2015年1月21日水曜日

セントレジス大阪

 年始に少しだけだが大阪に戻ることができた。インフルエンザが治ってそのまま大阪に戻った感じである。私が大阪に戻ってすぐに世間は連休があけ、初仕事に行くタイミングだった。私は午前中に自分の用事を済ませ、午後から母が仕事から帰ってくるので、そこから二人で出かけていた。以前から私はセントレジスホテルというところに行きたかったのだ。“セントレジス”と聞くとピンとくる人も多いかと思われるが、映画『プラダを着た悪魔』で主人公がある人から原稿をもらうシーンがああるのだが、その待ち合わせ場所がセントレジスホテルの中にあるキングコールバーというところだった。5月にニューヨークに行った際、もちろんこのセントレジスホテルに行ったのだ。そしてキングコールバーで一杯飲みたかった。がしかし、一人だったということと、超高級バーということでドレスコードありかもしれないということでキングコールバー入口でビビってしまし、引き返す結果となってしまった(笑)。このキングコールバーは、アメリカで初めて“ブラッディーメアリー”というカクテルを広めたことで有名なのだ。このバーでは“レッドスナッパー”という名で親しまれているようだ。このレッドスナッパーをキングコールバーで飲む、というのが旅のひとつのミッションだったのだが、いともやたやすくミッション失敗となってしまった(笑)。
 セントレジスホテルは日本では大阪にしかない。御堂筋沿いに建っていて、なかなかそっち方面は行かないのだが、わざわざ行ったということである。大阪のセントレジスにもバーがあるのだが、ここは“セントレジスバー”という名だった。ここでは“ショーグンマリー”というお酒が有名。“ショーグン”はもちろん“将軍”である。日本の風味を生かしたカクテルだ。しかし今回はお酒よりもお茶を飲みに行った。大阪弁で言えば、茶をしばきにいったのである(笑)。夕方からバータイムで夕方まではアフタヌーンティーということでティータイムだった。なかなかおしゃれなお店でとても気に入ったのである。母もよかったなーと言っていた。また行こうと思う。今度はバータイムに行ってみたい。

 前会社で働いていたとき、私がやめることが決まり、最終出勤日が近づいていたときに、お世話になった先輩が、プチ送別会として二人でバーに連れて行ってくれたのだ。なんと横浜ランドマークタワー最上階。ここも超高級バーだった。以前先輩がこのバーで働いていたみたいで、このバーのスタッフ数名はこの先輩の後輩で、皆さん先輩に挨拶されていた。一杯数千円のお酒を飲ませてもらった。まるで“ジェームズ・ボンド”になった気分だった。そこからより一層お酒に興味を持つようになった。もともと007映画が好きだったので、映画に登場するお酒を色々と調べたりしていた。まあ、どれも高級なお酒でなかなか飲むことができないのだが(笑)。
 ルパン三世シリーズも私は大好きである。ルパンの映画の中でも様々なお酒が登場する。子供の頃はなんとも思わなかったシーンが、今では武者震いするくらいいいシーンがある。TVシリーズの“1$マネーウォーズ”という映画があるのだが、ルパンと次元とのやりとりの1シーンである。

(バーにて)
次元  「やっこさんから振り込まれたぜ。・・・ドライマンハッタン。」
ルパン  「街が恋しくなったか?スコッチ党のお前が。」
次元  「声のせいじゃねえか。」
ルパン 「かもな。」
(省略)
ルパン  「ケリつけっか。」

しびれるくらいに渋いシーンだ。次元もカクテルを飲むのかと発見したシーンで、次元がカクテルを飲むこと自体がめちゃくちゃカッコイイ。ルパン一味は仕事でしばらくニューヨークを離れているところだった。お酒の名前になるくらいの街。ルパンや次元にとってどんな街なんだろうか。私はとても興味がある。
 前会社での先輩とのプチ送別会でメニューを見たとき、カクテルの欄で私は“ニューヨーク”というカクテルを発見した。その下に“マンハッタン”を発見。私は迷わずこのどちらかにしよう思い、“ニューヨーク”を選んだ。先輩は私に合わせてくれたのか、メニューも見ずに「じゃあ私はマンハッタン。」と言った。さすがお酒に詳しい人は違うなと思った。そのバーに連れて行ってもらったとき、私は新たな扉が開いた瞬間だった。先輩とお別れした後、ありがとうございましたのメールを送り、先輩から「カッコイイ大人になってください」という返信。私はほんの少しだが、大人への道を進んだ気がした。なかなかこれほどの高級バーに行く機会はほとんどないがたまに行ったときには、先輩との思い出、そしてルパンと次元のやりとりを思い出す。たまにはこんなお酒の飲み方もいいんじゃないかな。

