2017年4月26日水曜日

グーグルアース

 ついこの間から新しい職場で働いているのだが、覚えることがめちゃくちゃ多くて大変である。そしてお店自体が忙しいので、覚えることもなかなか覚えられないし、息抜きするヒマもないのである。3日働いたのだが、もうヘトヘトである。慣れるまでにはかなり時間ぎかかりそうだ。というか今までがラク過ぎたと言ってもいいかもしれない(笑)。日本で一番忙しいお店なので、そこはちゃんと学習したい。

 記事を書いているときに、頭の中ではこんな風に書きたいとか表現したいとか浮かんでいるのだが、いざ文字にしてみると思っていたのと違っていたり、うまく表現できないということがけっこうある。そこで自分の頭の悪さというかそういうものを感じてしまう(笑)。うまく書けるのはもうほんのわずかである。意外にもテキトーに書いているときにうまく書けることもある。次はこういうことを書こうと思って書き始めると、全くうまく書けないのである。まぁそんなものなのかもしれない。テキトーが一番だろう(笑)。
 
 この前家のパソコンでグーグルアースで遊んでいたのだが、これは見ていて本当にすごいものだと改めて感じたのである。自分が本当にそこにいるみたいな感覚になる。おそらく、もうちょっと進化すればゲームのVRみたいになって、より自分がそこにいるみたいになるだろう。そんなのがあったら速攻買いに行くだろう(笑)。話がそれるが、渋谷にVR専門のゲームセンターがあり、一度友人と遊びに行ったことがあるのだが、VRは本当にすごい。簡単に脳が騙されてしまう。360度上も下も映像が広がっていて、その世界に自分がいる感覚になり、そのVRを外すと現実に戻ってきたという感覚になる。このVRがもっともっと進化すれば、現実とゲームの世界との区別がつかなくなるような人が出てくると思う。つまりゲームの世界の中に自分の価値を見出す人が出てくるということである。楽しむ分には全然問題ないし、私も欲しいなと思ったのである(笑)。話が戻るが、グーグルアースはそれこそプチ旅行をしているみたいなものである。もちろん実際に行くのとでは全然違うのだが。でも見ていて楽しい気分になってしまう。おそらく次に行こうと思っているのはまたニューヨークなのだが、グーグルアースを見ていて今度はここに行ってみようとかいろいろ考えながら見ているのである。今ハマっている映画が『キックアス』で、この映画の舞台はニューヨークなので、また一人で勝手にロケ地ツアーをやりたい。といっても映画の舞台がニューヨークだからといって、実際に撮影されたのは全然違う場所というのはよくある話である。調べてみるとキックアスもニューヨークだと確信できるシーンはニューヨークの高層ビル群が見えるような映像がほとんどなのである。絶対に行こうと思ったのは、ウィリアムズバーグ橋である。この橋は最後、ヒットガールがこの橋を、バイクに乗ってニューヨークを去っていく橋なのである。私がいつも涙が出てしまうシーンである(笑)。ネットでロケ地とか調べていたのだが、意外と情報がなかったので、グーグルアースを使って、映画のシーンの確度に合わせてみたら、このウィリアムズバーグ橋ということがわかったのである。マンハッタン橋かジョージ・ワシントン橋かこのウィリアムズバーグ橋か迷っていたのだが、グーグルアースのおかげで解決したのである。そうやっているとまた行きたくなってきた。ニューヨークかサンフランシスコかネバダ州のお祭りバーニングマンが今一番行きたいところかな。まあ今のこの仕事をしているとそこまで遠いところに行けないのが現実である。中途半端には行きたくないからである。行くならちゃんと行きたい。そしてそのために英語を少しは話せるようにならないといけないと思い、そのハマっているキックアスの英語のセリフをすべて載せてくれているサイトがあったので、それをすべてコピーし、ワードにうつしたのだが、ただ羅列してしてあるだけなので、映画を観ながらこれは誰々セリフとわかるように編集して、やっとついこの間完成したのである。スクリーンプレイという映画のセリフをすごくわかりやすく載せてくれている本が売っているのだが、このキックアスは取り扱いがなかったので、自分で作ったのである。これでちょっと英語を勉強したい。そしてコミックの英語版を取り寄せている。もちろん内容は同じなので、日常会話を学ぶのにはいいだろうと思い、取り寄せてしまったのである。日常会話といってもスラングばっかりの会話なので、スラングの勉強をしたいというのが9割だが(笑)。今年度は少しでも英語が上達していればと思う。そう言っているのが今だけかもしれないが(笑)。

