2022年6月3日金曜日

彼は最後のスーパー・スターだ

 コロナ禍の影響により、約2年も公開が延期になった作品『トップガン マーヴェリック』。「2年も待たされた」という感情もなく、2年間予告編ばかり観てきたため、心のどこかにもうすでにこの映画を観た気分にさえなっていた。この映画の制作が決定され、そして今回公開にまでたどり着いたわけではあるが、前作から36年ぶりということで、前作からこれほどの年月が経って続編が制作されるというのは非常に珍しい話でもある。よく耳にするフレーズとして、「待望の・・・」とあるが、今回の『トップガン マーヴェリック』も例外ではない。だがしかし、果たして本当にこの映画の続編を誰が望んでいたのだろうか。確かにすべての映画に“熱狂的なファン”というのは必ず存在し、問答無用に称賛するというのはよくわかる。にしてもそれ以外の人でこの作品の続編というのは望んでいたのだろうか。少なくとも私は望んではいなかったし、前作にも何一つ思い入れがない。前作はただ単に音楽がやかましい映画、ということくらいだろう。戦闘機が飛び回っているがどの戦闘機が誰の戦闘機かなんて1万回観てもわかるはずがない。近年制作される映画といったら続編やリブートやリメイク、そしてアメコミ映画。当然成功している作品もあれば失敗に終わった作品もたくさんある。アメコミ映画は比較的成功しているが、続編やリブート、リメイクで文句なしに成功したという作品が果たしてあっただろうか。今回の『トップガン マーヴェリック』も同じ道を歩んでしまうのではないかと、いや、どうせそこまでおもしろくはないだろうという思いが強かったのは紛れもない事実である。予告を観ても「これはおもしろそうだ!!」という感情など一切なかった。ただトム・クルーズが主演だから・・・という理由以外、この映画を観る動機はなかった。今のハリウッドで自ら先頭に立って映画業界を引っ張っているただ一人の人物がトム・クルーズなのだ。では観に行くしかないなー、そんな気分で映画館に足を運んだのである。  偶然にも公開初日ではあったが、多くの客で座席が埋め尽くされ、年齢層は4,50代が目立つ。みんなこの映画をそんなに待っていたのか?疑問でしかない。序盤から『トップガン』の主題歌が鳴り響き、往年のファンを喜ばせる。36年という年月は映画の中でも変わらなかった。トム・クルーズ、いやマーヴェリックも同じで、彼は36年前と同じ階級でライバルであったアイスマンは大将だ。なぜマーヴェリックは今もなお同じポジションでパイロットとしてて空を飛んでいるのか。上官の命令を無視し、処分が下るというのはいつものパターンだ。ここにきて彼は再びトップガンへ戻ることになる。しかし、教官としててだ。非常に困難なミッションに挑むことになった若きトップガンのメンバーたちはマーヴェリックを“おじさん”呼ばわりだ。でも訓練ではマーヴェリックの方が上手で次々と若いメンバーたちを倒していく。今回のミッションは成功できるのか。メンバーの中にかつてマーヴェリックの親友グースの息子もいる。グースは事故で亡くなってしまったのだ。息子のルースターは彼を恨んでいる。マーヴェリックは過去との亡霊とも戦わなければならない。メンバーはバラバラのまま、そしてマーヴェリックはもう教官としてでもクビになる。もうパイロットとして空を飛ぶ日はない。36年前と比べ、当然ながら世界は変わった。戦争の戦い方も変わった。今ではドローンによる無人飛行爆撃。パイロットの役割は限りなくなくなりつつある。ましてやマーヴェリックみたいな“おじさん”は。最高難度の作戦で、このミッションは可能なのかと若いパイロットたちは疑問だった。マーヴェリックから他の教官に代わり、作戦の難度が下げられる。しかし、この作戦では生きて帰ってこれない。でもマーヴェリックの作戦は無理だ。そんな思いが若いパイロットたちの脳裏をよぎる。どうしたらいいんだ。そこに未確認の飛行物体が作戦本部に近づいてくる。どうやら正体はマーヴェリックだ。マーヴェリックが自ら作戦が可能かどうかを証明しようとしているのだ。短い時間内に目的地にたどり着き、低空飛行のまま進んでいかなければならない。かと思えば山を越えるために一気に軌道をあげなければならない。いわゆるコブラ軌道だ。これはパイロットにかなりのGがかかり、気絶(Gロック)する可能性がある。それをマーヴェリックが呼吸を乱しながら最高難度のポイントを一つ一つクリアしてゆくのだ。若いパイロットから“おじさん”と呼ばれていた人がだ。この映画は観ている人も一緒に操縦している感覚になり、Gをも体感できるような映像体験になっている。この映画自体を正直言ってバカにしていた私だが、いつからか涙がボロボロと溢れ出していることに気が付く。私もマーヴェリックと一緒にコックピットにいるのだ。マーヴェリックがこの作戦にこだわる理由はただ一つ。全員生きて帰ってくること。それしか過去との亡霊に決着をつけることができないんだ。私はなぜこんな映画に涙を流しているんだ?なぜこんなにも魂が揺さぶられているんだ?ここ数年、映画自体が変わった。この作品を観るにはあの作品を観ておかないといけない。バース系だ。確かにそれもおもしろい。でも一本の映画としては?複雑化する中で生まれる感動がある。様々な要素が絡み合い、化学反応で生まれる壮大なカタルシスがある。でもこの『トップガン マーヴェリック』はどうなんだ。そんなもの一切ない。あるのは古臭い熱い心だけだ。こんなストーリーでさえ、忘れかけていたものを思い出させてくれ、何かを感じ、ストーリー自体も引っ張っていけるのはそれはトム・クルーズであるからなのだ。彼は紛れもない、世界一のスーパー・スターだからこそ成し遂げられることなのだ。CGが主流の中、トムはあえて実写にこだわり、まるで死に場所を求めているかのように危険なスタントに挑んでゆく。彼が本当に最後のアクション俳優であることに間違いはない。『トップガン マーヴェリック』、それはここ数年に観ることができなかった真正面から挑むエンターテインメントなのである。世界中の人が今夢中になっているのは、みんな心のどこかでそれを求めていた証拠なのである。これからも時代は変わっていく。世界も変わっていく。人も変わっていく。環境も変わっていく。でも変わらないのもあるはずだ。それは人間同士の思いやりの心だ。映画の中のように、いつか自分の居場所がなくなることもあるかもしれない。自分を必要とされなくなる日が来るのかもしれない。そう考えれば不安で仕方がない。マーヴェリックも同じだ。でも彼は笑みを浮かべながらこう言ったはずだ。「だが、今日ではない」と。

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