2015年1月2日金曜日

腹立たしいこと

接客業というのは腹立たしいことがよく起こるものである。しかし、それに対して反抗してはいけないという当たり前でだが社会人としての、そして一百貨店スタッフとしてのルールがある。それに対しても腹が立つこともあるが、それはさて置き。私が働いているお店と、その近くに厨房があるのだが、少し移動しなければならない。その際に従業員専用通路はなく、お客様が使用する通路を使用しなければならない。ある日、店頭から厨房の作業をしに行こうと移動していると、とあるお客様いやおっさんが他店ではあるが会計中の商品を落としてしまい、歩いている私の方へ転がってきたので、私はその商品を拾って渡そうとしたのだ。私の予想としては、「ありがとう」など何かしら返答があるだろうと思っていたのだが、私の顔を見ることもなくその商品を受け取って背中を向けたのだ。もちろん私は何も言わずそのまま厨房作業に入ったのだが、もし私が客のひとりで同じようなことが起こったら間違いなくそのおっさんに文句を言っていただろう。なぜ何も言わないのか。私がスタッフのひとりだったからか。いや、そうだとしても「ありがとう」くらい言うのが筋ではないのか。「アホか」と小さく呟いた。
 次に、私がお店のいてある商品の在庫の確認をしていた時だった。「すみません」とどこからか聞こえたので顔を上げてみると、女性のお客さまが一人立っておられたので、私は「すみません、お待たせ致しました。」と小走りで接客に戻ったのだ。こういうことはよくあることで、私のお店はほぼU字型の形をしていて、そのなかに大きな柱もあって、その柱が影になって見えない時があるのだ。もちろんお客様を第一にしなければならないし、待たせてしまうことも事実なので、お詫びはいつもしている。今までお客様から怒られたことは一度もないが、今回初めて怒られた。しかし、怒られた原因が私にはよくわからなかった。続きに戻るが、私が接客に戻った時、急に「ここのお店のスタッフは悪魔みたい!」といきなり言われたのだ。私は聞き間違えたのかと思い、もう一度言ってもらうとやはり同じ回答だった。起こっている人に「なぜですか?」と言うと余計怒ってしまう可能性があったのでそれはやめておいたのだが、何に対して起こっているのかわからなかった。待たせてしまっていたのか、他のスタッフの対応が悪かったのか・・・。待たせてしまっていたとしても、言い訳になるかもしれないが気が付かないときもある。何が悪いのかわからないまま謝るのは嫌だったし、いきなりそんなことを言われて私も腹が立ち、「そうですか」と言った。私は百貨店スタッフ失格である(笑)。頼まれた商品を包んでお渡しするとひったくるように持っていった。私は心が汚れているので「なんやねんあのおばはん」と心の中で言ったのだ。うん、間違いなく接客業失格である(笑)。少ししてから厨房作業に入るため、通路を歩いて移動しているとさっきのお客さんが買い物をしていたのだが、かなり怒った顔で私を睨みつけていたのだ。私は歩きながら表情を変えることなくその顔を2秒ほど見て視線を変えた。普通ならもう一度謝罪しに行くのだろうけど、私はしなかった。そんなに腹が立つんだったら買わなきゃいいのに、と思ってしまった。もし、反抗してもいいというルールがあれば間違いなく、「なにメンチ切っとんじゃコラ」と不満の洗いざらいすべてぶつけていただろう。うん、明日にはクビだな(笑)。まあ、この件は私の側に問題があっただろう。何が原因であるにせよ、すみませんでした。
 いろんな人がいるので接客する側も大変である。それをよく理解しているので私が買い物をする側になればちょっとくらいなにかあってもいちいちそれに反応することはない。みんな楽しく仕事したいじゃないか。みんな楽しく買い物したいじゃないか。言いたいことがあるときは、“怒る”というよりも“指摘”という手段を使って。接客もなかなか難しいものである。