2017年4月19日水曜日

『キックアス』、正義への思い

 一つ前の投稿では、六本木の東京ミッドタウンにあるオープンテラスみたいなところに座って記事を書いていたのである。久しぶりに少し東京の街を歩いた。歩いていると汗をかくくらいに暑かったが、歩くにはもってこいの気候であった。最近なかなか歩くことができなかった。お店の閉店作業とか次のお店の入店研修とか健康診断とかなんやらで休日もほとんどまともな休日がないくらいで、久しぶりのまともな休日な感じであった。昼前から雨が止んで晴れてきたし、ちょうど買い物もあったので、久しぶりのウインドウショッピングも兼ねて歩いていたのである。最近というかずっとパソコンの調子が悪いので、最近はiPhoneから投稿しているということで、このブログを始めて以来、初めて外で記事を書いたのである(笑)。別に大したことではないが(笑)。15時くらいには家に戻り、前回の投稿で書いたように今回は『キックアス』について書こうかなと思う。3回目を読み終わった。最近こういう映画関連の記事が続いていて、違う内容の記事も書きたいところなのだが、最近やることが本当に映画しか観ていないという腐敗堕落しきった生活しかしていないという状況である。休日になると朝起きて映画を観て、昼にも映画を観て、昼寝して、映画を観て、お風呂に入って、ご飯を食べながら映画を観て、寝る、とそんな休日である(笑)。本当に腐敗堕落している(笑)。しかしそれが私にとって至福のひとときなのだが。前回の投稿で、アメコミを買ったりとお金をまた使ってしまったと書いたが、やはり知識とかそういうのを増やしていこう、深めていこうと思ったら、本やら雑誌やらDVDやら資料やら必要なものが絶対に出てくる。それをお金を使わなかったら絶対に知識は増えないし深まっていかない。貯金するのもいいが、そういう自分自身を広げていくモノ、ことにはお金を使わなければならない。最近ではネットが発達していて、知識を得ようと思えば一瞬で調べられてしまうのだが、このネットでの情報はほんの一部しかのっていない。そのネットで調べて、知ったつもりになるのは明らかに間違いである。やはり本当の情報を得るには、その本、専門書などを読まないと本質はわからない。ネットで満足する人間が増えているみたいだが。状況にもよるが、知識を得るのは早ければ早い方がいい。今知識を得れば、その知識は残りの人生に使っていける。しかし、死にかけのときに知識を得ても、その知識を使うのは残り少ない。もちろん死ぬまで勉強だが。いろんなことを知る、学ぶのは本当にすばらしことである。
 話がまたまたそれてしまったが、この『キックアス』は映画から入った。映画は『キックアス』、『キックアス  ジャスティスフォーエバー』と2作品あり、コミックは、『キックアス』、『ヒットガール』、『キックアス2』、『キックアス3』の4作品ある。今回どういう内容を書こうか迷ったが、映画とコミックの違いにしようかとも思ったが、ネットを見ていると、やはりその映画とコミックの違いについてすでに書いている人がいたし、そっちの方がより詳しくわかりやすく書いていたので私の出る幕はないと思ってしまった(笑)。もちろん書いている人それぞれの意見、捉え方があって、それを読むだけで楽しかったのだが。この『キックアス』の特徴は何かというと、やはり1番に挙げられるのはバイオレンス描写だろう。映画でもそうだが、コミックは本当にヤバイ。殺人殺戮残酷残虐死体だらけ血だらけの真っ赤っかである。しかもそのほとんどが“ヒットガール”が殺されるべき人間を殺しまくるのである。今回の主人公はデイヴという少年がいて、スーパーヒーローにあこがれているのだ。こんな何百万人もいるのに、ロックスターやハリウッドスターにあこがれてマネする人は多いのに、なぜスーパーヒーローのマネをする人はいないのだろうと思って自分がスーパーヒーローになろうとする話である。このデイヴはただのアメコミ好きの少年なので、なんの力もない。スーパーマンは宇宙人だし、バットマンは大富豪で兵器を使うし、スパイダーマンは蜘蛛に噛まれて特殊能力を手に入れるが、このデイヴは、ただの人間。その設定に我々読者は親近感を覚えるのだ。でもやっぱり現実は違う。その辺のギャングにボコボコにされて死にそうになる。そこで高度な訓練を受けた本当のスーパーヒーロー“ヒットガール(少女)”、そしてその父“ビッグダディ”と出会って大きな事件に巻き込まれていくのだが、ここでやはり考えなければならないのが“正義”とはなんなんだ、ということである。