。だがしかし、自分ひとりの時間を優先してしまう私である(笑)。
若い女性社長と40歳年上のシニアインターンとして雇われた男性の交流を描く作品であった。主に女性向けとして宣伝されていたが、男性も見る価値がある作品である。生活、仕事、人間関係、友達などなど、いろんな問題や悩みを抱えながら、人生の先輩の助言を受けて、乗り越えていくところが一つの見どころである。私はアン・ハサウェイをあまり好きではなかったのだが、今回の作品で少し株が上がったのである(笑)。ロバート・デ・ニーロは意外にもこういう作品にも出演するのだなという驚きが大きかった。
詳しいことはあまり書くことができないが、最初若い女性社長は40歳も年上のインターンのことをあまり好きではなかった。むしろ鬱陶しいくらいに思っていたのだが、だんだんと心を通わせるようになっていく。これは自分の生活でもいえることである。最初から好きになることもあれば、嫌いだったのにだんだん好きになっていくこともある。私はどちらかといえば直感型な方で、初対面の人と5分話をすればその人のことはだいたい理解できるという考えで今まで生きてきているので、その5分で今話をしている人との今後の接し方が決まってしまうのである。この私の考えに対して反対している人がいて、嫌いでもコミュニケーションをとってだんだんとその人の良いところが見えてくるんだよ、と説教を食らってしまうことがある。確かにその人の言うとおりである。おそらく私は面倒臭がりなんだと思う。複数人と群れることはほとんどないし、そういう誘いがあっても行こうと思わないのである。私の仲のいい友人は誰とでも話ができて、そういう話があれば何ら関係なく参加しているので、私もそういうところは見習わなければならないなといつも思うのだが、なかなか体が動かないので厄介である(笑)。まあ、私の性格でもあるのだとは思うのだが、無理する必要もないとも思ったりしてしまうのだが、またこれも言い訳になってしまう。何事もメリットデメリットが存在するが、様々な人との交流を広めた方が、自分の視野が広がるのは確かではあると思う。だがしかし、自分ひとりの時間を優先してしまう私である(笑)。
それぞれの荷物を背負って
2回前の投稿で、私の友人のことを書いた。また会える日を楽しみにしていると書いたのだが、それが現実になった。詳しいことはここでは控えさせていただくが、とある方から連絡があり、その友人が今いる場所を教えてくれたのだ。早速私が動ける日を伝え、その友人を会う約束をしてくれたのである。会うといっても、詳しく言えば私がその友人のところに行かなければならないということである。東京都内であったが、私の家からは少し遠かった。しかし、会えることにすごく喜びを覚えていた。その友人に会うために簡単な書類を書いたり、少し待たされたり、荷物を預けたりとなかなかスムーズにはいかないのだが、やっと彼に会うことができた。何よりもうれしかったし安心したことは、今まで通りの彼がそこにいたということである。何も気を使うことなく、バカ笑いをしながら話をすることができた。それだけで満足である。彼と話ができる時間は限られていて、それはたったの15分。15分では当然足りないのだが、濃密な15分であった。今までモヤモヤしていた気持ちが晴れてスッキリした。また会いに行こうと思う。
人生は本当に人それぞれの生き方がある。どれが正しくて、どれが間違いだとかそんなものは誰もわかりはしない。自分が正しいと思った道を歩んでいけばいい。たとえそれがどれほど険しく、長い道のりであったとしても、自分が正しいと思えればそれでいい。周りから何と言われようとも。そして、元気に生きていてくれればそれでいい。“元気があれば何だってできる”と誰か言っていたが、本当にその通りだと思う。何だってできるというのはわからないが、元気でいれば少なくとも前進しているのではないだろうか。結果がどうなるかそんなことはわからないが、私はそれだけでいいと思う。