言葉たちを落とし込む作業

年が明けてしまったので、昨年の話になるのだが、法律を勉強している友人と会う機会があり、彼が通っている大学院内を少し案内してもらった。法科大学院ということでテレビでよく見る裁判所の室内まで整っているという予想以上の設備であった。模擬の授業ができるのである。さすが、の一言。まさに勉強する環境が整っている。
 彼が自習していた部屋で少しばかり話をしていたのだが、覚えたものをどんどん問題を解いて、その覚えたものを使えるようにしていく訓練が重要だという。私もそう思うのだ。インプットとアウトプットする脳は違う脳である。なので全く別の作業になるわけだ。ついつい私たちは覚えるだけ覚えてそのままにしておくことが多くなってしまう。例えば本を読むことも同じである。読んだらそれでおしまい。これは読んだうちには入らない。読んだ気になっているだけである。小学生や中学生の時などよく書かされた読書感想文はすこぶる重要な作業である。読むのはすぐできるが、それを書いてまとめるとなるとはっきり言って面倒な作業である。なかには、書かなくてもしっかり読み込んで自分が納得すれば大丈夫と思っている人もいる。書いてまとめている自分をイメージしている人もいる。なんとももったいないことをしている。せっかく本を読んだというのに。
 もちろん本だけではなく、自分が観た映画、自分が経験したことでもなんでもいい。疑問に思ったことでもいい。それをとりあえず文字として表現してみること。その友人が言っていたように訓練が必要である。私はこのブログを使って文字として表現することにしている。ブログを始めた頃はひとつの記事を書き上げるのにかなりの時間を費やせねばならなかったが、今ではそれほど時間はかからない。内容によってはじっくり考え、慎重に書いていくこともあるが、ほとんどはスラスラ書ける。文字にしてどうなるんだという人もいるかもしれないが、これはコミュニケーション能力にもつながってくるのではないかとも考えている。話を聞くのがインプットで、話をするのがアウトプット。しかし、日頃から文字として表現している人はそうでない人よりも、瞬時により深く、丁寧に、論理的思考ができているのではないかと思う。ただ単の感情論だけで終わりになるだけではなく、一段上の話し合いができるのではないだろうか。自分の頭の中でうごめいている言葉たちを、紙やノート、ブログといった媒体に落とし込む作業は、ひと手間かかってしまうが、よりスマートに生きていく一つの手段かもしれない。

2015年1月1日木曜日

2015年、始まる

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

幸か不幸か、インフルエンザにかかってしまったおかげでゆっくり部屋で年を越すことができた(笑)。長渕剛が紅白に出場していたのでそれも見ることができた。テレビはないのでガラケーのワンセグで(笑)。長渕剛と中島みゆきは良かったんじゃないかな。好きな歌手しか評価できないし、真剣に見ないので最初からこういう結果になってしまうのだが。感想としては、期待通り、いやそれ以上やってくれたぜ、という感じである。来年夏の10万人ライブの宣伝も兼ねて出場していると見込んでいたのだが、それに関しては一切触れなかった。その方がよかったのではないだろうか。嵐のメンバーのひとりの二宮くんが剛からのメッセージを代読し、東日本大震災から今日までの3年間を振り返った。剛本人からは歌以外何も語られることはなかった。紅白歌合戦というある意味お祭り騒ぎな場面を一瞬にして静寂な空気へと変えてしまった。力強い彼からのメッセージを私は確かに受け取ることができた。彼にしかできない素晴らしい演出だったと思う。
 長渕剛が初めて紅白に出場したのは1990年、ベルリンの壁から中継での出演だった。紅白では異例中の異例ともいえる3曲を歌い、約15分間独占したのだ。その中での発言が問題となり、“長渕剛NHK永久追放”といわれた。その紅白の後の自身のライブのMCで、「毒にも薬にもならねえ歌をタラタラ3時間流すよりも、毒か薬かいずれかになる歌を15分歌ったほうがよっぽどマシなんじゃねえのか!!」といっていた。当時の剛はかなりトゲトゲしかったが、それは最高にカッコよかったと思う。周りと同じようなことはやりたくない、誰かと一緒はイヤ、誰もやったことがないことをやりたい、彼は常にそう自分に言い聞かせながら今まで生きてきている。形は違えど、今回のパフォーマンスも彼のこだわりが詰まっていたように思える。もちろん賛否両論あるだろうけど、一視聴者としての私はそう感じた。



 今日やっと平熱に戻り、安定している。咳もマシになり、やや頭痛があるくらいだ。頭痛というよりもフワフワと酔っているような感覚だ。真っ直ぐしているときは問題ないのだが、前かがみになったりすると急にクラクラして気分が悪くなってしまうのだ。それも早く治って欲しいものである。2015年はずっと健康で元気に過ごせるようにしたいものである。健康が一番。それに尽きる。あと漏水させないように注意しなければ(笑)。
 新年早々に個人的なネタで申し訳ない(笑)。