今は映画もコミックも区別なく話をするが、デイヴはできれば人殺しはしたくないと考えている。一方ヒットガールは、自分がやっているのは殺人ではなく、処刑なんだという。死ぬに値するヤツ、生きていてはいけないクソ野郎どもは躊躇なくブッ殺してしまう。しかし、普通に考えてみればヒーロー自体、精神異常なのである。そしてその“正義”は人それぞれの在り方考え方があり、人によって全然違うということである。つまりスーパーヒーローの物語は、ある意味正義と正義の戦いなのかもしれない。話がそれるが、タランティーノ監督の映画『ヘイトフルエイト』での話だが、自称首吊り役人が言うのだが、自分は処刑人だから悪いヤツを連れてきて俺が首を吊って殺せばそれは正義だ、と。しかし、それでは納得しないと言う人がいる。殺人犯に殺された遺族がその殺人犯を殺せば、そっちの方が人受けもいいし、みんなそっちの方がスッキリするしカッコいいから好きだと言うが、それは“西部の正義(フロンティアジャスティス)”であって、“正義”とは違うと言うのである。それぞれ自分の正義がある中で戦っているのである。警察もデイヴも周りいるヒーローたちも誰も手が出せない絶体絶命の状況下で、ヒットガールただひとりが敵に立ち向かっていくところがある。そのとき、「ゲーム開始よ、マザーファッカー」とヒットガールが言うのだが、そこで涙が出てしまう。誰もできないしやりたくないし殺されるかもしれない、といろんいろ躊躇してしまうが、ヒットガールだけは迷わず立ち向かっていくのだ。もちろん人殺しを賛美しているわけでもないし、絶対にやってはいけないことである。しかし、己の正義に迷わず突き進んでいくヒットガールの決意、パワーがある。それにある種の美学がある。デイヴはスパイダーマンの話に出てくるあるシーンの言葉、“偉大な力には責任が伴う”というのに対し、自らに問いかけるのだ。じゃあ“力がなければ責任は伴わない”のか?と。そうじゃないだろと自分で答えを出す。デイヴは、街で起こっている暴力に対して誰もが見ているだけで、俺はそれが許せないんだ、と。その暴力に俺が止めに入ってそれによって命を落とすことになったとしても俺は構わない、死んでも構わない、と。悪いヤツがいるからそれを止めてくれる存在が必要なのだ。今日家族が友達が隣に住んでいる人がこの街に住んでいる人たちが安心して眠れるためにヒーローが必要なんだ。そしてそのための手段はヒーローそれぞれ違う。だが、正義への思いは同じなはずだ。私は確かに、“デイヴの正義”、“ヒットガールの正義”を感じ取ることができたように思う。
 改めて明白にしておきたいが、私は殺人オッケーと言っているわけではない。何度も言うが、殺人は絶対にやってはいけないことである。話は少し変わるが、今回の映画だけでなく、こういった残酷シーン、残虐シーン、など殺人とかそういったものは目を背けずにちゃんとみておかないといけないと思っている。いつだって、常に、自分が人を殺す立場になる可能性があるという危機感はどんなときでも持っておきたいからである。そういった残虐残虐シーンを見たときに、当たり前だが、「恐い、ヤバイ」と感じる。これは正常な反応である。以前にも書いたが、自分自身が“愚かさ”、“不潔”、“残酷”、“恐怖”ではなく、自分自身を“正しい”、“美しい”、“清潔”、“きれい”といった清廉潔白であると信じている人は、自分自身が人を殺す立場になるわけがない、殺人なんて私には関係ないと思っている。私はそう思っている人が一番危ない危険な人だと思っているのである。人間は残酷になろうと思えばどこまでも残酷になれてしまう愚かな生き物である。ホロコーストはある意味、そういった人間の可能性を見せてしまった出来事である。自分がもしその時代に生まれ、ホロコーストする側であれば当たり前かのように虐殺しているんだと思う。当時の風潮としてそれが当たり前であれば。そういう時代であれば、風潮であれば、周りがそうであれば、最初はイヤと思っていたとしても人間慣れてしまえばなんとも思わなくなる。人間は簡単にどこまでも残酷になれる。自分自身がそういった残酷なことに対して無関係だと言って考えていない無視している人は、そういった時代であればより簡単に自分自身がやる側になっている。だから私はそういった残酷シーン、残酷シーンに対して目を背けずに直視し、「恐い、ヤバイ」と思う感じる正常な感情を確認したいのだ。
今回書き切れなかったことはまた思い出したらテキトーに書いていこうと思う。でもこの『キックアス』は本当すばらしい作品であった。これからもどんどんコミックを読んで映画を観て、考えを、深めていきたい。