生きていれば嬉しいこと、楽しいこともあれば悲しいこともある。苦しいこと、辛いこと、怒りたいこと、反抗したいこと、いろんなことがある。無論私にだって。どんな人もそれぞれの荷物を背負って山を登っている。決して下ろすことができない荷物もあるだろう。でも、それでも人は登っていく。今歩んでいる道が正しいのかそれはわからないが、元気がなくては歩けないだろう。疲れたら休めばいいし、歩んできた道を振り返るのもいい。そこから眺める景色を観るのもいいし、そこに咲いてる花を見るのもいい。人はみなそうやって少しずつ少しずつ前に進んでいるのではないだろうか。私はそう思っている。
人生は本当に人それぞれの生き方がある。どれが正しくて、どれが間違いだとかそんなものは誰もわかりはしない。自分が正しいと思った道を歩んでいけばいい。たとえそれがどれほど険しく、長い道のりであったとしても、自分が正しいと思えればそれでいい。周りから何と言われようとも。そして、元気に生きていてくれればそれでいい。“元気があれば何だってできる”と誰か言っていたが、本当にその通りだと思う。何だってできるというのはわからないが、元気でいれば少なくとも前進しているのではないだろうか。結果がどうなるかそんなことはわからないが、私はそれだけでいいと思う。生きていれば嬉しいこと、楽しいこともあれば悲しいこともある。苦しいこと、辛いこと、怒りたいこと、反抗したいこと、いろんなことがある。無論私にだって。どんな人もそれぞれの荷物を背負って山を登っている。決して下ろすことができない荷物もあるだろう。でも、それでも人は登っていく。今歩んでいる道が正しいのかそれはわからないが、元気がなくては歩けないだろう。疲れたら休めばいいし、歩んできた道を振り返るのもいい。そこから眺める景色を観るのもいいし、そこに咲いてる花を見るのもいい。人はみなそうやって少しずつ少しずつ前に進んでいるのではないだろうか。私はそう思っている。
2015年10月21日水曜日
いざ、ふもとっぱらへ
私は新宿からバスで富士まで行くことになっていた。当日出発のバス、富士の最寄り駅からのバス、前泊ツアー、飛行機ツアー、などなど様々なプランが用意されていたが、当日出発のバスが一番安かったし、連休もなかなか取れないのでどの道それしか行く方法が私にはないのだ。おそらくほとんどの人はこの当日プランだっただろう。
新宿のコクーン前辺りで集合だった。我々とは全く関係ない人たちもたくさんいた。みんな一体どこへ行くのだろか。夏休みだからおそらく学生だろう。それを横目に私は長渕ツアーを探した。プラカードを持った人がいたので、向こうで並んでいるのでそこへ行けとのこと。早目に到着したが、すでにたくさんの人が待っていた。乗車する際にリストバンドが渡され、私のリストバンドには「カ」と書かれていた。一体何のことだろうと思ったが、その時はそれほど気にならなかった。しかし、この「カ」の文字が最後の最後に重要な文字になってくるのだった。
9時30分くらいに出発し、車内は予想とは違いかなり静かであった。オールナイトなので夜は寝ることができないのでバスの中で寝ようと思ったが、気分が高まってしまい、ほとんど寝れなかった。途中休憩でパーキングエリアに寄った。そのとき私たちのバス以外にもたくさんの長渕ツアーのバスが並んでいた。富士の会場エリアに入るとき、何台ものバスとすれ違うのだが、「博多」、「静岡」、「東京」、「広島」などなど様々な場所から来たバスがすれ違う。本当に長渕剛に会うために全国から集まったのだ。もうそれだけでも涙ものである。私たちのバスは14時に会場のふもとっぱらという場所に到着した。そこから2キロの道のりを歩いて移動する。天気は曇りで雨が降りそうな感じであった。荷物検査をして会場入りすると視界が開け、広大な敷地に圧倒される。そして壮大なセット。なにもかもが長渕剛にしかなしえることができないであろう、壮大なスケールである。「ヤバい」しか言葉が出てこない。
