2019年8月14日水曜日

“観る側の自由”という風潮

 相変わらず猛烈に暑い日が続いており、外出するのにも死を覚悟しなければならないくらいである。今日は休日だったのだが、出かけようか迷っていたのだが、雨が降っていたので外出はやめておこうと思い部屋でいろいろしていたら雨がやんでいて快晴であった。「なんやねん!!」という感じであったが、日用品の買い物があったのでそれだけ買いに外出をしたのである。それだけでも汗だくになってしまうほどの暑さである。すでに何人も亡くなられているというニュースを聞いているので、本当に気を付けた方がいい。できるだけ外出を控えて、家の中ではコーラ片手にクーラーをガンガンにつけてゆっくり映画を観るのが一番いい。これは自分のことだが(笑)。これは冗談として、とにかく家にいようが外にいようがこの猛暑には気を付けてなければならない。


本当は今日は映画館にでも行こうかなーと思っていたのだが雨で行かなかった。この前観た『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』をもう一度観たかったのである。それ以外に『トイ・ストーリー4』が上映されているのだが、私は一作目しか観たことがないのだが、上映中のこの作品がものすごくすばらしい作品になっているみたいで、またこのシリーズも観なければならないなーと思っているのである。好評かどうかは私はネットでしかわからないのでそれで知ったのだが、今はこういう手段があるので本当に便利でなによりである。当然その反対もあるし、ネット上では好評であっても私自身はそうではないこともある。当然逆もある話で私は大好きでもネット上では叩く人が多いこともある。まぁ、自分次第なのだが。ネットでその作品に対するコメントを読んでいると少し気になるところがあるのだが、本当にこの人はその作品を理解しているのかなーということである。当然これは私自身にも言えることなのだが。単純明快な作品もあるが、当然複雑な作品もある。いつか忘れたが紹介したことがある『ハート・ロッカー』はすごく複雑でわかりにくい作品である。この作品にたいする某有名タレント?のコメントが『戦争、テロ、人種差別。いつも犠牲になるのは何の罪もない一般市民。その現実を我々は直視しなければ』であったが、本当にこの人映画観たのかよと思ってしまうほどの的外れなコメントである。『ハート・ロッカー』はそんなことを描いている作品ではない。コメントの依頼が来てるならちゃんと観ろよと言いたくなるし、このコメント載せる前に誰かチェックしたのかよと思ってしまう。まぁこれはどうでもいいのだが、最近すごく気になるのが“自分が感じたこと、思ったことを自由に書けばいい、表現すればいい”ということである。簡単に言えば“なんでもあり”ということである。その作品についてどう思うかは観る側の自由だというところである。だんだんこの傾向が強くなっているような気がして私としては「マジで言ってんのそれ??」と感じることがある。これは“映画”というエンターテイメントで話がされるから余計にそうなってしまうのかもしれない。これを映画ではなく、古文でも和歌でも漢文でも万葉集でも百人一首でもなんでもいいが、そういうのに置き換えて考えてみてはどうか。こういったものを学習するときに先生はその文章そのものを解説してくれる。そして単語の意味や季語、役割、作者が取り巻いていた環境、時代背景、歴史、そういったものを学んで初めてその作品を理解できるはずである。もしテストがあって答えを書く際にそういったものを踏まえて回答しなければテストでは点数はもらえないはずである。自分が感じたことを自由に書いてしまうと当然点数はもらえない。先生が解説してくれたことに対して「いや、私はそうは感じなかった」と言って自分勝手なことを言ってもまるで意味がないのである。これと同じことが映画の話をするときに起きていることである。映画にも当然ストーリーがある。まずはそれを素直に正確に受け取っていく。そのセリフの意味は、使われている音楽の意味は、そこに映っていたあれはどういう意味があるのか、あのシーンの意味は。こういったものを見逃さずにきちんと受け取っていかなければならないだろう。そして制作側の意図である。この監督はどういう監督なのか。過去にどういう作品を作っていたのだろうか。生まれ育った環境や時代や場所はどういったものだろうか。そういったものが当然作品に反映されている。でもこれらを無視して自分はそうは感じなかった、そう思わなかった、自分はこう思う、こう感じたんだと言っていろいろ書いたり表現したりする。何もかも無視して自分が感じたことだけ書き、“どう思うかは観る側の自由”という風潮がたどり着くのは“知の崩壊”、“教育の崩壊”、“教養の崩壊”である。当然自由に思うところはある。人によって自受け取り方も違うし、感じ方も違う。でも映画自体のストーリーや内容、制作側の意図もちゃんと抑え上で、どう思うか、だろう。ただ観て終わり、ではなくて少しでもいいから踏み込んで調べてみるのがいい。そうすればもっと映画がおもしろくなる。スルーしていたシーンがすごく重要なシーンに変わる。何も感じなかったセリフに涙してしまう。「なるほど!!」と10回目に観たときに理解できることもある。何も知らずに観るのも当然おもしろいが、知って観れば何倍も何倍もおもしろくなる。自由に表現できる範囲というのはある程度固定された中での隙間の話なのかもしれない。

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