2017年4月18日火曜日

アメコミ

 先日、働いていたお店の最終出勤日であった。その日に合わせてやらなければならないことが山程あり、まぁ最終日はほとんどやることが終わっていたので、スムーズに退店することができた。次の日は営業はしないが、後片付けということで、物を他店、本部に送ったり、棚卸しをして決算をしてという作業を行い、とりあえず無事に終えることができたということである。2日休みをもらって新しいお店に行く。もっと休みが欲しいところだが文句は言えない(笑)。

 昨日の夜か夕方か忘れたが土砂降りの雨になり、そのときは家にいて問題なかったのだが、最近急に暑くなってきた。ついこの間までは少し寒いくらいだったのが急に季節が変わったみたいである。気がついたら夏になっているんだろう。早いものである。
 ネットサーフィンしていて、いつものように映画とかいろんな情報を集めたりしていて、その日はアメコミについて調べていたら、とある人が「アメコミを読んでいなくてバットマンが好きと言っている人はモグリである」という言葉が飛び込んできた。それ俺だ〜〜〜、とショックを受けてしまったのである(笑)。確かにそういう映画はアメコミを元にして作っているので、映画だけでは到底そのキャラクターやストーリーを理解することはできないのである。アメコミは唯一以前紹介したことのある『ウォッチメン』しか読んだことがない。確かに『ウォッチメン』を読んだとき、映画だけでは理解できないことが山ほどあった。その他の作品もどんどん読んでいきたいと思ったのだが、アメコミは日本のマンガと違って一冊の値段が高いのである。例外を除いてアメコミは全ページカラーで版が大きい。ものによって違うが、だいたい一冊2000円から4000円くらいするのである。なのでなかなか手が出せないというわけである。しかし、先ほどのとある人の言葉は確かにその通りだと思い、ついに私もアメコミを少しだが読む決心をしたのである。もちろん興味のあるものだけである。まず、最近めちゃくちゃはまっている『キックアス』である。これは全部で4冊しかないので、すべて揃えた。4冊といってもこれだけで1万円近くしているのだが(笑)。これはamazonで購入した。ちょうど新宿に行く用事があったとき、新宿にある紀伊国屋書店へ行き、『バットマン』を購入した。しかし、このバットマンは冊数がすごく多い作品で、すべて揃えるのは金銭的にも厳しいので、その中でも興味をもったものだけ揃えることにした。『バットマン  ロングハローウィン1・2』、『バットマン  イヤーワン・イヤーツー』、『ダークナイト  リターンズ』、『バットマン  キリングジョーク』、『バットマン  アーカムアサイラル』、『バットマン  ハッシュ』を購入した。ついでに『ゴーストライダー  破滅への道』が置いてあったのでそれも購入した(笑)。ゴーストライダーは映画はめちゃくちゃおもしろかったので大好きなキャラクターの一人である。真っ黒けっけで燃えているガイコツが敵を殺しまくるのがサイコーにカッコいいのである。話がそれてしまったが、これだけでかなりのお金を使ってしまったのである。