グッズを買って自分たちの指定ブロックへ。私たちが乗ったバスは到着が早い方で、グッズを買うのも20分くらい並んで買うことができたが、夕方にもう一度グッズ売り場に行ってみると、長蛇の列ができていて、グッズを買うのにも1時間以上はかかりそうだった。もちろんグッズ販売の点と数も半端じゃないくらい出ていて、なんかのフェスかよって思ってしまいそうになるが、あくまで長渕剛ただ一人のテントである。
グッズの一つであるパンフレットを買い、指定ブロックで場所取りしたのでそれを読んでいたのだ。パンフレットといってもほとんど写真集みたいなものだが、私はライブのたびに必ずパンフレットを買っている。楽しく読んでいたが、最後のページを見たとき、私の中で衝撃が走ったのである。剛の直筆のメッセージがそこに書かれていた。“ここまで来てくれてありがとう。そして、生きていてくれてありがとう。”、そう書かれてあった。まあ普通に考えると、「こんな遠くまで来てくれてありがとう」、という意味だったと思うのだが、そのときの私は、「今まで俺について来てくれてありがとう」という意味で解釈してしまい、そこで私はこれが長渕剛最後のライブになるかもしれないと思い、涙してしまったのである。あの日の感情は信じられないくらいにハイになっていたと思う。ライブ開始まで数時間の話である。
新宿のコクーン前辺りで集合だった。我々とは全く関係ない人たちもたくさんいた。みんな一体どこへ行くのだろか。夏休みだからおそらく学生だろう。それを横目に私は長渕ツアーを探した。プラカードを持った人がいたので、向こうで並んでいるのでそこへ行けとのこと。早目に到着したが、すでにたくさんの人が待っていた。乗車する際にリストバンドが渡され、私のリストバンドには「カ」と書かれていた。一体何のことだろうと思ったが、その時はそれほど気にならなかった。しかし、この「カ」の文字が最後の最後に重要な文字になってくるのだった。
9時30分くらいに出発し、車内は予想とは違いかなり静かであった。オールナイトなので夜は寝ることができないのでバスの中で寝ようと思ったが、気分が高まってしまい、ほとんど寝れなかった。途中休憩でパーキングエリアに寄った。そのとき私たちのバス以外にもたくさんの長渕ツアーのバスが並んでいた。富士の会場エリアに入るとき、何台ものバスとすれ違うのだが、「博多」、「静岡」、「東京」、「広島」などなど様々な場所から来たバスがすれ違う。本当に長渕剛に会うために全国から集まったのだ。もうそれだけでも涙ものである。私たちのバスは14時に会場のふもとっぱらという場所に到着した。そこから2キロの道のりを歩いて移動する。天気は曇りで雨が降りそうな感じであった。荷物検査をして会場入りすると視界が開け、広大な敷地に圧倒される。そして壮大なセット。なにもかもが長渕剛にしかなしえることができないであろう、壮大なスケールである。「ヤバい」しか言葉が出てこない。
グッズを買って自分たちの指定ブロックへ。私たちが乗ったバスは到着が早い方で、グッズを買うのも20分くらい並んで買うことができたが、夕方にもう一度グッズ売り場に行ってみると、長蛇の列ができていて、グッズを買うのにも1時間以上はかかりそうだった。もちろんグッズ販売の点と数も半端じゃないくらい出ていて、なんかのフェスかよって思ってしまいそうになるが、あくまで長渕剛ただ一人のテントである。
グッズの一つであるパンフレットを買い、指定ブロックで場所取りしたのでそれを読んでいたのだ。パンフレットといってもほとんど写真集みたいなものだが、私はライブのたびに必ずパンフレットを買っている。楽しく読んでいたが、最後のページを見たとき、私の中で衝撃が走ったのである。剛の直筆のメッセージがそこに書かれていた。“ここまで来てくれてありがとう。そして、生きていてくれてありがとう。”、そう書かれてあった。まあ普通に考えると、「こんな遠くまで来てくれてありがとう」、という意味だったと思うのだが、そのときの私は、「今まで俺について来てくれてありがとう」という意味で解釈してしまい、そこで私はこれが長渕剛最後のライブになるかもしれないと思い、涙してしまったのである。あの日の感情は信じられないくらいにハイになっていたと思う。ライブ開始まで数時間の話である。
2015年10月17日土曜日
伝説のライブに至るまで
つい先日までは暑いと思っていたが、最近は寒いくらいになってきた。気が付いたら10月の中旬である。もう年末シーズンとなる。一年もあっという間に過ぎていく。一日一日を大切にしていかなけれべならないが、なかなかそれも難しいものである。とりあえず風邪をひかないように注意したい。
8月の話になってしまうが、とりあえず記憶に残しておきたいということで、そろそろ少しずつではあるが書きたいものがある。かなり偏った個人的な話になってしまい、申し訳ないのだが、“長渕剛 10万人オールナイトライブ2015 in 富士山麓”に行ってきたのである。昨年のオールタイムベストのツアーにて発表され、約一年待ちに待った私としては人生の最大のイベントになるライブである。とりあえず今回はそのライブに至るまでを書きたいと思う。
2004年に鹿児島県の桜島にてオールナイトライブが行われたのである。私は当時中学3年生であった。私はその時はすでにファンになっていたが、当時の私にはそのコンサートに行ける力もなく、そして鹿児島が果てしなく遠い存在で参加することができなかった。その年に発売されたライブCDを何度も何度も聴き込み、歌は当然MCや掛け声もすべて覚えた。たかがCDではあったが、すさまじく、壮絶なライブであった。あれから11年がたった。この富士のライブでオールナイトは最後という位置づけであった。それを聞いた時はめちゃくちゃ悲しく寂しい気持ちになった。ならば死んでも今回の富士のライブに参加しなければならない。発売日に早速チケットを申し込み、チケットを手にすることができた。
前回の桜島ライブでは決定から約2年の月日を費やしてライブ当日を迎えたのだが、今回は1年しかないということで様々な問題があったのである。そもそもチケットが高額なのと、チケットと合わせてJTBのツアーのチケットも申し込まなければならないということで、金銭的にかなり厳しいものがあった。それで参加できなかった人も多くいると思われる。桜島のライブのチケットは即日完売だったが、今回はライブ当日まで完売発表はなかった。10万人集まるのだろうかという心配があった。
そしてもう一つの大きな問題はファン離れがあるのではないかと思われる。2003年の“Keep on Fighting”ツアー以降、拳挙げ中心のいわばロックンロールスタイルが確立されていくのである。昔ながらのファンにしてみれば、歌そのもので感動を与えていたライブが、“お祭り”なライブになってしまった、ということで離れていくファンもいるのではないか。そして歌詞の変化である。最近の剛は“普遍”の歌詞、歌を求めていて、100人いれば100人が感動する歌を求めているのである。例を上げるならば“明日へ続く道”、“しあわせになろうよ”、“TRY AGAIN”などがそうではないかと考える。しかし、昔のファンからしてみれば、生活感丸出しの唄、悔しくてみすぼらしい自分をさらけ出す歌、そんな歌こそが長渕剛の歌であって、それこそが“普遍”なのである。例を上げるならば、“流れもの”、“しょっぱい三日月の夜”、“明け方までにはケリがつく”などがそうなのではないだろうか。彼にしか書けない歌えない歌である。私は昔だろうが今だろうが長渕剛が大好きである。昔の歌に感動させられることもあれば今の歌に感動させられることも事実。私としては昔のファンが言う“普遍”があるからこそ今の“普遍”の歌が存在するので、何も言うことはない。すべてが最高である。