 私は日本のマンガはほとんど読んだことがない。大学のとき、友人にすすめられて『スラムダンク』を読んだくらいだろうか。いろいろ聞いたり調べていると、日本のマンガは世界一だ、という意見をけっこう見るし聞くことが多いのだが、確かに言いたいことはわかる。読み易さであったり、表現の仕方、表現力、線の描き方などなど、私はマンガに関してはほとんど知識がないので上手く書くことができないのだが、確かに日本のマンガはすばらしいと思う。私は日本のマンガとアメコミは全くの別物と考えており、比べることはできないのではないかと思っている。理由は全然違うから(笑)。アメコミも詳しくないのでこれも上手く書けないのだが、私が感じたのは、アメコミは1ページ1ページがものすごく重たいというか、言葉、表には出てこない心の声が多いということであろうか。アメコミのほとんどはスーパーヒーローもので、私が読んだアメコミ全て私たち読者もちゃんと考えなければならない内容なのである。もちろん日本のマンガは考えなくていいと言っているわけではない。アメコミはものすごく哲学的と言ったらいいのか、道徳、倫理、葛藤、正義、恐怖、残酷、そういったものをものすごく掘り下げて掘り下げて描かれており、頭をフル回転させて読んでいかないと到底理解することができないのである。私はチョー頭が悪いので尚更である。『ウォッチメン』、『ダークナイト  リターンズ』が出版されて以降、それまでの勧善懲悪なストーリーは書くことができなくなったと言われている。そしてアメコミ離れしていた人を一気に返り咲かせた作品でもある。今回購入したアメコミで、『バットマン  アーカムアサイラル』、『バットマン  ハッシュ』以外はすべて読み終わっているのだが、やはり一度読んだだけでは理解仕切れない。しかし、本当におもしろい。なぜもっと早く読んでおかなかったのかと自分を責めている(笑)。内容がかなり残酷表現が多く、全く子供向けではない。大人が読む作品である。
 アメコミのスーパーヒーローたちはアメリカの人にとってすごく重要な存在なのである。そして身近な存在なのだ。9.11があったとき、アメリカの人たち、ニューヨークの人たちは絶望してしまったのである。本当はヒーローなんていないんだ、と。9.11が起こったにも関わらず、次の連載で今日もヒーローたちは活躍しています、なんてそんな連載はできないのだ。とりわけニューヨークで活躍しているヒーロー(バットマン、スーパーマン、スパイダーマンなど)は。そこでDCもマーベルも9.11の直後号外を出した。9.11が起こったとき、ヒーローたちは駆けつけたのだが遅かった。そこでヒーローたちは見た。そこには貿易センタービルが倒壊した瓦礫の中で、必死になって人々を助けているレスキュー隊、消防士たち、警察たち。彼らを見てヒーローたちは言った。「彼らが本当のヒーローだ」と。DCもマーベルもこれで決着をつけたのである。その話を聞いたとき、私は涙が出た。それほどまでにアメリカの人たちにはスーパーヒーローが欠かせない存在なのだと。
 今回読んだ作品の感想を書きたいところだが、まだまだ理解しきれていないので、もう少し理解を深めてからにしよう。バットマンはまだまだ厳しいが、キックアスは次の投稿くらいに書いてみたい。まだ2回しか読んでいないので、今日3回目読む予定なので、映画、アメコミを合わせた感想を書けたらと思う。気が変われば書かないが(笑)。