今回のライブでファンをやめようという人も多かった。それはライブに参加する前の話。我々ファンの想像をはるかに上回るライブになろうとは誰も思わなかっただろう。ライブ前、ライブ後に様々なメディア、マスコミから批判があった。しかし、あそこに集結したファンにしてみれば「だからなんなの」という感じ。たった一人のため、長渕剛ただ一人に会うために、全国各地から集結した私たちは間違いなく彼に突き動かされたのである。
8月の話になってしまうが、とりあえず記憶に残しておきたいということで、そろそろ少しずつではあるが書きたいものがある。かなり偏った個人的な話になってしまい、申し訳ないのだが、“長渕剛 10万人オールナイトライブ2015 in 富士山麓”に行ってきたのである。昨年のオールタイムベストのツアーにて発表され、約一年待ちに待った私としては人生の最大のイベントになるライブである。とりあえず今回はそのライブに至るまでを書きたいと思う。
2004年に鹿児島県の桜島にてオールナイトライブが行われたのである。私は当時中学3年生であった。私はその時はすでにファンになっていたが、当時の私にはそのコンサートに行ける力もなく、そして鹿児島が果てしなく遠い存在で参加することができなかった。その年に発売されたライブCDを何度も何度も聴き込み、歌は当然MCや掛け声もすべて覚えた。たかがCDではあったが、すさまじく、壮絶なライブであった。あれから11年がたった。この富士のライブでオールナイトは最後という位置づけであった。それを聞いた時はめちゃくちゃ悲しく寂しい気持ちになった。ならば死んでも今回の富士のライブに参加しなければならない。発売日に早速チケットを申し込み、チケットを手にすることができた。
前回の桜島ライブでは決定から約2年の月日を費やしてライブ当日を迎えたのだが、今回は1年しかないということで様々な問題があったのである。そもそもチケットが高額なのと、チケットと合わせてJTBのツアーのチケットも申し込まなければならないということで、金銭的にかなり厳しいものがあった。それで参加できなかった人も多くいると思われる。桜島のライブのチケットは即日完売だったが、今回はライブ当日まで完売発表はなかった。10万人集まるのだろうかという心配があった。
そしてもう一つの大きな問題はファン離れがあるのではないかと思われる。2003年の“Keep on Fighting”ツアー以降、拳挙げ中心のいわばロックンロールスタイルが確立されていくのである。昔ながらのファンにしてみれば、歌そのもので感動を与えていたライブが、“お祭り”なライブになってしまった、ということで離れていくファンもいるのではないか。そして歌詞の変化である。最近の剛は“普遍”の歌詞、歌を求めていて、100人いれば100人が感動する歌を求めているのである。例を上げるならば“明日へ続く道”、“しあわせになろうよ”、“TRY AGAIN”などがそうではないかと考える。しかし、昔のファンからしてみれば、生活感丸出しの唄、悔しくてみすぼらしい自分をさらけ出す歌、そんな歌こそが長渕剛の歌であって、それこそが“普遍”なのである。例を上げるならば、“流れもの”、“しょっぱい三日月の夜”、“明け方までにはケリがつく”などがそうなのではないだろうか。彼にしか書けない歌えない歌である。私は昔だろうが今だろうが長渕剛が大好きである。昔の歌に感動させられることもあれば今の歌に感動させられることも事実。私としては昔のファンが言う“普遍”があるからこそ今の“普遍”の歌が存在するので、何も言うことはない。すべてが最高である。
今回のライブでファンをやめようという人も多かった。それはライブに参加する前の話。我々ファンの想像をはるかに上回るライブになろうとは誰も思わなかっただろう。ライブ前、ライブ後に様々なメディア、マスコミから批判があった。しかし、あそこに集結したファンにしてみれば「だからなんなの」という感じ。たった一人のため、長渕剛ただ一人に会うために、全国各地から集結した私たちは間違いなく彼に突き動かされたのである。
登録:
投稿 (Atom)