2017年4月5日水曜日

感動する映画に出会う秘訣

 今回もiPhoneからの投稿である。このiPhoneからの投稿で鬱陶しいのが、パソコンで入力するときの字のフォントが違うことと、写真を載せるのが困難というかパソコンと勝手が違うので、思ったように写真を載せることができないということである。これはなんとかならないものか。前回それでめちゃくちゃイライラしていたのである(笑)。

 前回の投稿で読者の方の一人から質問があり、泣けるほど印象に残る映画にたくさん出会える秘訣とは何か、というご意見をいただいたので今回はそらについて書いていこうかなと思う。
 とはいっても私も本当に何も考えずに、これおもしろそうだな、くらいしか考えていないのが事実である。読者の方の質問にもあったのだが私も、好きな俳優が出演している、好きな監督の作品、好きなシリーズ、続編、を観るのが中心である。昔は好きな俳優が出演している作品をメインに観ていて、その俳優を観ているだけでしあわせな気分になれるものであった。だんだん成長するにつれて、食わず嫌いはよくないと思うようになり、私があまり興味がなくても友人のオススメだったりするとちょっと観てみようかなというので観てみておもしろかったりして、新しい発見をすることもある。本当に興味がないものはすすめられても観ないのだが(笑)。あとは好きな監督が担当している映画はやはりハズレが少ないというのもある。監督それぞれ“クセ”があり、その“クセ”が好きであれば楽しく観ることができるが、その“クセ”がなかなか受け入れられない場合はやはりおもしろくないだろう。私はクエンティン・タランティーノ監督が好きな監督の一人なのだが、タランティーノ監督はその“クセ”がかなりあり、それを楽しめるかどうかがキーとなってくる。それを楽しめたらすごくおもしろい映画となる。
 新作の棚を片っ端から観るというのはやっていない。質問にあったように、観るだけ時間の無駄だったという残念な映画もあるのは事実である。しかし、残念な映画かどうかは観てみないとわからないというのが本当に悲しいことなのだが(笑)。私は評論家ではないので、観たくないものは観なくていいので、本当に興味を持ったものしか観ないようにしている。もちろんハズレもある。例えば最近だと、『シン・ゴジラ』、『スーサイドスクワッド』はおもしろくなかった。『シン・ゴジラ』はすごく人気があり、話題にもなり、賞もたくさん受賞していたが、私はこれのどこがおもしろいのか理解できなかった。あと、『スーサイドスクワッド』は公開前、DCコミックの作品ということですごく期待していたというのもあり、期待値が物凄く高かったのだが、実際観てみると拍子抜けしてしまったというか、期待値にはほど遠い作品であった。これは残念であったし、この続編が決定しているが、おそらく監督は変わることになるだろう。今メル・ギブソンに監督を交渉中なのだとか。メル・ギブソンは『マッドマックスシリーズ』、『リーサルウェポンシリーズ』で有名な俳優だが、最近人種差別発言などでハリウッドから干された状態だったが、今年の6月に『ハクソーリッジ』という映画が公開されるのだが、この作品をメル・ギブソンが監督をしていて、これは物凄くすばらしい作品になっているみたいだ。メル・ギブソンは過去に『ブレイブハート』という映画で、アカデミー賞作品賞を受賞したりしていて、メル自身が、俳優よりも監督の方が向いていると言っているくらいで、人種差別発言以外は、メルに映画を撮らせたら本当に天才だというくらいである。シルヴェスター・スタローン主演の映画、『エクスペンダブルズ3』では、メル・ギブソンは悪役で出演しているが、スタローンは本当はメルに監督をやってもらいたかったという。スタローンが認めているすばらしい人物だということである。話が脱線してしまった(笑)。
 予告編の動画を観たときにおもしろそうかどうかを決めることが多いかもしれない。あといろんな人がオススメしている映画で、その映画のあらすじを読んでみて、おもしろそうかどうか。だいたいそんな感じで観る映画を決めているような気がする。私はおもしろくない映画だったとしても、一応興味を持って望んで観ているので、その中でも良いところを見つけるようにしているので、本当にダメだったというのはあまりないかもしれない。本当に興味のない映画を観せられたら途中で寝ていると思う(笑)。私は感動するラインというかレベルはかなり低いのではないかと思う。つまりなんでも感動してしまうということである(笑)。そして気がついたら涙が出ている(笑)。それくらい映画に集中しているということか、映画の世界に自分もいるというのか、主人公たちのメッセージや思い、それらの背景、今まで生きてきたストーリー、苦しみ、悲しみ、苦労、葛藤なんかがいろいろ重なってしまって感動してしまうのかもしれない。私たちが生活しているこの現実では、はっきりいって本当に鬱陶しいこと、ムカつくこと、イラつくこと、絶望すること、死にたくなること、矛盾していること、おかしなこと、間違っていること、間違っているとわかっていてもそれに気がつかないフリをしていること、偽善ばっかりなこと、イジメがあること、差別があること、そんなことが山ほどある。くさった世の中で世界で、そんなことばっかりで本当に生きているのが辛くなってしまう。しかし、映画の世界ではそういうものに対してはっきと“NO”を叩きつけてくれる。気持ちのいいくらいに悪人どもを皆殺しにしてくれる。世の中の疑問や難題、みんなが言いにくいこと、避けていることに対して、主人公でもちょー悪役でも、「そんなの知ったことか!知るかそんなこと!そんなもクソもない!やかましいわ!」とハッキリ言い切ってくれる。そういうので私は救われている。そういうところに私は自然と涙してしまうのである。
 私は同じ映画、音楽を何度も繰り返し観たり聴いたりするタイプで、そのときのブームみたいなのがある。そのブーム期間はそればっかりで他は気にならない。そのときに次のブームが出てきて、またその次に違うブームがきて、とそういうのの繰り返しである。全く新しいものに手を出すのはなかなか勇気がいるし、ハズレたりするのはもちろん怖い。なのでやはり関連、関係しているところから徐々に広めていくのがいいのかなと思っている。例えば、上でも書いたが監督関連であったり、好きな俳優、アーティストつながりであったりするのがハズレは少ないはずである。バットマンが好きであったら、今度はスーパーマンを観てみようとか、バットマンの宿敵のジョーカーの作品を観てみよう、ジョーカーが出ているアメコミを取り寄せてみようとか、バットマン、スーパーマンはDCコミックなので今度はマーベル作品の映画を観てみようとか、そんな感じで興味の幅を広めていくのがいいかもしれない。私は洋楽なんかは、映画の挿入歌として使用されたもので、すごくよかった曲のCDを買ったりするのが多い。現実の人間関係でも、初めて会う人は緊張してしまうが、友人の紹介なんかであればまだ安心感があるし、緊張もそこまではしないだろう。私はその作品のブームが過ぎ去っても、何ヶ月後かにまた同じブームが来るので長い目でみれば本当に繰り返し観ているということになる。自分の見解を広げるという意味では、自分が今まで興味がなかったものにも少し踏み込んでみるのもいい。そっちの世界にはやはりめちゃくちゃ詳しい人がいるし、その詳しい人が初心者向けに紹介してくれているサイトなどもたくさんあるので、そういうのも参考にしている。
  今回、ご質問にちゃんとお答えすることができたかどうかはわからないが、私が感動する映画に出会う秘訣ということで書いてみた。書き終わってみて、そんな秘訣というほどのことがなかったことに今気が付いた(笑)。めっちゃ普通やん!!と言われてしまうかもしれない(笑)。しかし、そんな感じで私は映画を観ているし、探している。これから公開される映画も、過去の作品でも、これからもいろんな映画を観て、自分自身を充実させていきたい。